DHBRの最初の記事は、フロリダと編集者の対談である。気をつける必要があるのは、DHBRが日本における問題意識として、今回フロリダを取り上げたことだ。高齢化を迎えるので労働力不足なので、女性、高齢者、若者、外国人などの異質の力を活用する必要が欠かせないと書かれているのは、編集者の意見である。
私は野中先生たちが言う「知識経済」は、イノベーションなどをイメージしており、フロリダの言うクリエーティブ経済と同じように思っていたが、彼は、知識経済についての物足りなさを感じており、彼の学生もそう感じており、クリエーティブということろに気がついたという。フロリダやこの学生は、知識経済を大学で身につける知識を活かした経済というように捉えているらしい。・・ここは知識経済をもう一度チェックする必要がある。
フロリダは、クリエーティブクラスをコンピュータ科学者、エンジニア、ビジネス・プロフェッショナル、アナリスト、アーティスト、エンタテイナーなど文化創造に携わっている人を指している。クリエーティブクラスは二つに分かれるとして、一つは「スーパークリエーティブコア」で、理工系の研究者、開発者や芸術家、デザイナー、エンタテイナーなどで、労働力人口の10~12%を占める。これにドラッカーや大前研一が言うところの「知識に基づく専門家」を加えている。この比率が、先進国でも発展途上国でも、労働力人口の30%を占める(北欧では40%)。
クリエーティブという切り口せ統計を整理しなおし、創造性の重要性を説くのは良い。なかでも、ブッシュ政権が創造力ある異端を排除する政策を採っていることが、国の将来の資源を流出させていることに気付かないことを指摘するのも納得。
フロリダがこの発想に行き着いたのは、若い頃にトヨタ生産方式の「カイゼン」を知り、日本の製造業現場労働者が発揮するクリエイティビティが新しい人材管理モデルの可能性をフロリダに予感させたという。
私は、フロリダは、上記コアを対象にしているのかと思ったが、現場のカイゼンをも含めているという。この二つはもしかすると違うものなのに、一緒にしているので無理があるようにも思う(要チェック)。
彼は、労働統計の職業分類で農業が低下、コアが延びている、労働者が停滞、クラスが伸びているなどと示している。
しかしながら、日本では、農業は製造業の現場と同じく、日々カイゼンであり、クリエーティブである。職人も。アメリカのこれまでの労働形態が二極化して考えていたために、フロリダがそう考えるのはしかたがないとして。
彼は、カイゼンのような現場の知識はアウトソーシングできいないとしている。にもかかわらず、すでに日本の自動車産業は部品まで遡ると派遣労働者が担うようになってしまっている!
カイゼンのような人材を育成するには、教育現場でも基礎勉強として詰め込み、繰り返しは重要だが、応用として、問題発見型の教育、心を無にして現場から考える、工夫する教育が必要である→私の新職人。しかし、こういう人材はユビキタス(あちこちにある)である。
クリエイティブ・クラスは特定地域に集積するとしている。シカゴ大学教授ロバート・ルーカス「経済発展のメカニズムについて」で述べている。都市に人的資本が集まれば集まるほど、集積した人的資本が都市の成長を高め、生産性を増加させる。集中それ自体が外部効果としてプラスに作用する。新たな人的資本を惹き付ける。←結果を述べているが、何故、どのように創造性のある人が集積すると相乗効果を生むのかのメカニズムは述べられていない。
大都市に集中するのは、フロリダがコアと呼ぶ人々。彼は、クリエーティブとイノベーションを一緒にしている。全者が発散型であり後者は収斂型であり、後者は、あるいみ現実の解決を目指すのでユビキタスである。イノベーションは問題を解決するので、回りからヘンな目で見られる度合いが低い。クリエーティブは、問題解決ではないから(後からみると時代の問題解決であっても、その時代の人には見えない)、異端と見られる。異端と見られるからトレランスが必要となる。都市には、いろいろな価値観の人が数%は居るので、評価される可能性があるのか、少なくとも、そこに居ることが可能(村から追放にはならない。あるいは、最低限の生活が可能:コンビニがある、安い賃貸があるなど)。
