記事で紹介した住民流福祉研究所の木原所長は、マップづくりの本家であり、例の厚生労働省の地域福祉研究会では委員でもある。
木原さんは、中央共同募金会で勤務した後、研究所を設立し、「住民流」福祉のあり方を求めてきたとのこと。
HPによれば、21の「住民流宣言」が掲げられている。詳しくはHPを見てもらいたいが、大項目と要点を写しておこう。
(1)主役は住民:まずは住民の「支え合い」があり、それを補完する「サービス」がある。何が福祉問題かは住民が決める。
(2)流儀は「支え合い」:一方的サービスは、サービスの「受け慣れ」を助長し、自立を妨げる。見返りを求めない「ボランティア」は住民には不自然。すべては「持ちつ持たれつ」。明らかな対象者にも活動の機会を与えよ。助け上手と助けられ上手の「両刀遣い」で免許皆伝。
(3)助けられも「活動」だ:助けと助けられの協同でベストの福祉ができる。助けられ行為にも、当然、評価や研修、手当ての支給を!「地域に住む」とは溢れる資源のなかで生きること。(下線は良く分からない)
(4)寝たきりこそボランティア:助けられるたびに、私の誇りは危機に瀕する。だから要介護の人ほど「ボランティアしていると考えよう!」(富沢書き換え)。弱ってきたら「そろそろボランティア」、寝たきりになったら「本格的にボランティア」、認知症になったら「絶対、ボランティア」
母は、要介護者だが、母なりにプライドがあり、①自分も何か役に立ちたいと思っている(私の家事を助けたい、私が外出するとしっかり留守番しようとする)、②トイレや着替えなど助けてもらいたい(楽なので)反面、一人で気ままにやりたい、一人でも出来ると思いたい。これを危ないからとやらせないとプライドが傷つくし、そのうちズルを覚えて動かなくなってしまう。もちろん危なっかしいので、見守りをしなければならないが、それはそっとでないといけない。家事を手伝ってもらって「有難う」と言えば、満足し、存在価値があると自負する。
ところが介護保険制度では、一方的に介護サービスをすることになっている。一人でやろうとしたり、人の役に立とうとすることは、しっかりしているとみなされ、要介護度が低くなってしまう。母の場合には、転倒など危なっかしいので見守りをしてもらいたいのだが、そういう項目ではサービスを受けられないので、書類上は、トイレ介助とか水分補給ということになる。ヘルパーさんが来るとなると、母はきちんとしてしまう(部外者が来るので)。ヘルパーさんにお茶やお菓子を一緒に食べましょうともてなし、悩みを聞いてあげたりする。
私は、母が自己チューだし、プライドが高いから特別かと思っていたが、「住民流」の考え方からすれば、大なり小なり、どの高齢者も皆プライドがあるはずだ。100年近く生きてきて、修羅場もくぐってきているわけなのだから、そうだろう。
私は、他所の家の高齢者は、特養に入所したりデイサービスに行っているので、皆、素直な人たちなのかと思っていたのだが、考えてみれば、元気な時には、それぞれ意地悪だったり、うるさ型だったりした人たちが、高齢になったからといって急に羊のようになるわけがない。皆しょうがなく、受け入れているのだろう。
(5)セルフヘルプ:誰にも助けられたくないが、同じ悩みを抱えた人にならOKだ。私にも相手を助ける機会が巡ってくる。助けたり、助けられたり、ついでに他の仲間にも「おすそ分け」。
(6)「私」から発する:何が私の「問題」かは、「私」が決める。どうやって解決するか、誰に何を頼むかも「私」が考えて決める。
(7)もっと豊かに:住民にとって「福祉」とは、「困りごとの解決」より、「もっと豊かに」の具現。「問題の対処」より「問題を生まぬよう」。先手必勝、予防優先。
(8)「福祉」を隠せ!:福祉サービスをミエミエでするな。福祉施設は、ミエミエの施設。町に福祉の名前も活動も見えないが、皆が幸せに生きている、そんな福祉を住民は求めている。
(9)分別はせず:住民を担い手と受け手に分けるな。子供や高齢者を対象者と決め付けて、子供は保育園へ、高齢者は老人憩いの家へと分別するな。分別されるほどに「対象者」に馴染んでしまう。子供と老人が出会えば、相互に資源になりえるのに。地域をまるごと施設と見なせ。
(10)相性主義:住民を勝手に集めるな。ふれあいやサロンづくりは相性の合う人と。
(11)天性主義:活動の適正は、「資格」にあらず、生まれもっての資質が絶対だ。一口に世話焼きといっても十人十色。「仕切り屋」さん、「口利き屋」さん、「こじあけ屋」さんなどなど。
(12)生活主義:住民は「生活」を崩したくない。わざわざグループを作り、どこかへ出かけて「さあ、やるぞ!」は、ご免です。生活の中で、本業の中で、なんとなくできてしまう「活動」なら、いいですよ。
(13)計画せず組織せず:「まち」は、見えないネットワークの世界。住民は組織せず、それぞれやりたいことをやって、辻褄が合う。計画せず、行き当たりばったりに、足元の課題に対処する。会議を開かず、「あうんの呼吸」で連携する。広報せず、口コミで伝え合う。
(14)作らずに、乗る:活動を勝手に「つくりだす」な。住民は自分たちの悩みに自分たちなりの対応策を講じている。それを見つけ出し、側面後方から援護しよう。
(15)「モチ屋」の腕:要介護者だった、赤ちゃんだって大事な資源。消防署も警察署も、ヘルパーも・・皆家に帰れば「住民」だ。それぞれが「モチ屋」の腕を活かせば大資源。「地域に住む」とは、溢れる資源の中で生きること。
