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April 27, 2009

地域経済の担い手とは

まちづくりを前記事のような多様な弱みを持つ人々の集合体と捉え、その人たちが健康で文化的な生活を送れるようにする仕組みを考えるとする(地方自治体は、その担い手の一つと考える)・・・これを考えることは可能だが、では、その原資はどうしたら良いのだろう。

グローバル競争に晒される企業の工場などがたまたま立地して雇用や税金を落としてくれるのは追加的なメリットとして考え、こうした企業の工場などが無くても、地域として経済をどう回していったらよいのだろうか。

つまり、かつては、一次産業が中心で、村落共同体として、いろいろな弱みを持つ人たちを丸ごと抱えてきたわけだが、それが「会社」に稼ぎ手が雇用され、地域は、そのネグラでしかなく、「会社=五体満足、元気な人の集合体」からはみ出た弱者が住むところだった。その折には、会社からの税金(東京など)を地方交付税で還元することと、サラリーマンの所得からの税金や、消費からの税金などで地域経済を賄ってきた。

これまでと逆に、一部の元気な人がグローバル競争下の会社で働くものの、多くの人がそれぞれ弱みを抱えながら地域で暮らすことが第一(こちらが主流)となった場合、地域の経済をどう構築したらよいのだろうか。「地域」という範囲にこだわる必要はないのかもしれないが、「地域」にお金(税金)を落としてくれる(地域に愛着を持ってくれる・地域の担い手の一員との自覚をもってくれる)企業というか経済の担い手とは。

①地域の需要に応える産業(小売業、飲食業、建設業、不動産業、クリーニングや理容・美容などのサービス業、介護サービス業、学校、幼稚園、自治体など)、②一次産業、③地場産業、地域に本社を持つ企業、観光業。

外貨(輸出、移出)を稼ぐ可能性があるのは、②、③。

1.大資本の小売業がグローバル競争をしながら品揃え、低価格など高い価値を提供しているなかで、地元経営の小売業や飲食業は、衰退している。前者は、地元に雇用はもたらすが・・。地域の需要に応える産業だけで地域は回るか。現在は、地域の需要に十分応えていない、これを質量ともに充実させたとして(家計が貧しければ需要は起こらない)。

たとえば、幼稚園や保育園、介護サービスの供給量を増やせば(★働く人が仕事の割に報われないので人手不足、事業者も儲からない?これ以上の公的支援は難しい?家族負担が増えれば利用しない?)、そこで働く人も増え、税金も増える。待機児童は多い、待機介護者は多い。児童や高齢者を預けて、現在、子育てや介護に忙殺されている人が能力に応じた働きをすれば(★どのような働き方が可能か)、二重に経済は活性化するはず。

2.昔からの観光地がグローバル競争のなかで知恵を絞って頑張る方法はある。それほどの観光資源のない西東京市のような郊外住宅地は、観光という切り口で何ができるか。新潟アルビレックスや東北楽天の手法。三鷹のジブリ、米子のゲゲゲ。

新潟アルビレックスの例は、地元が欲しがっているアイデンティティやサービスがこれまで提供されていなかったということ。これを提供することで、市民が支出をする。これが新しい産業(学校など)となって、雇用や人口増につながっている。

3.地域に本社を置き続ける企業、さらにグローバル競争に打ち勝っているユニークな企業は、各地にある(化粧筆の白鳳堂、義足の中村プレイス、回転すし機の北日本カコー、螺子の福井鋲螺、フエルトペンのテイボウ・・)。これを増やすにはどうしたら良いか。

知的クラスター創成事業は、これを期待していたものの、ほとんど成果をあげていない(★一つでも二つでも生まれていれば良しとするか、費用対効果は問題としても)。既存の企業は、かつての地場産業などから転換していたり、外国とのコネクションがたまたまレベルを上げていったなど、こうした企業誕生には、必要とされる別の要素があるように思う。

4.地場産業は軒並みグローバル競争で敗退している。低賃金ではない、付加価値で生き延びる地場産業には、どんなものがあるのか。地場産業ではなく、企業として生き残っているのか。繊維自立支援事業のその後。

山古志村(旧)の鯉養殖などは、世界中からバイヤーが来るなどユニークだ。こうした産業は、他にも可能性があるのではないか。

5.一次産業ルネッサンス:宮地豚の人が始めた農家の小せがれネットワーク、都城市の農家・・・。農家レストラン。農家が流通を持ち、値段も決める。野菜工場。生キャラメル。

6.ネットを使って自宅で稼ぐ人たちが増えて地域で暮らすという姿は可能なのか。小遣いレベルか。アニメ工房などは、今後どうなる。オタクが価値を生み出すことはないのか。日本でアマゾンのような田舎に本社を構え、グローバルなビジネスをする企業は現れるか。原宿ファッションを売る千葉の会社(ZOZOTOWN)はどうか。

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April 23, 2009

社会福祉法

一度めげたが、再度老人ホーム(高齢になった折にどう暮らすかを考えようと)について整理しようとして、また迷路に入ってしまった。

どうやら、いろいろな法律があるようだ。「社会福祉法」という社会福祉事業に関する一般法があって、個々の社会福祉事業については、それぞれ専門の法律があるらしい。具体的には、生活保護法、児童福祉法、「老人福祉法」、障害者自立支援法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、母子及び寡婦福祉法などらしい。

そして、老人のうち、身体上または精神上の障害があるために、日常生活を営むのに支障がある老人の介護等に関する措置については、老人福祉法と「介護保険法」の定めるところによる(福祉の実施にあたっては、両方の措置の連携及び調整に努めるべき)とされている。

これらの法律を見ていて考えたこと;

これまでの「若い」社会では、五体満足が当たり前で、健康で頑張りが利いて、自らも成長し、頑張れば豊かになることが約束されている社会が「本流」だった。この大きな流れに国民のほとんどの人が当てはまった。だから、企業は、マスを考えていればよかった。

この本流から何らかの事情で外れてしまった人は、ごくわずかであり、社会はこういう人がいることを「見ないようにして」暮らしてきた。国の政策は、こうした「例外」の人たちを「こっそり」支援し、「人並み」に生活できるようにしてきた。

「例外」の人たちは、それぞれの例外事由によって、「生活保護者」であったり、「身体障害者」であったり、「母子家庭」や「寡婦」であったりしてきた。どの家庭にも当てはまるのは、「児童」くらいであった。

ところが、今日では、ごくわずかではなく、見てみぬふりが出来ないほど、「例外」の人が増えてきた。生活に困窮するか、困窮する可能性のある家庭・人、その結果、学べない子供たち、自ら高齢か、あるいは誰かしら家族に高齢者を抱える家庭、高齢になればほとんどどこかしら病や障害を持つ。

逆に言えば、もう「多様性」としか言えないほど、ほどんとの人が何かしらの「社会福祉の対象者」か「対象者予備軍」である社会。・・というか、これが本当の社会の姿なのではなかったか。

社会が若かった時代には、ごくわずかな存在である弱者を見ないでも済んできたが、本来の社会は、子供も高齢者も身体の不自由な人も、生活困窮者も居て、成熟した社会では、こうした多様性を互いに補い合う知恵や仕組みが出来ていたはずだ。ところが、戦後しばらくの間、若い時代が続いたことや産業構造が第一次産業からシフトしたことなどからこうした知恵や仕組みは忘れ去られた。

宅老所のことを知ったものの、高齢者と知的障害者が一緒に過ごす施設といった折、知的障害者と同列にされたら、母は嫌がるだろうなぁと思ったり、自身が身体障害者認定を受けた折には、一瞬「エエッ!」と思ったのだが、これは、私自身が「社会福祉」の対象者になることに差別的な感情を持ったからだろう。

これは、電車で座席を譲られて嫌な気がしたりするのと同じで、若い=五体満足=自立していることが正常な人間であると認識しているからだろう。

一方で、社会福祉による支援をいい気になって得るというモラルハザードの問題もある。私自身、股関節の手術をする前の方が痛くて歩けなくてタクシーを使いまくっていたが、手術後・リハビリ後は、すっかり歩けるようになり、むしろ歩けることが嬉しくて歩いてしまうのに、無料のタクシー券を貰っていたりする。

モラルハザード問題は、別途考えるとして、誰もが多様な弱さを持つ社会、しかし互いに補い合いながら暮らしていける社会=これがノーマルな社会であるとして、社会のあり方を考え直す必要があるのではないだろうか。

「社会福祉法」や個別法で、極度に課題のある対象者を支援するのは手段としては必要なのかもしれないが、例外者を支援するのを福祉と捉える時代ではないのではないか。多様な弱さを持つ人たち全ての人が健康で文化的な生活を送れるための法律=社会福祉法=まちづくりや住民自治を含むものに変えるべきなのではないか。

