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June 30, 2007

交付税財源

交付税財源は、国税のうち、所得税、法人税、酒税、消費税、たばこ税の一定割合を指す。この割合は、地方交付税法で定められている(交付税率:法定税率、法定繰入率)。この金額は、一旦、地方交付税および譲与金・配布金特別会計(交付税特会)に自動的に繰入られる。

2006年度には;
・所得税 32%
・酒税  32%
・法人税  34.8%
・消費税  29.5%
・たばこ税  24%

○地方の財源不足への対応(これまで取られてきた対応)
 ①特例的な地方債の発行
 ②交付税特会の借り入れ
による交付税の増額によって補われてきた。

○当初は、②で、その後、80年代後半から90年頃まで、景気拡大による税収増により一旦解消、バブル崩壊後税収減で国と地方団体による①にシフト。

②は、当初は、国庫整理基金から、その後は市中銀行から。国と地方とで折半して返済予定。「隠れ借金」との批判。
・01年からは、国からは一般会計からの加算(国債発行の拡大)、地方分については、各地方団体の「臨時財政対策債」という地方債の発行によって賄うこととされている。
・この地方債の償還については、将来の地方交付税によって保障されることになっており、地方税からの償還が明確にはなっていない。

06年度の予算;
 ・所得税など法定5税に交付税率をかけた12.5兆円
 ・国が1.2兆円を加算して13.8兆円が交付税財源として交付税特会に繰入られる。
 ・これに恒久的減税分として交付税特会の借り入れが1.2兆円加算されて15.9兆円が地方税制計画の交付税
 ・地方の側で(交付税が配分される代わりに)2.9兆円の地方債が発行され、合計18.8兆円が従来の地方交付税に相当するものとなっている。

現在では、地方交付税の不足分が、国の一般会計での借入、交付税特会での借入れ、地方債の発行を組み合わせて埋められており、分かりにくいものとなっている。
 

  

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地方財政の仕組み

所得税→市民税・都民税に移動とのこと。また、ふるさと納税が話題になっている。

分かっているようで分かっていなかったので、地方税を少々勉強することに。

林宏昭著『分権社会の地方財政』中央経済社を読むことにします。

1.地方の仕事(支出)
(1)補助事業:国からの補助金(国庫支出金)を受けて実施する事業
  ・義務教育、生活保護、児童保育など
(2)単独事業
  ・警察、消防、高等学校など

(1)補助事業
  ・事業量とともに、国からの補助金総額が決定される(a)
  ・(a)で足りない部分は、地方税で賄う(b)
(2)単独事業
  ・地方自治体が独自に課税を行って運営する。地方税で賄う(c)

(b)と(c)は、基本的に地方税で賄う。

地方の財政が(a)(b)(c)だけで構成されていれば簡単だが、実際には、そうなっていない。その理由は;
  ●全ての地方自治体が基本的には、全国一律の行政サービス維持が求められる。
  ●地方税を中心とする自主財源には、地域ごとに大きな格差が存在する。

1  2

2.地方交付税
・国庫補助金と地方税では、国が「標準」と設定する行政水準の財源調達ができない地方団体に不足分として補填される。

・単に税収不足を補うとすると、地方団体は、歳出を増やし、減税を実施するなどして交付税を増やそうとしがち。→整合性を取る為の工夫がなされている。

・補助事業に関しては、所轄官庁が各地方団体の支出額と補助金額を決定する。(b')
・単独事業に関しては、標準的な団体の標準的な行政という概念を用いて財政需要額を算出する。(c')
・(b+b')+(c+c')=基準財政需要額

3.地方税制度
・交付税を交付されている団体で税率を下げれば交付税が増加したのでは、各団体はこぞって税率を下げることが予想される。→地方税法では、原則的に全国で共通した課税ベース(課税標準)が定められ、標準税率が設定されている。

・この状況では、地方交付税が不交付で済む団体であっても、国が標準的と判断したもの以外の事業は実施することができない。(財政力が行政水準に反映されない)
・地方団体が活性化などの方策によって、地方税の課税ベースを拡大し、税収を増やしたとしても、それと同額の交付税が減額される。(税収拡大のインセンティブを阻害する)

→このため、現行の地方交付税制度では、標準的な地方税収入が100増加すれば、地方交付税が75だけ減少するように仕組まれている。

○国が定める標準的な行政を展開するのに必要な地方税(基準財政需要額)-標準的な税率に基づく地方税収×75%=地方交付税交付額 

○各地方団体は、地方税収の25%(留保財源)を用いて、国が標準と定める行政以外の事業、あるいは標準と定める水準以上の行政を展開することができる。
・活性化策などによって税源を拡大し、税収が増加すれば、その25%分は、標準的な範囲を超える行政に充てることができる。

・東京都の銀行税は、標準税収入に
・交付税の枠外に置かれる部分を留保財源
・地方が標準的な税率を超えて課税する超過課税→交付税算定枠外
・地方税法に定められていない地方独自の課税(法定外課税)→交付税算定枠外

○約3000の団体のうち、不交付団体は、都道府県では東京都のみ。市町村で100団体強。

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June 27, 2007

主権在民とムラ

江戸時代においては、将軍を承認する天皇が居て、将軍が居て、それぞれ藩主がいた。藩主は、幕府によって、取り潰しも、配置換えも行われ、藩主はいわば、中央から派遣された知事みたいなものであったが、基本的には、その地域の殖産振興や土地改良なども行った。

藩主は、ルールなどは作ったし、藩内の動向に目を配ったが、それぞれのムラムラ(商業も含む)に任せ、ムラの名主などが全体を管理していた。ムラの掟や取り決めは、皆で話し合うなどして、自治的に進めていたはず。

明治になって、君主制となり、中央集権的になり、廃藩置県が行われ、より政府が全体のルールを決めるようになるが、おそらく、ムラムラのことは、ムラで決めていたのではないか。当時の産業構造は、第一次産業の比率が高いだろうし、製造業も地場産業であったろうから、地域に根ざしており、家も大家族でこれが経済単位であったから、地域にも家にも、人々は属しており、それぞれの規範は、それぞれの単位(ムラとイエ)ごとにあったろうと思われる。

村八分に代表されるように、生活共同体であるムラから脱することは、生活できなかった。嫌でも、生きるために、人々はムラに、イエに縛られてきた。

ところが、戦後、日本国憲法が作られ、主権在民となり、三権分立(立法、司法、行政)という形はできたが、与えられてしまった権利であり、実のところ、国民は、主権があると身体でわかっていないのではないだろうか。

確かに選挙はあるが、自民党長期政権が続いており、そこから総裁が出るので、立法と行政が一体化しているように見えるし、国会では、強行採決(数の論理)で進み、議論はしているのだろうが、それが最高決定機関のように見えない。また、多くの法律案は、官僚が作成している。

経済分野であれば、経済産業省が監督している業界団体の振興に役立つように立案し、大臣が誰であろうがだいたいそれが通り、それが国会で通る。政界・財界・官界がだいたいのことを決めて行く。ここに政治資金の問題もあれば、天下り問題もあれば・・という具合だ。

長い間こうだったから、国民の多くは、そんなもんだろうと思っており、何か意見を通したければ、官に取り入るという方法を採ってきた。あるいは、地元議員に陳情してきた。議員は、選挙で勝つために、地元に資金が流れるよう誘導してきた。

一方、ついこの間までは、労働組合が強かったから、弱者である労働者の声は、労働組合を通して野党へ、労働組合と最終的に妥協する財界・官庁との間で根回しが行われてきた。

要は、国民が代議士や政府に委託しているはずなのだけれど、その間には、脈のようなものがあって(人脈、地縁など)、そういうなかで物事が決まって来るのが政治というものだと思っていた。

だから、それに組していない人々、普通の一人ひとりは、どのように政治に参加したらよいのか本当のところわかっていない。労働組合に入るか、産業人として政治献金するか、自治体を動かして代議士に働きかけるか。

ところが、戦後の産業構造の変化は、こうした組する人々を減らしてきた。

かつては、第一次産業や商業、二次産業も地場産業であれば、地域に根ざしていたのだが、二次産業、三次産業も大企業の時代となり、地域から離れてサラリーマンとなった。高度経済成長期には、田舎から都会に仕事を求めて人々が移動し、大企業のサラリーマンとなった。さらに、コンビニができ、惣菜ができ、サービス化でイエや家庭が必要なくなった。

人々は、より良い生活を求め、田舎の掟やしがらみを嫌って、都会に流れてきた。高度経済成長期には、都会には、仕事がたくさんあった。それでも、最初の頃は、製造業であり、組合が力を持っていたし、企業は共同体であったから、生活をよりよくするための仕組みは、労働組合を通して、あるいは会社を通して実現され、そこでは利害が一致していた。

ところが、だんだんサービス経済化し、製造業の仕事の中もホワイトカラー化し、組合が一致団結というようにならなくなってきた。

商業や農業を親から学ぶのではなく、大学で学んで、より良い仕事を求めるようになった。手を汚さずに、高い給与がもらえる、嫁姑の闘いもない。

フラグメンテーション化した人々は、政治においても、自分を代弁する人が誰なのかが分からない。結局、ムードや有名人に流れる衆愚政治化している。橋本治が言うように、地方が中央を養うのではなく、中央が地方を養うようになったので、政治は、地方を切り捨てにかかっており、このフラグメンテーション化した人々(無党派層)を対象に政治を行うことになる。

戦後、医療も介護も年金も、もともとは、ムラなどの共同体やイエがやっていたことを国が引き受け、フラグメンテーション化した人々を守る?という形となった。教育も、ムラやイエから離れて、国が引き受けるようになった。リスクや面倒なことは、全て国に委託した。

それでも、高度経済成長期には、企業というムラが教育を実施し、福祉なども面倒をみていた(年金、第二の就職先斡旋など)し、イエにも、教育の要素があった。が、グローバル化のなかで企業はそうしたことが重荷となり、株主にも非難され、教育や福祉を外部化していった。親は企業に吸い取られ、家庭での教育も消えた。親も倫理観、他人への配慮などのない、ジコチュー化。

個人的にも、労働組合はダサイなどと思って、イエから逃げ出したように、組合からも逃げてきた。会社の忘年会、旅行なども嫌がってきた。そして、バラバラに浮揚している。

フラグメンテーション化した人々を衆愚政治ではなく、主権を持つ人々として、政治に参加させる仕組み。あるいは、こうした人々が教育、医療、福祉を自分達のこととしてどう組み立て、政策に反映させていくのか。本来の民主主義をどう組み立て、自分達のものにしていくのか。

「清き一票」をどう投じてよいのか分からない。

今の一票の投じ方は、世論調査と同じ程度であって、自民党の政策に愛想をつかすと野党の票が少し増える、マスコミ的に人気だと票がぶれるといった程度である。自分達の生活や信条と一票がどう結びつくかが分かりにくい。

主権を持つ私たちは、もっと身近に政治に直接参加できる仕組みが必要であろう。

NPOが出来、寄付と減税など世の中を変えて行く仕組みに少しでも個人の意思を反映させる仕組みが多様にできれば、もう少し変わってくるだろう。

少なくとも、地方自治については、我々は、直接参加していくべきなのだろう。

もう、大きな政府に痒いところに手が届くことまで任せるのは、ムリだ。昔のムラとは異なるだろうし、会社や労働組合ではないにしても、フラグメンテーションでは社会を変えることはできないし、派遣ではないが、誰にも相談できず、本来得てしかるべき権利も得られない状況になっている。

新しい形の「ムラ:利益共同体:生活共同体」が必要だが、それをどう組み立てるかは、これからの課題だ。

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祭りの荒らし

今年は、祭りの荒らしがあちこちで起こっている。法政で田川さんの秋田の祭りの話を聞いたこともあり、気になる。

祭りは、もともとは、疫病退治や豊作祈願や豊作祝いやら何かしら意味があって始まっているが、農耕のリズムのなかで、歌垣などに代表される隣村などとの男女の出会いや、若者のエネルギー発散の場でもあった。

しかし、喧嘩や共同体崩壊につながらないよう、神様を祭ることにし、ムラごとに祭りのルールを決めていた。若者達が自分達で自治を学ぶことや、代々のルールを伝えていくという生活の知恵・知恵を学ぶ場所でもあった。

ところが、共同体が崩壊し、祭りを守り、維持している側も、祭りが目的となっており、みこしの担ぎ手がいなければ、他地域から応援を頼むようなところがあったり、観光と結びつけて見世物化してしまっている。

荒らしが起こるのは、余所者を入れてしまった主催者側にも問題がある。担ぎ手として、あるいは観光客として。本来は、それぞれの共同体を維持するためのムラの祭りであったはずなのに。

荒らしのような若者のエネルギーを発散させる場所を持たない社会が悪いとも言える。本当は、各コミュニティがそうした役割を持つべきだが、すでに、生活の必要性からの共同体は農村とその後の会社を含め、消えてしまっている。そうだとしたら、フラグメンタルな若者のエネルギーを吐き出す国家政策が必要だ。吉宗の花見のように無礼講の場所と時が必要だ。

祭りの主催者の方は、全国から来る荒らしに対しては、閉ざすことも一つの方策だ。祭りを観光にせずに、ひそやかにやる。

あるいは、近隣からの荒らしであるなら、こうした若者を祭りの本来のルールのなかに取り込んでしまう仕組みを考える必要がある。氏子にまでしないにしても、ある修行の過程を作って、ルールを学ばせる。

こうした若者は、枠に飢えているようなところがある。だから組に入ったりする。最近は、組に入るほど根性はないかもしれないが。だから上手に組み込めばよいやつになる可能性はある。若衆の自治組織に任せて、こうしたフラグメンタルな若者を更正させる仕組みを作り出すことはできないものか。

もっとも、最近の若者は、一人でゲームに興じる系であり、同じムラのなかでも、コミュニケーション能力がないのだから、なかなかそれも難しいかもしれないが。

一雅らの、江別の飲み仲間のような、彼ら同志のなかでの親分肌や交渉係りなどの分担が自然にでき、同志の言うことなら互いに聞く、別のグループの交渉なども彼らのなかでやれる・・というようなものを、ただの飲み仲間ではなく、祭りというようなことに結び付けられるとよいのだが。

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人口問題

少子化が問題になっており、このままでは、日本の人口は、減少し、2005年に1億2777万人であったのが2055年には8993万人と4000万人ほど減少することになる。

また、年齢3区分では、15歳未満が(1759万人)13.8%→(752万人)8.4%に、15歳から64歳までが66.1%→51.1%に、65歳以上が(2576万人)20.2%→(3646万人)40.5%になると推計されている。

この前提として、出生率が1.26から途中上下するが1.26へ、平均寿命が男78.53歳→83.67歳に、女85.49歳→90.34歳としている、ざっと5歳延びる(全て中位)。

ところで、医療から予防へという方向転換が進められており、再生医療も部分的に始まるであろうから、高齢者も亡くならなくなる可能性が高い。

推計でも、死亡率が低位(長生きする)ケースと高位の場合を推計している。低位は、男性84.93歳、女性91.51歳なので、1歳強長生きするだけで、64歳以上人口は、中位の3646万人から3810万人へと164万人増える計算となっている。

きちんとした計算は私にはできないが、これが1年強でなく、5歳ほど延びたら(男性89歳、女性95歳)、820万人増えることになる(単純に5倍)。そうなると、総人口は9813万人、64歳以上は47%となる。

現在、90歳以上が108万人いる。100歳以上が2万9000人。

なお、現在、一年間に産まれてくる子供は106万人、死亡数は108万人。

64歳以上が5割を超え、おそらく85歳以上がかなりの比率の社会が確実に来る。この未曾有の社会をどう描くのだろう。私が85歳、母が118歳の世界は、かなり現実のものだ。この15年を私はどう生きるのか。生まれた赤ん坊が中学を卒業するまでの時間だ。あるいは、小学校から大学までの時間だ。

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こうした将来図のなかで、都心だけでなく、我が田無でも、マンションが建ち、土地の高層利用が進んでいる。

消防車が通れないほどの木造密集地域は確かに危険かもしれないが、高層ビル、高層マンション化が本当に正しい方向だろうか。土地の有効利用というけれど、人口が3000万から4000万人減少し、高齢者比率が5割となる社会に向けては、時代錯誤のように思える。

住宅が過剰でも、確かに良い物件に人は流れるので、古い物件が取り壊される方向であろうし、オフィスビルも新しいものへの移動が起こるのだろう。これは新陳代謝という意味では納得できることだが、それが高層だろうか。

大量生産工場が日本から消え、ネットが利用しやすくなって在宅が増え、個人の生活にあわせた仕事方法が一般的になるとすると、職住近接になるかも。その場合、都心のビルだろうか。それとも、都心が職住近接型のコンパクトシティ化するのだろうか。

24時間煌々と電気がともるオフィスビル(グローバルな企業間競争)は、一部あるとして。

それとも、日本では、やはり、待合による打ち合わせ、接待は無くならないし、大都市の喧騒は必要なので、都心は都心なのだろうか。

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June 26, 2007

派遣の仕事

製造業の現場で、派遣労働が問題になっている。

トヨタや松下、キャノンなどの日本を代表する製造メーカーの工場、あるいは部品工場で、違法な派遣が利用されている。

浜松でオートバイの部品に15歳の日系ブラジル人の子供が使われており、書類偽造しているらしい。

現場のカイゼン力が日本の製品の競争力を支えているはずなのに、コスト削減を迫られるグローバル競争のなかで、背に腹はかえられなかったのだろうか。

フロリダが創造時代の労働と絶賛している日本の製造業の現場がである!

考える労働者が消えたら、次の時代は無いはずなのに、である。

クロネコの事件では、派遣社員がアルバイト社員に刺された。

一方で30代正社員のうつ病が問題となっている。

日本の労働の現場を考え直す必要がありそうだ。

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食肉偽装

北海道の食肉業者が偽装していることが問題になっている。

偽装は法律違反だが、誰もそれで食あたりや死んでいなければ問題ないじゃないかという気もする。

問題は、加工品が売られるようになったこと、生産と食卓までの間が非常に迂回し、顔が見えなくなっていることだ。

つまり、半加工品や加工品は、主婦にとっては便利だし、外食産業などにとっても便利だし、安さを追求すれば、海外からの輸入になるだろうし、私たちが口にするものがものすごく遠いところから、いろいろな人の手を経てやってくることになってしまった。

肉の判断を消費者が目で見て、触ってできなくなり、また、町の肉やならば、ヘンな肉を売ったら評判が落ちるので、信頼関係を築こうとするはずなのに、それがなくなり、表示でしか信頼できなくなった。それを国などの第三者が監視し、チェックするしか方法がなくなった。それでも、人々に倫理があるうちは、たくさんの検査を必要としなくても、守られたのだが、今では、厳しい監督が必要になっている。

食肉加工業者しかり、遊園地しかり、温泉しかりで、担い手に職業倫理観とプロ意識がない。法律できちんとルールを作り、守っているかを監視し、罰することでしか進めなくなっている。

日本は、これまで人口の割に警察官も弁護士も少なくて済んでいた。これは、職業倫理観に委ねていたからだ。

昔の職人は、自分ともう一人カミサマが居ることを前提に仕事をしていた。神棚もあった。カミサマに恥じない仕事をするというのは前提だった。

多文化と付き合わなければならない(グローバル化で中国の農薬を基準以上に使った材料を使うなど)、日本人でも倫理観とプロ意識がない(儲けることのみ)、消費者にも生活者としてのプロ意識がない。

ルールを見直す、管理をしっかりする・・なども当面必要だが、職業倫理観(カミサマが見ている)やプロ意識をどうするかも考えなければならないのでは。

消費者も、プロの目を持つ、忙しさにかまけない・・う~ん、これも難しい。

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June 25, 2007

地域政策を考える

また、横道に逸れるが、地域政策を考えるための問いを見つけたので、メモっておく。まだ答えは出ていない。

1.「ふるさと」を良くしたいと思うのは人情である。

しかし、生まれた土地、あるいはしばらく住んだ土地をふるさとと思うにあたって、経済的主体を考えると、農家、漁家、商店主、工場主ということになる。最近では、商店主も、住んでいるところと店は別の場所ということも増えているが。

サラリーマンは、住んでいても、通っている先は都心であって、彼らが働いても、事業税は都心に落ちる(所得税のみ)。

ところが、上記4つの事業者は、ふるさとでは、暮らしにくくなっている。グローバル化しかり、大資本によるショッピングセンターなどによって、地元での商売は閉ざすことになる。息子は、サラリーマンになり、都会や世界で活躍することになる。

地域政策を考えると、生産者として地域にいる事業者としては、自治体職員、病院、介護事業者、時には運輸事業者、学校。

アメリカでは、すでに始まっているように、セールスマンなどを個人事業者にして、本社と契約し、ネットを使って管理するようにする。在宅勤務ではなく、在宅事業者にする。セブンイレブンは、コンサル会社であって、FCのオーナーは、個人事業者である・・というように、セントラルと分散化が上手く機能するようにしては、どうか。

2.田無の青梅街道沿いが歯抜けに。

いよいよマスダが閉店するようだ。青梅街道の宿場町として栄えたエリアは、西武鉄道の駅周辺の商業集積や役場の移転によって、すっかり客が回っていかなくなった。

子供の頃には、まだ馬車が越え桶などを引いて歩いていた青梅街道は、狭いので、歩道が狭いし、車が多いので、怖くて、なかなか渡れない。街道を挟んで向かい合わせの商店街が一体化できない。埃もすごいから、商店は、ガラス戸を閉めており、そのガラスも汚れているから、店が開いていると思えないほどだ。

数年の間に、歯抜けになっているので、全部歯が抜けるのも時間の問題だ。もう、跡継ぎもいないし、もともと地の人なので、資産はあるだろうから、きっとマンションにでもなるのだろう。現在の経営者達が立ち上がる気配はない。市は、この街道筋をどうしようと考えているのだろうか。

3.朝のNHKニュース番組でローカル鉄道の廃止を取り上げている。

JRが撤退したものの、弱者のためにと地方自治体がお金を出すなどして存続させてきたローカル鉄道が、財政悪化などもあり、高齢化・過疎化もあり、廃止が増えているという。バスに変更しているが、これも便数が少ないし、赤字らしい。鉄道よりも、時間がかかるので、年寄りには堪える。

一方で、乗客を増やそうと、スクールバスを廃止して、鉄道に切り替えてもらおうとの計画を出した町では、親が危険であるとして(家まで子供が歩く)反対された。もちろん、その背景には、自家用車の普及もある。問題は、交通弱者についてだ。

この問題は、どう考えたらよいのだろうか。

あと、20年もすれば、現在住んでいる高齢者は、亡くなるか、施設に入れられるので、過疎地におけるこの問題はなくなるであろうから、放っておくのも一つの回答だ。

ダム湖に集落が沈没したように、そろそろ集落の統合を考えなければならないのかもしれない。ふるさとがなくなる、あるいは、森林などの管理(水にもつながる)をどうするといった問題は残る。

人口が減少し、江戸時代に向かって行くなかで、ムリをして集落を残す必要は無いのかもしれない。昔から、遺跡があるように、集落はなくなってきたのだから。

どこかの町では、鉄道線路と道路を両方使えるバスを開発して、運行しはじめた。鉄道の場合、線路の維持管理など、車を運行する以外の保全作業に大きな費用と労力がかかる。

民営化による効率化を進めてくることが是であったが、それがある程度適った後には、ふたたび国営(税金で賄う)ことも必要とすべきなのだろうか。

NPOやボランティアでやれるところやるにしても。

今日のNHKでは、ローカル鉄道・バス廃止後の対応で成功している事例を二つあげていた。

1.米原市の「まいちゃん号」

これは、路線バスに変わるものとして、予約制でタクシーを利用するもの。

住民と協議をし、買い物と病院に行く平日の交通弱者対応としている。停留所なども住民の希望で設定し、路線と運行時間はおよそ決めてあるが、予約(30分前)がなければ運行しない。タクシーに相乗りで、人数が多い場合には、2台出す。市が補助金を出している。

放送では、別のエリアは、最初のところが300円なのだが、別のエリアに導入する場合駅から遠いので600円にせざるをえない、それを住民と協議しているところが出ていた。

米原駅や彦根ホテル(地域の拠点)までまいちゃん号を走らせ、そこから路線バスや鉄道がある場合、あるいはタクシーを利用してもらう共存共栄を図る方式。

2.四日市のNPOによるバス運営(生活バスよっかいち)

路線バスが廃止されるのを受けて、市民の討議のなかからNPO法人が誕生、買い物、病院という平日日常のニーズをかなえるために、病院、郵便局、スーパー、福祉施設が運営するパン工房などを結んで運行している。これにより、従来の4倍の利用客となったとのこと。

100円で利用できる。市のほか、病院やスーパーなどから協賛金を得ている。スーパーや病院などは、このバスの運行によって顧客が来て買い物をしてくれるので協賛の意味がある。このバスの協賛方式を考えたのは、スーパーが無料の送迎バスを運行しているのに気付いた人が、それならと発案したことにあるらしい。

なるほど、知恵を出せば、いろいろやりようがあるものだ。

この2ケースの場合、それでも、ある程度人口が集積しているように思える(要チェック)。山ひだに別々に散在する集落がある本当の過疎地とは、別けて考える必要があるのだろうが。

今日のNHKでは、富山市におけるLRT(ライトレール)と地域の公共交通ビジョンについて触れており、「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」が出来たとのことであった。

富山ライトレールは、JR線が廃止になるのに対し導入されたもので、単に廃止か存続かではなく、地域の公共交通のあり方を検討して導入されたとのこと。富山市では、車無しでは生活できないが、公共交通機関を充実することで、暮らしやすい町にすることを目指すことにした。

この市内の公共交通機関充実計画については、森富山市長がリーダーシップを発揮しているらしい。この案自体を最初に提案したのは、萩浦地区自治振興会長も務める亀谷義光氏とのことで、彼の講演を聞いて、市長がその気になり、早速知事に話をつけ、推進したのだという。2003年春構想を出し、2006年春からスタート。

JRの線路を使うが、高齢者が利用しやすいように、最寄の駅までの距離を狭めるために駅数を増やし、乗り降りの際の段差をなくした。また、アンケートを取ってみると、これまでのJRでは、本数が少ないというのが不満とのことで、便数を増やした。

この結果、JR時代よりも、利用客が3倍となって初年度から黒字、なかでも高齢者は5倍となったとのこと。番組では、75歳の男性が、使い易いので、運転免許を返納したのことであった。

将来的には、市内の路面電車を環状化してつなげ、ライトレールを走らせ、さらに線を延ばして、郊外にある二本の私鉄と連結する予定とのこと。

あるホームページでは、欧米のようなコンパクトシティ化への試みであると評価している。これによると、富山市の場合、郊外にイオンなど巨大な商業施設が出来ているわけではないが、中心市街地が衰退しているらしい。市が計画している中心市街地の環状線化などが、できる前に、中心市街地はもっと衰退してしまうのかもしれない。足ができ、中心地がもくろみ通りに活性化するかどうか、これは要観察だ。

なお、富山ライトレールでは、ICカードを使っており、「信用」乗車となっている。

、「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」については、知らなかったのだが、平成19年2月に閣議決定予定となっている。

地域が計画を策定して、LRTなどを導入するなどしたおりに支援してくれるらしい。富山市の計画が平成15年なので、こうしたことを参考に国の施策が出来たのだろう。施策が出来たことは、地域にとって有難いであろうが、地域の発想でやらずに、また右に倣えでやらなければ損というようにぶったくりしないように願いたいものだ。

なお、コミュニティバスや乗合タクシー等の普及促進やNPO法人等による自家用自動車の有償運送については、昨年10月に施行された改正道路運送法により措置されていますとのことである。

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June 23, 2007

クリエイティブ・シティ

原田泉編著『クリエイティブ・シティ-新コンテンツ産業の創出』NTT出版を読む。

まえがきには、今後が知識社会になること、そこで一歩進んでいるのがシリコンバレーでここは「市場原理」が貫徹した「勝ち組」のメッカであること、しかし、知識社会への道程はいろいろなパターンがあるのではないかと考えられると書かれている。

1.米国流の市場原理主義ともいえる効率重視の競争社会のなかから産まれる道筋

2.欧州によるセーフティネット重視からの道筋

3.日本は?

