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September 08, 2007

クリエイティブ・シティ特別寄稿

陳潔華氏:上海における創造的階層の勃興

・日本語には、クリエイティブにあたる創造はあるが、イノベーションにあたる日本語がない。

・中国語:発明、発現(発見)、創新、原創(創始するのいみ)、首創(同左)、創意など創造に関する語彙が豊富。原創と首創は新たな知的作品や知的産物を創造する最初の活動を指す。

・「創新」は創造的な構想、考え方、設計のことを指す。創新という言葉には、非常に豊かな意味が含まれている。創造、発現、発明、原創、首創、創意という意味を含むほか、物質の創造という意味と知識の創造という意味を兼ね備えており、重大な科学的発明という意味にも、市民による小規模な改革、改善という意味にも使われる。

創新活動は、これまでの思考様式、生活様式、生産様式、管理様式を変えることによって、人類文明や歴史の進み方に影響を及ぼす。唯一無二性が備わっていなければならない。特許。→これだと科学者や技術者のみのことで自分には関係ない、苦難に満ちているなどと思われてしまう→筆者は国民が創新活動に幅広く関与するため緩やかな定期を用いることを主張。

●鄧小平時代における中国および上海の創新の要因(1976-1980年代)

・欧州のルネッサンスのよう。農民や個人経営者が物資の欠乏という機会に乗じ、都市部と農村部の価格差、内外価格差、二重価格体制を利用して商品を転売して(暴利を追求)万元戸になった。知識の創新によって豊かになったのではない。知識人は貧困な最下層であった。「ミサイル技師がゆで卵売りにかなわない」、「メスを持つよりカミソリを持つほうがまし」、「教授は教えれば教えるほどやせる」。

・経営形態としては、国営経済、私営経済、外資系企業併存。分配メカニズム「多く働いた者が多くの分配を受ける」原則がコンセンサスに。国が富を分配する機能が揺らぎ始めた。個人が合理的に金を稼ぐことが認められるようになった。

・これまでの「プロレタリアートは誉れ高く、ブルジョワジーは罪深い」という考えかたが揺らぎはじめた。鄧小平は、一部の人を先に豊かにさせるという方針を打ち出し、富の追求が正当化された。

・政治では、プロレタリアート独裁が緩やかになり、国民は部分的な自由を手に入れ、法制が確立されはじめたが、知的財産権を保護する法制は有名無実。マルクスの言う「科学技術は人類共通の財産である」という意識が根強く、特許の保護に関する法的意識はなかった。

・社会は、秩序と安定に向かいはじめ、外交的にもオープンになり、先進国のほとんどと正常な外交関係を樹立した。その結果、先進的な設備を先進国から導入できるようになったが、先進的な設備を導入しさえすれば現代化の目標を達成することができると誤解していた。

・人身、財産、政治、学術の安全が基本的に保障され、学術の自由、創新の自由、起業の自由が達成され、競争メカニズムが社会を活性化しはじめた。

●江沢民時代における中国および上海の創新の要因(1989-2003年)

・文学・芸術で自由に創新が行われるようになり、人文科学の面で多くの成果が生まれた。計画経済が歴史の舞台から去り、市場経済に切り替わり、市場経済、競争メカニズム、私営経済が重要な役割を果たし始めた。

・多くの商品が不足していた段階からあまる事態へと転換し、競争が激化した。経営者は、価格差の利用を意識してもビジネスが難しくなり、より競争力に富んだ商品を模倣しようと考えはじめた。粗悪な模倣品が大量に出回った。

・国営企業、集団所有制企業、株式会社、私営企業、外資系企業が併存していたが、外資系企業は、いずれも、土地に関する優遇や免税に関する優遇、輸出入に関する優遇、雇用に関する優遇などを得ていた。外資系企業のホワイトカラーが新富裕層となり、新たな買弁(外国資本の利益に奉仕した中国人)となった。彼らは、街五区後や貿易、経営管理などの専門知識に依拠して外国企業に従属しているのであって、自分が創新した特許に依拠していたわけではなかった。

・分配メカニズムは、「多く働いた者が多くの分配を受ける」という原則が徹底的に貫徹され、国が富みを分配する企業は徐々に弱まっていった。金を稼ぐことがもてはやされ、それが流行となった。「ブルジョアジーは誉れ高い」に変わった。市場経済体制によって富の追求が正当化され、合法化された。

・一部の権力者が権力を利用してビジネス上の利益を追求し、官僚買弁層へと変わり、新富裕層になった。さまざまな企業家と手を組み、国有資産を極めて安い価格で外資系企業や私営企業に売り渡し、そこから利益を得るほか、汚職に手を染め、巨額の国有資産を国外に移すといった深刻な問題を引き起こし、汚職官僚の腐敗という危機。