福祉だけでなく、健康・医療、教育・文化、環境、産業、交通を含む地域社会のあり方についての法律(?)。法律ではなく、政策や規範(ソフト・考え方)なのかもしれない。

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日本の大企業の組織は、男女雇用機会均等法や障害者を雇用するような法律によって変わってきているものの、基本的には、結婚や出産で戦力になりにくい女性を排除し、若年労働者としてのみ使おうとしてきた。また、年齢を経るにつれて、病気をした男性も排除され、閑職や子会社に飛ばされる。年功序列・終身雇用だが、若いうちは、働きの割には、安い給料で働かせ、上記のように篩にかけて、出世する人を選別し、ピラミッド組織を維持してきた。つまり、若くて、24時間働ける人のみの組織を維持する仕組みだった。しかしながら、企業に余力があり、終身雇用であったため、福利厚生は、それなりにはじかれた人々にも恩恵を与えていたし、「わが社」が社員や元社員にとってアイデンティティになっていた。

ところが、グローバル化が進み、社内から社長を選ぶとは限らなくなり、外部から優れた経営者がヘッドハントされる、ある部門についても同様に他で成果をあげた人がヘッドハントされるようになった。以前は若年労働力に任せてきた部分は、派遣などで賄う。まさに、働く人は、将棋の駒のようであり、それぞれが必要な機能を果たす取替え可能な駒でしかない。会社は、セーフティネットでも、アイデンティティでも無くなり、これらは、別途「社会(会社以外)」が提供しなければならなくなった。

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April 15, 2009

中山台コミュニティ

続いて、兵庫県宝塚市山手の中山台コミュニティを紹介します。

ネットで得られた情報によれば、

中山台地域は、昭和30年代にニュータウンとして開発された当時の新興住宅地。開発以来40年経った成熟した住宅街での住みよいまちづくりに取り組んでいる。中山台には、11の自治会がある。人口16000人、5000世帯。

中山台コミュニティは、コミュニティセンター開設を機に平成4年に設立された(中山台コミュニティ協議会)。ボランティアやサークル活動者が中心。多くの団体の寄り合いであり、次第に自治会が引いていった。

平成7年の阪神淡路大震災を契機に、(行政の働きかけもあり?)平成11年に住民のコミュニティ活動への主体的な参加を一層進めようと、自治会連合会「中山台自治協議会」と中山台コミュニティ協議会が一体化し、中山台コミュニティ連合会となった。一体化にあたっては、両者の反目などがあったものの、議論を尽くし、組織的にも両者の関係を明記して実現した。ある程度落ち着いたところで、平成14年に中山台コミュニティとなった。

自治会が選任する40名の評議委員がコミュニティの議決機関の役割を果たす。日常においては、小さいエリアとして個々の自治会が自決しなければならないが、コミュニティという一回り大きなエリアで対処することが有効な活動は、コミュニティに委ねる。その代わり、活動費用について応分の負担をする。

一緒になって最初の活動は、「長寿まつり」という食事会で80歳以上の高齢者100人を招待した。食事をしながら子供たちや大人の演芸を楽しむ。この地域には、80歳以上が500人いる。

8つの活動部会があり、住民向けの日常活動を展開している。福祉、青少年育成、緑化環境対策、地域(文化)活動、健康スポーツ、障害学習、エコマネー、まちづくりなど。年に4回の全体行事をしている。9月の「長寿まつり」、11月の「コミュニティまつり」、「アートフェスタ(作品展)」、12月あるいは1月の「ふれあいコンサート」。広報部会が機関紙「中山台コミュニティ11」を隔月に発行している。

平成16年には、宝塚市に「まちづくり計画書」を提出した。地域にタクシー乗り場がなく、タクシーを呼ぶと往復運賃がかかる。そこで、いつも待機してもらうようにした。高齢者が多い地域なので低床のバスの巡回も増やしたい。防災でも、いちばん怖いのが山火事で、地域に公園が15ヶ所ほどあるので、ここに貯水槽をつくりたい。ここから水を流して小川も作りたいとのこと。

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April 14, 2009

塙山学区まちづくり協議会

池田資料の次は、自治会、町内会、行政区の福祉部となっていて、事例としては、茨城県日立市の塙山学区まちづくり協議会と兵庫県の中山台コミュニティが挙げられている。

ネット検索した情報(伊藤副会長講演のPDF)によると、日立市は、昭和49年に茨城国体を開催するにあたり、選手等全国から来る人たちをきれいな町で迎えようと、小学校区ごとに市民運動団体を作った。日立市民運動実践協議会を作り、道路や側溝、河川の清掃、花いっぱい運動をした。国体終了後もこの組織が残った。

昭和54年に塙山小学校が新設されたのを契機に、町内会、自治会を再編成し、「塙山学区すみよいまちをつくる会」が発足した。最初は何もしなかったが、半年後に、運動会をやったら盛り上がった(1世帯100円を集め、20万円くらい集まった。1200人くらいが参加した)。その後、毎月情報紙を作って配布するようになり、アンケートをしたり、いろいろなイベントをやるようになった。28年続いている。最初は打ち合わせに小学校を借りたりしていたが、その後交流センターが出来た。

塙山学区すみよいまちをつくる会の特徴

1.コミュニティプランによる365日型活動

まちをよくするのは、イベントをやることではないのではないかと、全住民をはじめ、小学校5年生、中学校2年生、高校生にアンケート調査をし、平成元年3月に塙山コミュニティプランを作成した。イベント型から、毎日こつこつやる活動に変えた。

2.情報重視

昭和56年から、全世帯向け「住みよい塙山かわら版」を発行。平成10年から高齢者向け広報誌「ふくしかわら版」も発行(400世帯)。100名の人が届けに行く、これによって、高齢者の状況を把握することにもなる。

3.子供と一緒に活動

まちづくりに子供を参加させ、大人と同じ体験を通して、社会性や自主性を持ったたくましい「塙山っこ」を育てる。フリーマーケット「ゴチャッペ市」は、小学校にもチラシを配り、やりたい子供たちには、1坪のスペースで値札をつけて店をやらせる。売上の10%をユニセフへ。

4.会費制の手弁当イズム

補助金だけに依存しない。かわら版の裏側に広告を取る(5000円、校区内は4000円:年間35万円くらい)、祭りの提灯の広告代(3000円)。大人一口2000円、子供200円で集めて75万円くらいになり、花火代金50万円で残りはほかの祭りなどに使う。

高齢者のための木曜サロンの昼食会も、高齢者200円、応援する人たちも200円、不足を会の方から出す。

5.人材発掘と男女共同参画

まちづくりは、汗を流すリーダーが不可欠。発足当初から専門部を増やして、多くの人がリーダーとして活躍できるようにした。いろいろな特技を持つ人が集まってくれたほうがいろいろな事業ができる。

6.時代とともに出てくる課題に対応し、新たな活動に挑戦

7.各局の事業

①福祉局と安心・安全局:青色パトロールカーを4時から5時に回している。自治会、自警団、小学校の先生、PTA、団地役員などが交替で乗る。いろいろな団体に遠慮せず声をかける(決めるのは先方)。防災訓練にふくしかわら版を配る100人が中心になってひとり暮らしの高齢者に声をかけて連れ出し、一人暮らしの高齢者の避難誘導体制を整えた。

②楽集局:健康スポーツ

③地球局:花や緑を増やすため、「花の里親」を探す。環境リサイクルでは、再生資源を徹底分別して還元金に結び付けている。

④未来局:新しく係われる人を発掘

⑤事務局:あらゆることの調整

8.事業規模

①平成19年度当初予算815万円
 会費                  100万円
 補助金                240万円
 再生資源回収奨励金(市から)   110万円
 祭り収入               120万円
 かわら版広告             30万円
 参加費収入(サロン等)       85万円
 資料代その他            130万円

②福祉費は、社協から交付金(特別会計にしている)
・当協議会の福祉局で対応できていたが、全国的に校区ごとに地区社協を設けることとなり、背中合わせ(一緒に)やっていたが、平成21年度から福祉局一本となった。生活支援、生きがい、見守り事業を福祉局がやる。

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はやめ南人情ネットワーク

池田資料の次は、地区関係団体ネットワークで、事例として福岡県大牟田市のはやめ南人情ネットワークがあげられている。ネット検索で得られた情報によると;

