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February 26, 2010

コミュニティとはその2

現在、「コミュニティ」という言葉も「市民」という言葉もなんとなくしっくりこない。

言葉が見当たらないというのは、そういう実態が無いということなのだろう。

ついでだが、独身女性を現す言葉もない。若いうちは、お嬢さんと呼ばれる。歳を取ると、おばさん、おばあさんだが、面と向っては悪いと思うと、「奥さん」となる。店の呼び込みの人やガスの修理に来た人は、私が結婚していないとなんとなく分かっても、「奥さん」としか言いようが無い。外国ではどうなんだろう。

もっとも、独身男性を現す言葉もない。若いうちは、お兄さん、歳を取るとおじさん、おじいさん、面と向っては、「旦那さん」、繁華街では「社長!」かな。

つまり、いろいろな暮らし方、生き方が一般化していないと言葉が生まれない。

さて、まず、コミュニティについては、リンクした事典にあるように、(1)英語の日常的概念、(2)学術後としての概念、(3)日本が受容した概念があり、そのなかでもいろいろな使い方がある。

今日的な日本の課題として取り上げられているコミュニティとは、「経済成長が都市の生活環境や人間関係の荒廃を招いたとする認識の広まった1970年(昭和45)ごろ、その克服策として官民の指導的部門が一斉にコミュニティの創設を提唱してから一躍脚光を浴びることとなった。説かれている内容は、小学校区程度の近隣の範囲ごとに、内部の住民の間に樹立されるべき市民的連帯性、つまり自主性や個性の確立を伴った連帯性と必要関連施設の整備」と言えるだろう。

つまり、コミュニティとは、(ばらばらである)「地域住民」の間に、「市民的連帯性」、つまり「自主性」や「個性の確立」を伴った「連帯性」がある状況をイメージしている。

次に、市民(citizen)とは、「近代社会を構成する自立的個人で、政治参加の主体となる者」である。事典によれば、「ヨーロッパ古典古代の都市国家と中世都市との諸特権を享受する者、および近代国家における主権に参与する者。しかし近代以前において市民を成立させるような都市たるためには、都市が自分自身の裁判所をもち、かつ少なくとも部分的に自分自身の法をもち、少なくとも部分的な自律性をもった性格をもち、市民自身がなんらかの仕方でその任命に参与するような官庁による行政をもっていることが必要であった。

つまり、市民とは、もともとは、「自律的(立法・行政・司法を持つ)な都市」を運営するにあたって、「政治参加」の主体となる者を指している。フランス革命で「人権宣言」がなされ、法の前での平等な市民という原則がうたわれたが、税金を支払っている人が能動市民であり、そうではない人たちは受動市民として選挙権を奪われていたという。

今日私達が「コミュニティ」や「市民」に違和感を覚えているのは、

1.都市(コミュニティの範囲)が自律していないこと
2.地域住民ではあり、税金も支払い、参政権もあるものの、意識して政治に参加していないこと
3.地域住民間に連帯感がないこと

である。

また、上記のコミュニティの定義で、学術的な定義として紹介されているものにあたる「(1)一定地域内の人々であり、(2)彼らの生活はこの地域内で完結し、(3)その関心や利害が共通するところから一体感が抱かれ、生活様式にも一致した特徴が認められ、(4)以上の属性が自然発生的に生成し相互に関連しあって一つの社会的実体を構成する」というのは、日本のかつての村落共同体などをイメージできる。

こうした過去の「共同体(コミュニティ)」にみられる「関心や利害が共通するところから一体感が抱かれ、生活様式にも一致した特徴が認められる」というようなより密度の高い一体感といったようなものも現在の「地域住民」には見られない。

4.地域住民といっても、関心や利害が共通し、一体感があるというわけではないこと

これらは変えることができるだろうか。

1.都市の自律という点では、現在、制度的に地方分権の方向にある。
2.地域住民は、基本的には税金を支払い、制度的には参政権はあるので、意識的に政治に参加するようにすればよい
3.地域住民に連帯感が生まれるためには、4の関心や利害が共通することが必要である
4.それによって自ずと一体感が醸成される。