知識社会への移行の中心的産業は、創造的産業(従来のコンテンツ産業・文化産業・著作権産業、産業面での技術革新も含んだ広い産業)が担い、そして創造的産業の発展は都市が担う。・・・と書かれている。

実は、長銀調査部が華やかであった頃には、すでに、上記のような問題意識で書かれた書物が存在していた。

日下公人『新・文化産業論』東洋経済新報社と星野克美『都市型先端産業』であり、どちらも昭和53年に刊行されている。本ができる少なくとも1年ほど前には、なんらかの雑誌記事や社内レポートが書かれているはずであり、1977年頃にこうしたことが論じられていたのである。

この時期は、1973年末のオイルショックで日本経済が不況であったなか、次の発展を文化という視点で捉え、日本の文化は優れており、これをいかすべきであるとして、あるべき政策を提示していたのだ(日下「文化倍増計画」)。

この頃にも、ダニエルベルの「知識社会」が来るであろうこと、それを支えるのは、先端産業であり、それには大きく二つあって「デザイン開発集約型」の消費財メーカー、「研究開発集約型」の機器・部品メーカーが着目されており、それが消費機能や情報機能など都市固有の機能に根ざしていること、そのための都市政策が必要であることを提案している(星野)。

星野さんに同行し、当時華々しかったパルコの増田さんの話を聞きに言って、都市型先端産業(ファッション産業と商業街開発)に興味を持った。日下さんも、星野さんも、社会開発担当であり、産業論というよりも、都市開発(都市論)という観点から産業を捉えていた。これに加えて、第三次産業の担当でもあったように記憶する。したがって、第二次産業の衰退を前に、第三次産業の振興を考え、それには、文化に着目すべきだとしたのである。

星野さんの本もまだ整理されていないで、都市型のなかに、消費財と研究開発型と両方の中堅企業が入っている。このなかに、最近話題になっているコンテンツ(メディア)産業は含まれていない。

当時は、一方で、清成・中村先生たちのベンチャー産業論議も華やかな頃で、ここでも、上記の2つのタイプの産業に注目し、日本では、まだベンチャーズインフラが整っていない頃であり、中堅企業という言葉でこの両分野で成長している企業を捉えていた。

その後、一橋の関満博さんが地場産業を都市型と地方型の二つに分け、後者は、繰り返し型で量産の産業、前者は、顧客と対話するなど一品生産を含む多品種少量産業というように説明した。

私は、これ以来、都市型先端産業についてまとめたいと思いながら(二本レポートをまとめたものの)、上手に整理することができずにいる。この頃から、都市型≒「情報」産業という認識なのだが。ここで「情報」というのは、ファッション産業に代表される、時代の風を織り込んでいるとか、着るだけでなく、表現しているというような意味である。

この一つが文化総覧と格付けであったり、シリコンアレーやアニメなどの都市型集積なのだが、まだ、それが体系付けられていないのだ。

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ここで、また横に逸れるのだが、日下さんの『新・文化産業論』をパラパラみると、文化を重視した国づくりをするにあたって「中央集権的」な現状からもっと分散すべきであり、百花斉放にすべきである、地方文化を勃興させるべきと提案している。

日下さんは、「役人は馬鹿だ馬鹿だ」とけなしながら、実は役人が好きみたいで、自分が役人ならもっと凄いことをしたのにと言い、役人の世話になって(外郭団体)これまで暮らしてきたようなところがあり、どこまで本当にそう思っているのかは分からない。

しかし、「文化」といった時に、都市(都会)なのか、田舎(地方)でも良いのかということは、創造都市が議論されるなかで、本当は重要なことのように思う。

星野さんは、この文脈で言えば、「都市」だと言っている。日下さんは、田舎でも文化を起こせといっている。

ランドリーは、『創造的都市』という本の題名だが、都市=創造的といっているわけではなく、都市を創造的に皆で作っていこう!と言っている。それでも、彼は、田舎といっているのではなく、都市といっており、首都ではないが、それなりの人口集積のあるエリアをイメージしているようだ。。(ランドリーの場合、良く分からないが、EUが出来、国ではなく、都市や地域が政策の焦点になったという背景があるのかもしれない。)

一方で、フロリダは、創造的な都市として、先進国の比較的大きな都市に、創造的クラスが多い(結果として)といっている。そして、創造的都市に特徴的に見られる特徴として、3つ挙げ、なかでも寛容性(トレランス)を挙げている。ゲイなど異端がそれなりに暮らせる町ということだ。そうなると、大都市というイメージになる

しかし、フロリダは、トヨタ生産方式のように、普通の人の創造性を活かすように人材育成や組織のあり方を変えて行くことが、創造的社会にとって必要であるとしている。たとえば、トヨタが現場主義であるというようなことは、日本では、むしろ田舎だからできると考えられている。

文化というのが人々の暮らし方というように広く捉えれば、田舎であろうが都会であろうが固有の文化はある。田舎にハレとケがあって、ハレが非日常、ケが日常とすると、都会というのは、ハレが日常という意味合いがある(もちろん都会にも、繰り返し生産のようなサラリーマンのラッシュアワーやそれを可能にする鉄道輸送の正確な時間管理などがあるが)。

ハレは、祭りであり、美しい表面だけでなく、荒々しさや危険や無礼講などもある。都市にも美しい機能性のほかに、怖さ・危険さもある。都会全体が舞台というようなイメージもある。

ハレの文化もあれば、ケの文化もある。イタリアでは、列車が遅れるのはあたりまえ、ゆっくり食事をするというのも文化といえば文化である。次々に情報を消費しまくるというのは、日本の(江戸の)文化である。

文化はどれもそれぞれのものであるのだが、そこに、何故、憧れが生じるのかということろが問題(ミソ)である。綺麗なものに憧れる、怖いもの見たさ、ゾンバルトの『恋愛と資本主義』。

綺麗なものというのは、時代や文化によって異なる。平安美人と現代の美人は異なるし、アフリカの美人と西洋的美人も異なる。しかし、昔から、都の雅、田舎の鄙びというのがあるように、日々の繰り返しや泥だらけの労働ではなく、遊んで暮らす、楽しく、着飾るなどに代表される暮らしに人々は本能的に憧れるものなのだろうか。

また、優れた芸術家の作品は、エネルギーが伝播すると言われる。エネルギーのある優れた芸術品は、遊んでいる(創作に没頭できる経済的環境の)なかで生まれるのだろうか。一般の人々の魂を揺さぶるような創作というのは、常識を覆すのであり、そうした時代の変わり目(見た目には成熟期・後から見ると変わり目・非常識を受け入れる背景)に生まれるものなのだろうか。

都の文化が雅で洗練されているように思えたのは、何故なのだろうか。都の公家たちは、暇なので、遊ぶこと(教養)が仕事であり、したがって、教養に磨きをかけることを競ったから、田舎からみれば、それが洗練されてみえたのだろうか。

一つは、外来文化(昔なら中国、今なら欧米)、もう一つは、宗教的な畏怖へのつながりだろうか。

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水平思考の練習

構想日本が毎週発信しているJIメールの時事コラムを自分なりに水平思考してみよう。

もっとも最近の№304では、「「政治とカネ」、徹底した情報公開を─現状は企業よりもはるかに遅れている─」であった。

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June 22, 2007

個人レベルの創造テクニック

翻訳では、「側面的思考」とあったのだが、一般には、「水平的思考」と言われているものだった。デ・ボノの水平的思考とシックスハットについて抜書きしておこう(これはこのURLによる)。

水平思考は、次のような効果があるとされる。
 1、「言い合い」を遠ざける
 2、異なる思考方法を分ける
 3、フォーカスするための時間を制限できる
 4、全ての局面からアプローチする
 5、衝突を解決する

その方法は、A→Bの通常のパターン化した思考方法ではなく、A→Cで、まず従来思考パターンを外し、さらにA→C→Dへと思考を新しいアイデアへ導くパターンを採用する。

別のURLには、事例として、金貸しが謝金の代りに債務者の娘を欲しいといって、袋の中に砂利の白と黒の石を入れ、最初に取り出したのが白なら帳消しに、黒なら嫁に、娘が拒否したら、父親を監獄送りにするというのが乗っていた。

娘は、金貸しが2つとも黒い石を入れたのを知ってしまう。そこで、娘は、石を取り出したとたんに砂利のなかに落とし、どちらの色だったか判別つかなくしてしまう。そして、袋のなかの石が黒なら、さっきのは白だったはずとして、無事逃れるというもの。

議論が行き詰ったときには、「ランダムワード」といって、これは先にも記述したが、関係の無い言葉からいろいろ連想して考え方を膨らませていくという方法。

シックスハットについては、次のようなメリットがあるとされている。

 1、より質の高い意思決定を行えるようにする
 2、論点を違う角度から見る
 3、破壊的行為と議論を止めさせる
 4、創造的思考の余地を与える
 5、会議の時間を75%までカットする

6つの帽子(シックスハット)は、以下のように定義づけられる。

1、ホワイトハット(白い帽子○)・・・<情報>イメージは、「コンピュータ」
  ・偏らない情報
  ・データ、事実
  ・判断、意見、仮定、提案をしない

2、レッドハット(赤い帽子)・・・<感情>イメージは、「心臓(ハート)」
  ・どのように感じるか、直感
  ・説明不要の好き嫌い
  ・正当化の必要は無い

3、イエローハット(黄色い帽子)・・・<プラス思考>イメージは、「太陽」
  ・プラス思考
  ・アイデアの利点は何か
  ・どのようにして実現できるか

4、ブラックハット(黒い帽子●)・・・<注意>イメージは、「裁判官」
  ・リスク、危険、懸念や反対
  ・何が失敗しそうか
  ・ただし、マイナスの感情はレッドハットに含まれる

5、グリーンハット(緑の帽子●)・・・<創造性>イメージは、「ジャングル(創造性豊かな環境)」
  ・新しいアイデア、新しい代替案
  ・現在の議論の枠組みを広げる
  ・どのようにしてブラックハットを乗り越えられるか

6、ブルーハット(青い帽子)・・・<思考プロセス>イメージは、「空(そら)」
  ・思考プロセスを管理する
    どこから始めるか、アジェンダは、目的は、どの帽子を使うか、サマライズはどのように、次に何をすべきか
  ・プロセスに対する提案
  ・結果をまとめる

<活用方法>
 ・ひとつひとつの帽子の討議時間を短く制約し、タイムキーパーが時間管理をする
 ・書記係を置く
 ・ひとつひとつの出されたアイデアをその場で評価しない

<活用のコツ>
 ・会議のテーマは「売上を上げる」という漠然としたものではなく、「売上を前年比5%上げる」という具体的なものの方が、会議の生産性を高める。

 ・通常は、イエロー(太陽:前向き)→ブラック(裁判官:危険・リスク)→グリーン(ジャングル:新しいアイデアでブラックを乗り越える)→ホワイト(情報:客観的データ)→レッド(感情・ハート:好き・嫌い)→ブルー(空:プロセスへの提案・どのように進めるか)の順で会議を進める。

 ・ブラックの前にイエローを使うことが有効
 ・迅速な決断を要しているときには、イエロー→ブラック→ブルーの順
 ・参加者間に葛藤がある場合には、ホワイト→グリーン→ブルーの順
 ・ブラックからスタートするのは避ける方が賢明
 ・ボスが同席しているときには、レッドから始めない方が無難
 ・会議の途中や終了間際に参加者の意欲をレッドでチエックすると良い
   <レッドハット7段階のチエック・レベル>
    1、凄い 2、好き 3、もっと情報が欲しい
    4、ちょっとわからない 5、嫌い 6、憎い

 既成の思考法のもとでの会議はホワイトから出発しがち。その次にブラック→レッドと進み、閉塞感に陥ってテーマが先送りされてしまうケースがままある。シックスハットでは、必ず次の行動へ結論づけられなければならない。

 一般的に、ブラック思考が主で「常に否定的な態度」で会議に臨む人には、イエローやグリーンに重点を置くプロセス管理が必要で、反面、イエロー思考ばかりで「常にアイデア倒れ」の人向けにはブラックに比重をかける工夫も必要とのこと。

なるほど。

シックスハットは、何か具体的な事例を考える上では役に立ちそう。

本当は「水平思考」というのをマスターしたいのだけれど、これが自然に出来るようになるには、少し修行が必要そう。

日下さんの考え方は、これっぽい。もともと世の中を斜めに見るという性格なので自然に出来ているのかもしれないが、おそらく、訓練したんだと思う。

その時々の話題を水平思考で、別の解答を出す訓練。

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創造的テクニックの適用

創造的テクニックの適用として、3つの段階があるとし、(1)個人レベル、(2)コミュニティレベル、(3)都市レベルとなっている。うち、(2)について抜書きする。

(2)コミュニティレベルのテクニック

アメリカで普及している①将来調査、②公開空間、③不動産と利害関係者の見通しといった参加型の合同ビジョン作成過程が上げられている。

ビジョンは、必ずしも正しいものである必要はなく、ネットワーキングの条件と多用な部ループが結集して相互作用が生じるための条件とを提供するのである。これによって、それまでは隠れていた新しいリーダーやプロジェクトのチャンピオンが発見される。

目標は、リーダーシップを非人間化・制度化し、リーダーのための気風を創り出すことによって、協同活動の文化を創り出すことである。

①将来調査

多様なグループの人々の間に、共有されたビジョンを立ち上げることで、行動を生み出す。

②真実の計画

そこに住む住民たちによって作られ、利用される近隣地区についての、大規模な立体的モデルを創り出す。

イラスト付きの大量の提案カードが利用でき、それは、健康、住宅、犯罪、交通、地域経済などをカバーする。

黒いカードは、人々が自分の提案を行うために利用できる。これらのカードは回収されて、モデルに適用され、事後の会合で提案が活かされる。提案カードの使用は、参加者の欲求とは無関係にアイデアが進められている可能性を意味する。

③選択手法

都市構想(ビジョン)を発展させ、行動に向けて奮い立たせることができるように、地域公共部門の大多数のメンバーを巻き込む、システム的なやり方。

チャタヌーガの「ビジョン2000」1984年に続く1993年の「リビジョン2000」の例。再構想には、1年を費やし、実行には3ケ月を要した。4つのステップからなる。

無数の会合を通じて、人々は将来の生活を改善するようなアイデアを生み出す。提出された全てのアイデアは、助言者によって指導されるビジョン・ワークショップに提供される。それから、主題に関心を持った人々によって、目標に向けて結び付けられ、寄せ集められる。そして「ビジョン・フェア」において、人々はもって興味深く、実行したいと思うアイデアに投票する。こうして選択さえたアイデアを実行するように行動グループが組織される。

④コミュニティの査定

コミュニティの、コミュニティによる、コミュニティのための調査であり、コミュニティに勧告を行うための行動リストである。

人口5000人の町で、2000以上の世帯に質問表が配布された。週末に野外集会が開催され、地域の住民によって受け止められた過去の業績を弁護し、将来の行動を概観するためにサービスの提供者たちが招待された。そして、見積もりは、鉄道の支線も含めた地域の住民によって編成される、大規模な再開発提案へと導かれた。

⑤コミュニティの尺度

地域のコミュニティにおける、尺度の開発。身体障害者のために移動が制限されている人々は、商店、銀行、教会、郵便局などを訪問し、彼らのアクセス可能性を調べた。長期的な目標は100%で、現在は49%しかアクセス可能でないことを発見し、当面60%にする目標を設定した。

⑥公開空間

無制限の数の参加者が中心となるテーマを巡って、自分自身の討議プログラムを創り出せるという民主的な枠組み。

高い活力で学んだり、行動に参加しようとする参加者を生み出す点で効率的である。

イギリス地方政府運営委員会は、環境コーディネーターのための年次フォーラムを公開フォーラムの形で開催している。講義を減らし、ネットワークづくりと、何が起きているのかについての発言の増加を求めることに対応したものである。

「21世紀のイギリスにおける、21の地域的課題の過程に基づく持続的開発の達成」という報告書がイベントの次の日にh配布された。

⑦イメージ化

将来がどのようなものでありうるかを想像し、そして創造するための基盤として過去の最良の部分を理解し、評価する。これは3つの局面からなる。

「イメージのシカゴ」という実験的プロジェクト。

1991年~:参加者は、シカゴのもっとも意味深い思い出を記述するように依頼され、これらを今日の経験と比較した。それから、シカゴがどうなって欲しいか、どのようになりそうかを想像した。最後にプロジェクトを推進することに興味を持った組織の間で、共同創造ステージのパートナーシップが組織された。

1993年~:将来に向けて多くの実験が開始され、50人の若者がアイデアを生み出すためのインタビューアーとして訓練された。

1995年~:100以上の組織や学校、文化施設が都市発展の過程に使われるようになり、都市想像力ネットワークが創り出された。

(3)都市レベルのテクニック

・企業間、あるいは他の都市との協同や競争→官民のパートナーシップ
・結果を意思決定過程に還元するフィードバックメカニズムが必要
・リーダーシップのスタイルを支援し、指導し、促進することが必要?
・創造的コミュニケーションが重要
・公衆の注視のなかで計画し、説明責任を果たすは辛いかもしれないが、人々に結果を公開することで、計画者は却って自由になる?
・都市ビジョン作成の興隆は、協同的で民主的な、新しい精神の反映である。
・コンサルタントに頼ること、弱点を認識して新しい構造と組織文化を工夫することに不安な都市もある。
・他方で、公開性と権力の分担の必要性について認識を強め、新しい連合を形成している都市もある。

・伝統的には、都市の問題は自治体や政府が単独で取り扱うものと考えられてきた。しかし、ビジネスには、社会的責任が伴うということ、公共・民間・ボランティアそれぞれに弱点があること・・が認識されるにつれて、それぞれの行動を統合されるようになった。
・都市ビジョンの作成には、ビジネス計画のアイデアを企業のレベルから都市のレベルへと適用することを含む。

・歴史的にみて、都市ビジョンは、都市から高学歴の人々や資本が脱出するという恐れのもとに発達してきた。→協働し、技能の再習得で協力し、再生することは都市の資産価値を増大する方法の一つである。
・都市ビジョン作成の良い例は、3つのタイプの都市から生まれる傾向にある。①バルセロナ、フランクフルトのように成功しており、都市間競争の先端に位置し続けたい都市→文化的なビジョンに焦点をあてる。②過去に有名であって、危機を乗り切った都市、ボルティモア、ピッツバーグ、デトロイト。工業からサービス業へ。③ウィーンやヘルシンキのように、東西の玄関口として浮上してきた都市。→新しい技術によって、距離の圧制が終わった都市として自分自身をブランド化した。

・官僚制に対する過度の服従を打破するために、市民参加を創造する。杓子定規な統制メカニズムを弱めて、市民対応型の手順を発達させる。歳入よりも歳出に再び焦点を合わせる。公僕としての動機を注入し、公共部門の競争を増加する。

・Cornwall 1995:創造的な能力付けへの挑戦は、以下のように段階が上昇するものとみなされる(ここ良く分からないが項目だけあげておく)。

  ・相互選出
  ・協力
  ・協議
  ・協業
  ・共同学習
  ・集合的行為

長期的な持続可能性は、共同学習や集合的行為へと向かうことによって産まれてくるし、目標への参加によってより偉大なものになる。

・SWOTやPESTなどのテクニックによって、政治的、経済的、社会的、技術的文脈における長所と短所、機会と危険性を吟味して評価する。
・すべてのアプローチにおいて真に創造的な勢いは、次の2つの要因からもたらされる。それは、(1)人々が交流すること、(2)持続的な過程として評価を与え続けること。
・行動が起こることを保証するのは、交流であり、テクニック自体は副次的なものである。

・ビジョン作成のスタイルには、コミュニティ主導のモデルのほかに次の4つがある。

①比較的合議を中心としない、洞察力のある、カリスマ的リーダー主導モデル

カリスマ的リーダーには、コミュニケーション能力があり、手本となることによって主導する。典型的な官僚的対応によるよりも、人間性という資源(魅力、説得力、粘り強さ)を放つ。

中間層に対する彼らの典型的なトレーニングのプログラムは、潜在的なリーダーシップを持ち、都市地域に参加するような幅広い人材の貯蔵庫を創り出そうとする。

その反面、敵対者は、彼らを自己中心的で独裁者であるとみなす。

②伝統的な部門別戦略を基盤とした、自治体主導モデル

伝統的なやり方、審議会方式で外部からコメントを求めることがある程度。外部者を巻き込み、実際の行動に何らかの形で参加させようということはなされない。

より協議を取り入れるような内部の運営の改革を伴うこともある。合意に基づく目標を都市プログラムに取り入れ、年ベースの監視を行う。あるいは、都市行政を透明にし、説明責任を果たす。

③ビジネス主導モデル、あるいは成長のための連合

④パートナーシップ主導モデル

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June 20, 2007

ITカロの責任者になってみる

ITカロが失敗した要因は、いろいろあるが、まず第一に当事者意識が無かったことである。

これは、文科省(中央)が枠組みをつくり、地方(自治体)が自らの地域に適した計画を作り・実施するという制度であった。残念ながら、主役は地元産業界ではなく、地方自治体であった。

ところが、ITカロの場合には、道庁が主導者でなければならなかったのだが、担当者レベルでは労力をかけてくれたものの、知事(道庁全体)が積極的に関与してくれなかった。知事にこの事業に対する認識が薄かったからなのか、担当者が知事を動かせなかったのか分からないが。

知事が先頭に立って(自らの威信をかけて)プロジェクトをリードすることが必ずしも良いことかどうかは分からない。福岡県は、知事がリードしすぎて、箱が出来てしまったという問題もあるらしい(要チェック)。

しかしながら、担当者レベルか、知事が乗り出すかによってプロジェクトへの収斂が異なってくる(要チェック)。

この事業は、各地域の大学に地域貢献を迫ることを目指している。大学の知財(研究内容、研究者)を活用し、各地域に世界水準の知的クラスターが生み出されることを目指していた。

ランドリーの本で「行動を変える」という項目があり、6つの方法が挙げられている。

1.力や規制を通じて強制する。
2.お金や動機づけを通じて誘発する。
3.議論を通じて説得する。
4.ペテンにかけ、騙し、罠にかける。
5.誘惑する-自発性と非自発性の奇妙なコンビネーション。
6.期待を集めるモデルをつくり、公表する。

文科省のこの制度は、2であり、その結果6を目指していたと思われる。また、大学に対しては、暗に、こうした競争的資金獲得で頑張らないと優れた大学として今後処遇しないぞということを暗に示しており、これは1にあたる。

道庁の担当者は、この事業を進めるにあたって、知事(道庁内)や大学や産業界の行動を変えさせる必要があった。

まず、知事に対しては、2・3・4・5を使う必要があった。この事業では、道もお金を出さなければならない。少ないお金を出して文科省から大きな金額を得るメリットを説得しなければならない(3)。あるいは、他県における知事の関与を示し、これに成功しないと知事が恥をかくことを暗に示して脅す、あるいは、これで成功すると知事個人にとってどんなメリットがあるかを示して動機づける(2・4・5)必要があった。計画の当初は分からなくても、少し事業が進めば、他県の知事の動きが見えてくるので、そこから動機づけをしてもよいし、優れた担当者であれば、最初から嘘でも知事のライバル心を掻き立てる嘘をつけたはずだ。

こうした力のある担当者を得なかったことも不幸であった。

窓口の担当者自らがそこまでの力を持たない場合、少なくとも、事業総括には、道庁や大学、産業界を説得できる当事者能力を持つ人を据えるべきであった。これらの既存勢力に対しものを言える人材となると、信念を持つ人(自分の言葉で話せる人)、あるいは、ある分野で成功したと評価されている人などが事業統括になる必要がある。

ところが、残念ながら、事業統括は、道庁の、しかもITとは異なる分野にキャリア(地方支部の部長クラス)を持つ技官のOBであった。道庁のランクづけのなかで、技官や部長どまりで退職した人が知事に物申すことはムリである。ましてや、一般の道庁職員は、ある狭い範囲のことを決められた通りに処理するのが主な仕事であり、自らプロジェクトを企画提案したり、少なくともプロジェクトを遂行した経験はない。このため、さまざまな立場の人々を説得し、それぞれの人々に適切な行動を取ってもらえるだけの交渉力も説得力も持ちえていない。

したがって、さまざまな利害組織から集められたプロジェクトのメンバーをまとめ、ある方向に導くだけの能力は皆無であった。

この事業では、資金は、大学に流れる。大学の先生というのは、まず第一に自分の研究を進めることを考えるので、資金を得るために大きなことを言うが、それは専門的すぎて事務方は煙に巻かれる。この事業の目的を大学の先生にきちんと納得させ、ノルマを課す必要がある(産学連携である程度の成果を地元にもたらす、研究だけしているのではない)。しかし、大学の先生は、それぞれお山の大将であり、これまでは、大学においても、ノルマを課せられたことがないので、納得しないまま大金を手にすれば、思いのままに使ってしまう。

この大学の先生方に、この事業では、どういうネズミが評価されるのかを明確にし(3)、それをお金で動機づけする必要がある(2)。あるいは、この事業で成果を上げることが大学内での評価に結びつくよう、時には、学長を説得させる必要がある(必要ならば、文科省を活用して)。

また、この事業が札幌地域のIT企業にとって、どんなメリットがあるのかを理解してもらい、事業に参加してもらう必要がある。実際には、この事業を札幌に持って来たのは業界人であり、当初の企画メンバーがこの事業で採択してもらえるよう、企画書を作成し、知り合いの大学教授や仲間のIT企業に呼びかけたのであった。

しかしながら、一部の人々は、この事業を活用する意味を理解していたものの、地域のIT企業に、この事業を通してどのように自らにメリットを引き出すかということについての認識が非常に薄かった。

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June 18, 2007

西東京市の経営者になってみる

9月からの授業のこともあり、自分に引き付けて都市経営を考える練習をしてみてはどうか。

実際には、(1)乞われていないなかで専門家として西東京市に乗り込むことは難しい、(2)自主的な研究会を立ち上げるほど私の中にまだビジョンがない、(3)実際に24時間を自分のことに使えない(出かけることが難しい)ので、ブログの上で、頭の整理をしてみよう。

・官僚的な精神(やれない言い訳)と専門領域への固執(狭い認識のままでアプローチし、現実をつかむことに失敗)→深く洞察したり、可能性を追求する余地がない。人々は質の高さとか21世紀の都市的生活様式とは何であり、どのようにありうるのかを議論することを恐れている。→どんな問題があり、どう解決方法があるかを考えてみよう!

