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February 27, 2007

メモ

一揆やストライキは何故起きなくなったのか。

長州の撫育方、薩摩の調所改革、肥前の均田制、土佐のおこぜ組などの改革が成功して藩財政を豊かなものにしていました。以下ネット検索による。

長州の撫育方:「 光市室積港は、天然の良港として室町時代から栄えた。江戸時代、萩(毛利本家)藩は、上関を公式の接待場所と決め上関に御茶屋(迎賓館)を作って、使節を接待した。
 江戸時代の中期1763年、藩の財政改革の一環として、室積港を商業港として整備し、北国や九州の廻船を迎え入れ、港の建設、町並みの整備に力を入れた。毛利藩が瀬戸内海側の年貢米を売りさばくためと、越荷商い(他国の商品の売買)を行う役所(長州藩撫育方(ぶいくがた)会所をここ室積に置き、北前船を初め藩内外の多くの船が出入りして、商取引が盛んに行われた。1842年には室積には廻船持ちが76軒、船大工が24軒もあったと記録されている。室積の廻船は、塩を売っていたそうです。幕末には南奇兵隊がここで結成され、鳥羽伏見の戦の物資は室積の廻船が運搬した。1893(明治26)年には大阪との定期汽船の航路が開かれ、繁栄を誇った。しかし1893(明治30)年山陽鉄道が広島~徳山間開通したが、室積村は鉄道設置に反対し、室積通過を断固反対した。その後、海上交通の時代は終わり、陸上交通の発展と共に衰退していった。」

長州の村田清風:「1840(天保11)年、長州の毛利敬親(22歳)は、多くの者の財政再建の意見の中から、下級武士の村田清風(50歳)を登用します。
 村田清風によると、長州藩の年貢収入2万5000両であるのに対し、累積借銀170万両に達していました。紙や鑞は、既に専売を行っていましたが、それに反対する一揆がおこっていました(防長大一揆)。そのために、まず藩債を整理する。これは37年かかって支払うという乱暴なものでした。これを37ケ年賦皆済仕法といいます。この提案に債権者は大反対をしました。村田清風は、摩の先駆者である調所広郷の話を聞いていて、同じように説得します。債務の完済
には、もう専売を使えません。村田清風が提案したのは、専売制を廃止して商人による自由な取引を許し、その代わり、商人に対しては運上銀を課税するということです。2つめは、越荷方を設置し、豪商の白石正一郎らを登用しました。越荷方とは長州藩が下関で運営する金融兼倉庫業をいいます。他国船の越荷(他国から、えてきた物)を担保に資金を貸し付けたり、越荷を買っては委託販売をしました。
 その利益は膨大で、軍艦の購入にも使われました。」

薩摩の調所改革:「 1827(文政10)年、薩摩の島津重豪は、多くの者の財政再建の意見の中から、下級武士の調所広郷(50歳)を登用します。
 調所広郷によると、薩摩藩の年貢収入73万石(73万両)であるのに対し、累積借銀500万両に達していました。そのために、まず藩債
を整理する。これは250年かかって支払うという乱暴なものでした。これを250年賦といいます。この提案に債権者は大反対をしました。調所広郷は、「藩が倒れては、1両も支払えない」と説得しました。現実的な債権者は、「どのような方法で支払うのか」と詰問しました。調所広郷は、砂糖を専売にし、琉球との貿易(密貿易)を提案し、債権者の協力を要請しました。下級武士だから提案できた内容です。
 その結果、債務を完済し、藩財政は黒字に転化しました。調所広郷は、蓄財に励みましたが、次代の島津斎彬の時には、西郷隆盛らによって、造兵工場(集成館)や洋式機械工場(鹿児島紡績工場)が建設されました。まさに、殖産興業の時代に突入しました。」

肥前の均田制:「肥前藩の鍋島直正は、18歳の時、自ら改革を実施しました。肥前藩は、年貢収入9万両であるのに対し、累積借銀33万両に達していました。
 寄生地主(町人地主)の所有地の一部を藩に返上させ、本百姓体制の再建をはかりました。これが均田制です。均とは、平均の均で、「ひとし」とか「ならす」といいます。つまり、江戸初期のように同じ面積の土地を持つ百姓(本百姓)に戻すというアナクロ政策です。これでは、幕府の改革と同じです。
 鍋島直正が非凡であったのは、藩主自ら有田焼伊万里焼の専売制に踏み切ったということです。」

一揆:もともとは、暴動という意味ではなく、同志的な集団のことであったらしい。同じやり方の人々の集まりというような意味。訴訟行動であったと言われている。自治意識から生まれたもの。

辞書を引くと、以下のようになっている。

揆:やり方

一揆:揆を一にする(軌を一にする):同じやり方をする

「郡上一揆」、秩父困民党の事件、一向一揆

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February 26, 2007

言葉遣い

「明治維新は何故起こったか」を知りたくてネット検索をする。

○開国は分かる

○幕藩体制の何が限界であったのか(官僚主義の弊害か、米を軸とした財政の破綻か、職業固定化の破綻か、藩制度の破綻か、移動しずらいことの不味さか、社会制度体制の不十分さか、産業革命への遅れか)

○開国・列強から守るために日本を一つにする必要があるとして、何故幕府ではダメだったのか(公武合体ではダメだったのか)

○安政の大獄がいけなかったのか

○当時脱藩が多いように思うのだが、それだけ幕藩体制にほころびがあったのか

○薩長というが、藩ではなく下級武士?

○戊辰戦争、西南戦争の意味はなにか

○不平等条約のなかみ

++++++++++++++

吉田松陰がヒットしたので、読み始めた。気になったことについてメモをします。

1.吉田松陰も小国日本がいかに生きるべきかを考えていたようだ。彼は、日本を「道義国家、平和国家」にすることを構想していたという。

そこにのみ、帝国主義に狂奔する西洋諸国の中で、小国日本の生きうる道がある-西洋諸国を批判する視点が可能であると考えたという。それが、幕藩体制の日本を変革するだけでなく、世界各国をも変革する道であると考えた。

軍備なくとも仁政があれば大丈夫である。仁政の国を攻めてくるような国の支配者は、その国に仁政をしいていないから、必ず、国内は動揺しよう」
その間、つとめて、その国の忠臣、義士を刺激して、彼らにその国を正させるように働きかける

アメリカに与えられた憲法であるとして、平和憲法を変えようとする今、ここをもう一度考えたい。・・・仁政だけで国を守れるか?下段は、軍備ではないがある意味、スパイ活動や潜伏しての情動活動などよりしたたかな国際政治(他国への見えない干渉)への考え方がある(孫文を日本の有志がかくまうなど・・)。文化安全保障(ファンを増やす)、多層な人的信頼関係構築など

2.潤色沿革

松蔭は、山鹿流兵学師範の家を継いだが、わが国は長いこと戦争をしていないので、昔の経験を学んでおり、西洋との戦いにあたっては、相手の兵法を学ぶだけでは負けてしまう、日本の伝統を活かしながら必要に応じて相手の良いところを学ぶというようなことを言っている。

その中で出てきたことばが「潤色沿革」である。

潤色:表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくすること

沿革:「沿」は前に因って変わらない、「革」は旧を改め新しくする意味とのこと。沿革というと今日では、会社の歴史など平面的に思っていたが、考えれば、会社が今日ある歴史というのは、変わらないことと改めることを進めてきたからである。

3.用→形→法→理 理→法→形→用

「およそ物には、用があって、形を有する。形が有るから、法が有る。法が有るから理がある。理とは、古今東西にわたって、変わらないものである。だから、理によく通じれば、理から法を生じ、法によって形を生じ、形によって用を生じる」と書かれている。

法:現象や事象などがそれに従って生起し、進展するきまり

理:物事の筋道・条理・道理

法というと今日では、法律をすぐに思い浮かべるが、法律は形であって、用のために作られるが、これが理にかなっているとは限らない。

法はもう少し本質的なルール、ソフト。

世の中の現実を本質的なこと「理」で再考する必要がある。

4.中国の七兵書である孫子、呉子、司馬法、尉繚子、三略、六韜、李衛公問対から、日本の武田信玄、上杉謙信などにいたるまで広く学ばせる。

私も兵書を読んでみようか。孫子は読んだけれど身につかなかったが。

5.長州は、教育に熱心で、師範の階級を上げ、養子縁組も含め、優れた人材を登用した。また、農民なども袴さえつければ、参加でき、奨学金もあった。

吉田松陰は、長州の藩校である明倫館の考え方とも対立し、沿革のうち、人の道は変わらないが世の中の仕組みは変えるという明倫館の考え方もぬるいと感じるようになる。人も変えないと世の中も変わらないと思い始める。

松蔭は、読書家で勉強はするが、ただの勉強ではダメで、産学平行と考え、役に立つことを重視した。そして、学ぶには、志が大切で、それがないと途中でぶれてしまうと言っている。列強が水際まで来ているなかで、この国をどうしなければならないか、ということが彼の学問・思想・教育の元であった。

最初は、藩を変え、幕府建て直しでと考えており、天皇・公家の意思決定のできなさではダメであると考えていたが、次第に倒幕になっていく。不平等な条約を結んで平気でいたり、今やらなければならないことに迅速に取り組まない幕府に苛立ちを募らせる。

6.松蔭は、「君子が下役にいて、小人が上役にいるために、民を恵むという美声ばかりで、決して、民に実恵のおよばない今の政治」「役人はやたらに多いために、手当ては沢山いる。むだな社交も盛んである。ことに無用の武士、無用の僧、無用の工商が多すぎる」と言っている。・・これは現在にも当てはまる。

藩も幕府(国家)のことは議論から外されていた(江戸時代)らしい。これって今の地方自治体と同じか。

今日の官僚や議員にも言えることだ。

もっとも、民主主義になった(主権在民)のに、任せっぱなしで政治を考えない我々も無責任である。

7.松蔭は、当初は軍事力などで西洋が怖かったが、「それらの国々が貧院、施薬院、託児所、聾唖院とあらゆる施設を設けて、どんな人たちに対しても、最低の生活と治療を保障しようとしている」という優れた社会制度を知ったとき、松陰は新たな恐怖感につつまれた。

西洋には農業の学校や鉱山の学校があることを知り、富国強兵という前に農業等を研究し、高度化し、国を富ませなければダメであるとしている。松蔭は「攘夷」で知られるが、貿易の有効性を理解していた。