運動会や祭りは一体感を醸成するための道具だが、これから始めても、関心や利害が共通していなければ、一時的なイベントで終わってしまい、それが人々の精神にまで思い出や誇りとして影響を及ぼし、住民の遺伝子にまではならないだろう(アイデンティティ)。

では、どうしたら、地域住民が地域の政治に意識的に参加し、関心や利害が共通するようになるのだろうか。

幸いというか、ちょうど、カイシャ共同体が崩壊し、家族という形態が多様化(お一人様の増加など)するなかで、人々が生きていく上でのセーフティネットとして地域に頼らざるをえなくなっている。地域にとっては、今がチャンスなのだ。

なお、地域と同時にチャンスなのは、宗教である。創価学会などの宗教団体は、地域に強いネットワークを持っており、頼りがいのある「近くの他人」としての機能を果たしてきた。

セーフティネットとして、一つは、地方自治体(地方分権がより進む)であり、もう一つは、遠くの親戚より近くの他人というリアルな時間圏の意味が増しつつある。

医療、介護、教育、安全などは、制度的にはもともと地方自治体の機能であり、これまでは、全国一律として国が決めたことの実行部隊でしかなかったが、これが分権化されつつある。

私達は、これまで税金を納めているにも係わらず、国や地方自治体が決めてサービスを提供してくれることに任せっきりにしてきた傾向が強い。これをもっと、金も出すのだから、口も出し、必要であれば手も出してより暮らしやすい地域になるように意識改革すれば良い。地域住民のニーズが具体的に明らかになれば(もっと政治参加に積極的になれば)、地方分権も進めざるを得なくなる。

もう一つは、高齢化、お一人様化するなかで、それを埋める手として「助け合い」せざるをえないことだ。この一番のネックは他人に助けられたくない(身内でも迷惑をかけたくない)という心理が働いていることだ。助ける仕組みを作ることと同時に、助けられたくないという心理的バリアーを破ることが必要だ

こうした暮らしやすい地域を作っていくにあたっては、実は、「財政」が問題となる。現在議論されている国から地方への税源移譲も含め、地域の産業(お金を生み出す仕組み・税金を払ってもらえる仕組み)を振興せざるをえない

こうして、暮らしやすい地域を作るために、政治にも参加して口を出し、助け合いをして身体を使い、さらに地域の産業を振興させないとこれらが回らないということを地域住民が理解すれば、そこから自然の連帯感、一体感が生まれるはずである。

昔、「タバコは自分の町で買いましょう!」というコピーがたばこやに貼られていたと記憶するが、地域住民の消費行動が自分たちの地域を良くすることにつながるということをもっと認識させるなど、税金の支払いとそれによって得られるサービスを目に見えるようにする必要もある。

医療についても同じである。地元の病院・診療所にかかることは、地元の病院を守ることになる。他地域の病院で普段高額医療を受け(医療費を支払って)、夜中の緊急診療のみ地元に依存するというのでは、地元の病院はたまらない。こうしたことが理解されれば、住民は、地元の病院を守るために、自分たちが何をして、何をしてはならないかを理解するはずだ。

地域住民の意識を変え、地域政治に積極的に参加してもらうにあたっては、あなたが何をしたら、どうなるかを自分のこととして考えられるような情報提供をすることが必要である。

1.地域住民に対し、暮らしやすい地域とはどういうもので、それをどういう段取りで叶えていくのかを示す必要がある(地域住民が一緒に考える)
2.たとえば、こういうサービスを提供するには、財政がこうでなければならず、それには、消費税を上げるでもよいし、産業振興が必要であることでもよいし。それには何をしなければならないか(たとえば、地元で購入することがどういうメリットがあるか)を分かりやすく示すこと。
3.あなたの10年後はこうで、その暮らしを支えるには、何が必要で、それにはあたなは何をしなければならないかを分かりやすく理解させること。