21世紀において、西東京市は、どのような町になりたいのか、黙っていても生じる課題もある(高齢化)。21世紀の先進国の価値観はおそらくどこも同じと思うが、その実現と、そのうえでのこの町ならではのアイデンティティの構築と。

1.循環型社会
2.美味しいものを食べて、安全で、安心して暮らせる
3.生きがいと尊厳が認められるまち
4.21世紀の職住近接、高齢者の活用(これまでの線上ではない活用)・少子化

コミュニティを支える機能は、それぞれ広域ネットワークが異なるはず。

1.介護
2.医療
3.施設利用
4.警察
5.通信
6.道路
7.水道
8.商圏
9.ゴミ
10.図書館、学校
11.葬式・寺
12.神社
13.ビジネスコンビニエンス
14.地産地消

もういちど、ネットワークビジネス(コミュニティに根ざすビジネス)のエリアと可能性を考えてみよう。東京中心部でやることと、コミュニティでやることの棲み分け。中心部でやること(キリキリ舞)の比率の低下。

・建築、標識、騒音、公害などを管理するシステムが一貫した都市景観を作り出せるほどに強くなく、(腐敗している)。看板をどう扱うか、伝統的な町並みと高くそびえるビル、夜のまちの明かり、ショッピングセンターの画一化、公務員によって先進例が真似られる結果同じような設備を集めた似たような町ができる→地域的特性や地域的条件を考慮していない。

・歩行者用専用道路をつくり、空間のネットワークを作る。地下駐車場を作るコストは、良い景観が地価をあげ、コストを賄う例がある。道路で分断されたエリアをつなぐ試み。

グリーン道路などが市のなかを通っているが、途中を道路で分断されたり、安心して一貫して歩けない(車椅子では、途中で怖い思いをする)。はなバスが通ってよくなったが、保谷と田無がつながらない。民間バス会社とのすみわけの問題もあるのだろうが、もっと検討する必要がある。歩道はあるが、これも途中で途切れるところがあって怖い。あっても非常に狭く、自転車も通るので高齢者は怖い。

・照明による安全性確保とテーマ性ある照明による都市の個性。

照明には、エネルギーを使うが、太陽光の利用などでやれる方法があるのではないか。町全体をどう打ち出すかのコンセプトがまとまっていないので、都市の個性として照明を活用していないのはもったいないかもしれない。

・都市を売り込むには、アイデンティティと個性が重要。同じような、フェスティバル、緑豊か、光輝くオフィス、ハイテク工業地区、ゴルフコース、カフェ・エリア(パンフレットの都市の名前を取り替えてもわからない!)

武蔵野が残るという意味ではアイデンティティがあるが、それなら、武蔵野市も三鷹市もそのほかもっといろいろあるだろう。青梅街道の宿場町、急行が止まる町としての意味づけがあってもよい。もちろん、それが保谷にとってどうかということもある。田無も保谷ムラだった?新田開発などなど。中島飛行機などなど。

・都市の複雑な個性を探り出す。観光客が著名な場所にどっと押し寄せ、その地域の良さを失わせることがないような工夫(観光客に渡す地図を変える、混雑エリアから離れさせる工夫)。

・都市の魅力に市場性を持たせるには、幅広いさまざまな才能が必要。歴史家、人類学者、文化地理学者など。土地柄に市場性を持たせるのをこれまでは生産の専門家が行ってきたが、彼らは、決まったやり方については良く知っているが、都市の複雑性について理解していない。

西東京市は、ベッドタウンであるが、財政ということを考えた場合、所得税のみで良いのか、産業振興をする必要はないのか。

・立川は商業都市としての魅力を増しつつあり、田無なら新宿、保谷なら池袋に近いので、ショッピングという意味では中核都市たりえない。ひばりが丘、武蔵境、保谷駅(これから)、田無という各駅が分散された少しの商業集積があり、さらにイオンなどのショッピングモールも周辺に出来ている。

・石川島播磨も三共製薬も工場はいよいよ撤退し、病院、ショッピング、住宅となる。中島飛行場や日特などの戦争中の工場のほとんどは移転してしまった。

・武蔵大学。高校、小中学校。

・せっかく田無タワーはあるが。

・観光客を呼び寄せるということは可能だろうか。武蔵野ツアー(歴史探訪)の通り道程度か。現在は、お寺や神社の夏祭り・秋祭り?をやっている程度。昔は、田無の仮装行列は華々しく、近隣からも見に来たものだが。ホールも近隣の方が立派らしいし。

・空港やバス、列車の駅などの都市の入り口は、到着してこれから向かおうとする人やかえって来た人を温かく迎えるようになっていない。都市の河川は都市生活に役立っていない。余り使われていない教会を長期的な視点から何か手を加えるように再考されることはない。自然によって道路を美しく見えるようにしないのは何故か。

西東京市の入り口は、西武鉄道と協力?した駅前開発程度。道路の入り口は最悪だ。田無駅前は暮れにはイルミネーションがそれなりに綺麗だし、ペデストリアンでは、時折音楽を演奏している若者もいるが。

旧青梅街道(昔もっとも栄えたエリア)は、最悪になっている。宿場町として栄えたエリアは、排気ガスと誇りをかぶったしもた屋と道路に面した鉛筆マンション、街道沿いの商店街は、工夫していないこともあるのだろうが、リビンに客を奪われ、狭い道に車が通ることもあって、客が来ない。しかも歯抜けとなっている。商店主も諦めているような感じだ(子供はサラリーマンに、親の代は隠居、現在私と同じ世代は、親の遺産を食い潰している程度)。旧青梅街道を散策のできるとおりにしてしまったほうがまだ賑わうのではないか。

・記憶にかかわるものを消している。

東大農場移転を阻止する市民グループがいる。確かに、何本も道路が通っており、農場がなくなると、緑が減るのは確かだろう。しかし、先日ブログに書いたように、あそこの緑は自然のものではなく、研究用に作られたもので、生態系が違う。むしろ、森を公園として残しつつも、大規模開発をした方が良いかもしれない。

一方で、武蔵野の自然は残してもらいたい。しかし、もうだいぶ消滅している。久留米との堺やグリーン道路の脇など積極的に残しているエリアもあり、これはそれなりに努力しているのだろう。相続税の問題を勉強しなくてはと思いながらまだやれていない。

緑は、単に残すだけではなく、活かす生活が背景になければ、手入れ、掃除等々のコストがかかる。こうしたことも考えておく必要がある。これを税金でやるのか、市民が管理・運営するのかなどは別途の問題。税金でのみやると、市民も無責任なところがある(誰かがコストをかけて守っているものをただ乗りする)。

農業との共存も考える必要がある。

前に書いたように、町のポイントとなるところから、誰でも富士山が見れるとか、卒業生を小中学校にかかわらせるなど、町の記憶を保持することも、町への愛着(ふるさと感)と一体感を持たせるうえで重要であろう。

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現実から考えると特に特徴のない町であり、どのようなビジョンを描いたらよいか分からない場合、まず、未来に飛んで、そこから現在を振り返るというのをやってみる価値はある。

ビルゲイツのハーバードでの卒業式でのスピーチを読んだばかりなので、地球上の貧困撲滅に力を入れている町になることを考えてみてはどうだろうか。今現在、自身にも生活に余裕がなく、市の財政は、三位一体改革、高齢化のなかで苦しいというのに、何故世界の貧困をこの町が無くすことに力を入れる必要があるのかということになる。

・お金は滞ったらダメで、良い使い方をしてこそ活きる。
・子供たちが町に誇りを持てるようにしよう。
・世界に目を向けた子供たちを作ろう。
・アフリカの難民たちと自分たちの今の生活がどうかかわっているのか(私たちの豊かな生活は彼らの犠牲で成り立っていることの証明:要チェック)を理解する。
・寄付をすることでこちらの心が温まるということを身をもって理解する。
・そうしたことを通して、弱者に対する思いやりの心を育てて、きたるべく高齢化社会に対応する。

などなど、意義づけをする。

具体的には、たとえば

・野球選手がしているように、投げたボールの数だけ100円寄付するなどをそれぞれが決める。嬉しいことがあったら1円貯金する。
・子供たちが身の回りで不要になったもののバザーをやって寄附金を作る。
・ネットでアフィリエイトで稼ぐ。
・貧困に苦しむ子供たちの写真展を開く。

・地域の企業にも、何かしてもらうようにする。赤いリボンのキャンペーンなど。
・貧困撲滅デーを設けて、その日は、電気を消す、あるいは○○をするなど。

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私は何をやりたいのかの再確認

この本の主旨は、都市再生計画を策定・実行するうえで、どのように人々の創造性を高め、計画を創造的に策定し、実行していくかについてのハウツウを提供することにあるようだ。

その文脈のなかに、ところどころ、文化とは何かとか、創造性とは何かなどが出てくるが、全ては、都市を良い方向に(時代に合わせて)変革していくための手法かについて書かれたものである。

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読んでいるうちに、自分が何をやりたくてこの本を読み始めたのかが分からなくなってしまった。そこで、再整理;

1.何故、札幌ITカロッツェリア事業が失敗したか。

・個人を批判するのではなく、フィンランドにもシリコンバレーにもましてやビットバレーにもなれなかった要因をこの事業を反面教師として、分析する。→地方分権というけれど、産学連携というけれど、制度に欠陥があること、地方に用意がないなかで乱暴な制度、地方の身の丈に合わない制度であることを指摘する。文化・歴史・社会的風土の違いで同じ制度でも成功と不成功がある。一般化できる事業体制の失敗(ガバナンスが取りにくいなど)。
・事業推進の初期から実施中にかけて、「創造的な運営」ができなかったことをきちんと分析する。ランドリーの道具箱を尺度として、札幌を検証する。
・都市間競争、企業間競争、個人の競争の無さ。

・文化総覧と格付け、顔の見える競争は、札幌に使えるか?→札幌がある部分で突出したいなら、このメカニズムが必要。

2.なぜ、日本のアパレル(ファッション)産業は世界の中心(の一つ)になれないのか。あるいは、なぜ、原宿(東京)は、パリになれないのか。

・文化総覧と格付け→その結果の伝播によってその地域がメッカになるという情報特性とそれを活かしたメカニズムについて明らかにしたい。
・顔の見える競争がクリエーターたちの切磋琢磨を生む。→この仕組みが出来ているかどうかで同じ集積なのに成果が異なると言いたい。
・集積しているのに、それが世界水準にならないのは、何故か。
・何故、パリコレを超えられないのか。
・パリにおける異分野のクリエーターたちの交流、カフェ文化。→現在の日本にこれはあるのか?
・デザイナーとアパレル産業、素材産業とのつながりが切れているのはどうしてか。
・デジタル時代(コレクションの時代ではなく、消費者が組み合わせる時代)には、原宿はメッカになれるか。
・三宅一生、山本カンサイ、ケンゾー→川久保玲、山本耀司→続くビッグは産まれているのか?産まれていないとしたらそれは何故か。

・ファッション消費はすごいのに、何故、日本のアパレル産業から世界企業が生まれないのか。
・着物の伝統が今日に活かされないのか。

3.高齢化・三位一体改革もあって地方が疲弊しているなかで、地方分権と言われるが、地方は、どう再生(経済的自立)したらよいのか。

・「地方を経営する」と考えてきたが、自治体経営ではなく、自治体による独占企業ではなく、地方経済を活性化させることによる地方の自立化という意味の地域経営のあり方、可能性を探る。
・このヒントになるのが江戸時代の藩の殖産振興で、民活ながら藩がリードする方式。横井小楠などの考え方。これは、エンデの遺言にも関係する。地域通貨など。
・藩によって成功、不成功がある。これも文化的・社会的風土・歴史などによって創造性の相違として検討することも可能。
・いろどりなど、現在の成功先進事例から学ぶことも。
・ここに、水平思考やシックスハットなどの考え方を応用し、たとえば夕張を例にビジョンと実行計画を策定してみるのも面白い。

・岡本先生が地域活性化のメソッドを作りたいと言っていたが、ランドリーの本は、まさにメソッドなのではないのか。

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June 17, 2007

文化と創造性

なかなか、隔靴掻痒の感がある。・・第七章のなかの「文化と創造性」を読んでみる。

○創造的行為の土台としての文化

「創造的都市」アプローチは、文化とは、価値、見識、生活様式かつ創造表現の様式、創造性が芽生え育つ土壌に相当するものであり、それゆえ、発展の推進力を与えるものという考え方に立脚している。文化資源は未加工の素材であり、過程を進行させるための資産である。

文化計画は、プロジェクトを意味づける過程であり、文化資源に基づいて計画を工夫し、実行戦略を運営する。それは「文化を計画する」ことを試みるものではなく-そのようなことは不可能であり、望ましくもなく、危険な企てである-どのようなタイプの公共政策に対しても文化的なアプローチを試みることである。

 都市は、人々の文化-人々の好むもの、好まないもの、望むもの、恐れるもの-を表現している。文化は有形・無形の属性に関連づけられている。これらには、記憶されているもの、価値あるとされているもの、どのように都市が形づくられたかの有形の表明物が含まれる。

○資源としての文化(たとえばの項目と考え方)

・健康の領域:内発的な健康習慣はあるだろうか?

・社会福祉:薬物使用者や高齢者のための援助機関として活用できるような相互支援の伝統はあるだろうか?その代わりに、レッツのような地域通貨の仕組みを立ち上げるのを促進してはどうだろうか?

・雇用創出:老職人の技能を現在の必要性にどう合致させるか?ニートの若者を現在のビジネスにどうつなげられるか?

・観光促進:歴史と伝統を調査し、都市をブランド化できる郷土料理や工芸はないか?

 文化のすべての局面を関連づけ、引き出すことで、他の領域と相乗させ、新しいアイデアを創出する助けとする。ビアンキーニ。

「アイデアの工房を稼動させよう:創造的な道具とテクニック」

○創造的テクニックの発明者

●創造的になる方法が存在すると言っている先人は多い。(1)思考パターンは変えられること、(2)アイデアは道具によって自由になりえること、(3)新しい解決策が見つかること。

・エドワード・デ・ボノ(1967年):側面的思考-新しいアイデアを生み出す方法を提唱。

・アレックス・オズボーン(1950年代):ブレイン・ストーミング:7段階のプロセスは、方針の決定、準備、分析、想定、代替案の蓄積、思案、総合化と評価である。

・トニー・バザン:アイデアを全体的に理解し、記録し、反映するマインド・マッピングを発明

・ロジャー・ヴァン・エック:「創造的分類パック」のデザイナー。1パックのそれぞれのカードには、どのように異なって見られ得るかの例を彼が用意した声明や助言がある。

・ウィリアム・ゴードン:シネクティクス・・創造的可能性を探索する手段として、隠喩と類推というアイデアに着目した。

・ロバート・フリッツ:『創造』・・自分のいる位置と創造的な解決のためにいたい位置との間にある構造的緊張を活用する必要性に着目。この構造的緊張から解き放たれたエネルギーが前進するのに用いられる。

・ギャレス・モーガン:『組織のイメージ』・・組織と運営についての思考を再構成し、『想像化』・・想像力の容量を動員するための道具を準備した。

・神経言語プログラミング(NLP)の著者たち:個人のレベルにおいて、人がいかに自分のアイデアを自分自身の中で再構成しているかを示した。人々が自分自身のベストをモデルとして自己を改善していくという卓越性への探求。

●創造性とは何かやその将来における役割をまとめた作家も多い。

・アンディ・グリーン『公共関係における創造性』:5つのIを定めるとしている:情報、思案、解明、統合、図解である。

・モーリス・ステインの3局モデルは、仮説の形成、仮説の検証、結果のコミュニケーション

・ピーター・クック『最良の実践的創造性』

・ジョン・ケーオ『創造性と混雑の時代』

50年以上にわたり、創造的な段階とはどのようなものであり、どのように実行すればよいのかと人々は思案してきた。

●創造的テクニックの3つの分野:(1)アイデアの数を増やすのを助ける、(2)新しいアイデアを創造するのを助ける、(3)既存のアイデアの捉え方を再構成する。

(1)アイデアの数を増やす

・一覧表を作る

・ブレーン・ストーミング:アイデアの流れを妨げるような批判的なコメントを禁止して、掲示板にできる限り多くのアイデアを書き下ろす。

・ブレイン・ライティング:公共の掲示板に書くかわりに、個別のカードに書き込んで巡回させる。これによって、新しい関係性やふくらみを生み出す、より多くのチャンスが得られる。

・他の場所を訪問して見事に作動するデータベースを視察し、他の人々の成果を確認して効率的に模倣したり、その他のアイデアを盗み取ったりすることも入る。

(2)新しいアイデアの創造

・完全に新しいアイデアを発明することも、古いものから新しいアイデアを発展させることも含まれる。

・連想や類推、隠喩は、両立しないと思われる概念をあえて引き合わせ、それによってなじみのあるものを新奇に新奇なものをなじみのあるものにするやり方。

・夢想から視覚化、ポウ刺激としてまとめられた心の改善や、側面的に考えることを学ぶ手段としてデ・ボノによって開発された不規則単語テクニックにいたるまで広がっている。

・ポウ刺激:「牛は飛ぶことができる」といった想定を行うことによる刺激であり、習慣化した思考パターンから人々を飛び出させるために用いられる。

・不規則単語テクニック:辞書の適当なページから名詞を探し出し、それを日常の物事とぶつける。その言葉をなんとか自分の問題に適応させる。鼻→匂い→匂いが異なることは何らかの障害となる・・など。信号→危険→停止→タバコを交通信号と関係づける。

・デ・ボノ「解決は、事後的に見て論理的であるから、論理が我々をそこに至らせると推測してしまう。しかし、大部分の状況では、論理が事前に解読できないような複雑なパターンになっているから、これは全く間違いである。もしすべてが論理的であるのならば、創造的思考は必要ない。」

(3)装置の再構成

・再構成とは、ものの性質や状況を異なる立脚点から注目することによって、かえることである。「グラスの水は、まだ半分あるのか、もう半分しかないのか」

・アイデアではなく、文脈が変容する。荒廃した景観を環境保護産業創出の実験ゾーンとして考える(短所を長所に置き換える)。

・「○○の目を通して」という概念:都市を女性や高齢者、子供の視点から計画することで再構成できる。

・「感覚の調査」:昼と夜の異なる時間に、視界や景観、音、臭いを通じて都市を分析すること。

・前向きに考えること、後ろを振り返りながら計画することは、逆転思考に含まれる戦略的計画道具である。ビジョン、辿り着きたい場所に自分を連れて行き、後ろを振り返ると障害物が見えてくる。→影響力の戦略と分析によって障害物に打ち勝つためには何をなす必要があるかが明確となり、行動計画がはっきりとする。

・1年、3年、10年の範囲で安価かつ容易で短期なものから、費用を要し、困難で長期のものに至るまで達成可能なプロジェクトの選択肢が必要となる。その間に、足場となる柱や進歩の目標を編成する。選択肢や前後に存在する障害物を探査することで、戦略は単純化される。戦略的な日和見主義である。測定可能な標的が設定され、目標を達成するように行動が準備される際の、計測器の活動に類似している。

●テクニックの適用:3段階がある。(1)個人、(2)コミュニティ、(3)都市。

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June 15, 2007

創造性の引き金を引く

創造的なプロセスを動き出させる引き金について、事例をあげつつ項目化している。一つ一つは、事例もあり、うん、そうだろうなとは思うが、単なる羅列に止まっている。もちろん考えるヒントにはなる。

○不可避的な圧力(必要性や不足からそれを補う何かが産まれることは分かるが、十分条件ではない。必要性があっても<たとえば北海道は大規模農業や酪農が盛んだが必要な機器はアメリカや欧州から購入している>そこから何かを生み出すには、別の要素が必要だ<独自性を重視する経営者など>)(また、これは都市:多様性が集積するメリットともかかわりがない)

  ・必要性
  ・不足
  ・衰退

 ○思いがけないこと、予期せぬこと
  ・発見
  ・幸運

 ○野心と期待(クリエーターの野心・競争は絶対必要と思うが、一方それをやることが楽しいといったことも重要。創造の連鎖に着目するなら、競争と一緒に競うことの楽しさか)
  ・楽観主義、企業家主義、利益の探求
  ・競争圧力

 ○参加とアイデアの集積
  ・ディベート (アテネで発明されたディベート-詳説、熟考、論戦、対立する見解の説得-は、シリコンバレーで活きているらしい。常時議論のやり取りがなされるなかで新製品が生み出されている。ディベートは、創造的環境での競争に勝つための要素とみなされている。・・・羨ましい限りだ。札幌IT産業には、これがまったく無かったのだ。シリコンバレーでは、時には、企業秘密になるのではないかと思われるが、開発者が自分が考えていることを仲間内に発表したりするらしい。札幌では、「業界のビジョンづくりのためにお仲間の経営者・技術者でよいから一度集まってもらえないか」と依頼した折、競争相手とそういうことができないとして集めてもらえなかった!コア技術でそれなりの地位を確立している地元では輝く星のひとつとされていた企業の経営者ですら、この技術を活用して自社をどのように展開するかのビジョンを持っていなかったし、それを一つ上の範疇でビジョンづくりをし、この地域にどういう人材や機能が必要かを議論する勉強会すら開催できなかったのだ)
  ・都市構想

 ○他者から学ぶ
  ・エクセレンスの中心
  ・外部からのひらめき:他者の創造性は、しばしば自分の内部で創造性がひらめくための効果的な手段となる。体験の共有、視察。
  ・思いがけないつながり:異なる研究分野や異業種の人々を一堂に集めることは、知見の水平線を広げ、新しい形の創造性を生み出すことにつながる。

 「ウェルカム財団主宰サイ・アート:SCI-ART」は、科学と芸術の知見を結集させ、2年のうちに400以上の共同提案を提出した。科学の精神と芸術の精神を超えた統合を作り出し、新しい種類の創造性を刺激する。

 ○例外的な状況
  ・政変:政治的対立が活発になっている状況や社会的・政治的な何らかの変化は、不況と同様に、想像的な実験にとっては豊かな土壌になりうる。ベルリンの壁崩壊。
  ・政治的危機:ベルファースト(形骸化した自治体の構造が放棄され、パートナーシップが台頭)、ベイルート、サラエボでみられたような闘争は、時に偶然の革新を生み出す。

 ○リーダーシップを変える
  ・活動の準備:変革がいったん始まってしまえば、変革の利益は次々と波及していった。

 ○地域特性の称揚
  ・地域の制約:地域の伝統は、足枷になるのではなく、創造的な反応を引き出しうる。

 ○概念上の飛躍
  ・考え方を変える:ゴミを宝の山に。
  ・失敗から学ぶ:無益な失敗は、思慮不足、既知の失敗の繰り返し。

 ○象徴的な引き金
  ・意図の言明:憲章や宣言、声明などは、行動や革新を刺激するための集合点やキャンペーン、指標としての役割を果たす。ユネスコ世界遺産、環境に関する議定書。「改革なくして成長なし」などもそうだろう(本当に改革したかなどは別として)。
  ・場所のマーケティング:都市のブランド化(緑、教育、創造など)は、期待を育むと同時に、宣伝と現実とのギャップを無くすことに戦略の焦点をあてるメカニズムとなりうる。
  ・注目されるイベント
  ・ブランド化されたコンセプト

 ○戦略的明晰さ
  ・創造性のための政策:都市が必要とする革新的企業を科学産業集中地域の立ち上げ時の財源からマーケティングにいたるまで支えている。ホールとランドリー『革新的で持続可能な欧州都市』1997年で報告された515の事例調査のうち半数以上において、会議の手続が計画の発展において重要な発展を果たした:プロセスには時間と努力、資源の初期投資を必要とするが、高い比率で成功をもたらす??