軍事費用にお金をかけて民が貧しくなることはよくないとして、平和国家を考えるようになる。

吉田松陰は30歳で死刑になる。私の半分の歳だ。黒船が来たとき、幕藩体制が崩壊する時代と現在は似ているような気がする。私は、彼ほど強烈には生きられないけれど、彼のような視線で今を考えたい。

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February 19, 2007

結婚難の原因

第二章は、山田氏の「結婚の現代的意味」である。

山田さんは、第一章の大橋さんが、同じく結婚の経済学を扱うが、自己実現機会や機会費用などの周辺的な変数を強調するのに対し、生活水準と親密性の充実という基本的な欲求を重視する。前者が経済的に豊かな社会では、人々は経済的豊かさ以上の何かを求めるはずだという仮定に立っているのに対し、山田さんは、経済的に豊かな社会だからこそ、今ある豊かさを失いたくないという動機づけが強まるとしている。人々の意識が変化したのではなく、結婚を巡る環境が変化したので、結婚難が生じているという立場。

①低成長化により、結婚によって生活水準が低下するようになった(結婚前は親元で豊かな生活をしているシングルが増えた)。②結婚によって親密性の水準が低下する状況になった(結婚しなくても自由に男女がつきあえる)。

山田さんは、上記①②によって、女性は、将来を含め、経済力のある男性が現れたら結婚しようと思い、男性は、経済力ができたら結婚しようと思っている。しかし、年功序列が残っていて、かつ低成長のなかで、若い男性がそれなりの経済力をもてなくなっており、コレが晩婚化を招いている。男性も、女性も、専業主婦を望んでいることは変わっていないのに。

男性がフィリピン、タイなどの女性と結婚するケースが増え、女性が欧米先進国の男性と結婚するのがその表れである。女性は、父親の経済力があり、自らも学歴が高い女性が結婚できず、男性は、所得が低く、学齢が低い場合結婚ができない。

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February 18, 2007

経済的に損と思える結婚

第一章は、大橋さんの「未婚化・晩婚化・シングル化の背景」である。

ここでは、パーソナル化、個人化が時代の趨勢であること。

女性の高学歴化が進んだのに、家事・育児・介護が女性のものとされているため、労働市場からリタイアせざるを得ず、その後は低賃金のパートで働くため生涯賃金がそのまま働いていたときに比べ大幅に低下してしまうこと。ずっと働き続けた場合に比べ1億8000万円低くなる。

日本の社会システムが夫に扶養される専業主婦を前提にしている。パートの年収103万円以下なら夫の扶養になる。夫の所得税、住民税で所得控除が得られる。専業主婦が年金保険料を納めなくても、夫の死後100%遺族年金がもらえる(要チェック)。

24時間勤務の家事・育児・介護に終生就くことは、103万円以上のことなのに。

2025年に現在の生活水準を維持するには、労働参加率が89%にならなければだめ。現在は、女性が50%、男性が78%。

子育てへの国、自治体、企業の支援が少ない。

日本では、家族が企業戦士と母子家庭になっており、ばらばらになっている。男女雇用機会均等法では、女性の深夜枠などが取り払われ、その結果、全員企業戦士化になったにすぎない。企業は、男性も含め、家庭に返すような努力が必要。

スウェーデンを始めとする北欧では、女性議員が約半数いて、こうした問題を取り上げ、解決してきた。女性議員が約半数になれた要因は、選挙制度が比例代表制であり、強力な金、コネ、顔がなくても、政党内で地道に努力すれば候補者名簿の上位にランクさせてもらえる。もともと社会民主主義の影響力が強く、男女平等化に向けた努力をしてきた(上記選挙名簿など)。

大橋さんは、シングル女性がモラトリアムとして独身でいるだけでなく、北欧女性のように、政治参加のプロセスを通じて、女性が外で働くことを前提にした仕組みづくりに参画していくべきとしている。

・・ところで、私の経験では、シングルでバリバリ働きたい女性もいるが比較的わずかで、女性の本音は、専業主婦(高収入男性の)になって遊んでいたいというのもあった。また、可愛い女性社員としてちやほやされたいというのもあった(髪振り乱した企業戦士の女性ではなく)。女性の多くの意識がこうだと、大橋さんのような意見は嫌われるし、共感を得られないので、そういう人たちが政治的に活躍しても支持を得られない。むしろ反感を持たれてしまう。

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社会の基本単位

「なんかヘン」ということのなかに、結婚、少子化問題がある。

柳沢厚労相の失言問題にも絡んでくるのだが、この辺りを考えたい。現在、少子化が問題とされているのは、高齢化社会、人口減少社会を迎えて、日本経済を支える次世代の人口が減り続けていることへの対処をどうするかという問題である。

戦時中ではないが、生めよ増やせよと国家が干渉してきている。女性は生む機械なので、産んでくれなければ困る。皆2人は産みたいと思っている(のにできない社会体制が問題)。・・この辺りを女性議員や野党が突いている。

これらの話がなんかヘンなのは、社会構造や人々の意識が変わってきているのに、その変化を見据えようとしないで、これまでの制度をいじくろうとしていることだ。つまり、家族・結婚というものがこれまで何であったのか、それが既に如何なる理由でどう変わってきているのか、変わっている現状に合わせて法制度を変えるとしたらどのように変えなければならないか。ところで、それは、現在日本が抱えている高齢化、少子化問題をどう解決するのかしないのか。・・この辺りの議論抜きなのがどうにもヘンと思えるのだ。

この問題については、昔の職場で高齢化社会についてまとめたときにも、本来触れるべきことに触れていない気がして、高橋亀吉賞にこっそり原稿を出したのだが、この分野の専門家でもなく、当時、そうした文献も見つけられないまま感想文のような書き方をしてしまい、没になって恥ずかしいので、誰にも話していない。

ところが、社会学者などの間では、こうしたことが議論されていたようで、次のような文献があるのを知った。序章を読む限りは、私の疑問にかなりの程度答えてくれている。そこで、善積京子編『結婚とパートナー関係-問い直される夫婦』(ミネルバ書房)2000年初版、2003年2刷によって社会の基本単位について考えたい。

○社会制度としての「結婚」

・結婚とは、①社会的に承認された持続的な性的結合、②儀式などの公的な披露で結合が始まる、③配偶者同士、およびその子どもとの間の一定の権利と義務の取り決め。

・母子関係は、出産により自然的なものだが、父子関係は、文化的なもの。人類の歴史は、社会学的父を結婚制度を通して定めてきた。その必要性は、①子どもの監督・養育のため、②嫡出制の創設を父系制や私有財産の形成と結びつける、③嫡出制の目的は子どもの社会的位座を定めて社会を組織化するなどの説がある。

・結婚制度のゆらぎの第一は、結婚で得られるメリットよりもデメリットが大きく感じ、シングルを選ぶ人が増えた。西洋では、宗教的なものから民事的なものへ、二つの家族の協定から個人の自由意志に基づく契約へ。日本でも、共同体主義的結婚→家族主義的結婚→個人主義的結婚へ。しかし、恋愛感情だけでなく、相手の経済力や社会的地位を勘案した結婚戦略の要素もある。

・マルクス主義的フェミニズムでは、家父長制(男性が女性を支配)と資本制が結びついた近代の結婚制度が女性に対する抑圧装置として存在することを明らかにした。男は仕事、女は家事・育児という性別役割分業体制を土台にしている。資本制のもとで、男性は、社会的生産で搾取され、女性は家庭で労働力を再生産することで陰で資本を支えるという形で搾取される。女性は労働市場に参入しても、家事・育児が女性の天職という性別役割分業体制のため、「二流の労働者」として扱われる。→産業化の進展は女性の教育機会の拡大や女性労働者の需要を拡大し、先進諸国では、キャリアを求める女性が増大→性別役割分業に基づく相補型結婚から夫婦がそれぞれ経済的自活と身辺自立の能力を持つことを前提にした自立型結婚へ。

・ゆらぎの第二は、法律婚と同棲の差異が縮まり、法的に結婚登録する有効性の低下。①離婚率が上昇し、法律婚が夫婦関係の永続性を保証するものではなくなった、②社会保障や税金や遺産相続などで法律婚夫婦だけでなく同棲カップルにも部分的に認められるようになり、両者の差異が縮まった。(スウェーデンでは最も進んでいる)

・ゆらぎの第三は、結婚によらない父子関係の確定がDNA鑑定などで簡単になった。第四は、異性愛強制の結婚制度が批判され、ゲイ・レズビアンのカップルから法律婚と同等の法的保障が要求されるようになった。

○日本では、性別役割に基づく、法律婚家族が社会の単位として尊重され、嫡出制の規範が維持され、非法律婚の親や婚外子に対する社会的・法律的差別が存在する。若い世代でも、嫡出制の規範を強く内面化し、子どもが欲しい場合に結婚するという行動がみられる。少子化は、既婚カップルの子どもの減少ではなく、晩婚化による影響が強いと分析されている。若いうちは、デメリットの多い結婚はしない、子どもを産めるぎりぎりになって結婚するという構造になっている。

・欧米では、皆婚社会の崩壊という結婚制度の量的なゆらぎだけでなく、結婚制度の存在意義の低下という質的なゆらぎが見られる。多様なライフスタイルの存在を前提として制度を整えることにより、社会秩序が維持され、むしろ結婚制度の機能が補完されている。

・同棲を法的に保護することは、結婚制度を質量両面からゆさぶるが同棲法やパートナーシップ法の制定は、これらを法律の枠内に組み込み、そこから生じるトラブルを回避させ、社会的秩序を安定化させている。法律婚を越えた父子関係の確定制度や養育責任の追求制度は、結婚制度の本質的機能を代替している。多様な関係を社会的にも法律的にも承認しし、多様なライフスタイルの存在を前提として、親子関係を確定し、子どもの養育を支援していく制度を創設していくことが重要である。

・・以上は、本からの抽出だが、私がなんとなくヘンと思っていたことをきちんと整理してくれている。

結婚という言葉の持つデメリットなイメージ(特に女性にとって)=相手方の家族の嫁になる・自らの価値観やライフスタイルの修正を迫られる・親戚等々の面倒なしがらみが増えるというイメージと主婦としての責任・家事や育児を果たすというイメージが嫌われている。したがって、同棲が法的に認められ、その関係から産まれた子どもが社会的に認知され、育て上げられれば、もっと子どもは産まれるように思われる。