消費地に評価される鰹節を作りたいと励む(味のクリエーティブ)ことと、優れた料理を実現したいという消費地の料理人との流通と情報のパイプ(仕掛け)。料理人は物理的な理由で消費地におり、鰹節職人は物理的な理由で産地にいるとしても、そこに評価格付けの仕組みとそれが全国に知れ渡る仕組みさえあれば集積している必要はない。
一方で、演劇のように、作ることと評価されることが同じ空間で消費される必要がある場合、(料理もそうだが)、立地が消費地になる。
演劇も料理も観客との切磋琢磨があり、同業者との切磋琢磨があることがレベルアップには必要で、これが都市ということになる。創作活動は内面だが、競争は相手が必要、競争の結果が出るのは、観客の評価である。SASは、観客が世界中だが、評価されるので田舎にオフィスがあっても可能。(日本の田舎の刷毛屋)
ここで評価というのは、結果として創作者の内面的満足度。
フリードマンがグローバリゼーションでアウトソーシングが生じ、世界はフラット化するといったことは半分しか正しくない。CCが集中する都市は、世界に20数都市ある。半分はアメリカ、残りは世界中。日本は東京と大阪で二つというよりつながって一つ(メガ地域)。ソウル、香港。
ここで3つのTが出てきて、トレランスが必要不可欠という。開放性、多様性、寛容性。異質な人を受け入れる(出発点)、包容力がある。差異を受入、生産的に吸収する。これは経済成長に不可欠なことである。移民、ゲイ、ボヘミアン、人種間融和などへの寛容性を持つ地域と高度な経済成長をしている地域との間に強い相関関係がある。CCな人々は自己表現をしたいと思っている。自分自身のアイデンティティを作りたい。そういう人が集まる場所には、ゲイやアーティストも集まる。
東京は、寛容な町だから創造性を発揮できるのか、東京にしか職がないので(共同体から追放・開放されたくて)、皆が東京に流れてきて、いろいろな人が集まり、結果として寛容に見えるのではないのか。寛容と成長性が相関しているといっても、成長しているから異端もいるのかもしれない。結果をつなげただけで、何故、異端がいると創造的で経済成長するのかは分析していない(異端をやることへの参入障壁が低いことはある)。
札幌に漫画家が多いのは、ひそかにやっていたから可能であった。表立つと、共同体文化(つぶす文化)によってやられてしまうのではないか。
シリコンバレーも寛容である。起業家というのは、他者に同調しない人たち、こういう地域では、才能の参入障壁が低い。世界中から人が集まれる。
都市の人的資源のストックよりも、フローが重要。誰が入ってくるか出て行くか。アメリカでは、年間4000万人が移動する、若い人が中心。教育レベルもたかい。彼らを惹き付ける地域が勝者となる。経済的に活気があること、素晴らしい大学があること。
都市の政策として、クリエーティビティを全面に打ち出すなら、異端を受け入れる胆が必要。このことは、犯罪が増える可能性もある。クリエーティブは現状の破壊から始まるのだから。しかし、フロリダは、おそらく、住みやすい町で才能を開花させるという出来上がったエリートが美しい環境で心穏やかに暮らせることを夢見ている(住む場所によって、良い伴侶や資産価値があがる・・)。一方で富良野塾や河瀬直美の奈良がある。富良野や奈良が異端を認めたら、どうなるのか、地価が上がったらどうなるのか。
アトリエの点在し、優れた大学のある風光明媚な町。必要に応じて都市に出かける。・・これは、確立した才能の場合で、余生を過ごすなら分かる。リナックスの開発者がフィンランドに居て、ネットで皆が参加するなかでよいソフトが作られる。ネットのなかで評価される。札幌の漫画家は、漫画の世界のなかで評価される。地域の社会とは、日常生活だけでの係わり。逆に言えば、これは、大都市に集中ではないかもしれない。住みやすい町に住むとうことと、クリエーティブな刺激のようなものを外部経済として必要としていない。時折、大都市にある機能を借りるだけで足りる。