 本を読んでいないので分からないが、日本でもキー企業を地域に誘致することは行われてきたが、それはグローバル化のなかでまた海外に移転してしまい、地元の力がないと、地域の力にはなりえていないことが多い。上記本の事例は、キー企業の誘致が地域の活性化にどのようにつながったのだろうか。プロセスを上手く運営し、地域と結びつけることができる人材が居たのだろうか。

 ○構造的危機
  ・危機:危機は緊急の反応を要求し、革新にとっての障害を克服するのに役立つ。神戸の震災は、日本でボランティアと自治体との連携をもたらした。しかし、何年にもわたる衰退は、モラルを失わせかねない。創造的な反応は、パワーと行動する意思を必要とする。
  ・不安定さ:構造的な不安定さというコンセプトには、数多くの個別の発展のための引き金が内包されている。そこには、危機、ディベート、闘争、宣言、声明などが含意されている。「アテネ、フィレンツェ、ロンドン、ワイマール、ベルリンなどの革新的都市は、その絶頂期においては、既知の状態から抜け出し、未知の組織編制へと移行していくような状態にあったのである」(ホール、1998)。

 不安定さは、創造的な都市をエキサイティングなものにすると同時に、不快なものにもする。

 今日、都市の競争によって進められる新しい形態の「構造化された不安定さ」や「コントロールされた崩壊」が自覚的に開発されている。

 都市のリーダーたちは、現状にはマッチしないものの、人々から望まれるような対象を作り出して、危機の状況を擬制するために、構想作りや引き金となる目標の設定を行う。

 チューリッヒ、ベイスル、カールスルーエ、フライブルグなどの周辺地域における都市群は、持続可能な発展によって推進される生活の質という新しい目標に則って競いあっている。「変革のための誇張された一押し」(パルナス1992年)。

 継続的なアイデアの交換、都市間の人々の移動、都市間の競争が新しい創造的環境を生み出してきた。 

5.結論
 ○創造的反応の源泉

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創造的環境の質

都市についての思想家たちが考える創造的な環境の主要な特性は、次の通り。

1.一定レベルの独創的で深い知識が集積した場所で、そうした知識が、すでにある手腕や能力、互いにコミュニケートする必要と能力を持った人材などと結び付けられること。

2.十分な財政的基盤があり、厳しい規制抜きで実験のできる余地が与えられること。

3.意思決定者やビジネスマン、芸術家、科学者、社会批評家たちに認められるニーズと、現実の機会との間に不均等さが存在する場所であること。

4.文化や科学、技術的な領域に関する将来的な変化について、複雑さや不確定さを処理できる能力が存在する場所であること。

5.インフォーマルで自発的なコミュニケーションが対内的にも対外的にも活発になされる可能性があること。多様性がもたらされるような環境であること。

6.多面的で、活発な相互作用が生じるような環境があり、とりわけそれが科学や芸術の発展と結びついていること。

7.構造的な不安定さがあること。実際、時にそうした構造的不安定さは、あるコントロールされた文脈においては、導入が必要である。たとえば、顧客の間における環境運動が運動の現実とそのありうべき姿との間で不均等を生み出している場合などがそうである。

上記3と7は、前の記事で納得したこと。4は良く分からない?他は、良く言われていること。

私的整理では、これらは、必要条件だけれど、十分条件ではない。上記を用意したら、必ず創造が発揮されるかどうか分からない。創造が発揮された地域を見ると、上記のようなことが抽出されるというに過ぎない。これが創造を駆動するキーかどうかも分からない。本質が別にあって、これらは派生かもしれない。

グローバル化のなかで地域に根ざすことを助けるのは、「制度的厚み」である。これは地域を保持する手段である。

・制度間の強い相互作用、政治レベルでの共同代表制の文化、共通の産業的目標の発達、共有された文化的規範や価値。

・社会的な雰囲気とこの雰囲気を作り出すのに役立つ制度構築のプロセスが大切?この「厚み」が企業家精神を刺激し続け、産業の地域への定着を確固としたものとする。同時に信頼関係や情報交換、都市のざわめきを醸成する。

・ある程度の制度的柔軟性は、制度的厚みのもう一つの結果である。他のどこよりも早く学び、変化するための創造的環境の組織の能力においてはっきりと現れる。

・産業革命におけるグラスゴーの造船業では、親方が成功し、弟子を育て、弟子が独立して改良したが、IT革命でも同じことが起こる。

○成長期には、さまざまな要素は、お互いに力を高めあうように活動し、信頼と業績を最高潮にする。しかし、斜陽の局面においては、これが逆に悪い方向に作用する。開放性と協同性は、閉鎖性や防衛と競争に転化しうる。

都市が生存競争にさらされていて、縮小傾向にあるときには、創造的な契機を維持するのは困難である。創造的環境は居心地の悪い場所であり、緊張と弛緩、協同と競争との間に必要なバランスをとるのに大切な不安定さを受け入れ、それを作り出そうとする。都市の戦略家の仕事とは、市場の流れを読む投資分析家のように、こうした波を読むこと。

コラム(ホール)何時の時代のどの都市も、長期にわたって継続的に革新的であり続けたことはない。著名な都市は、後代になって、何世紀にも渡って、創造性の光が吹き消されてしまったかのようだ。ロンドン、パリ、NY、ロスなどは、ある種の創造的な潜在力を各地の才能を惹き付けることによって、しばしば持続的に獲得し続けてきた。その持続力は、行政面での中心的な役割のおかげなのかもしれない。それらの都市がその種の才能を惹き付ける点で独占的な立場を占めていたことを意味する。

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June 14, 2007

第六章 創造的な環境

第五章創造的都市の基盤は、リーダーシップや組織文化など、都市再生をするための方策について重要なことが書かれており、これは、地域政策にとっては必要だが、現在私が知りたいことではないので、第六章を見る。

第六章は、創造的な環境となっている。

○どんなタイプの都市環境がそのような(シリコンバレーや第三イタリアにみられるような起業家同士などの)相互作用を促進させるのかを発見することが重要であるとしている。

・規制や動機づけ、組織文化の改善などを通じた公的な介入は、そうした環境を育むのに役立つ。

 1.小さな企業が活性化されるように、財政上の優遇措置や助成プログラムを活用すること。

 2.生活の質の問題が浮上する。

公的介入として、公共交通機関や古い産業建築物の改装や再利用、レストランやカフェの営業許可などがある。(シアトルでは、モノレールを市内全域に敷設することを市民運動があり、その場合、公共交通機関があることによって都市の生活の質が高まり、都市の経済的地位を維持するために必要であると主張された。)

・創造的環境とは何か:ハード面の都市基盤、ソフト面の都市基盤。

企業家、知識人、社会運動家、芸術家、行政担当者、陰の実力者、学生などが開かれたコスモポリタン的な文脈で活動でき、人と人との顔を付き合わせたやりとりによって、新しいアイデアや芸術作品、製品、サービス、施設などが生み出され、その結果として、この環境は経済的な成功をもたらす。

・ハード面の都市基盤:

リサーチセンター、教育施設、文化施設、その他出会いの場などの一連のビルや施設、輸送機関、健康・保養施設といったサポートサービス。

・ソフト面の都市基盤:

物事を結びつける構造や、社会的なネットワーク、コネクションや人々のやりとりなどからなるシステムのこと。諸個人と制度との間でさまざまな意見の交換がなされるのを支え、促進する。対面的な場面や、情報技術を通じて発生し、コミュニケーションのネットワークがより広がり、発展するのを促進する。それにより、財やサービスの取引にも役立つ。

・ネットワークには、次のようなものも含まれる:

クラブ、バー、インフォーマルな団体の定期会合、ビジネスクラブ、マーケティング協会のような共通の利害を持つネットワーク、公的・私的なパートナーシップ。

創造的な環境の核心に横たわっているネットワークが力を発揮するには、高度な信頼関係や自己責任、強力でしばしば明文化されていない諸原則を伴った柔軟な組織運営が必要とされる。

これらは、より大きな善のためにネットワークの成功を共有し、それに貢献しようとする意思を含んでいる。

創造的なネットワークが健全さを維持し、繁栄するのは、多くの場合、個々の企業の繁栄に依存している。もし、その環境が活性化されないなら、その一部をなすものに由来する知的なひらめきも失われてしまうはずである。

単純な利己心は、その環境を衰退に導いてしまう。信頼こそが創造的な環境をうまく動かすための中心的なものなのであり、それは、一連の創造的なアイデアと革新をもたらす。

そうした創造的なものが広まり、享受されることによって、さらに質の高い発明のサイクルが生み出されるのである。そのようなシステムのためのルールは、原則の点では、かなり頑固なもので、ネットワークは個人的な必要よりも、重要だとされているが、実際の適用はかなり柔軟である。

・創造的な環境は、職種間、企業間、あるいはそれらの内部において、移動の容易さが必要。ブルーカラーとホワイトからーなどなどの明確が区別けがなされる硬直した労働市場では困難。コミュニケーションに由来するポテンシャルが失われる。民間と役所の間の相互の先入観、外国人嫌いなどの偏見は作業効率を低下させる。

協力的な競争という文化こそ繁栄のための環境の土台。あらためて競争と強力!

○歴史にみる創造的環境

・文化的・知的、技術的・組織論的 18世紀末の産業革命以来(技術と組織が重要に)→20世紀になると(文化面の創造性と革新、技術的な面のそれとが融合)→これらが結びつくことは、新しい組織形態や経済体制、政治体制を必要とする、新しい相互作用が発展するのに役立つ。→新しい製品やサービスは、そうした新しい相互作用が発展して登場する。

・ピーター・ホール『文明における都市』

アテネやローマ、フィレンツェ、ロンドン、ウィーン、ベルリンといった都市の最盛期における知的・文化的な活発さは、経済的・社会的な側面の急激で根底的な変容によってもたらされた。そこでは過剰な富が新しいアイデアやとりわけ芸術的な創造性を育むために重要なものとなった。

・紀元前500年んおアテネでクレイステネスによってつくられた民主的な憲法は、都市の活気や成功に寄与した社会・政治的な革新であった。多数派集団に発言権と影響力をもたらし、帝国が拡大するのに貢献した。→帝国の拡大は周縁との接触をもたらし、それは不安定さをもたらし、哲学者や名士たちに多大な影響を与えた。

・1270年から1330年にかけてのフィレンツェにおける創造的な歴史的転換は、世代間でのたびかさなる権力闘争や氏族同士、都市同士の競争によって引き起こされた。

・18世紀イギリスにおける文学的・芸術的環境の成長は、台頭してきた商業社会の内部における王室と新興中産階級との間における政治的経済的な権力バランスの変化に結びついていた。重要なのは「自由憲法」が新しい様式の文学や実演芸術の発展を許容したことである。→ロンドンは、ヨーロッパでもっとも急成長する都市となって、芸術家やミュージシャンを惹き付ける磁場となり、それがさらに芸術家たちを引き寄せる自律的サイクルが成立した。

・1880年から1914年のウィーンは、創造的活動の中心となったが、それは、社会的、制度的、政治的な構造の不均衡によって引き起こされた。斜陽の帝国ゆえの不安定さの帰結であった。そうした状態は、経済、医療、哲学、精神医学、美術、都市計画や建築にいたるまでの多用でバラバラな諸領域のありようをあらためて考え直す機会をもたらした。文化面での創造的な集団と古い社会制度との間の闘争や世代間の衝突がこの「積極的」不安定さに寄与する熱狂的な活動の核心にあった。

ちょっとまって!ピーター・ホールについては、歴史に学ぶ創造的都市とはどんなものだったかの事例に使おうと思い、大著を読もうと思って活用できそうな章をコピーして英文なのでまだ読んでいないのだが・・。佐々木先生の奥様の訳がネットにあり、シェークスピアの時代のみ読んだ。・・このランドリーが要点を述べているところによると、単に、富が新しい新興階層に生まれて、それが新しい芸術をパトロネージしたというようなことではないらしい。

上記のウィーンでは、帝国が衰退するときにこれまでの価値観が見直された、フィレンツェでは、世代間や民族間などの度重なる抗争によるという。つまり、歴史的転換点(あとからみれば)は、必ずしも経済成長など良い環境でのことではなく、国が滅びるなどのマイナス環境も、多様な価値観がぶつかり合い、文化が盛んになった要因であるというのだ。

確かに、根源的なことを問い直すのは、そういう時かもしれないが。これは、面白い指摘だ。

こうした結びつきのなかから、カフェ文化が生まれた。これは、この時期以降の中央ヨーロッパ、ベルリン、ウィーン、ミュンヘン、プラハ、チューリッヒなどで共通の呼び物となった。それ以来、カフェ文化は、世界中の創造的環境にとって重要な特色となっていった。

カフェは、知識人やジャーナリスト、芸術家、ビジネスマンにとって、日々の出会いの場を提供している。カフェは緊密なネットワークを形成したのであり、そこで、アイデアや知識、専門技術が循環していった。カフェはいわば坩堝のようなものであり、そこでは、階級や序列のような区別が乗り越えられた。

○技術的な革新的都市

マンチェスター、グラスゴー、デトロイトなどの周縁都市。完全に遠隔地でもなく、古臭い物事の処し方に囚われることもなく、リスクを好んで引き受け、きわめて平等主義的な構造を有している。自助と自己実現の精神的構えに富み、開かれた教育の仕組みを持っている。技術的手腕に根ざし、主幹的な領域よりも支流的な領域での革新に多くかかわることで市場に適応していった。

○融合都市

ロサンゼルスが映画と娯楽産業を支配したことは、文化的創造性と技術的創造性との融合に関する好例。権力と富みが集中する伝統的中心地から離れた新興地域は、革新的な力を大衆消費市場に結びつけるものであり、大衆文化とテクノロジーとを結びつけることによって行われる。

○技術的・組織的な都市の革新

都市自身が生み出してしまった成長と発展に伴う諸問題の解決を必要としているような都市において起こるもの。下水や廃棄物処理システム、公共交通機関から新しい建築技術、住宅供給、増大するインフラを賄うための財政的革新にいたるまでの必要性が生じる。

古代ローマからロンドン、ニューヨーク、ストックホルムまでこの領域でのリーダーであった。都市の持続可能性についての議論は、そんな革新をより活性化するために、新しい展開を生み出してきている。

ローマクラブの最新の業績、「4倍数:富の倍増、利用資源の半減」。環境主義者と自由市場主義者との闘いから生み出された結果に依存している。

○ホール「創造的な都市は、安定的な場所や快適な場所というわけではないのだが、それは完全な無秩序状態ということではない。それは、既成の秩序が新しくて創造的な集団によって絶えず脅かされているような場所なのである」

先の赤字でン?と思ったことは、上記の文でよく分かる。

札幌が創造的な都市に見えないのは、物理的には快適になっているのだが、本質的なところで保守的だからであろう。既成の秩序が強すぎて(これが世界的、日本的にみて素晴らしいという意味ではなく、ある意味島国であるがための競争の無さという程度の既成の秩序の強さ)、新しくて創造的な集団によって絶えず脅かされていないからである。既成の秩序の掌のなかでならば、少し飛び跳ねる人はいるが、本当に飛び跳ねると殺される。飛び跳ねる人に連なる人が次々に生まれない、浮いてしまう。Bグループが潰れても、すぐに違ったB’グループやCグループが出てきて、もぐらたたきをしても間に合わないというのが都市の魅力なのだが。本質的な議論(闘い)がなされていない。

創造的な都市が常に異なる価値観の軋轢のある場であるとすると(この意見には賛成)、歴史を分析することはできるが、そういう都市を作ることは出来るのだろうか。

秋田の小坂町で鉱山の遺跡を活かしながら残すことについて、小さな町の財政でやれるのかという意見が分かれたというが、そういう個別の政策対立は、小さな町でもあるのかもしれない。そこでは、仮に残す派が勝っても、永続的に赤字にしないために(それを見張っている反対派が居る以上)一生懸命工夫を凝らす。こうしたなかでいろいろな人々と地域の人々の交流が生まれ、そこから何かが産まれる・・というようなことを言っているのだろうか。

○IT

ITによる分散化の一方で凝集・連結効果により都市の文化的再生をもたらした。体面的なコンタクトを必要とするような人々の活動を活性化させることになる。文化街区:芸術家やニューメディア・ビジネスによって姿を変えている。

・ロンドンのタワー・ハムレット・ブリック・レーンからティルビュルのポップ・クラスター、ベルリンのハキシェ・ヘッフェ、ヨハネスブルクのニュータウン、NYのシリコンアレーやアデレードのランドル・ストリート・イースト。文化は生み出されるものというより消費されるものではあるのだが。

・米国における文化産業は、航空機産業をしのいでおり、最大の輸出産業。雇用は人口の10%(20%)。ヨーロッパでは5%。芸術志向の強い産業とコンピュータ通信との出会い、デジタル化により、ニューエコノミーのけん引役となった。

公的介入もないのに、マルチメディアガルチやアレーに。シェフィールドは、公的セクター主導で、官僚主義的手続を伴いつつも、1980年にリードミル芸術センターを開館した。英国で初めての、市営のリハーサル、レコーディング、サウンド・トレーニングの施設。古い産業のビルを利用して、映像音響事業センター、ワークステーションという名前の複合施設、ワイアード・ワークスペース、国立ポピュラー音楽センターを開館させた。

これらの創造的環境という場は、技術者たちに他の文化関係従事者たちと協同するよう文化的に注意を促し、同じ仕事場で人々が刺激しあえるよう、実際に顔を合わせる機会をもたらすところである。

マルチメディアという重さのない経済の最良の例は、社会的ネットワークや組織・制度の存在、および市場や取引業者との接近などを通じて、空間的に浸透している。

○歴史からみた含意:彼はホールの著作から4つの含意を読み取っているが、良く分からない。

1.先端的な都市であり続けるためには、知的、文化的、技術的、組織的において、創造的・革新的であることが必要。一つのタイプに特化してはならない。持続可能性という概念のように環境、経済、社会、文化といった次元を包括する概念が必要。

2.都市の文脈では、創造性と革新は、経済、政治、文化、環境、社会における多元的な革新性からなる都市的生活の全ての局面を覆うような包括的で統合されたプロセスとして捉えなくてはならない。

3.創造性や革新の新しくて「よりソフトな」形態を強調することが必要であり、寛容で、開かれた場所としての都市の役割を強調しなければならない。

1と2は都市なのだから包括的に捉え、その全体を革新するプロセスとして捉えるべきというのは、まぁ、分かる。3は、ハードよりソフトが重要であるし、多文化を包含すべきというのも分かる。

4.シアトルやポートランド・・のような創造的で革新的な都市の新たなる一群は、高い生活の質を生み出すことに力点を置いている。経済的な創造力という問題を持続可能性の問題や厳密な尺度を持った都市活性化プログラムと組み合わされたコミュにティ権限強化策などに結びつけようとしている。高い生活の質は、一種の競争のためのツールとして用いられている。サンフランシスコではなく、二番手の都市である。

これは、新時代のエリートが地価が高く環境が悪化したロスなどを逃れて行った町で、そこの環境をより良くしようとしている都市。都市の差別化戦略としては分かるが、既存住民と新興エリートとの軋轢の問題や先にお金があるからが出来るということもある。貧乏で貧しい文化的価値が異なる人々をこうした町が受け入れるのだろうか。郊外化、スプロール化と根っこは同じなのではないか。また、こうした都市が「創造的:異なる価値観との軋轢に常に脅えるなかから新しいものが産まれる町」といえるのかどうか。

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June 13, 2007

都市再生のための道具箱4

創造的な活動にとっての都市について考えたいので、まずは、第二部から読んでみることにする。

1.イギリスのハダスフィールドという人口13万の町が国際競争力のなかで衰退していたが、クリエイティブ・タウン・イニシアチブによって再生した話。

・16の実験的プロジェクト 2000年を区切りとした3年間の試み。創造性、知的資本の潜在的形態は、生活の歩み全ての中に存在している。パイロットプロジェクトを通して、町中に創造的思考を広げるプロセス。

・失業者が再教育、企業化精神の醸成方法、創造的ビジネス訓練会社、創造的投資サービス(失敗)、創造的プロジェクトのデータベース、サロンでの議論、ウェブ、北部の創造性に関する雑誌(失敗)。この町への見方を内外に対し変えさせた。「ハダスフィールド-強いハート、創造的なマインド」というスローガン。

・市の中に主要な役割をする2人が選ばれた→その後交替があった、さてどうなったか?

市民の考え方を変え、自信を付けさせ、そのための教育やビジネス機会の提供などは良いと思う、それが外にも発信され、創造的な町のように見えるようになったとろまでは、賛成。
しかし、これは、ビズカフェ運動と似ている。実態を伴わない(優れた経営者がいない、仕事がない、地域・産業コミュニティが形成されていない)と水が引くように優れた人々が居なくなってしまう。仕事も来ない。

2.フィンランドの光の力

・フィンランドが暗くて長い冬にうつ病が増えるというなか、実は光が大好きであることを直感した筆者が、光のイベントを公とフィリップスとを結びつけて実施した。それが年々広がり、光に関するシンポジウムや産業展示会、観光客誘致などの経済にも結びついているという成功例。これは分かる。なかなか上手い。

3.ドイツのエムシャー

・エムシャーは、川沿いに広がる200万人が住む17の都市がある。産業革命を担った都市であるとともに環境汚染も凄い。かつ、国際競争によって経済悪化。

・IBA(エムシャー・パーク国際建築展:1989年に開幕し、10年後に閉幕)がこれらの古い資産を活用し「古い工場地域の未来のためのワークショップ」を開催した。100以上のプロジェクトが5つのテーマにグループ分けされている。

・10年以上の間に4500人以上の人々が100のプロジェクトに参加した。10億ポンド以上の建設事業と関連分野への公共投資は3万人以上の人々に雇用を創出した。エコロジーと文化に基づいた経済構造の更新から生じた。

・この集中的なイベント、かつ非常に魅力的なリーダーを得た企画は、それなりに成功したらしい。この地域にいくつかのハイテク企業が進出してきたらしい。ショッピングセンターも来たらしい。景観公園になったところもある。そこでは、コンサートも開催されているという。

この事例は、夕張を思い出させる。矢作さんの『産業遺産とまちづくり』には、美唄と夕張のことが紹介されている。ネットでみると、美唄では、現在も、いろいろなイベントが行われていて、札幌などからも人が集まってきているようだ。ネットで見る限り、行っておけばよかったと思われる景観だ。

しかし、一方で、夕張もある。この本でも、遊園地を併設して客を呼ぼうとしていると書かれている。

集中的なイベントを通して、公共投資を実現し、町を新しいものに(環境汚染を無くすなど)再生させることも可能かもしれないが、それが永続性を持たなければ結局消えてしまう。今のドイツのこの地域はどうなっているのだろうか。産業遺産が集中している、あるいは公共交通機関が発達しているなら、通年で今でもいろいろ続いているのかもしれないが。

4.アーバン・パイロット・プログラム(都市のイノベーションを促進するための多国籍プログラム)

・豊富な資金が用意されている。1990年にヨーロッパ委員会によってはじめられた。社会的排除や工業的衰退、環境の侵食や汚染から生じている種種の問題とともに、都市の経済的潜在能力が捕捉され得る新たな方法と欧州中にその教訓が共有されるべき新たな方法を探究・提示するために構想された。

・コペンハーゲン:エコ・テクノロジーと都市再生の統合:市場会館を都市環境技術センターとし、職業訓練・雇用プログラム、リサイクルプロセス、観光建築の実演・宣伝→雇用機会をもたらした。

・ポルトガル:歴史があり、もっともs浴びれている地区再生:建物や景観、照明などの改善・刷新、老人や若者のための特別サービス、商業的、観光的、文化的活動の促進。

・英国ストーク:陶器製造の歴史→古い学校に陶芸デザインセンター設立:文化産業とミュージアムと陶器産業が結びついた。

・ベニス:海洋技術センターを設立(古い兵器庫)

○評価

ヨーロッパ連合がイノベーションの価値が公的に認知した。それに資金を供給した。→想像力に満ちた都市の先駆的試みに信頼と正当性を与えた。→欧州の官僚的な地方自治体にシグナルを送った。国の首都ではなく、小規模な都市が直接欧州連合と結びついた。

26のプロジェクトは、ウエブなどで紹介され特別な存在と意識をし、互いに情報交換がなされ、一緒に改革しようという気持ちにさせた。それは、他地域にも伝播した。

パートナーシップ(商業的、市民的)の重要性や学生的なアプローチが普及した。期限内にやることは革新のプロセスを促進させた。・・・などなど。一方で反省点も。

どうやらこの章は、EU委員会が実施した都市再生プログラムについての評価と反省らしい。EU委員会によるEU統合意識を醸成するために、実施されたもののようで、国ではなく、衰退都市とEU委員会がはじめて対峙したという政治的なものである。その意味で、ある種の公共投資で、ただ、それが従来とは異なる手法を用いたことにある。

これは、日本が地域再生を考えるうえでの一つの手本(良い面も悪い面も含め)ではあり、その場合には、個々の事例をもっと精査する必要がある。が、今回私が知りたい内容ではない。

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都市再生のための道具箱訳者あとがき

その前に、監訳者である後藤さんのあとがきを丁寧に読んでおこう。

彼女は、このところずっと「創造都市」をやってきており、このあとがきが2003年に書かれているので、その後、さらに進んだかもしれないが、このあとがきには、この時点までの彼女のこの問題への整理がなされている。

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1.この本は、都市計画家であるランドリーによって、経験に裏づけられた数多くの説得力のある事例やものの見方が書かれている。「すべての人々の創造性を引き出しながら社会に参加する機会を作り出す」など。

1.創造性といえば、従来、アーティストや科学者などに属するものと考えられてきた。アメリカの類書では、これら創造的な階級の人々をいかに惹き付けるかが都市発展の鍵を握るといった分析が行われている(フロリダのことだろうか)。・・社会的排除を肯定することにつながりかねない。

1.ランドリーは、そこに住む人々(これが最大の資源である)やその地域の資源を最大限活用してその創造性を引き出し、都市再生に結び付けていくという発想である。マイノリティ、女性、ホームレスなど社会的弱者の社会参加の問題を丁寧に扱って都市の創造性に結びつけている。(これは理念として分かるが難しそうだが?)

1.時には、マイナスと思われる地域条件をプラスに転化させる発想(これは日本にもすでにある)。

1.通常では相矛盾する側面を統合的なアプローチを採用して新たな産業を創出するとともに、矛盾を発展へと転化させていく。環境問題と経済発展、観光の振興とコミュニティの発展、文化的伝統の保存と地域開発など。・・・こうした考え方は、従来の縦割り型の組織や中央集権型の行財政システムと齟齬をきたす。(統合が重要でそれが縦割り行政と合わないことは良く分かる、地域とは生活そのものなので、行政の縦割り政策と会わない、地域の視点で中央の縦割り政策を上手く活用する力が求められるのは、日本でも同じ。しかし、相矛盾する問題をどう解くのかは本文を読んでみよう)

1.1985年にはじまったヨーロッパ文化首都:本書に登場する都市の多くがヨーロッパ文化首都に指定されたのを契機に創造的な都市再生プロジェクトを展開している。(この政策は知らないので、要チェック)

1.ヘルシンキ「ケーブル・ファクトリー」約900人のアーティスト等・・ビル管理・運営担当者が面白い・・従来創造的でないと思われた職種が創造的になることが重要である

1.パットナムらの言う社会関係資本(納税者や市民など行政のサービスの受け手の享受能力によって同じことでも効果が異なる:その地域や都市に歴史的に蓄積されてきた自発的な社会参加や公的問題への市民の積極的関与といった市民的伝統によって大きく異なる)への関心と相通じる。

1.社会関係資本(市民的積極参加、互酬性、信頼、水平的ネットワーク)が重要だが、信頼や互酬性だけでは、かえって実験的な試みを行おうという人々の足枷となる可能性がある。社会的関係や組織は、そこに自発性や創造性と伴わないと既得権益や発展をとめる閉鎖性に転化してしまう可能性がある。

パットナム:第三イタリアでは、社会関係資本が上手く機能しているが、南イタリアでは、市民自治が発達していないので、アナーキーでないようにするには、ヒエラルヒーと権力に頼る(付け届けをして守ってもらう)。

1.創造的都市:外に向かって開かれ、多くの人々や情報を受け入れつつ自己変革を遂げている。

1.社会関係資本に加えて、人々の創造性を鼓舞する文化的価値観や文化資本が重要となろう。

1.D.スロスビー『文化経済学入門』で文化を定義して、次の3つの特徴を指摘している。

  ・なんらかの創造性を含んでいる。

  ・象徴的な意味の生産やコミュニケーションに関係する

  ・ある種の知的財産を含んでいる

 文化とは、創造性を含み(文化的価値)、社会的なコミュニケーションやある集団のアイデンティティの形成に関与し(社会的価値)、知的財産となって経済的価値を創出することもありうる(経済的価値)。

1.スロスビーは、文化資本を文化的価値と経済的価値の両方を生み出すポテンシャルとして経済学の理論に位置づけている。

1.文化ストックに蓄積された文化資本がフローとなってサービスを生み出すことで文化的価値と経済的価値に転化することを指摘。持続可能な発展のためには、自然資本だけでなく、文化資本の維持とそのための投資が必要である。(この考え方は面白い)

1.新産業が創出されたり、人々を惹き付ける魅力的な場所には、こうした文化資本が豊かに蓄積されているとみなすことは、何に投資すべきかを決定するうえで、重要な論点(後藤)。

 ○東京都写真美術館:顧客満足の追求、実験的試み、こどものための企画:観客数は経済的価値として需要、実験的試み(文化的価値)、こどものための企画(社会的価値)を同時に追求。→こうした魅力的な場には、人々の創造性を鼓舞する文化資本が蓄積されている。(後藤)

1.従来は、ある活動の結果として経済的価値がどれくらい増大したかを問題にした。都市の再開発は、投資に比べてどれだけの経済的価値が増したか。→創造性を捉えようとすると、人間の行動に内在する価値や価値の評価を問題にせざるをえない。

 スロスビーは、芸術家の制作活動の創造性について、彼らが経済的価値と文化的価値のそれぞれにどれくらいの時間やエネルギーを費やすかによって創造性という視点から見た結果が異なるという経済モデルを示している。(??)