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はやめ南人情ネットワークは、地域に住む人々が自分たちの周りの様々な生活障害の課題を自分たちのこととして捉え、制度やサービスの受身ではなく、昔から地域ではぐくんできた共生の心「人情」と地域の様々な資源「人・もの・場所・情報」を結びつけることによって、互いに助け合い、支え合い、「高齢になって痴呆になっても、大人も、子供も、そして障害があってもなくても、誰もが住み慣れたまちに安心して住み続けること」を目指して発足した「まちづくりネットワーク」とのこと。

発端は、2003年にこの地区にあるグループホームと大牟田市痴呆ケア研究会の提案で「痴呆の人を地域で支えるまちづくり『日曜茶話会』」。茶話会を開催したのは、痴呆の人が安心して住み慣れた地域で住み続けるために、地域の人々が痴呆症という病気と人への誤解や偏見を無くし、人として同じ価値のある存在であることを理解して欲しかったこと。また、痴呆の人々が私達に「まちづくり」の大切さを求めていると理解して欲しかったからという。

ところが、茶話会を始めてみると、「痴呆の人ばかりではない」「子供たちも求めている」「独居高齢者や障害者だけでなく、元気な高齢者も求めている」という意見があり、「誰もが」という観点と「地域のいろいろな資源や力を活かそう」という「みんなで」という意識が見えてきた。その後の活動のなかで、ネットワークの核となる世話人会とそのサポーターが少しづつ結びつき、2004年に「はやめ南人情ネットワーク」として活動を開始することになった。

活動の主軸は、①地域の向こう三軒両隣的な実態調査、②世話焼き運動、③コミュニティの場、立ち寄りの場、集まり場づくり、④痴呆の人のためのほっと・安心ネットワーク(徘徊ネットワーク)の4本とのこと。

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「認知症でもだいじょうぶまちづくりキャンペーン」というのがあって、2006年に受賞している。また、地方自治法施行60周年記念大会で総務大臣表彰を受けたとのこと。

日曜茶話会は隔月実施、年一回「徘徊SOSネットワーク模擬訓練」。はやめ南老人クラブ連合会公園の清掃管理を行っている(国土交通大臣賞受賞)。模擬訓練は、認知症に扮した老人が行方不明になったという想定で、警察署、消防署、タクシー協会、はやめ南校区内における団体や商店、個人サポーターで組織する連絡網で協力しながら保護しようとするものとのこと。

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第32回北海道自治研集会の分科会で、福岡県本部/大牟田市職員労働組合の小野晃氏の報告から書き写し。

大牟田市は、昭和60年には21万人だったが、08年には13万人弱。小学校区が23あり、はやめ南の人口は4400人弱、高齢化比率は31.8%。

はやめ南人情ネットワークは、大きく地域の3つの流れが合体したものとのこと。

1.既存の地域組織(町内公民館、民児協、子供会、PTA、老人クラブ、消防団)。炭鉱が閉山し、これら組織はかつての面影をなくし、盆踊りや運動会もかつての賑わいが失せたが、校区社協主催の敬老会、独居老人の集い、新装なった地区公民館を中心に余暇活動等が地域社会の新しい芽となっている。

2.老人クラブ。1989年頃老人の孤独死が相次いだことから、桜寿会会長(当時)がこの桜町から孤独死を絶対出さないと呼びかけ「向こう三軒両隣大作戦・声かけ見守り運動」が老人クラブ活動としてスタートした。その後、校区内の各老人クラブへ呼びかけ、連合会の再編、公園の清掃、独自の芸能祭り、子供見守隊などをやってきた。(ペットボトルに詰めた健康水配達による安否確認行動は、提唱者である会長や4人の活動家がすでに死去され、現在は中止)。

★声かけ見守り運動心得帳★
【目標】俺たちの町から絶対に孤独死なんて出さんぞ!
【戦術】幼なじみ、顔なじみによる「向こう三軒両隣大作戦・声かけ見守り運動」
【合言葉】シワのなかから知恵を出せ、手を出せ、足出せ、口も出せ

3.介護保険制度設立準備の段階での議論から生まれた官民協働によるサービス事業者協議会、及び認知症ケア研究会。2002年に、認知症ケア研究会(介護施設職員ら250名)は、地域認知症ケアコミュニティ事業を本格的に開始した。

★認知症の人への理解が深まり、地域全体で支える仕組みを作り、認知症になっても、誰もが住み慣れた家や地域で安心して豊かに暮らし続ける・・・そんな願いをかなえる「まちづくり」です。(趣意書より)★

★地域づくりのキーワード★
☆向こう三軒両隣、隣組、小学校区単位の身近なネットワークの構築
☆町内公民館役員、児童・民生委員、福祉委員の機能の復活と地域資源の活用
☆認知症を隠さず、恥じず、見守り、支える地域全体の理解と意識の向上
☆行政と地域の連携、協働推進者の育成と配置、介護現場の質の向上、いつでも相談できるサポートセンターの設置
☆子供の時から学ぶ、触れる機会を作る(市内へのアンケートで子供の時から接したほうが良いという意見が多く寄せられた)
☆家族への支援、家族介護の負担の軽減

02年に認知症コーディネーター養成事業に独自のカリキュラムを作成して、すでに40人ほどの卒業生が現場で奮闘中。03年には、認知症の人を理解するための絵本教室(絵本『いつだって心は生きている』を作成)が市内小中学校で開かれた。

04年には、徘徊SOSネットワークづくりを視野においた「日曜茶話会」による意見交換などを通し、はやめ南人情ネットワークが組織化された。Hayame

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北須磨保育センター

池田資料で次に社会福祉法人の例として挙げられているのが兵庫県の北須磨保育センターである。

HPによると、1969年に北須磨団地(地域住民・団地自治会)が主導する施設として生協立で北須磨保育センターを開設したらしい。当初は、幼児の保育・教育事業を行ってきたが、高齢化が進んできたため、高齢者・障害者・地域在宅支援の施設も開設したとある。「地域の共生と自主福祉の確立」をめざしているとのこと。

HPにある、北須磨保育センターの歴史をほとんど丸写しするが、自分たちで自分たちのまちをつくりあげるという自治が本当に実施されている地域があったなんて驚きだ。

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そもそも、北須磨団地は、1967年に勤労者の住宅対策として、当時の兵庫労金(現在の近畿労金)の15周年事業として、ろうきんと兵庫県住宅生協が自主福祉運動の実践の場として建設したものらしい。

労働者による自主的な地域社会の建設を目指し、67年11月に第一次分譲として200戸を分譲、75年までの8年間で2100戸の団地が完成した。

68年に「友愛と信義」を旗印に団地自治会が結成された。住民が増えるごとに保育、教育施設の建設の論議がなされ、住宅生協と労金による画期的な発想と、守屋光雄・ます夫妻による幼・保一元保育構想が盛り込まれた生協立による北須磨保育センターが69年に開設された。

70年代以降、人口が増え幼稚園を2つにしたり、国に指導もあり幼稚園と保育園を分けるなどの経緯があったが、地域、父母、職員、労金、住宅生協による理事会で地域住民を主体とする運営がなされてきた。

その後、次第に子供が減り、高齢者が増えたことをうけ、団地自治会による「まちづくり委員会」の提言を受けて、社会福祉法人北須磨保育センターを事業主体とする福祉施設として特養ホーム「友が丘YUAI」を建設、97年3月に開設。同年4月には、入所式の知的障害者更正施設「こんにちは友が丘」を開設した。

98年に老朽化した幼稚園・保育園を改修するのに伴い、保育園では乳児保育(0歳から1歳)を始め、須磨区地域子育て支援センターの予算措置により、在宅家庭の子育て支援事業もするようになった。幼稚園は、通園バスをはじめ、周辺地域から入園するようになった。

2000年には、地域の高齢化比率が30%を超えたため、ホームヘルパー2級養成事業を実施し、427名のヘルパーを養成して地域ニーズに対応した。神戸市の地域密着化まちづくり政策を受けて、北須磨児童館の運営委託をするようになり、子育て支援と学童保育を行うようになる。

2004年には、地域の高齢化比率が35%に達し、高齢者支援をより充実させるため、ミニコープ跡地を社会福祉法人が購入し、在宅介護支援センター「はればれエリア」をカバーする小規模多機能型居宅介護支援事業(通所・訪問・宿泊)とデイサービス事業、訪問介護事業に加え、障害者の通所施設「分譲すこやか」を併設した「きたすま在宅支援福祉センターすこやか友が丘」を07年5月に開所した。

ここでは、地域住民同士が助け合って、住み慣れた地域でいつまでも安心して生活できるボランティアネットワーク「おたがいさまねっと」を立ち上げ、自主福祉と共生ケアを目指すまちづくりに地域自治会と連帯した取り組みを行っている。