今の姿から問題点を解決するのではなく、将来の望ましい姿から、やらなければならないことを「具体的に」示すこと。

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February 22, 2010

コミュニティとは

今期の政策創造研究科の学生に「先生、(誰もがコミュニティが大事というようなことを言うが)コミュニティって何ですか」と言われ、「コミュニティは(今の日本には)無いのよ」と言ってしまった。

広井さんは一応の定義として「コミュニティ=人間がそれに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」としている。

その上で、次の3つの点は区別すべきとしている。

①「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」
②「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」
③「空間コミュニティ(地域コミュニティ)」と「時間コミュニティ(テーマコミュニティ)」

都市化・産業化が進む前には、①の2つはほとんど一致していたが、高度成長期に「生産」がカイシャコミュニティとなって大きな位置を占めるようになり、また国をあげての経済成長という目標が「ニッポンというコミュニティ」の基礎的感覚として働いた。

②は、人と人との関係性のあり方を象徴的に示したもので、「農村型」は、”共同体に一体化する個人”という関係のあり方を指し、それぞれの個人がある種の情緒的つながりの感覚をベースに一定の「同質性」を前提として、凝集度の強い形で結びつくような関係。

これに対し、「都市型」は、”独立した個人と個人のつながり”ともいうべき関係のあり方を指し、個人の独立性が強く、またそのつながりのあり方は共通の規範やルールに基づくもので、言語による部分の比重が大きく、個人間の一定の異質性を前提とするものとしている。

高度成長期の「カイシャ」は「農村型」で”閉じた集団”。日本社会は、自分の属するコミュニティ(集団)の「ソト」の人との交流が少ない。「カイシャ」の機能が縮小するなかで、人々は社会的に孤立し、これが自殺率増大の背景となっている。

このため、広井さんは、日本社会における根本的な課題は、「個人と個人がつながる」ような「都市型のコミュニティ」ないし関係性をいかにつくっていけるかという点に集約されるとしている。

その前提には、「ウチとソト」を区別する関係性は、固定的なものではなく、自然環境や生産構造、社会構造等の変化のなかでそれに適応しつつ進化してきたものであり、「日本人の」とか「日本社会の」と形容するものではなく、彼の言う「定常社会(経済が成熟して従来のようなパイの拡大という状況がなくなった)」では、新しい環境に適応して進化するはずであるということがある。今は関係性の組み換えの課題に直面し、さまざまな矛盾のプロセスにあると捉えている。

以上を読むと、広井さんは、「農村型」から「都市型」へと移行すべきであると読める。

もっとも、広井さんは、コミュニティは重層的(関係の二重性)であり、内部的関係性(原型としての母親)と外部的関係性(原型としての父親)を持つ中間的な集団であるとし、前者が農村型、後者が都市型というような分析もしている。そして、両者は補完的でどちらも重要であるとしている。

第二章のコミュニティの中心では、コミュニティの中心として、伝統社会では「神社・お寺」、市場化・産業化の時代には「学校、商店街、劇場や盛り場など」と整理し、ポスト産業化時代では「福祉・医療関連施設、自然関係、大学など、神社・お寺などのスピリチュアリティ」を挙げている。

そして、コミュニティにとって外部との接点(外部に開かれた窓)が上記の「中心」であるとしている。

第三章のローカルからの出発では、「ローカル-ナショナル-グローバル」という空間的な座標軸と「公(政府:再配分)-共(コミュニティ:互酬性)-私(市場:交換)」という3つの原理をめぐる構造との関わりを歴史的な変化に注目して整理している。

そして、本来は、共(コミュニティ、ローカル)、公(政府、ナショナル)、私(市場、グローバル)という構図であるはずだが、19世紀以降の産業化のうねりの中で生じたのは、共も私もナショナルに収斂された。これは、工業化(鉄道・道路・工場)による空間の単位がローカルより広がったが、物の移動はグローバルにまで広がらなかったから。その後、情報化、金融化が進み、ナショナルを超えて市場が広がった。

