« May 2009 | Main | February 2010 »

June 19, 2009

新資本主義再々考

社会起業家ブログをやっている町田さんから「ゲイツ財団も、グーグルオルグ(非営利)も、慈善精神ではなく、投資だといっている。ゲイツ財団は、感染症撲滅に、グーグルオルグはグリーンビジネスにお金を出しているが、その先に収益部門が登場する確信があるようだ。社会に良いことをやれば儲かるようになるという当たり前のことを非営利部門でやるところが新しい。この発想は、社会のあらゆる部門に応用可能では」というような内容のメールを頂戴した。

ゲイツ財団の人は、財団は民間資本より柔軟に活動できると言っているという

このことを考えてみた。

1.民間資本は、グローバル資本主義のなかで、収益性が高くないと投資できない。

2.財団は、「世の中に役立つこと」なら、収益が出なくても、資金を提供できる。おそらく、税制の特典もある。「世の中に役立つこと」をしているなら、寄付も集まる。

3.2の資金提供のなかから、新薬や新技術が開発され、実用化の目途が立てば、民間資本も投資できるようになる。

4.これまでリスクマネーを担っていたベンチャー・キャピタルは、100投資して3つほど成功し、株式を公開することで大きく儲けてきた。

5.財団は、ベンチャー投資では、エンジェルのようなもの。苗床ではなく、どの種が使い物になるかなど開発より前の研究段階くらいの支援。

6.これまで、この段階の資金提供者は、国だった。これを財団がやる。財団は、資金を提供し、研究開発のインサイダーになることで、確実にモノになる種を見つけやすくなる。

アメリカのベンチャーの仕組みも、エンジェルやベンチャー・キャピタルなど、リスクマネーを提供するが、インサイダー的な情報を得る仕組みだ。財団がこれに加わるということだろう。

年金基金は、ヘッジファンドに運用を任せ、実際には、何に投資しているのか分からない金融商品に投資した。

これに比べれば、財団の資金提供は、リスクはあるが「世の中に役立つこと」を支援し、しかもかなりの確率で、その文脈から将来モノになるものを見つけ出すことができるなら、かなり美味しい話だ。

+++++++++++

この方法、つまり財団(非営利組織)が「世の中に役に立つこと」を支援し、支援の先に投資を回収できる新技術・新サービスが生まれるという方法を日本に適用するとどんなことになるのだろう。

たとえば、環境問題、福祉問題、教育問題、地域産業振興などに資する活動があり、財団がそれらを支援する。そのなかには、新しい技術やサービスが生まれる可能性があり、問題が解決するだけでなく、財団にも投資以上の見返りがある・・・といったイメージだ。

僻地などの遠隔医療を担う試みがあって、その人たちを支援するなかで、素晴らしい遠隔医療技術が開発されるとか、身体の不自由な人を支援する福祉機器を作ろうという試みがあって、それに使われる技術から素晴らしい素材が生まれるといったイメージだろうか。

問題は、日本にはゲイツ財団やグーグルオルグがないことだ。

ぼろ儲けできるだけの優れたビジネスモデルを開発した企業が居ないので、豊富な資金を持ち、新しい対応をしようという財団がない。

ぼろ儲けをした企業がいなくても、企業にとってCSRが重要となり、一方で「世の中に役に立つこと」をしている人々が居れば、その橋渡しをする財団が出来、日本でもこうした仕組みが成り立つ。

日本では個人資産が豊富で、銀行に預けても金利は低いし、何か良い活用方法はないかと思っている人は多い。なかには、資産を増やそうと怪しい投資話に乗ってしまう人もいるが、「世の中に役立つこと」をしたいと思っている人もいる。こういう人たちを騙すのではなく、「世の中の役にもたち」、将来的には儲かるビジネスに出会えるかもしれないという「夢」も見せられるなら、日本版の「財団」を作れるかもしれない。

問題は、日本版「世の中に役に立つこと」を率先してやっている人・組織がいるかどうかだ。

| | Comments (0)

June 17, 2009

新資本主義再考

前の記事にユヌスの新資本主義について書きました。

その折、アダムスミスが言う、企業は利己的に行動しても、徳性が守られる(法律などがある)市民社会では、全体の利益につながる(公益になる)ということを紹介しました。そして、日本の昔の企業(近江商人の三方よし:売り手よし、買い手よし、世間よし)なら良かったのではないか、グローバル資本主義に徳性がなさすぎた、あるいは徳性を守らせる法律がなかったのが悪かったのではないかと書いた。

ユヌスやゲイツの唱える新資本主義は、これとは違うらしい。

資本主義の半分は利潤極大化を目指す社会で、もう半分がソーシャルビジネス(社会問題解決を目的とした「企業」)からなる資本主義の社会で、前者で儲けた企業がCSRとして後者に投資したり、前者で開発した技術を後者に提供するというもの。

これからの企業は、株価アップを目指すとともに、一方で、CSRでどれだけ社会問題解決に貢献したかをも目指す。両方の評価軸で評価される。

他方、ソーシャルビジネスを担う「企業」は、事業を黒字化し、出資先の企業に返還はするが、利益は社会問題解決の目的のために再投資する。

ソーシャルビジネスを担う「企業」は、優れた問題提起と新しいビジネスモデルを考え、利潤極大化を目指している企業に提案し、出資やノウハウ提供したくなるように仕向ける。

