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April 17, 2006

創造の場

こちらのページは、構えてしまい、ご無沙汰してしまっている。いろいろ書きたいことが頭をよぎるのだが、整理してからと思っているうちに忙しさにかまけてしまっている。

先日、法政大学の文化資産とまちづくりの勉強会に出席した。この間、大阪市立大学での創造都市のシンポジウムの折ご一緒だった、音楽と都市を研究している増淵さんのご報告のほか、いろいろな背景の人が参加していて面白かった。

そのなかで、各地で創造都市や文化クラスター形成を考えているが、コンサートホールなどの箱ものをつくったり、インキュベーション施設を作るなどしている。しかし、そもそもサブカルチャーなどは行政がやるものではなく、まちの端っこで生まれるようなもの。そういう文化が創造される場をまちに残すことのほうが大切なのではないかという話があった。中島みゆきの「南三条は死んだ」という歌詞がある。あの辺りはバブルの頃にビルになってしまった。

また、札幌がまだ14万人くらいの人口規模であった頃に、著名な文化人がたくさん生まれており、互いに刺激しあっていたが人口規模が現在の190万人になるにつれて、顔のみえない都市になってしまったという話があった。

一方で、少女マンガ家は、札幌に在住して作家活動を続けており、マンガのなかに、札幌のまちと空気が描かれ、それが主人公の成長や感情を現わすのに使われている。文化は所詮、人なのだが、音楽などでは、産業化の過程で、いろいろな職種との調整が必要なため東京一極集中になっているが、マンガは、最初の登竜門としては、中央の雑誌でのコンテストが必要であったり、成長の過程で編集者の意見が重要だが、一人でできるので、地域でやれる。これを地域の産業化に結びつけたり、都市のブランドにしない手はないというような話もあった。

昨晩、NHK教育日曜美術館で藤田嗣治をやっていた。藤田は、パリで、ピカソにあって刺激を受け、ピカソがバイオリンをバラバラにして絵を描いているのをみて、自分の大切な絵の具箱を壊してマネをしている。その後、乳白色の女性の絵を描くようになるが、その折、色はマチスなどに適わない。そこで、日本画の筆を使って輪郭を描き、肌色を工夫して色のないような絵を描いて、一躍名を成す。

銀行に保管されていたある絵(肌色の前)の裏に、藤田がこれは会心の作で、思わず丘をころげたくなるような良い出来であるとしているのがあった。その絵自体は、私にはそんなに良いものと思えなかったが、彼にとっては、人の真似ではなく、自分なりの絵が描けたということらしい。苦しんでいる私には、その喜びの意味がすごっくよく分かる。

同じ時代、同じ場所で、出会ったり、ライバルのうわさを聞いたりしながら、真似てみたり、差別化を図ることで、自らの特徴を出していく。こういうのが都市の刺激、創造の場であるのだろう。

学生を見ていても思うのだが、先生の言うことは聞かないが、一緒に遊んでいる友達や、先輩の言うことは真似をしたり、刺激を受けたり、差別化を図ったりしている。

人の創造力は、こういうなかで磨かれる部分があるのだろう。

もちろん、「国家の品格」に書かれているインドの数学者のように、空間の美(夕日や贅をつくした美しい幾何学的設計の寺院)が彼の感性に大きな影響を与えたように、人ではなく、風景や建物が影響を与えていることもあるようだ。

私もそうだが、静岡の大学に就職した別の人も大学のなかに、知的刺激を得られる場がないといっていた。同じぐらいのレベルの能力を持つ人でないと会話にならない。かつ異なる領域に関心を持ちながら議論・刺激しあうのが良いはずだ。

まちなかは、たむろできる喫茶店がなくなり、回転率を重視するスタバなどのチェーン店になった。今議論をゆっくり出来る場所、いろいろな人が出入りする場所は、大学院になったのかもしれない。内部の人だけだったが、昔の長銀調査部はそうだった。外部の人も巻き込んでという意味では、ソフト化センターはちょっとそうだった。日下さんは、東京財団をアメリカワシントンのなんだか財団のようにしたいと、国会と役所の近くの虎ノ門に設立したのだけど、適わなかったようだ。

アメリカでは、新しい技術に挑戦すると、企業の枠を超えて、俺が開発したものを見てくれよとプレゼンしたがるし、それによって、新しい技術開発が生まれたり、ベンチャーが生まれる、それを支えるエンジェルなどもいる。札幌は、同級生などでヨコのつながりがそれでも強い地域であるというが、私にはしらっとしているように見える。

酒井さんによるとサンは、自社の開発センターのことをキャンパスと言っていて、円形に建物が建っていて、自慢したくなると、真ん中の広場で話し合う、プレゼンしあうのだという。誰かが面白そうなことをやっていると知ると、皆でそこをたずねたり。社長が聞きつけてくることもあるという。エバンジェリストという人もいるらしい。

ずっと前から、ノーベル賞をもらった福井先生のいう「翕然と集まる」という言葉を追い求めているのだけれど、どうやったらこれが出来るのだろうか。

仙台の知的クラスター地域では、東北大学の先生のなかで、世界的に優れた方がおられ、セキュリティでは、年一回国際会議を開催し、それを知的クラスター事業のお金でまかなっているという。またMEMSのコンソーシアムも出来て、東北以外の企業も参加しているという。海外を調べ、日本は、大企業内部の開発が中心になっているが、MEMSは、個別対応で標準化しにくいので、大企業ではやりきれないところがあるため、欧米のように、国が研究を支援すべきであるし、中小ベンチャーが担うべきであるとの報告書をまとめている。

ITという分野だからなのか、それとも北大のレベルが低いのか、知クラ本部などのコーディネーションが悪いのか、そうした世界に発信する姿勢が見えない。私は、残念ながらポスト知クラ構想を練る仲間から外されてしまったようなのだけど、ポスト知クラでは、それをやってくれるのだろうか。

もっとも、ここも難しいところで、MEMSなどの場合、東北地域の中小企業にはおそらくそれを担える企業はあっても数少ないはずである。知的クラスターは、無理やり上から作るのだろうか。一方、これまでの札幌地域は、既にあるサッポロバレーの底上げを狙ったので、逆に言えば、高めるのが難しい。ポスト知クラで狙っているのは、地元には今企業がほとんどいない分野のようだ。そのシナリオづくりをしている人は、これをやることによって、地域のIT企業にとってもはずみがつくような梃子のようなものにするというのだが。

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