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February 12, 2007

都市とカミサマ(その5)

6.安土城

信長が早くから城下町経営で門前町に自由や自治を認めている。比叡山の焼き討ちや石山本願寺の圧殺は、敵対勢力の排除という面もあるが、同時に古代末から中世にかけてこの国の商業を牛耳ってきた仏教勢力から商業を奪い取る政治的意図を持っていた

・・西洋では、16世紀から18世紀にかけて重商主義となるが、信長は、早くも、商業の意味を知っていた。

・会合衆と呼ばれる豪商36人が連帯して都市を運営していた堺も、信長に屈し、濠を埋め、矢銭2万貫を払い、信長が派遣する代官に行政権限を譲り渡した。フィレンツェなど西欧の市民の都市は200年続いたが、堺は80年。

・・当時の重商主義(農業よりも商業振興)で神社・寺から商業を取り上げたのに当たる今日的な産業構造の変化と政策は何か。金融・情報主義(商業よりも付加価値・知財:金融も知財の一つ:知財主義か)で日本から金融・頭脳を取り上げたアメリカだろうか。今日最も金を生む産業は何で、その産業はもともとは誰が支配していて、どうやったらそれを自家薬籠のものとすることができるか・・という視点。文化は歌垣で生まれ、神社・寺がその創造の場であったのを文科省が取り上げた?

7.東京の鎮守の森

・鎮守の森、祭りを通して町内会の結束が図られる。消防隊、防衛隊。

・寒冷期にはマンモス→温暖化で森・豊かな食料・人が暮らせる→祖先は、森を保護した。極端な牧畜や農業で森を伐採しなかった。島国だから文明が入らなかったのではなく、交易しており、情報は入ってきたが、それを採用しなかった。弥生人が入ってきて、農耕を始めたが、山を崩すと、洪水などが起こる(雷神)などして縄文人と共生を図るようになる。

・開拓が始まると、鎮守の森を作り、地域共同体で守るようになる。この惣村を中心にして、日本の社会全般に広範な自由自治の動きが出てくる。農村でも、都市でも、惣が単位。西洋がりんごの都市とすると、日本はぶどうと都市。

・明治になると、上地令によって、鎮守の森は、半分くらいの土地を政府に取り上げられた。財源のない新政府は、幕府に目をかけられた神社の土地を取り上げた。戦後は、神社はその土地を社会奉仕としていろいろなことに貸した、遊園地や消防署に。落葉が焼けない。

・・東大農場を守るのも良いが、土地の水脈などを勘案した鎮守の森を守るほうがよほど良いと思うのだが、相続税などで取られているのだろうか、あるいは、経営が苦しいからか、アパートにしている神社もある。また、落葉の掃除も大変そうだった。

鎮守の森のはずが、いつの間にか、神主の持ち物のようになってしまっている。神社を維持するのが難しいとしたら、こちらの方が問題のはずだが。宗教法人としては税金がかからないはずで、それでも氏子として認識している人々が薄れれば、「経営」は苦しいはず。寺は葬式で儲かるとしても。我々は、町のなかにある鎮守の森を公共財として使っているのだが、それに支払う(負担する)という意識はない。戦前からの土地の人は違うだろうが(地主や商店主:地域では金持ち)、戦後以降移り住んできた新住民・新々住民(新しい金持ち層も居るはず)は支える気持ちはない。そうなっていない。鎮守の森が地域の緑にとって必要であることをもっと知らせて、道路で削ったり、幼稚園経営やマンション経営で支えさせるよりも、明確に皆が負担して森を増やしたほうが良い。

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