オーケストラのように
昨日、三谷幸喜の有頂天ホテルを見て帰ってきたら、「スマステ」でそれに合わせて帝国ホテルを特集していた。
帝国ホテルの裏側を取材したもので、お客様をもてなすために、ランドリー、ベルボーイ、コンシェルジュ、料理係り、客室係りなどなどがそれぞれ真剣に工夫をし、対応をしていることが描かれていた。
そして、取締役の人が「オーケストラを奏でるように」とホテルのサービスを称していた。
つまり、オーボエやタンバリン、チェロやバイオリンがそれぞれの受け持ちをきちんとやりとげ、全体として素晴らしい音楽になるように、サービスを提供するという意味だ。
地域のITクラスターの活性化もこのオーケストラのようになると良い。
吉田民人先生が言うプログラムがオーケストラの楽譜にあたる。
産官学と一言で言うけれど、産にも、他産業もあれば、IT産業のなかにもいろいろな産業があり、そのなかにもいろいろな企業がいるし、支援産業もある。官も周知のようにいろいろだし、役人それぞれも皆それぞれの顔をしている。学もしかり。こういう奏者がそれぞれの役どころで最高の演奏をし、全体として素晴らしい音楽を奏でられると良い。
まずは、楽譜を描かなければならないし、そもそもが、自分達が楽譜を演奏しているのだということを理解してもらわなければならない。
産官学連携は、まだ最初の試みの段階なので、どんな機能が必要でそれがどんな役割を果たさなければならないかがまだ明確になっていない。たとえば、同じ弦楽器でもバイオリンとビオラが必要であること、バイオリンとビオラは同じように見えるがどう棲み分け、どう協調したら1+1が2以上になるようにするかがまだ分かっていない。オーケストラの構成と楽譜が出来ていないのだ。
A社長は、業界のなかで重要な役回りなのだが、支援企業のB社の社長が嫌いである。しかし、楽譜としては、A社長は第一バイオリンだとしても、B社長は、華やかなトランペットであって、この曲を盛り上げるには必要な機能だ。A社長が重要であっても、B社長をきちんと配置しなければならない。
道庁のC課長は、本来は、ベースであってくれなければならないのに、ピッコロになってメロディーを奏でてしまったりする。
人間の身体と同じように、指揮者がいるのではなく、全体の濃度などによって、それぞれのパートや奏者が自らの分をわきまえるようにしなければならない。体調が崩れると健康な細胞が癌になってしまうので、体調を崩さず、全てのパートが最適に演奏できるような体液の濃度にしなければならない。
体液の濃度とは、たとえば、札幌地域の起業家風土のアップとか、楽しみたい度のアップなのかもしれない。
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