今日、企業のCSRが注目されつつあるが、企業を評価する2つの軸が定着した場合、日本企業も積極的にCSRに向わざるをえなくなるだろう。近年のCMでも、1ℓ→10ℓ(アフリカに真水を提供)とか、砂漠地帯に緑を植えているなどが目だってきている。

その場合、優れた問題提起と新しいビジネスモデルが提供されている世界の貧困問題に取り組む(仕事、病気、教育など)のが簡単だろう。

一方で、日本国内にもさまざまな課題があるのだが、国内の問題解決のためのソーシャルビジネスが生まれないと、企業のCSRが向いてこない。

日本は、全体としてなんとかなっているので、「ゆで蛙」状態で課題への認識が薄い。救急医療の問題も、派遣切りの問題も、高齢者の問題も、ごく一部の可哀相な人のことだと思っている。また、何かあると政府や自治体は何をやっているんだと文句の矛先を行政に委ねている。自分たちの足元が崩れていても、それに気づき、ソーシャルビジネスにしようという試みが少ない。

そういう私も、日本が本当は危機的な状態にあることを整理して人に訴えられるまでになっていない。なんとなく閉塞感があることの本質をまだ整理しきれていない。

| | Comments (0)

June 16, 2009

日本の産学官連携が上手くいかない要因1

前の前の記事で日本の産学官連携が欧米と同じ仕組みなのに上手くいっていないことを書いた。日本のいろいろな地域の産学官連携について知っているわけではなく、たまたま私が係わったケースが悪すぎたのかもしれないが、その要因を整理しておこう(できるところまで)。

文科省の知的クラスター創生事業で、世界に通用する研究開発拠点を東京以外の地域に作ることが目的であった。

1.世界水準の研究者と地域のクラスターのミスマッチ

「世界に通用する研究開発拠点」を作るには、まず、「世界に通用する研究者」が必要だが、そうした優れた研究者がその地域に居るかどうかが問題だ。

その地域の大学の教授が優れた研究者なら、その教授が持つ世界的なネットワークを活用できるし、世界中からその分野の研究者が集まり、世界中から先生の知恵を拝借したい企業が自ずと集まってくる。

ところが、その優れた研究者が地域のクラスター(育成したい産業)と必ずしも同じ分野とは限らない。優れた研究者に合わせて分野を選ぶか、地域のクラスターに合わせるかがまず問題となる。

前者の場合、世界水準の研究者に合わせられる企業は、一般的に地域(田舎)には存在しない。この事業によって地域に新しいクラスターを形成しようと思うなら、優れた研究者の分野を選択して事業をまとめ、世界中から優れた企業を誘致したり、事業を通してベンチャー企業が次々に生まれるという計画にしなければならない。

後者の場合、地域の既存クラスターの活性化を目指すので、本来であれば、その分野の優れた研究者を探してくる必要がある。地域の合意が形成され、その分野で世界的に優れた研究者を地元大学に招聘すれば、既存クラスターのレベルアップが図れるかもしれない。

しかし、よほどの待遇でもなければ、そんな優れた研究者は、田舎にやってこないだろう。また、優れた研究者を招聘したとしても、既存クラスターを形成している企業群がそれだけの研究を自らのビジネスにつなぐだけの力は持ちえていない。また、地元大学が地域クラスター形成・高度化の目的で優れた研究者を招聘することに同意するかどうかも問題だ。

文科省の事業の場合、窓口は都道府県だ。都道府県自体が優れた研究者と優れた企業を誘致し、5年以上かけて地域に新にクラスターを構築するといったビジョン(計画)を持っていれば、白いキャンバスに絵を描くように、事業を行うことが可能だ。

だが、一般的には、何かしら地元に芽のある分野を選ぶ。そうなると、既存クラスターの企業群と既存の地元大学の先生を担い手として事業を計画するので、そもそもの最初から「世界に通用する」のは無理なプレーヤーの編成とならざるをえない。

2.地域のクラスターを形成している企業群がビジョンを共有できない

既存クラスターの高度化を図るというビジョンを持つにあたっては、クラスターを構成している企業群が大所高所に立って、地域クラスター高度化とはどのようなものなのかについて意見交換し、地域の底上げを図るために必要な政策を考える必要がある。

日本の多くの既存クラスターの場合、競争と協調の協調が図りにくい。大所高所に立って考えることに慣れていない。ライバル同士ではあっても、5年、10年先のビジョンを描き、それに必要な資源を確保することは可能なはずだ。しかし、協調して議論できないため、必要な資源を確保するための具体的なアクションプランを作ることができない。

東大阪の中小企業が協同してロケットを打ち上げたが、ロケットを飛ばそうという壮大なビジョンを描けば、それを実現するために必要な技術や人材を確保しようということになる。日常的にはライバルであっても、ロケットを飛ばすということで共闘できるはずだ。それによって、個々の企業の持つ要素技術などを一段上に持ち上げることが可能となる。

残念ながら、私が係わった地域の場合、「ロケットを飛ばそう」にあたるビジョンを打ち出し、賛同者を集めて実行に移そうという骨のある経営者が居なかった。

日本の既存クラスターの場合、大手企業の下請けになっていることも多く、地域を俯瞰すればクラスターなのだが、実際には、地域とは無関係にそれぞれが東京の親会社を向いて仕事をしている。このため、自主的に地域で集まって、地域のクラスター全体をどうしたいなどと議論することがない。

独立系の場合も、お互いが低いレベルで競争しているせいか(互いに突出した優位性を持っていないからか)、地域での長い付き合いの中で人間関係の気まずさなどがあるせいか、前向きの協調が出来ない。

