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February 22, 2010

コミュニティとは

今期の政策創造研究科の学生に「先生、(誰もがコミュニティが大事というようなことを言うが)コミュニティって何ですか」と言われ、「コミュニティは(今の日本には)無いのよ」と言ってしまった。

広井さんは一応の定義として「コミュニティ=人間がそれに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」としている。

その上で、次の3つの点は区別すべきとしている。

①「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」
②「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」
③「空間コミュニティ(地域コミュニティ)」と「時間コミュニティ(テーマコミュニティ)」

都市化・産業化が進む前には、①の2つはほとんど一致していたが、高度成長期に「生産」がカイシャコミュニティとなって大きな位置を占めるようになり、また国をあげての経済成長という目標が「ニッポンというコミュニティ」の基礎的感覚として働いた。

②は、人と人との関係性のあり方を象徴的に示したもので、「農村型」は、”共同体に一体化する個人”という関係のあり方を指し、それぞれの個人がある種の情緒的つながりの感覚をベースに一定の「同質性」を前提として、凝集度の強い形で結びつくような関係。

これに対し、「都市型」は、”独立した個人と個人のつながり”ともいうべき関係のあり方を指し、個人の独立性が強く、またそのつながりのあり方は共通の規範やルールに基づくもので、言語による部分の比重が大きく、個人間の一定の異質性を前提とするものとしている。

高度成長期の「カイシャ」は「農村型」で”閉じた集団”。日本社会は、自分の属するコミュニティ(集団)の「ソト」の人との交流が少ない。「カイシャ」の機能が縮小するなかで、人々は社会的に孤立し、これが自殺率増大の背景となっている。

このため、広井さんは、日本社会における根本的な課題は、「個人と個人がつながる」ような「都市型のコミュニティ」ないし関係性をいかにつくっていけるかという点に集約されるとしている。

その前提には、「ウチとソト」を区別する関係性は、固定的なものではなく、自然環境や生産構造、社会構造等の変化のなかでそれに適応しつつ進化してきたものであり、「日本人の」とか「日本社会の」と形容するものではなく、彼の言う「定常社会(経済が成熟して従来のようなパイの拡大という状況がなくなった)」では、新しい環境に適応して進化するはずであるということがある。今は関係性の組み換えの課題に直面し、さまざまな矛盾のプロセスにあると捉えている。

以上を読むと、広井さんは、「農村型」から「都市型」へと移行すべきであると読める。

もっとも、広井さんは、コミュニティは重層的(関係の二重性)であり、内部的関係性(原型としての母親)と外部的関係性(原型としての父親)を持つ中間的な集団であるとし、前者が農村型、後者が都市型というような分析もしている。そして、両者は補完的でどちらも重要であるとしている。

第二章のコミュニティの中心では、コミュニティの中心として、伝統社会では「神社・お寺」、市場化・産業化の時代には「学校、商店街、劇場や盛り場など」と整理し、ポスト産業化時代では「福祉・医療関連施設、自然関係、大学など、神社・お寺などのスピリチュアリティ」を挙げている。

そして、コミュニティにとって外部との接点(外部に開かれた窓)が上記の「中心」であるとしている。

第三章のローカルからの出発では、「ローカル-ナショナル-グローバル」という空間的な座標軸と「公(政府:再配分)-共(コミュニティ:互酬性)-私(市場:交換)」という3つの原理をめぐる構造との関わりを歴史的な変化に注目して整理している。

そして、本来は、共(コミュニティ、ローカル)、公(政府、ナショナル)、私(市場、グローバル)という構図であるはずだが、19世紀以降の産業化のうねりの中で生じたのは、共も私もナショナルに収斂された。これは、工業化(鉄道・道路・工場)による空間の単位がローカルより広がったが、物の移動はグローバルにまで広がらなかったから。その後、情報化、金融化が進み、ナショナルを超えて市場が広がった。

広井さんは、今後は、各レベルにおける「公-共-私」の分立とバランス、ローカルレベルからの出発が重要であるとしている。ポスト産業化(定常化)の時代には、「時間の消費」と呼びうるコミュニティや自然に関する現在充足的(コンサマトリー)な志向をもった人々の欲求が新に大きく展開し、前述のコミュニティの中心で挙げたローカルなコミュニティに基盤を置くもの(福祉、環境、医療、文化、スピリチュアリティなど)が重視されるようになるからという

その前提として、生産や消費構造において基軸をなしてきたコンセプトは、「物質」→「エネルギー」→「情報」→「時間」という形で変遷してきたという認識があるようだ。この時間消費というのが私には今ひとつピンと来ないのだが、「コンサマトリー」というのが今日流行らしい。要は、明日のために現在を手段として努力するのではなく、現在を楽しむということらしい。

第四章都市計画と福祉国家では、(土地所有の問題など大変興味深い内容なのだが、これはちょっと置いておく)、「公-共-私」について、伝統的社会では、「共」が基本であったが、産業化の時代には、政府の「公」と市場の「私」が拡大し、成熟化の時代には、「新しいコミュニティ」とでも呼ぶような新たな「共」が展開していくとしている。この担い手は、政府だけでなく、NPOや企業も担い手となる。新たなコミュニティ<共>は、伝統的な共同体「共」に対し、あくまで自立的な個人をベースとする自発的かつ開かれた性格の共同体であるという点において異なる性格を持つとしている。

