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March 30, 2009

地域密着型サービス

個人的な話だが、母の介護をしていて、不自由だと思っていたことが、宅老所や06年から導入された地域密着型サービスでかなりの程度解決されるものだということを知った。

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母は、年齢相応の物忘れはするが、いわゆる認知症ではない。ただ、昔から足が不自由なので、転びやすい。椅子、手すり、ありとあらゆるものにつかまって何とか自宅内を歩いている。自分のことは自分でやりたいと思っており、顔も入れ歯も自分で洗うが、立っていられないので、片方の手で体を支えながら、顔を洗ったり、お湯を汲んだりしている。

いくつになっても、また自分が被介護者であるにも係わらず、娘である私が外出すると怪我や事故に会うのではないかと心配し、外出する日は、遅刻するのではないかと朝早く(というか夜中)から起き出して、送り出そうとする。また、私が母の世話やら家事で手一杯だと、自分も家事を手伝おうとする(お湯を沸かしたり、茶碗を用意するなど)。危なっかしいのだけれど、それが意識をはっきりさせ、身体にもリハビリになっているので、見守りながらやってもらっている。

おもらしではないのだが、便意をもよおしてからトイレに行くまでに足が動かないので間に合わず、私に下の世話をさせることになる。これをヘルパーさんなど他人にやってもらうのは恥ずかしいと嫌がる。脱腸の手術をしたので、便秘がちであり、薬を飲んでいるのだが、いつ便意をもよおすか分からない。

こんな状態なので、いわゆる認知症の高齢者、それも姑という関係に比べれば幸せな部類なのだろう。

しかし、外出した時に限って、転んで気を失い、その後しばらく意識が混濁していたり、お湯をわかそうとしてガスの火が着物に移り、やけどをしていることがしばしばある。このため、安心して出かけられない。

  • 私が外出中はガスを使わないように言い含め、またガスのセンサーも取り付け、ガスコンロも15分経つと火が消えるものに変えた。
  • 外出の折には、ヘルパーさんを依頼し、食事時間が含まれる場合には、温めるなど配膳を依頼した。
  • クルリモという遠隔地から携帯電話のテレビ電話で自宅の様子をチェックできる仕組みも導入した。

しかしながら、私が依頼している事業者では、ヘルパー要員が少ないらしく、定期的に外出が決まっている場合は、やりくりしてもらったものの、不定期だとそう簡単に依頼できない。夕方の時間帯には、訪問サービスをしていないので、夕食の時間帯については、別の事業者に依頼している。留守に来てもらうので2ヶ所に鍵を預けなければならないという問題もある。

また、母は、ヘルパーさんという他人が来るとなると、早めにベットから起き出してトイレを済ませ、良い顔をしてしまう。トイレ介助などヘルパーの本業なのだと言っても、恥ずかしいからと数時間前からきちんと一人でやろうとする。ベットから起きたり、寝たりというのも実はしばしば転んで危ない。まぁ転んでも、ヘルパーさんを頼んでおけば、そのうち訪ねてくるので早めの対応ができるから良いのだけれど。

このため母にしてみれば、ヘルパーさんが来ると却って疲れるので、来るのを嫌がる。結果として、私が外出するのが悪いということになってしまう。ヘルパーさんが来るのがよほど嫌らしく、寝ぼけては、今日は来る日かと毎日のように聞いてくる。

良く寝入れば紙おむつをして朝まで寝ているのだが、夜中に目を覚まし、トイレに行くこともあり、時には転ぶこともある。このため、私が居る時には、2階に電波を飛ばして音や声が聞こえるようにしている(もっとも私も寝入っていれば分からないときもあるのだが)。このため、宿泊を伴う出張は、全くできなくなってしまった。

介護保険によるサービスでは、介護者がくたびれないよう、息抜きができるようにと、デイサービスやショートステイが用意されている。しかし、母のように自己中心的な人は、高齢者ばかり、見知らない人ばかり、チイチイぱっぱのお遊戯などはしたくないと思っており、こうしたサービス利用を嫌がる。まして、全く知らない場所への宿泊は受け付けない。

もっとも、私が、ずっと仕事についていて、どうしても外出や出張せざるをえない状態であれば、母を説得しようとするかもしれない。しかし、丁度仕事を失っており、どうしても仕事をしなければならない状態ではないこともあって(自分では、もうひと仕事したいとは思っているものの)、無理やりデイサービスやショートステイに行ってもらいにくいのだ。