グローバルクリエーティブインデックスでは、日本は二位だが、これはミシガン大学教授ロナルド・イングルハートによる「ワールド・バリュー・サーベイ」によっている。日本は、自己表現への価値のスコアは高くないが、非宗教的なスコアがとても高い。日本に足りないのはオープンさ。
中国やインドの都市はパワフルだが、当面先進国の都市と比べ物にならない。日本が話題にならなくなったのは、日本の技術的な優位性が当たり前のことになったからかもしれないし、途上国の成長が注目されるようになったからかもしれない。
クリエイティブ経済は、地域格差と経済格差をもたらす。東京とNYは、似たような都市になった。どこにでもスターバックスがある。居心地よく過ごせる。しかし、中心から外れたところに行くとどの国でも居心地が悪い。メガ地域が他の地域からどんどん離れていっている(裕福な地域)とそうでない地域。世界的な現象。裕福な層の世界観と貧しい層の世界観とが非常に異なってきている。クリエイティブなスキルがあれば、世界中のさまざまな人とコミュニケーションができ、世界とつながれるが、スキルがないと取り残されて、世界とは切り離され、民族的なアイデンティティが同じ人たちと一緒にいるだけになってしまう。世界とつながっているクリエイティブ・クラスとローカルな人とのアンバランスがはっきりしてきていて政治的な反動を引き起こしている。
同じような顔をした町からは、真の創造性は生まれないのではないのか。河瀬直美が奈良にこだわるように、根っこがあって、創造性が産まれるのかもしれない。クリエーティブにとってのアイデンティティ。
彼は、金融ディーラーや弁護士などのビジネス専門家もクリエイティブクラスに含めており、これはグローバル経済化による世界都市化を示しているだけなのではないのか。スタバは、その象徴である。この暮らしが心地良いという人と創造性とは異なるのではないのか。
グローバリゼーションのプロセスに二つの側面があることと関係している。低いスキルの労働が分散している(世界はフラット)、一方で高いスキルのクリエイティブな労働は、集中していてこれが経済格差を作っている。
札幌のスキルが低いのは、グローバル化のなかでの下請け先が国外から海外に行ってしまったから。何故、地方は下請けなのか。それは、消費者とつながっていないから。通信の仕組みを開発しても、札幌ドコモは販売だけの機能なので、結果として、本社に持っていかなければならない。ところが、開発は、日々くるくると変化・進歩しているので、時間距離として乗り遅れてしまう。まだぼうっとした開発初期段階での日々のコミュニケーションの輪に入れない、人的ネットワークもないから。これは、演劇と同じくらい同じ空間に顧客と作り手がいなければならないから。
鰹節の場合には、味の変化のサイクルがゆったりしていたので、都市と離れていても可能であったのかも。だから、地方が高度な創造性を発揮するには、評価のサイクルがゆったりしたもの、観客(ユーザ)と直接つながれる仕組みを構築できる分野などに絞る必要がある。一度後者が構築されれば、田舎でも開発の最初の段階に入ることも可能。
札幌が本当に創造都市になるなら、異端を受け入れ、すすき野化すること、競争すること。あるいは、出来上がった人がゆったりと創造活動をできるよう、すみよい町にすること。住みよい町というと、競争のない町になる(社会主義福祉主義)。これを創造性のある人は喜ぶのだろうか。日常生活しか接点がなければ喜ぶかもしれない。
創造に刺激を求めるなら、魅力的な人がいつも来る町にしなければならない。その場合、町も、常に工夫が絶えない、活力ある町である必要があるのではないか。働いたり、工夫をしたら、それが認められ(評価され)、町が常に変化しているようなまち。変化というのは、ビルがどんどん建つという意味ではなく、路地裏の店が入れ替わるといった意味(敗者が退去する町・生活保護を受けてひそかに暮らすというのは良しとして)。競争メカニズムが働く町という意味。