2008年4月に地域包括支援センター「きたすまあんしんすこやかセンター」を神戸市より受託し、友が丘周辺に住んでいる高齢者が抱えるあらゆる相談に応えられる事業を開始した。08年現在、65歳以上の人口比率は40.4%とのこと。

なお、神戸市の協働と参画のプラットホームというHPがあり、多様な事例が掲載されている。あいさつの歌をつくって子供たちにあいさつに慣れるようにしているとの記事も。

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コスモスの家

池田資料で次にNPO法人の活動としてあげられているのが神奈川県のNPO法人コスモスの家である。

ネット検索すると香川県丸亀市にも同じ名前の福祉活動をする施設があるようだ。神奈川県三浦市のNPO法人コスモスの家は、ネットからの情報によると、「高齢者や精神障害・身体障害・知的障害のハンディキャップを持つ人たちが自ら積極的に社会参加・復帰をするための支援活動や、介護をする人たちに総合的な介護サービスを提供し、広く社会福祉に寄与することを目的とする」とある。

しかし、それ以上の情報はネットからでは得られなかった。

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April 13, 2009

室戸市

池田資料で小地域福祉の担い手として公民館の事例に前記事の松江市と室戸市が挙げられている。そこで、室戸市の福祉・公民館でネット検索してみると、「むろと地域福祉実践セミナー」のちらし(09年2月)が見つかった。

これによると、室戸市では、「誰もが安心して暮らせる地域をめざして」おり、このセミナーは、その報告とのこと。プログラムでは、実践例が挙げられている。

①地域食堂(室戸岬公民館)

②ふれあい日曜市(羽根公民館)

③ならし☆かめ太郎ひろば(奈良師集会所):地元ボランティアが高齢者の交流の場として、月一回ミニ喫茶「ならし☆かめ太郎」を開催。

④べっぴんさんの家(吉良川町):重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている吉良川の町並みの中で室戸の食材を使っての食事処とのこと。地元の女性グループ「べっぴん家さん」が運営する。ミニ皿鉢料理が1000円。

⑤子供の居場所づくり(佐喜浜生活改善センター):この地区は公民館がないので、改善センターがスポーツや読書などの課外活動や帰宅待合などの場所として活用されているとのこと。

とあり、「特別レポート」として、山間部での高齢者の暮らしを支える活動-移動販売が果たす役割となっている。

①から⑤にみられるように、公民館を拠点として、地域に必要なサービスを主にボランティアで提供しているようだ。

ネット検索していたら「室戸イズム宣言」という『Juntos』の別冊も見つかった。住民が知恵と工夫で自分たちの地域を豊かにしようという取り組みとのこと。

この本を出版しているのは、池田さんのNPOです。

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April 10, 2009

松江公民館など

池田さんの資料からの事例紹介で、先の沖代すずめの家も公民館活用から始まっていることもあり、次に公民館活動で紹介されている事例をみておこう。池田資料では、松江と室戸が紹介されている。

まず、松江。ネット検索した結果の情報によると;

松江市では、2001年から21の公民館を拠点として、地区社会福祉協議会による「21地区地域福祉活動計画」の策定に取り組み、574の近隣小地域活動を基盤に、地区住民、福祉・教育関係者等が、自らの意思・知恵・熱意を持ち寄って計画を策定し、住民主体による地域福祉実践が行われているとのこと。

市全体では、2004年に策定された「まつえ福祉未来21プラン」で、市内を5ブロックに設定し、地域福祉ステーション(地域包括支援センター)を拠点に、「みんなでやらこい福祉まちづくり」を合言葉に、地域の特徴を活かしたコミュニティソーシャルワーク実践をしているとのこと。

松江市は、2005年に合併し、人口約20万人となった。合併後の新しいまちづくりにあたっては、地域の拠点としての公民館の役割が一層重要であるとしている。それまでは、公設自主運営と直営が混在していたが、公設自主運営方式に一本化された。

新市を5ブロックに編成し、ブロック内での情報の共有化、事業の連携を図るため、それぞれのブロックに「公民館地域活動コーディネーター」を配置している。

しかし、HPを見る限りでは、よくある生涯学習の講座の紹介くらいしかみあたらない。ちなみに、「竹矢公民館」のHPをみると、地球温暖化についての講演会、子育てサークル、防災訓練の紹介(3月分)がある程度だ。

しかし、ネット検索してみると、松江市では、行政、社会福祉協議会が住民参加のもとで、地域福祉計画をつくりあげたとのことで、その過程を書いた本が出版されているらしい(上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著『松江市の地域福祉計画-住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』ミネルヴァ書房、2006年)。

この上野谷さんは、同志社大学の教授で、計画のとりまとめをなさったようだ。「地域福祉における学際連携」というシンポジウムでの先生の資料があり、松江を例にしている。ここで言っている「学際連携」というのは、産学連携ではなく、社会福祉士とケアマネージャー、保健師、民生委員、家族、自治会長、ボランティアなどのことのようだ。

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(以下の本の紹介等は、松江市に親族が住まわれている方のブログから抜書きしました。)

松江市では、戦後早いうちから小学校区に公民館が設置されていた。しかし、昭和39-46年に財政再建準用団体になったことをきっかけに、行政による運営から自主運営に転換された。

この公民館は、社会教育や生涯学習に取り組むとともに、昭和30年代から地区社会福祉協議会の事務局も兼ねていた。しかし、昭和60年ごろまで、地域で福祉活動をすることにはつながらなかった。

ところが、85年以降、補助事業として「長寿社会対策地域推進事業」が実施され、これにより、市内の21地区すべてに福祉協力員が置かれるようになった。この福祉協力員を中心に要援護者の見守り活動や見にデイサービス、なごやか寄り合い事業などが活発に行われるようになったという。その結果、公民館に地域保健福祉推進職員が配置されることになり、公民館長が地区社協の役員を兼務することになり、社会教育と福祉の連携が進んだ。

民生委員の担当エリアは広いが、そこに数人の福祉協力員が互いに連絡しあって、高齢者、とくに一人暮らしの高齢者に気を配っている。福祉協力員は、旧市街地に1000人いるとのこと。

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(以下は、2006年10月に松江市で開催された第12回地域福祉実践セミナーの記録から紹介)

セミナーでは、ワークショップが開催され、それぞれ松江での多様な取り組みを代表的な地域について事例で取り上げられている。ワークショップ開催案内からでも、活動の様子がうかがえる。

1.「生涯学習との連携による住民主体の地域福祉実践」-法吉地区の福祉コミュニティ構想に向けた取り組みに学ぶ

・法吉地区では、市地域福祉計画・地域福祉活動計画にもとづくモデル地区の指定を受け、「住み慣れた地域でだれもが安全で安心して暮らせるまち」を目指して、地区社協、公民館、自治会、民生児童委員その他多くの関係者での協働による地域活動が展開されている。松江市は古くから公民館を中心に生涯学習が盛ん。住民主体の地域福祉活動を推進していくためには、住民の学習活動が大切。このワークショップ(WS)では、法吉地区の先駆的な活動に学ぶ。

2.「地域包括支援センターにおけるコミュニティソーシャルワークの展開」

・松江市では、2006年度より、公民館の地域ブロックごとに5ヶ所の地域包括支援センターを設置し、「まつえ福祉未来21プラン」に基づいた地域福祉ステーションの実現に向けて取り組んでいる。地域福祉ステーションでは、コミュニティソーシャルワークの実践拠点として、保健師、主任介護支援専門員、社会福祉士により、先駆的な取り組みが行われている。WSでは、これを事例とし、地域包括ケアシステムの構築に向けたモデル地域の取り組み、及びハイリスク者や困難事例への支援を通して、包括支援センターの機能を実現する実践的コミュニティソーシャルワークの展開について考える。

3.「商店街の活性化を通した高齢者・障害者にやさしいまちづくり」-天神地区商店街の取り組みから

・2006年4月、社会福祉法人桑友は、松江市から徒歩10分の天神に自然食レストラン「まめや」(まるベリー松江)をオープン。精神障害者と市民が触れ合う場でもある。「まめや」には3つのこだわりがある。1つは、精神障害者の「働きたいんだ」へのこだわり、障害者でもこれだけのことが出来ることを証明しようとする。2つめは、食へのこだわり、旬のもの、地元の食材など野菜を中心とした自然食へのこだわり。3つめは、地域へのこだわり。