広井さんは、今後は、各レベルにおける「公-共-私」の分立とバランス、ローカルレベルからの出発が重要であるとしている。ポスト産業化(定常化)の時代には、「時間の消費」と呼びうるコミュニティや自然に関する現在充足的(コンサマトリー)な志向をもった人々の欲求が新に大きく展開し、前述のコミュニティの中心で挙げたローカルなコミュニティに基盤を置くもの(福祉、環境、医療、文化、スピリチュアリティなど)が重視されるようになるからという

その前提として、生産や消費構造において基軸をなしてきたコンセプトは、「物質」→「エネルギー」→「情報」→「時間」という形で変遷してきたという認識があるようだ。この時間消費というのが私には今ひとつピンと来ないのだが、「コンサマトリー」というのが今日流行らしい。要は、明日のために現在を手段として努力するのではなく、現在を楽しむということらしい。

第四章都市計画と福祉国家では、(土地所有の問題など大変興味深い内容なのだが、これはちょっと置いておく)、「公-共-私」について、伝統的社会では、「共」が基本であったが、産業化の時代には、政府の「公」と市場の「私」が拡大し、成熟化の時代には、「新しいコミュニティ」とでも呼ぶような新たな「共」が展開していくとしている。この担い手は、政府だけでなく、NPOや企業も担い手となる。新たなコミュニティ<共>は、伝統的な共同体「共」に対し、あくまで自立的な個人をベースとする自発的かつ開かれた性格の共同体であるという点において異なる性格を持つとしている。

さらに、日本の場合には、こうした新たなコミュニティが重要であるものの、政府による「公」の役割が脆弱であり、この限りにおいて「公的部門の強化」(社会保障などの政府のさまざまな再分配政策や公的規制、土地所有などが含まれる)が重要であるとしている。ここは、土地所有のあり方が福祉に大きな影響をもたらすと考えるところから生まれた広井さん独自の見解でとても面白いところだ。

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さて、広井さんは、上記緑文字にしたところにあるように、コミュニティは二重構造(都市型も農村型も重要)であるとは言いながら、やはり、これからの姿として、新しいコミュニティ<共>を描いているようだ。これは、分類では「都市型」にあたる。

広井さんなりの現状認識と歴史認識からポスト産業化・定常化時代のコミュニティの姿としてこうした方向性を示しており、たぶんこうした方向が強まることは確かだろうなぁとは私も思うのだが、「見解」「べき論」ではない、「必然」というかそうならざるをえないメカニズムのようなものが読み取れない。

広井さんが言う「都市型」は、情緒的ではなく、ルールに賛同した個人がメンバーになるとのことで非常に理性的なものをイメージしてしまう。

私は、コミュニティは、理性でそのコミュニティを選択するというよりも、メンバーにとって生きていく上で、無くてはならないものなのではないかと思う。つまり、メンバーになるのはちょっと嫌でも、生きていく上でメンバーにならざるをえないものでなければ成立しないと思う。

農業をやっていた時の村落共同体も、濃い人間関係がわずらわしくて嫌だった面もあるのだが、生きていく上で必要なものであり、一方、憎さと同時にそれがメンバーにとってアイデンティティでもあった。サラリーマンをやっていた時のカイシャ共同体も、人間関係がわずらわしくて嫌な面もあったが、生活するうえで必要なものであり、一方で誇りにもなっていたのだと思う。

クールに理性でコミュニティは成立しないと思うのだ。

カイシャ共同体が崩壊し、フラグメント化した個人が次にどのようなコミュニティに属するようになるかを考えるにあたっては、(ア)セーフティネットと(イ)アイデンティティを確立できる場所がキーではないかと考えている。