大学と地域クラスターの企業群がそのクラスターに関する将来の技術動向などを意見交換しあう場も持てていない。個別に顔見知りの教授に相談することはあるようだが。

フィンランドのオウルの場合、大手企業がノキアのみということはあるが、ノキアと大学の研究者とが、将来の技術動向、ノキアの重点課題などについて定期的に意見交換・情報交換していた。それによって、ノキアの方から、今後、こういう研究分野を強化して欲しい(優れた先生を招聘することも含め)と大学に要請することもあるという。

ノキアという大手の中核企業だからということはあるのかもしれないが、こうした仕組みは日本の地域でも取れるはずだ。

3.世界的水準の研究開発拠点と地域振興とのミスマッチ

文科省の知クラ事業の「世界水準の研究開発拠点を地方に作る」という目的と、一方で、「東京以外の地域を選定して補助金を出す」という地域振興の目的とが結局ミスマッチなのかもしれない。

この事業自体、文科省だからお金が大学経由で企業に流れる仕組みであり、実用化もプロトタイプまでであるとしておきながら、出口の成果(特許数、事業化数など)を評価するなどあいまいなところがある。

また、東京以外の地域に補助金を出すので、申請を精査しているといっても、全国にバランスよく認定しているようなところがある。特に北海道などは、あるいみ、文科省の方も認定しておきたい(振興の対象にしたい)地域である。

評価もせずに年間5億円、5年で25億円も出すわけにいかないから、途中で進捗状況をチェックし、捗々しくない場合には、減額するなどの脅しはかけるし、減額される(中止されるかも)という恐怖心から、地域の方も認められるよう、体制を整えなおしたり、知事に挨拶に出向かせたりするが、これはお互い茶番だろう。

世界水準の研究を5年間で事業化の目途をつけるまでに持っていくのもおそらく一般的には難しいだろう。明日の収益を考えなければならない中小企業にとって、時間とお金(スタッフを共同研究に参加させる)を使うなら、いつか役立つ先行研究も良いが、少しは経営にメリットのあるプロジェクトを手がけたいはずだ。

そうなると、先端的な研究というより、より実用化に近い研究を求めることになる。誤解を恐れずに言えば、大学の先生の研究を手伝い、その手間賃を稼ぐというような、いわば公共投資的な事業になりかねない。

4.ガバナンスとプロジェクト管理ができていない

産学官連携を上手く行い、地域のクラスターの高度化を図るにあたっては、前述のように、将来どうした地域にしたいのか、それには何をしなければならないかという地域クラスター全体についての構想力が必要である。

それには、産学官で真剣に議論する必要があり、その議論をまとめ上げて具体的な計画にしていく必要がある。産学官をまとめあげるのは、誰だろうか。

オウルなどでは、市長、学長、経営者が集まって市の産業の方向性を考え、テクノポリスという第三セクター(インキュベーション施設)を作った。北海道でも、形からみれば、ノーステック財団は同じだ。しかし、セレモニーで3者が集まることはあっても、真剣に地域の産業をどうしていくかについて議論しているとは思えない。

また、残念なことに、北海道では財界のトップは北海道電力であり、知クラ事業で対象となったIT産業の企業は、財界主流から遠く離れている。

人口20万人くらいのオウル市と600万人の道庁では地域の産業振興といっても温度差があるのはやむをえないとしても、札幌地域のIT産業の企業が少なくともビジョンを共有し、学や官に協力を仰ぐというような動きがあっても良いはずなのに、前述のように、業界自体が全くまとまりが無い。

したがって、IT分野で産学官連携といっても、官は文科省の窓口ではあるがそれだけのことであり、北大にとっても、情報工学分野は、全体のごく一部であり、産業界の代表は前述のように電力なので、IT産業の将来ビジョンを描いて学や官や主流の産業界に働きかけられる人が居ない。

道庁の窓口課は、プロジェクトを取ってくる(補助金を得る)のが仕事だと思っており、地域クラスターをどうしていこうなどとは思っていない。知クラ事業を道庁全体の事業と位置づけ、知事が主導するようにも出来ていなかった。(知クラ事業Ⅱのバイオでは、知事が本部長、札幌市長が副本部長になっており、この点は改善したようだ)

北大は、北大でプライドがあり、誰の指図も受けたくない。近年でこそ、産学連携が見直されているが、ついこの間まで、実業界と結びつくような研究をしている教授は、疎まれ、蔑まされてきた。北大にとっては、情報工学はごく一部であり、地域のクラスター高度化に資するなどという考えは持ち合わせていない。先生方にとっては、大学での評価につながらないのであれば、真剣に取り組もうと思わない。

北大の情報工学の先生の布陣が地域のクラスター高度化にとってマッチしているとは限らない。前述のように、クラスターの方からこういう分野を強化して欲しいという申し出もないし、おそらく聞く耳も持っていないだろう。

こうして、そもそも地域のクラスターの高度化を真剣に考え、取り組んでいる人が居ないうえに、知クラ事業が始まっても、そのガバナンスを取れる人材も居ない。

前述のように、白紙のキャンバスに絵を描くように新にクラスター形成をしようとした地域の場合には、県や市が音頭を取り、ガバナンスを取っていた。しかし、北海道では、残念ながら、道庁は窓口として、文科省に気を使い、中間管理職のように、必要以上に細かい指示は出すものの、管理に止まり、事業全体のガバナンスを取っていたわけではない。

