« 日本の産学官連携が上手くいかない要因1 | Main | 新資本主義再々考 »

June 17, 2009

新資本主義再考

前の記事にユヌスの新資本主義について書きました。

その折、アダムスミスが言う、企業は利己的に行動しても、徳性が守られる(法律などがある)市民社会では、全体の利益につながる(公益になる)ということを紹介しました。そして、日本の昔の企業(近江商人の三方よし:売り手よし、買い手よし、世間よし)なら良かったのではないか、グローバル資本主義に徳性がなさすぎた、あるいは徳性を守らせる法律がなかったのが悪かったのではないかと書いた。

ユヌスやゲイツの唱える新資本主義は、これとは違うらしい。

資本主義の半分は利潤極大化を目指す社会で、もう半分がソーシャルビジネス(社会問題解決を目的とした「企業」)からなる資本主義の社会で、前者で儲けた企業がCSRとして後者に投資したり、前者で開発した技術を後者に提供するというもの。

これからの企業は、株価アップを目指すとともに、一方で、CSRでどれだけ社会問題解決に貢献したかをも目指す。両方の評価軸で評価される。

他方、ソーシャルビジネスを担う「企業」は、事業を黒字化し、出資先の企業に返還はするが、利益は社会問題解決の目的のために再投資する。

ソーシャルビジネスを担う「企業」は、優れた問題提起と新しいビジネスモデルを考え、利潤極大化を目指している企業に提案し、出資やノウハウ提供したくなるように仕向ける。

今日、企業のCSRが注目されつつあるが、企業を評価する2つの軸が定着した場合、日本企業も積極的にCSRに向わざるをえなくなるだろう。近年のCMでも、1ℓ→10ℓ(アフリカに真水を提供)とか、砂漠地帯に緑を植えているなどが目だってきている。

その場合、優れた問題提起と新しいビジネスモデルが提供されている世界の貧困問題に取り組む(仕事、病気、教育など)のが簡単だろう。

一方で、日本国内にもさまざまな課題があるのだが、国内の問題解決のためのソーシャルビジネスが生まれないと、企業のCSRが向いてこない。

日本は、全体としてなんとかなっているので、「ゆで蛙」状態で課題への認識が薄い。救急医療の問題も、派遣切りの問題も、高齢者の問題も、ごく一部の可哀相な人のことだと思っている。また、何かあると政府や自治体は何をやっているんだと文句の矛先を行政に委ねている。自分たちの足元が崩れていても、それに気づき、ソーシャルビジネスにしようという試みが少ない。

そういう私も、日本が本当は危機的な状態にあることを整理して人に訴えられるまでになっていない。なんとなく閉塞感があることの本質をまだ整理しきれていない。

|

« 日本の産学官連携が上手くいかない要因1 | Main | 新資本主義再々考 »

Comments

The comments to this entry are closed.