(16)住民に返せ:サービスの対象者を住民に返していこう。当事者同士の助け合いに返せ、近隣の支え合いに返せ。対象者をサービスに引き取れば、住民は手を引いてしまう。
私が北海道で仕事をしている間、私の家は宅老所のようであった。母の身体が不自由なので、買物や掃除の手伝いをご近所の方がしてくれ、おかずも毎日のようにいろいろな方が持ってきてくれていた。その代わり、皆、母に嫁の愚痴やらいろいろな話を聞いてもらったり、井戸端会議をしにしょっちゅうお茶を飲みにきていた。要は、それぞれがそれぞれの得意分野で助け合っていたのだ。
しかし、母は、外面は良いが本音では人が来るのを嫌がり、病後疲れやすいこともあってこうしたつきあいを絶ってしまった。それでも、私も足が悪いこともあり、一人のご近所の方が買物を手助けしてくれたり、新聞をゴミに出すのを重いからとやってくれている。私が主婦見習いなので、おかずなどもしばしば持ってきてくれる。もちろん、その方の孫にお年玉をあげたりなどの気遣いはしている。いわば「世話焼き」さんであるこの方にとって、母の面倒を見てくれていることは、それなりの張りにもなっている(と思う)。
介護保険制度でヘルパーさんにもっとお願いし、このご近所の方にお世話をお願いするのをやめようかとも思った。しかし、ヘルパーさんは、契約をした日に、30分なら30分、ある限られたサービスしかしてくれない。ハルエさんという個人全体を見ていて、気配りをしてくれる訳ではない。
だが、いつ何時、どんな手助けをお願いしなければならないか分からないこともあり、ハルエさんという個人全体を気配りしてくれる関係をご近所に作っておきたいとの思惑から、以前よりは細々だが、お世話してもらう関係を続けてもらうことにしている。
ヘルパーさんが入ることになった折、このご近所の方が嫌な思いをしたり、手をひいてしまうのではないかということが懸念された。ヘルパーさんを入れるにあたっては、この方にも相談し、役割分担で引き続きお願いすることにした。
ご近所の人たちの相性も多様であり、宅老所風の時には、母を核にいろいろな人が来ていたのだが、現在では、お世話をお願いしている方と相性の良い人だけが、我が家に来れるようになっている。
(17)そうとわからない支援:住民の支えあいには後押しが必要。しかし、ミエミエの支援は嫌われる。補助金もそうと分からない支給に、人材もそうと分からない派遣に。福祉施設は当事者宅、推進拠点は世話焼きさん宅、宅老所は当事者に見込まれた宅、児童館は子供が見込んだおばさんの家。
(18)50世帯の福祉圏:福祉の圏域を勝手に決めるな。住民は住民なりの福祉圏を作っている。住民の支え合いマップでそれを見つけ出すのが先決だ。小学校区どころか、町内会どころか、50世帯から100世帯の「近隣」でまとまっている。それぞれの近隣を「福祉のコミュニティ」にするのだ。
(19)マップで浮き彫りに:住民のふれあい支え合いを住宅地図に乗せよう。住民宅に押し掛け、井戸端会議に顔を出そう。地図上に舐めるように一軒一軒の顔を思い浮かべ、気になる要援護者はいるか、どんな世話焼きがどんな世話を焼いているか、どんな生活課題があるのかと記憶の中から蘇らせるのだ。
(20)総合プロデュース:住民のニーズを残らず拾い出し、住民資源を残らず掘り起こす。一人も見逃さない、一人も不参加のない、困りごとの解決だけでなく、その人らしい生活も保障する本物の「福祉コミュニティ」が出来上がる。
(21)福祉は芸術だ:住民は、限られた力を極大にするために、いろいろな知恵を使っている。関係者の作る福祉のたんと単純なこと!彼らの知恵の結晶は、ほとんど芸術品。
伊賀市社協では、民生委員などが、地域で要支援ニーズを探り(相談を受ける、肌で感じるなど)、それを地域でどうケアしていくかを考えていた。母が民生委員をやっていた頃には、担当エリアのいろいろな気配を感じて公的なところにつなげるなどしていたようだが、最近では、民生委員(母の後任)は、市役所や都庁などの会議ばかりやっているように見受けられる。地域の要支援ニーズなどは、地域包括支援センターがやることになっているとのことだが、このセンターに居る人は、サラリーマンで、通っている人なので、そこに住んでいる民生委員と違って、地域の実態を知らない(知りようが無い)。
近隣を「福祉コミュニティ」にするというのは大賛成だが、MAPづくりをし、かつそっと支援できるきめ細かい仕組みづくりは、出来るものなのだろうか。
木原さんは、厚生労働省の委員会報告書に住民流や地域福祉についての考え方を他の委員や役所に理解してもらうのが難しかったこと(現場である地域をしらない)、それでも報告書に考え方を盛り込んでもらえたことなどについて感想をHPに書かれており、まもなくパンフレットを作成するとのこと。
そのコメントのなかで、いわゆる福祉(子育て、高齢者、障害者)だけでなく、地域の生活課題に取り組む(防災、防犯、教育、文化、スポーツ、就労、公共交通、まちづくり、建築など)幅広い視点で取り組むべきであるといったことが書かれていました。
夕張希望の杜の村上先生が、地域医療(→予防・健康~介護・在宅死)は、まちづくりとして考えるべきであると言っています。地域医療も含め、世帯50くらいから重層的に地域のあり方を考える必要があると思います。
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