・これだけでは、良く分からないので、ネット検索したら、松江天神商店街が東京巣鴨のとげぬき地蔵通りをイメージして、活性化を図っている記事があった。お年寄りが出かけるには、買物よりもお参りが口実になりやすいというので、もともと白潟天満宮の門前町であったことから、ここに認知症対策の神様「おかげ天神」を建立、毎月25日に天神市を開催、歩行者天国とし、高齢者向けのワゴンセールやフリーマーケットを行っている。

空き店舗を2軒改装してふれあいプラザ「まめな館」、交流館「いっぷく亭」を松江市、社会福祉協議会と連携して設置。老人ボランティアがいつも必ず一人は留守番をしていて、一人で来ても、いつでも話し相手や湯茶の接待ができる体制になっている。「いっぷく亭」の2階をマッサージ協会と協力して「マッサージルーム」を作るなど充実が図られている。

当初「お年寄りにやさしい」まちづくりをコンセプトにしたが、結果として「ひとにやさしい」まちづくりとなり、親子連れの来場、高齢者の生きがいづくりへの貢献と世代を超えた交流の場となった。精神障害者の授産施設である「まるベリー松江」が郊外から移転し、05年4月にオープンしたとある。

4.「超高齢地域における住民主体の地域福祉実践を探る」-淞北台地区のフィールドワークをもとに

・1960年代後半に開発された一戸建て、県営住宅等が混在するこの地域は、高齢化率が非常に高い。自治会内に設置された「いきいきライフを推進する会」が中心となり、高齢者の自立支援活動に加え、新に病院等と連携した健康講座、留学生家族との交流会、子育てサロン開設の準備など、住民主体の地域福祉実践に取り組んでいる。この地区を歩くなどして、5年後を見据えた超高齢地域における住民主体の地域福祉実践のあり方を住民とともに探る。

5.「自立生活に不安を抱える市民を支えるソーシャルサポートネットワークの構築」

・松江市は、地域福祉権利擁護事業の利用者数が全国でトップレベル、成年後見等の組織もあり、福祉オンブズ制度も設けられている。また、手をつなぐ育成会が安全ネットについて警察との連携を進めている。高齢者、知的障害者、精神障害者等判断能力が十分でない人たちは、サービス利用や金銭管理等日常生活において多くの不安や課題を抱えている。近年の高齢者や障害者の犯罪被害の多発、災害時における対応も課題である。このような人たちを支える地域のサポート体制について、松江市の事例などをもとに考える。

6.「特別な支援が必要な子供たちへの総合的な支援と福祉教育の充実」

・松江市では、「特別な支援が必要な子どもたちの総合支援事業-ふるさとあったかスクラム事業」を平成15年度から3年間実施した。この事業は、松江市教育委員会が島根県からモデル指定を受けて行った事業であるが、松江市においては、8地区(小学校区単位)で公民館、地区社協、保護者や地域のボランティア等によって自主的な活動へと展開してきている。

全国的にも、「特別支援教育」の導入により、個別教育支援計画作成や特別支援教育コーディネーターの配置による校内システム構築がこれからの課題となっている。松江市における「共に学ぶ」環境が全国的に広がりつつある中で、共に生きるための福祉教育の必要性が問われており、松江市の例から福祉と教育の連携のあり方などについて考える。

7.「一人ひとりへのホスピタリティを大切に 国際文化観光都市としてのまちづくり」-市民・ボランティア・NPO・企業など市民活動の協働

松江市は、地域特有の優れた観光資源を積極的に活用したホスピタリティあふれる観光都市づくりを市民とともに進めている。「地域の繁栄なくして、企業の繁栄はなし」と地域福祉の推進を基本理念に取り組む「企業ボランティア松江ネットワーク会議」には、80を超える会社が参加している。

国際文化観光都市として発展しようと、地域住民を巻き込みながら、市民・ボランティア・NPO・企業が協働し、「まちおこし」と「人づくり」を行い、元気な「まちづくり」に取り組んでいる。

訪問される外国人も障害者も市民を含め誰もが安心して過ごせるまちになるよう、ひとり一人のホスピタリティを大切に取り組む市民活動の協働実践について学ぶ。

8.「福祉でまちづくりを展望した地域福祉計画と地域福祉活動計画の策定と進行管理」

・松江市では、2001年度に小学校区単位の地区地域福祉活動計画を住民主体で作成し、04年度に市行政と市社協の協働により、地域福祉計画及び地域福祉活動計画を一体的に作成し、目下実践展開中。

その計画の特色は、①住民主体と公私協働の計画策定方式、②課題のきめ細かい把握に立脚した策定方法、③地区計画を含む2層構造の計画構成、④重層的なエリア設定による包括的地域ケア体制を中心とする計画体系など。松江市から、具体的に策定と進行管理について学ぶ。

このセミナーについては、秋田県の方の報告もネットにありましたが、リンクが上手くいかないので、ダウンロードしたものを貼り付けておきます「matsuereport.pdf」をダウンロード 。この報告された方は、上記ワークショップは8に参加したようです。

ワークショップだけでなく、松江社協のこれまでの取り組みや他地域参加者(京都、米子、琴平)の報告もあります。

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沖代すずめの家

池田さんの資料による事例紹介の続きです。

大分県の沖代すずめの家も、これまで紹介してきたような、地域のニーズに対応するなかで、民家を借りて、誰でもが寄り集まって一日を過ごせるような家をつくってきたようだ。

HPによると、最初は給食サービスを月二回ほど実施し(1991年)、93年に公民館が開設されてからは、ここで週1回サロンを開催→公民館で月2回デイサービスを開始(94年)、出前演芸や障害者向けサロン、リハビリ(公民館で)などをはじめ、2000年から寄り合い所すずめの家を開設したようだ。

毎週2回、10時から夕方3時まで。ボランティアがお世話係りをしている。

小さいながら、地域のニーズにひとつひとつ対応していったようだ。

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April 07, 2009

住民流福祉研究所

記事で紹介した住民流福祉研究所の木原所長は、マップづくりの本家であり、例の厚生労働省の地域福祉研究会では委員でもある。

木原さんは、中央共同募金会で勤務した後、研究所を設立し、「住民流」福祉のあり方を求めてきたとのこと。

HPによれば、21の「住民流宣言」が掲げられている。詳しくはHPを見てもらいたいが、大項目と要点を写しておこう。

(1)主役は住民:まずは住民の「支え合い」があり、それを補完する「サービス」がある。何が福祉問題かは住民が決める。

(2)流儀は「支え合い」:一方的サービスは、サービスの「受け慣れ」を助長し、自立を妨げる。見返りを求めない「ボランティア」は住民には不自然。すべては「持ちつ持たれつ」。明らかな対象者にも活動の機会を与えよ。助け上手と助けられ上手の「両刀遣い」で免許皆伝。

(3)助けられも「活動」だ:助けと助けられの協同でベストの福祉ができる。助けられ行為にも、当然、評価や研修、手当ての支給を!「地域に住む」とは溢れる資源のなかで生きること。(下線は良く分からない)

(4)寝たきりこそボランティア:助けられるたびに、私の誇りは危機に瀕する。だから要介護の人ほど「ボランティアしていると考えよう!」(富沢書き換え)。弱ってきたら「そろそろボランティア」、寝たきりになったら「本格的にボランティア」、認知症になったら「絶対、ボランティア」

母は、要介護者だが、母なりにプライドがあり、①自分も何か役に立ちたいと思っている(私の家事を助けたい、私が外出するとしっかり留守番しようとする)、②トイレや着替えなど助けてもらいたい(楽なので)反面、一人で気ままにやりたい、一人でも出来ると思いたい。これを危ないからとやらせないとプライドが傷つくし、そのうちズルを覚えて動かなくなってしまう。もちろん危なっかしいので、見守りをしなければならないが、それはそっとでないといけない。家事を手伝ってもらって「有難う」と言えば、満足し、存在価値があると自負する。

ところが介護保険制度では、一方的に介護サービスをすることになっている。一人でやろうとしたり、人の役に立とうとすることは、しっかりしているとみなされ、要介護度が低くなってしまう。母の場合には、転倒など危なっかしいので見守りをしてもらいたいのだが、そういう項目ではサービスを受けられないので、書類上は、トイレ介助とか水分補給ということになる。ヘルパーさんが来るとなると、母はきちんとしてしまう(部外者が来るので)。ヘルパーさんにお茶やお菓子を一緒に食べましょうともてなし、悩みを聞いてあげたりする。

私は、母が自己チューだし、プライドが高いから特別かと思っていたが、「住民流」の考え方からすれば、大なり小なり、どの高齢者も皆プライドがあるはずだ。100年近く生きてきて、修羅場もくぐってきているわけなのだから、そうだろう。