・一党独裁ながら、国民は、出国の自由、経済と起業の自由、思想と言論の自由、生活スタイルの自由、富を蓄積する自由を獲得し、法制と知的財産権保護法が確立された。しかし、法律が厳格に執行されておらず、有名無実で、粗悪な模倣品が出続ける。マルクス主義の「科学は人類共通の財産」の影響が続く。外国ブランドや技術・特許を模倣する商行為が盛んに行われ、新富裕層が現れた。

・外資系企業を大量に誘致し、極めて優遇したため、国有企業が相次いで倒産、失業が増えた。私営企業と知識人が創新や起業のチャンスを見出した時期。

・一方で、貧しい農民労働者(出稼ぎ労働者)が大都市に大量に流入、都市では、窃盗や強盗、殺人などが爆発的に増加、人身の安全と財産の安全が、創新活動を妨げた。学問、創新、起業の自由が存在し、経済面での競争や科学技術面での競争が白熱し、活性化した。

・欧米が400年かけた近代文明の発展を中国は27年で歩んだ。立ち遅れた農業国家から世界最大の鉄鋼大国、家電製造大国、IT大国となったが、多くの深刻な問題に直面。

●胡錦涛時代における総合的な危機と創新階層の出現(2003年ー)

・一気な近代化で、歴史の底に沈殿していた課題がすべて水面に浮上。一方、上海、ないし中国でまとまった数の新富裕層が相次いで現れた。しかし、いずれも新しい知識に欠け、中国が現実に直面している危機的な問題を解決することはできなかった。

・その結果、増え続ける危機的問題が、上海の創新に向けた新しく強大な動力の源泉となり、上海の創新階層が非常に活気づいた。

①経済成長方式の危機:創新による特許ではなく、大部分は労働集約的産業に依拠し、わずかな給料を得ている→創新活動を模索し、多くの経済学者や経営学者による刷新を促し、経済学者の新富裕層を生み出した。

・欧米に追いつけ追い越せというなかで、経済学の分野で創新が生まれたとはどういうことか?富裕になるほどの創新があったのか。経営はトヨタの真似をせざるをえないはずだろうに。??

②資源面の危機:上海での資源を再生し、節約し、代替するという創新活動に火がついた→工学系知識人による知識や技術の創新が行われた。

③環境汚染の危機:上海の知識人が環境汚染や環境保護をめぐる困難な問題を解決する創新活動のきっかけとなった。

④知的財産権の危機:先進国からの訴訟→中国の自主的な創新や技術面の創新、特許の保護重視への刺激となった。

⑤腐敗の危機:官僚買弁に対する大規模な反腐敗キャンペーンを決意→党内の監督制度、政治制度、法律、清潔な政治、政府機能の創新を加速。政治学者による学術面の創新を後押し。

⑥国有企業の危機:外資系との競争で相次いで倒産→中国政府と経済学者や企業家が創新を実践、多くの民営企業、私営企業が活気づき、多くの起業家が育成された。

⑦国内市場の危機:長期間にわたり、技術と知識の創新が不足していたため、政府が改革・開放の後、技術導入をし、外資系企業が大量に進出して中国市場を占領した。国有企業が倒産した。民族経済の危機。

⑧国際貿易摩擦の危機:外資系企業による安価な労働力と豊かな資源を利用して生産量を拡大、中国は世界の工場となったが、各国への輸出急増から貿易摩擦が生じた。中国はわずかな賃金しかえていないのに。→国や地域のバランス、国内市場と輸出市場のバランス、商品のバランスを考えるようになった。貿易方法についての創新が生まれた。

以下には、上海の創新機関と創新資金についての記述がある。

・先進国の創新は胚的分野に集中→中国では、科学技術、社会的、国際的、政治的な難題への創新というように多様である。

・創新活動を地域別に6つのランクに別けると広東、上海、北京が一番上のランク。上海の研究開発費は、2004年には、域内総生産の2.29%に上昇(中国全土では1%に満たない、先進国は2%を超えている)、ハイテク輸出の比率も上昇。上海の研究機関は80年から95年には増加したが、2003年まで縮小し、最近また増加して約1000.基礎中心から応用研究へ(特許をできるだけ早く発展させる)。

・資金的には、政府の比率が減少し、企業の比率が高まっている。上海市も支援を拡大。中国では、国の研究資金が企業に振り向けられる比率が低い。中国の大学の比率も低く、主に、研究機関が国からの資金を得ている(しかし、成果がなかなか出ていない)。留学生が創新に果たす役割が高いが、外資系企業に就職することが多い。留学生の帰国希望では、北京より上海が高い。起業している。

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