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June 05, 2007

江戸の先覚者たち

山本七平『江戸の先覚者たち』では、海保青陵(1755~)、山片蟠桃(1748~1821)、本多利明(1743~1821)、横井小南(1809~1869)、由利公正(三岡八郎:1829~1909)を取り上げている。

山本は、徳川という幕藩体制のなかで、こうした独創的な考え方を持つ人がでてきたのだろうと驚いている。

海保青陵は、武士も雲助も自己の知力、肉体的労働を打って生活している賃金労働者という意味では同じであり、一方、天子・諸侯は、財貨を持ちそれを民に貸して利息を得ている人である(資本家)と見ていた。・・・資本家は、天子・諸侯ではなく商人で、天子・諸侯は信用を提供しているだけなのではないのか?

山片蟠桃は、両替商の番頭から学者になった。無神論者で地動説を取り、日本書紀の神代の巻は怪しいとした。いずれをも絶対化せず、町人的合理主義者。大阪堂島の米会所の機能を通して論じた「市場経済論」(幕府の介入政策を批判)は、アダム・スミスを思わせる。

本多利明は、数学家で経世家。算学、天文、測量、航海術の専門家であり、地球上の日本の位置と風土的特長から日本を考えた。火薬の使用による国土開発や石造都市論を展開。蝦夷の調査を行い、移民を主張。蝦夷地の開発や交易の促進、開国を提唱した。蝦夷地についても、武力による開発ではなく、文化による統治を考えていた。中国の思想は、陸地内部での考え方であり、海に囲まれた日本が採るべきでないと考えていた。

横井小南は、一藩重商主義から一国重商主義へと進むべきであると考え、三岡八郎が福井藩でそれを実行した。

山本が感心しているのは、青陵が自らの直接的な観察で問題を把握し、自ら考えて結論を出しているところであり、ここに挙げた人々は皆そうした学問的姿勢であったところである。人間は、過去や歴史的体験や権威とされる思想やイデオロギーに拘束されがちであるが、ここから自由になっているところである。

山本は、青陵を持ち出して、マルクス主義でコチコチの頭もどうにもならないが、戦時中の体験を絶対化しているのもどうにもならないとしている。知識人として、現在の日本が於かれている状況を拘束されない目で捉え、考えなければならないときなのにという苛立ちが読み取れる。この本は、1990年、バブルが頂点から落ち込む頃に刊行されているのだが。

私は、当時「豊かさとは」というのを考えていた(バブルによる豊かさという泡沫的なものではなく、豊かさを実感する時代に入っているはずなのに、豊かさを感じないのはどうしてだろうと考えた。その考えを絞っていったのが「新・職人の時代」である)が、日本が置かれている環境が大きく変わっていたことに残念ながら気が付いていなかった。

それは、「冷戦が終結した」ということだ。それによって、凍結されていた日本の戦後処理が一気に押し寄せたように思う(ここはまだ感じているだけで勉強が出来ていない)。

何故バブルが起きたのか、何故バブルの処理を間違えた(?)のか、何故日本の品格が失われてしまったのか、何故日本人が自信を喪失してしまったのか・・などなど。

アメリカの陰謀(仲間であると思っていたのにしてやられた!仲間のなかにもいろいろな塊がいることにもっとしたたかに気付くべきであった・・)とまでは言わないけれど、戦後世界的にみると甘えのなかで過ごしてきた(リスク管理の甘さ、自主外交・情報入手のなさ、地方も含め官僚制度による硬直化・・)ことが一気に許されなくなったのだろうと思う。

プラザ合意で為替が円安から円高になったことだけをとっても→それによって企業行動は国内投資から海外投資へとなり、国内空洞化、地方経済崩壊、一方でアジアの隆盛となる。グローバル競争のなかで企業はアウトソーシング化し、メインバンク崩壊ではげたかによって切り売りされ、企業共同体は崩れた。政府も自治体もケインズ政策を採用して公共投資を増やしたので、財政悪化となり、借金が増え、政策の自由度がなくなっている。

もちろん、インターネットなどの情報化、金融のグローバル化、アジアの台頭、などなどの技術の変化やそれに伴う産業の変化、地勢上の変化などの独立要因がこうした動きを加速した。逆にこれを逆手に採って繁栄することは出来なかった。一部の企業はこれができた(トヨタなど)。中小企業や地域は、こうした状況のなかでどうしたらよいのか。

グローバル化に成功した企業でも、人材が育っていないことなど骨粗鬆が問題になっているし、繊維などでは、同じような商品が並んで消費者が飽きてきている。安いので購入して痛んだらすぐ捨てるというアジア品は環境にも悪い。→ここにビジネスの余地はある。企画力、生産力のある中小工場の自立と百貨店の自立が組み合わさることによる付加価値の高い商品の提供。しかし、全体の小売のなかでの百貨店の弱さは大丈夫か。良い土地を持っているのに株価が上がらないと外資に買収される可能性がある。そうなった時に哲学を貫けるだけの企業経営能力を百貨店幹部が持っているだろうか。

工場現場での人材不足を今後の教育で補えるのか。

リチャード・フロリダの「クリエーティブ・クラス」は、トヨタの生産現場がヒントだったというが、彼のクリエーティブ・クラスは、ブルーカラーを含んでいない。これまでの日本企業の終身雇用・年功序列的な雇用環境のなかで培われてきた知恵を皆のものとする風土・文化が崩壊してしまうと、現場でのカイゼンはできなくなる。これを企業の収奪であると捉える風潮が出ているなかで、アウトソーシングで低賃金化を進めるなかでは、知恵を出し合うことは難しい。フロリダは、いろいろなことの結果として大都市にクリエーティブな人が集まっていることを計算しているだけで、何故、クリエーティブが可能な環境なのかについては突き詰められていない。

戦後から昭和終了くらいまでの良かったこと、甘かったこと、その後の環境変化のなかで足をすくわれて変化してしまったこと、それが実は大切だったのではないかどうかを検討、変化した環境のなかで、良いものを残し(将来の発展につながることは残し)、甘かったことは厳しく対応し、不足していたことを補い、新しい環境への適応を考える・・・これをやらなければならない。

その意味で、国も藩も経済破綻しており、官僚制度が疲弊していた、これまでの考え方や行動に拘束されているなかで、彼らがどう考えていたか、それを藩などがどう取り入れていったかは、非常に参考になるはずだ。

もっとも、現在のように、すでに経済がグローバル化し、情報が行き来し、貿易が活発であるなか、あるいは、農業→商業という時期の判断と製造業→知識産業という時期の判断とは自ずから異なるはずではある。

まえがきを最後まで読んできて、山本七平がこの本を書いたのは、冷戦構造が終結し、経済競争の時代に入ったとの認識のもと(乱世の攻伐の時代を脱し、経済競争の時代に入りとある)、鎖国ならぬ「鎖地球圏内の幕藩体制」の様相を示してきたのを再考するためのヒントにしたいということであった。バブルとバブル崩壊で日本がその後15年あえいできたこと、民族・宗教紛争が治められないほど勃発していることを当時の彼は知らないわけだが、彼はグローバル化に打って出ろと言いたかったのだろうか。

それとも、新しい環境下で、拘束されない心で再考せよといいたかっただけなのだろうか。

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