国を守る3 徴兵制と日米同盟
国を守る・・愛する人や国土を守らなければならない場合、誰しも身体を張って戦うことには納得するだろう。
しかし、武士という職業軍人が出てきたように、それを家業とする、あるいはそれをプロとして仕事を請け負う人がいて、彼らに委託するということも歴史的には一般的なことである。
政治も国民主権で国民による政治もあるが、一握りの政治家という家業、あるいはプロが政治を行い、国民は、それに委託することも可能である。委託も現在のように国民が選んで委託する場合ではなく、税金を払うだけで生活の安全を守ってもらうというような委託もある。
国を守るために、職業軍人である自衛隊(自衛隊が軍隊かどうかは別として)に税金を払うこと、さらに言えば、米軍に便宜を払って守ってもらうことは、国として別におかしなことではない。
問題は、徴兵制度を敷くかどうかである。愛する人を守りたいとは思っても、自分が死ぬのは嫌なのは誰しも普通のことだ。平等に徴兵制度に順じなければならないとなると逃げれば卑怯者となる。
それでも、まだ守る人が本当に直接的に愛する人であるなら、臆病者でも身体を張るかもしれない。
しかし、愛する人ではなく、国を守るとなった場合、さらには、国の大儀のために他国を守るとなった場合(米国のように民主主義を守る、世界の警察である・・)、さらには、国の利益のために他国を侵略するとなった場合、身体を張ることに気持ちがついていかないのが庶民感情である。
国の形が整った1890年代以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦へと戦争が続く。当時は、世界の列強が帝国主義をむき出しにしてあちこちで戦い続けており、合従連衡しているなか、遅れて近代化に邁進している日本としてもこの土俵に乗らざるを得なかったのであろうが・・。
・・GNPに占める軍事費用の比率や徴兵によるものがどれくらいだったのかの推移なども含め、きちんと抑えないと分からないが。日本は、これらの戦争に参戦しないで近代化を乗り切れたのか、悪いといわれる第二次世界大戦を辞めることが出来たのかどうか。軍部だけの問題なのか、政治の問題なのかをもっとチェックしなければならない。
普通選挙獲得運動、官憲の弾圧、満州事変、国家総動員法成立・・そして敗戦。
日本の国民は、敗戦なのだけれども、焼け野原のなかで真っ青な青空を見て、戦争が終結したことを心から喜んだ。
戦前からの教育効果もあって、天皇に対する崇拝の心を持ち続けている人は多いものの、敗戦と同時に自害した人もいるだろうが、多くの国民は、もう戦争はこりごりだと命の尊さを実感し、お国のために(天皇のために)死ぬのは嫌だと思ったはずである。
この気持ちが非常に強かったため、新しい憲法第九条は、国民の多くに支持されたと思われる。憲法発布は1947年5月。
朝鮮戦争勃発により、アメリカは、日本に再軍備を求める「逆コース」がはじまった。
WIKIPEDIAによる逆コースの歴史の一部;
吉田茂は、1951年(署名)サンフランシスコ平和条約(第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結。この条約によって正式に、連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した。)を締結・同時に(旧)日米安保条約を結ぶにあたって、再軍備は、国内世論からムリであるとして、苦肉の策で自衛隊(警察予備隊)を設けたという(先日のNHK「その時歴史は動いた」による)。
以下は、WIKIPEDIAによる自衛隊の歴史;
1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織された。さらに1952年に海上警備隊が海上保安庁に組織され、同年8月1日に警察予備隊(10月15日に保安隊に改組)と海上警備隊(8月1日に警備隊に改組)を管理運営する総理府外局として保安庁が設置された。そして1954年7月1日防衛庁設置法と「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、これらをもとに自衛隊(防衛庁)が成立した。
その後、岸信介は、憲法を改正して軍隊を持つ自立化を目指したが、国内世論に負けて、憲法改正ができず、次の手として日米安保条約を締結する。
以下は、安倍晋三『美しい国へ』から;
吉田茂が締結した(旧)日米安保条約は、アメリカが日本を守るとはっきりした防衛義務を定めた条項がなかった。事前協議の約束もなく、アメリカは自由に日本に基地をつくれることになっていた。日本に内乱が起きた時には、米軍が出動できることになっていた。アメリカ人が日本で犯罪を犯しても、日本には裁判権がなかった。条約の期限は無期限であった。
サンフランシスコ講和条約では「自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」と日本の努力目標が明記されているが、実際には、自衛隊は、外国からの侵略など有事の際に対処するのは米国で、自衛隊は、国内の治安維持に当るという役割しか与えられていなかった。
ドイツは戦争に負けたが、1955年主権回復と同時に国防軍を創設し、NATOに加盟した。憲法を改正し、徴兵制の採用や非常事態に対処するための法整備を実施している。・・ドイツに徴兵制があるのは、職業軍人による暴走を防ぐため、軍隊を「制服を着た市民」からなるものにしておく。
60年の安保改定は、片務的な条約を対等に近い条約にし(占領軍から同盟軍に)、独立国家の要件を満たす。日米関係を強化しながら、日本の自立を実現した。・・自国の安全のための最大限の自助努力+核抑止力や極東安全を考えるなら米国との同盟は不可欠である(米国の国際社会への影響力、経済力、最強の軍事力)。