 都市の創造性においても、同様の仮説をおいて考えることは可能であり、人々が対話を通して、文化的価値・社会的価値・経済的価値をいかに評価するかが重要なポイント。

1.魅力的な場や都市を形成するためには、さまざまなプロセスを共有しながら対話を通して何が価値あることなのかという評価を形成し、公共的な資源配分(どこにどれだけ投資するか)のための意思決定の仕組みをつくることが必要。

1.A.クライマーは、『The Value of Culture』のなかで、こうした対話を通した価値評価の重要性を指摘し、NPOセクターが対話を通して価値形成機能を持つことを指摘している。(都市という多様な価値観の人が暮らす地域をデザインするにあたって、これらは大切なのだと思うが、非常に骨の折れることだと思う。ランドリーの本には、この経験も書かれているのだろうが。札幌での経験を思うと、多様な価値観の人が納得する一段高いビジョン、人間が本質的に理解するビジョンならまとまるだろうが、具体的な実施になるといろいろな利害に立脚する人々を取りまとめるのはどうするのだろうか。市長が力があるタイプを除いて)

1.創造的都市の発想も、こうしたプロセスを重視する大きな流れのなかに位置づけることができる。

1.21世紀は、知識社会へ移行すると言われ、今後成長する産業分野としては、福祉など対人直接サービス分野、バイオや医療などの科学技術を応用する分野、文化関連産業が予想されている。(コムスンの問題もあるが、これを働く人の満足度とサービスを受ける人の満足度、資金的問題を含めて、どうやるかは問題!)

 こうした産業の多くは、知的な付加価値が占める割合が大きく、対人直接サービスという特徴を持つため、創造的産業として捉えることができる。

 日本では、バイオや医療といった大学の知的資産である科学技術を中心とした知的クラスター創出の試みが開始されたばかりであるが、ヨーロッパの創造的都市においては、文化産業や文化クラスターあるいは創造的クラスターの創出によって都市を再生した事例が大変多い。

 中心市街地の工場や倉庫の跡地を文化産業のインキュベーターとして再利用して成功している事例だけでなく、空き店舗をギャラリーとして使用できるよう安い家賃で貸与し、既存の商店街を再活性化した例もある。

1.文化や伝統とは、過去のものを保存することではなく、今を生きる人々に生きるよりどころを与え、新たな創造の苗床となるものである。「ライブラリーからライブへ」(桝一市村酒造のセーラさんの言葉)。伝統技術は保存するのではなく活用すること、文化は今を生きる人々が作るもの。(これは賛成。しかし、ある文脈のなかで産まれた文化資産を現代にどう活かすかには知恵が必要)

1.文化クラスターは、そこに住み集う人々の創造性を引き出し、場の魅力を高めることによって文化資本を形成し、そこからフローとしての文化的価値や経済的価値が創出されるという仕掛けである。(文章・理念としては美しいのだが、文化資本が増えて、それが人々の暮らしを高めた事例を再検討する必要がある)

1.創造的産業や文化クラスターの中心に文化資本や文化的価値を位置づける発想は、今後都市再生の議論においてますます重要性を増すだろう。

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都市再生のための道具箱3

この本は、都市計画専門家であるランドリーが、都市(再生)計画を実施してきたたくさんの経験をまとめたもののようで、都市計画をするにあたっての心構えやハウツウを書いたものらしい。

都市再生にあたっては、単なる都市計画(道路を作るなどの物理的な計画)だけでなく、ソフトを重視すべきで、そのソフトのことを「文化」といっていて、新しいやり方で都市再生計画を実施するにあたっては、創造的に取り組む必要があるとしている。

本のタイトルの「創造的」都市というのは、(1)都市が創造的でなければならないという話と(2)都市計画を実行するにあたっては、これまでのやり方ではなく、創造的にやらなければならないという話が二つ書かれているらしい。

札幌での経験から、都市で何かをやるときには、いろいろな利害者の調整やガバナンスの重要性を感じたので、(2)についても関心があるが、当面の関心は、(1)創造的な活動にとって都市がどのような役割を担っているのか、創造的な活動を促進するにあたって、どのような機能が都市に備わっている必要があるのか、人工的にそういう仕掛けを構築することが可能かである。

つまり、しばしばクリエイティブ・ミリューと言われる創造的な環境は、単に都市には、いろいろな価値観の人々が集まっているので刺激があるからということだけなのか。そうではなく、A市は創造性が活性化されるのに、B市では創造性が萎縮してしまう、その違いはなぜかといったようなことがあるのか。・・・このあたりに興味がある。

(1)と(2)を分けて読み進めてみたい。

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June 11, 2007

都市再生のための道具箱2

この本は、非常に読みにくいので、まずは、目次を抜書きする。

第一部 都市の問題推移

第一章 都市の創造性の発見

1.なぜ、いくつかの都市は成功しているのか
  ○創造的に考えること

2.舞台の中心に移動する文化
  ○文化資源
  ○文化の効果

3.創造性の多様性
  ○創造性を解明する
  ○アイデアの力
  ○創造的な場所の調査
 ○創造性という特別な都市の形態?

第二章 都市問題、創造的な解決

1.現代都市
 ○グローバル化する原動力
 ○連結の層
 ○激しくグローバル、激しくローカル
 ○都市経営者のジレンマ

2.都市主義における誤った路線
 ○経済的・技術的変化
 ○都市への含意
 ○社会の変化
 ○都市への含意
 ○政治的変化
 ○文化的変化
 ○結論

第三章 新しい思考
 ○創造的でない都市的生活様式
 ○部門ごとの利害優先の悪弊
 ○努力と思慮の欠如
 ○形式的思考
 ○土地柄の重要性
 ○未開発の資産
 ○記憶にかかわるものを消して行く
 ○アイデアが創造的でないことの内部論理
  ・権限と政治的意思
  ・難点としての説明責任
  ・官僚的な手続主義
  ・率先せず、反応するだけ
  ・短期主義の弊害と、人を惹き付けることの必要性
  ・権力とパトロネージ
  ・不適切な訓練
  ・専門職員の自己正当化
  ・統合の欠如
  ・固定観念に囲まれて
  ・実行を伴わない言葉だけの協力
  ・動機付けについての制約された見方
  ・資本のダイナミズム

1.都市を変えるための革新的な思考
 ○新しい思考の基礎
  ・対処能力を拡大する
  ・認識の枠組み、認識のフロー、認識枠組みの転換を理解する
  ・認識の枠組みを変える
  ・行動を変える
  ・新しい思考の応用

 ○新しい思考の特徴
  ・統合されたアプローチと境界線の曖昧化
  ・隠喩を変える:機械から有機体へ
  ・概念を豊かにする  
  ・知性を豊かにする
  ・コミュニケーションを豊かにする
  ・協力の空間を創造する
  ・権利を広げる
  ・新しい単純さ:エートスに着目
  ・更新できる資源としてのリーダーシップ
  ・評価と成功を再評価する
  ・新しい思考の良い点は何か

2.都市をイメージせよ
  ・共通の関
  ・交通
  ・幻想を超えて?
  ・協同的な創造
  ・・・・・・・の目を通じてみる
  ・インスピレーションを通じた文化的な誇り
  ・どこからでもないアイデア?

第二部 都市創造性の原動力

第四章 創造的都市への転換

1.小規模都市に創造的な文化を根付かせる:クリエイティブ・タウン・イニシアチブ
  ・周辺から主流へ
  ・きっかけとしての内的変化

2.ヘルシンキ:隠れた資源を掘り起こす
  ・光の力-ヴァロン・ヴォイマット

3.非革新的な状況の中でのイノベーション:エムシャー・パーク
  ・ありふれたもののなかから華々しく壮大なものまで
  ・IBAはどう機能しているのか
  ・エムシャー、次はどこへ?
  ・IBAは何をなしとげたのか?
  ・副次的な効果はあったのか?
  ・エムシャー・パークの三つの偶像

4.イノベーションの種をまく:アーバン・パイロット・プログラム
  ・進行中のプログラム
  ・統合的アプローチの事例
  ・評価

第五章 創造的都市の基礎

1.創造性を遺伝子暗号に組み込む:その前提条件
  ・危機と挑戦を認識する

2.個人の資質
 ○想像力に満ちた資質を混ぜ合わせる

3.意思とリーダーシップ
 ○意思の質
 ○リーダーシップの質
 ○リーダーシップにかかわる諸困難

4.多様な人間の存在と多様な才能へのアクセス:人々を混ぜ合わせる
 ○多様性
 ○よそ者
 ○内輪の者

5.組織文化
 ○権限委譲(エンパワーメント)を通した学習
 ○きまりを破る
 ○失敗という徳
 ○触媒
 ○学習する組織に向けて
 ○組織の持つ能力

6.強力な地域アイデンティティを育む
 ○文化的アイデンティティ
 ○歴史の両義性

7.都市空間と施設
 ○公共空間
 ○物理的公共空間
 ○中立的な領域としての都市中心街
 ○集いの場所:ヴァーチャルな場所と現実の場所
 ○公共施設
 ○調査研究と教育
 ○コミュニケーションの回路
 ○文化施設
 ○手ごろな価格で利用できる創造的スペース
 ○再生を行う者としての芸術家

8.ネットワーキングおよび連携する構造
 ○深く根付いたネットワーキング
 ○都市と組織間ネットワーキング
 ○最良の実践と比較評価(ベンチマーキング)を超えて

第六章 創造的な環境

1.初発の関心

2.創造的環境とは何か
 ○歴史にみる創造的環境
 ○文化産業地区
 ○歴史的迂回路の含意

3.創造的環境の質
 ○地域に根ざす
 ○質の高いサイクルの維持

4.創造性の引き金を引く
 ○不可避的な圧力
  ・必要性
  ・不足
  ・衰退

 ○思いがけないこと、予期せぬこと
  ・発見
  ・幸運

 ○野心と期待
  ・楽観主義、企業家主義、利益の探求
  ・競争圧力

 ○参加とアイデアの集積
  ・ディベート
  ・都市構想

 ○他者から学ぶ
  ・エクセレンスの中心
  ・外部からのひらめき
  ・思いがけないつながり

 ○例外的な状況
  ・政変
  ・政治的危機

 ○リーダーシップを変える
  ・活動の準備

 ○地域特性の称揚
  ・地域の制約

 ○概念上の飛躍
  ・考え方を変える
  ・失敗から学ぶ

 ○象徴的な引き金
  ・意図の言明
  ・場所のマーケティング
  ・注目されるイベント
  ・ブランド化されたコンセプト

 ○戦略的明晰さ
  ・創造性のための政策

 ○構造的危機
  ・危機
  ・不安定さ 

5.結論
 ○創造的反応の源泉

第三部 都市創造の概念的道具

第七章 創造性を作り出す計画をはじめよう

1.概念的な道具箱って何?
 ○創造的都市の道具箱の背後にある想定

2.創造的都市戦略の方法
 ○第一局面:準備と計画の局面
 ○第二局面:潜在性と障害物の評価
 ○第三局面:成功と失敗の測定
 ○第四局面:実施
 ○第五局面:意思疎通、普及、反響
 ○要旨

3.文化と創造性
 ○創造的行為の土台としての文化
 ○資源としての文化

4.アイデアの工房を稼動させよう:創造的な道具とテクニック
 ○神話の暴露
 ○創造的テクニックの発明者
 ○テクニックのタイプ
  ・アイデアの数の増加
  ・新しいアイデアの創造
  ・装置の再構成

 ○テクニックの適用
  ・個人レベル
  ・コミュニティレベルのテクニック
  ・都市レベルのテクニック
   ・比較的合議を中心としない、洞察力のある、カリスマ的リーダー主導モデル
   ・伝統的な部門別戦略を基盤とした、自治体主導モデル
   ・ビジネス主導モデル、あるいは成長のための連合
   ・パートナーシップ主導モデル

5.市民的創造性
 ○価値の創造と価値の追加
 ○圧力の発生から遂行へ

第八章 都市における創造性の再発見

1.都市おけるイノベーションの基盤
  ・メタ的なレベルのパラダイム転換
  ・パラダイム転換
  ・基礎的なイノベーション
  ・最良の実践
  ・優れた実践
  ・悪い実践
  ・最悪の実践

 ○概念上の問題
  ・状況的、時間的、空間的依存
  ・創造性とイノベーションを強制的に推進させることはできるか?
  ・直線的ではない進歩
  ・イノベーションの文化相対性
  ・再現可能性
  ・予期できない弱点
  ・絶対的な創造性と相対的な創造性
  ・最良の実践の費用を計算すること

2.ライフサイクル的な思考
  ・開始時の問題
  ・気運の盛り上げと整理統合の問題
  ・水平的な広がり
  ・垂直的な広がり
  ・問題の再定義/二巡目のイノベーション

 ○論点と含意
  ・適切なときに適切な技能を
  ・信頼の欠如と急進派の認識
  ・外部から内部への動き
  ・拡大と再現

3.都市の研究開発
 ○都市研究開発における予算と担当部局
 ○最良の実践の起源と尺度に基づく評価
  ・最良の実践の先を見通す観測所
 ○実験地区とプログラム
 ○都市の研究開発の普及:情報の流れとデーターベース
  ・データベースは都市の研究開発を促進することができるのか?
  ・情報の流れの次はどこか

第九章 創造的な過程を評価し、持続する

1.都市の創造性のサイクル
  ・アイデアやプロジェクトが生み出されるよう人々を支援する
  ・アイデアを現実化する
  ・アイデアやプロジェクトをネットワーキングし、循環させ、市場に出す
  ・安価に借りられるスペース、現実化のための装置一式、展示やショーケースする機会など、実現達成のための仕組み
  ・結果を都市に浸透させ、市場を構築して享受者を増やし、新しいアイデアが生み出されるようにそれらについて討議する

 ○都市の創造性のサイクルの実際
  ・アイデアとプロジェクトを生み出す:第一段階
  ・アイデアを現実に変える:第二段階
  ・アイデアと製品をネットワークでつなぎ、広く浸透させ、市場で販売する:第三段階
  ・実現のための拠点:第四段階
  ・普及、反省、評価:第五段階

2.創造的都市開発の基準尺度
  ・学ばれた教訓

3.創造的都市のための新しい指標
 ○なぜ指標か?
 ○計画立案の指標
  ・計画立案
  ・指標
  ・実施
  ・評価
  ・報告
 ○創造的都市のための前提条件を測定する
 ○創造的都市の活力と実用性を測定する
 ○最後に

4.都市計画様式(アーバニズム)と都市リテラシー
 ○新たなる都市の学問領域?
 ○土地利用としての都市計画を超えて
 ○異分野混交を通じて見識を獲得する
 ○都市問題のための新しい言語
 ○実践される都市リテラシー
 ○地域における都市計画センター

第四部 創造的都市を超えて

第十章 創造的都市とその彼方

1.創造性と革新に関する来るべき潮流の概要
  ・価値の創造と価値の複数化
  ・ハードウェア的解決からソフトウェア的解決へ
  ・少ない手持ちで多くのものを
  ・文化を渡り歩いて生きる
  ・さまざまな見通しを評価する
  ・旧いものと新しいものを想像豊かに結びつける
  ・学習する都市
 ○価値と価値基準を同時に作り出す
 ○ハード面の革新からソフト面による解決へ
 ○少ない手持ちでより多くのことをする
 ○文化の狭間を生きる
 ○さまざまな構想を価値づける
 ○新旧を想像豊かに結びあわせなおす 

2.学習する都市へ向けて

3.都市計画から都市戦略形成へ

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都市再生のための道具箱

チャールズ・ランドリー『創造的都市-都市再生のための道具箱』を読む。

その前に、彼がフランコ・ビアンキーニと一緒にイギリスのシンクタンクDEMOSの刊行物として書いた『THE CREATIVE CITY』の内容を要約する。

このレポートの目次は、次のようになっている。

1.都市の危機と都市における創造性の役割

(都市の経済的な成功に何故創造性が重要か、都市の問題を解決するのにどうやって創造性を動員することができるか)

2.創造性とは何か

3.創造的な都市をいかにつくるか

(異なる経験やこれまで都市計画の意思決定に参加できなかった人を動員することが必要)

4.誰が創造的で、それはどこにいるのか環境への配慮も含まれている。

(後半の二つの章では、世界の例を引用し、どのようにしたら創造的であることが可能か、創造性への障害をどのように克服することができるか、そして、創造的なmilieuxはどのようにしたら設立することができるかを提示する。)

5.結論

私が英文を読んでいるので怪しいところがあるが、彼は、都市(ここでは英国)がグローバル競争のなかで危機的な状況にあり、都市を再生するにあたって、創造性が重要であると述べている。

ここで危機的というのは、製造業では、国際競争力が低下した(経済)ことと、人々が孤立化し、危険が増し、格差が広がっている、交通インフラが使いにくい、地域へのアイデンティティがない(暮らしやすさ)を問題にしているようだ。

そして、都市再生に創造性が必要であるという意味は、かつての社会インフラなどのハードだけでなく、文化などのソフトインフラに着目する必要があるということと、都市計画そのもに創造性を発揮する必要がある(型にはまらないで根本から考え直す、創造性というのは、進歩と継続的な変化を生み出すという意味で近代主義者の考え方)ということに読める。

それにあたっては、これまで意思決定に参加できなかった女性やマイノリティの意見を入れたり、異端といわれている考え方を活用すると良いと言っているようだ。

こうした彼が主張したいことを、世界で再生に成功した都市を事例として具体的に述べている。

なお、ヨーロッパでは、森に行くことが幸せという伝統があり、都市は、敗退や危険など悪い場所という認識が強いということを背景にしているのだと思うが、彼は、都市は、創造性を発揮させる良い面を持っていることを強調している(イノベーションを生み出す保育器)。

都市の性格として二面性を上げている。

1.興奮(人工的なビル)と開放 vs 憂鬱

2.刺激と先進的 vs 廃頽と汚らしさ

3.官僚機構と市場経済(合理的) vs 非人間的と冷たさ

4.スプロール化

そして、創造的な都市環境(クリエーティブ・ミリュー)を生み出すには、知識集約型の企業、大学、文化産業などが重要で、学際的で総合的な考え方が必要だというようなことを言っている。

世界中の都市が競争をしており、それに必要なのは、天然資源などのことではなくて、魅力的なイメージやそれを反映したプロジェクトであると言っている。

創造性についての誤った先入観から逃れる必要がある。

1.創造性は、才能であって生まれつきである→そうではなく、学ぶことができる。

2.創造的であるというのは、制約を破る(狂っている)→狂う必要がない場合もある。自由な考え方が必要だが、現実に落とし込むことも必要。

3.知性と創造性は異なる。知性は意味を認めて理解すること、創造性は概念と認識を変えること。

4.創造(クリエーティブ)と革新(イノベーション)は異なる。創造は新しい考え方が生産されるプロセス、革新は考え方が実現されるプロセス。創造は、考えを生み出す互いに異なる思索プロセスであって、革新は考えの選択と実現に関心を持つ収斂のプロセスである。創造は、革新のための必要な前提条件。都市は、非常に創造的かもしれないが、革新のための分析的で評価的で金融的な解決のスキルはないかもしれない。

創造から革新を得るには、評価が必要となる。そして、評価は本来創造的なプロセスの一部ではありません。評価は、与えられた状況のなかで、そのアイデアが如何に適切か判断することが必要です-実現可能性、費用対効果、人気など。若干の都市は、創造性に特化し、他は、革新に特化している。

5.創造は文脈による(人間の活動領域によって異なった現れ方をする)。

都市計画をするにあたっては、数量的・科学的なやり方を、もっと伝統や質や人間的アプローチに変える必要がある。

それには、行政や都市計画専門家に加え、市民のイニシアチブと直観力が重要となる。

その後、事例を踏まえ、都市計画にとって問題となる項目が挙げられている。たとえば、

1.障害(官僚主義、責任、危機管理)

2.近視眼

3.後援(既得権益)

4.専門性(狭すぎる)

次いで12の重要なテーマを挙げている。

1.成功と失敗の再評価

2.新しい成功の指標

3.キャパシティの取り扱い

4.創造的な個人を最大限活用すること

5.移民の貢献

6.促進剤の活用

7.国際性と地域性のバランス

8.多文化主義から単一文化主義まで

9.参加の強さ

10.創造的な空間の開発

11.初期の勝者と途中の位置

12.都市経営の再考

  ・半公共的組織への仕事の移管による効率アップ

  ・ビジョンとリーダーシップ

  ・信頼の重要性

成功している都市の事例がパターン化して挙げられている。

○都市を研ぎ澄ます・・バルセロナ、メルボルン、バレンシア、ジュッセルドルフ、ロッテルダム

○都市の化粧と芸術的なイリュージョン・・ジェノバ、シュトットガルト、ニース、サザンプトン

○古さと新しさの結婚・・パリ、ベルーガ、ベローナ、フランクフルト

○希望の旅行?・・ストックホルム、ボストン、ドルトムント

○歩きやすい・・ミュンヘン、メルボルン、シンガポール、ミラノ

○天気を打つ?・・アムステルダム、バレンシア

○土地柄・・イギリス、ノースシールズ

○若いアイデア・・バーミンガム、ボローニャ

○時間をずらす・・ミラノ、ニューカッスル

○都市の緑化・・ミドルスブルグ

○何もしない・・

○弱みを強みに・・グラスゴー、シアトル

○媒介を通して記憶を創造する・・ローマ、キングスクロス

○ブランド化・・

○接続のための技術を使う・・グルノーブル

○官民の分断を超える・・

○偏見への対処?・・

○市民との対話?・・

○進歩のチェック?・・

レポートは以上のような内容になっている。

本はその後書かれているので、要点は同じではないかと思われるが、翻訳本なので、私の読み込みが間違っているかのチェックと、その後何が加わっているかなどが分かるのではないかと思われる。

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エンデの遺言

横井小楠についての論文をネットで見つけ、彼の藩札は、実態経済の裏づけがあるのでよいというようなことが書かれており、そこから、地域通貨の話が書かれていた。

地域通貨については、加藤敏春さんが提唱していたり、栗山町のクリンについて話を聞いたり、栗山町で開催された国際シンポジウムに参加もしたが、実のところ良く分からなかった。

栗山では、地域通貨の分類ではタイムマネーにあたるようで、ボランティアで労働をしてあげて、その分クリンをもらえて、何かをしてもらえる。ポイントは、地域における相互扶助やコミュニティ強化といった色彩が強かった。

栗山のような地域でも、間に信用できるセンターのようなものがないと、むやみに何かやってもらうというのは難しい(お互いが嫌いなこともあるなど)ということが地域社会のつながりを強めるといっても難しいことだなぁと感じた。

実際、我が家だって、庭の草むしりを誰かに依頼したくても、ビラで入っているなんでも屋に頼むのは憚られる。どんな人か分からないからだ。泥棒とまでは言わなくても、おしゃべり好きだとか、妙におせっかい焼きだったら嫌だというようなことだ。このため、昔から知り合いの農家の人に木の伐採のみやってもらっている。高くても、信頼がおけるうえに、仕事がしっかりしていて早いからだ。

ヘルパーさんを依頼するのだって、難しい。どの業者を選んでよいか分からないので、地域センターから紹介を受けた。たまたま実はコムスンだったのだが。ヘルパーさんは、どこの事業者に依頼するにしても、それぞれのヘルパーさんをどこまで信頼してよいのか分からない。

「地域社会における信頼の絆」というのも、地域政策を考えるうえでは、重要なテーマだが、これはひとまず置いておいて、「エンデの遺言」では、通貨そのものに疑問を投げかけているのだということをはじめて知った。

エンデは、「モモ」という時間泥棒を問題にした話を書いていることは知っていたが、彼がここで言いたかったのは、時間的余裕を無くして忙しい忙しいと心を亡くしていること(現代社会の様相)を批判しているだけではなく、そうした社会をもたらす根本原因に「貨幣」という人間が発明したものについての批判があったとのことだ。

貨幣については、いろいろな人が議論をしており、良いサイトを見つけた。

1.貨幣に利子がつくのが、そもそもおかしい。このため、経済が成長することを強いられてしまう。成長は、どこかを犠牲にしている。地球環境や誰かを犠牲にしている(貧しい人、地域)。

2.パンを買うためのお金と投機のお金が同じなのがおかしい。

3.シルビオ・ゲゼルは、「老化するお金」を提唱した。溜め込んでいると、価値が無くなるので、どんどん使う(流通する)。

先日お茶の席で、私の干支がいのししで、今年還暦であるという話から、(調べたら600年に一度というので違うようだが)、それでは私は金運に恵まれているはずという話になり、私がお金には縁がないというと、先生に「それはお金が貯まると思っているからでしょう。金運というのは、貯まるのではなく、お金に困らずに暮らせるという意味で、お金が回るという意味だ」と言われた。これが記憶に残っていたこともあり、この「老化するお金」が非常に気に入った。

4.資金的な余裕がない地域で、地域通貨を発行することによって、経済が活性化した。これは、横井小楠の藩札と通じる。

5.地域内で地域通貨GDPが増えても(流通しても)、これは法的通貨からは見えないので、国への税金を払う必要がなくなる。

「地域通貨」にこんないろいろな意味があるのを知らなかった。タイムマネーも地域の縁を取り戻す試みとして重要だが、「地域経営」を考えるうでは、上記のような意味で地域通貨を再考する必要があるのではないか。

ただ、現在の地域のなかでは、必要なものを手に入れることは難しい。結局、電力でも水でも、さらにPCでも、本でも、全てが日本中から、世界中から(少なくとも東京から)入手しなければならない。そうなると、法的通貨とのレートが問題になってくる。福井藩のように、地域内での通貨で生産を拡大し、それを地域外で販売して法的通貨に変えるだけの力量が必要になる。

たとえば、夕張で「石炭ダラー」を発行した場合、映画祭に来た人が夕張銀行で地域通貨と交換して、夕張に居る間は、この通貨を使う。石炭ダラーは活性化してその一部は市役所に入るが、法的通貨による税の支払いは少なくなる。

メロン農家もこれに賛同してくれれば、メロンは他地域に移出して法的通貨を稼ぐが日々は石炭ダラーを使う。メロン農家は国税を支払うとなったら・・・?。これはダメだろう。地域通貨を発行する自治体(あるいはNPO銀行)がメロンの専売をしなければ、これは上手くいかない。しかし、それでは、現在のメロン農家は嫌がるはずだ。(要考える)

経済成長を考えず、横ばい、実経済のみ回るという世界は、どうだろうか。日本は人口が減少していくので、平均的な生活をする人を基準にして、経済規模がどんどん縮小していく。工夫をして生産性が高まることと、規模が縮小するのでコスト高になるところがほぼプラスマイナスゼロとなる。

貧しい人がなにくそ、良い生活をしている人のようになりたいと頑張ったり、知恵を出すことが経済発展につながる(主役交替)という活力はなくなる。資金を抱えた人が投資する(お金が生む利益を考えて)ことが無くなる。巨額の資金が必要な場合どうするのだろう。仮に地域通貨を一時的に増やして、投資をし、10年で回収するとして、そこからの利息はない。働けるうちはよいが、病気になったり、介護が必要になったらどうするのだろうか。利息は生まないが貯金はできて、いざとなったら使うのだろうか(タイムマネーの考え方)。人の人生には波があったり、社会を運営するには巨額の投資が必要な時があるので、貯金や投資ということが考えられてきたわけだが。社会主義になるということなのだろうか。

エンデは、マルクスは、民間資本主義を批判したが、国家資本主義を主張したのが間違いであった。資本主義をこそ批判すべきであったとしている。

また、彼は、今世紀になってから、人々はユートピアを語らなくなったといっている。

○ジュール・ヴェルヌが描いた科学万能主義的ユートピア

○カール・マルクスの社会主義ユートピア

・ウェルズの「タイムマシン」やオーウェルの「1984年」は、悪夢である。

エンデは、「価値のユートピアというものは、あらゆる文化の本質ですらあったと思う。つまりね、まずなにかが自分たちの未来に投影される、それからその投影された見取り図を追いかけていく・・」と言ったという。

エンデが提起したことは、現在の創造都市の議論ともつながっているように思えるが、ここではひとまず終了する。

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June 08, 2007

クリエイティブ・クラス2

DHBRの最初の記事は、フロリダと編集者の対談である。気をつける必要があるのは、DHBRが日本における問題意識として、今回フロリダを取り上げたことだ。高齢化を迎えるので労働力不足なので、女性、高齢者、若者、外国人などの異質の力を活用する必要が欠かせないと書かれているのは、編集者の意見である。

私は野中先生たちが言う「知識経済」は、イノベーションなどをイメージしており、フロリダの言うクリエーティブ経済と同じように思っていたが、彼は、知識経済についての物足りなさを感じており、彼の学生もそう感じており、クリエーティブということろに気がついたという。フロリダやこの学生は、知識経済を大学で身につける知識を活かした経済というように捉えているらしい。・・ここは知識経済をもう一度チェックする必要がある。

フロリダは、クリエーティブクラスをコンピュータ科学者、エンジニア、ビジネス・プロフェッショナル、アナリスト、アーティスト、エンタテイナーなど文化創造に携わっている人を指している。クリエーティブクラスは二つに分かれるとして、一つは「スーパークリエーティブコア」で、理工系の研究者、開発者や芸術家、デザイナー、エンタテイナーなどで、労働力人口の10~12%を占める。これにドラッカーや大前研一が言うところの「知識に基づく専門家」を加えている。この比率が、先進国でも発展途上国でも、労働力人口の30%を占める(北欧では40%)。

クリエーティブという切り口せ統計を整理しなおし、創造性の重要性を説くのは良い。なかでも、ブッシュ政権が創造力ある異端を排除する政策を採っていることが、国の将来の資源を流出させていることに気付かないことを指摘するのも納得。

フロリダがこの発想に行き着いたのは、若い頃にトヨタ生産方式の「カイゼン」を知り、日本の製造業現場労働者が発揮するクリエイティビティが新しい人材管理モデルの可能性をフロリダに予感させたという。

私は、フロリダは、上記コアを対象にしているのかと思ったが、現場のカイゼンをも含めているという。この二つはもしかすると違うものなのに、一緒にしているので無理があるようにも思う(要チェック)。

彼は、労働統計の職業分類で農業が低下、コアが延びている、労働者が停滞、クラスが伸びているなどと示している。

しかしながら、日本では、農業は製造業の現場と同じく、日々カイゼンであり、クリエーティブである。職人も。アメリカのこれまでの労働形態が二極化して考えていたために、フロリダがそう考えるのはしかたがないとして。

彼は、カイゼンのような現場の知識はアウトソーシングできいないとしている。にもかかわらず、すでに日本の自動車産業は部品まで遡ると派遣労働者が担うようになってしまっている!