本来の当事者であるはずのIT産業は、バラバラのままで、単にプロジェクトに参加している企業が担当している共同研究をこなすに止まった。

文科省の事業で大学に資金が流れる仕組みになっているものの、それは単にそういう形式だけのことで、急がしい本業の合間を縫って、共同研究や事務処理に追われるに止まった。結局、事業のガバナンスを誰が取るのかが最後まで分からなかった。

さらに、プロジェクト遂行にあたっても、事務局の長は、道庁のOBで、リーダーシップを取るような人材ではなかった。上手くいっていた地域では、過去に大企業で研究開発のマネージャーなどをしていた人を事務局長にスカウトし、彼に権限をもたせてやっていた。(これについても、知クラⅡのバイオでは、事務局の長に協和発酵の研究所長だった人をもってきているようだ)

北海道の場合、最初の3年間は、プロジェクト管理が十分できていなかったようで、文科省の評価が低かったことから、管理を強化した。事務局スタッフは、地元財界主流の企業や道庁からの出向者、東京の大企業を退職した人などからなっており、仕事のスタイルの違いなどで、上手く回らない面があった。

産学連携の成果を上げるには、研究内容を理解し、研究者と産業界との橋渡しができる優れたコーディネーターが必要だが、残念ながらそういう人材が少ない。若手でコミュニケーション能力のある人材がこういうプロジェクト遂行を契機に育ってくれるのが良いのだが、地方には、なかなかそういう人材が居ない。

そこで、大企業の退職者をスカウトすることになるが、退職者は、自分のやってきた仕事のスタイルがもっとも良いと思っているので、地方や中小企業のことをバカにしていたり、そういう人が数人居ると、互いに自分のスタイルを主張し、聞く耳を持たず、ギクシャクしてしまう。

北欧のインキュベーション施設では、若くて、マーケティングも分かる人材がこうした事務局を担っている。最近では、各大学の産学連携部門にこうした人材が育ってきているようなので、期待したいところだ。

| | Comments (2)

電気自動車・福祉機器・ロボット

グリーン・ニューディールもあって、エコ・カーが話題だ。

6月8日NHKのクローズアップ現代で電気自動車の最新事情を伝えていた。

これまでも何度も電気自動車は、話題になっていたが、最近では小型で長持ちするバッテリーが開発され、実用性が高まったのだという。

電気自動車になると、部品点数が大幅に減ることから、自動車の作り方が変わる。事例でも、ファッショナブルな自動車をベンチャー企業がイタリアのデザイナーに依頼し、中国の軍事用に開発された性能のよいバッテリーを使って作り、ファッション店などで販売していることが紹介されていた。

三菱自動車が電気自動車市販一番乗りを目指してバッテリー開発に力を入れてきたというのは、起死回生を図るための大きな賭けと言えるだろう。三菱は、バッテリーを自社開発しているが、上記のベンチャーのように、家電メーカーをはじめ、他産業が簡単に参入できるようになる。

自動車会社にとって電気自動車を普及させることは、自殺行為でもある。もちろん、足回りなどメカも必要だが、摺り合せ技術に強みを持つトヨタなどの日本の自動車メーカーにとって、自動車そのものがモジュール化することは脅威だろう。

トヨタがハイブリッド車を出した時、確かに当時はバッテリーが量産・実用車向けにはまだまだであったからだが、ガソリンエンジン(自分たちの得意分野)を残しておきたい思惑があるのではないかと思ったものだ。

番組では、アメリカ企業が充電したバッテリーを貸し出すビジネスを展開しはじめたとも報じていた。さすがに、アメリカは、新サービス開発が速い。

解説者の東大村沢教授がGMが崩壊し、電気自動車などの新しいベンチャー自動車メーカーが複数輩出するようになるのではないかと見通していた。この可能性は十分あるだろう。

そして、日本のように磐石な自動車産業がある国よりも、GM、クライスラーが崩壊したアメリカの方が、新しい移動ビジネスをどんどん生み出すことになるかもしれない。日本は、優れていただけに、この分野で遅れを取る可能性もある。

自動車産業に依存してきた日本の製造業は、アメリカの自動車メーカーが破綻したことよりも、グリーン・ニューディールの動きによる地殻変動の方が将来的なダメージは大きいかもしれない。10年後の自動車産業は、完成車メーカーが百花繚乱している可能性があるが、一方、部品点数が大幅に減少するので、部品・素形材産業は、自動車以外の分野を模索しておくべきだろう。

ガソリン自動車の比率が低下するなかで、では、次の分野は何だろう。

それは、一次産業や医療・福祉の分野ではないか。この分野は、まだまだ生産性が低い。個別に対応しなければならないという難しさもある。しかし、センサー技術、ロボット技術、通信技術を応用すればいろいろな可能性があるはずだ。現在この分野で使われている機械は、参入も少なく、高額だったり、プロ使用向けだったりするが、安くて使い勝手が良いハード・ソフトを開発する余地があるのではないか。

一次産業の担い手も高齢化が進んでいるが、自動車産業などで培った要素技術を活用すれば、もっと生産性が上がるはずだ。農業も企業化・大規模化の方向だけでなく、高齢者や新規参入者でも農業をやり続けられるハード・ソフトの開発も必要だ。

介護は、高齢者や病人だけでなく、高齢化社会になるなかで、100%元気な人というのはごくわずかとなり、現在、多くの人が眼鏡や入れ歯をしている程度に、弱ったり、欠けた部分を補うハード・ソフトの市場は大きいはずだ。また、一人暮らしの高齢者や病人を見守ったり、いざという時の助けをしてくれるハード・ソフトももっと開発されてしかるべきだ。

