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June 05, 2007

福井藩の貿易

福井藩(越前藩)の藩祖である結城秀康の頃には68万石であったが、その後徳川時代になり、幕府ににらまれるなどして、小藩に分割された。6代目の頃には25万石の福井藩にまで転落した。幕藩体制で最初に財政難になったのが福井藩であったという。

福井藩では、元禄12年(1699年)には、農村の自然発生的な商品生産の成果を特権承認の支配する流通機構を通じて運上・冥加金・口銭等の形で吸い上げるという藩専売制を実施していた。しかし、これをやりすぎ、準国営のようになって、利潤がないに等しくなると、産業は萎縮し、結果、借知、大規模逃散、大一揆、大阪や江戸豪商への借金となり、累積債務が溜まった。

天保9年(1838年)に松平慶永が入ったときには、二進も三進もいかなかった。そこに横井を師とする三岡八郎が登場する。

横井は、安政5年・6年(1858・59年)、万延元年(1869年)、文久2年(1862年)に越前に招かれ藩政の顧問となる。彼に心酔したのが三岡であった。

横井の『国是三論』(1860年)。三論とは、儒学の三才(天地人)で、天編では富国論(経済政策)。経世済民(民を豊かにすること)≒天の意志であるとする(山本氏によれば、これは儒教の考え方ではなく、独創であるとのこと)。地編は強兵論(海軍論)。人編は、士道論(徳性に本づき条理に求め、心を治めその胆を練り」が目的)。

歴史の流れと世界の情勢を鑑みれば、鎖国はもちろん、鎖国体制のまま開国すればこれもまた問題が多い。天下の政治を歴史の流れと世界の情勢に適合した「公共の道」に基づいて行えば、すべての障害は消えて問題が解決する。

小さな藩では、ちょっとした浪費がすぐに破産につながる、経済に敏感にならざるをえない。これは利点だが、自藩が豊作で他藩が凶作だと喜ぶといったせせこましい気風を生じる。これは将来の発展に向けての雄大で積極的な発想を奪う。名君が民から収奪しないのを仁政というのは消極的だ。

質素倹約のうしろ向きの改革では、パイを大きくしようという前向きの改革にならない。春嶽は、当初質素倹約政策を行ったが、三岡は、パイを大きくするようにと主張した。そして、市場が限定されていると、商品が滞貨して価値が下がるので、交易をするようにという。

横井も、商人を「国賊・大盗賊」と呼んでその暴利を批判し、藩自らが取引所を設けることを主張している。そして、藩の製品を極力高値で買えという。

当時は、どの藩内にも、潜在失業者がいた。直接的な収奪、あるいは藩の専売問屋を通じての収奪があまり激しいと人々は事業拡張、生産拡大の意欲を失い、縮小して家庭内労働で食っていけばよいという発想になって、人を雇わない。藩が生産物を市場価格で買い上げてくれるとなれば、雇用は増大し、潜在失業者も生産に参入して生産増強になる。

しかし、それには資金が必要である。藩札を発行し、藩札で購入したものを海外で正貨で売り、それを両替商に預けてその利子で借金を返すは、山片が仙台藩で実施していたが、小南のは、生産を刺激して雇用を増大させて民を富ますのが目的であるところが違う(青陵:藩が投資をし、労力がそれを活用して富を生むとした)。

三岡の主張が取り入れられ、三岡は、小南の帰国に同行して下関や長崎で市場調査をし、長崎に越前蔵屋敷を建てオランダ商館と生糸・醤油などの販売契約をして販路を確保した。藩の物産を集める物産総会所も出来、藩札5万両も準備された。

三岡は小南の答え「民に誠意を披瀝し、その計画を詳しく説明して彼らを納得させる以外方法はない」を実行し、わらじばきで町々や農村をめぐり、町年寄りや大庄屋、庄屋、生産者に真剣に訴え、計画を詳細に語り、彼らが納得するまで説いて回った。

