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January 12, 2007

バブルの背景

田中隆之『現代日本経済-バブルとポスト・バブルの軌跡』は、一度読んでいるのだが、前述のような疑問を自分で持ったうえで、これを再度勉強しなおすことにする。

第一部 バブルの背景-80年代の経済環境

第一章 マクロ経済構造、貿易構造、日米経済摩擦

1.80年代日本のマクロ経済構造と貿易構造

80年代に日米貿易摩擦を激化させたのは、(1)80年代前半に確立した外需主導型の成長構造、(2)輸出先を極度にアメリカに依存した貿易構造→特にハイテク分野での日米二国間貿易不均衡の拡大である。

第二次オイルショックからの3年間、日本経済は第一次オイルショックの時期よりも成長率が低かったものの、他の諸外国はもっと成長率が低く、しかも物価が上昇するという「スタグフレーション」に悩んでいた。この時期、日本は物価抑制にも成功していた。

日本がこの時期、低成長にもかかわらず、国際的には良好はパフォーマンスを達成できた原因は、輸出が伸びたから。

日本の高度成長期は、変動相場制への移行と第一次オイルショックに終焉した(ただし、この2つのショックは、全世界的なもの)。国内的要因としては、(1)外国からの技術導入による労働生産性の上昇が限界に達した、(2)農村から都市への労働力人口の急増が限界に達したから(大量消費をもたらす個人需要が停滞)→先進国へのキャッチアップが終了した。

高度成長から中成長への移行が急であったために設備投資の激減とその後の低下、需給ギャップが生まれ、強い輸出圧力となった。

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●政策のトレードオフ(成長の維持:完全雇用の達成、国際収支の均衡、物価の安定、財政収支の均衡)

・資本財部門の設備廃棄と失業の増大というデフレ的な調整をしない(成長の維持)を最優先とした場合

(1)内需拡大→財政出動による内需拡大策をとる→財政赤字拡大、インフレ亢進

(2)輸出圧力の高まりに任せる→経常収支黒字の拡大

・経常収支の均衡(黒字減らし)を最優先とした場合

(1)内需拡大→インフレや財政赤字拡大

(2)円切り上げ(円高容認)による収支均衡→景気悪化、失業拡大

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日本経済は、結果的に外需依存型の成長構造に傾いていく。

70年代には、黒字減らしのための内需拡大策が何度か試みられたが、インフレと財政赤字の壁に突き当たって、二度挫折した。(円切り上げ直後の72年:調整インフレ策→第一次オイルショックによる狂乱物価で挫折、77年からの福田内閣の時にサミットにおける日米独の経済機関車論:内需拡大で世界経済を牽引→77-78年に補正予算を含む大型財政支出→79年の第二次オイルショックで挫折)

★需給ギャップで企業が輸出圧力を高めたこともあるのかもしれないが、実際、二回のオイルショックを経て、日本の主要輸出製品となった自動車、家電で著しい品質向上が図られた。一方、国内石油生産量の多いアメリカでは、品質向上が遅れた。

80年代前半に内需拡大への道を諦めたのは、70年代後半の財政赤字拡大の結果、財政再建が喫緊の課題になったから。財政再建を不況や高失業下でも行うという非ケインズ的政策が世界的潮流であったことも影響した。

円高を進める道がとられなかったのは、(1)日本の政財界に根付いていた円高アレルギー(経済は常に成長していなければならないという成長第一主義が染み付いていた)、(2)アメリカにおけるレーガン政権下のマクロ経済政策=日本にとっては、黒字減らしに向けたマクロ政策上の努力を行いにくい(行わなくてよい)状況をアメリカが一方的につくりだしたこと。=レーガノミクス:高金利、ドル高を放置する一方、(政策意図に反して)財政を拡大させる結果をもたらした→円安、ドル高への実態と異なる為替レートへ。財政からの刺激によるアメリカの景気拡大と相まって、日本の対米輸出を増加させ、80年代のアメリカの経常赤字と日本の経常黒字を発生させた。

日本経済では、家計部門が恒常的に貯蓄超過であり、高度成長終了後に法人部門の投資超過額が減少するなか、70年代には、主に政府部門が投資超過になることでこれを吸収したが、80年代前半になると、代わって、海外部門がその役割を果たす。