先日も、母が転んだ時に起き上がらせる・床からベットに持ち上げる機器は無いかと調べたところ、そうした機器は、老人ホームなどの施設向けで、家庭には大きくて重すぎたり、想定がベットから車椅子に乗り移らせるというもので、床に転がって丸太ん棒のようになっている人を救い上げるという想定ではなかった。おそらく、在宅での介護に必要な小型で多様なシーンを想定した道具や機器は、あまり開発されていないのだろう。

介護保険制度で1割負担でリースするため、機器メーカーもそうした高額なものの開発にしか力を入れていないように見受けられる。

北海道での例の知的クラスター創成事業で唯一実用化に近かった北大から東大先端研に行った伊福部先生が開発した人工咽頭などがそうだ。

福祉工学で検索したら、生活支援工学系学会(ライフサポート学会、日本生活支援工学会)、日本リハビリテーション工学協会、日本福祉用具・生活支援用具協会、計測自動制御学会、日本ロボット学会、日本人間工学会、電子情報通信学会などが一緒にシンポジウムをやったりしているらしい。このほかにも、日本福祉工学会、健康福祉工学会などが出てくる。

日本では、充電したバッテリーを提供するサービスのような仕組みを作るのは下手でも、上記のようなハード・ソフトを開発するのは得意なのではないか。

ホンダをはじめ、多くの企業がロボットへの関心を高めているのも、ロボット開発には、さまざまな要素技術が必要で、こうした「誰でも要介護者という社会」に向けて市場への展開を考えているからだろう。ここに、多様なロボット・メーカーの紹介が掲載されている。愛知地球博ではロボットが目玉の一つだったが、不況の折、早く実用化させて欲しいものだ。

| | Comments (0)

June 15, 2009

清成先生の講演(イノベーションによる地域再生)

5月30日に開催された「地域活性化学会」のセミナーで清成先生が基調講演を行った。「イノベーション・新産業創出・地域再生-産学官連携の新段階」というタイトルだった。

1.先生は、産学官連携と言いながら、三鷹市では、民学官連携と言っているとか、非営利セクターなどの社会連携かもしれないというような注釈を付け加えていた。先生は、感度が良いから、単なる産学官ではだめで、社会連携かもしれないと思っているのかもしれないが、具体的なものは持ち合わせていないようだ。

2.しかし、基調は、石油文明による産業化が行き詰まり、イノベーションによって新産業を興すべきで、創業などにより地域再生を図るということだった。ポーターの論は大雑把過ぎると言いながら、21世紀型の手法として、産学官連携とクラスターを挙げている。

イノベーションの類型として、①既存産業技術活用型イノベーション、②科学技術駆動型イノベーション、③ニーズ先行型イノベーションの3つをあげている。

①については、日本各地の試み事例(長野「スーパーモジュール供給拠点」、諏訪「デスクトップファクトリー」、盛岡「アイカムス・ラボ(超小型歯車)、諏訪「工業メッセ」)を列記している。自動車などの要素技術や高度モジュール化など。

②については、ライフサイエンス(抗癌、再生医療など)をあげ、産学官連携拠点の形成として、ドイツやアメリカの例をあげ、また、日本のクラスター政策(経産省、文科省)を挙げている。

③については、福祉や環境分野でのビジネスモデル開発が必要としている。

そして、ドイツバイエルン州のクラスター政策を紹介し、「クラスター運営組織が強力」であるとしている。また、人財形成の重要性を述べ、①ヴィジョナリー・リーダー(構想力)、②多様なリーダーと専門家、③イノベーション人財、④連携組織運営人財(マネジメントとガバナンス)を挙げている。

ここもさすがに、感度が良いが、具体的には分かっていないようだ。

つまり、日本には、欧米とほぼ同じ仕組みは政策的には出来上がっているのだ。しかし、それが実効性を持ちえていないのは、何故か、ここを見極める必要がある。そして、何故、そうなのか、それを変革するには何が必要なのかを理解しなければ、いつまでたっても産学官連携は絵に描いた餅のままだ。

3.むすびとして、挙げているうち、良いと思ったのは、①多くの地域が挑戦する産業は画一的、②企業家の不足としている。

企業家も、地域ビジョンを描ける構想力を持つ人も、ビジョンを具体化する筋肉マンも、プロジェクトのガバナンスをしっかりやれる人やマネジメントを担う人も居ないのだ。

なお、岩手大学工学部を中心とした産学連携は上手く言っている事例としていろいろと紹介されている。先の盛岡のアイカムス・ラボもそうだ。素直に取りたいところだが、北海道の例を知っているだけに、眉をこすりながらみてしまう・・。

| | Comments (0)

June 14, 2009

ユヌスの手法を日本に適用してみる

ユヌスのソーシャルビジネスの考え方(利潤極大化ではなく社会問題を解決するのを目的とするが、ビジネスとしては黒字にし、更なる社会問題解決に投資する)は良いと思うので、この手法で日本が抱える課題を解決することを考えてみよう。

ソーシャル分野に適しているのは、医療・福祉・教育などの社会分野で、これまでは政府がやってきた分野だが、ユヌスは、政府と競争することを厭わないという。その例として、必要な橋をユヌスの会社が作り、金持ちからは通行税を取り、貧乏人は只というやり方で投資資金は回収できると言っていた。

