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April 23, 2009

社会福祉法

一度めげたが、再度老人ホーム(高齢になった折にどう暮らすかを考えようと)について整理しようとして、また迷路に入ってしまった。

どうやら、いろいろな法律があるようだ。「社会福祉法」という社会福祉事業に関する一般法があって、個々の社会福祉事業については、それぞれ専門の法律があるらしい。具体的には、生活保護法、児童福祉法、「老人福祉法」、障害者自立支援法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、母子及び寡婦福祉法などらしい。

そして、老人のうち、身体上または精神上の障害があるために、日常生活を営むのに支障がある老人の介護等に関する措置については、老人福祉法と「介護保険法」の定めるところによる(福祉の実施にあたっては、両方の措置の連携及び調整に努めるべき)とされている。

これらの法律を見ていて考えたこと;

これまでの「若い」社会では、五体満足が当たり前で、健康で頑張りが利いて、自らも成長し、頑張れば豊かになることが約束されている社会が「本流」だった。この大きな流れに国民のほとんどの人が当てはまった。だから、企業は、マスを考えていればよかった。

この本流から何らかの事情で外れてしまった人は、ごくわずかであり、社会はこういう人がいることを「見ないようにして」暮らしてきた。国の政策は、こうした「例外」の人たちを「こっそり」支援し、「人並み」に生活できるようにしてきた。

「例外」の人たちは、それぞれの例外事由によって、「生活保護者」であったり、「身体障害者」であったり、「母子家庭」や「寡婦」であったりしてきた。どの家庭にも当てはまるのは、「児童」くらいであった。

ところが、今日では、ごくわずかではなく、見てみぬふりが出来ないほど、「例外」の人が増えてきた。生活に困窮するか、困窮する可能性のある家庭・人、その結果、学べない子供たち、自ら高齢か、あるいは誰かしら家族に高齢者を抱える家庭、高齢になればほとんどどこかしら病や障害を持つ。

逆に言えば、もう「多様性」としか言えないほど、ほどんとの人が何かしらの「社会福祉の対象者」か「対象者予備軍」である社会。・・というか、これが本当の社会の姿なのではなかったか。

社会が若かった時代には、ごくわずかな存在である弱者を見ないでも済んできたが、本来の社会は、子供も高齢者も身体の不自由な人も、生活困窮者も居て、成熟した社会では、こうした多様性を互いに補い合う知恵や仕組みが出来ていたはずだ。ところが、戦後しばらくの間、若い時代が続いたことや産業構造が第一次産業からシフトしたことなどからこうした知恵や仕組みは忘れ去られた。

宅老所のことを知ったものの、高齢者と知的障害者が一緒に過ごす施設といった折、知的障害者と同列にされたら、母は嫌がるだろうなぁと思ったり、自身が身体障害者認定を受けた折には、一瞬「エエッ!」と思ったのだが、これは、私自身が「社会福祉」の対象者になることに差別的な感情を持ったからだろう。

これは、電車で座席を譲られて嫌な気がしたりするのと同じで、若い=五体満足=自立していることが正常な人間であると認識しているからだろう。

一方で、社会福祉による支援をいい気になって得るというモラルハザードの問題もある。私自身、股関節の手術をする前の方が痛くて歩けなくてタクシーを使いまくっていたが、手術後・リハビリ後は、すっかり歩けるようになり、むしろ歩けることが嬉しくて歩いてしまうのに、無料のタクシー券を貰っていたりする。

モラルハザード問題は、別途考えるとして、誰もが多様な弱さを持つ社会、しかし互いに補い合いながら暮らしていける社会=これがノーマルな社会であるとして、社会のあり方を考え直す必要があるのではないだろうか。

「社会福祉法」や個別法で、極度に課題のある対象者を支援するのは手段としては必要なのかもしれないが、例外者を支援するのを福祉と捉える時代ではないのではないか。多様な弱さを持つ人たち全ての人が健康で文化的な生活を送れるための法律=社会福祉法=まちづくりや住民自治を含むものに変えるべきなのではないか。

福祉だけでなく、健康・医療、教育・文化、環境、産業、交通を含む地域社会のあり方についての法律(?)。法律ではなく、政策や規範(ソフト・考え方)なのかもしれない。

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日本の大企業の組織は、男女雇用機会均等法や障害者を雇用するような法律によって変わってきているものの、基本的には、結婚や出産で戦力になりにくい女性を排除し、若年労働者としてのみ使おうとしてきた。また、年齢を経るにつれて、病気をした男性も排除され、閑職や子会社に飛ばされる。年功序列・終身雇用だが、若いうちは、働きの割には、安い給料で働かせ、上記のように篩にかけて、出世する人を選別し、ピラミッド組織を維持してきた。つまり、若くて、24時間働ける人のみの組織を維持する仕組みだった。しかしながら、企業に余力があり、終身雇用であったため、福利厚生は、それなりにはじかれた人々にも恩恵を与えていたし、「わが社」が社員や元社員にとってアイデンティティになっていた。

ところが、グローバル化が進み、社内から社長を選ぶとは限らなくなり、外部から優れた経営者がヘッドハントされる、ある部門についても同様に他で成果をあげた人がヘッドハントされるようになった。以前は若年労働力に任せてきた部分は、派遣などで賄う。まさに、働く人は、将棋の駒のようであり、それぞれが必要な機能を果たす取替え可能な駒でしかない。会社は、セーフティネットでも、アイデンティティでも無くなり、これらは、別途「社会(会社以外)」が提供しなければならなくなった。

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