カイゼンのような人材を育成するには、教育現場でも基礎勉強として詰め込み、繰り返しは重要だが、応用として、問題発見型の教育、心を無にして現場から考える、工夫する教育が必要である→私の新職人。しかし、こういう人材はユビキタス(あちこちにある)である。

クリエイティブ・クラスは特定地域に集積するとしている。シカゴ大学教授ロバート・ルーカス「経済発展のメカニズムについて」で述べている。都市に人的資本が集まれば集まるほど、集積した人的資本が都市の成長を高め、生産性を増加させる。集中それ自体が外部効果としてプラスに作用する。新たな人的資本を惹き付ける。←結果を述べているが、何故、どのように創造性のある人が集積すると相乗効果を生むのかのメカニズムは述べられていない。

大都市に集中するのは、フロリダがコアと呼ぶ人々。彼は、クリエーティブとイノベーションを一緒にしている。全者が発散型であり後者は収斂型であり、後者は、あるいみ現実の解決を目指すのでユビキタスである。イノベーションは問題を解決するので、回りからヘンな目で見られる度合いが低い。クリエーティブは、問題解決ではないから(後からみると時代の問題解決であっても、その時代の人には見えない)、異端と見られる。異端と見られるからトレランスが必要となる。都市には、いろいろな価値観の人が数%は居るので、評価される可能性があるのか、少なくとも、そこに居ることが可能(村から追放にはならない。あるいは、最低限の生活が可能:コンビニがある、安い賃貸があるなど)。

消費地に評価される鰹節を作りたいと励む(味のクリエーティブ)ことと、優れた料理を実現したいという消費地の料理人との流通と情報のパイプ(仕掛け)。料理人は物理的な理由で消費地におり、鰹節職人は物理的な理由で産地にいるとしても、そこに評価格付けの仕組みとそれが全国に知れ渡る仕組みさえあれば集積している必要はない。

一方で、演劇のように、作ることと評価されることが同じ空間で消費される必要がある場合、(料理もそうだが)、立地が消費地になる。

演劇も料理も観客との切磋琢磨があり、同業者との切磋琢磨があることがレベルアップには必要で、これが都市ということになる。創作活動は内面だが、競争は相手が必要、競争の結果が出るのは、観客の評価である。SASは、観客が世界中だが、評価されるので田舎にオフィスがあっても可能。(日本の田舎の刷毛屋)

ここで評価というのは、結果として創作者の内面的満足度。

フリードマンがグローバリゼーションでアウトソーシングが生じ、世界はフラット化するといったことは半分しか正しくない。CCが集中する都市は、世界に20数都市ある。半分はアメリカ、残りは世界中。日本は東京と大阪で二つというよりつながって一つ(メガ地域)。ソウル、香港。

ここで3つのTが出てきて、トレランスが必要不可欠という。開放性、多様性、寛容性。異質な人を受け入れる(出発点)、包容力がある。差異を受入、生産的に吸収する。これは経済成長に不可欠なことである。移民、ゲイ、ボヘミアン、人種間融和などへの寛容性を持つ地域と高度な経済成長をしている地域との間に強い相関関係がある。CCな人々は自己表現をしたいと思っている。自分自身のアイデンティティを作りたい。そういう人が集まる場所には、ゲイやアーティストも集まる。

東京は、寛容な町だから創造性を発揮できるのか、東京にしか職がないので(共同体から追放・開放されたくて)、皆が東京に流れてきて、いろいろな人が集まり、結果として寛容に見えるのではないのか。寛容と成長性が相関しているといっても、成長しているから異端もいるのかもしれない。結果をつなげただけで、何故、異端がいると創造的で経済成長するのかは分析していない(異端をやることへの参入障壁が低いことはある)。

札幌に漫画家が多いのは、ひそかにやっていたから可能であった。表立つと、共同体文化(つぶす文化)によってやられてしまうのではないか。

シリコンバレーも寛容である。起業家というのは、他者に同調しない人たち、こういう地域では、才能の参入障壁が低い。世界中から人が集まれる。

都市の人的資源のストックよりも、フローが重要。誰が入ってくるか出て行くか。アメリカでは、年間4000万人が移動する、若い人が中心。教育レベルもたかい。彼らを惹き付ける地域が勝者となる。経済的に活気があること、素晴らしい大学があること。

都市の政策として、クリエーティビティを全面に打ち出すなら、異端を受け入れる胆が必要。このことは、犯罪が増える可能性もある。クリエーティブは現状の破壊から始まるのだから。しかし、フロリダは、おそらく、住みやすい町で才能を開花させるという出来上がったエリートが美しい環境で心穏やかに暮らせることを夢見ている(住む場所によって、良い伴侶や資産価値があがる・・)。一方で富良野塾や河瀬直美の奈良がある。富良野や奈良が異端を認めたら、どうなるのか、地価が上がったらどうなるのか。

アトリエの点在し、優れた大学のある風光明媚な町。必要に応じて都市に出かける。・・これは、確立した才能の場合で、余生を過ごすなら分かる。リナックスの開発者がフィンランドに居て、ネットで皆が参加するなかでよいソフトが作られる。ネットのなかで評価される。札幌の漫画家は、漫画の世界のなかで評価される。地域の社会とは、日常生活だけでの係わり。逆に言えば、これは、大都市に集中ではないかもしれない。住みやすい町に住むとうことと、クリエーティブな刺激のようなものを外部経済として必要としていない。時折、大都市にある機能を借りるだけで足りる。

グローバルクリエーティブインデックスでは、日本は二位だが、これはミシガン大学教授ロナルド・イングルハートによる「ワールド・バリュー・サーベイ」によっている。日本は、自己表現への価値のスコアは高くないが、非宗教的なスコアがとても高い。日本に足りないのはオープンさ。

中国やインドの都市はパワフルだが、当面先進国の都市と比べ物にならない。日本が話題にならなくなったのは、日本の技術的な優位性が当たり前のことになったからかもしれないし、途上国の成長が注目されるようになったからかもしれない。

クリエイティブ経済は、地域格差と経済格差をもたらす。東京とNYは、似たような都市になった。どこにでもスターバックスがある。居心地よく過ごせる。しかし、中心から外れたところに行くとどの国でも居心地が悪い。メガ地域が他の地域からどんどん離れていっている(裕福な地域)とそうでない地域。世界的な現象。裕福な層の世界観と貧しい層の世界観とが非常に異なってきている。クリエイティブなスキルがあれば、世界中のさまざまな人とコミュニケーションができ、世界とつながれるが、スキルがないと取り残されて、世界とは切り離され、民族的なアイデンティティが同じ人たちと一緒にいるだけになってしまう。世界とつながっているクリエイティブ・クラスとローカルな人とのアンバランスがはっきりしてきていて政治的な反動を引き起こしている。

同じような顔をした町からは、真の創造性は生まれないのではないのか。河瀬直美が奈良にこだわるように、根っこがあって、創造性が産まれるのかもしれない。クリエーティブにとってのアイデンティティ。

彼は、金融ディーラーや弁護士などのビジネス専門家もクリエイティブクラスに含めており、これはグローバル経済化による世界都市化を示しているだけなのではないのか。スタバは、その象徴である。この暮らしが心地良いという人と創造性とは異なるのではないのか。

グローバリゼーションのプロセスに二つの側面があることと関係している。低いスキルの労働が分散している(世界はフラット)、一方で高いスキルのクリエイティブな労働は、集中していてこれが経済格差を作っている。

札幌のスキルが低いのは、グローバル化のなかでの下請け先が国外から海外に行ってしまったから。何故、地方は下請けなのか。それは、消費者とつながっていないから。通信の仕組みを開発しても、札幌ドコモは販売だけの機能なので、結果として、本社に持っていかなければならない。ところが、開発は、日々くるくると変化・進歩しているので、時間距離として乗り遅れてしまう。まだぼうっとした開発初期段階での日々のコミュニケーションの輪に入れない、人的ネットワークもないから。これは、演劇と同じくらい同じ空間に顧客と作り手がいなければならないから。

鰹節の場合には、味の変化のサイクルがゆったりしていたので、都市と離れていても可能であったのかも。だから、地方が高度な創造性を発揮するには、評価のサイクルがゆったりしたもの、観客(ユーザ)と直接つながれる仕組みを構築できる分野などに絞る必要がある。一度後者が構築されれば、田舎でも開発の最初の段階に入ることも可能。

札幌が本当に創造都市になるなら、異端を受け入れ、すすき野化すること、競争すること。あるいは、出来上がった人がゆったりと創造活動をできるよう、すみよい町にすること。住みよい町というと、競争のない町になる(社会主義福祉主義)。これを創造性のある人は喜ぶのだろうか。日常生活しか接点がなければ喜ぶかもしれない。

創造に刺激を求めるなら、魅力的な人がいつも来る町にしなければならない。その場合、町も、常に工夫が絶えない、活力ある町である必要があるのではないか。働いたり、工夫をしたら、それが認められ(評価され)、町が常に変化しているようなまち。変化というのは、ビルがどんどん建つという意味ではなく、路地裏の店が入れ替わるといった意味(敗者が退去する町・生活保護を受けてひそかに暮らすというのは良しとして)。競争メカニズムが働く町という意味。

これは産業革命でも起きたこと。グローバリズムによるのではなく、経済構造が大変化するときに必然的に生じるメカニズム。産業革命において生じた経済格差を真の社会変革として完成させたのはニュー・ディール政策。これによって膨大な数の未熟練で低賃金なブルーカラーの仕事を家族を養えるような仕事に変えることに成功し、それを足がかりに社会階層を上昇していくことができるようになった。資本と労働の分配率を政治的に変更するのではなく、生産性を向上させ、その向上分のうちより多くを労働者階級に配分することで実現した。

経済が発展したので、失業が減り(仕事が増え)、労働者の生活水準も向上した。クリエーティブ経済化が成長を促すので、それを通して労働者の生活水準が高まるというのは面白い。クリエーティブ経済(トヨタもあれば、絵画や演劇、漫画→自動車、TVアニメ、絵画などが成長を促す(単なるモノよりも心を揺さぶる)と考える(経済を捉え直すのは賛成)。

フロリダが言いたいことは、トヨタが現場労働者の能力を開発していったように、社会全体がこれをしなければならないこと。クリエイティブな能力は労働力の3割でしかないが、これを5割、9割にしていくこと。SASが好例。共同経営者のジム・グッドナイトは、30年間、人々の知性を引き出すこと、誰もがイノベーションを起こしうることを信じて現在まで同社を率いてきた。しかし、彼はトヨタを知らない。こうした同じようなことがいろいろなところで起こるはず。

この対談を読む限り、フロリダは、産業革命の時と同様、現在クリエイティブ経済革命?の最初であり、それが9割になる時代にすべきとして「社会契約」を箇条書きしている。つまりクリエーティブ経済への移行をスムーズにするのは国(地域)の政策であると考えているようだ。

誰にでも創造性があること、SASやトヨタを目指すなら、9割になるだろう。しかし、1割のコア人材は流動するがSASやトヨタは企業の人材は企業と密接にならざるをえないのではないのか。1割のコア人材が大都市に集まり、互いに刺激しあって創造性を発揮しあうということと、9割の人々が創造性を発揮するということとは支援する内容が違うのではないか。

フロリダは、クリエーティブな人が金持ちになっていると言っている。これはグローバル経済での金持ちを指している。創造性では、人の生涯でもアップダウンがあるし、多くの脱落者がいるはず。トヨタのカイゼンで皆の生活が豊かになるという話と、芸術家や研究者が成功する話とは異なる。芸術家が皆金持ちになったりしない。リスクの多い人生というのがクリエーティブ経済のはず。しかし、リスクを内面的評価のためにあえて選ぶというのがクリエーティブクラス。そういう人が牽引する時代というのは分かる。つまり、ベンチャーと同じく、1000に3つの世界ということ。1000に997は、大志を抱いて我慢するか、やぶれっかぶれになる。残りの人は、カイゼン型。

クリエイティブ経済の時代はそう遠くない将来やってくる。産業革命で言えば、ヘンリー・フォードが出てきた段階だろう。国々がバラバラに動くのではなく、国際的な枠組みでニュー・ディールのような政治的なイニシアティブに取り組むことにより、世界全体により広範囲に包括的にクリエイティブ経済を築くようにしなければならない。世界中の市長や州知事はこれに関心を寄せているが国レベルはまだまだ。大前は、クリエイティブ経済は、国よりも地域が重要であるとしている。

佐々木先生たちの創造都市は、東京やNYなどの世界都市よりも、むしろグローバル化のなかで苦しんでいるものの、文化的に創造力のある中都市の生き方を示そうとしている。フロリダが20数都市といっていることと異なるのではないのか。

これからの都市に必要な変革については、「クリエイティブ・コンパクト」という文書にしてHPに公開している。相談が来るが私には具体的計画を示すことはできない。変化は内側から、そこに住んでいる人から起こらないといけない。以下、クリエイティブ・コンパクト(1930年代から50年代にかけて、工業化経済における真の繁栄に導いた数々の偉大な社会契約になぞらえて、クリエイティブ経済に必要な社会契約として提案)。

原則1:すべての人間はクリエイティブである。

2:あらゆる面で起業家精神を促す。

3.イノベーションを広げる。

4.クリエイティビティは、社会の課題である。

5.教育をクリエイティビティを育む教育に作り変える。

6.大学をクリエイティブティのハブとする。

7.あらゆるコミュニティをクリエイティブにする。

8.地方の時代を実現する。

9.開放性と多様性を再確認する。

10.グローバルに取り組む。

企業の時代は終焉を迎えた。一生を会社のために働く人が減り、自分の仕事にやりがいを感じたいと思っている。給与の高さではなく、仕事が面白いと思わせなければならない。チャレンジでなければならない。尊敬できる人と一緒の仕事でなければならない。9時ー5時ではなく、自分の都合に合わせて働きたい。どこでもすきなところで働くことができる環境になりつつある。大きなオフィスビルのイメージではなくなるだろう。

内面的な満足度で働く人は、確かに企業のために人生を賭けたりしないだろう。しかし、SASの例で述べているように、企業で本当に働いてもらうには10年いて欲しいので、企業が定着してもらうよう努力するというのは分かる。そうなったら、その結果は、企業に長い期間雇用される人々になるはずだ。日本人が仕事人間なのは、会社のためもあるが、仕事に対しての内面的面白さがあったからだ!

ところで、現在、私は、まさに、自分の生活が中心で、ボランティアで仕事をしているようなもので、非常に快適だ。しかし、これは、年金などがあるからだ。やりたくないことはやらない、自分のやりたいことだけやる。これが人間的だと思う。おそらく、こうした生活が今後のクリエイティブ経済なのではないか。

と考えると、客員教授だらけの日本は(団塊世代をはじめとする高齢者)、先進的かもしれない。年金がなくても、こういう生活を送れるようにするための社会的な仕掛けを考えるのも一つだ。

企業は、世界中のさまざまな場所で一時的な雇用形態の労働者に働いてもらうようになる。アメリカでは、オフィスビルを必要としなくなっている(売りに出され、マンションに)。家で働くのではなく、部分的にオフィスになっているコミュニティの施設が新しい仕事場になる。人々は住みたいところに住む。ヘッジ・ファンドのマネージャーは、皆家で仕事をしているので、毎日朝食を取りに行くレストランが会議の場になっている。グーグルの開発者用のNYのオフィス(新しいコンセプト:好きな時間に自由に出入りができる。一時間いて自宅に戻り、犬の散歩をしたり・・)。

クリエイティブな人々は、心をつかむと驚異的に能力を発揮する。管理のやり方が根本的に変わる。企業で働く人々はボランティアのような扱われ方をしたいと思う人々になる。

GMの車を人々が買わないのは、それがブルーカラーの車だという連想が働くから。トヨタのハイブリッドのレクサスはCCの車。品質ではなく、ブランドに共感している。

クリエイティブ経済の鍵は、自己表現を一人ひとりにさせること。(スウエーデンも日本と同様集団志向の国なので、出る杭は打たれる・・が)。今書いているのは、「住む場所の選択が人生でもっとも重要な決断となる理由」。住む場所として選ぶ都市がそれらに(望ましい生活)かなり影響を与えるということはまだ良く知られていない。

世界はフラットではなく、凸凹しているので、住む場所は重要。住む場所によって仕事は違うし、収入にも影響するし、不動産を持てば資産にも影響する。

金沢21世紀美術館の初代館長は、起業家精神に富んだ人で、美術館をエンタと捉えて成功した。企画は商品であると捉えた。設備投資を上回る売上を初年度から上げた。こうした美術館が地域にあることは、その地域の子供たちに創造性を植え付けるだろう。しかし、彼は3年ほどでまた別の地域に行ってしまったという。・・これは、確かにフロリダの言うように、創造性ある人は世界中を移動してしまう。創造性ある人は、私が言う見える競争など関係ないのだろうか、自分なりにキャリアをつみ、ノウハウを得て、活躍の場をえられれば、どこにでも飛んでいってしまう。

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June 07, 2007

SASの例

次に第三のSASの事例が紹介されている。

これをざっと読んだ限りは、バブル崩壊前、あるいはグローバル経済化前の日本企業そのものである。

日本企業は、SASの事例で取り上げられている「良いところ」を持っていたはずだし、それを言っていた人はいたかと思うのだが、経営学としてきちんと述べる人がいなかった。企業経営者も慣習でやっていただけでそれをクリエーティブということから整理しきれていなかった。

当時は、長期雇用は遅れていて、アウトソーシングだと日本の経営学者は言って来て、多くの企業もグローバル化のなかで打ち勝つにはそれだとしてきて、その結果、日本企業の「良かったところ」が失われ、欧米企業が持つ「良いところ」も中途半端になって皆自信喪失し、若者は企業に魅力を感じなくなってしまっている。

しかし、おそらく、環境が変わり、クリエーティビティがますます重視されるなかで、昔の日本企業が無意識に実施していたことで不足するところもあるはずで、その辺りを精査する必要がある。

・クリエーティブな人材を動機づけるのは、金銭的な報酬ではなく、内発的報酬のほうが効果的である。クレアモント大学院大学教授のミハイ・チクセントミハイは、「フロー」という概念を援用し、創造性を生み出す要因と創造性が組織に及ぼす好影響について検証。フローとは、わき目もふらずに物事に没頭しているときに感じる満足感ややりがいのこと。

・創造性をはぐくみ、その活用や融合を図るうえでもっとも適した状況を社会およびマネジメントの観点から解明しようとする研究者が増えている。

  カリフォルニア大学デービス校経営大学院准教授アンドリュー・ハーガドン

  ゼロックスの元主任研究員ジョン・シーリー・ブラウン

・オープン・イノベーション(ユーザや顧客がクリエーティブなプロセスに果たす役割の重要性)という新しい開発モデルを提唱

  MITスローンスクール・オブ・マネジメント教授エリック・フォン・ヒッペル

  カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネス特別教授ヘンリー・チェスブロー

・吸収能力(R&Dでイノベーションを生み出す能力とは別に、外部で発生したイノベーションを上手に取り込む能力)

  デューク大学フュークア・スクール・オブ・ビジネス教授ウェスリー・コーエン

マネジメントの歴史を見渡せば、革新性を追求するため、効率化を図るため、多くの企業がさまざまな種類のプロフェッショナルの創造性を引き出すと同時に、ユーザや顧客の創造性を活用してきた。・・しかし、これらの考察を統合し、体系的な創造性開発のフレームワークを構築できた企業はきわめて少ない。そのなかでSASは特筆すべき例外である。

・SASは、非公開、企業向けソフトウエア企業。フォーチュン誌のもっとも働きやすい企業トップ100で毎年20位以内に顔を出し、離職率は業界平均20%のところ、3~5%。同社のソフトウエアの満足度は高く、98%の契約更新率。2006年度の売上高は、19億ドル、30年間増収を続けている。

・SASは、顧客、開発者、管理職、サポート担当者など、あらゆるステークホールダーのクリエイティブなエネルギーを利用する術を承知している。

・創造性を管理する独自のフレームワークを構築してきた。次の3原則。

(1)社員達がその実力をあますところなく発揮できるよう、社員たちの知的好奇心をたえず満たすと同時に、不要な面倒を取り除くこと。

(2)創造性を喚起することを管理職の責務とし「背広組」と「クリエイター」と一無意味な区別を排除する。

(3)優れた製品を提供するため、クリエーティブなパートナーとして顧客を巻き込むこと。

○これら三原則の前提にあるのは、クリエイティブ資本は、個人のアイデアを寄せ集めることではなく、人々のインタラクションから産まれるということである。

○SASは、開発者、営業担当者、顧客の三者の間で長期的な関係をはぐくむことによって、将来のクリエイティブ資本に投資している。

・シカゴ大学経営大学院教授ロナルド・バートが示したように、社員と顧客の間に長期的な関係が築かれれば、「思いがけない発見」に遭遇するチャンスが増え、ひいては企業の利益に貢献する。

○収益性と柔軟性は表裏一体であり、ハードワークをこなしつつ仕事と私生活のバランスを図ることができる。

・「モチベーションとは何か」『ダイヤモンドHBR』2004年4月号、「動機付ける力」2005年・・モチベーション研究の第一人者フレデリック・ハーズバーグ

・芸術家を駆り立てるのは美しいものを創造したい、営業担当者を突き動かすのは狩のスリルであり、ノルマ達成による充実感

・SAS:営業担当者がノルマ達成に役立つように、製品知識を共有できるシステムを開発し、セールス・エンジニアという職種を設けた(社員からの質問に答えたり、技術上の問題を解決する)→営業担当者が新規顧客の開拓に割ける時間を増やし、製品説明書の子細を勉強する時間を減らすのが狙い。

・開発者を成長させるために、知的興奮を与えるために、個別の業界や技術に関する会議に開発者を派遣する。→プログラミング能力に磨きをかけ、ソフトウエア業界で人脈を築く。★長銀ではそうであった。おそらく日本の大企業は皆そうだろう。

・開発中の技術展覧会を開催、開発担当者が非技術系社員に説明する。自分達の知識を紹介するために社内や顧客向け白書を発行する。記事や書籍を共同執筆する。研修費も潤沢である。★金融商品や業界の新しい動向などについては社内での勉強会、社内外向けレポート作成などがなされていた。

・開発用ツールも頻繁にリニューアル。他社製の最先端のツールが与えられるので、社員は退屈する暇が無い。自社製のデバッグ・ツールも更新され業務効率の改善を手助けしている。

・社員の能力を引き出すという目標はずれない。全ての職種の社員が自社の社員。アウトソーシングされているものはない。コックも用地の管理人も、取締役も。福利厚生も平等。★長銀はじめ、昔の大企業はほどんどそうだった。

・クリエイティブ人材は、やりがいのある難題を求めるが面倒は嫌いだ。そこで、社員を面倒から解放しようと腐心している。福利厚生が手厚い(やみくもではなく、毎年社員調査で提案を募り、社員のニーズを満たすことが会社として理にかなっているかどうか検討する。不採用となった場合もきちんと説明する)。★社員調査でニーズを探ることはしていなかったが、福利厚生は手厚かった。

・敷地内には、社員とその家族向けの医療施設がある(病院に行く時間が省ける、早期に発見できる)。保育所も設けられている(3分の2を補助しているが、社員が早く復帰できる)。社員の子弟も社員食堂を利用できるので、家族が一緒に昼食を取れる。バスケットコートやプールやジムも揃っている。ワークライフ部門(教育や交流、各種情報の提供をサービスする)では、子供が大学を選ぶ、親に在宅医療や介護サービスを探すことの力を貸す。マッサージやクリーニング、理髪、自動車整備なども敷地内で格安に提供されている。(ペットの預かり所は要望が少なかったので取り入れられていない)★医療施設、食堂、スポーツ施設、定期券購入、クリーニング、理髪などはどこも社内に持っていた。この説明で日本では不足していたのは、保育所、家族が一緒に取れる昼食(社員食堂では誰でも入れたが、家族もご一緒にという風土ではなかった)、多様な家族の相談に乗ってくれる窓口。

