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June 11, 2007

エンデの遺言

横井小楠についての論文をネットで見つけ、彼の藩札は、実態経済の裏づけがあるのでよいというようなことが書かれており、そこから、地域通貨の話が書かれていた。

地域通貨については、加藤敏春さんが提唱していたり、栗山町のクリンについて話を聞いたり、栗山町で開催された国際シンポジウムに参加もしたが、実のところ良く分からなかった。

栗山では、地域通貨の分類ではタイムマネーにあたるようで、ボランティアで労働をしてあげて、その分クリンをもらえて、何かをしてもらえる。ポイントは、地域における相互扶助やコミュニティ強化といった色彩が強かった。

栗山のような地域でも、間に信用できるセンターのようなものがないと、むやみに何かやってもらうというのは難しい(お互いが嫌いなこともあるなど)ということが地域社会のつながりを強めるといっても難しいことだなぁと感じた。

実際、我が家だって、庭の草むしりを誰かに依頼したくても、ビラで入っているなんでも屋に頼むのは憚られる。どんな人か分からないからだ。泥棒とまでは言わなくても、おしゃべり好きだとか、妙におせっかい焼きだったら嫌だというようなことだ。このため、昔から知り合いの農家の人に木の伐採のみやってもらっている。高くても、信頼がおけるうえに、仕事がしっかりしていて早いからだ。

ヘルパーさんを依頼するのだって、難しい。どの業者を選んでよいか分からないので、地域センターから紹介を受けた。たまたま実はコムスンだったのだが。ヘルパーさんは、どこの事業者に依頼するにしても、それぞれのヘルパーさんをどこまで信頼してよいのか分からない。

「地域社会における信頼の絆」というのも、地域政策を考えるうえでは、重要なテーマだが、これはひとまず置いておいて、「エンデの遺言」では、通貨そのものに疑問を投げかけているのだということをはじめて知った。

エンデは、「モモ」という時間泥棒を問題にした話を書いていることは知っていたが、彼がここで言いたかったのは、時間的余裕を無くして忙しい忙しいと心を亡くしていること(現代社会の様相)を批判しているだけではなく、そうした社会をもたらす根本原因に「貨幣」という人間が発明したものについての批判があったとのことだ。

貨幣については、いろいろな人が議論をしており、良いサイトを見つけた。

1.貨幣に利子がつくのが、そもそもおかしい。このため、経済が成長することを強いられてしまう。成長は、どこかを犠牲にしている。地球環境や誰かを犠牲にしている(貧しい人、地域)。

2.パンを買うためのお金と投機のお金が同じなのがおかしい。

3.シルビオ・ゲゼルは、「老化するお金」を提唱した。溜め込んでいると、価値が無くなるので、どんどん使う(流通する)。

先日お茶の席で、私の干支がいのししで、今年還暦であるという話から、(調べたら600年に一度というので違うようだが)、それでは私は金運に恵まれているはずという話になり、私がお金には縁がないというと、先生に「それはお金が貯まると思っているからでしょう。金運というのは、貯まるのではなく、お金に困らずに暮らせるという意味で、お金が回るという意味だ」と言われた。これが記憶に残っていたこともあり、この「老化するお金」が非常に気に入った。

4.資金的な余裕がない地域で、地域通貨を発行することによって、経済が活性化した。これは、横井小楠の藩札と通じる。

5.地域内で地域通貨GDPが増えても(流通しても)、これは法的通貨からは見えないので、国への税金を払う必要がなくなる。

「地域通貨」にこんないろいろな意味があるのを知らなかった。タイムマネーも地域の縁を取り戻す試みとして重要だが、「地域経営」を考えるうでは、上記のような意味で地域通貨を再考する必要があるのではないか。

ただ、現在の地域のなかでは、必要なものを手に入れることは難しい。結局、電力でも水でも、さらにPCでも、本でも、全てが日本中から、世界中から(少なくとも東京から)入手しなければならない。そうなると、法的通貨とのレートが問題になってくる。福井藩のように、地域内での通貨で生産を拡大し、それを地域外で販売して法的通貨に変えるだけの力量が必要になる。

たとえば、夕張で「石炭ダラー」を発行した場合、映画祭に来た人が夕張銀行で地域通貨と交換して、夕張に居る間は、この通貨を使う。石炭ダラーは活性化してその一部は市役所に入るが、法的通貨による税の支払いは少なくなる。

メロン農家もこれに賛同してくれれば、メロンは他地域に移出して法的通貨を稼ぐが日々は石炭ダラーを使う。メロン農家は国税を支払うとなったら・・・?。これはダメだろう。地域通貨を発行する自治体(あるいはNPO銀行)がメロンの専売をしなければ、これは上手くいかない。しかし、それでは、現在のメロン農家は嫌がるはずだ。(要考える)

経済成長を考えず、横ばい、実経済のみ回るという世界は、どうだろうか。日本は人口が減少していくので、平均的な生活をする人を基準にして、経済規模がどんどん縮小していく。工夫をして生産性が高まることと、規模が縮小するのでコスト高になるところがほぼプラスマイナスゼロとなる。

貧しい人がなにくそ、良い生活をしている人のようになりたいと頑張ったり、知恵を出すことが経済発展につながる(主役交替)という活力はなくなる。資金を抱えた人が投資する(お金が生む利益を考えて)ことが無くなる。巨額の資金が必要な場合どうするのだろう。仮に地域通貨を一時的に増やして、投資をし、10年で回収するとして、そこからの利息はない。働けるうちはよいが、病気になったり、介護が必要になったらどうするのだろうか。利息は生まないが貯金はできて、いざとなったら使うのだろうか(タイムマネーの考え方)。人の人生には波があったり、社会を運営するには巨額の投資が必要な時があるので、貯金や投資ということが考えられてきたわけだが。社会主義になるということなのだろうか。

エンデは、マルクスは、民間資本主義を批判したが、国家資本主義を主張したのが間違いであった。資本主義をこそ批判すべきであったとしている。

また、彼は、今世紀になってから、人々はユートピアを語らなくなったといっている。

○ジュール・ヴェルヌが描いた科学万能主義的ユートピア

○カール・マルクスの社会主義ユートピア

・ウェルズの「タイムマシン」やオーウェルの「1984年」は、悪夢である。

エンデは、「価値のユートピアというものは、あらゆる文化の本質ですらあったと思う。つまりね、まずなにかが自分たちの未来に投影される、それからその投影された見取り図を追いかけていく・・」と言ったという。

エンデが提起したことは、現在の創造都市の議論ともつながっているように思えるが、ここではひとまず終了する。

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