地域政策研究と実践への賞2
地域政策研究賞のもう一つの優秀賞は、光本伸江『自治と依存』で、最近自治、自治というけれども、自給自足的なことは無理であり、自治とはいっても依存せざるをえないし、補助金に依存していると言われる市町村でもよく見てみると、住民の自治が行われているといった観点で書かれた本だ。
前者の事例として湯布院町が取り上げられ、長年、自治の成功例として著名だったこの町も、平成の合併で吸収されてしまった。一方、産炭地として補助金依存の田川市は、長年にわたって住民が自ら考えそのうえで主体的に補助金を得てきたといったことが書かれているらしい。
「自律=自治体運営における自己決定権と自治資源の戦略的管理能力の強化」という本来の自治を重視すべきとしているとのこと(高評による)。彼女は「物語」の重要性を強調している。彼女が言う物語とは、「政策目標としての基本構想と記憶の共同体が構築する地域の歴史などから構成される」とのこと。
簡単に言うと、たとえば、炭鉱としての歴史を上手に政策目標に活かすということなのだろうか。彼女は夕張についても論文を書いているようだが、夕張は、炭鉱という資源を活かして炭鉱から観光へと政策ビジョンを変更したわけだが、これについてどう評価しているのだろうか。ビジョンは良かったのだが、やり方がまずかったとするのだろうか。
この本は私の分担分ではなく、選考の折にざらっと拝見しただけだが、確か4000円以上もするので、昨日、市の図書館に購入希望を出しておいたので、良く読んでから紹介したいと思う。
なかでも、田川市がどのようなことをやってきたのかが知りたい。
→その後図書館で借りて急いで読みながら作成したメモを添付しておく「jichitoizon.doc」をダウンロード 。
彼女独特の分析手法で書かれているので、読み込みきれていないのだが、①その地域の情報資源(物語)をどのように活かすことができるか(資源の戦略的管理能力)、②その地域で政策決定は誰がしているか(政府体系:行政、議会か商工会議所、観光協会などの民間組織か)、③その地域での物事の決まり方(作法:問題について討議して決める、あるいは被害者物語を作って陳情して補助金を得るなど)について、湯布院と田川の例を分析している。
行政と観光協会・旅館組合(観旅)という2つの政府体系が二人三脚で生活型観光・保養型観光というゆふいん物語を武器にまちづくりに成功してきたのに、市町村合併では、観旅が有効な力を発揮できなかったのかということを上記の3つで分析している。
要約すると、まちづくりは、観光業だけではなく、そのほかの利害関係者も居て、行政と観旅とでは対象とする範囲が異なっていたこと、観旅はこれまで内政には触れずにきた(外交のみ)ため、合併問題に入り込めず、それまでの作法(討議の場を設けて方向づける)を発揮できなかったこと、もともと由布院には、観光という表の顔の裏に基地の町としての裏の顔があり、こちらでは、民間である観旅は触れられなかったこと(これで潤う部分もあったこと、自治体が国と直接係わっていた:外交していたこと)などによる。
田川についても、3つで分析し、自治体が、長い間、産炭地の遺産(炭鉱遺跡や炭鉱文学・絵画など)を活用し、産炭地後遺症という物語をつむぎ、それによって補助金を得るのに成功してきたこと、それにより、教育行政に力を入れてきたことが書かれている。
2つの事例が成功しているかしていないかという観点よりも、分析手法を用いて、読み解いているという本である。
実践している市町村に与えられるイノベーティブ・ポリティー賞に選ばれた茅野市の読書の森づくりもそうだが、各地でそれなりに自発的な試みがなされているようで、その文脈で田川市も知りたいと思ったのだ。
というのは、別途ブログに書こうと思っているが、国際シンポジウムに参加して、欧州の研究者の話を総合すると、日本ではどうも自治の歴史が切れていることが一番の問題のように思えるからだ。
ちなみに、茅野市の読書の森というのは、生まれた子供に絵本を二冊与え、親が読み聞かせるという政策を実行している話である。本は、一人で黙読するのも良いが、そうではなく、読み聞かせ、言葉として伝えるということを実践している。さらにそれが小学校に上がった時にまで広がり、学校でも朝読書の時間を設けるなど広がってきているということだ。
最近では、この運動は全国的にも広がってきている。「教育」の本来のあり方を実践している良い例だと思う。
日本は、いつ頃から幅広い意味の教育がおかしくなってしまったのだろう。明治維新以降の学校制度で知識偏重となって知恵を教えなくなったこともそうだが、敗戦で大人が自信を無くしたこともそうだし、民主主義と権利意識≒自己中を履き違えてきたこともそうだし、バブル崩壊による本当の敗戦もそうだし・・。
「品格」がベストセラーになってはいるが。
テレビの水戸黄門はどこまで本当かということはあるにしても、良く若様が子供なのにしっかりとしたエリートになっている話があるが、日本には、国を憂い、大所高所に立って政治を行えるエリートが居ない。
身分制度がなく、誰にでもチャンスを与えるという意味の平等は社会の活力のために良い思う。しかし、人間はいろいろであるのに、同じと見做す偽者の平等ではなく、それぞれの違いを理解し、それぞれの役割を担う社会が真の平等だと思うのだが、そうした教育になっていない。
なお、もう一つのポリシー賞は、岩手県遠野市で、遠野スタイルというさまざまな試みをしていることに対してであったが、これは市長が来て説明したこともあり、市長の施策表明みたいだったので、今ひとつ本当のところが分からない。スローライフを目指してIターンが増えているものの、子供が生まれるよりも、高齢者が死ぬほうが多いことや、大学進学や就職で町を離れざるをえないので、人口減少が止まらないとのことだ。
町並み景観保存などの写真がパンフに載っているが、本当に昔の建物が残っているのは良いとして、ちょっと作りすぎている地域もあるように見え、人どおりが少ないのに、なんだか綺麗に整備した町が寂しそうにも見えてしまう(本当のところは分からない)。
講評では、集落ごとに持ち回りで市民劇を演じる「遠野市民フェスティバル」「遠野昔話退会」「どぶろく特区」「東北グリーンツーリズム大学」などを評価しており、これを担っているのがIターンの人たちであるとのことだ。
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