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May 28, 2010

中国人企業が2割を超えるイタリア繊維産地

法政大『地域イノベーション』vol1には、松本敦則「イタリアの産地における中国系企業の台頭-プラートの繊維産地を事例として」が掲載されている。

1.中国人と中国系企業の増大

これによると、イタリアの毛織物産地として有名なプラート(県)では、イタリア人企業が減少する一方、中国人企業が増えているという。

プラートの繊維関連企業8000社のうち2000社を超える企業が中国系のものと言われている。

プラートの人口は24.5万人のうち、約10%を外国人が占め、その4割ほどが中国人とのこと。

ちなみに、私の住む西東京市の人口19万人、外国人は3300人で1.7%、毛織物産地の一宮市の人口39万人、外国人は一番多かった時が5500人で1.5%である。工場などが少ないのに、予想外に西東京市の比率が高いのに驚いた。

中国人は、戦後から60年代にかけてイタリアの流入してきた。最初はローマやミラノなどの大都市で中国料理・食材店や雑貨屋をはじめ、そこから広まっていった。プラートへは、1990年前後から少しづつ流入してきた。1990年には38人だったのだが、なかでも、2000年代に入ってから急増し、不法滞在も含めると3万人くらい居るのではないかという。

急増の要因は、2002年の中国のWTO加盟、2005年に中国がEUと結んでいた繊維協定の撤廃があげられる。その結果、これまである程度規制されていた中国からの繊維商品が大量にイタリアに流入し、また生産委託や業務提携なども始まり、それにあわせて貿易商や労働者も流入してきた。もともと、プラートには、繊維工場の安い労働力や下請けとして働く多くの中国人居住していたが、これらを契機に、商売拡大の機会を求めて流入してきた。

プラート進出は、中国人にとって、最先端の流行情報を得られる。中国本土を生産拠点としている企業にとってプラートを経由させることはある種のお墨付きを与えられる。

2.中国系企業の特徴

プラートにおける中国系企業の経営者や従業員には、浙江省温州市出身者が多い。経営者のパターンには、次のようなものがある。

(1)繊維産業の労働者としてプラートに入り、その後資金を貯めてイタリア系企業の労働者から独立する。

(2)イタリア系企業を買収して合法的に経営者となる。

(3)中国本土から直接投資を行い、そして貿易商として入り、その後経営者となっていく。

プラートは、これまで生地産地であったが、中国系企業は主に衣服の分野を中心にしている。プラート全体に占める衣服の比率は1995年には12%だったが、07年には40%となっている。

製造形態としては、リードタイムを短くして製品をつくるという生産手法を採用している(イタリア系企業が3から6ヶ月かかるところ、その時々の流行にあわせてすばやくつくる。

中国系企業の取扱品目は、以前は男性服がメインであったが、最近では女性服も同じような比率でつくっている。

流通ルートは、これまでのイタリア系のものを利用せず、中国系企業独自のルートを持っている。イタリア系企業との交流がほとんどない。

半製品等も中国本土からダイレクトに輸入するなど独自のネットワークのみで活動している。

品質では、イタリア系企業は、中から高級品で専門化されているが、中国系企業は、低から中級品である。

繊維産業のみならず、それを支える会計事務所や貿易商、コンサルタント業、不動産業、食料品店、インターネットカフェなど、仕事や生活に係わる産業も増えており、欧州最大の中国人街を形成している。

3.プラス面

(1)地域経済の活性化:中国系企業が居なければ、プラートの企業数減少が続いただろう。イタリア系企業の経営者が年金生活者になる年齢、後継者が居ない。

(2)中国系企業の商品が中国や欧州などに輸出され、貿易収支に貢献する。

(3)中国系企業によるプラートへの直接投資やプラートから中国本土への直接投資が行われている。

(4)労働コストを下げるため、他産地では東欧諸国やアジアに移転せざるをえないが、プラートは安価な労働力を確保できる。

(5)プラートのイタリア系経営者が引退した繊維工場を中国人企業に賃貸し、収入を得ている(これは工場だけでなくアパートなども)。イタリア人の貴重な収入源となっている。