私は、他所の家の高齢者は、特養に入所したりデイサービスに行っているので、皆、素直な人たちなのかと思っていたのだが、考えてみれば、元気な時には、それぞれ意地悪だったり、うるさ型だったりした人たちが、高齢になったからといって急に羊のようになるわけがない。皆しょうがなく、受け入れているのだろう。

(5)セルフヘルプ:誰にも助けられたくないが、同じ悩みを抱えた人にならOKだ。私にも相手を助ける機会が巡ってくる。助けたり、助けられたり、ついでに他の仲間にも「おすそ分け」。

(6)「私」から発する:何が私の「問題」かは、「私」が決める。どうやって解決するか、誰に何を頼むかも「私」が考えて決める。

(7)もっと豊かに:住民にとって「福祉」とは、「困りごとの解決」より、「もっと豊かに」の具現。「問題の対処」より「問題を生まぬよう」。先手必勝、予防優先。

(8)「福祉」を隠せ!:福祉サービスをミエミエでするな。福祉施設は、ミエミエの施設。町に福祉の名前も活動も見えないが、皆が幸せに生きている、そんな福祉を住民は求めている。

(9)分別はせず:住民を担い手と受け手に分けるな。子供や高齢者を対象者と決め付けて、子供は保育園へ、高齢者は老人憩いの家へと分別するな。分別されるほどに「対象者」に馴染んでしまう。子供と老人が出会えば、相互に資源になりえるのに。地域をまるごと施設と見なせ。

(10)相性主義:住民を勝手に集めるな。ふれあいやサロンづくりは相性の合う人と。

(11)天性主義:活動の適正は、「資格」にあらず、生まれもっての資質が絶対だ。一口に世話焼きといっても十人十色。「仕切り屋」さん、「口利き屋」さん、「こじあけ屋」さんなどなど。

(12)生活主義:住民は「生活」を崩したくない。わざわざグループを作り、どこかへ出かけて「さあ、やるぞ!」は、ご免です。生活の中で、本業の中で、なんとなくできてしまう「活動」なら、いいですよ。

(13)計画せず組織せず:「まち」は、見えないネットワークの世界。住民は組織せず、それぞれやりたいことをやって、辻褄が合う。計画せず、行き当たりばったりに、足元の課題に対処する。会議を開かず、「あうんの呼吸」で連携する。広報せず、口コミで伝え合う。

(14)作らずに、乗る:活動を勝手に「つくりだす」な。住民は自分たちの悩みに自分たちなりの対応策を講じている。それを見つけ出し、側面後方から援護しよう。

(15)「モチ屋」の腕:要介護者だった、赤ちゃんだって大事な資源。消防署も警察署も、ヘルパーも・・皆家に帰れば「住民」だ。それぞれが「モチ屋」の腕を活かせば大資源。「地域に住む」とは、溢れる資源の中で生きること。

(16)住民に返せ:サービスの対象者を住民に返していこう。当事者同士の助け合いに返せ、近隣の支え合いに返せ。対象者をサービスに引き取れば、住民は手を引いてしまう。

私が北海道で仕事をしている間、私の家は宅老所のようであった。母の身体が不自由なので、買物や掃除の手伝いをご近所の方がしてくれ、おかずも毎日のようにいろいろな方が持ってきてくれていた。その代わり、皆、母に嫁の愚痴やらいろいろな話を聞いてもらったり、井戸端会議をしにしょっちゅうお茶を飲みにきていた。要は、それぞれがそれぞれの得意分野で助け合っていたのだ。

しかし、母は、外面は良いが本音では人が来るのを嫌がり、病後疲れやすいこともあってこうしたつきあいを絶ってしまった。それでも、私も足が悪いこともあり、一人のご近所の方が買物を手助けしてくれたり、新聞をゴミに出すのを重いからとやってくれている。私が主婦見習いなので、おかずなどもしばしば持ってきてくれる。もちろん、その方の孫にお年玉をあげたりなどの気遣いはしている。いわば「世話焼き」さんであるこの方にとって、母の面倒を見てくれていることは、それなりの張りにもなっている(と思う)。

介護保険制度でヘルパーさんにもっとお願いし、このご近所の方にお世話をお願いするのをやめようかとも思った。しかし、ヘルパーさんは、契約をした日に、30分なら30分、ある限られたサービスしかしてくれない。ハルエさんという個人全体を見ていて、気配りをしてくれる訳ではない。

だが、いつ何時、どんな手助けをお願いしなければならないか分からないこともあり、ハルエさんという個人全体を気配りしてくれる関係をご近所に作っておきたいとの思惑から、以前よりは細々だが、お世話してもらう関係を続けてもらうことにしている。

ヘルパーさんが入ることになった折、このご近所の方が嫌な思いをしたり、手をひいてしまうのではないかということが懸念された。ヘルパーさんを入れるにあたっては、この方にも相談し、役割分担で引き続きお願いすることにした。

ご近所の人たちの相性も多様であり、宅老所風の時には、母を核にいろいろな人が来ていたのだが、現在では、お世話をお願いしている方と相性の良い人だけが、我が家に来れるようになっている。

(17)そうとわからない支援:住民の支えあいには後押しが必要。しかし、ミエミエの支援は嫌われる。補助金もそうと分からない支給に、人材もそうと分からない派遣に。福祉施設は当事者宅、推進拠点は世話焼きさん宅、宅老所は当事者に見込まれた宅、児童館は子供が見込んだおばさんの家。

(18)50世帯の福祉圏:福祉の圏域を勝手に決めるな。住民は住民なりの福祉圏を作っている。住民の支え合いマップでそれを見つけ出すのが先決だ。小学校区どころか、町内会どころか、50世帯から100世帯の「近隣」でまとまっている。それぞれの近隣を「福祉のコミュニティ」にするのだ。

(19)マップで浮き彫りに:住民のふれあい支え合いを住宅地図に乗せよう。住民宅に押し掛け、井戸端会議に顔を出そう。地図上に舐めるように一軒一軒の顔を思い浮かべ、気になる要援護者はいるか、どんな世話焼きがどんな世話を焼いているか、どんな生活課題があるのかと記憶の中から蘇らせるのだ。

(20)総合プロデュース:住民のニーズを残らず拾い出し、住民資源を残らず掘り起こす。一人も見逃さない、一人も不参加のない、困りごとの解決だけでなく、その人らしい生活も保障する本物の「福祉コミュニティ」が出来上がる。

(21)福祉は芸術だ:住民は、限られた力を極大にするために、いろいろな知恵を使っている。関係者の作る福祉のたんと単純なこと!彼らの知恵の結晶は、ほとんど芸術品。

伊賀市社協では、民生委員などが、地域で要支援ニーズを探り(相談を受ける、肌で感じるなど)、それを地域でどうケアしていくかを考えていた。母が民生委員をやっていた頃には、担当エリアのいろいろな気配を感じて公的なところにつなげるなどしていたようだが、最近では、民生委員(母の後任)は、市役所や都庁などの会議ばかりやっているように見受けられる。地域の要支援ニーズなどは、地域包括支援センターがやることになっているとのことだが、このセンターに居る人は、サラリーマンで、通っている人なので、そこに住んでいる民生委員と違って、地域の実態を知らない(知りようが無い)。

近隣を「福祉コミュニティ」にするというのは大賛成だが、MAPづくりをし、かつそっと支援できるきめ細かい仕組みづくりは、出来るものなのだろうか。

木原さんは、厚生労働省の委員会報告書に住民流や地域福祉についての考え方を他の委員や役所に理解してもらうのが難しかったこと(現場である地域をしらない)、それでも報告書に考え方を盛り込んでもらえたことなどについて感想をHPに書かれており、まもなくパンフレットを作成するとのこと。

そのコメントのなかで、いわゆる福祉(子育て、高齢者、障害者)だけでなく、地域の生活課題に取り組む(防災、防犯、教育、文化、スポーツ、就労、公共交通、まちづくり、建築など)幅広い視点で取り組むべきであるといったことが書かれていました。

夕張希望の杜の村上先生が、地域医療(→予防・健康~介護・在宅死)は、まちづくりとして考えるべきであると言っています。地域医療も含め、世帯50くらいから重層的に地域のあり方を考える必要があると思います。

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すずの会(神奈川県)

池田さんの資料によると、ボランティア団体で小地域福祉の事例として、すずの会(神奈川県)と沖代すずめ(大分県)が取り上げられている。

まず、すずの会を見てみる。

代表の鈴木恵子さんは、親の介護を10年間したのをきっかけに、PTA仲間5人を中心に1995年にボランティアグループ「すずの会」を設立した。すずの会という名称は、「困ったときに気軽に鈴を鳴らしてください」という思いをこめて名づけたという。

