都市とカミサマ(その4)
4.鎌倉
・武士の起源はいろいろな説がある。上田氏は、「安堵-奉仕」の関係で、縄文人と弥生人との間のバーター関係ではないかという。山で暮らしているが、安堵させてもらい、いざとなったら命を賭してかけつけるという間柄。武士は、名誉を重んじる行動様式だったので700年もの間国を統治できたのではないか。諸外国では、軍人が国を取っても、その後文治政権になる。
・鎌倉は、カミサマを持たず、すぐに滅びた?鶴岡八幡宮と大倉御所は新しい神殿であった。しかし、三代で耐えるとカミサマが不在となった。北条氏はカミサマにならなかった。カミサマを持たず、合理主義と権力だけの都市の凋落は早い。
5.京町屋
・京町屋が生き延びているのは、家のいたるところにカミサマがいるから。竈に荒神さま、店の間には大黒さま、畳の部屋にはいけばな(カミサマの依り代)、神棚には、鬼子母神、歳徳さん。仏壇。
家人が毎日、毎晩、お祭りをし、正月には丁寧にカミサマと付き合う。家中に目が行き届き、整理整頓、掃除まで完璧:奉仕をする→カミサマはご利益をくれる。
・町内のカミサマ。通りを挟んだ両側の家々は、お町内というコミュニティを作っている。農村では惣村・中心にカミサマ。氏神さまのお祭りが祇園祭り、山鉾は、町内結束のシンボル。町会という半自治的組織が息づく。消防訓練でもあり、全員の様子や性格を知ることでもあり。
・・日本の生産現場が整理整頓されているのは、この名残。職人は、確か皆そうやってきた。
・・家を綺麗に保つためのカミサマとそのルール、町内を安寧にするためのカミサマとそのルールを今日的にするにはどうしたらよいのか。業者による恵方巻・節分やバレンタインデーという資本とマスコミによるイベントではなく、地域・家・生産の場にとっての祭りづくり。・・・我々は知恵を働かせていない。子供が襲われたので、GPS携帯電話を持たせる、急に登校時に親が付き添うというのではなく、いつも見守れる仕組みづくり。べきでやらせるのではなく、カミサマのために無理なくやれるルールづくり(慣習・習慣・行事)。・・・「家を掃除しましょう」というのではなく、「竈のカミサマにお水をあげる?」といった別の行動様式が結果として家を掃除することにつながるやり方。
・・祇園祭りをはじめ、まだ残っている地域の祭りには、東京に居る息子も帰ってきて役割を担う。新たに自治会などで祭りを作るが形だけ、面倒なことはやりたがらない。新たにカミサマをつくれるか。職業がべつべつになっている今、同じ時間を共有する意味を認識するのは、残念なことに災害にあったとき。子供の安全性が脅かされたとき。それでも、一旦災害が一服すると、これも薄れるらしい。コンビニやサービス業、行政サービスなどがある程度行き届いてしまうため、ある程度の強者は、コミュニティを必要としなくなり、だんだん面倒くさくなってくる。
・・祇園祭などの祭りが続けられるのは、どうしてだろうか。田舎だとまだコミュニティが残っていて村八分が怖いからか。子供の頃の記憶がそうさせるのか。町おこしや経済効果で祭りをやるのではなく、メンバーの心に(記憶に)訴える方法には、何があるのか。
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