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January 13, 2007

バブルの背景2

第二章 拡張的財政金融政策と円高の急進展-バブル発生のマクロ的環境

1.「政策協調」としての拡張的財政金融政策

プラザ合意と前川レポートに続く時期における財政・金融の拡大政策は、①米国が要求する「黒字減らし」のための対外政策であった、②円高不況対策、③過度の円高に歯止めをかけるための対策という側面もあわせ持つ。①がこの時期の金融政策を「行き過ぎ」たものにした。

(1)日銀は公定歩合を5%から下げ続け、87年2月には2.5%と史上最低水準とし、利上げは89年5月までなされなかった。→これは「行き過ぎ」であり、バブル発生のマクロ的経済環境のひとつを形づくった。

では、何を根拠に「行き過ぎ」か。①マネーサプライ(M2+CD)が増加した。増加率は、80年代の年率8%から12-13%にまで増加しているがそれが高いといえるかどうか(60年代19%、70年代16%)。マーシャルのk(マネーサプライ/名目GDP)が上回っている(経済速度を上回るマネーサプライの増加)。過剰流動性の発生がインフレをもたらしたと考える「貨幣数量説」

②金利水準の国際的にみた低さ。実質では、アメリカと同じくらい、ただ、ドイツが88年以降、すみやかに金融引き締めに転じたのに対し、日本は遅れた。

長期金利(政策金利ではなく、実際の動きの指標として)の動きでは、ドイツは、公定歩合が低い時期でも、長期金利は低下していない(緩和は長くは続かないという中央銀行への根強い信頼があった)のに対し、日本では、緩和政策が永久に続くかのような期待があり、長期金利の大幅な下落があった。

では、何故、日本では、金融緩和が「行き過ぎた」のか。

(1)プラザ合意以降のマクロ政策協調によって金融政策の目標がゆがめられた可能性

(2)日銀の情勢判断が間違った可能性

(3)バブル防止に対する金融政策の本来的な限界

・公定歩合引き下げの理由として①対外不均衡是正、②為替相場安定のみ挙げられており、日銀が本来目標としている「インフレなき持続的成長」が目指されていない。

・利下げに対するアメリカからの外圧が強くなっていた。協力しないともっとドル安になるという脅し。円高で打撃を受けた輸出産業を救うために行き過ぎた緩和策を取ったという結果はあるが、対外不均衡是正という国際公約であり、円高アレルギーを利用したアメリカの脅し。

・日銀は、公定歩合引き下げ三回目にあたるとき、「最近の現存資産価格(土地、株式、ゴルフ会員権等)の項で、金融の量的緩和を背景にした土地投機的な要素」について触れている。金融機関は節度ある融資態度でと言い、「投機的な期待がつぶれた場合には、かなりのデフレショックが生じる惧れがある」と警告している。

・警告はしているが具体的な措置にならなかった。87年にブラックマンデーが起こって引き上げのチャンスを逃した、一方ドイツは引き上げた。(非難されたが)日銀は、世界恐慌の引き金になるのを躊躇した。

・資産価値が高いのは、ファンダメンタルズによって説明でき、バブルではないという議論が当時主流であった。・・適度の引き締めと産業構造が変化したことに対応し、アメリカの金融圧力に乗らなければ、もしかしたら、これほどの崩壊ならなかったのではないかと考えることは無理だろうか?

・総合判断できず、卸売物価のみを判断材料にしていた(別のペーパーでは、物価安定しているなかで金融引き締めできなかったとある)。政府の介入。

(2)財政出動はせず、専ら金融政策でやってきた。ところが、日銀が最後の利下げを終えたあと、政府は空前の財政出動に転じる。「臨調路線」下での財政再建で影をひそめていた裁量的な財政政策が復活する。それが超低金利下で行われたことが、経済主体の行動に働きかけた点で大きな意味がある。

79年9月、80年度を「財政再建元年」とし、85年に赤字国債依存を脱却する方針が出され、実行に移された。「ゼロシーリング(予算を前年度並みに)」や「マイナスシーリング」が設定され、歳出が厳しく抑えられた。→87年度補正予算を経て、88年度予算編成、ルーブル合意後の87年度から裁量的な財政政策が復活した。

86年4月に「総合経済対策」、87年5月の「緊急経済対策」:総事業費6兆円(空前の規模:1.35兆円の公共事業費、1兆円の所得減税。87年の四全総(多極分散型国土の形成:東京に莫大なオフィス需要が予測されたため、東京を国際都市とし、それを中心とする交流ネットワーク構想を打ち立てた)の策定とリゾート法の成立(内需拡大を全国的に広げる)。→→財政再建を諦めたときに、バブルによる税収増で91年に赤字国債依存から脱却が実現という皮肉。

2.円高の役割-円高メリット考

・プラザ合意を受けて、急速な円高が進行した。通常円高は景気にマイナスの影響を与える、事実、円高不況を引き起こした。

・同時に円高は、景気を早期に回復させ、あるいはバブルを引き起こす方向に作用するいくつかの要素を伴った。事実、上述の財政拡大策が作用したこともあり、円高不況は「悲鳴」の大きさの割に短期に克服された。

・そしてバブルと大型景気が控えていた。(1)輸入価格の低下を通じた卸売物価の安定→拡張的財政政策の余地を広げ、超低金利政策の長期化と大型財政出動を可能にした。(2)海外からの低利資金調達を可能にした。

・私でも分かる円高メリット(既に日本企業が海外工場進出し、輸入で日常品を賄う体制ができていた→産業構造が変わっていた。また、輸出企業は、円高を見越して本当の予算を作成していた)をどうしてこの時期話題にせずに、円高不況→低金利・財政拡大をしたのだろう?

・この時期に円高が日本の当局の予想を超えて急であったのは、それまでの円レートが実力よりも低く抑えられていたから。アメリカは内需拡大を迫り(円高を迫り)続けた。

・輸出企業の悲鳴は、ドル建てであったため、価格が上昇し、その結果数量が減るというものであった。輸出企業は、この時期、対外直接投資を加速させた(空洞化として叫ばれる)。→しかし、輸出価格転嫁率が高く、円高をかなり吸収できていた。

・非製造業は円高で輸入価格が低下するのでメリットとなる。

第三章 金融自由化のインパクト-バブル発生の金融的環境

1.遅れて集中的に進んだ金融自由化-金融アベイラビリティの急拡大

2.信用秩序維持政策の転換と「規律付け機能」の緩み

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