しかし、一方で、同棲という言葉の持つ、責任のない気楽さ、いつでも解消できる気楽さが同棲のポイントであるとすると、子どもを育て上げるという大変なことを同棲のままするだろうかという気もする。子どもは欲しいが男女ともに無責任であり、最後まで育て上げる費用等の負担を受け持つだろうか。この覚悟がないと、子どもは産まないかもしれない。また、子どもを同棲のまま産んで、親などの手伝いが無い場合、女性は仕事を休むか、辞めないまでも仕事が制限されるなかで、そこまで責任を取れる覚悟ができるだろうか。

家事は機械化、サービス化でだいぶ楽になったけれども、子育ては、保育園があるからと言って大変であり、手を抜けない仕事である。子どもが産まれてしまえば、子育てに巻き込まれながらも責任と覚悟を持つようになるだろうが、産むかどうかは問題かもしれない。

また、一方で、私の年代の子供が親の介護で仕事を制限せざるをえなくなっている。介護保険制度はあるが、ある時間、あることだけ頼むことはできても、いつ意識を失うかもしれない場合に、家族以外に面倒をみれる環境はない。結婚や同棲が一時的なものであり、パートナーが流動するのが当たり前の時代になった場合、子どもを20歳になるまで親は養育するとしても、その後独立した子どもは、親を見れるのだろうか。産んだ親、母親か父親のパートナーとしての擬似親、それが繰り返された場合の擬似親だらけのような場合。

つまり、これまでは、家族を単位とし、個人の意思で結婚したとは言いながら、最後は、子どもが親を見るというのが暗黙の了解であったのだが(突然降ってくる災難かもしれないにせよ)、これが無くなった場合に社会が負担するというのでは、余りにもコストがかかりすぎるのではないか。

仮に同棲を認め、それによって子どもが今より産まれるようになったとして、マクロ経済的には、子どもが増えるので、親の世代を賄う人口が増えることにはなるのだけれど、実態ベースで見た場合、子どもが親を見るというブラックボックスのなかの費用が外部化されると大変なことになるのではないか。

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なんかヘン(その7)

○橋本さんは、日本では、ECONOMYという英語が入ってきたときに、経世済民を思い描いて経済と言う言葉に翻訳したため、経済というと国家が主導するものと思われている。

これに対し欧米では、経済をするものと国家は別であり、ただし、両者がタッグを組むことはある。協力はするが主導はしない。しかし、日本では、経済は、国家が主導し、しかし協力はしない。

欧米では貿易交渉は、国家が経済界の代理として仕事をするが、日本では、国家が交渉し、負けてしまうと、あとはよろしくとなる。しかし、民が優秀だったので、なんとかやれてきた。

過去には、支配者が統治する大企業があって、プラミッド構造になっていて上手くいっていたのだが、大企業が大きくなり、摩擦を生み、さらに進出し、グローバルに考えて展開するようになってしまった。

アメリカにしかられて、今度は官主導で、個人消費を増やし、休日を増やした。働くな金を使え。→金利を下げて皆を豊かに、公共投資をやって→これがバブルを産んだ。

日本経済はもう完成し、フロンティアを無くした。世界経済もおっつけ限界を迎える。

日本は生産するのではなく、投資をする時代に。しかし、バブルがはじけて焼けどをしたので、臆病になっている。世界経済は、他人がやることに投資する時代。→投資のために欲望を動かす。

橋本さんは、逆転してしまっている現状をバブル前に戻して現実を見ようといっている。もうすでに日本経済は満杯になってしまったという現実を見よう。経済発展を望むのはもうおかしい。別の方向で考えなければならない。

論理が逆転した前に戻って、もう一度考え直すことが必要。

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なんかヘン(その6)

橋本さんは、バブル崩壊後に「勝ち組」を出すことによって、本来負け組であった多数が隠れてしまった。お陰で反省しないでいる。だから景気がパッとしないのだと言います。

何を持って勝ちとし、何を持って負けとするかの基準があいまいなので、明らかに退陣した企業のみ負け組となり、残りの大部分が隠されてしまった。バブルがはじけたのに、何も手を打てなかった人々≒日本経済そのもの。

誰が勝ち組、負け組を言い出したか、それは投資家であり、エコノミストだと言います。エコノミストは、日本が商売の場なので、日本経済がダメとは言わず、「勝ち組が日本経済の牽引役になる」などと言う。エコノミストは世界経済が破綻するとも言わない(商売のタネなので)。

橋本さんにとっては、エコノミストが絶対的な権限を持ってしまった(一つの方向性のみ示される)危機的状態が乱世。

一つの方向性しか示されない説明に小泉さんが生まれた状況とやり方を使っている。これも見事だ。自民党=どうにもならない状況→(自民党をぶっ壊す)小泉という勝ち組を生んだ→その結果、自民党が勝ち組となり、どうにもならない状況を隠した。勝ち組以外は負け組≒抵抗勢力≒改革全般ではなく、小泉の示した改革に賛成しない人々→改革を望んでいるとしても、どんな改革にするかについての議論なしになってしまった。→独善が許されるのかという問題が残る。また、完全な守旧派以外に時の総理についていたほうが良いとするどうにもならない人々がそのまま残っている。

橋本さんが言いたいのは、勝ち組は外から来た、その中から勝ち組は出なかった=そういう構造になっている=既に完成されたシステムがあって、そこに利権がある以上、それを覆せない。完成されているから壊せない、修理がしにくい。

勝ち組の出現を望んでいない既存システムは、勝ち組が出から、改革とはさけぶけれども、何が改革であるかは議論されない(既得権益を侵されるような改革は望んでいない)。そもそも、改革などなくていいというのが日本というシステムの中にある。

乱世というのは、「破綻しかかったシステムの中で生きること」なのか、それとも、「破綻しかかったシステムの外に出ること」なのか。→勝ち組を輩出するということは、「破綻しかかったシステムを守る方向で生きること」。

するどい洞察力です。

でも、小泉さんは、皆、なんか論理がおかしいと思いつつも、それに1億人を乗せてしまうほどの大舞台を良く演出できたものだと思う。にもかかわらず、橋本さんが言うように、これは、結局自民党人気と野党の無能さをもたらしたに過ぎないわけで、破綻しかかったシステムに実は上手に使われたにすぎない。そうした自分をドンキホーテであると彼は感じていたように思う。

小泉劇場の分析は見事なのだけれど、それで、では、私たちはこの状況のなかでどうしたらよいのだろう。

橋本さんは、一元化する怖さを訴えており、もっと多様で面倒くさい世の中(これが普通)になるようにと主張しているのだろうが。それには、このメカニズムを理解し、本質的な議論(もし改革するなら、どのように改革すべきか、改革とは何を指すのか)をするようにせよと言っているだけなのだろうか。

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February 17, 2007

なんかヘン(その5)

○地方と中央

○橋本さんの整理の仕方は納得です。

律令国家の頃の地方は、「中央を支える経済的基盤」で、貢物を贈るところであった。中央=都は、地方から贈られるものによって成り立つ場所だった=支配者の居る場所。

・地方には、地方で、県庁=中央という支配者が居る。地方に守護を置くということは、中央のための経済基盤である地方を手に入れることだった。

ところが、今日、これは逆転している。「地方と中央」という考え方はあるのだが、地方は日本の経済基盤になっていない。日本の経済基盤は、もはや、地方ではなく、都市部≒都市で暮らすサラリーマン。地方は過疎地になって、地方選出の政治家は、中央の金を地方に運ぶようになった。つまり、中央が地方を支えている。

・「中央が地方を搾取している」ではなく、「中央は地方を冷遇している」という不満が地方にはあり、「日本の政治家は、都市住民の声を反映させない」という声が生まれる。

地方は経済基盤でなくなり、地方を地盤にしても見返りがない。だからこそ、「地方分権」と言い出している。地方も、地方分権と言いながら、だから金を渡せと言っている。

○地方の人はまだ「中央」という考え方をしているが、都会地の人からみると「地方」だけあって「中央」はない。都会地は、もう「都会地という一つの地方」になっている。

地方から中央に富を送り、贈られた中央は、地方に対しこれみよがしに中央であることを誇示し、地方の人に富を贈り続けることを当然と思わせるようにする≒都だった。

・地方と中央は、負け組と勝ち組のようなもので、地方は中央に憧れ、真似をしようとする。中央は切り捨てたいけれどしにくいので、忘れようとしている。

・・コロンブスの卵だけれど、整理してもらうとすっきりと良く分かる。農作物などの貢物をくれたのが地方(税を支払う)だったのだが、高齢化、過疎化した地方は、税を還流させており、いわば、地方は貴族になっている。目立たないような暮らしをしているが、実は豊か。都会に住む人は、24時間汗水たらして働いて、税金の多くは地方に持っていかれ、貧しいインフラに甘んじている。

・・しかし、今日まで、人材は田舎が都会に貢いでいる。これは税金ではなく、活躍の場が田舎にないから。憧れという情報価値は都会にあるから。

・・中央にとって田舎はお荷物でしかない。都会だけの国になったら、経済的には楽かもしれない。では、どういう政治機構にしたら良いのだろう。山手線内でグローバルに稼ぐ国と過疎の海のように広がる鄙。

・・地方分権にするのが良いのか、それとも、空気供給源とか、水供給源とか、食料供給源というように、別の価値を貢いでくれる地方として捉え直すべきなのだろうか。新しい地方と中央の時代の考え方がまだ出来ていない。

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February 16, 2007

なんかヘン(その4)

○戦国時代の乱世と今の乱世

橋本さんのこの本で一番ハッと思ったのは、次のところだ。

・中国の戦国時代は、まだ統一的な王朝がなくて、各地の王様が戦う、一番強い者が勝ちで覇者となる。

・これに対し日本の戦国時代は、統一的な室町幕府があるが、力が弱って、群雄割拠が起こる。

・バブル崩壊後の乱世は、もう高度に資本主義体制を確立していた国→バブルが崩壊しても、なんとかなるんじゃないかという思考放棄が起こる(もう充分に安定していた≒守護大名。バブル経済に蝕まれて不良債権を作り出してしまった経営者たち)室町幕府が衰弱し、それに連なる守護大名も衰弱する。そこに戦国大名が登場する(展望のない現状のなかから未来を開いた勝ち組≒戦国大名)。

・室町時代には、幕府に政治の実権を委譲していた天皇を頂点とする「朝廷」が居た。つまり、朝廷があり、幕府と守護大名があり、戦国大名が出てきたという三重構造であった。(守護は、朝廷=律令国家における国司という地方行政長官を無効にするための存在。朝廷-国司のところに幕府-守護大名があり、朝廷の地方基盤:当時の経済基盤をかっさらい、朝廷はあるが、その存立基盤が失われた)。