母が入院し、退院するにあたって、当時は私がまだ仕事をしていたこともあり、介護老人保健施設を紹介してもらった。しかし、見学に行ったものの、パジャマを着て、無気力に過ごしている人たちを見て、やはり入所をためらってしまった。

実際、病院に入院中は意識も朦朧としており、食欲も全くなかったのだが、退院し自宅に戻ったら、めきめきと回復した。ちょうどやっていた仕事に行き詰まり、母を保健施設に入れてまでやり続ける仕事と思えなかったこともあって、仕事を辞めて、自宅で介護する生活に入ることになった。

しかしながら、母の様態が良くなってくれば、私にも欲が出てきて、少し働きたくなる。様子を見ながら少し復帰してみると、前述のように、火傷や転倒ということになるのだ。

そこで、介護サービスを受けることにしたのだが、母の状態や意向と受けられるサービス内容とにギャップがあり、結局、私の行動の自由は非常に限られたものになってしまっている。不自由はしかたがないのだと諦めていたのだが、世の中に宅老所があることやそれを受けて06年に地域密着型サービスが導入されたことを知り、なんだ、これがあるなら、ずいぶん助かるのにと思った次第だ。

宅老所のように、自宅のすぐ近くにあって、元気な頃から遊びに行きつけている仲間が居て、自分の日常の延長線上で見守られながら自分でもやれることがある場所で、たまたま今日はお泊りをするということが可能なら、お泊りへのバリアがずいぶんと低いはずだ。

また、夜間対応型訪問介護サービスがあるなら、自宅に居ても、私が出張などに出かけやすくなる。

私が住んでいる市では、大規模な老人福祉施設や地域密着でも認知症対応のグループホームはあるが、いわゆる宅老所のようなサービスや夜間対応型訪問サービスは提供されていないようだ。志のある人や介護に従事する人が居なければ、仮に市が音頭を取ったからといって始まるものでもないだろう。

また、東京都や西東京市は、富山県や佐賀県のような地域共生ケアに取り組むといった対策を打ち出しているようにもみえない。

もっとも、いくら宅老所があっても、現在の施設と同様、急に、そこには行きたがらないだろう。元気な頃から行きつけていたり、友達も行っているというなら別だけれども。

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つい数年前まで、私の家が宅老所のようだった、朝から晩まで、ひっきりなしに、近所の高齢者が遊びに来ており、母の足が悪いので、自分たちで勝手に茶碗を出したり、洗ってしまったりしていた。お菓子やおかずは、いろいろな人が持ってきてくれていた。

あのまま自宅を開放して、宅老所になっていたら良かったのかもしれない。

しかし、母が入院し、退院後も疲れやすくなり、一日の大半を寝ているようになったこともあり、チェーンのように次から次へとお客が来るのを断ってしまった。また、私も同時に足の手術をしたこともあり、身体が不自由になったため、近所の付き合いを最小限にしてしまった。

私自身、ご近所と付き合うのに慣れていなかったので、「くだらない世間話」に付き合うのが嫌だったのだろうと思う。母も私が自宅に居るようになってみれば、部外者が入ってくるのを嫌がるようになってしまった。

私が地域に根を下ろすことを覚悟し、自宅を開放して、いろいろな人が出入りするようにすれば、私も少しは社会的な活動が出来るようになり、母も私が家にさえ居れば、許してくれるのかもしれない。

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この記事は、私の個人的なことと、宅老所のような地域密着型サービスのこととがまぜこぜになっていておかしいが、とりあえずメモっておく。

私が何故、宅老所にこだわるかというと、①個人的に自由を得るのにこういうサービスがあったら助かるのにということのほかに、②なんだ、私が母に対してやっていることは、宅老所が提供しているサービスと非常に似ているのに驚いたこと(つまり、娘が母親にやっているようなきめ細かいサービスが世の中で提供されているということ→公的サービスなので不自由さはしかたがないと思っていたが、そうではなかったこと→ニーズから発想してこういうサービスを始めた先駆者がいたということ!)、③住民自治などを考えていてその最小単位は、小学校区かさらに自治会・町内会くらいではないかと漠然と思っていたが、宅老所などをやっている人たちがリアルにそうした単位で活動してきたことなどによる。夕張希望の杜の村上先生が、医療・予防・健康という地域の安全保障を地域づくりに位置づけるべきと言っており、そうだなぁと思っていたが、宅老所(福祉)もまさにそうだと思えたことである。

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