1999年に、利用者の視点に立った介護情報誌「タッチ」を発行。2001年に川崎市の介護予防事業「わたしの町すこやか活動」に取り組む「野川セブン」を結成、代表となる。

すずの会の活動は、

1.ミニ・デイサービス:川崎市野川老人いこいの家を拠点に、昼食をともにしながら、おしゃべりや遊びをする。そうした中で、お年寄り一人ひとりの日ごろの様子をじっくり聞き、暮らしや健康に問題が起きていないかを気を配りながらニーズを把握する。

これによって日常的に支援が必要な人を早期発見できる。日ごろからサポートが必要な場合、本人や家族と相談し、日常的に見守りを実施する。

2.ダイヤモンドクラブ:地域の中で孤立しがちな高齢の方や障害を持つ人、子育て中の母親が気軽におつきあいできる場。歩いて数分のご近所の人たちが集まって井戸端会議のような感じでおしゃべりをする。個人宅を開放してもらっている。

最近は、こうした活動が定着し、ご近所の輪に広がりが見えている。防災、子育て、認知症予防、介護者支援につながっている。

3.地域調査研究会:地域に潜在している問題をできるだけ早く発見し、未然の防止や迅速な解決に結びつけるため、調査研究をしている。それが「すずの会メソッド」と呼んでいるマップづくりである。

現在取り組んでいるのが、「地域の要援護者の助け合いマップづくり」。要援護者のちょっとした見守りやお手伝い、災害時の手助けを行うときの資料となるとのこと。

このほか、「高齢化する団地を明らかにするためのマップづくり」、「野川地区の災害時において災害弱者へ適切な支援を行うためのマップづくり」をしているとのこと。

このマップづくりについては、住民流福祉総合研究所の木原孝久所長が本家らしい。

鈴木さんも厚生労働省の地域福祉の研究会第三回で報告しており、資料がある。資料後半に新聞記事があり、マップの作り方や活用方法などが詳しい。

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April 05, 2009

伊賀市社協

伊賀市の社協も非常に素晴らしい活動を実践しているらしい。前記事と同じく、白澤先生のブログによると、

1.「二匹目のドジョウがいないのか」の視点。個別支援から、他にも同じようなケースがあるのではないかと考え、地域住民全体の支援に展開。

2.そのためには、会議を開催し、地域全体の支援や予防への対策に結び付けている。そして、会議を核にして、人材養成や資質の向上に向けた勉強会や研修会、講習会を開催している。会議で情報の発信方法、財源の確保方法などを検討し、それを役割分担して実行。

3.こうしたことが可能なのは、個別利用者に対するケアマネジメントが出来ており、それが地域全体の支援策に向けていくメカニズムを作っている。

4.また、民生委員、ホームヘルパー、ケアマネージャーといった多くの人が利用者を発見した場合に社協に連絡する仕組みが出来ている。

この白澤先生のブログに対し、伊賀市社協の平井俊圭氏より「発見のしくみ」についてのコメントが寄せられている(2008年10月)。それによると、

1.困っている人がいた場合、地域の団体役員→民生委員→社協へと連絡が行くようにお願いしている。

2.持ち込まれた課題について、社協職員が民生委員とともに解決に当ることで、相互の信頼関係樹立。

3.課題解決の情報を民生委員や地域住民に広報することで、より多くの情報を入手できるようになる。

こうしたことを意図的にやってきたとのこと。

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要は、きめ細かい対応をきちんとし、地域の人がそうした成果を実感していることから、信頼関係が生まれ、さらに解決を頼るという好循環が出来ているようだ。

この平井さんは、前述の厚生労働省の地域福祉の研究会でも報告をしている。

この資料によると、前に池田さんが言っているように、制度からはみ出た地域のニーズを解決する努力をしていること、解決にあたって、一人で頑張ってくたびれはてるというやり方ではなく、地域での見守りや制度化など仕組みとしてやれる方法を考えていくということのようだ。参考資料の方に伊賀市社協の取り組み状況の文書がある。

そして、7ページの本資料には、「地域福祉の5層」という図があって、おそらく伊賀市の状況についての報告がある。伊賀市は、平成16年に上野市と周辺5町村が合併して人口10万人である。( )は、10万人で施設等の箇所を割った数字。

①第五層:組・班-近隣の見守りネットワーク・組長宅「近隣の見守り等の基礎単位」約3300ヶ所(30人)

②第四層:自治会・区-防災対応など・公民館・民生委員宅「自治会や区、地区社会福祉協議会等の単位」295ヶ所(340人)

③第三層:福祉区-福祉110番、住民自治協福祉部会=地区社協・市民センター「住民自治協議会を中心にした単位」38ヶ所(2630人)

④第二層:地域福祉区-ふくし相談センター(社会福祉士)・社協支所「旧市町村単位」6ヶ所’1万7000人)

⑤第一層:全市-地域包括支援センター・障害者相談支援センター・社協-「市全域」

この重層的な圏域設定については、厚生労働省の地域福祉研究会の報告書にも例として似たような図が描かれており、第三層を校区としている。

いずれにしても、市町村合併が進むなか、住民自治の単位って何?と思っていたのだが、これらの実態は、一つの考え方と言えよう。

( )に人数を入れてみたのは、後の住民流の人が基礎的な単位として50世帯を挙げているからだ。伊賀市の例は、もちろん人口の偏在があるので実態は分からないが最初の組・班は、30人ということで仮に高齢者単身世帯が多いとしても、なかなかきめ細かいということになる。

小学校区の平均が5600人ということをみても、伊賀市では第三層で2630人であり、きめ細かい。

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April 02, 2009

豊中市社協の校区福祉委員会

前記事で紹介した池田さんの資料で「小地域福祉の多様な主体と連携」に記載されている事例を順次見ていきたい。

まずは、小学校区を単位に福祉委員会を設けている豊中市社協を紹介する。

HPによると、校区福祉委員会は、豊中市社協の内部組織であって、概ね小学校校区単位に結成された民間の自主的な団体で41あるとのこと。校区内の身近な福祉問題を解決するために、地域に組織されている各種団体の協力を得ながら、地域全体のまちづくりを進めている。

ここで言う各種団体とは、次のようなものを指している。

 ①住民団体:自治会、婦人会、子ども会、農協、商店会など

 ②福祉団体:民生・児童委員会、保護司会、赤十字奉仕団、ボランティアグループなど

 ③当事者団体:老人クラブ、ひとり暮らし老人の会、障害者団体など

 ④関係団体:公民分館、青少年健全育成会、防犯協議会、小学校、PTA、人権教育推進委員協議会、健康づくり推進員会など

 ⑤その他:学識経験者など

具体的にどのような活動をしているかと言うと、次のようなものがあり、地域の実情にあった取り組みをしている。

 ●老人福祉活動:ふれあい給食サービス、敬老の集い、友愛訪問、ゲートボール大会、ひとり暮らし老人の会への援助、三世代交流活動など

 ●小地域福祉ネットワーク活動

 ●青少年福祉活動:いも掘り、親子オリエンテーリング、青少年カーニバル、もちつき大会、ボランティア協力校への援助、子ども会の事業への協力

 ●保健福祉活動:献血運動、生活習慣病検診、健康教室など

 ●その他:福祉講座の開催、広報紙の発行、福祉祭、美化運動、防犯パトロール、共同募金の協力、文化祭・体育祭の協力など

上記の小地域福祉ネットワーク活動とは身近な地域での助け合いを行うため、要援護者を対象に  

(1)予防・予知・ニーズの発見活動(声かけ・見守り)

(2)個別援助活動(話し相手・買物・薬取りなど)

を実施している。

これらの活動をより広げ、支えるためにグループ援助活動としてふれあいサロンやミニデイサービス、子育てサロン、会食会、世代間交流などの福祉活動もあわせて進められている。

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豊中市の社協の活動がどの程度のものなのかを知るために、私が住んでいる西東京市の社協がやっていることをチェックしてみよう。我が家も2人で1000円の会費を払っているが、日常的に社協の活動を感じることはほとんどないからだ(献血くらい)。

HPをみると、当市の社協も小学校区単位の活動(ふれあいのまちづくり)をしているようであるが、HPを見る限りは、それぞれの地区が年一回程度、あるところは清掃活動を行い、あるところは食事会を開催などをやっているくらいのようだ。

訪問サービス(家事の一部 (掃除・洗濯・買い物・調理など)、外出の付き添い (通院・買い物・散歩など)、見守り・話し相手 その他)も提供しているが、有料(1時間1000円)のようだ。緊急通報サービスや移送サービスなどもメニューにあるが、HPからは詳細は不明である。