(6)中国系企業が若いイタリア人デザイナーを雇用している。イタリアのデザイナーの競争は激しく、イタリア系企業で成功するのは難しい。そこで中国系企業に雇われてデザインを発表する機会を得られるのは若手にとってありがたい、中国系企業にとっても安くデザイナーを採用できる。

4.マイナス面

(1)不法滞在

(2)脱税

(3)労働法を守っていない

(4)模造品問題

(5)タグの張替え:中国産の生地を輸入してプラートで加工縫製してメイド・イン・イタリーで販売する、中国本土で作った服をプラートでタグを張り替える。

(6)人民元価値の不公平

(7)環境問題(排水処理をしない)

5.イタリアの産地の定義のゆくえ

イタリア産地の定義としてジャコモ・ベカッティーニは「地理的、歴史的な境界において、そこに属する企業や住民間におけるある種の文化的、宗教的、社会的価値の共有の中で成り立つ地域」としている。

しかし、現在、中国人や中国系企業とイタリア人やイタリア系企業との間に文化的、宗教的、社会的価値の共有がなされていない。筆者は、これでは「産地」といえないのではないかと疑問を投げかける。

筆者の疑問に対し、ガービ・デイ・オッターティは、前向きに捉えている。プラートの行政が適切な政策を実行することにより、中国系企業は、プラートの更なる発展に貢献できるとしている。その条件として、

(1)中国系企業はより高級な市場に絞った製品を生産し、プラートの繊維産業と結合しながら、プラートのイメージを国際的により高級はファッションの発信地へともって行こうとすること。

(2)中国人経営者は、地元のみならず、中国本土にも社会的、経済的なつながりを持っているため、プラートが今後アジア新興国と通称関係や清算の部分的分業システムを構築していくうえで重要な役割を果たす可能性がある。

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この報告は実に面白い。

日本の産地にも、労働者として外国人が沢山働いているけれども、資本蓄積して、経営者になっている例は極めて稀なのではないか。せいぜい、中国人向けとかブラジル人向け飲食店・食材店をやっているくらいだろう。その産地の本業に近いところで、これほど創業が行われているとは。

日本でも、レナウンが中国資本の買収されるなど話題になっているが、地域活性化を考えるなら、中国企業など外国企業の進出歓迎もありだ。

もちろん、イタリアのように、結局は、中国本土で織物や衣服の加工が行われ、生産基地としての役割のかなりの部分は失われるかもしれないが、グローバルな人脈や展開が得意な中国企業やインド企業と組む事により、特色ある織物やデザイナーがグローバル展開できる可能性もある。

日本の場合、こうした外国企業も東京など大都市に進出するのがこれまでだが、桐生や一宮に、うじゃうじゃと外国企業で林立したら面白い。これらの産地経営者が明治維新以降、輸出を伸ばすのだと新しい機械や染料を導入したり、あいつがやるなら俺もなどと盛り上がった時代が再現するのではないか。

日本の産地には、どうしてこういう意欲のある外国系企業が進出したり、生まれないのだろうか。

中国人やインド人の行動力と抜け目の無さで、日本の産地を見れば、面白い展開をいろいろと考えだせそうなのに。日本は規制が厳しいからなのだろうか、人々が閉鎖的だからなのだろうか。

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May 24, 2010

住民自治の最初の一歩

住民自治の最初の一歩は、漠然と感じている不安や不満の解消が地域の問題として取り組むべき問題であることを分からせることなのではないか

具体的に何か問題を抱えていて、それを地域の問題として解決しようと思っていることがあれば分かりやすい。

藤沢町の例で言えば、(安全のため、利便性のため)道路を整備して欲しい、防犯のため防犯灯を付けて欲しい。

このように具体的な問題が明確な場合は簡単だが、そうではない場合、地域の課題であると落とし込むのは実は難しい。

藤沢町の例で言えば、「働き手が町から離れて高齢化が進み、不安である」という漠然とした不安から、高齢になっても住み慣れた地域で笑顔で暮らすにはどうしたら良いか、それには、まず第一に健康であること、それには、予防が大切であること、いざという時に直ぐにかかれる病院があること、しかし普段は介護や支援を得ながら元気に自宅で暮らすこと、それでも暮らせなくなったら、安心して入居できる老人ホームがあること、高齢者や高齢者単独世帯が増えて、家族だけでは見きれないので、その分を地域で支えることができる仕組みをつくろうというビジョンを描く。

