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February 18, 2007

社会の基本単位

「なんかヘン」ということのなかに、結婚、少子化問題がある。

柳沢厚労相の失言問題にも絡んでくるのだが、この辺りを考えたい。現在、少子化が問題とされているのは、高齢化社会、人口減少社会を迎えて、日本経済を支える次世代の人口が減り続けていることへの対処をどうするかという問題である。

戦時中ではないが、生めよ増やせよと国家が干渉してきている。女性は生む機械なので、産んでくれなければ困る。皆2人は産みたいと思っている(のにできない社会体制が問題)。・・この辺りを女性議員や野党が突いている。

これらの話がなんかヘンなのは、社会構造や人々の意識が変わってきているのに、その変化を見据えようとしないで、これまでの制度をいじくろうとしていることだ。つまり、家族・結婚というものがこれまで何であったのか、それが既に如何なる理由でどう変わってきているのか、変わっている現状に合わせて法制度を変えるとしたらどのように変えなければならないか。ところで、それは、現在日本が抱えている高齢化、少子化問題をどう解決するのかしないのか。・・この辺りの議論抜きなのがどうにもヘンと思えるのだ。

この問題については、昔の職場で高齢化社会についてまとめたときにも、本来触れるべきことに触れていない気がして、高橋亀吉賞にこっそり原稿を出したのだが、この分野の専門家でもなく、当時、そうした文献も見つけられないまま感想文のような書き方をしてしまい、没になって恥ずかしいので、誰にも話していない。

ところが、社会学者などの間では、こうしたことが議論されていたようで、次のような文献があるのを知った。序章を読む限りは、私の疑問にかなりの程度答えてくれている。そこで、善積京子編『結婚とパートナー関係-問い直される夫婦』(ミネルバ書房)2000年初版、2003年2刷によって社会の基本単位について考えたい。

○社会制度としての「結婚」

・結婚とは、①社会的に承認された持続的な性的結合、②儀式などの公的な披露で結合が始まる、③配偶者同士、およびその子どもとの間の一定の権利と義務の取り決め。

・母子関係は、出産により自然的なものだが、父子関係は、文化的なもの。人類の歴史は、社会学的父を結婚制度を通して定めてきた。その必要性は、①子どもの監督・養育のため、②嫡出制の創設を父系制や私有財産の形成と結びつける、③嫡出制の目的は子どもの社会的位座を定めて社会を組織化するなどの説がある。

・結婚制度のゆらぎの第一は、結婚で得られるメリットよりもデメリットが大きく感じ、シングルを選ぶ人が増えた。西洋では、宗教的なものから民事的なものへ、二つの家族の協定から個人の自由意志に基づく契約へ。日本でも、共同体主義的結婚→家族主義的結婚→個人主義的結婚へ。しかし、恋愛感情だけでなく、相手の経済力や社会的地位を勘案した結婚戦略の要素もある。

・マルクス主義的フェミニズムでは、家父長制(男性が女性を支配)と資本制が結びついた近代の結婚制度が女性に対する抑圧装置として存在することを明らかにした。男は仕事、女は家事・育児という性別役割分業体制を土台にしている。資本制のもとで、男性は、社会的生産で搾取され、女性は家庭で労働力を再生産することで陰で資本を支えるという形で搾取される。女性は労働市場に参入しても、家事・育児が女性の天職という性別役割分業体制のため、「二流の労働者」として扱われる。→産業化の進展は女性の教育機会の拡大や女性労働者の需要を拡大し、先進諸国では、キャリアを求める女性が増大→性別役割分業に基づく相補型結婚から夫婦がそれぞれ経済的自活と身辺自立の能力を持つことを前提にした自立型結婚へ。

・ゆらぎの第二は、法律婚と同棲の差異が縮まり、法的に結婚登録する有効性の低下。①離婚率が上昇し、法律婚が夫婦関係の永続性を保証するものではなくなった、②社会保障や税金や遺産相続などで法律婚夫婦だけでなく同棲カップルにも部分的に認められるようになり、両者の差異が縮まった。(スウェーデンでは最も進んでいる)