政府と競争することを厭わないというのは賛成だ。民間が新しいビジネスモデルを打ち出し、そちらの方が国民に喜ばれるなら面白い。

ところで、ユヌスのソーシャルビジネスは、いろいろ新しいソフトを開発している。

たとえば、マイクロクレジットは、無担保・低利で貧乏な人に貸し出すのだが、5人の連帯保証人が必要。5人も名前を連ねてくれる人がいるということは、その借り手は、逃げ得をする人ではないということ。また、どのようなビジネスをするのかを聞き、アドバイスをしたりもするようだ。

日本の消費者金融も、強いニーズがある市場を開拓した。たぶん、個人はそう踏み倒さないとか、貸し出しノウハウがあるはずだ。もっとも、一時期は、怖いお兄さんが目玉売れとか、保険金をかけて殺すなどもあったけれど。

強いニーズがあるのに、ソフトがないと提供できないサービスを、ソフトを開発することによって可能にするのは、ソーシャルビジネスという前に、ニュービジネスである。

また、白内障を手術する病院チェーンも展開し、金持ちからは代金を得るが、貧乏人は只であるという(前述の橋もそう)。この線引きは、どのようにしているのだろうか。結果として金持ちは、倍?の料金を支払っているのだが、「人を助ける喜び」で怒らないのだろうか。

日本では、医療の支払いで、高齢者は1割負担、働く年代は3割負担である。高齢者は、年金暮らしで貧乏、働く年代は給料を得ているので金持ちという区分けは、余りにも大雑把だ。高齢者にも、金持ちもいれば、貧乏人もいるし、働く年代は子育てや家のローンなどで苦しいし、働く年代であっても派遣等で貧乏な人もいる。

医療保険や介護保険などの制度は、基本的に元気で所得のある人が弱った人を支援する(同じ人が元気人と病人とになることもある)仕組みで、ユヌスのは、それを制度ではなく直接の支払いで行う。

おそらく、バングラディッシュならではの、区分けのソフトがあるのだろう。

++++++++++++

では、日本でユヌス方式で課題を解決するとしたら、どんなことが考えられるのだろうか。

ユヌスがやっているソーシャルビジネスは、すごいなぁと思うのだが、日本には、そのままでは当てはまらない。

1.マイクロクレジット→生活基盤を作りたいのにお金が借りられない人に小額を貸し出す

日本では、NPOバンクもあるし、杉並区のように市民の寄付によるNPO基金などもある。帯広信用金庫のように創業支援に積極的な金融機関もある。また、日本政策金融公庫による女性・高齢者の創業支援などもある。

問題は創業しようと思う人や創業のアイデアがないことかもしれない。

2.ヨーグルト事業→子供の栄養失調を無くすため栄養価を考えたヨーグルトを生産、工場での雇用・販売員の仕事も創出

日本には栄養失調問題は基本的にない。しかし、貧困問題はある。身寄りのない高齢者、派遣切り、正社員になれないなど。グローバル資本主義下で、地域の地場産業は崩壊し、誘致した工場は移転し、中小小売店は衰退し、地域には雇用機会が減少している。

(1)姥捨て山

群馬県の無届老人ホームは、現代版姥捨て山で、強いニーズはあるのだが、ビジネスモデルが難しい。ニーズはあるが、望ましいサービスに見合う支払い能力がない。このケースの場合、生活保護費をホーム側が受け取ることでサービス提供がなされてきたが、サービスの質は低い。

日本では、介護保険制度はあるが、基本は、家族が担っている。しかし、家族が担いきれない(介護費用が出せない、サービスを受ける以外の時間負担がムリ(職を失うことも)、特養はすぐに入れない、家族がいない)ケースをどうするかは考えられていない。

無認可老人ホームの経営者は、ある意味、行政がやれない部分を担うソーシャルビジネスの担い手ともいえる。群馬県の田舎に雇用も生み出していたはずだ。これを姥捨て山ではなく、素晴らしいビジネスにするには、どんなソフトが必要なのだろう。

介護や福祉は、制度に加え、人の善意で補うしかないのだろうか。宅老所のそもそもは、地域の「おせっかいさん」による善意で始まっている。介護保険制度に組み込まれ、デイサービス部分の介護保険制度から助成を得られるようになり、経営的に少し息がつけたという。

この分野で新しいビジネスモデルを開発すれば、ソーシャルビジネスになるかもしれない。

(2)地域経済活性化

地域経済を活性化させるにあたって、これまでは、道路工事などの公共投資が中心であったが、これも縮小方向にある。これに代わる地域経済を活性化させるビジョンがない。

中心市街地活性化、観光、農業、環境、グリーンツーリズム、産学連携などなど、政府からいろいろ打ち出されているが、いずれもパッとしない。田舎は、猫も杓子もグリーンツーリズムをやったり、地域ブランドをつくったりしている。

これらも、行政が音頭を取り事業を作り出し、地域が申請して補助金が出る仕組みになっている。相変わらず、国がお金を配分している。だから、同じような事業になる。

そういう目でみると、北海道で、風力発電を一般の人たちから資金を集めて発電機を設置した動きは、先進的と言える。

「外貨」を獲得することを考えるなら、国内市場だけでなく、海外市場を念頭に置けば、国内では飽和状態の商品やサービスを海外で展開することは可能かもしれない。もちろん、海外できちんと対価が取れる必要があり、そこには知恵が求められる。