セーフティネットでは、第一義的には、地方自治体(行政及び空間としての)ということになる。つまり、福祉、教育、医療、安全など生活に必須なサービスを提供しているのが地方自治体だからだ。そして、地方自治体は、私達の税金で運営されているのだ。

これまで、サラリーマンにとって、住んでいる地域は寝るだけで、愛着もなければ役に立つとも意識していなかったのだが、実はこれまでも、非常に必要なサービスの提供者であった。また、地方公共団体という行政機関は、私達住民が主役であり、主役のためにサービスを提供する「公僕」であったはずなのだが、なんとなく、市長や市役所は偉くて、「お上」のように思われ、また彼らもそう振舞ってきた。

しかし、カイシャ共同体が無くなってみれば、個々人にとって生きる上での寄る辺は、地方自治体しかないのである。まず、何より、寄る辺が地方自治体なのだということを認識する必要がある。

地方自治体と住民の関係は、考えてみれば広井さん言うところの都市型コミュニティの関係である。引越しをして、住居を構え住民票を作成した段階で、税金を支払うという義務の代わりに公共サービスを受けるという契約が成立するのであるから、つまり一定のルールによる関係である。

契約した住民が地方自治体(行政と空間と)に一体感を持てないのは、前述のようにこれまでは、専ら寝るところとしか意識していず、徴収される税金と得られる公共サービスとを意識のうえでリンクして考えず、税金は取られて嫌だなぁ程度にしか考えなかったからだ。

それには、住民の意識の問題に加え、地方分権が進んでこなかったために、自分たちの支払った税金が自分たちの生活にどのように密着しているのか認識しずらかったことや、自分たちの意見を反映させる仕組みが見えにくかったからである。選挙に投票するにしても、投票結果が自分たちの生活にどのように反映されるのか見えにくかった。

現在、地方分権から地方自立・主権へと言われており、財政の自立と自分たちの地域のことを自分たちで決める(行政・議会)ことが言われているが、まずは制度的にそうなることが必要であろう。

次に、問題となるのが、地方政府のようなものが可能になるとしても、現在はそれを道州制で行うなど、大きな空間が考えられていることだ。

生きるための寄る辺として、たとえば、健康保険や介護保険など、一定程度の規模が必要なものもある一方、日々の暮らしとして感じられる生活空間は、もっと小さなものだ。

テーマによっては、民生委員の担当範囲であったり、小学校区であったり、住宅の自治会であったり、日常品の買い物圏であったりするだろう。

平成の大合併の折に、市町村のなかに「地域自治区」が認められ、地区ごとに住民が長期計画を策定するなどの動きも見られる。

こうした地区が生きたもの、住民に実感できるものにならなければ、「真の」コミュニティにはならないだろう。

地区は、広井さん言うように、あるルールに賛同してメンバーになるという意味では「都市型」だが、地区が生きたものになるには、顔が見えたり、一体感が醸成されるようないわば「農村型」に近いのではないだろうか。

行政のなかに位置づけられる「地区」の場合(長期計画を立てたり、意見を行政に反映させるなど)、より公的な性格(いわば都市型)になるだろうが、行き届いた介護や保育など顔の見える関係が重視される場合、より人的な影響の大きいもの(いわば農村型)になるのではないか。「介護や保育」という言葉だと、非常に公的・理性的に聞こえるが、助けたり・助けられたり、一方で面倒でわずらわしくもある関係だ。