日本の自衛隊は専守防衛を基本としている(交戦権がない)。日本が攻められても、攻撃にはいけない。また、米軍基地が攻撃されても、集団的自衛権は認められていないので自衛隊は米軍を守れない。一方、米軍は日本が攻撃されたら集団的自衛権で守ってくれる。・・米国の市民の賛成が得られればの話。
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勉強用メモ書きを兼ねているので論旨の見えない書き方になってしまった。
1.第二次大戦後(敗戦後)日本の国民は戦争はもうこりごりであると心から思った。だから押し付けであれ、憲法第九条は多くの国民から心から支持された。
2.冷戦構造下で、共産主義のとりでとして日本も軍備を持つようにと米国(戦勝国)の態度が180度変わった。
しかし、国民は、軍隊を持つことへのアレルギーが強かった。
米国との圧力と国民の思いとの折衷案で自衛隊が作られた。
3.憲法九条を変更せず、解釈で自衛隊を作くるとともに、日米安保条約によりアメリカが日本を守る形になった。
4.丸腰の日本に軍事力で攻めてくる国などあるだろうか・・という思いがあったものの、拉致問題のように、あるいは北朝鮮のミサイルのように、国家主権を侵される事件が起きている。
5.日米同盟はあるものの、アメリカにとって極東のなかで、日本が攻められても、防衛する気持ちがどこまであるものかは分からない。
今、アメリカが日米同盟をやっているのは、日本を守るためではなく、世界の警察と自負しているアメリカにとって、日本が地勢上重要なだけ。
日米同盟が重要で(守ってもらう)、同じ自由と民主主義を重んじる国々の仲間のなかで、応分の役割を担わないと一人前と見なされない、信頼関係を築けない・・だから同じように身体を張るために軍隊を持つ必要がある・・という意見がある。
独立国家であり、平和(自由と民主主義)を自ら守るのは、当然であるという論調。
6.非武装中立を維持するなら、それに変わりうるくらいの諜報網と政治力(知恵:権謀術数)が必要である。
7.冷戦下では、アメリカの傘は重要であった。また、世界の警察としてアメリカの役割は大きかった。
しかしながら、冷戦が終了し、世界が多極化し、国と国の戦争ではなく、宗教戦争、民族戦争など、誰が正しいのか分からないような報復の連鎖のような時代に、アメリカのような単純の理想主義的(ある意味子供のように純粋)な国家が警察の役割を担いきれるのだろうか。
ドンキホーテの国と同盟関係を結んでいると、いつ何時、とばっちりを受けないとも限らない。
イラク戦争の折、アメリカが参戦したから日本も同盟国として参戦するのであれば、アメリカが宣戦布告することを議論する場に参加できる必要がある。アメリカ一国が思い込み(あるいは誰かの思惑)で戦争を始め、単に同盟国だから貢献しなければ村八分ということで闇雲に協力するのあ馬鹿としかいいようがない。
イラク侵攻を認めるのであれば、それ相応の独自情報網を持ち、判断できるだけの日本の情報力(インテリジェンス)が不可欠である。
独自の判断でアメリカに意見する、あるいは、協力する場合でも条件を付けるなどの主体性が必要である。
8.憲法第九条を改正し、軍隊を持ち、交戦権を持ち、国を守るうえでの不備を整備することも重要だが、その前に独自の情報力(諸外国に信頼できる友人を持つ政治家、諜報部員を重層的に持つこと)が不可欠である。また、政治力・交渉力も必要だ。
9.徴兵制は、ドイツのような意味合いもあるだろうが、イギリスの軍隊のアウトソーシング企業のように、傭兵をやとうのも一つである。
10.北朝鮮のようなテロ国家から国を守ることはもちろん重要だし、今後、中国やアメリカが敵にならないとも限らない。国内でオウムのようなテロ組織が生まれることもある。つまり、限りなくリスクはあるのだが、一方で、戦争に訴えるのではない、平和をもたらす第二、第三の方法を創造することも重要である。
政治力、文化力、経済力・・・歴史に学ぶ、新しい環境に対応したイノベーションである。
11.冷戦が終了した今日における国家リスクを整理しなおす必要があるのではないか。テロ(本当のテロと民族自立、宗教戦争もある:やっている人にとっての大儀)、地球環境、資源もそうだが、国と国の戦いではない、別の機軸で世界を整理しなおす必要がある。・・その場合、武器(解決の方策・ツール)は何か。つまり、安泰な日本を守るにあたって、脅威とは何かを整理する。
気がつかないので脇の甘いところを思いもかけず突かれるということはある。・・歴史に学ぶなのかも。大局観。
12.戦国時代に、秀吉が諜報を強化したこと、仲間の外だけでなく、仲間内についても諜報を強化した。それと抜け道づくりなど、山民を使った。現在は、国と国との名を名乗りあう戦いではない。したがって、諜報が大事。敵は身内にあるかもしれないということ。
つまり、冷戦後と前でパラダイムが変化した。変化したパラダイムに対応できる国を守るツール、理論が出来ていない。
13.日本は、ずっと憲法九条にこだわってきたが、非武装中立を求めた米国が冷戦下、朝鮮戦争によって日本に軍備を迫ったように、軍備を整備しようと思い始めた日本だが、環境が変化し、もう違うことをしなければならないのかもしれない。米国も気付いていないので、日本に求めていないもの。
14.金融戦争を仕掛けられて、日本は敗戦した。ゴアの地球環境問題の提示は、もしかすると次の仕掛けかもしれない。載せられるとまた敗戦する可能性がある。冷静に見極めて次の手をこちらから仕掛けるか、地球環境問題に載せられた振りをして、損をしないことを考える。たとえば、地球環境問題だと騒いで、エタノール燃料化して食物価格が高騰して、輸入国である日本が困るなど。騒ぐ必要はないとして、別のこと(水素エンジン)をやる必要があるなど。
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