・室町幕府≒自民党政権とすると、守護大名≒抵抗勢力(古い政治家、官僚)となる。小泉さんは織田信長。小泉さんが放った刺客は、国司に対し守護大名を置いたのに似ている。

では、戦国時代にあった、「朝廷」に対応する要素はナンでしょうというところだ。私はここを読みながら、う~ん、今でも朝廷はあるしなぁ、とその前に読んでいた上田さんの本も頭にあって、やはり皇室≒巫女≒空だよなぁと思ってしまいました。

ところが、橋本さんは、”政治的権限のほとんどを室町幕府に委譲してしまって、実質的な力がなにもない朝廷-その頂点に立つ天皇は、当時のあり方に従えば「日本の主権者」です。では、「日本の主権者でありながら、実質的な力を発揮出来ないでいるものはなんだ?」と考えれば、・・それは、「日本の国民」なのです”というのだ。

言われてみればそうなのだけれど、橋本さんが後述するように、我々は「主権者」であるはずなのですが、私はすっかり「戦火に踏みにじられる農民」の気分でいたのです。

戦国時代のその後の展開は、やがて信長が出て秀吉が出て、天下統一するので、誰かが天下を統一してくれると思い勝ちです。無党派層が東国原知事を生み出したように、英雄を求めるのですが、知事はスーパーマンではないので、可哀想です。

○我々が「民主主義」というものをまだちゃんと自分のもににしていないから、「自分はどこにいて、自分のポジションはなんなのか」ということが良く分からないのです。

・「地方」は、かつては朝廷が統括していた行政単位であり、それを横取りした守護大名のものである、戦国大名は、それを奪いとる。「地方」という日本の基本単位らしきものは、常にある支配体制に組み込まれている。その支配権は「地方住民の外側」で勝手に受け継がれていく。乱世とは、そういう地方の支配権が移行する時代でもある。

・我々は、勝ち組の戦国大名でも、負け組みの守護大名でもない、我々のポジションは「朝廷」のはず。そう考えられないと、一方的な支配を他人から受ける「地方」に住んでいる「戦火に踏みにじられる農民」になってしまう。

・しかし、「我々は主権者である」という考え方に慣れていないのです。この乱世は、知的な乱世なのです。20世紀のある時期まで、「我々=戦火に踏みにじられる農民」ごする考え方が主流を占めていました。≒社会主義的な考え方です。・・政治家が我々の代行者である以前に、我々の支配者であった歴史が長かったから「我々は政治家に政治を代行させている」ということがどこかでまだピンとこない。

・昔の人は民主主義=善と考えていました。まだ細かいところまで良く分からなかったから。しかし、民主主義というのは、主権者の一人ひとりがああだこうだと考えなくちゃいけない・・とても面倒くさいもの。誰かが支配者になって、そういうめんどうなことを肩代わりしてくれることはありえない。

日本人にとって、「お上」というのは、恐れ多いけれども、便利なものであり、甘えの関係にあったと思う。泣くこと地頭には勝てないという辛さも言われるけれども、おおむね、これまでの「お上」は、そこそこに人民の暮らしをより良くしてくれてきた。良い舵取りをしてくれていた。日本人は、大臣をうさんくさいと思い、官僚を冷徹で嫌だと思いながら、先生と呼んでおだてたり、国がすることには安心感を持っているようなところがある。徳政令を出したり(借金棒引き、保険料引き下げが突然なされる)、戦時中にいろいろな物資を取られてしまったにせよ、お上がやることに不思議なほど信頼感を持っている。

お上は、人気取りのようなところがあって、国民に支持されないと不味いので、人気取りをする。国民が企業なのか、特定個人なのか、庶民なのかはその時時によって異なるが。水戸黄門のドラマのように、悪い代官や悪徳商人はいつもいて、それは、浄化されると思っている。実際には、水戸黄門は居ないので、誰が浄化してきたのかはしらないが、本当に悪徳がはびこれば浄化作用が自ずと働くように思っている。一人の独裁者が変えるのではなく、お上のなかのいろいろな力作用が働いて、やじろべえのようにバランスを取る

戦争や不況で幾度も国に裏切られたにも係わらず、これは不思議といえば不思議だ。思考停止している言い訳なのだろうか。

橋本さんは、ここで何を言いたいのだろう。めんどうくさいし、我々は慣れていないけれども、民主主義でやるしかなくて、主権在民なのだから、我々一人ひとりが考えなくちゃいけないと言っているのだろうか

前に読んだ上田さんの本に書かれているムラ社会なので、それにあわせた政治制度を考え出さなければいけないということの方にシンパシーを感じる。もっとも、ムラ社会も面倒くさい。なにしろ夜回りはしなくちゃならない、祭りもしなくちゃならないのだから。

政治家だってそうだ。官僚に丸投げしてきた。国民の代理だなんて思っていないのだろう。せいぜい、票田である地域の声の大きい人の利益代表程度で、官僚が作成した政策を地元に持って来ようとする程度だ。

官僚も国や地域を憂いているわけではなく、保身や出世が第一で、出世のために法案を作成したり通したり、制度をつくるけれども、それは、省のためや部署のため(それによって誉められる)であって、必ずしも、国民や地域を考えてのことではない。

夕張だって、国からお金を引き出して立派な施設をつくり、表向きは、地域活性化と言いながら、短期的な手柄を狙った人々の積み重ねでしかないはず。当時の住民も、これで本当に地域活性化につながるかよ、と思いながらも、投資効果もあるし、それ以上知恵を出さずにほったらかしにしておいたに違いない。

国民の多くは、不満は持つが、こうしたらよいという方策を描くまでの力はない。企業は、国民の不満を感じたら、それを解消するサービスを提供して成長する。不満はフロンティアなのだ。昔は、いろいろ無かった時代なので、官僚も方策を出しやすかったのだろう。殖産振興とすれば大方の国民の不満(貧しい、職が無い)は、解消された。今は、ニーズが多様化しているし、官僚や政治家にふつふつとした不安や不満を届ける仕組みがなくなっている。

単純化すれば、昔は、通産省と建設省が頑張ればよかった。通産省が殖産振興しようと思えば、業界団体があり、代表企業は数社だし、その声を実現するようにしていればよかった。建設省は、列島改造で橋やダムを作ればよかった。どこに作るかは、地元の政治家と建設業界が陳情してきてくれた。

現在のような漠然とした不安のようなもの、あるいは、根っこは同じかもしれないのだが、多様なニーズを訴える団体もないし、それらを政治・行政のエリート達が把握しきれていない。また、複雑な問題が多いので、すっきりした解決策を提示できる力がない。

政治ということを考えたら、これらの漠然とした不安や不満をどう声にし、どう形にしていくかの知恵がまだ絞られていない。政治家や官僚が打つべき目標が具体的な形になっていないのだ。これは、政治の仕組みをどう組み立て直すかという問題である。政治家や官僚は、「世界有数のIT先進国になる」といったような具体的な目標を挙げられると小躍りして邁進する。彼らは、邁進する分かりやすい種が見つからなくてこまっているし、おそらく、見つかってもどう解決したらよいのか分からないに違いない。

教育改革とか、憲法改正とか、これは分かりやすいし確かに重要なテーマなのだが、本当に国民が現在不満や不安に感じていることとは違うのではないか。

声を集める仕組みで、唯一成功しているのが創価学会=公明党だ。この女性基盤=生活基盤からの声は、大きい。残念なのは、これがやや摩訶不思議な宗教団体であること。日本社会は、女性を活用してきていないから、創価学会のように、女性のパワーを尊重して活用している場合、彼女らは生き生きと行動している。ただ、もともとが宗教団体なので、女性はヒステリー的でもあり(感化されやすい)、本質的な問題を扱うがゆえに、より一層不安である。

本来、いわば名も無い人々のパワーを結集するようないくつもの団体があって、議論をして論点を明らかにしあって欲しいのだが。団体となると、それはそれで気持ち悪くもある。気持ち悪さはどこから来るのだろう。客観的な利益団体ならまだよいか、何かを信じてしまった人からの勧誘の怖さか。

社会起業家を待望する人たちは、官僚では、感じられないニーズを感じ、それを解消するサービスを組み立てて提供してくれる人々だからだ。フロンティアを見つけ出せる、新しい仕組みを作り出せる人々。政策として打ち出すには、恥ずかしいような小さなニーズに応えながら、これが普遍性を持つことを示しつつ事業が拡大するというやり方。

入院し、介護に携わり、現在プーで日常を町で過ごしてみると、山手線内のごみごみした空間の狭い部屋で24時間戦っている企業戦士(含む官僚)の世界は、何か間違っているような気がする。それはそれで良いが、グローバルに戦ってよいが、そこから離れた平原には、たくさんのフロンティアがあるような気がするのだ。都と鄙という区分をすれば鄙。都の人々は、確かに鄙を市場としているワケだが、その一部だけを開拓しあって過当競争しているような気がする。

では、この鄙には、どんな不安や欲望が渦巻いているのだろうか。それとも、私が感じるものは幻想か。

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なんかヘン(その3)

○20世紀は、イデオロギーの時代であり、進歩を前提とする理論の時代だった。「自分の現実をなんとかしてくれる”正解”がどこかにある」→学習好きになり、次から次へと「理論」を漁る。

○ところが「有効な理論」が存在する時代が終わり、「バブル経済」という混沌が訪れ、混沌がなくなると(バブルがはじけると)「どうしたら良いか分からない」状態になった。→どう生きたらよいか分からなくなり、「勝ち組・負け組」の二分法が登場した(これでしか判断できなくなった)。

○現在は、知的な乱世である。全国一律の価値観が崩れて機能しなくなった。価値体系のゆらぎ。

なぜ、「進歩を前提とし、全国一律の価値観」が無くなってしまったのだろう。

○橋本さんは、日本経済が成熟し、フロンティアが無くなってしまったからだという。もう右上がりの発展は国内ではムリなのに、それをしようとして、自動車産業は、国の枠を超え、スーパーは、限界を超えてしまって飽きられた。しかし、一般的なものとして存在し続けなければならず儲からない。バブル崩壊後、もう投資先がないのに、お金が集められた、だから低金利だ。必要ではなく、欲望を世界経済があやつっている経済になっている。確かに中国などがしばらくは、昔の日本のように経済成長するので、そこがフロンティアではあるが、地球全部が欲望のとりこになったら地球が破滅する。昔は我慢というものがあったが、我慢が押し付けられたもの、貧乏と我慢が一体化して捉えられたので、我慢は嫌だ、貧乏から脱したいとなってしまい、我慢が消えてしまった