ふれあいのまちづくり事業については、20年度に力を入れるとしており、「市内全19小学校通学区域に各々住民懇談会(20地区)が立ち上がり、小地域活動をすすめていますが、平成20年度は、より多くの市民の参加のもと、ささえあい、たすけあいが広がるまちづくりを進めていきます。また、社会資源の発掘、整理およびますます求められる保健、医療、福祉の連携に重点をおき、「個別の課題に対応できるような地域における問題解決システム」の確立を図ります。特に次の6項目については重点的に取り組みます。①既存の住民組織の取り組みの検討、②地域福祉活動拠点の運営、③ささえあいネットワークとの連携強化、④子どもとおとなによる地域の課題への取り組み、⑤ 助成金交付事業の実施。 」と書かれている。

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豊中市社協については、白澤政和という大阪市立大の福祉の先生がブログに書かれている。

社協の中心的人物である勝部麗子さんにお話を聞いたとのこと。白澤先生が書かれていることを抽出すると;

1.個別事例から問題を発見し、会議で検討し、それを地域全体の問題として捉え、予防・あるいは事後に必要なネットワークを作り出しているらしい。(Plan→Do→See)

2.高齢者の実態調査などを実施しているが、この調査から地域の問題を把握するというより、1の個別事例からネットワークを構築するにあたっての二次的な活動資料として活用している。

3.個別事例を地域全体の問題として捉えなおし、ネットワークを構築するにあたっての会議では、行政の職員、当事者も参加する。

4.個別事例の問題を発見するにあたっては、民生委員、ケアマネージャー等に加え、住民から校区福祉委員会を介して相談が入ることもある。小地域活動が活発であることがこうした問題発見力を高めている。

5.市全体の地域福祉ネットワーク会議があり、この下部組織的に課題別のネットワークが出来ており、これが統一的な仕組みになっている。

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勝部さんについて検索してみた情報から、上記に整理されたことが具体的になんとなく分かってきた。

産経新聞08年5月に勝部さんらがごみ屋敷の女性に対応した事例が出ていた。

ゴミ屋敷の問題は、単にゴミを片付ければよいということではなく、心を開いてもらったり、ゴミを捨てる決断をしてもらうことが必要であり、次には、処分をどうするか、費用をどうするかなどの問題がある。また、その後こうした事態にならないよう、人とのつながりを持てるようになってもらう必要もある。

このケースをきっかけに、2005年、市や社協、保健所など関係機関と民生委員やボランティアが組織を横断して、「ゴミ屋敷問題リセットプロジェクト会議」をスタートさせた。事例を持ち寄った結果、片付けたくてもできない高齢者や障害者の存在が分かってきた。片付けには、関係業者の予約やボランティアの依頼など、調整力と労力が求められるため、「会議」では、関係機関の役割分担を決め、2007年には、ゴミを戸口まで取りに行く福祉収集システムも始めた。

ごみ屋敷の問題を一括して扱う行政窓口はない。そこで、同社協では、校区ごとにボランティアによる「福祉なんでも相談窓口」を開設し、相談を受けて、CSWが行政制度や地域の支援活動などにつなぐ仕組みを作っている。

以上が、ゴミ屋敷問題にCSWがどうかかわり、どのような組織やネットワークを作ったかの事例である。別の情報では、子育て支援の話も見つかった。いずれも、個別事例を地域の問題として捉え、どのようにしたらよいかの仕組みを作っている。

こうした動きは、おそらく西東京市では、まだまだこれからなのだろう。

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なお、勝部さんもそうであるが、大阪府では、「コミュニティソーシャルワーカー(CSW)」を養成し、配置する制度を行っているらしい。(平成14年9月 大阪府社会福祉審議会答申「これからの地域福祉のあり方とその推進方策について」)

CSWとは、支援を必要とする人々を生活圏や人間関係などを重視し、見守り・相談などの活動やサービスに結びつける専門家。高齢者に限らず、障害者や子育て中の親なども援助の対象とし、公的制度との関係調整も行う。

大阪府が身近なセーフティネットとして配置を進めてきた。孤独死対策としても注目されている。

別の情報では、厚生労働省が平成18年度に「小地域福祉活性化事業」として全国市町村100ヶ所にCSWの配置をしたらしい(孤独死対策)。

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全国コミュニティライフサポートセンター(CLC)池田昌弘氏報告

厚生労働省社会援護局地域福祉課が2007年に開催した「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」は、高齢者ケアだけでなく、広い意味の地域福祉のあり方を研究する会のようで、報告書もまとめられている。

この研究会は、それが法制度づくりなどにつながるものではなかったようで、報告書には、きれいな絵が描かれているが、おそらく官僚の「お勉強」に止まっているのではないかと思われる。

しかし、その過程で議論されていたことや、報告されたことのなかに、地域福祉や住民自治を考えるうえで非常に有益な情報が含まれている。

まず、第四回に報告したCLCの池田昌弘さんの資料がある。資料だけでは分からない場合には、議事録を読むと内容がより分かりやすい。以下は、議事録からの抜粋。

1.制度外で対応できていないニーズに「気づき」→それを自発的に実践する(宅老所)→市町村や都道府県・国が理解して制度化→新に制度外では対応できないニーズが生まれそれに「気づき」→自発的に取り組む→・・この循環する機能を支援することが地域福祉を発展させるキーポイント。

2.厚生労働省事務局の資料に「見つけにくいニーズ」と書かれていたが、むしろ、ニーズは皆なんとなく分かっている。問題は、気づいてもニーズを解決する行動が起きにくいこと

3.宅老所のような取り組みは、専門職や事業者がその人の思いや願いに徹底的に応えて、家族、地域社会との調整のなかから生まれてきた。ある意味、制度を侵して生まれてきた。地域福祉の実践というのは、制度の枠を超えて生まれてくるもの。

介護保険などでは、制度の枠内に収めるということで進んでいるが、制度の中で収めることと、制度の枠を超えたものを別々に考えるのではなく、一緒に考えていく発想が必要なのではないか。

.「ケア」だけで考えるのではなく、地域生活(多面的な課題がある:小地域福祉)という観点で考え、取り組む必要がある→これについては、次の豊中市で触れる。

池田さんの資料には、小地域福祉の多様な主体と連携という図があり、そこに事例が書かれている。追ってこの事例についても紹介する。

なお、多様な主体のなかで、自前の拠点を持って活動しているところほど活発で持続性があるとコメントされている。

5.池田さんが社協に勤めていたこともあり、社協を例に地域のニーズへの対応の仕方について書かれている。まず、優先されるのは、「その人の課題」であり、校区の社協がまずその人の立場に立った支援を行い、次に市町村の社協が、それぞれの校区の社協の立場に立った支援を、都道府県の社協は、それぞれの市町村の立場に立った支援を行うという姿勢が強調されている。

この世界に詳しくないのでちょっと分かりにくいのだが、おそらく、一般的には、国→都道府県→市町村などと上から前例や枠が決められ、それがそれぞれの個人に当てはめられるので、個々人にしてみると、こういう生活がしたいという当たり前のことが満たされないという意味なのではないかと思われる。そうではなく、個人のニーズがまずあり、制度で不足しているところは、制度外で対応し、あるいは小さな単位の社協ではムリなことは、大きな単位の社協が支援するという姿なのだろうと思われる。→これについては、「住民流福祉」を唱えている木原孝久さんを追って紹介する。

6.事業者は、あまり前に出ない方が良い。小地域に事業者が生まれると、それまで隣近所で助け合っていた方々が、もう事業者に任せればよいのではないかとなりがち。事業者は、地域福祉を推進しているワーカーや機関と協働していけばよい。

7.およそ50世帯ぐらいが住民の支えあいとしてはちょうど良いのではないか。専門職が担う単位はおよそ8000人くらい。中学校区の1万1000人では大きすぎて、小学校区の5600人というのは小さすぎる気がする。

8.一人の人のライフステージを考えた場合、本当は、最後が一番関係する人が多いはずだが、実際には、最後のステージでは、人間関係がどんどんしぼんでいく。ここを家族、地域、専門職が広げていくことが求められているのではないか。

CLCのHPによると、「CLCは、高齢者及び障害者、子どもなどが自立した生活を営むために必要な支援を実施する団体や、それらの団体のネットワーク組織を支援することにより、「だれもが地域で普通に」暮らし続けることのできる地域社会の実現を目指して、1999年夏に任意団体として設立されました。 2001年2月以降はNPO法人として活動を行っています。」とある。全国宅老所・グループホーム全国ネットワークなどの事務局も兼ねている。

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