都市とカミサマ(その6)
8.京都の小学校
・京都の小学校は、町組にそれぞれ作られ、学校としてだけでなく、消防等の拠点として考えられていた。このため、火の見やぐらがある。小学校運営のために会社をつくり、銀行業務を行って、運営費用を賄おうとした。
・運動場がどの小学校にもあるのは、日本だけ。町内の盆踊り、正月のドンド焼きなどに使われた。災害の避難所。
・・今はせちがらくなり、小学校も危ないので、基本的に外部の人を入れないようになっている。地方では、まだ運動会は地域のお祭りのようだが、都心ではそうではなくなっている。一方で、子供は地域で育てるという三鷹市のような動きも出てきている。それも、総合学習の時間を減らすという方向でどうなるか分からないが。小学校区からムラを建て直すのは魅力だが、少子化のなか、どうだろうか。
・もともと多神教であったが、明治22年に大日本帝国憲法が発布され、天皇・皇后の御真影を小学校に飾るようになった。翌年には教育勅語。
9.甲子園球場
・阪神電鉄は、いち早く、球場などの沿線開発を行った。これが大正13年の甲子園球場で、全国中等学校野球大会を開催する。これが高校野球のメッカとなりつづけており、若い男性の夢をあふっている。ちなみに、阪神電鉄は、この年に宝塚に歌劇大劇場を作った。こちらは女性のハートをつかんでいる。
・・上田氏が、これらは、神殿であり、カミサマは六甲山だというのだが、これはちょっと言いすぎのような気もする。
10.大雪山
・大雪山は、北海道のカミサマであるという。和人は、北海道の山と関係なく神社などを作ったが、アイヌの人々は大雪山をカミサマと思っていた。
・・現在は、北海道の人でも大雪山をカミサマの居る山と思っている人も増えているのではないかと思うが、この章を読んで、私が北海道に居た時の違和感をそうかと思った。北海道には、神社や寺はないかと思っていたのだが、予想以上にあるのに驚いた。本土から渡ってきた人々が平穏を祈って建てたのだろうなぁとは思ったのだが、なんとなく、有難いと思えなかったのだ。これは、自然の山や水脈などを無視して建てたからなのかもしれない。また、後述するムラはあるのだし、もともとは、本土の同じムラからまとまって開拓に来たのであるから助け合っていたのだろうけれど、本土で感じるようなカミサマとの暮らしぶりを感じないのだ。だから、殺伐としているように思えてしまう。
私は、土地が広いから、あるいは、車通勤だから、あるいは、私がよそ者だからなどなど思いをめぐらしていたのだが、離婚率が高い、女性もタバコを吸うなどなど、なんとなく、殺伐としているのだが、これはカミサマがいないからなのかもしれない。家々は、今日では、とっても立派なのだけれど、もしかするとカミサマが居ない家なのかもしれない。
YOSAKOIの長谷川さんが、人々がリズムを刻んでいないと言っていたのだが、そうしてYOSAKOIを始め、今日では、大きな祭りになっているのだが、う~ん、それでも、気持ち悪いのだ。雪祭りしかり。祭りが祭りでないのだ。観光用であり、人々の暮らしのカミサマが居ないからか。
これはもっと考える必要がありそうだ。
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