橋本さんは、「世界経済」という言葉を使うとものごとが分からなくなってしまうというが、世界経済が数十年でフロンティアを無くすとしよう(中国やインドやアフリカがそれなりの経済発展をする)。おそらく、その時には、日本は相対的に小さな人口になっているだろうが。世界経済がフロンティアを無くすときには、滅亡か革新かが起こる。マンモスのように滅びるか、農業革命、産業革命に続く○○革命によって多くの人口を賄って、かつ地球を滅ぼさなくてよいようになるか、あるいは、縄文人のように暮らし方を変えて1万年のクライマックスを生きるようになるかだろう。おそらく、意識できる限りでは、人類は○○革命を目指して研究するに違いない。

では、日本はどうなるのだろうか。

人口が半減するなかで(移民を考えない場合)、なおかつ心豊かにそれなりの命を全うし、それなりの子孫を残して行く場合、しかも、一方では世界経済に占める地位が低下するもののグローバル経済と接触せざるをえないなかで。

1.世界を舞台に活躍するいわゆる勝ち組とそうではない多くの人々。

2.勝ち組を狙ったが負け組で、焦ったり再チャレンジする人々は、経済を支えてくれるかもしれない。ぶつぶつ言いながらも、勉強すれば、大学等の教育サービスのお客になるし、背伸びした生活をするので、それなりの品物やマンションが売れるだろう。

3.そうではない、別の価値観の人々も現れるかもしれない。投資でお金を儲け(専門家に任せるだけの資金がある)、悠々自適な暮らしをする人もいるだろう(勝ち組の引退組み:貴族)、こういう人は自然を守ろうなどの運動をしたり(あるいは支援したり)、茶の湯(新しい茶の湯に代わる趣味はなんだろう)を楽しむかもしれない。あるいは、自然の中で暮らすこと・その自然を守ることに生きがいを持つ人もいるかもしれない。自然のなかの再生産に依存する暮らし。

4.社会的に問題となるのは、上記のどれでもない、意識しないが生命が脅かされるほどの負け組の人々だ。高齢化や格差社会?のなかで、本当の意味の落ちこぼれの比率が高まるかもしれない。あるいは時代のハザマで流されてしまった人たちだ(若いうちフリーターで楽しんでいたのだが、気がついたら、技なくして生き延びられないことに気付いたが、蓄えもないような人々:自業自得とは言え)。この人たちを見殺しにできないとして、では誰がどう負担するのか。

昔の社会なら、弱者は、自然淘汰されて、それで社会の容量・能力に合う人口水準になるのは当たり前のことだった。今は、それを政策でなんとかしようということになっている。

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なんかヘン(その2)

○「勝ち組・負け組」

橋本さんは、この言葉が出てきた背景を問題にしていて、「勝ち組・負け組」は、当人が思うのではなく、外側の人が思うのだと書いています。しかし、一度、この言葉が表に出ると、それが人々を縛り、当人も、自分は勝ち組だ、あるいは負け組だと思い、焦ってしまうのではないかと思います。

先日の不幸な殺人事件は、勝ち組になりたい夫婦の悲劇で、マスコミでは、勝ち組の夫婦という表現をしていますが、当人たちは、実際には、負け組であることを知っていて、なんとか、勝ち組とみられ続けたいということに疲れ果てた結果の悲劇なのだと思います。

「市場原理は嘘かもしれない」のですが、現実市場原理である以上、そこで年収1000万円以上、年収1億円以上という稼ぎの水準(あるいは使えるお金の水準)によって、やはり勝ち組かどうかが決まってしまうのではないでしょうか。竹中平蔵や石原都知事は、自分も勝ち組だと思っているのでは。稼げるお金の高や使えるお金の高、石原さんなどは、使えるお金の高が多いということすら気付いていないほどの勝ち組なのではないでしょうか。

稼ぐには、有名になること、偉くなること(政治家)、グローバルスタンダードの競争で打ち勝つこと、悪いことをすること・・などなどの方法があり、多くの人は、そうなれないけど、そういう人たち=勝ち組をうらやましいと思っている。逆にだからねたみも出てくる。賢い人は、アメリカの大学を出て金融業界で稼ぐ、それほどでもないと思う人は、今日では漫才を目指す。最近では、名前を売ってマスコミに出て、大学教授になって、政府要人になるというのも勝ち組のルートになっている。

本当は、もっといろいろ稼ぐ方法はあると思いますが、勝ち組になるためのいくつかの登山ルートがあって、勝ち組になりたい人は、その登山ルートを目指し、登山に参加できない人は、自らを勝つ道具を持たないという意味で負け組だと思っているのではないでしょうか。

橋本さんは、経済というのは、お金で換算されるものだけではないことや、循環することだと整理していて、「勝ち組・負け組」という稼ぎの一面でしか判断しないことや二分法の残酷さを指摘しています。私も、「勝ち組・負け組」、つまり稼ぎの過多のみで人を判断するのは一面的過ぎて嫌ですが、当面の勝負のルールがあって、その勝負はオープンで誰でも参加できるし、勝つための道具を手に入れることもオープンなのだから、その競争に乗って、勝つための努力をする人は、やはり偉いと思います。競争に乗って敗れた人と、競争はしんどいので最初から脱落している人とがいるわけで、前者は、負け組、後者は、脱落者。勝ち組がステーキを食べて、負け組は、ハンバーグを食べて、脱落者は、コンビニで余った弁当を分けてもらう。

ルールが現在は、「市場原理」であるけれど、別のルールの時代もあったわけで、ルールを変えられるならともかく、変えられないのであれば、3者が出てきてもしょうがないのではないか。むしろ、ルールがオープンで、勝つための道具を手に入れることもオープンであるなら、問題は無いのではないか。脱落者が吟遊詩人で、それが人々の心を和ませ、別の価値観で受け入れられるならそれでも良い。

ルールが戦争になって、戦略を立てられる人、乱世でぼろもうけする人、銃を撃つのが上手な人などが勝ち組になる場合もある。それよりは、「市場原理」のほうがまだ良いのかもしれない。

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なんかヘン

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』集英社新書を読みました。昔『桃尻娘』という衝撃的なタイトルの本を読んだことがあって、すっかり内容は忘れているのですが、あの小説家の橋本治が経済本?と思って、買っておいたのが目に留まったのです。「市場原理」について違和感を覚えているけれど、良く分からないところがあって、小説家が書いたものなら分かりやすいのではないかと思って買っておいたように記憶します。

私も「今の日本の社会のあり方はおかしい」となんとなく思っており、本を読み進めました。そうだそうだ、と思いながら読み進めたのですが、「おかしい」と考える考え方は整理してくれているのだけれど、結局「ではどうしたらよいのか」という処方箋は、「自分で考えろ」ということなのでしょうか、書かれていないので、重い宿題を貰ったような感じです。

橋本さんは、とっても頭の良い人のようで、おそらく答えを持っておられるのだろうと推察しますが、私は読み終わっても、頭が整理できていません。そこで、それまでの考え方を反省したり、気になった箇所などを少し考えてみたいと思います。

○「勝ち組・負け組」

橋本さんの文脈とは異なりますが、私は、破綻した銀行に居たので、負け組なのですが、破綻した当初は、勝ち組のような気でいました。社員として持っていた株券はパーになり、職も変わったのですが、専門職として働いていた自分は、仕事を通して人脈を得、業績を上げ、興味のある仕事を続けられており、給与も下がらなかったからです。

総合職で組織の一員として働いていた人が組織を失い、右往左往するなかで、一匹狼として細腕でやっていける自分は勝ち組と思っていたのです。

ところが、それは、大きな錯覚であり、組織や周りにいた優秀な人々のお陰で私は大きく下駄を履いて暮らしていたことがようやく今になって分かってきました。組織や周りの人々への感謝を忘れ、天狗になっていた自分がとても恥ずかしい思いです。

一人では何もできないこと、自分にはコアとなる領域がないこと、誰がなんといってもやりたいこともないことなどなどが分かってきました。

負け組メと馬鹿にしていた多くの人々は、実はコアの領域を持っていて、教養のレベルも高く、己を知っていて努力もし、数年経ってみると、ちゃんと暮らしておられます。乱世にも改めて生きられる領域や技を地道な努力の末に手に入れておられます。

これに対し、自分はやれると思ってみたけれど、何もできずに空回りだけして時間を費やし、また天狗であったために堅実な努力をしてこなかった私は、今や負け組に転落しています。友が皆偉く見えますが、自業自得なのでしかたがありません。

思い起こしてみると、私は子供の頃から怠け者でした。周りの人々がいろいろな人間関係のなかでちやほやしてくれたり、可愛がってくれるのに甘えていました。要は、ずっと遊んでいて、ちょっとオイタ(悪戯)をするのが楽しい程度の人間であり、何かできるとかやれる人ではなかったのです。どうやら途中から自分を「できるやつ≒異端の正統派」と勘違いしてしまっていました。

私の良さは、あるとすれば、そうした遊び人の金さんとしての面白さだったはずなのです。おひゃらけて世間を見る目が時に正統派がキンタロウ(腹掛け)しか身につけていなくて、後ろからお尻が見えているのを照らし出すことがある。せいぜいそんなところに面白さがあったはず。それには、心が自由で(認められようとか世間の常識に合わせようなどと思わず)、余裕がなければならず、焦ったり、人の言葉でものを語ってはいけないはず。それがどうにも世間の賢い人のルールや見方や言葉に追いつこうとし、自分を失い、まだ自分を取り戻せずにいる。

自分の五感を信じて、なんかヘンを感じなければならない。

負け組になっていることは有難いことで、これまでの自分(妙にしゃちほこばっている、あるいは、過去に成功した業績にしばられている)に決別し、こびり付いている垢を落として、柔らかい皮膚感覚を取り戻したい。自分にムリなことは、ムリだとして退け(背伸びせず)、馬鹿は馬鹿なりに、遊び人の金さんは金さんなりに、自分に良く分かることをやらなければならない

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February 14, 2007

都市とカミサマ(その9)

・日本のムラは、ムラというより同じ氏族ともいえる超分散的極小社会集団であり、「魏志倭人伝」によれば、「倭の国を参問するに、海中洲島の上に絶在し、或は絶え、或は連なり、周旋五千余里可かりなり」と記述されており、海べりの台地などにほそぼそと散在していたのではないか。山が急峻で襞が細かい。「草木茂生し、行くに前人を見ず」というほど森が茂っていた。