そのビジョンを描くために、町の中心に病院を建設する、予防医療や在宅介護を含めた地域医療を実現してくれる医者を探してつれてくること、その近くにリハビリや老人ホームを併設して建設すること・・・それには、税金を投入するが、住民の側も、予防や健康維持に努めるのを義務であると認識する、医者と保健婦や介護サービスが連携するといった具体的な実施計画を作り、実行する。結果、医療費は低く抑えられ、病院は黒字で、高齢者は安心して地域で暮らせる、ここに投入された税金については町民の理解を得られる。

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今日も中学時代の先生にお目にかかると、少し離れた地域にいる一人暮らしの義姉の介護をしており、やっとケアハウスに入れたが、病気になったので居られなくなり、その後は介護をしていて、大変だったが昨日亡くなられたとのこと。先生も70代後半で老々介護、一人暮らしの義姉が他にも2人居るとのこと、ご主人も高齢だし、男性はなかなか役に立たない。

母の知人も一人暮らしの姉が隣の市に居るのを面倒みている。私も仕事を辞めたし、友人は、仕事をしながら長野まで介護に通っていた。別の友人は、東京の仕事を辞めて、四国の実家の方で仕事を得て、親の介護をしている。

つまり、介護保険はあるし、ある程度の支援は得られるものの、結局は、家族、といっても距離的に、あるいは血縁的に「遠い親戚など」が自分の暮らしを犠牲にして面倒を見なければならない。そして、おそらく、中学の先生も、母の知人も、私も、まもなく誰かに迷惑をかけることになるのだろう。

うんと金持ちなら、フルで介護するサービスを購入することはできるだろうが、一般の人の場合は、家族といっても遠い家族が介護に振り回されることになる。介護する方にとっては、「予想」していなかった事態が降りかかってくるわけだし、介護される方も、まさか、こんな人にまで迷惑をかけるとはおそらく思っていなかったに違いない。そんなことを思えば、安心して生きていられない。「人生をどう全うするか」という大切なことが介護するほうもされる方も振りまわされて落ち着かない。

若いうちは、コンビニさえあれば、親も要らないと思っている。元気なうちは、わずらわしい親戚関係や親子関係や近所づきあいはしたくないと思っている。それならそれで、人生の最後も、猫や象みたいに、そっと森に入ってこっそり死ねればよいのだが。

どういう風に生きて、どういう風に死んでいくのだろう。

藤沢町では、地域で心を開きあい、そこで家族や地域が提供する必要なサービスを得つつ、死んでいくのだろうか。にっちもさっちも行かなくなったら、死ぬまでは、町の中心にある老人ホームに入ると皆思っているので、安心なのだろうか。・・・ここは、これから資料を読むのだが。

西東京市は、確か人口20万人くらいだ。藤沢町を例にするなら、1万人規模の20のエリアに分けて、そこに一つずつ老人ホームがあり、町を行き交う人が顔見知りで、挨拶しあい、何かあったら、助け合ってくれ、一人で暮らせなくなったら、老人ホームに必ず入れるという感じだろうか。子供が生まれて育てるのに、近所の子育ての先輩が病気になったら面倒みてくれたり、預かってくれたりするのだろうか。

私が住んでいた地域は、長屋で、元々は中島飛行機の社宅だったから、生活水準も同じぐらいで、全部あけっぴろげだった。お風呂も借り合っていたし、子供をお姉さん達が面倒みたし、夫婦喧嘩も皆が知っていた。建替えて、塀ができて、縁側がなくなり、入り口にピンポンがついてから、生活を見せないようになった。

現在は、6ヶ所くらいの包括支援センターで介護サービスを提供するようになっているが、ここに勤務している人は、勤め人であり、地域の人の顔などを知っているわけではない。現在の介護保険制度は、ある限られたサービスしか提供していない。それも、制度によるサービスなので、公平や公正をきす必要があるため、ある意味、ソソとした付き合いだ。