あるいは、観光も、海外からの観光客を継続的に呼び込める仕掛けをつくる必要がある。

地域は、経済を活性化したいと言いながら、海外市場への展開や海外からの観光客誘致におそらく知恵も絞っていないし、汗もかいていないだろう。

(3)道路建設

大阪の橋下知事が道路建設など国の直轄事業に地方公共団体が一定割合を負担する「国直轄事業負担金」に反対を表明する一方で、凍結されている新名神高速道路の見直しを求めている。要らないものは要らないが、必要なものは必要といっている。

これを国に申請するのではなく、ユヌスのように、建設したい京都府や滋賀県と協力して地方公共団体と民間で建設するビジネスモデルは可能だろうか。逆に、国に対して一定割合を負担させる。こちらのパーキングエリアは、とても魅力的で皆がこちらを利用するとか、温泉を設けて、そちらからの収入も得るとか、周辺に工場を誘致して、そちらの地価上昇分で賄うとか?

| | Comments (0)

ユヌスの新資本主義を考える

NHKBSで、6月4日にマイクロクレジットを始めたインドのムハマド・ユヌスのインタビューがあった。

ユヌスは、「新資本主義」を提唱している。その切り札がソーシャルビジネスで、彼が言うところのソーシャルビジネスというのは、利潤極大化が目的ではなく、社会問題を解決するのが目的であるという。出資は返済するが、利益は、株主に還元するのではなく、さらなる社会問題解決に再投資する。

慈善事業ではなく、ソーシャルビジネスにすることで、持続性や雇用が生まれる。

この考え方は、納得です。

ユヌスは、資本主義経済の半分は利潤極大化を目指すが、残り半分はソーシャルビジネスのような新資本主義であると言います。利潤極大化を目指す資本主義に欠けていたのが「他人に尽くすのが幸せ」という概念とのこと。

ユヌスは、たとえば、バングラディッシュの栄養失調を解決するために、ダノンと合弁でヨーグルト会社を作り、栄養素を整えたヨーグルトを生産、ヨーグルトレディに地域で販売させています。

子供たちの栄養失調を解決できると同時に、ヨーグルト工場での雇用や、販売レディの収入にもつながっています。ダノンは、出資金は戻してもらうが、そこから利益を得るのではなく、CSRとして栄養失調解決につくしていることで評価される仕組みです。

既存の企業の技術力を活用して、貧しい国の問題を解決するので、ある意味容易に解決することが可能となります。つまり、一方で、利潤極大化を目指し、技術やノウハウを持った企業が居て、そこがCSRを必要としていることが前提です。

この方法で、ワーゲンとも提携するといっています。おそらく、いろいろな分野でこうしたビジネスを実現させる可能性があるでしょう。

++++++++++

ところで、アダムスミスを齧りました。

アダムスミスは、近代社会は利己的な社会であるけれども、利己的に振舞っても(自分の儲けを第一に考えても)、「正義さえ守られれば(徳性があれば)」、それが全体の利益につながる(公益:国全体を豊かにする)。だから見えざる手で大丈夫、徳性を守らせるために法律(国家)があるというようなことを言っています。そして、徳性は、「同感の原理」から生まれ、同感の原理というのは、少しも利己的でない感情のことで、人倫関係の結合原理だと言います。

グローバル資本主義の担い手は、徳性がなかった、あるいは徳性を守らせるための法律(この場合、グローバル国家が必要となる)が出来ていなかったと考えればよいのでしょうか。

++++

グローバル資本主義(株主の利益を最大に)に侵される前の日本企業は、利潤極大化というよりも、国を豊かにするという公益的な目的で動いていたように思います。松下幸之助は、松下の利益極大化を目指すというより、日本国民の生活を豊かにすることを目指していたのではないでしょうか。

しかし、グローバル資本主義が既に一般化してしまったなかで(鎖国できないなかで)、日本企業のみ「徳性」ある企業になっては、競争に打ち勝てなくなりますから、日本企業も利潤極大化を目指し、冷徹に経営せざるをえないでしょう。

そのうえで、グローバル資本主義に徳性を守らせるグローバルな枠組みを用意するのが一つの方法(?)。

もう一つの方法として、ユヌスは、「ソーシャルビジネスの株式市場」のようなものをつくると言っていました。もし、これが出来れば、利潤極大化による評価軸とは別の社会問題解決にどれだけ尽くしたかという評価軸ができるので、徳性ある企業(公益につくす企業)が資金調達しやすくなるでしょう。

+++++++++++

ところで、トヨタがハイブリッド車を開発・市場に投入し、三菱自動車が社運をかけて電気自動車をいち早く市場に投入するのは、利己的だが、地球環境改善に役立つという意味で全体の利益に適っている。

これは、健全な競争のメリットだ。

とすると、問題は、実業と「虚業」の差だろうか。ここで虚業とは、評論家やタレントといった意味ではなく、投機マネーのこと。しかし、投機マネーも、それなりに実需を反映している(石油が枯渇するなど)が・・。

| | Comments (10)

June 04, 2009

グローバル化による地域経済のリスクをヘッジする

グローバル資本主義の下で地域経済はどうしたらよいのだろうと考え、ネット検索をしたら、東北大学の赤松隆教授が2004年に土木計画学研究発表会で報告したパワーポイントを見つけた。

「グローバル化の進展とローカル経済リスク-空間経済におけるグローバルとローカル」というタイトルで、最初にグローバル化とグローバル市場経済システムについての説明がある。

