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May 27, 2008

まちは自分たちがつくるもの

前記事では、本に書かれている事例を一つ取り上げたが、掲載されている事例に共通しているのは、「自分たちのまちは自分たちが作り上げていくもの」という認識がベースにあるということだ。

そこに、何かのきっかけで、理念や活動のリーダーが出てくると、ワークショップなどで市民が参加しながら計画やアクションプランなどが作られ、それが実行されている。

市長や議会が当初作った都市計画に市民が反対し、単に反対するのではなく、自ら計画策定をしたり、市長や議員に同じ考えの人を送り込んだりしている。

掲載されている事例同士、人的つながりもあるとのことで、ある意味、どの事例も対処方法が似ている。著者は、70年代の活動家たちによるもう一つの暮らし方を求める文化が地域の遺伝子となっているのではないかと考えているようだ。

その意味では、アメリカのなかでも、これらの事例地域は、特殊なのかもしれない。

しかし、その後、法政大学で欧州の学者を交えたパネルディスカッションをするなかで(地域研究センターによる第5回地域創造・国際シンポジウム「地域再生と産業クラスターの役割」)、ヨーロッパでも、ベースにこの「自分たちのまちは自分たちで作り上げていく」という考え方があると感じた。

つまり、欧米と同じ制度や組織を日本に作っても、そこのところが違うので、仏作って魂入れずといったことになり、日本では制度や組織が機能しないのではないかと思った。

2月のシンポジウムなので、記憶が薄れてしまっているが、当時作成したメモから、ポイントを書き出しておこう。

メディコンバレーと呼ばれるスウェーデンのルンド地域についてルンド大学の先生が話した内容によると、この地域が現在、産学連携などで成功している要因として;

1.経済危機というトリガーがあり、これが地域を変革しようという地域の合意形成につながった。

日本では、経済危機だと、自ら地域を変革しようという合意形成になりにくい。すぐに、中央政府に泣き付き、補助金などを得てしまう。

2.個人のプレーヤーが地域のリソースをとりまとめ、かつ必要なリソースを取り込んだ。

アメリカの事例でも、必ず、キーマンが居る。最初に立ち上がるキーマンが居ることも必要条件なのだろう。日本でも居るのだろうが。地方では、町長が個性的だと、ある時期、まちおこしが活発になるが、右に寄り過ぎると、任期が終了すると揺り戻しが起こることも多い。

札幌のTさんのように、最初の呼びかけの辺りでは、彼の説得力や魅力で人々を惹き付けるのに、Tさんは実行の段階になると弱く、たとえばIさんのような実行が上手な人が上手く引き継いでくれれば良いのだが。札幌では、Tさんは、表舞台には出たがらない。これは、結局刺されるからなのかもしれない。Tさんも、Iさんも、地域のボス(行政や産業界)からは、軽く見られており、彼らの誠意や動きは本流にならない。

3.地域の将来ビジョンを描くこと、それに向けてコーディネーションしていくこと。

アメリカの事例でも、自分たちでビジョンを描き、それを実行していく。日本では、最近では、住民を巻き込んだビジョンづくり→基本計画づくりをする事例も出てきているが、これも、ある町長のときに実施して、その人が代わると立ち消えになってしまうことが多い。

一般に、教祖的な人が人々に夢を与え、ある方向に人々を誘導することが多い。これは新興宗教やヒットラーにつながるものだが、これとは異なり、(仮に実際にはそうであっても)、ワークショップなどを繰り返しやりながら、市民の総意としてのビジョンを作り上げることが重要だと思う。日本では、少し山っ気のある町長が出ると、新興宗教的な方向に行きやすく、反対派が町長失脚を図り、頓挫することが多い。

札幌では、サッポロバレーの人たちは、集まって、自らの地域産業ビジョンを描くことも出来なかった。経営者は、自分の会社の明日しか考えていないし、全体を良くして、自分も良くなるという発想がない!