本来であれば、高度成長が終了して投資が減り、投資が貯蓄を下回ることでGDPが低下し、貯蓄も低下して調整されるところ、70年代には、政府が、80年代前半には海外部門が投資を支えることになった。

●レーガノミクス:大幅減税と歳出削減、規制緩和で小さな政府を実現することを目指した。しかし、実際には、所得税減税を先行させたまま社会保障制度の改革が遅れ、冷戦の激化で軍事費が拡大し、結果として財政支出の拡大(財政赤字)をもたらした。(日本は、黒字でアメリカの国債を購入し、それでアメリカの政策が維持されたのではなかったっけ)

 その結果(何故財政赤字だと高金利になるの?)、高金利が引き起こすドル高を放置することによって、デフレ圧力をインフレ抑制(ドル高で輸入が増えて物価が下がるから?)に利用しながら、財政の拡大で内需をケインズ的に刺激するというバランスが作り出された。

●80年代前半には、1ドル=200~250円で推移したが、日本経済の実力にとって円安であった。経企庁が算定している均衡レートと実際のレートは70年代までは乖離していなかったが、80年代前半には、著しく乖離した。日米の労働生産性格差が拡大していたにも関わらず、円安傾向になった。

●日本が内需主導の経済成長を取らず、一方、アメリカが財政主導で内需を拡大させるという両国のマクロ経済政策のすれ違いが日本の輸出を急増させ、経常黒字を拡大させた。経常黒字拡大は、どうしていけないんだろう?

アメリカがドル安、円高にして財政主導しなかったら、日本からの輸出が増えず、アメリカの経常赤字は減っただろうか。アメリカがドル安にしても、輸出するのが一次産品では、実経済として輸出が増えなかったのではないか・・田中さんも後述している。そこで市場開放して金融サービスの日本進出を促進しようとしたのでは?

田中さんは、マクロ経済専門家の観点から、マクロ経済政策のすれ違いが輸出拡大と経常黒字拡大をもたらしたと言う。ベースとしてはそうなのかもしれないが、自動車担当だった私の印象では、(田中さんも上記緑色で言っているように)労働生産性格差が現実に大きくなっており(日本の生産性が高まる)、確かに円安が輸出を加速したけれど、円高でも(自動車価格が高くても)、実物への需要が強いため輸出は増えたように思う(程度の差はあるかもしれないが)。その後貿易摩擦で輸出枠が嵌められ(価格が高くなったとしても)、なお実需要が強かったので企業は海外工場進出に向かった。

日米経済摩擦を激化させた二つ目の要因として、①外需依存の成長がほとんど対米依存であったこと(プラザ合意後、黒字が減少、90年代に黒字が増えるが対アジア)、②その不均衡がアメリカが得意とし、戦略的に重要なハイテク製品分野であったこと(電気機械、化学、精密機械などのハイテク製品で日米の労働生産性成長率に格差が著しく生じた)。

2.日米経済摩擦の展開とプラザ合意

●経済摩擦が生まれた理由

(1)70年代最初の変動相場制移行期には、為替の変動を通して経常収支の自動調節機能が期待されたが、現実には、そうならなかった(70年代後半にはわかってきた)。→それを人為的に調整する必要が生じた。これが摩擦である。裁量的な取り決め(為替水準、マクロ経済政策、輸出入の個別分野)

(2)各国経済の相互依存関係の深化。

(3)日本経済の国際的地位向上。非ヨーロッパ圏が成長し、文化摩擦やシステム摩擦が生じた。

(4)冷戦体制の終結。日本の特別優遇の必要性が消滅。

●日米経済摩擦の類型

(1)集中豪雨的輸出への批判→繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車、半導体(労働生産性格差なのだが、日本が市場閉鎖的な保護育成政策を取っている、ダンピングと指摘)→輸出自主規制、海外現地生産化、現地生産比率を高める→93年末に決着したGATTのウルグアイラウンドで自主規制を原則禁止へ