・ゆらぎの第三は、結婚によらない父子関係の確定がDNA鑑定などで簡単になった。第四は、異性愛強制の結婚制度が批判され、ゲイ・レズビアンのカップルから法律婚と同等の法的保障が要求されるようになった。

○日本では、性別役割に基づく、法律婚家族が社会の単位として尊重され、嫡出制の規範が維持され、非法律婚の親や婚外子に対する社会的・法律的差別が存在する。若い世代でも、嫡出制の規範を強く内面化し、子どもが欲しい場合に結婚するという行動がみられる。少子化は、既婚カップルの子どもの減少ではなく、晩婚化による影響が強いと分析されている。若いうちは、デメリットの多い結婚はしない、子どもを産めるぎりぎりになって結婚するという構造になっている。

・欧米では、皆婚社会の崩壊という結婚制度の量的なゆらぎだけでなく、結婚制度の存在意義の低下という質的なゆらぎが見られる。多様なライフスタイルの存在を前提として制度を整えることにより、社会秩序が維持され、むしろ結婚制度の機能が補完されている。

・同棲を法的に保護することは、結婚制度を質量両面からゆさぶるが同棲法やパートナーシップ法の制定は、これらを法律の枠内に組み込み、そこから生じるトラブルを回避させ、社会的秩序を安定化させている。法律婚を越えた父子関係の確定制度や養育責任の追求制度は、結婚制度の本質的機能を代替している。多様な関係を社会的にも法律的にも承認しし、多様なライフスタイルの存在を前提として、親子関係を確定し、子どもの養育を支援していく制度を創設していくことが重要である。

・・以上は、本からの抽出だが、私がなんとなくヘンと思っていたことをきちんと整理してくれている。

結婚という言葉の持つデメリットなイメージ(特に女性にとって)=相手方の家族の嫁になる・自らの価値観やライフスタイルの修正を迫られる・親戚等々の面倒なしがらみが増えるというイメージと主婦としての責任・家事や育児を果たすというイメージが嫌われている。したがって、同棲が法的に認められ、その関係から産まれた子どもが社会的に認知され、育て上げられれば、もっと子どもは産まれるように思われる。

しかし、一方で、同棲という言葉の持つ、責任のない気楽さ、いつでも解消できる気楽さが同棲のポイントであるとすると、子どもを育て上げるという大変なことを同棲のままするだろうかという気もする。子どもは欲しいが男女ともに無責任であり、最後まで育て上げる費用等の負担を受け持つだろうか。この覚悟がないと、子どもは産まないかもしれない。また、子どもを同棲のまま産んで、親などの手伝いが無い場合、女性は仕事を休むか、辞めないまでも仕事が制限されるなかで、そこまで責任を取れる覚悟ができるだろうか。

家事は機械化、サービス化でだいぶ楽になったけれども、子育ては、保育園があるからと言って大変であり、手を抜けない仕事である。子どもが産まれてしまえば、子育てに巻き込まれながらも責任と覚悟を持つようになるだろうが、産むかどうかは問題かもしれない。

また、一方で、私の年代の子供が親の介護で仕事を制限せざるをえなくなっている。介護保険制度はあるが、ある時間、あることだけ頼むことはできても、いつ意識を失うかもしれない場合に、家族以外に面倒をみれる環境はない。結婚や同棲が一時的なものであり、パートナーが流動するのが当たり前の時代になった場合、子どもを20歳になるまで親は養育するとしても、その後独立した子どもは、親を見れるのだろうか。産んだ親、母親か父親のパートナーとしての擬似親、それが繰り返された場合の擬似親だらけのような場合。

つまり、これまでは、家族を単位とし、個人の意思で結婚したとは言いながら、最後は、子どもが親を見るというのが暗黙の了解であったのだが(突然降ってくる災難かもしれないにせよ)、これが無くなった場合に社会が負担するというのでは、余りにもコストがかかりすぎるのではないか。

仮に同棲を認め、それによって子どもが今より産まれるようになったとして、マクロ経済的には、子どもが増えるので、親の世代を賄う人口が増えることにはなるのだけれど、実態ベースで見た場合、子どもが親を見るというブラックボックスのなかの費用が外部化されると大変なことになるのではないか。

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