4.地域が共通の理解を持つようになり、インセンティブを共有することが必要。

地域の多くの人々が危機を感じ、そこからの脱出のためにたとえば、3年我慢する、5年である程度見える成果が得られ、10年後のビジョンに夢をつなげられるといった共通の理解と、それによって得られるメリットを共有するようにすれば、上手くいくはず。

危機を感じても、自分だけ良ければよい(建設業者は、公共事業があればよいとか、IT企業も自社の仕事が得られれば良いなど)と思っているうちは、協力しあえない。たとえば、ロシアや中国やインドからのIT技術者を積極的に誘致し、サッポロバレーの国際化を図れば、観光客も誘致できるかもしれないし、仕事も増えるので、地元商店街も潤うなどの、共通のメリットを描けないとダメだ。

ニセコ地域は、折角オーストラリア人が押し寄せ、投資が起きているので、こうした共通のビジョンとそれを地元の多くの人のメリットになる将来像を描けていない。

5.一人ではダメで、一人以上のアクターが必要、組織、業界団体など。会合を重ね、共通のビュー(将来像)を持ち、プロジェクトを進めていく。

6.民と官とパートナーシップで。政治的な民間のコミットメントが必要。

7.何よりも、地域のアクターの信頼関係が必要。

日本の地域では、これがなかなか難しい。過去に行政や特定個人や企業に痛い目にあっていると、地域全体では、互いに信頼できない。信頼関係が築ける、仲間内だけで何かやることになる。

8.初期には、リスクもあった。

9.キーマンのローカルレベルでの本当のコラボレーションが必要。

梅田さんとルビーの松本さんの対談でも、コアなメンバーがいて、それを支えるボランティアが周辺に居て、さらにそれを支持するゆるやかな人がいるという構図を描いている。前に地域情報化の本を書いた折に、飯盛さんもそうしたことを言っていた。こうした同心円は、おそらく、何かやる場合の構造といえるだろう。

10.しかし、地域の人だけではダメで、加速させるには、外からの人材などを入れ込む度量が必要。

日本の地域では、これも難しい。東京の人や偉い人に憧れている一方で、最後まで、信頼していない。まして海外をやである。

11.時間が掛かるが変化を持続させること。

日本の地域がこうしたしがらみを越えて、危機感を共有できる事態になるとか、これまでの不信感が強い人間・アクター間の気持ちを乗り越えて、共通のビジョンをインセンティブを与えられるだけの強烈な人材が登場し、その人が地域内外のリソースを上手く組み合わせられれば実行可能だろうが。

あるいは、危機感が複数の新しいアクターを刺激し、住民自治(自分たちの地域を自分たちで作ろう)への呼びかけが起こり、それに乗ることが起これば可能かもしれないが。夕張がそういう意味での先進地域になるかもしれない。

夕張を含め、産炭地(生活保護世帯などが多い)や、第二の夕張になりそうな地域を要検討!

アメリカの都市のように、70年代の反戦運動の遺伝子が残る、意識の高い人たちがいる地域で、危機感を感じて動きだすことがあるかもしれない。日本では、どこだろう。丁度彼ら団塊世代が定年で、地域に戻り、何か始まるだろうか。

八甫谷邦明『まちのマネジメントの現場から』で自治の芽生えがある地域を取り上げているが、これが今でも続いているかどうかを要チェック

日本の事情はさておき、欧米での成功のポイントは分かっているのだから、地域イノベーションを起こすには、こうしたことが要件であるということは言えるだろう。

PS:同じくシンポジウムのパネラーであった小門先生は、シリコンバレーでの経験から、パネルディスカッションに誘われたので、今日のようなものかと思っていったら、そうではなく、参加者で意見のある人が皆パネルに自分の意見を記してきて議論する場がパネルディスカッションであったとのこと。そこに、コンサルや地方政府の人も参加し、住民全体で議論して地域のことを決めていく、全員参加で決めたのだから、決まったらそれに皆を実現させざるをえない。命令されたのではなく、自分たちが決めた(コミュニティ・ソサエティ)。今日は、Aさんがリーダーだが、次はBさんがリーダーという感じ。

同じく、アメリカでは天下りという概念が通じなかったとのこと。地方分権が進んでいるので、国から資金などを引き出そうとすることもあるが、口は出さないで欲しいという感じ。地域の都合で利用することはあっても。

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