越前は、一向一揆以来、農民の団結は強かった。これは、逆に、彼らのリーダーを説いて動かせば全員が動きだす。五箇条のご誓文の彼の案では、第一が、庶民志を遂げ、人心をして倦まざらしむるを欲すとなっていたとのことだ。

全てを官が買えない場合には、港などに大問屋を設け、豪農・富商の正直なるものを選び元締めとなし、諸物産を官と同じように購入せよと小南は述べている。(後にこの方式を半官半民の会社にしたのが渋沢榮一の商法会所で明治2年設立の日本最初の株式会社である)。

この藩総合商社の経営は、姦商であっては困るが武士でも上手くいかないので、三岡は、信用できる問屋に任せ、これが在郷小商人層を督励して集荷させる形とし、藩からは吟味役(監査役)一人を任命し、会計監査に当らせることにした。いわば半官半民の藩物産輸出公団のようなもの。

取り扱い品目は、オランダ輸出向け生糸、布、苧、木綿、蚊帳地、茶、麻、わら工品(松前の昆布や乾鰊などの海産物を入れる)。オランダ商館扱いだけで、初年度百万両、翌年は240万両、藩の輸出総額300万両となり、藩の金庫には、常に50万両の正貨を貯蔵できる状態となった。改革の開始が1858年、わずか五年のことである。(七平氏によれば、累積債務まではなくなっていなかったであろうが、藩財政が再建されれば、貸しておいて利息を取ったほうが良いと考えたはず)。

越前の名物のような一揆が完全に消えた。(七平氏によれば、武士の借知はどうなったのか不明とのこと)

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福井藩での成功は、地方自治を考えるうえで非常に参考になる。

1.パイを大きくする戦略、小藩が幕藩体制のなかで独自に輸出体制(市場を世界に求めた)を構築した。藩札を正貨に換える(地方債を出して、それを正貨にする)。

2.藩総合商社だが、経営は民(信頼できる問屋)に任せた。藩は会計監査人を一人置いた。

3.市場開拓、販路開拓をし、資金手当てをしただけでは、働き手が動かない。政策担当者がわらじばきで計画を詳細に説明し、納得してもらった。情報公開、ビジョン提示など。

4.その場合、農村の結束があったがゆえそのリーダーを説得することで民が付いてきた。これはソーシャルキャピタルがあるかないかと通じる。

5.パイが大きくなり、自分達の苦労が生活の豊かさとして実感できるようになれば、人心は安定する。

6.松前が必要としているわら工品など、市場調査をし新しい売れる商品を開発した。

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黒羽織党と三岡との人格にもよるのであろうが、加賀では失敗し、福井で成功したのは、どのような要因によるのだろうか。

1.明確なビジョンと計画を皆に説明したこと。これにより官民の間に信頼関係が生まれた。おそらく、商人についても、加賀のようにただ姦商として潰しにかかるのではなく、当初泣いても、最終的には三方一両得になることを理解させたのではないか。

2.福井の一揆(農民体質)に比べると、信長に圧倒的にやられた(あるいは大藩ゆえにか?)加賀は、農民層のソーシャルキャピタルが弱かったかもしれない。

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1.当時のオランダ向け生糸や醤油のように外貨を稼げるモノが現在の各地方自治体にあるだろうか。日本全体としては、自動車産業など強い産業によって為替が決まるので、相対的に弱いであろう産業分野において輸出は可能だろうか。

○地方自治体は、本格的には、市場調査をしていないかもしれない。たとえば、凄くドン臭いかもしれないが、ロシア船に任せずに、中古品を販売するとか、日本では不用、ゴミと思われているものが他地域では宝の可能性もある(わら工品を松前にのように)。死に物狂いで探すと案外あるかもしれない。産業構造の高度化に合わせたハイテクなどを考えるのではなく。

2.当時は、潜在失業者が多かったので(人、モノ:原料や設備はあったので)、金さえ投入し、生産さえすれば、(販路もあったので)ある意味簡単にケインズ政策が可能だったのだが、今日はどうか。

○ニートの活用などは、これに当るかもしれない。人心を倦ませているのは、政治のせいかもしれないから。

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Comments

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