さらに、日本の場合には、こうした新たなコミュニティが重要であるものの、政府による「公」の役割が脆弱であり、この限りにおいて「公的部門の強化」(社会保障などの政府のさまざまな再分配政策や公的規制、土地所有などが含まれる)が重要であるとしている。ここは、土地所有のあり方が福祉に大きな影響をもたらすと考えるところから生まれた広井さん独自の見解でとても面白いところだ。

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さて、広井さんは、上記緑文字にしたところにあるように、コミュニティは二重構造(都市型も農村型も重要)であるとは言いながら、やはり、これからの姿として、新しいコミュニティ<共>を描いているようだ。これは、分類では「都市型」にあたる。

広井さんなりの現状認識と歴史認識からポスト産業化・定常化時代のコミュニティの姿としてこうした方向性を示しており、たぶんこうした方向が強まることは確かだろうなぁとは私も思うのだが、「見解」「べき論」ではない、「必然」というかそうならざるをえないメカニズムのようなものが読み取れない。

広井さんが言う「都市型」は、情緒的ではなく、ルールに賛同した個人がメンバーになるとのことで非常に理性的なものをイメージしてしまう。

私は、コミュニティは、理性でそのコミュニティを選択するというよりも、メンバーにとって生きていく上で、無くてはならないものなのではないかと思う。つまり、メンバーになるのはちょっと嫌でも、生きていく上でメンバーにならざるをえないものでなければ成立しないと思う。

農業をやっていた時の村落共同体も、濃い人間関係がわずらわしくて嫌だった面もあるのだが、生きていく上で必要なものであり、一方、憎さと同時にそれがメンバーにとってアイデンティティでもあった。サラリーマンをやっていた時のカイシャ共同体も、人間関係がわずらわしくて嫌な面もあったが、生活するうえで必要なものであり、一方で誇りにもなっていたのだと思う。

クールに理性でコミュニティは成立しないと思うのだ。

カイシャ共同体が崩壊し、フラグメント化した個人が次にどのようなコミュニティに属するようになるかを考えるにあたっては、(ア)セーフティネットと(イ)アイデンティティを確立できる場所がキーではないかと考えている。

セーフティネットでは、第一義的には、地方自治体(行政及び空間としての)ということになる。つまり、福祉、教育、医療、安全など生活に必須なサービスを提供しているのが地方自治体だからだ。そして、地方自治体は、私達の税金で運営されているのだ。

これまで、サラリーマンにとって、住んでいる地域は寝るだけで、愛着もなければ役に立つとも意識していなかったのだが、実はこれまでも、非常に必要なサービスの提供者であった。また、地方公共団体という行政機関は、私達住民が主役であり、主役のためにサービスを提供する「公僕」であったはずなのだが、なんとなく、市長や市役所は偉くて、「お上」のように思われ、また彼らもそう振舞ってきた。

しかし、カイシャ共同体が無くなってみれば、個々人にとって生きる上での寄る辺は、地方自治体しかないのである。まず、何より、寄る辺が地方自治体なのだということを認識する必要がある。

地方自治体と住民の関係は、考えてみれば広井さん言うところの都市型コミュニティの関係である。引越しをして、住居を構え住民票を作成した段階で、税金を支払うという義務の代わりに公共サービスを受けるという契約が成立するのであるから、つまり一定のルールによる関係である。

契約した住民が地方自治体(行政と空間と)に一体感を持てないのは、前述のようにこれまでは、専ら寝るところとしか意識していず、徴収される税金と得られる公共サービスとを意識のうえでリンクして考えず、税金は取られて嫌だなぁ程度にしか考えなかったからだ。

それには、住民の意識の問題に加え、地方分権が進んでこなかったために、自分たちの支払った税金が自分たちの生活にどのように密着しているのか認識しずらかったことや、自分たちの意見を反映させる仕組みが見えにくかったからである。選挙に投票するにしても、投票結果が自分たちの生活にどのように反映されるのか見えにくかった。

現在、地方分権から地方自立・主権へと言われており、財政の自立と自分たちの地域のことを自分たちで決める(行政・議会)ことが言われているが、まずは制度的にそうなることが必要であろう。

次に、問題となるのが、地方政府のようなものが可能になるとしても、現在はそれを道州制で行うなど、大きな空間が考えられていることだ。

生きるための寄る辺として、たとえば、健康保険や介護保険など、一定程度の規模が必要なものもある一方、日々の暮らしとして感じられる生活空間は、もっと小さなものだ。

テーマによっては、民生委員の担当範囲であったり、小学校区であったり、住宅の自治会であったり、日常品の買い物圏であったりするだろう。

平成の大合併の折に、市町村のなかに「地域自治区」が認められ、地区ごとに住民が長期計画を策定するなどの動きも見られる。

こうした地区が生きたもの、住民に実感できるものにならなければ、「真の」コミュニティにはならないだろう。

地区は、広井さん言うように、あるルールに賛同してメンバーになるという意味では「都市型」だが、地区が生きたものになるには、顔が見えたり、一体感が醸成されるようないわば「農村型」に近いのではないだろうか。

行政のなかに位置づけられる「地区」の場合(長期計画を立てたり、意見を行政に反映させるなど)、より公的な性格(いわば都市型)になるだろうが、行き届いた介護や保育など顔の見える関係が重視される場合、より人的な影響の大きいもの(いわば農村型)になるのではないか。「介護や保育」という言葉だと、非常に公的・理性的に聞こえるが、助けたり・助けられたり、一方で面倒でわずらわしくもある関係だ。

テーマによりコミュニティの空間的範囲が異なったり、人間関係のあり方が異なるものの、何れも、損得勘定(そこに属することが有利)がベースになっている。

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