これは産業革命でも起きたこと。グローバリズムによるのではなく、経済構造が大変化するときに必然的に生じるメカニズム。産業革命において生じた経済格差を真の社会変革として完成させたのはニュー・ディール政策。これによって膨大な数の未熟練で低賃金なブルーカラーの仕事を家族を養えるような仕事に変えることに成功し、それを足がかりに社会階層を上昇していくことができるようになった。資本と労働の分配率を政治的に変更するのではなく、生産性を向上させ、その向上分のうちより多くを労働者階級に配分することで実現した。
経済が発展したので、失業が減り(仕事が増え)、労働者の生活水準も向上した。クリエーティブ経済化が成長を促すので、それを通して労働者の生活水準が高まるというのは面白い。クリエーティブ経済(トヨタもあれば、絵画や演劇、漫画→自動車、TVアニメ、絵画などが成長を促す(単なるモノよりも心を揺さぶる)と考える(経済を捉え直すのは賛成)。
フロリダが言いたいことは、トヨタが現場労働者の能力を開発していったように、社会全体がこれをしなければならないこと。クリエイティブな能力は労働力の3割でしかないが、これを5割、9割にしていくこと。SASが好例。共同経営者のジム・グッドナイトは、30年間、人々の知性を引き出すこと、誰もがイノベーションを起こしうることを信じて現在まで同社を率いてきた。しかし、彼はトヨタを知らない。こうした同じようなことがいろいろなところで起こるはず。
この対談を読む限り、フロリダは、産業革命の時と同様、現在クリエイティブ経済革命?の最初であり、それが9割になる時代にすべきとして「社会契約」を箇条書きしている。つまりクリエーティブ経済への移行をスムーズにするのは国(地域)の政策であると考えているようだ。
誰にでも創造性があること、SASやトヨタを目指すなら、9割になるだろう。しかし、1割のコア人材は流動するがSASやトヨタは企業の人材は企業と密接にならざるをえないのではないのか。1割のコア人材が大都市に集まり、互いに刺激しあって創造性を発揮しあうということと、9割の人々が創造性を発揮するということとは支援する内容が違うのではないか。
フロリダは、クリエーティブな人が金持ちになっていると言っている。これはグローバル経済での金持ちを指している。創造性では、人の生涯でもアップダウンがあるし、多くの脱落者がいるはず。トヨタのカイゼンで皆の生活が豊かになるという話と、芸術家や研究者が成功する話とは異なる。芸術家が皆金持ちになったりしない。リスクの多い人生というのがクリエーティブ経済のはず。しかし、リスクを内面的評価のためにあえて選ぶというのがクリエーティブクラス。そういう人が牽引する時代というのは分かる。つまり、ベンチャーと同じく、1000に3つの世界ということ。1000に997は、大志を抱いて我慢するか、やぶれっかぶれになる。残りの人は、カイゼン型。
クリエイティブ経済の時代はそう遠くない将来やってくる。産業革命で言えば、ヘンリー・フォードが出てきた段階だろう。国々がバラバラに動くのではなく、国際的な枠組みでニュー・ディールのような政治的なイニシアティブに取り組むことにより、世界全体により広範囲に包括的にクリエイティブ経済を築くようにしなければならない。世界中の市長や州知事はこれに関心を寄せているが国レベルはまだまだ。大前は、クリエイティブ経済は、国よりも地域が重要であるとしている。
佐々木先生たちの創造都市は、東京やNYなどの世界都市よりも、むしろグローバル化のなかで苦しんでいるものの、文化的に創造力のある中都市の生き方を示そうとしている。フロリダが20数都市といっていることと異なるのではないのか。
これからの都市に必要な変革については、「クリエイティブ・コンパクト」という文書にしてHPに公開している。相談が来るが私には具体的計画を示すことはできない。変化は内側から、そこに住んでいる人から起こらないといけない。以下、クリエイティブ・コンパクト(1930年代から50年代にかけて、工業化経済における真の繁栄に導いた数々の偉大な社会契約になぞらえて、クリエイティブ経済に必要な社会契約として提案)。
原則1:すべての人間はクリエイティブである。