・・今でも、ムラは、山襞の奥に集落があるため、足助町でも聞いたように、デイサービスにお年寄りをバスで集めるにも、一日では、回りきれず、日にちを分けているとのことであった。今後、人口が減少すると、将来的に山襞に住むことを止めて、都市よりもも都会に住むようになるのだろうか。それとも、今は、高齢者のみ残されているのだが、将来的には、ある単位の人々が昔のように、襞ごとに散在しながら、ネットでつながるようになるのだろうか。

・・森が荒れているというのだが、確かに植林したいびつな森が手が入らなくなり荒れるというのは問題であるとして、その場合、木々を活かす方向で手を入れるのか、それとも、草木茂生するように自然に任せればよいのか。昔は、人口が少ないのだから、里山以外は手が入っていなかったのではないのか。

・・ゴルフ場、スキー場、ゴミ滞積場、砂利採掘場・・ではまずいのは、分かる。

・同じ氏族ともいえる極小の日本のムラが外と交流する場・歌垣(歌舞を楽しむ、食料を交換する、情報を得る、性の交流を図る、元気になる)があった。この場は、カミサマが提供してくれていた。→1万年のクライマックス(極相)が維持された。今では、そのような場所は、都市、とくに大都市ではないかという。

・日本では、私鉄が誕生した≒神社におまいりにいくための参道であった(旅行に行くと土産を買って帰るのは、ご利益のおすそ分け:物々交換の名残)のは、都市のなかではなく、都市の外にカミサマがいるから。それは、歌垣の場所は、ムラとムラの間にあったから。

・ただし、日本では、都市のカミサマ(歌垣の機能を持つ)、生産のムラ、生活のムラがあるのだが、それが今日では、ゾーニングとしてぐちゃぐちゃになっている。日本は、西洋よりも職業選択の自由も、したがって住む場所の選択の自由もある。・・異なる価値観の人々が暮らす場合の摩擦の解消の仕方がまだ得られていない、あるいは資本主義の暴力(弱肉強食)への対応が考えられていない。→都市は、森と同じく、高い木から羊歯やコケなど秩序ある共生の場所であって欲しい。

・多神教的な都市には、カミサマが必要で、それは山を見る軸ではないか。ここで「山見の聖軸」が出てくる。町の見晴らしの良いところから山が見えるように建物規制をする、小学校からも見えるように、小学校区をコミュニティの単位に。

・・心落ち着かせる街づくりというハード面(ゾーニング)では賛成なのだが、バラバラになっているムラのなか(会社も家庭も)という現実もあるなかでの運営方法(ソフト)がこれでは見えない。西洋の皮をかぶったムラ社会の運営方法もまだ私には見えない。

・・歌垣の機能を今日では、都市が担っているのは確かであるが、昔の歌垣のようなカミサマのルールのなかでではない、フラグメンテーションした人々がただ渦巻く。都市の魅力はカミサマの場なのでムラ社会から皆が集まるとしたら、その今日的な意味づけをきちんとする。

以下は、良く分からない。

・松尾芭蕉の不易流行の元は一つなり。その元は風雅の誠≒松のことは松に聞け、竹のことは竹に習へ。席に臨んで気先で吐くべし(俳句を)、心頭に落とすべからず。理屈で考えるな気合で吐け。この気合がもろもろの権力、カミサマが息づくアニミズム的都市を生き抜く術である。相撲も小さい力士が気合で勝てる。

・・「気合だぁ!」というのは、プロレスの坂口パパが喜びそうだが、良く分からない。私は、常々、思ったことを頭で一度考えずにそのまま口から出すのでだめだといわれたが、芭蕉はこれを進めている。気合があれば、もろもろのムラ人は、ある方向で参同してくれるということか。

・・社会起業家の話で、どうしてそういうアイデアを思いつくのだろうと町田氏に聞いたら、それは「個人的恨みである」という。アメリカのMBAでは、社会起業家向け講座をはじめているらしい。どういうことを教えるのか、後解釈なら分かるし、あるアイデアをビジネスモデル化する(企業にお金を出させるなど)指導なら分かるがといったら、教え方というのは、アイデアの出し方は、「恨み」である。自分に「恨みがなかったら、知人の恨みを考えよ」「それもなかったら、その知人の知人の恨みを考えよ」というのだと教えられ納得した。町田氏は、最初からお金を得られるモデルを考えているのではお金は得られない。驚くようなアイデアを出すことで、拍手喝采となり、お金を出しても良いというようになる(寄付)。この恨みを解決するための驚くようなアイデア(熱意)というのが、「気合」なのかもしれない。その「気合」に感動して、ビルゲイツがお金を出すというようなことだ。コロンブスにお金を投資した人のような気分。新しい世界が見えると思えるお金の使い方を提示すること。

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都市とカミサマ(その8)

・ムラに入るのは村八分を避けるため。協働によるメリットだけではない。ムラに所属するのは、仲間はずれになったらどうしようという社会的脅迫観念による。

・西洋でもムラがあったが、囲い込み運動(資本主義)がムラを壊した。ムラを失い、神を失った(ルネサンス)西洋では、各地の領主が争乱を繰り返し、その状況を救うべくトーマス・ホイップがリバイアサン(旧約聖書の怪物)になぞらえた暴力国家を馴致すべく提起した契約国家、主権国家によって西洋は安定した。

・日本では、契約国家は現れず、ムラが大ムラになりというのを幾重にもくりかえしてつくられた全体社会。

・・農村社会が中心の時代は、ムラ八分になると実際の生活に困るので、ムラの意味があり、その後会社中心の時代には、会社がムラになった(それぞれの部や課のことも)。戦争中は、町内会もムラだった。ところが、今日では、会社は擬似ムラでなくなりつつある。町内もそうだ。人々はさまよっている。家族さえもバラバラになりつつある。人材派遣とコンビニが悪いのかもしれない(サービス業)・・つまり、ムラ八分で困ることがなくなっている。

親も国も、生まれたら付いてきたような感じであり、選んだわけではない。契約したわけではない。地方公共団体に格差が生じ、人々が住む市町村を選ぶようになると、これは契約かもしれないがそれもタダ乗り風であって、契約と履行という感じではない。所与のものとどう係わったら良いのかが分からなくなっている。コンビニがあれば親は要らない、国は、何の役に立つのかが明確ではない→拉致されてそのまま(生命を守ってくれるわけでもない)。一方、逃げ帰ったブラジル人は裁けない・国を始めて認識する。

大ムラである国家や市町村は、何をすべきか。人々は、大ムラとどう付き合ったらよいのか。小ムラを内包した国家や市町村は、いかにして方向性・舵取りをするのが良いのか。

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都市とカミサマ(その7)

むすび

・西洋の都市は、芯が一つのりんごの都市であるのに対し、日本の都市は、ぶどうの都市で、中心がたくさんあり、権力は多元的である。

・形がそうなっているだけでなく、運営のされ方がそうである。西洋では、市長は、公約を掲げて当選したら、市長は、その公約の実現に向かう。仕事を妨害したり、協力しない職員は首にする。公約のなかに選挙民の最大公約数の意思がこめられており、市民は、市長が公約を実現するかどうかを監視している。

これに対し、日本では、市長が当選しても、公約が実現するとは限らない。市会議員と職員がスクラムを組んで従前どおりの行政を進めるからだ。だからといって議員や職員が悪いわけではなく、その背後に中央政界や官界、地方政界や産業界、社会団体、地域団体などの思惑や行動が渦巻いているからだ。

そこで、どこの市役所も「ヤマタノオロチ」だと言われる。

現在の日本の都市は、ぶどうの都市の態勢が崩れ、そこに西洋民主主義の枠組みをかぶせてはみたものの、上手く機能せず、ブドウの皮がはがれてりんごの芯ができないどろどろの状態、腐ったりんごだ。

・・これは、ちょうど宮崎県知事の話や夕張市の話があるため、思わずフフと笑ってしまうところだが、とても重要なことだと思う。私もなんとなく感じていることだ。木に竹を接いだという感じは、相撲八百長問題にもつながる。神事とルールによるスポーツの違いだ。

そういえば、パチンコは、アメリカでは営業できない。確率論に載らないばくちだかららしい。何か本質の違うものをグローバルスタンダードにあわせることの違い。これは、イスラム教の問題にもつながるのかもしれない。「英知」を働かせないと、地球が小さくなっているなかで、とんでもないことになる。

札幌での仕事は、まさにヤマタノオロチを御すことができないとプロジェクトは崩壊するということを目の当たりにしてきた。頭で理解するのではなく、ヤマタノオロチを現実に見て、地域で実業をするのは、大変なことだと感じた。

明日の日本を考えるうで、リアルな地域政策を考えるうえで、ヤマタノオロチを踏まえた政策論を考える必要がある。これは、多様な価値観がある地球全体の明日を考えることにつながる。

州の独立性が強いアメリカ連邦は、本来多様な価値観を包含する連邦であったはずなのだし、EUもそうした知恵のはずだが。むしろ、日本の方が概略同じ民族ということで多元的価値観ではないはずだが。西洋のルールを決めた元での多元と、日本の多元はどこが違うのだろうか。先の市長の公約の例からみると、ルールを守らない多元だろうか。

・「ムラ社会体質」:この国には、人間の力を超越して人間を支配するような巨大な権力が存在しなかったから。異民族の支配を受け、それを排斥した王が強大な力を持つという歴史がなかった≒国家がなかった。ヒューム「国家というものは外圧が生じたときに生まれる」。だから一時的に国内政治に成果をあげたリーダーは、権力が多元的なのですぐに殺される。蘇我入鹿、長屋王、足利義教、織田信長、井伊直弼、大久保利通、浜口雄幸、犬養毅、これだけリーダーが暗殺された国は世界にない。

・・国が乱れている時期には、強大なリーダーを待望するのだが、一旦それによってある程度落ち着くと、振り子がゆれるように、それを嫌がるのだろうか、バランス感覚なのだろうか。

アメリカだって、いろいろな意見の人・派閥があるはず、民族は雑多だし。でも、最大公約数で大統領や市長が選ばれたら、それを支持する(ルールだから)。日本では、いろいろな力関係のなかで、もみ合いながら、押し競饅頭のなかで少しずつ動いていくのだろうか。建前(ルール:西洋の殻)と本音(根回し:押し合いへし合い)なのだろうか。