テーマによりコミュニティの空間的範囲が異なったり、人間関係のあり方が異なるものの、何れも、損得勘定(そこに属することが有利)がベースになっている。

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コミュニティを問い直す

広井良典『コミュニティを問い直す-つながり・都市・日本社会の未来』ちくま新書800、2009年を読んだ。

若い学者らしく、現在の日本が抱える問題を大局的に考察した好著である。

私も、地域イノベーションを考えながら、疑問に思っていたり、考えても途中で分からなくなっていたことを、さすがに、きちんと調べて彼なりの答えを出している。

現実からスタートすると、そうは言っても現状を打破するのはムリだろうと諦めて引き返したいたテーマについても、大所高所からあるべき論をちゃんと展開している。

今期の授業で、バックワードマッピングというのを取り入れたのだけれど、教えていながら、私の身についていなかったことが分かる。

バックワードマッピングというのは、「望ましい姿」を描き、そこにたどり着くまでにやらなければならないことを書き出していく手法である。

現状から未来を予測するのは、天気予報と同じフォワードマッピングという。戦後の私達は、高度経済成長など、今の現状から、将来を(楽観的に)見通しする癖がついている。

そうではなく、「望ましい姿」にするために、何が問題で、それをどう解決しなければならないかを考えなければならない。

小さい話をすると、私が住んでいる西東京市の旧田無地区を住みやすい町にしようと考えただけで、私の頭は止まってしまう。

1.せっかくの歴史ある青梅街道沿いの商店街が衰退している。

もともとは青梅街道沿いの宿場町で栄えたのだが、青梅街道が現状では狭すぎて、車が通ると歩くのが怖く、商店街を楽しく買物する気分になれない。

駅が昔より少し移動し、駅前再開発が行われ、もともとの駅前の商店が入っているアスタビルと西友が入っているビルがメインになり、商店街自体衰退してしまっている。商店街の店主の多くも、もう商売はやる気がなく、貸しビルにしたり、マンションにしようと考えている。

一方で、石川島播磨や三共などの工場跡地に、マンションとスーパーが出来て、分散した町になっている。

2.道路が狭く、交通量が多いので、車椅子や乳母車などで安心して移動しずらい。

青梅街道も狭いがそれ以外の道路の多くも農道のようなもので入り組んでおり、狭い上に交通量が多い。

歩道がないところが多いが、あっても切れ切れだし、狭いので、車椅子や乳母車などえ安心して移動しずらい。

95歳の母が喜ぶ車椅子での散歩も大変な緊張のなかでやっている。杖をついたり、買物カートに頼りながら歩く人も多い。それでも、駅にエレベーターが付いたこともあり、昔より車椅子などで出かける人が増えているように思う。そうなると、車椅子同志が狭くてでこぼこしている歩道ですれ違うのは、難しいだろうという問題も出てくるだろう。

3.緑が失われている。

もともとは、武蔵野の農村地帯(畑が主流)であり、防風林など農家所有の林が沢山あったのだが、農家の世代が代ると相続税の問題で土地が売られ、宅地開発され、どんどん緑が減っている。

(東大農場が守られたようだが、実は、この農場の森は、実験用なのでさまざまな植物が植えられており、本来のこの土地の植生とは違うのではないかと思う。)

小金井公園や水道道路(サイクリングロード)が維持されていたり、市営の公園がないわけではないが郊外の林を守ることと相続税の問題をどう考えたらよいのだろうか分からない。

車を気にせず、ゆっくりと散歩ができる。緑が多い、落ち着いた街並み。昔は町のそこかしこから富士山が見えたのに、今は、なかなか見えなくなってしまったが、町の視線として富士山を見えるようにする。アスタビル内だけでなく、活気ある回遊できる商店街の復活はできないものだろうか。

おそらく、市の都市計画でも、せいぜい道路を拡張するなどを時間をかけてやることぐらいで、現状の手直しぐらいしかやれそうにない。

社会主義でもないのだから、個々の人がやっと手に入れた土地や家を都市計画にそって撤去するわけにもいかないだろうし、青梅街道を交通規制して回遊できる商店街にするのも、当事者がその気がなさそうだし・・・などと考えて、思考を止めていた。

ところが広井さんは、都市計画と福祉政策を一体的に考えるなど、あるべき姿から論じている。単なる希望やべき論ではなく、諸外国や歴史を俯瞰し、説得性のある説明をしている。広井さんが述べていること全てに納得したわけではなく、個別にはもっと考えなければならない問題もあるが、ともかく、論じる「視点」のようなものを得られた。

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