(2)日本のマクロ的貿易黒字額の大きさへの批判→経済機関車論→マクロ政策協調(85年のプラザ合意、86年前川レポート)→90年代半ばになると、この類型の摩擦は下火になる(プラザ合意後のマクロ調整が数年後に利いてきたこと、90年代後半に経常収支不均衡が生じたものの摩擦が起きなかったのは、80年代におけるアメリカの雇用や成長における不振がその根底にあったのだろう)

(3)日本の輸入市場の閉鎖性を問題視(最初は、関税障壁、数量規制などの輸入制限措置への批判:農産物@数量規制の関税化、関税引き下げ→非関税障壁(産業規制、系列など国内の制度や取引慣行)への批判:市場アクセス問題:日本異質論@構造協議:日米包括経済協議@輸入拡大策・市場開放、規制緩和)

●プラザ合意

(1)ドル以外の主要通貨は、ドルに対し上昇することが望ましい。ドル高是正のために必要があれば各国は協調して市場に介入する。

(2)対外不均衡是正のため、各国は、マクロ政策パッケージを行う(日独黒字国は内需拡大、米など赤字国は財政赤字縮小)

・レーガノミクスがよって立った、高金利・ドル高の政策パッケージを一気に転換させようという決断。その要因は、(1)アメリカの経常赤字のサスティナビリティ問題が意識された。本来ならば経常赤字が大きくなれば、外貨繰りに困り、緊縮財政を取らなければならなかった。が、基軸通貨国アメリカには、その必要性が無かったことが、GDP比3%を超える巨額の赤字を可能にしていた。しかし、経常赤字を続けると、対外債務が累積する。対外純資産が巨額のマイナスになれば、ドルの信認が失われ、海外からの資金流入に困難をきたす惧れがある。(2)国内産業の不満を募らせ、保護主義的な動きがではじめていた(議会)。

・円高アレルギーのある日本も、産業界が日米貿易摩擦が泥沼化することを恐れて、多様の円高を容認した。日本の大蔵省が警戒していたのは、70年代の機関車論の再燃であった→財政再建市場主義を守り抜くためであった。→為替調整を先行させ、金融緩和策を発動する二段構えの作戦を立て、財政政策にはできるだけ手付かずしておきたかった(なのに、その後どうしてこれだけ国債が増えたのだろう?)

●前川レポート

プラザ合意後に円高になったものの、経常黒字は減らなかった。86年5月に予定されていた東京サミットで非難される危険性があった。Jカーブ効果(円高で輸出価格よりも輸入価格が大きく低下するため、数量調整がはじまるまでは、経常収支が黒字化する)。国際収支統計がドルベースだったことも黒字を大きくみせた。

こうした事態を受けて、中曽根政権は、首相の諮問機関として「国際協調のための経済構造調整審議会」を設置し、黒字削減策を審議、その報告書が86年4月に提出された「前川レポート」:内需拡大と市場開放の公式表明(構造改革)。→円高を回避するためにこそ、経常収支不均衡の是正が必要であるというロジック。

①内需拡大、②産業構造の転換、③市場アクセスの改善と製品輸入促進、④国際通貨価値の安定と金融自由化、国際化、⑤国際貢献、⑥財政金融政策。

前川レポートへの批判:①「世界経済の調和ある発展」のために、経常黒字の削減を目標としたこと、②黒字減らしの手段として市場開放をあげたこと、③内需拡大を約束したこと。

・・経常黒字減らしを目標としても、内需拡大の一貫として行われた金融緩和は誤りであった。高金利、円高、財政拡大:日本版レーガノミクスだ。財政拡大が内需を拡大するなか、円高が貿易黒字を減らす一方、高金利が資金の流入を促進して資本収支赤字を減らせ卯ことでバランスが取れるはずである。これまで家計の貯蓄超過を海外部門が吸収していたのを今度は、一般政府の投資超過が吸収する格好となる。

第二章 拡張的財政金融政策と円高の急進展

1.「政策協調」としての拡張的財政金融政策

2.円高の役割-円高メリット考

第三章 金融自由化のインパクト-バブル発生の金融的環境

1.遅れて集中的に進んだ金融自由化-金融アベイラビリティの急拡大

2.信用秩序維持政策の転換と「規律付け機能」の緩み

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