福利厚生は、社員の生産性向上に役立つうえに、離職防止に役立つ→新規採用や交替にかかる費用を削減できる。

・スタンフォード大学経営大学院教授ジェフリー・フェツファーは、SASはこの種のコストを年間8500万ドル浮かせているという。

・新入社員が最低限の技術知識を身につけるまでには、半年かかるが本当の意味で企業文化を吸収し、確固たる人間関係を築くには何年もかかる。社員をつなぎとめることで、営業やサポート、ソフトウエア開発などの社内人脈と顧客などとの社外人脈が長期的に維持され、しかもたえず強化されている。クリエイティブ人材は、まさにこうした人間関係に宿るものなのだ。★ここを書き写していて、全く嫌になってしまった!日本の大企業は、まさにこれをやっていたのに。すっかり壊れてしまった。終身雇用・年功序列的体制のメリットデメリットをきちんと検討せずに、能力主義、アウトソーシングに走ってしまった。終身雇用・年功序列的体制が会社の財産であるところのクリエイティビティ蓄積に重要であるということを誰も整理しなかった。

・社員には職場以外の生活があることを理解し、これを尊重する。息子の晴れ舞台を見れるように、創造性がもっとも高まる時間に出社できるように・・勤務時間は柔軟に運用されている。週35時間労働制、残業は多いが、週70時間労働にならないよう取り組みをしている。「8時間働いたら、あとはバグの山を築いていると思え」。クリエーティブ人材ならば、業務量を自己管理させても大丈夫なのだ。同僚への責任感、内なる達成意欲がある以上、社員たちは高水準の生産性を自ら守らざるをえない。★現業部門を除いて、長銀ではこうした方向に向かっていたのだが、現業がベースの勤務体制というのがあるために、すっきりとはできなかったが。ただ、日本企業の風土として、もっとも働きやすい時間といっても家族のイベントを重視するには気が引けるという問題は残る。

・定例的な会議はなく、必要に応じて行われる。情報を共有すべき社員たちが意見交換を怠らないように仕向けることがマネージャーの責務の一つ。

・平等主義、全社員がクリエーティブな人材であるという認識にたっており、背広組み対クリエーターとの二分はない。CEOやマネージャーたちも、プログラムを書くなど実務を担当している。現場仕事を厭わない。→共に奮闘する仲間であるという重要なメッセージとして伝わる。→自分の貢献が評価されていると実感できるし、上司が質問の意図を理解してくれると思えば、躊躇せずに疑問をぶつけられる。上司への意思決定への信頼感が増す。★日本の企業は、社員から上司、経営者が出るので、ほとんどがプレイイング・マネージャーであり、仕事面での上下の意思疎通は出来ていた、また、誰でも創造性があると基本的には思っていた。役所では、技官と事務官が違ったり、特急コースと準急コースなどがあるが、それでもそれぞれの持分で尊敬しあってはいる(身分差別はあるが)。

・SASの社員たちは、組織図上の階層を上がることよりも、素晴らしい仕事を成し遂げることで同僚の尊敬を勝ち取ろうとする。経営陣は執務室のドアを開け放っており、社員と経営者がふらりと立ち寄りあい、意見交換しあう。マネージャーの仕事は創造性に火をつけること。そのためまず質問をあびせかける。「これやこうやれ」というのは、部下をタイピストとしてしか未定内ことになる。イノベーションに拍車をかけるために、さまざまな職種の社員同士を引き合わせるのも管理職の仕事。★日本企業は、これもほぼやっている。アウトソーシングが始まって、細分化された範囲で仕事を命令しなければならなくなり、間間が抜けてしまったくらいだ(それまでは、それぞれが判断して間を補えていた)。

・社員が欲しがるソフトや資金をよほどのことが無い限り、疑わない。部下を信用する。

・福利厚生の厚さが魅力で入社してくる人もいるため、採用試験は難しい。協調重視の職場で働く、経営者も同僚も技術に精通しているので、能力が基準に満たなければすぐに化けの皮がはがれる。

・善意の失敗には罰則がない。怒られるのは、何もチャレンジしない場合。★この辺りは、企業ごとに文化が違うであろうが、長銀は余裕があったので、チャレンジ可能であったと思われる。失敗してよいとまではなっていないが、顧客への信用をなくすこと、経営に大きなダメージを与えるほどのことでない限り、下からの提案もやらせてもらえた。

・お目付け役は、上場企業ならばウオールストリートであるが、情け容赦ない。SASは非上場であり、お目付け役は顧客である。株主や市場は、反対か賛成かを判断するだけだが、顧客は、賛否の理由と改善方法を教えてくれるだけでなく、一緒に改善を推し進めてくれる。★昔の日本は株式持合いであったから、株主を無視して経営が可能であり、顧客からの評価で企業価値が決まっていた。

・ウエブや電話を通じて顧客の苦情や提案を集め、自社の活動に反映させている。1976年の創業以来、毎年、顧客からの要望の上位10件の全てを実現してきた。寄せられた要望の8割が実現されている。毎年開かれるユーザ会でも顧客の意見が収集されている。ユーザ会は創造力を育てる苗床の役割を果たしている。公開討論の場である。SASのユーザはいずれもさまざまな分野で活躍する知的水準の高い専門家である・・という潜在性の高さ。★日本企業は、これについては悪いことを外に出さないような体質であるため(さまざまな不祥事のように)、隠す体質であり、苦情を前向きに捉える体制にはなっていなかったのではないか。花王などはこの点で進んでいた。他にも進んでいる企業は居たと思う。

・コンサルや技術サポートを担当する社員たちは、単なる問題解決屋ではなく、ユーザと協力しあうことで新たなソリューションを創出している。営業担当者も単なる売り手ではなく、長期的な人間関係を築き上げながらその過程で顧客ニーズに秘められた意外な事実を学びとっている。★これは、日本のほとんどの企業がそうだったと思う。営業マンも成績優秀者はそうであった。桐生の小林当さんもそうだ。

・SASは、マニュアルに開発担当者の氏名を記載している。顧客は開発者本人に電話することが可能。SASの社員のロイヤリティが高いので、引き抜きなどがないので、直接電話対応できるのだ。顧客と定期的に対話できるのは、ビジネスモデルが期間契約方式であることにもよっている。ロイヤリティが高いので広告宣伝費を抑えられる。→R&D費用が潤沢。平均が10%なのに26%。★長銀はそうだったが、メーカーなどではどうだったろうか。トヨタなどは部品メーカーの名前を出さない。これは守ってくれている面もあるが(全てトヨタの責任)、一方で、部品メーカーが消費者や他自動車メーカーに自らの凄さを訴えられない歯がゆさがある。トヨタなどは、少し前までは、英雄を作らない方式だった(皆で総力を挙げているので)。アメリカのように引き抜きが一般的な企業風土では、SASのようなのは珍しいのだろう。★長銀調査部では、意見交換、知識交換をする(溜め込まない、教えあう)ものの、個人名でのレポートを出すことを認めていた。個人名で出すが、調査部内の知識は、共有財産のように使っていた。

・以前バグで信用を失ったことがあるため、バグのない製品開発にこだわっている。検査が厳しい。機能の拡張、営業、利用などについて、少しでも不自由があれば、計画段階まで立ち戻ってやり直す。最初に道を誤らなければ起きなかった問題を後から時間や資金をかけて取り繕うといった無駄なことはしない。百の技術サポートより一の予防なのだ。

・技術サポートにかかってくる電話の待ち時間は34秒、顧客が抱える問題の4分の3が24時間以内に解決されている。→満足度の高い顧客に最高のソリューションを提供。★日本の通信会社やPC関連会社は、どこまでこうしたことを配慮しているのだろうと思えるところがある。

日本企業が単一的(男性社員中心)であるとか、家庭を配慮しないなどの問題点があることは別として、クリエーティビティを発揮させるということ(社員の自己実現にもつながる)については、良い面をたくさん持っていたのではないか。即戦力を求めて、研修は外部経済に任せる、社内で通用するだけではなく流動できるキャリア形成・・などの問題点を認識すべきである。

もう一つは、クリエーティブな人材は、社会的に意義のあることをやりたがっている(社会起業家など)。これが多くの既存企業では叶えられないようにみえるところが問題かも(本来は、社会のある問題を解決するためにその企業が誕生したはずなのに。社会的意義よりも、競争に勝つことの方が協調されすぎているため)。

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クリエーティブ・クラス

リチャード・フロリダのクリエーティブ・クラスにちなんだ特集号がハーバード・ビジネス・レビュー日本語版の2007年5月に組まれている。

3つの記事があり、一つが編集者によるインタビュー(日本向け内容)、第二がHBR英語版の2004年10月号の翻訳(アメリカ向け内容)、第三がクリエーティブな人材を活かしている企業事例としてSASを取り上げたもの(HBR英語版2005年7・8月号の翻訳)である。

まず、第二については、時代がクリエーティブ・クラスを必要としているのに、ブッシュの政策もあり、こうした人材が逃げ出していることに将来的な危機感を感じて書かれたものである。アメリカの政府・政党は、産業構造の変化を認識し、クリエーティブな人々が集まってくるような仕掛けを整えるべきであると提言している。

これまでは、世界のなかでは、アメリカがダントツに世界中のクリエーティブな人々を引き付けていたのに、ブッシュの政策でビザがもらえないなどの問題から、留学生やクリエーター達が入国できないため、それに代わる英語圏(イギリスやオーストラリア、カナダやニュージーランド)に向かっていること。中国やインドなどが経済成長し、自国に優れた大学などを得るようになったことなどを挙げている。

もう一つは、日本のように、製造業やサービス業で働く人々を単純労働者から、大多数の創造性を引き出せるように移行する方策を模索すべきだといっている。

以下、気になる数字(なお、9.11は2001年);

・アメリカには、フロリダが言うクリエーティブ・クラスが3800万人いる。その労働者の比率は30%を超える。その賃金所得は、全体(約2兆ドル)の半分近くを占め、製造業とサービス業を合わせた金額にほぼ相当する。

・高等教育を目指す人の数が増大し、VCが立ち上がり、Vが産まれる道が開かれた。オープンな概念が広まり、表現の自由が新しい技術や文化の生成と発展に寄与した。

・世界中から優れた能力を誘因する力があった。移民の力。外国生まれの移民の数は3000万人を声、全人口の11%を占める。

・総人口に占める移民の比率では、カナダ18%、オーストラリア22%のほうが高い。

・労働力人口に占めるクリエーティブ・クラスの比率がアメリカより高い国が複数ある。グローバル・クリエーティブ・クラス・インデックス(GCCI)を比較すると(25ヶ国)、アイルランド33%、ベルギーとオーストラリア30%、オランダ29%、・・でアメリカは11番目(技能者を含まない)。

・技能者を含むと、オランダ47%、スウェーデン42%、スイス42%・・8ヶ国で40%を超える。

・数ヶ国でCCが上昇している。ニュージーランドでは、91年の18.7%から27%に、アイルランドでは33%へ。

・ビジネスウィーク誌による2004年度IT企業でもっとも競争力のある企業攘夷25社のうち、14社がアジアで、アメリカ企業は6社であった。(要チェック)

・科学論文では、88年にアメリカの学者が発表した論文は17.8万件で、全世界の38%を占める。しかし、2001年までにEU諸国がアメリカに取って代わった。物理学では、83年には61%であったが、2003年には29%になった。

・2004年秋の入学に対する留学生の出願件数が32%も減少した。中国76%、インド58%も前年に比べて減少した。

・イギリス、ドイツ、フランス、オーストラリア、日本の五カ国で、アメリカよりも11%多い65万人もの留学生を集めている。

・サクセニアンの推計によれば、シリコンバレーのハイテク企業のうち、中国人とインド人が経営する企業が占める割合は、80年代初頭から90年代にかけて、13%から30%近くにまで増加した。

・アメリカでは、企業のR&D投資額は、2002年に約80億ドル減少、政府は防衛技術分野でのR&D費削減に取り組んでいる。州政府の多くは、高等教育における文化・芸術のプログラムを削減する一方、スタジアムやコンベンションセンターなどの建築プロジェクトに巨額投資を続けている。

自由や安全と同じように、創造性は公共財である。すべての人に帰属する本質的なものであり、これを失いたくなければ、たえず育成し、改善し、維持していかなければならない。

「創造性というものは、天然資源のように備蓄できるものでもなければ、それを巡って争いが起こるといった有形の資産ではないし、まして売買可能なものではない。」

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フロリダは、創造性を発揮する時代には、3つのTが大切で、それが技術(テクノロジー)、才能(タレント)、寛容性(トレランス)であるとしており、何故、ある地域に集中するかというと、寛容性がある地域とそうでない地域があるからで、クリエーティビティを発揮させるには、寛容性が重要であると言っている。

これは確かにそうで、彼は、そのためにブッシュが取っている政策は、アメリカの良いところであった寛容性を失わせており、よくないとしている。

彼のアメリカへの警告は、まさにその通りと思われ、今後の経済社会の発展にとって何が重要かを良く理解して政策を打つべきであるというのは大賛成。

そのために、彼は、アメリカが寛容性を取り戻すとともに、創造性を高める方向でお金を投資すべきであるといっていることは賛成だが、上記「 」は、どうだろうか。

創造性は、人や場に蓄積するので、それがなくなってしまえば確かに備蓄できないが、ある意味冷蔵庫と同じように、そうした環境さえ維持すれば備蓄可能であり、今後は、創造性ある人々を獲得しようと争いが起こるかもしれない。売買もありうる。

その場合、創造性ある人々は必ずしも金では動かないかもしれないが、金も重要であり、まして勉強できるチャンス、刺激を得られるチャンス、研究開発費が豊富などと合わされば人は動く。売買といっても単なる金ではなく、「環境」の提示で獲得競争が起こる可能性はある。彼らは、意義(人類を救うなど)で動かされることもあるが、知的好奇心でもっとも良く動くので、アメリカが第二次世界大戦で原爆を開発したようなことやクローンなど神を冒涜することも十分やる可能性がある(オウムだってそうだ)。

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細川・肥後藩

青陵のところで、細川藩の米の買い方や50万石なのに幕府に1万石に処遇してもらうようにしたなどあったので、ネットで細川・肥後藩についてちょっと調べた。

まず、細川家というのは、すごくしたたかなようだ。

細川藤孝(幽斎)は、足利将軍に親しかったが、足利が信長と仲たがいすると、信長につく。信長の死後は、秀吉、家康について乱世を乗り切る。その子供の忠興の妻は、明智光秀の娘お玉でガラシャ夫人だが、本能寺の変後、ガラシャ夫人を離縁して、自らは剃髪し、秀吉の許しを得た後、ふたたび夫人を迎える。後には、羽柴姓を許され、朝鮮出兵で軍功をあげる。

関が原の戦いでは、家康方について功をなす。その後も将軍家から名前の一字を貰うなどしてかわいがられている。

内心どう思っていたかは別として、非常に上手に乱世を渡ってきている。加藤清正が改易後の熊本に入るにあたっても、清正の位牌を先頭に入城したという。加藤家家臣や肥後国人を多数登用したらしい。

細川氏が小倉藩主のころからやっていた制度として特筆されるのが「手永制度」で、郡奉行の助役でその地を統括する総庄屋を「手永」に任命した。地方は手永の下に村が置かれて庄屋が統治した。

8代重賢(1720~1785)が就いた頃には、細川藩は窮乏しており、彼は倹約生活を勧めるとともに、1752年に「宝暦の改革」を実行した。殖産新興に励んだ。以下引用

「緊縮財政をとるとともに、商品生産の向上を図って蝋の原料となる櫨の生産と販売統制、養蚕の奨励・援助など、楮、繭糸、櫨蝋を専売として収入増加を成功させた。藩校・時習館、医学校・再春館を創設して文教政策を推進、隠田の摘発、高率の一律課税(定免制)の制定、「刑法草書」を編纂して刑法を改正等、数々の新政策を打ち出して名君の誉れを得た。」

横井小楠は、この時習館で特待生として学んだ(寮生となり、藩から扶持米を得た)。後には、実学に基づく独自の塾を設ける。藩校派と対立して、藩内では活躍の場がなかったのを福井の松平春嶽が招聘した。

「国是三論」を著して殖産興業、利益の平等分配、海軍力の強化、文武両道に秀でた人材の登用を説き、藩の進むべき道を示した。

春嶽とともに公武合体派であったため、江戸で尊王攘夷派の刺客に狙われた折に逃げた(一緒にいた熊本藩武士が殺された)ので、武士にあるまじきとして士籍剥奪の処分を受けた。

逼塞中の小楠は私塾「四時軒」で子弟を育て、維新後、新政府に召し出されて参与になったものの1869年(明治2年)正月5日、キリスト教信者と誤解されて攘夷論者に暗殺された。

司馬遼太郎は、小楠について、弟子が先生は、昨年言っていたことと違うことを言うと言った折に、滞っているのは俺ではないといったという。時代がどんどん変わるなか、考え方を練り直していく姿勢は、昔の本を金科玉条としている姿勢に比べ、素晴らしい。

明治になって憲法草案や教育勅語の草案を作成した井上毅もこの藩校の出身。

細川藩は、江戸・大阪の商人から借金を重ねていたが、たびたび踏み倒したという(藩内で一揆があれば、改易・お家断絶があるが、踏み倒しても一揆の心配はない)。このため、商人からは、「貧乏細川」と嫌われたという。

踏み倒すと次に借りるとき困るのではないかと思うが・・?しかし、したたかである。

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June 06, 2007

山片蟠桃

山片蟠桃は、たとえ家康が言った言葉でも、それは、その時と場所に限って言った言葉であり、環境や対象が異なるのに、金科玉条として守るのはおかしいとした。

彼は、商人からは平等に税金を取り、特権商人を拝して営業の自由を認めるべきであるとした。特権商人は、さまざまな名目で金を出す一方、さまざまな特権を貰い、独占的利益を得ているが、これはやめるべきであるとした。幕府が経済に介入することは害のみあって利益なしとした。

米が高騰すると民が困るからと低価格政策を強行すれば、供給が減るから物価は高くなる。逆に米を上げて、輸入を禁止すれば、高くなるので人は買わなくなるので米離れが生じて減反となる(今日に通じる)。凶作になると米確保のために酒造り半減令を出すが、飲酒半減令を出さなければ意味がなく、出しても守られない。需要が強ければ密造となる。

たとえ幕府が善意から上記政策を実施したとしても、「主婦連的発想」であって経済に無知である。

秀吉は、飢餓の時に逆に米を買い占めた。これにより民が苦しんだが、あるタイミングで少しづつ放出し、秋まで延ばして一人の餓死者を出さなかった。

知恵伊豆は、大火で米が不足した時に、米を買い上げたので、価格が高騰し、他藩から米がたくさんやってきた。

貧しくて米が買えない窮民を救う話と、低価格政策とを混同してはならない。①高くても米を買える人、②買うには苦しい人にはクーポンを低価格で買わせる、③本当に苦しい人にはクーポンを与える。

各藩が米の備蓄をするのが飢饉に備えるという意味でよいが、蟠桃は、全国の流通網を整備し、そこに遊米(在庫)があれば、イザというときの備えになる(その場合、飢饉の藩は、低価格対策をしてはならない)。米切手が流通しており、必要なら買える状況。

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海保青陵

青陵は、天下を治めるのは、仁とか徳とか(王道、徳治)ではなく、単に覇である。

覇は、政(まつりごと)と刑(刑罰)による統治である。その基礎となる秩序の支経済的合理性であるとする。

そのうえで、儒学を持ちうるべきで、「孟子の言、孔子の言を取らず、彼の意を師とせよ」としている。

孔子も孟子も中国の乱世の時代に天下泰平になるにはどうしたらよいかを説いたもの、徳川の今日は、もう秩序が出来ているのだから、秩序確立した時代に何をするべきかを考える必要がある。それは経済(産業振興)であり、これが藩の命運を左右する。今から天下を取るなどということを学ぶのはおかしい。

中国や韓国は、日本の中央集権的封建制ではなく、完全な中央集権国家であり、科挙(官吏登用国家試験)があり、「聖賢の教え」が出題される。これを知っている人が統治者階級を構成する仕組み、聖賢の教えに基づいて統治するという建前であった。

日本は、藩同士が競争する国であり、各藩は武士(国家試験による官吏ではなく)が統治する、そこで青陵のような人が出てきた。明治には、欧米から借りたが、江戸時代には、自前で考えなければならなかった。

○韓国では、中央政府に任命された知事が地方を2年で任され、かつ出身地ではないところに派遣された。また、下級官僚は、地元出身者であった。このため、知事は、地域を把握しないうちに任期が切れ、下級官僚は、面従腹背であった。官災、口災(密告:これは今の中国、北朝鮮)。・・・面従腹背は、今の道庁のようである。

★★藩同士が知恵を競い合い、競争していた徳川時代は、顔の見える競争であり、望ましいといえる。今の地方自治体は、競争をしないので、効率(付加価値を含め)が上がらない。年貢がきつくなると人々は国から離散した。

プロテスタントはカトリックから出た異端であるがキリスト教であるように、儒教からみた青陵(日本)は、異端であるが、異教徒ではない。

○老子「聖を絶ち智を棄つれば民利百倍す、仁を絶ち義を棄つれば民、孝慈に復す」というのは、儒教的前提を覆すので良いが、老子は「常に民をして無知無欲ならしめ」と愚民政治を述べている。・・しかし、日本の民は、財力があり、識字率は高く賢かった。

○韓非子「二柄は刑と徳なり」

○青陵「法術」:「天理は法也、是を心にて運用するは術なり。法は死物也、術は活智也」

法と政策を変えることによってドラスチックな改革が可能。王道的徳治主義では、せいぜい不徳の者を排除するという浄化政策である。

五公五民ではなく、十分の一でよく、パイを大きくすれば同じくらいの経済規模を得られる。

民を搾取して上のみが富むのはよくないが、上が借金に苦しんで町人のみ富むのもよくない。上下ともにくるしむことのなきが天理なり。

吉宗の頃から、禄だけでなく、役職や成果でその代だけに追加の禄を与えることが取られていたが、加賀藩では、これは取られていないので、働かなくても位に応じて禄がもらえた。

加賀藩では昔の軍法で外に出てはいけないことになっているので、何の仕事にもありつけない御家人の次男三男、罪人なども藩に留め置いているので大変。法律や制度を現代に対応させていないからだ・・山本は「たかり、ばら撒きの官僚が居る現在と同じだとしている」

加賀百万石などという格式を棄てて、現状に合わせるべき。細川公は、50万石の格であるが、格下げして欲しいとして一万石の格で勤めた(幕府に)という。加賀藩は大阪に米を出してもせいぜい三万両なのだから、格下げすべきと暗に述べている。

肥後(細川)は、自国の米の価格水準が高いので、収穫時に諸国の安い米を買って値段を低くして藩民から安く買い集め、年貢で集めたものと一緒に大阪で高く売った。

○小浜藩が塩魚を京都の屋敷で売りさばいた、彦根藩も真似た。園部藩では、それまで農民がそれぞれ京都に売りに来ていたタバコや菜種の場合、問屋に買い叩かれていた。これを藩の武士が買い入れ、京都の屋敷で問屋相手に売るようになった。農民は喜んでどんどん生産するようになった。これまでは、問屋が買い手で強い立場にいたが、藩が専売するので問屋が売ってくださいと言って来るようになった。

青陵は、一藩重商主義:藩を維持するならば、藩は殖産新興が必要だし、町人国家(藩)にならざるをえず、それには、藩と武士が意識改革する必要があると述べた。:明治時代からみれば、藩体制を維持する考え方と読めてしまう。

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江戸時代の米

江戸時代には、米が経済の中心であり、大阪に米会所が出来ていて現金に換えることができた。

しかし、豊作の時には、米の値段が下がり、誰も買いたいと思わなくなり、凶作の時には、売り惜しみも生じるので、米があっても米を売る人がいなくなる。金を持っていても、米を買えない。各藩は、津留めをする(しないと一揆になる)ので、値が上がっているので売りたくても売れない。抜け荷をしなければ売れない。

となると、米では財政が不安定になるので、換金作物などを作って、金を溜めておけば、藩内が飢饉の時に、買い漁ることが可能になる。

上杉鷹山は、クーデターを弾圧しながら、武士を運材夫や農夫にして働かせ、藩に金を蓄積していたので、飢饉の時に米以外の食べ物を買い漁って、藩の人々を飢えさせなかったという。

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June 05, 2007

福井藩の貿易

福井藩(越前藩)の藩祖である結城秀康の頃には68万石であったが、その後徳川時代になり、幕府ににらまれるなどして、小藩に分割された。6代目の頃には25万石の福井藩にまで転落した。幕藩体制で最初に財政難になったのが福井藩であったという。

福井藩では、元禄12年(1699年)には、農村の自然発生的な商品生産の成果を特権承認の支配する流通機構を通じて運上・冥加金・口銭等の形で吸い上げるという藩専売制を実施していた。しかし、これをやりすぎ、準国営のようになって、利潤がないに等しくなると、産業は萎縮し、結果、借知、大規模逃散、大一揆、大阪や江戸豪商への借金となり、累積債務が溜まった。

天保9年(1838年)に松平慶永が入ったときには、二進も三進もいかなかった。そこに横井を師とする三岡八郎が登場する。

横井は、安政5年・6年(1858・59年)、万延元年(1869年)、文久2年(1862年)に越前に招かれ藩政の顧問となる。彼に心酔したのが三岡であった。

横井の『国是三論』(1860年)。三論とは、儒学の三才(天地人)で、天編では富国論(経済政策)。経世済民(民を豊かにすること)≒天の意志であるとする(山本氏によれば、これは儒教の考え方ではなく、独創であるとのこと)。地編は強兵論(海軍論)。人編は、士道論(徳性に本づき条理に求め、心を治めその胆を練り」が目的)。

歴史の流れと世界の情勢を鑑みれば、鎖国はもちろん、鎖国体制のまま開国すればこれもまた問題が多い。天下の政治を歴史の流れと世界の情勢に適合した「公共の道」に基づいて行えば、すべての障害は消えて問題が解決する。

小さな藩では、ちょっとした浪費がすぐに破産につながる、経済に敏感にならざるをえない。これは利点だが、自藩が豊作で他藩が凶作だと喜ぶといったせせこましい気風を生じる。これは将来の発展に向けての雄大で積極的な発想を奪う。名君が民から収奪しないのを仁政というのは消極的だ。

質素倹約のうしろ向きの改革では、パイを大きくしようという前向きの改革にならない。春嶽は、当初質素倹約政策を行ったが、三岡は、パイを大きくするようにと主張した。そして、市場が限定されていると、商品が滞貨して価値が下がるので、交易をするようにという。

横井も、商人を「国賊・大盗賊」と呼んでその暴利を批判し、藩自らが取引所を設けることを主張している。そして、藩の製品を極力高値で買えという。

当時は、どの藩内にも、潜在失業者がいた。直接的な収奪、あるいは藩の専売問屋を通じての収奪があまり激しいと人々は事業拡張、生産拡大の意欲を失い、縮小して家庭内労働で食っていけばよいという発想になって、人を雇わない。藩が生産物を市場価格で買い上げてくれるとなれば、雇用は増大し、潜在失業者も生産に参入して生産増強になる。

