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June 05, 2007

本多利明と加賀藩

山本七平の著で、本多利明は、福山藩で綿と稲を畝の上と下に植えて生産性を高めるなどのコンサルをしている。開墾して米を増やすよりも、綿織物や畳表を作って付加価値の高いものを作れといっており、重農主義ではなく、重商主義を主張した。

彼は、徳川幕府の質素倹約や奢侈禁止には反対で、庶民の生活水準が上昇し、需要が拡大しているのだから、積極的に増産すべきであるという。

それを彼は藩営で行うべきであるとしている。その根拠は、町人が流通を支配して巨富を得ているのを打破し、これを藩の収入として財政再建をするようにという。それには、家臣を有能な商社マンにしなければならない。そのために、首になっている元藩士にマニュアルを渡して、一生懸命働けば藩士に戻すとしてやるとよいといっている。

そのための販路としては、貿易(蝦夷開拓を含む)を考えていた。

当時として、付加価値を高める、流通を支配する、一生懸命働かせる方策などは良いのだが、これを実行しようとした加賀藩では上手くいかなかった。これは、上級武士が嫌がらせしたということもあるし、その方法(黒羽織党)がこれまでの既得権益者である特権的大町人や藩の特権階級、だれきっていた武士から嫌われたことにあるらしい。

本多利明は、米を例に、武士から出た米が江戸に売りに出すと16倍になり、その16分の15を商人が取るのだから、武士が困り、そのため農民にさらに年貢を上げるなどして苦しめるとしている。

特権商人と特権階級武士が互いに懐を暖めあうというのは、時代劇のよくある筋書きだが、「改革なくして成長なし」という宰相でも現れない限り下からの改革は難しかったのだろう。上級武士の反発はともかく、藩主が聡明で「改革をするネズミは良いネズミ」と方向性だけでも示せば、黒羽織党が改革をやりやすかっただろう。

黒羽織党による過激な改革を進めるべきだったのだろうか。本多も理解していたように、武士が有能な商社マンになるのは、無理である。もし進めるなら、新興ベンチャー商人が藩貿易をつかさどりながら、税金をそれなりに納めるという形になるのだろうか。

銭屋五兵衛など、悪徳かもしれないが、当時の商人のベンチャー精神には凄いものがある。心をつくして、これら特権商人と話し合い、協力を取り付け、彼らの能力を上手く活用することはできなかったのだろうか。

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