札幌の事例のTさんは、根回しというか、ヤマタノオロチのそれぞれが押し合いへし合いして方向性が出るまで動かない(動けないのかも)。リーダーシップを発揮して、流れを引っ張って行くことはしない。そういうなかで、自分の役割を感じるIさんが最終的な組み立て係りをやる。Tさんは、プロデューサーなのだけれど、大まかな配役はするが、脚本がなくて、役者が押し合いへし合いするなかでシナリオが出来て行く。したがって、上手いシナリオになることもあるが、めちゃくちゃになるというシナリオもある。誰も出口を明らかにしようとしない。だから、計画ではない。5年やった結果が結果(出口)なのである。

札幌では、過去に表に出たリーダーは、皆チクラレて消えている。

ムラ社会を前提にして、どのようにしたら、良い方向に流れを作ることが可能なのだろう。ムラ社会を御する方法・・検討課題。カミサマ-巫女(巫女が指し示したようにすると、ご利益があるという実績づくり)。ジャンヌダルクか。フォローミーと旗をなびかせ、方向を指し示し(巫女)→実務家が具体的に実行し、人々(ヤマタノオロチ)がそれに賛同・動く。

小泉さんは、強大な力を持つリーダーではなく、巫女だったのかも。民営化・抵抗勢力といって方向を指し示し、人々になんだか良くなるらしいと思わせた。流れができれば官僚は、きちんと仕事をする。織田信長が好きだったというが、おそらく冷徹さは似ているように思うが、巫女だったので殺されていないのかも。

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February 12, 2007

都市とカミサマ(その6)

8.京都の小学校

・京都の小学校は、町組にそれぞれ作られ、学校としてだけでなく、消防等の拠点として考えられていた。このため、火の見やぐらがある。小学校運営のために会社をつくり、銀行業務を行って、運営費用を賄おうとした。

・運動場がどの小学校にもあるのは、日本だけ。町内の盆踊り、正月のドンド焼きなどに使われた。災害の避難所。

・・今はせちがらくなり、小学校も危ないので、基本的に外部の人を入れないようになっている。地方では、まだ運動会は地域のお祭りのようだが、都心ではそうではなくなっている。一方で、子供は地域で育てるという三鷹市のような動きも出てきている。それも、総合学習の時間を減らすという方向でどうなるか分からないが。小学校区からムラを建て直すのは魅力だが、少子化のなか、どうだろうか。

・もともと多神教であったが、明治22年に大日本帝国憲法が発布され、天皇・皇后の御真影を小学校に飾るようになった。翌年には教育勅語。

9.甲子園球場

・阪神電鉄は、いち早く、球場などの沿線開発を行った。これが大正13年の甲子園球場で、全国中等学校野球大会を開催する。これが高校野球のメッカとなりつづけており、若い男性の夢をあふっている。ちなみに、阪神電鉄は、この年に宝塚に歌劇大劇場を作った。こちらは女性のハートをつかんでいる。

・・上田氏が、これらは、神殿であり、カミサマは六甲山だというのだが、これはちょっと言いすぎのような気もする。

10.大雪山

・大雪山は、北海道のカミサマであるという。和人は、北海道の山と関係なく神社などを作ったが、アイヌの人々は大雪山をカミサマと思っていた。

・・現在は、北海道の人でも大雪山をカミサマの居る山と思っている人も増えているのではないかと思うが、この章を読んで、私が北海道に居た時の違和感をそうかと思った。北海道には、神社や寺はないかと思っていたのだが、予想以上にあるのに驚いた。本土から渡ってきた人々が平穏を祈って建てたのだろうなぁとは思ったのだが、なんとなく、有難いと思えなかったのだ。これは、自然の山や水脈などを無視して建てたからなのかもしれない。また、後述するムラはあるのだし、もともとは、本土の同じムラからまとまって開拓に来たのであるから助け合っていたのだろうけれど、本土で感じるようなカミサマとの暮らしぶりを感じないのだ。だから、殺伐としているように思えてしまう。

私は、土地が広いから、あるいは、車通勤だから、あるいは、私がよそ者だからなどなど思いをめぐらしていたのだが、離婚率が高い、女性もタバコを吸うなどなど、なんとなく、殺伐としているのだが、これはカミサマがいないからなのかもしれない。家々は、今日では、とっても立派なのだけれど、もしかするとカミサマが居ない家なのかもしれない。

YOSAKOIの長谷川さんが、人々がリズムを刻んでいないと言っていたのだが、そうしてYOSAKOIを始め、今日では、大きな祭りになっているのだが、う~ん、それでも、気持ち悪いのだ。雪祭りしかり。祭りが祭りでないのだ。観光用であり、人々の暮らしのカミサマが居ないからか。

これはもっと考える必要がありそうだ

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都市とカミサマ(その5)

6.安土城

信長が早くから城下町経営で門前町に自由や自治を認めている。比叡山の焼き討ちや石山本願寺の圧殺は、敵対勢力の排除という面もあるが、同時に古代末から中世にかけてこの国の商業を牛耳ってきた仏教勢力から商業を奪い取る政治的意図を持っていた

・・西洋では、16世紀から18世紀にかけて重商主義となるが、信長は、早くも、商業の意味を知っていた。

・会合衆と呼ばれる豪商36人が連帯して都市を運営していた堺も、信長に屈し、濠を埋め、矢銭2万貫を払い、信長が派遣する代官に行政権限を譲り渡した。フィレンツェなど西欧の市民の都市は200年続いたが、堺は80年。

・・当時の重商主義(農業よりも商業振興)で神社・寺から商業を取り上げたのに当たる今日的な産業構造の変化と政策は何か。金融・情報主義(商業よりも付加価値・知財:金融も知財の一つ:知財主義か)で日本から金融・頭脳を取り上げたアメリカだろうか。今日最も金を生む産業は何で、その産業はもともとは誰が支配していて、どうやったらそれを自家薬籠のものとすることができるか・・という視点。文化は歌垣で生まれ、神社・寺がその創造の場であったのを文科省が取り上げた?

7.東京の鎮守の森

・鎮守の森、祭りを通して町内会の結束が図られる。消防隊、防衛隊。

・寒冷期にはマンモス→温暖化で森・豊かな食料・人が暮らせる→祖先は、森を保護した。極端な牧畜や農業で森を伐採しなかった。島国だから文明が入らなかったのではなく、交易しており、情報は入ってきたが、それを採用しなかった。弥生人が入ってきて、農耕を始めたが、山を崩すと、洪水などが起こる(雷神)などして縄文人と共生を図るようになる。

・開拓が始まると、鎮守の森を作り、地域共同体で守るようになる。この惣村を中心にして、日本の社会全般に広範な自由自治の動きが出てくる。農村でも、都市でも、惣が単位。西洋がりんごの都市とすると、日本はぶどうと都市。

・明治になると、上地令によって、鎮守の森は、半分くらいの土地を政府に取り上げられた。財源のない新政府は、幕府に目をかけられた神社の土地を取り上げた。戦後は、神社はその土地を社会奉仕としていろいろなことに貸した、遊園地や消防署に。落葉が焼けない。

・・東大農場を守るのも良いが、土地の水脈などを勘案した鎮守の森を守るほうがよほど良いと思うのだが、相続税などで取られているのだろうか、あるいは、経営が苦しいからか、アパートにしている神社もある。また、落葉の掃除も大変そうだった。

鎮守の森のはずが、いつの間にか、神主の持ち物のようになってしまっている。神社を維持するのが難しいとしたら、こちらの方が問題のはずだが。宗教法人としては税金がかからないはずで、それでも氏子として認識している人々が薄れれば、「経営」は苦しいはず。寺は葬式で儲かるとしても。我々は、町のなかにある鎮守の森を公共財として使っているのだが、それに支払う(負担する)という意識はない。戦前からの土地の人は違うだろうが(地主や商店主:地域では金持ち)、戦後以降移り住んできた新住民・新々住民(新しい金持ち層も居るはず)は支える気持ちはない。そうなっていない。鎮守の森が地域の緑にとって必要であることをもっと知らせて、道路で削ったり、幼稚園経営やマンション経営で支えさせるよりも、明確に皆が負担して森を増やしたほうが良い。

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都市とカミサマ(その4)

4.鎌倉

・武士の起源はいろいろな説がある。上田氏は、「安堵-奉仕」の関係で、縄文人と弥生人との間のバーター関係ではないかという。山で暮らしているが、安堵させてもらい、いざとなったら命を賭してかけつけるという間柄。武士は、名誉を重んじる行動様式だったので700年もの間国を統治できたのではないか。諸外国では、軍人が国を取っても、その後文治政権になる。

・鎌倉は、カミサマを持たず、すぐに滅びた?鶴岡八幡宮と大倉御所は新しい神殿であった。しかし、三代で耐えるとカミサマが不在となった。北条氏はカミサマにならなかった。カミサマを持たず、合理主義と権力だけの都市の凋落は早い。

5.京町屋

・京町屋が生き延びているのは、家のいたるところにカミサマがいるから。竈に荒神さま、店の間には大黒さま、畳の部屋にはいけばな(カミサマの依り代)、神棚には、鬼子母神、歳徳さん。仏壇。

家人が毎日、毎晩、お祭りをし、正月には丁寧にカミサマと付き合う。家中に目が行き届き、整理整頓、掃除まで完璧:奉仕をする→カミサマはご利益をくれる

町内のカミサマ。通りを挟んだ両側の家々は、お町内というコミュニティを作っている。農村では惣村・中心にカミサマ。氏神さまのお祭りが祇園祭り、山鉾は、町内結束のシンボル。町会という半自治的組織が息づく。消防訓練でもあり、全員の様子や性格を知ることでもあり。

・・日本の生産現場が整理整頓されているのは、この名残。職人は、確か皆そうやってきた。

・・家を綺麗に保つためのカミサマとそのルール、町内を安寧にするためのカミサマとそのルールを今日的にするにはどうしたらよいのか。業者による恵方巻・節分やバレンタインデーという資本とマスコミによるイベントではなく、地域・家・生産の場にとっての祭りづくり。・・・我々は知恵を働かせていない。子供が襲われたので、GPS携帯電話を持たせる、急に登校時に親が付き添うというのではなく、いつも見守れる仕組みづくり。べきでやらせるのではなく、カミサマのために無理なくやれるルールづくり(慣習・習慣・行事)。・・・「家を掃除しましょう」というのではなく、「竈のカミサマにお水をあげる?」といった別の行動様式が結果として家を掃除することにつながるやり方。