しかし、それには資金が必要である。藩札を発行し、藩札で購入したものを海外で正貨で売り、それを両替商に預けてその利子で借金を返すは、山片が仙台藩で実施していたが、小南のは、生産を刺激して雇用を増大させて民を富ますのが目的であるところが違う(青陵:藩が投資をし、労力がそれを活用して富を生むとした)。

三岡の主張が取り入れられ、三岡は、小南の帰国に同行して下関や長崎で市場調査をし、長崎に越前蔵屋敷を建てオランダ商館と生糸・醤油などの販売契約をして販路を確保した。藩の物産を集める物産総会所も出来、藩札5万両も準備された。

三岡は小南の答え「民に誠意を披瀝し、その計画を詳しく説明して彼らを納得させる以外方法はない」を実行し、わらじばきで町々や農村をめぐり、町年寄りや大庄屋、庄屋、生産者に真剣に訴え、計画を詳細に語り、彼らが納得するまで説いて回った。

越前は、一向一揆以来、農民の団結は強かった。これは、逆に、彼らのリーダーを説いて動かせば全員が動きだす。五箇条のご誓文の彼の案では、第一が、庶民志を遂げ、人心をして倦まざらしむるを欲すとなっていたとのことだ。

全てを官が買えない場合には、港などに大問屋を設け、豪農・富商の正直なるものを選び元締めとなし、諸物産を官と同じように購入せよと小南は述べている。(後にこの方式を半官半民の会社にしたのが渋沢榮一の商法会所で明治2年設立の日本最初の株式会社である)。

この藩総合商社の経営は、姦商であっては困るが武士でも上手くいかないので、三岡は、信用できる問屋に任せ、これが在郷小商人層を督励して集荷させる形とし、藩からは吟味役(監査役)一人を任命し、会計監査に当らせることにした。いわば半官半民の藩物産輸出公団のようなもの。

取り扱い品目は、オランダ輸出向け生糸、布、苧、木綿、蚊帳地、茶、麻、わら工品(松前の昆布や乾鰊などの海産物を入れる)。オランダ商館扱いだけで、初年度百万両、翌年は240万両、藩の輸出総額300万両となり、藩の金庫には、常に50万両の正貨を貯蔵できる状態となった。改革の開始が1858年、わずか五年のことである。(七平氏によれば、累積債務まではなくなっていなかったであろうが、藩財政が再建されれば、貸しておいて利息を取ったほうが良いと考えたはず)。

越前の名物のような一揆が完全に消えた。(七平氏によれば、武士の借知はどうなったのか不明とのこと)

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福井藩での成功は、地方自治を考えるうえで非常に参考になる。

1.パイを大きくする戦略、小藩が幕藩体制のなかで独自に輸出体制(市場を世界に求めた)を構築した。藩札を正貨に換える(地方債を出して、それを正貨にする)。

2.藩総合商社だが、経営は民(信頼できる問屋)に任せた。藩は会計監査人を一人置いた。

3.市場開拓、販路開拓をし、資金手当てをしただけでは、働き手が動かない。政策担当者がわらじばきで計画を詳細に説明し、納得してもらった。情報公開、ビジョン提示など。

4.その場合、農村の結束があったがゆえそのリーダーを説得することで民が付いてきた。これはソーシャルキャピタルがあるかないかと通じる。

5.パイが大きくなり、自分達の苦労が生活の豊かさとして実感できるようになれば、人心は安定する。

6.松前が必要としているわら工品など、市場調査をし新しい売れる商品を開発した。

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黒羽織党と三岡との人格にもよるのであろうが、加賀では失敗し、福井で成功したのは、どのような要因によるのだろうか。

1.明確なビジョンと計画を皆に説明したこと。これにより官民の間に信頼関係が生まれた。おそらく、商人についても、加賀のようにただ姦商として潰しにかかるのではなく、当初泣いても、最終的には三方一両得になることを理解させたのではないか。

2.福井の一揆(農民体質)に比べると、信長に圧倒的にやられた(あるいは大藩ゆえにか?)加賀は、農民層のソーシャルキャピタルが弱かったかもしれない。

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1.当時のオランダ向け生糸や醤油のように外貨を稼げるモノが現在の各地方自治体にあるだろうか。日本全体としては、自動車産業など強い産業によって為替が決まるので、相対的に弱いであろう産業分野において輸出は可能だろうか。

○地方自治体は、本格的には、市場調査をしていないかもしれない。たとえば、凄くドン臭いかもしれないが、ロシア船に任せずに、中古品を販売するとか、日本では不用、ゴミと思われているものが他地域では宝の可能性もある(わら工品を松前にのように)。死に物狂いで探すと案外あるかもしれない。産業構造の高度化に合わせたハイテクなどを考えるのではなく。

2.当時は、潜在失業者が多かったので(人、モノ:原料や設備はあったので)、金さえ投入し、生産さえすれば、(販路もあったので)ある意味簡単にケインズ政策が可能だったのだが、今日はどうか。

○ニートの活用などは、これに当るかもしれない。人心を倦ませているのは、政治のせいかもしれないから。

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本多利明と加賀藩

山本七平の著で、本多利明は、福山藩で綿と稲を畝の上と下に植えて生産性を高めるなどのコンサルをしている。開墾して米を増やすよりも、綿織物や畳表を作って付加価値の高いものを作れといっており、重農主義ではなく、重商主義を主張した。

彼は、徳川幕府の質素倹約や奢侈禁止には反対で、庶民の生活水準が上昇し、需要が拡大しているのだから、積極的に増産すべきであるという。

それを彼は藩営で行うべきであるとしている。その根拠は、町人が流通を支配して巨富を得ているのを打破し、これを藩の収入として財政再建をするようにという。それには、家臣を有能な商社マンにしなければならない。そのために、首になっている元藩士にマニュアルを渡して、一生懸命働けば藩士に戻すとしてやるとよいといっている。

そのための販路としては、貿易(蝦夷開拓を含む)を考えていた。

当時として、付加価値を高める、流通を支配する、一生懸命働かせる方策などは良いのだが、これを実行しようとした加賀藩では上手くいかなかった。これは、上級武士が嫌がらせしたということもあるし、その方法(黒羽織党)がこれまでの既得権益者である特権的大町人や藩の特権階級、だれきっていた武士から嫌われたことにあるらしい。

本多利明は、米を例に、武士から出た米が江戸に売りに出すと16倍になり、その16分の15を商人が取るのだから、武士が困り、そのため農民にさらに年貢を上げるなどして苦しめるとしている。

特権商人と特権階級武士が互いに懐を暖めあうというのは、時代劇のよくある筋書きだが、「改革なくして成長なし」という宰相でも現れない限り下からの改革は難しかったのだろう。上級武士の反発はともかく、藩主が聡明で「改革をするネズミは良いネズミ」と方向性だけでも示せば、黒羽織党が改革をやりやすかっただろう。

黒羽織党による過激な改革を進めるべきだったのだろうか。本多も理解していたように、武士が有能な商社マンになるのは、無理である。もし進めるなら、新興ベンチャー商人が藩貿易をつかさどりながら、税金をそれなりに納めるという形になるのだろうか。

銭屋五兵衛など、悪徳かもしれないが、当時の商人のベンチャー精神には凄いものがある。心をつくして、これら特権商人と話し合い、協力を取り付け、彼らの能力を上手く活用することはできなかったのだろうか。

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五箇条のご誓文

三岡八郎について書こうと思ったら、彼が草稿した五箇条のご誓文が出てきた。昔教科書でそのものは知っていたが、改めて読んでみるとなかなか良いので、抜書きする。

1.広く会議を興し、万機公論に決すべし

2.上下心を一にして盛んに経綸を行うべし

3.官武一途庶民に至るまで、各その志を遂げ、人心をして倦まさらしめん事を要す

4.旧来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基づくべし

5.智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし

WIKIPEDIAによれば、三岡八郎(由利公正)が草稿したものに、土佐藩の福岡孝弟が手を入れ、木戸・岩倉・三条が手を入れて作成されたという。

由利の草稿は、横井小南の考え方を取り入れたようで、また彼が庶民まで対象にしていたのを福岡は武士(諸侯)のみ念頭にあったなどあるが、その後「広く」とされたなどあるが、今読んでもなかなかよい。

なお、公道というのが国際法を指すとされたり、そうではなく広く天然自然の摂理とするなど理解についても経緯があったようだ。皇基というのは、国の基盤というような意味らしい。

慶応四年に天皇が神に誓った後、群臣に向けて発したという形をとっている。後に、慶応四年は、1月1日に遡って明治元年となった。

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江戸の先覚者たち

山本七平『江戸の先覚者たち』では、海保青陵(1755~)、山片蟠桃(1748~1821)、本多利明(1743~1821)、横井小南(1809~1869)、由利公正(三岡八郎:1829~1909)を取り上げている。

山本は、徳川という幕藩体制のなかで、こうした独創的な考え方を持つ人がでてきたのだろうと驚いている。

海保青陵は、武士も雲助も自己の知力、肉体的労働を打って生活している賃金労働者という意味では同じであり、一方、天子・諸侯は、財貨を持ちそれを民に貸して利息を得ている人である(資本家)と見ていた。・・・資本家は、天子・諸侯ではなく商人で、天子・諸侯は信用を提供しているだけなのではないのか?

山片蟠桃は、両替商の番頭から学者になった。無神論者で地動説を取り、日本書紀の神代の巻は怪しいとした。いずれをも絶対化せず、町人的合理主義者。大阪堂島の米会所の機能を通して論じた「市場経済論」(幕府の介入政策を批判)は、アダム・スミスを思わせる。

本多利明は、数学家で経世家。算学、天文、測量、航海術の専門家であり、地球上の日本の位置と風土的特長から日本を考えた。火薬の使用による国土開発や石造都市論を展開。蝦夷の調査を行い、移民を主張。蝦夷地の開発や交易の促進、開国を提唱した。蝦夷地についても、武力による開発ではなく、文化による統治を考えていた。中国の思想は、陸地内部での考え方であり、海に囲まれた日本が採るべきでないと考えていた。

横井小南は、一藩重商主義から一国重商主義へと進むべきであると考え、三岡八郎が福井藩でそれを実行した。

山本が感心しているのは、青陵が自らの直接的な観察で問題を把握し、自ら考えて結論を出しているところであり、ここに挙げた人々は皆そうした学問的姿勢であったところである。人間は、過去や歴史的体験や権威とされる思想やイデオロギーに拘束されがちであるが、ここから自由になっているところである。

山本は、青陵を持ち出して、マルクス主義でコチコチの頭もどうにもならないが、戦時中の体験を絶対化しているのもどうにもならないとしている。知識人として、現在の日本が於かれている状況を拘束されない目で捉え、考えなければならないときなのにという苛立ちが読み取れる。この本は、1990年、バブルが頂点から落ち込む頃に刊行されているのだが。

私は、当時「豊かさとは」というのを考えていた(バブルによる豊かさという泡沫的なものではなく、豊かさを実感する時代に入っているはずなのに、豊かさを感じないのはどうしてだろうと考えた。その考えを絞っていったのが「新・職人の時代」である)が、日本が置かれている環境が大きく変わっていたことに残念ながら気が付いていなかった。

それは、「冷戦が終結した」ということだ。それによって、凍結されていた日本の戦後処理が一気に押し寄せたように思う(ここはまだ感じているだけで勉強が出来ていない)。

何故バブルが起きたのか、何故バブルの処理を間違えた(?)のか、何故日本の品格が失われてしまったのか、何故日本人が自信を喪失してしまったのか・・などなど。

アメリカの陰謀(仲間であると思っていたのにしてやられた!仲間のなかにもいろいろな塊がいることにもっとしたたかに気付くべきであった・・)とまでは言わないけれど、戦後世界的にみると甘えのなかで過ごしてきた(リスク管理の甘さ、自主外交・情報入手のなさ、地方も含め官僚制度による硬直化・・)ことが一気に許されなくなったのだろうと思う。

プラザ合意で為替が円安から円高になったことだけをとっても→それによって企業行動は国内投資から海外投資へとなり、国内空洞化、地方経済崩壊、一方でアジアの隆盛となる。グローバル競争のなかで企業はアウトソーシング化し、メインバンク崩壊ではげたかによって切り売りされ、企業共同体は崩れた。政府も自治体もケインズ政策を採用して公共投資を増やしたので、財政悪化となり、借金が増え、政策の自由度がなくなっている。

もちろん、インターネットなどの情報化、金融のグローバル化、アジアの台頭、などなどの技術の変化やそれに伴う産業の変化、地勢上の変化などの独立要因がこうした動きを加速した。逆にこれを逆手に採って繁栄することは出来なかった。一部の企業はこれができた(トヨタなど)。中小企業や地域は、こうした状況のなかでどうしたらよいのか。

グローバル化に成功した企業でも、人材が育っていないことなど骨粗鬆が問題になっているし、繊維などでは、同じような商品が並んで消費者が飽きてきている。安いので購入して痛んだらすぐ捨てるというアジア品は環境にも悪い。→ここにビジネスの余地はある。企画力、生産力のある中小工場の自立と百貨店の自立が組み合わさることによる付加価値の高い商品の提供。しかし、全体の小売のなかでの百貨店の弱さは大丈夫か。良い土地を持っているのに株価が上がらないと外資に買収される可能性がある。そうなった時に哲学を貫けるだけの企業経営能力を百貨店幹部が持っているだろうか。

工場現場での人材不足を今後の教育で補えるのか。

リチャード・フロリダの「クリエーティブ・クラス」は、トヨタの生産現場がヒントだったというが、彼のクリエーティブ・クラスは、ブルーカラーを含んでいない。これまでの日本企業の終身雇用・年功序列的な雇用環境のなかで培われてきた知恵を皆のものとする風土・文化が崩壊してしまうと、現場でのカイゼンはできなくなる。これを企業の収奪であると捉える風潮が出ているなかで、アウトソーシングで低賃金化を進めるなかでは、知恵を出し合うことは難しい。フロリダは、いろいろなことの結果として大都市にクリエーティブな人が集まっていることを計算しているだけで、何故、クリエーティブが可能な環境なのかについては突き詰められていない。

戦後から昭和終了くらいまでの良かったこと、甘かったこと、その後の環境変化のなかで足をすくわれて変化してしまったこと、それが実は大切だったのではないかどうかを検討、変化した環境のなかで、良いものを残し(将来の発展につながることは残し)、甘かったことは厳しく対応し、不足していたことを補い、新しい環境への適応を考える・・・これをやらなければならない。

その意味で、国も藩も経済破綻しており、官僚制度が疲弊していた、これまでの考え方や行動に拘束されているなかで、彼らがどう考えていたか、それを藩などがどう取り入れていったかは、非常に参考になるはずだ。

もっとも、現在のように、すでに経済がグローバル化し、情報が行き来し、貿易が活発であるなか、あるいは、農業→商業という時期の判断と製造業→知識産業という時期の判断とは自ずから異なるはずではある。

まえがきを最後まで読んできて、山本七平がこの本を書いたのは、冷戦構造が終結し、経済競争の時代に入ったとの認識のもと(乱世の攻伐の時代を脱し、経済競争の時代に入りとある)、鎖国ならぬ「鎖地球圏内の幕藩体制」の様相を示してきたのを再考するためのヒントにしたいということであった。バブルとバブル崩壊で日本がその後15年あえいできたこと、民族・宗教紛争が治められないほど勃発していることを当時の彼は知らないわけだが、彼はグローバル化に打って出ろと言いたかったのだろうか。

それとも、新しい環境下で、拘束されない心で再考せよといいたかっただけなのだろうか。

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June 03, 2007

富山の売薬

江戸時代の藩の財政は、ほとんどのところが大赤字であったらしい。各藩は、年貢を上げたり、借知(藩士の給料である知行の借用)や商人からの借金に依存していた。

百万石として知られる加賀藩でもそうであったらしい。加賀藩では、幾度か財政改革を試みるが、真剣度が足りなかったらしい(下級武士に優れた人材が居ても、抜擢すると上級武士が意地悪をするなどにより)。

山本七平は『江戸時代の先覚者たち』で、加賀藩が本多利明が加賀に来たとき(1809年)にその意見どおりに藩政を改革していたら、幕末から明治にかっけて、薩長対幕府の間でキャスティングボードを握れたであろうに、日本一の大藩は、何もなしえなかったと述べている。

これに対し、隣接する福井藩や富山藩では、台所事情が苦しいのに変わりはないものの、殖産振興により、かなりの成果を挙げていたようだ。

富山藩では、売薬業の振興を図った。富山の売薬の起源は、山岳信仰など宗教的なものと言われるが(詳細についての記述があるURL「県民性・地域性-富山」を見つけた。小林龍一鹿児島国際大学教授のHP)、財政立て直しのために、藩が統制管理してから発展した。

1690年、二代目富山藩主の前田正甫が、江戸城中で腹痛に苦しむ大名(岩代三春藩主)に「反魂丹」を飲ませたところ、たちまち直ったので他藩への販売が認められたという逸話がある。富山売薬が他藩に行商を行ったのは、寛永年間(1624~1643年)に肥後の国への行商で、天保(1829~)の頃には、全国にいたるところに販路を拡大した。

正甫公は薬種商松井屋源右衛門に製造させ、八重崎屋源六に諸国を行商させた。源六は、身体強健、品行方正な者を選び、予め諸国の大小に応じて行商人を割り当てて、各地の大庄屋を巡って薬を配置させ、毎年周期的に巡回して末使用品の残品を引き取り新薬を置き換え、服用した薬に対してのみ謝礼金を受け収ることとしたとのことだ。

当時は、藩と藩の間は、現在の国と国のようなもので、他藩で販売することは、その藩にとって貿易の輸入にあたるため、特に、江戸後期に藩財政が逼迫する頃には、各藩は、保護貿易主義的な政策をとっていた。このため、他藩に行商に行くには、富山藩で他国売薬の許可を得ると共に、旅先の藩で販売許可を得る必要があった。

こうしたなか、売薬人は、さまざまな方策を考え出したが、もっとも有名なのが、薩摩領内における売薬行商であった。越中薩摩組の売薬人たちは、蝦夷松前の昆布を薩摩藩主に献上し、さらに琉球貿易や中国との出合貿易の交易品とする昆布を薩摩組が富山で雇い入れた船で大阪から蝦夷、薩摩に運行した。蝦夷からの昆布輸送に要する資金として薩摩藩主から総額500万両の助成(借入金)を受けていた。昆布6万斤を仕入れ、1万斤は薩摩藩主に献上し、残り5万斤は薩摩藩が買い上げた(幕末の嘉永3年:1850年)。(以上は、米原寛「先用後利の大事業」『県民カレッジテレビ放送講座-売薬:越中売薬のこころと知恵』による)

富山売薬は、藩による殖産振興であるが、藩は、具体的に何をしたのであろうか。

富山県の政策情報誌『でるくい』1号に、薬務食品課長の植村展生が「’くすりの富山’の振興について」というのを書かれており、文化13(1816)年に半官半民で設立された「反魂丹役所」について記述されている。

「反魂丹役所では、上納金の徴収、売薬株の譲渡売却の統制、諸通達の交付、売薬人の出願の取り次ぎ、売薬人相互の仕入れ金の貸し借り等を行い、信頼ある売薬業の組織を育てるために売薬業の統制と売薬人仲間の機能強化を果たしていきました。」

ネット検索(薬100話)では、反魂丹役所、反魂丹奉行が設けられ、一方、同業者間には「仲間組」が地方別に21級つくられ、さらに各仲間組は内部に「最寄(向寄)」をつくり、同業者の権利、義務、相互援助が強められた・・とある。

つまり、反魂丹役所は、薬業が栄えて上納金が増えるよう、信用のない売薬人が出ないように管理するとともに、売薬人同志の争いが起きないよう監督していたようだ。そして、仲間組が品質管理などを自主的に行う仕組みになっていたらしい。

当時は、鎖国時代であり、原料となる麝香や牛黄などの漢方薬は、中国から長崎に輸入され、さらに大阪の道修町に、そして富山に送られるというルートを経ている。これら材料の仕入れをするのは、商人だったのだろうか、それとも、役所だったのだろうか。別の資料(ネット検索)によると、役所が原料を吟味していたと書かれている。『富山県薬業史』には、もう少し詳しく書かれているようだ(第三章三節)。

先のURL「県民性・地域性-富山」に原料についての記述がある。

「この当時(奈良・平安時代),日本は中国東北部にあった渤海国と交易を行う間柄であり, 使者を乗せた船は筑紫(北九州)に着く取り決めであったものの,机上の取り決め通りに行かず,風と潮流に影響されて五割近く北陸地方に漂着してしまい,越中が第二寄港地として代替機能を果たすことになりました。
 この交易によって動物殺生を禁ずる僧侶が草根木皮ばかりを使う薬に対し,戒律に縛られない商人達は麝香・牛黄・熊胆などの角,内蔵を含めた動物生薬を伝え,他地域では敬遠されがちだった新たな薬種が越中(富山)に定着しました。」

さらに、室町時代には、「室町時代の富山城下では既に,唐からの輸入薬種を販売する「唐人(薬種商)」のかまえる店が何軒もあり,彼らは「唐人の座」と呼称される同業者組合も組織していたようで,その参入者の中には激化の一途を辿る戦に敗れた武士が世の無常を感じたのか,廃業した後は人を生かす道を模索する薬業に鞍替えしたという例も少なからずあったようです。」と書かれており、富山に江戸時代前に、輸入薬種商があったらしい。

江戸時代においては、売薬人がそれぞれ自宅で薬を製造・調合したため、薬草に対する目利きが重要であったとのことである。売薬人は、信用保持のため、原料生薬の入手とその吟味、薬剤の調合には特に意を用いた。生薬の真偽鑑定が重要であるため、本草学が生まれた。

県民カレッジ講座の資料(青柳正美著)では、10代藩主の利保がことのほか本草学の研究に熱心で、江戸藩邸に草花を植え、貝原益軒の『大和本草』を読み、小野闌山の『本草綱目啓蒙』を学んだとある。また、江戸で草木虫魚金石類の品評会「赭鞭会」を開催したり、売薬商に命じて、他国の物産を収集した。東田地方に薬草園をつくり、薬草の栽培、普及に努めた。退隠後『本草通串』『本草通串証図』を作成した。

これらの記述を読むと、原料の入手は、それぞれの売薬人に任せられていたのかもしれない。・・そうなると、売薬人ごとに原料も調合方法も異なるとすると、効能も異なっていたのかもしれない。競争という意味では、各人が工夫できて良いが、薬の抜き打ちチェックなどもなければ、品質のバラツキなどは免れないであろう。しかも、懸場帳を持ち、顧客先での競合はないであろうから、いかがわしいものを売る売薬人はいなかったのだろうか。先用後利なので、売薬人がいかがわしいものを販売したのでは、商売が続かないからそんなこをはしなかったのだろうか。

先のURLには、品質保持のために反魂丹役所が果たした役割と仲間での信用保持についての記述もある。

「元禄時代に始まった売薬さんによる全国展開も六十年を過ぎると高認知度を得られる反面,売薬さんの従事者数も千を超えます。そして粗製濫造されたものが仕入れられることによる儲け主義と品質低下の危険性を排除し,信用失墜させない為に薬そのものの高品質維持の観点から製法の統一化をすべく反魂丹役所を設け,厳格な商品審査基準を構築しました。
 また,売薬さんたちは「仲間組み」「向寄」という,旅先の地方毎,藩毎に交渉役割を決めた相互扶助組織を築き,対象となる相手藩領内役所で協議を重ね,円滑な商業活動ができるよう尽力しました。特に仲間組では,活動地における富山売薬の信頼を損ねるような本来目的から逸脱した各種の不正行為を生じさせないように,身内内での厳格な罰則規定である「示談」を定めることにより,仲間同士で違法行為の抑止,看過しないことを旨とし,徹底しました。」

いずれにしても、ポイントは、藩は、お墨付きを与える、品質基準を設ける、何かあったら処罰するということだけであり、相手先藩との交渉や仲間内での信用保持は、商人に任せていたということなのだろう。地方自治体による地域経営についての良いお手本である。

明治になって、反魂丹役所は、払い下げられ、複数の売薬人が出資し企業(広貫堂)となる。売薬人を育てるために寺子屋で人づくりがなされる。また、西洋の薬が普及するなかで、商人が願い出て、共立薬学校(富山医科薬科大学薬学部)が設立される。

売薬による税収は藩財政の15%に及んでいたという。加賀百万石、富山は10万石であったが、廃藩置県が行われた明治4年には、金沢10万人程度、富山の人口は5万人で第九位であったという。(ちなみに、現在は、金沢46万人、富山33万人)

富山藩は、売薬の売上高が幕末には20万両に達し、本家の金沢藩をしのぐほどになり、天領5万石の飛騨高山藩を任せて欲しいと幕府に願い出たのを金沢藩が知ることになり、以後警戒されたと書かれたURLを見つけた。その後戊辰戦争でも目立ったことをせず、本家金沢藩の統治下で維新を迎えたとある。

一方、別のURLでは、富山藩の財政悪化について(幕末まで)書かれており、この当り、吟味しなければならないだろう。

富山の売薬は、各地に演芸やさまざまな情報を提供したり、富山の進んだ農業技術(動物による鋤、品質のよい種籾:現在でも富山の種籾は日本の7割を占める??)を伝播させた。また、売薬業がその後、銀行や水力発電、印刷業などを発展させていった。この当りも興味深い。

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June 01, 2007

専売制

地域を経営するにあたって、地方自治体が直接事業をすることは、効率の問題等から良くないのではないかとの関連で、江戸時代の藩の殖産振興は、どのようになされていたのかが知りたくて、ネット検索してみた。

赤穂の塩とか山形の紅花と検索しても、藩がどのように運営していたのかがなかなか分からなかったのだが、専売制で検索したらWikiprdiaに出ていた。

藩の財政を豊かにするために、藩が商品生産を保護・奨励し、藩の物産会所を設けて買い上げと販売を請負商人などに独占させ、その利潤を藩の収入に充当した。藩が直接経営者となるのではなく、商人・豪農に請け負わせていたようだ。

最も多いのはの専売である。長州藩岩国藩徳山藩津和野藩松江藩広島藩宇和島藩土佐藩水戸藩などで実施された。東北地方の諸藩の漆蝋、西南諸藩の(染料・用材)・櫨蝋(櫨の実を原料にした蝋)、姫路藩木綿徳島藩薩摩藩砂糖などがある。この他、真鍮などの金属や石炭繰綿(綿花から綿実を除去したもの)・木綿生糸などの衣料原料、青莚(せいえん・あおむしろ、七島藺で作る)、タバコなどの嗜好品も対象となる場合もあった。・・とある。

面白いのは、中国では、前漢の始元6年(紀元前81年国が専売することについて批判が起こり、宮中で60人の識者が集められて大議論が行われ、それを記録した『塩鉄論』というのがあるとのことだ。

また、中国(北宋:960-1127)では専売の塩は、高くて品質が悪かったために密売が行われ、安くて品質が良いので取り締まり切れなかったという。密売は死刑としたものの、専売の塩が高かったために、密売の利幅が大きく、密売をはびこらせたという。

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