« なんかヘン | Main | なんかヘン(その3) »

February 16, 2007

なんかヘン(その2)

○「勝ち組・負け組」

橋本さんは、この言葉が出てきた背景を問題にしていて、「勝ち組・負け組」は、当人が思うのではなく、外側の人が思うのだと書いています。しかし、一度、この言葉が表に出ると、それが人々を縛り、当人も、自分は勝ち組だ、あるいは負け組だと思い、焦ってしまうのではないかと思います。

先日の不幸な殺人事件は、勝ち組になりたい夫婦の悲劇で、マスコミでは、勝ち組の夫婦という表現をしていますが、当人たちは、実際には、負け組であることを知っていて、なんとか、勝ち組とみられ続けたいということに疲れ果てた結果の悲劇なのだと思います。

「市場原理は嘘かもしれない」のですが、現実市場原理である以上、そこで年収1000万円以上、年収1億円以上という稼ぎの水準(あるいは使えるお金の水準)によって、やはり勝ち組かどうかが決まってしまうのではないでしょうか。竹中平蔵や石原都知事は、自分も勝ち組だと思っているのでは。稼げるお金の高や使えるお金の高、石原さんなどは、使えるお金の高が多いということすら気付いていないほどの勝ち組なのではないでしょうか。

稼ぐには、有名になること、偉くなること(政治家)、グローバルスタンダードの競争で打ち勝つこと、悪いことをすること・・などなどの方法があり、多くの人は、そうなれないけど、そういう人たち=勝ち組をうらやましいと思っている。逆にだからねたみも出てくる。賢い人は、アメリカの大学を出て金融業界で稼ぐ、それほどでもないと思う人は、今日では漫才を目指す。最近では、名前を売ってマスコミに出て、大学教授になって、政府要人になるというのも勝ち組のルートになっている。

本当は、もっといろいろ稼ぐ方法はあると思いますが、勝ち組になるためのいくつかの登山ルートがあって、勝ち組になりたい人は、その登山ルートを目指し、登山に参加できない人は、自らを勝つ道具を持たないという意味で負け組だと思っているのではないでしょうか。

橋本さんは、経済というのは、お金で換算されるものだけではないことや、循環することだと整理していて、「勝ち組・負け組」という稼ぎの一面でしか判断しないことや二分法の残酷さを指摘しています。私も、「勝ち組・負け組」、つまり稼ぎの過多のみで人を判断するのは一面的過ぎて嫌ですが、当面の勝負のルールがあって、その勝負はオープンで誰でも参加できるし、勝つための道具を手に入れることもオープンなのだから、その競争に乗って、勝つための努力をする人は、やはり偉いと思います。競争に乗って敗れた人と、競争はしんどいので最初から脱落している人とがいるわけで、前者は、負け組、後者は、脱落者。勝ち組がステーキを食べて、負け組は、ハンバーグを食べて、脱落者は、コンビニで余った弁当を分けてもらう。

ルールが現在は、「市場原理」であるけれど、別のルールの時代もあったわけで、ルールを変えられるならともかく、変えられないのであれば、3者が出てきてもしょうがないのではないか。むしろ、ルールがオープンで、勝つための道具を手に入れることもオープンであるなら、問題は無いのではないか。脱落者が吟遊詩人で、それが人々の心を和ませ、別の価値観で受け入れられるならそれでも良い。

ルールが戦争になって、戦略を立てられる人、乱世でぼろもうけする人、銃を撃つのが上手な人などが勝ち組になる場合もある。それよりは、「市場原理」のほうがまだ良いのかもしれない。

|

« なんかヘン | Main | なんかヘン(その3) »

Comments

The comments to this entry are closed.