・・祇園祭りをはじめ、まだ残っている地域の祭りには、東京に居る息子も帰ってきて役割を担う。新たに自治会などで祭りを作るが形だけ、面倒なことはやりたがらない。新たにカミサマをつくれるか。職業がべつべつになっている今、同じ時間を共有する意味を認識するのは、残念なことに災害にあったとき。子供の安全性が脅かされたとき。それでも、一旦災害が一服すると、これも薄れるらしい。コンビニやサービス業、行政サービスなどがある程度行き届いてしまうため、ある程度の強者は、コミュニティを必要としなくなり、だんだん面倒くさくなってくる。

・・祇園祭などの祭りが続けられるのは、どうしてだろうか。田舎だとまだコミュニティが残っていて村八分が怖いからか。子供の頃の記憶がそうさせるのか。町おこしや経済効果で祭りをやるのではなく、メンバーの心に(記憶に)訴える方法には、何があるのか。

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都市とカミサマ(その3)

3.東寺の塔

・羅城門は壊れても再建されなかったのに、東寺の塔は再建された。律令国家の公地公民が壊れ、荘園時代となり、たくさんのカミサマが作られた時代。

官製の東西の市に代わり、都のなかの人通りの多い街路に近在の農民が立ち売りや座売りを始める。都の繁華街だけでなく、寺にも市が。寺には賽銭が溜まり、寺は商人にそれを貸し付けて利息をとった。商工業者の座が寺や神社の周りに出来た。当時の寺領の物資運搬や保管や加工する人々が集まった。あまれば一般に売却もする。寺の建築工事に木材や職人が集まる。門前市のはじまり。

輸送業者は、贄人。供御人、神人。海人≒縄文人(山野河海は縄文人の世界)。縄文人のネットワークを贄人が行き来する≒商人。

延暦寺・日吉社は、琵琶湖から北陸、東北、山陰、九州を、伊勢神宮は東海道、熊野社は南海道、山陽道、石清水社は、北九州を、上下賀茂社は瀬戸内海、北九州をそれぞれ押さえていた。回船人、軍事も物資も輸送はこのネットワークをつかわざるをえない。商社のようなもの。

・・これは興味深い。秀吉が山の民の出自だというのを小説で読んだ記憶があるが、充分ありうる。伊賀・甲賀などの間者もそうだったのだろう。武士が全国制覇するにあたって、このルートの確保、安全性、協力を得られなければならなかったはず。別の章で信長が寺から商人を引き剥がし、楽市楽座を設けたとあるが、なるほどそうだったのかと思う。なるほどそうだったというのは、ルートを確保することと、利得の多い商業を手に入れるということの両方でだ。また、なんで伊勢神宮があそこの場所なのだろうと思うけれど、きっと交通の要所であったのだろう。

中国や韓国の五重塔は、中に入れ、仏像などが飾ってあるのに、日本のは外から拝むだけ。心柱のみあって、それは色彩など施されないそのまま。心柱を立てる足場が回りの建物。心柱がカミサマ。

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都市とカミサマ(その2)

2.都城と宮城

・西洋では、都市の周辺に囲い(城壁)を作って、都市全体を囲う。農民などを外的から守るため。ところが日本では、都市に囲いはなくて、天皇が住む周りに城壁がある。

・中国では、都のなかに、宗廟(先祖の霊を祭った)と社禝(土地の神と五穀の神)とがあるが、日本の場合、平城京のなかにはなくて、前者は伊勢神宮内宮であり、土地の神(国土鎮護の神)は、全国各地にあり、五穀の神は、伊勢神宮外宮と外にある。

・中国の皇帝は、人民を保護することによって地位が約束されるが、日本の天皇は、人民のカミサマで、隠され、人民の代わりに神事を行っている。→東京のど真ん中は真空である。

・・この本の別のところで触れられているのだが、日本はヤマタノオロチ(ムラがいろいろある)であり、絶対権力者は皆殺されている。天皇がカミサマで直接は見えないが神事を行い(空)、絶対権力者でないというのは、すごく重要なことかもしれない。おまけに、ムラムラに神がいる。多民族(多様なカミサマ)が共存できる仕組み。

・・富国強兵の時代に、大東亜共栄圏を打ち出した折に、苗字も日本的に改めるなどの愚かなことをしたのは、考えの浅い人々が指導者であったからではないか。本当は、空のカミサマによって心根だけ統一し、それぞれの土地神さまをそのまま生かせることが出来たはずなのに。アメリカのような軍事力・民主主義の押し売りではなく。もっとも、アイヌを支配した頃から和人は、上記教養が無かったワケで、大東亜共栄圏もその延長かもしれない。

・・また、国づくりの初期にこれができても、今から天皇(カミサマ)では相手国が受け入れないだろうが。また、森林が豊かな土地でないと駄目だろうし、一度民族が蹂躙された地域では、これができないかもしれない。縄文人と弥生人も一度は戦い、そのなかで上手なすみわけをしたのかもしれず、一度は戦いのなかでルール化されるものなのかもしれない。

・・しかし、皇室が国王ではなく、また一神教の神ではなく、五穀豊穣と国土安寧を祈る巫女の一種と考えると、これは世界的にも受け入れられるように思う(不幸な戦争の記憶があるので難しいが・考え方として)。五穀豊穣と地球環境保全と考えれば良い。もちろん、個人を律する別の宗教も、ムラムラの鎮守様も居て構わない。

・・五穀豊穣と国土安寧を祈る:これは、他国の人にはわかり辛いだろうか。西洋なら、ルールを作って取り決めるとか努力目標などをつくり、守らない人への罰則が必要なのだろうか。

・・江戸時代も、幕府が行政を握っていたものの、地方分権であって、かつ地域ごとにカミサマがいたのだろう。キリスト教は、排除されたが仏教や神社はいろいろあったままだ。キリスト教を禁止したのは、スペイン等が宣教師を尖兵としてアジア地域を征服しようとの魂胆が露見したからと言われる。そうした政治な問題が明らかでない前は、「わが国には、いろいろな宗教があるのを是」として認めていた。

・土地とムラ

日本では、西洋の意味での民族紛争がなかった。縄文人と弥生人も折り合いを見つけて共存した。西洋での戦いは、敗れると男性は皆殺しにされ、女性は奴隷にされた。

イギリスでは、土地は、女王のものであるが、日本では、自分の土地が永遠に続くと思って暮らしてきた。

日本の戦争は土地争いではなく、人民が巻き添えになることもなく、権力者間の争いであった。「徳政令」は、土地などを担保に借りた金を返さなくてよいというもの(室町時代)→金を借りるために差し出した土地を取り戻す?→土地の所有が続く。自ら開拓して肥沃にした土地を自らのものにする、一所懸命。

・・バブルの頃に土地神話(土地を財産と思う、また値上がりすると思う)がいけないといわれたが、国土が出来た頃からの発想であると、なかなか無くならないだろう。但し、徳政令も歴史である。

西洋では、異民族との衝突、暮らしのなかで、集団の統一をするために神を作り出す。一人ひとりの身体にしみこんだ生活スタイルを神として形成し、それが生活様式を守るとりでとなり、民族や部族の統一を守る強烈な紐帯となる。偶像崇拝を禁止するのは、それを奪われたらこまるから。→生活スタイルが神という形式(文化)を作り出し、出来た文化が人々を縛る。

これに対し、日本では、見える神様(代理である巫女)がご利益をもたらすものとして登場し、神様が移動しても、そこに奉納品を持って行く。神様が肥沃な土地や収穫物をもたらしてくれるから。

・・産業構造が変わって一次産業が無くなったため、カミサマを重視しなくなった。が、しかし、地球環境重視や食の安全などを契機に、カミサマの存在意義が新たになっているのではないか。その場合、昔は、その土地を開拓し、その土地から恩恵を受けていた人々のカミサマであったものが新興団地などが出来て直接的な存在意義と結びつかなくなっている。これを人々の日々の生活とどう結びつけるかが課題である。

たとえば、武蔵野の水を考えるなかで、山や鎮守の森の意味付けをして(学者がきちんと、その市町村の神経、血流、である伏流水などの意義付けを行う)祭りを意義付けるのか。トトロの森?

・・今日の巫女が現世的なご利益をくれるとしたら、ナンだろうか。豊かな暮らし、高い所得、心安らか、健康、彼氏・彼女ができる、一人ぼっちではない、役立っていると思われること、出世、有名になること・・・・昔の巫女は、言うとおりにすると豊作になるなどのご利益があった。歌垣(楽しい場、氏族を維持するのに大切な場・・)を提供してくれた。・・・都市を提供してくれた。

・・市長・知事・総理大臣は本来巫女が望ましい?言われたようにやると皆の暮らしが豊かに、心豊かに暮らせる。地球環境にも良い暮らし。そのための都市整備と山見の聖軸と祭り(ソフト)づくり。

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都市とカミサマ

半眼のブログで紹介した上田篤『都市と日本人-「カミサマ」を旅する-』を読んだ。西洋と都市と日本の都市の違いをカミサマへの考え方から考察している。こじつけすぎのようにも思えるし、もっと掘り下げて検討しないと「設計科学」として使えないという気もするが、示唆に富んでいて、ここから考えたいと思う箇所も多い。以下では、面白かったところ、考えたい箇所について、メモってみたい。

1.吉備の穴海

神話を紐解くと昔の国造りの様子が分かる。肥沃な土地は、あったのではなく、土木工事をして作られたのではないか。それには、鉄や組織的な行動が必要で、バラバラに住んでいた人々が力を合わせて土木工事をするうえでは、巫女がカミサマの言葉を伝え、夫や親族の男がそれに対応して工事を行ったのではないか。

・昔の歴史は、口で物語りとして伝えられた。鬼退治の話で、一本の矢同士がぶつかって海に落ち(矢喰宮)たが、二本の矢をつかったところ、一本の矢はぶつかって折れたが、もう一本が鬼(ウラ)の目にあたり、血が流れて川となった(血吸川)とあるという。・・・実は少し前に池上喬庸『誂え刃物三代の記録-江戸鍛冶の注文帳』をパラパラとひっくり返していて、そこに、口伝(クデン)というのが書かれていた。どんな色をした時に鉄を打つと良いかというようなノウハウを弟子に伝える方法で、秘密でもあるが、そういう言い方でなければ伝わらなかっただろうという内容だ。

たとえば、「焼きは南部の鼻曲がり」・・鼻曲がりというのは、紅鮭のこと。焼きいれ火色は紅鮭の肉色ということ。本当は、もっといろいろあるらしいが、肝心なところは書かれていない。

神話や口伝など、デジタル(温度○度で薬品を○グラムなど)ではない伝え方をもっと研究すべきかもしれない。

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