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February 26, 2007

言葉遣い

「明治維新は何故起こったか」を知りたくてネット検索をする。

○開国は分かる

○幕藩体制の何が限界であったのか(官僚主義の弊害か、米を軸とした財政の破綻か、職業固定化の破綻か、藩制度の破綻か、移動しずらいことの不味さか、社会制度体制の不十分さか、産業革命への遅れか)

○開国・列強から守るために日本を一つにする必要があるとして、何故幕府ではダメだったのか(公武合体ではダメだったのか)

○安政の大獄がいけなかったのか

○当時脱藩が多いように思うのだが、それだけ幕藩体制にほころびがあったのか

○薩長というが、藩ではなく下級武士?

○戊辰戦争、西南戦争の意味はなにか

○不平等条約のなかみ

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吉田松陰がヒットしたので、読み始めた。気になったことについてメモをします。

1.吉田松陰も小国日本がいかに生きるべきかを考えていたようだ。彼は、日本を「道義国家、平和国家」にすることを構想していたという。

そこにのみ、帝国主義に狂奔する西洋諸国の中で、小国日本の生きうる道がある-西洋諸国を批判する視点が可能であると考えたという。それが、幕藩体制の日本を変革するだけでなく、世界各国をも変革する道であると考えた。

軍備なくとも仁政があれば大丈夫である。仁政の国を攻めてくるような国の支配者は、その国に仁政をしいていないから、必ず、国内は動揺しよう」
その間、つとめて、その国の忠臣、義士を刺激して、彼らにその国を正させるように働きかける

アメリカに与えられた憲法であるとして、平和憲法を変えようとする今、ここをもう一度考えたい。・・・仁政だけで国を守れるか?下段は、軍備ではないがある意味、スパイ活動や潜伏しての情動活動などよりしたたかな国際政治(他国への見えない干渉)への考え方がある(孫文を日本の有志がかくまうなど・・)。文化安全保障(ファンを増やす)、多層な人的信頼関係構築など

2.潤色沿革

松蔭は、山鹿流兵学師範の家を継いだが、わが国は長いこと戦争をしていないので、昔の経験を学んでおり、西洋との戦いにあたっては、相手の兵法を学ぶだけでは負けてしまう、日本の伝統を活かしながら必要に応じて相手の良いところを学ぶというようなことを言っている。

その中で出てきたことばが「潤色沿革」である。

潤色:表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくすること

沿革:「沿」は前に因って変わらない、「革」は旧を改め新しくする意味とのこと。沿革というと今日では、会社の歴史など平面的に思っていたが、考えれば、会社が今日ある歴史というのは、変わらないことと改めることを進めてきたからである。

3.用→形→法→理 理→法→形→用

「およそ物には、用があって、形を有する。形が有るから、法が有る。法が有るから理がある。理とは、古今東西にわたって、変わらないものである。だから、理によく通じれば、理から法を生じ、法によって形を生じ、形によって用を生じる」と書かれている。

法:現象や事象などがそれに従って生起し、進展するきまり

理:物事の筋道・条理・道理

法というと今日では、法律をすぐに思い浮かべるが、法律は形であって、用のために作られるが、これが理にかなっているとは限らない。

法はもう少し本質的なルール、ソフト。

世の中の現実を本質的なこと「理」で再考する必要がある。

4.中国の七兵書である孫子、呉子、司馬法、尉繚子、三略、六韜、李衛公問対から、日本の武田信玄、上杉謙信などにいたるまで広く学ばせる。

私も兵書を読んでみようか。孫子は読んだけれど身につかなかったが。

5.長州は、教育に熱心で、師範の階級を上げ、養子縁組も含め、優れた人材を登用した。また、農民なども袴さえつければ、参加でき、奨学金もあった。

吉田松陰は、長州の藩校である明倫館の考え方とも対立し、沿革のうち、人の道は変わらないが世の中の仕組みは変えるという明倫館の考え方もぬるいと感じるようになる。人も変えないと世の中も変わらないと思い始める。

松蔭は、読書家で勉強はするが、ただの勉強ではダメで、産学平行と考え、役に立つことを重視した。そして、学ぶには、志が大切で、それがないと途中でぶれてしまうと言っている。列強が水際まで来ているなかで、この国をどうしなければならないか、ということが彼の学問・思想・教育の元であった。

最初は、藩を変え、幕府建て直しでと考えており、天皇・公家の意思決定のできなさではダメであると考えていたが、次第に倒幕になっていく。不平等な条約を結んで平気でいたり、今やらなければならないことに迅速に取り組まない幕府に苛立ちを募らせる。

6.松蔭は、「君子が下役にいて、小人が上役にいるために、民を恵むという美声ばかりで、決して、民に実恵のおよばない今の政治」「役人はやたらに多いために、手当ては沢山いる。むだな社交も盛んである。ことに無用の武士、無用の僧、無用の工商が多すぎる」と言っている。・・これは現在にも当てはまる。

藩も幕府(国家)のことは議論から外されていた(江戸時代)らしい。これって今の地方自治体と同じか。

今日の官僚や議員にも言えることだ。

もっとも、民主主義になった(主権在民)のに、任せっぱなしで政治を考えない我々も無責任である。

7.松蔭は、当初は軍事力などで西洋が怖かったが、「それらの国々が貧院、施薬院、託児所、聾唖院とあらゆる施設を設けて、どんな人たちに対しても、最低の生活と治療を保障しようとしている」という優れた社会制度を知ったとき、松陰は新たな恐怖感につつまれた。

西洋には農業の学校や鉱山の学校があることを知り、富国強兵という前に農業等を研究し、高度化し、国を富ませなければダメであるとしている。松蔭は「攘夷」で知られるが、貿易の有効性を理解していた。

軍事費用にお金をかけて民が貧しくなることはよくないとして、平和国家を考えるようになる。

吉田松陰は30歳で死刑になる。私の半分の歳だ。黒船が来たとき、幕藩体制が崩壊する時代と現在は似ているような気がする。私は、彼ほど強烈には生きられないけれど、彼のような視線で今を考えたい。

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