・グローバル化:ヒト・モノ・カネ・情報の世界的な流動化現象⇒世界規模での地域間の相互結合/依存性が強化される

・グローバル市場経済システム:グローバルにリンクした市場が形成され、生産要素(特に、資本と労働)が市場原理に基づき、障壁なしに流動する経済システム

そして、グローバル資本主義の経済学的問題点を挙げている。

・不安定性:たとえば、通貨危機、産業構造の急変⇒雇用(失業者増加)問題、貨幣価値(信用)の崩壊リスク、社会・文化的価値体系の破壊リスク

・不平等性・極端性:富の偏在、過度の空間的集積と過疎(空間経済学における「Core-Periphery」理論)

こうした下で、個人や地域が負うリスクについて空間経済学的に整理している。

・国家:グローバル基軸通貨の貨幣価値崩壊リスク/ハイパーインフレリスク

・地域・都市:グローバル地域間競争に伴う地域の産業特化戦略と産業構造変化によるリスク

・都市・企業:グローバル市場の市況変動にともなう企業の適応行動(立地・撤退など)によるリスク

・不動産市場:グローバル金融市場の発展に伴い、過度に流動化した資本移動に起因するミニ・バブル(アメリカの不動産市場、通信市場など)

そして、「immobile」な個人は、国や地域や産業などが受けるブローバル経済リスク(個々人の自己責任だけではヘッジ不可能なリスク)を直接被弾するとしている。

地域の産業特化戦略について、最近の空間経済学理論の教えでは、小都市は、地域特化/産業特化戦略ととるべき(とらざるをえない)と述べている。

古典的な地域経済学の処方箋としては、複数の産業を誘致するなど、ポートフォリオによるリスク分散が言われたが、グローバル化した(生産要素の自由な移動がある)なかでは、特化せざるをえない。しかし、これはまた、グローバル経済のリスクにさらされることになる。

以上の様な認識のうえで、赤松先生は、「グローバル経済リスクから地域システムを守るための社会的スキーム(仕組み)を開発できないか」と考えた。先生は、上記のいろいろなリスクにそれぞれ対応して、いくつかのヘッジシステムを提案しているのだが、パワーポイントでは、項目だけ並べられているので、良く分からない。

・・・・・・・・・・・

そこで、先生のHPを探し出し、2つの論文を見つけた。これは、上記のリスクのうち、グローバル企業の参入・撤退に伴う地域経済リスクについて取り扱っており、一つは、基礎的研究、二つは、地域経済リスクをマネジメントするために、金融オプションを活用したヘッジ戦略について分析している。

ゲーム理論や数式が使われており、詳しくは理解できないのだが、要は、グローバル企業を誘致することで地域経済が利益の増加を期待するものの、為替変動などにより、企業はさっさと適地を求めて撤退する可能性がある。そうしたリスクを最小限にするにはどうしたらよいかということらしい。

論文では地主となっているのを自治体に置き換えれば、自治体がとるべき最適とし政策のヒントになるという。

・企業に撤退オプションを与える場合:グローバルリスク要因の変動率が大きい場合:地方都市は、企業と参入契約を結ぶ場合に、地代(あるいは事業税)を上げておくことによってリスクをヘッジする必要がある。

・グローバル企業が立地する前に、地方都市は、なんらかの撤退規制(たとえば、立地開始時点に決められた一定の期間企業は撤退できない、あるいは撤退する場合には企業が違約金を払うといった契約)を実施すべきである。これにより、地方自治体は、撤退リスクをヘッジするために必要であった地代を下げることができ、地方都市のみならず、立地する企業側にもメリットが生じる。

・この論文では、地主が企業の撤退行動に伴うリスクをヘッジするために利用可能な戦略変数は、地代のみであったが、グローバルリスク要因と相関の高い証券を自由に取引できるなら、地主は、より効率的なリスクヘッジ戦略を構築でき、都市厚生を工場させることができる。⇒これについてはもう一つの論文。

・・・・・・・・・・・・・・

漠然と理解できるが、具体的にどんな金融商品を購入すればヘッジできるのか私には分からない。しかし、こうしたグローバル資本主義の下で、地域経済がどのようにリスクをヘッジすべきかを考えることが重要であることは賛成できる

また、企業の撤退によるリスクだけでなく、上記でいう不動産市場のように、「過度に流動化した資本移動に起因するミニ・バブル(ミニではないかも)によるリスクについての「immobile」な地域経済のリスクをどうヘッジするかも教えて欲しいところだ。

先生の講演資料の最後のページには、土木計画学・地域科学の課題?として次のようなことが書かれている。

・国土・地域計画の目標:貧困(物質の欠如)の解消からリスク(安心の欠如)の解消へ

・21世紀の土木計画学・地域科学の重要課題:空間的・時間的に偏在する様々なリスク(従来から土木分野で扱われてきた災害リスクに止まらず、地域経済リスク、文化・コミュニティ崩壊リスクなどを含む)を緩和・解消する社会的・地域的仕組み(物理的インフラでないソフトな広義のインフラ)を考案、分析、設計していくことではないか

これは、とても良い着眼点だ。

赤松先生は、土木計画学がご専門で、これを真正面から扱っておられないようなのが残念だ。また、数式やゲーム理論などで攻めているので、私にはちんぷんかんぷんだ。証明や政策づくりは、こうした先生にお任せするとして、上記の着眼点で地域イノベーションを考えていきたい。

| | Comments (2)

« May 2009 | Main | February 2010 »