2:あらゆる面で起業家精神を促す。
3.イノベーションを広げる。
4.クリエイティビティは、社会の課題である。
5.教育をクリエイティビティを育む教育に作り変える。
6.大学をクリエイティブティのハブとする。
7.あらゆるコミュニティをクリエイティブにする。
8.地方の時代を実現する。
9.開放性と多様性を再確認する。
10.グローバルに取り組む。
企業の時代は終焉を迎えた。一生を会社のために働く人が減り、自分の仕事にやりがいを感じたいと思っている。給与の高さではなく、仕事が面白いと思わせなければならない。チャレンジでなければならない。尊敬できる人と一緒の仕事でなければならない。9時ー5時ではなく、自分の都合に合わせて働きたい。どこでもすきなところで働くことができる環境になりつつある。大きなオフィスビルのイメージではなくなるだろう。
内面的な満足度で働く人は、確かに企業のために人生を賭けたりしないだろう。しかし、SASの例で述べているように、企業で本当に働いてもらうには10年いて欲しいので、企業が定着してもらうよう努力するというのは分かる。そうなったら、その結果は、企業に長い期間雇用される人々になるはずだ。日本人が仕事人間なのは、会社のためもあるが、仕事に対しての内面的面白さがあったからだ!
ところで、現在、私は、まさに、自分の生活が中心で、ボランティアで仕事をしているようなもので、非常に快適だ。しかし、これは、年金などがあるからだ。やりたくないことはやらない、自分のやりたいことだけやる。これが人間的だと思う。おそらく、こうした生活が今後のクリエイティブ経済なのではないか。
と考えると、客員教授だらけの日本は(団塊世代をはじめとする高齢者)、先進的かもしれない。年金がなくても、こういう生活を送れるようにするための社会的な仕掛けを考えるのも一つだ。
企業は、世界中のさまざまな場所で一時的な雇用形態の労働者に働いてもらうようになる。アメリカでは、オフィスビルを必要としなくなっている(売りに出され、マンションに)。家で働くのではなく、部分的にオフィスになっているコミュニティの施設が新しい仕事場になる。人々は住みたいところに住む。ヘッジ・ファンドのマネージャーは、皆家で仕事をしているので、毎日朝食を取りに行くレストランが会議の場になっている。グーグルの開発者用のNYのオフィス(新しいコンセプト:好きな時間に自由に出入りができる。一時間いて自宅に戻り、犬の散歩をしたり・・)。
クリエイティブな人々は、心をつかむと驚異的に能力を発揮する。管理のやり方が根本的に変わる。企業で働く人々はボランティアのような扱われ方をしたいと思う人々になる。
GMの車を人々が買わないのは、それがブルーカラーの車だという連想が働くから。トヨタのハイブリッドのレクサスはCCの車。品質ではなく、ブランドに共感している。
クリエイティブ経済の鍵は、自己表現を一人ひとりにさせること。(スウエーデンも日本と同様集団志向の国なので、出る杭は打たれる・・が)。今書いているのは、「住む場所の選択が人生でもっとも重要な決断となる理由」。住む場所として選ぶ都市がそれらに(望ましい生活)かなり影響を与えるということはまだ良く知られていない。
世界はフラットではなく、凸凹しているので、住む場所は重要。住む場所によって仕事は違うし、収入にも影響するし、不動産を持てば資産にも影響する。
金沢21世紀美術館の初代館長は、起業家精神に富んだ人で、美術館をエンタと捉えて成功した。企画は商品であると捉えた。設備投資を上回る売上を初年度から上げた。こうした美術館が地域にあることは、その地域の子供たちに創造性を植え付けるだろう。しかし、彼は3年ほどでまた別の地域に行ってしまったという。・・これは、確かにフロリダの言うように、創造性ある人は世界中を移動してしまう。創造性ある人は、私が言う見える競争など関係ないのだろうか、自分なりにキャリアをつみ、ノウハウを得て、活躍の場をえられれば、どこにでも飛んでいってしまう。
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