う~ん、地域で安心して暮らし、死んでいけるためには、どういうビジョンを描けば良いのだろうか。

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May 21, 2010

住民自治が当たり前になるためには-達成感、自負-選び直す

法政大学『地域イノベーション』vol1に所収されている論文を紹介してきた。藤沢町の歴史も踏まえ、少し考えてみよう。

1.危機感を強く感じる

藤沢町で住民自治が行われるようになった背景には、大いなる「危機感」があった。地元では食べて生けないので、働き手が都会に出てしまう、結果高齢化が進み、未来に希望が持てない、国がわるい町が悪いという不満ばかり。これは、上勝町も一緒だ。

そういうなかで、でも、「ここで暮らさなければならない」のなら、他人(国など)に頼っていても始まらない、「自分たちでやれることからやっていかなければ誰も助けてはくれない」。

藤沢町という田舎の小さな町で1970年代に感じられた将来に希望が持てない、なんとなく不満、国が悪い・・という状況は、2010年現在の日本全体の空気である。つまり、日本全体が本来大いなる危機感を感じなければならない。

感じていないのは、鈍感としか言いようがない。戦後驚異的な復興を成し遂げた日本のおごりというか、ゆで蛙状態である。驚異的な復興と経済発展をしたのは、置かれた環境の御蔭であり(東西冷戦や軍備を逃れた:これは政治的判断)、環境が激変するなかで、日本のおかれた状況を認識すれば、大変な危機であろう。

まずは、危機であることを深く認識させる必要がある。

2.地域を良くする意味を自分のこととして理解する

その上で、しかし、日本から逃げないのなら、日本を自分たちで良くしていくしかない。そして、個々人の生活にとって「地域」が逃げ場のない終の棲家であることを再認識する必要がある。ここでは、日本から逃げられないことは、ちょっと置いておいて、なぜ、地域から逃げられないかを考えなければならない。

藤沢町の場合、主要産業が農業であるということもあり、地域から離れなれない(先がないので離れようかと考えている人も少なくなかったが)。

今日における私たち、特に都市部に住んでいる人たちにとって、地域は、選択し、移り住むことが可能である。しかし、現実には、会社の転勤族を除けば、そう簡単には移り住まない。そして、移り住んだとしても、それはどこかの「地域」なのである。そういう意味で、私たちは、どこかしらの「地域」に属している。

生活するにあたって必要なことの多くは、その地域の自治体を通してサービスが提供されている。教育、医療、福祉、ゴミ・環境、防犯・防災などなど。結果、地域をよくすることは、暮らしやすくなり、住みやすくなる。どうせ住んでいるなら、住みやすいほうが良いに決まっている。

3.自分が感じている不満は何で、それは誰が何をすれば解決可能なのかを認識する

多くの人はなんとなく不安で不満である。それは、夫の給料が低いからなのか、自分が自己実現できないからなのか、親を介護しなければならないからなのか、道路が狭いからなのか、子供がうるさいからなのか・・・。

こうしたことは、全て個人的なことなので、夫が悪い、姑が悪い、子供が悪いで終わることが多い。しかし、それを良く考えると、たとえば、自分が自己実現できないのは、保育園が不足していて子供を預けらず、働きに出られないからかもしれない。あるいは、親の介護で自由時間が取れないからなのかもしれない。

こうしたことは、保育園の充実や預かり時間の延長や介護サービスの充実などで解決できることかもしれない。そうした問題を国が解決するのか、町が解決するのか、そうではなく、住民自らが解決するのか、それとも、新にそうしたサービスを提供する企業が誕生することで可能になるのか。一つ一つを落とし込んで考え、誰がどう解決したら皆に笑顔が戻るのかを考えていく必要がある。

藤沢町では、道路を整備して欲しいというニーズがあった(何のために必要だったのか要チェック)。それにあたって、町が道路をつくるが、土地の提供を地権者と折衝するのは地域住民の役割となった。

若い人の職場を確保するために、工場誘致をしようということになり、土地は住民が提供し、町は、誘致に奔走した。

農業でやっていけるようにするために、大規模化が求められ、それを実現するために、国有林などの開拓やそこに水を引くためのダム建設を行った。これらは、町がやったが、大規模化のための仕組みづくりについては住民が協力した(正確には要チェック)。

住民の不安や不満を聞き出し(アンケート、地区ビジョンづくり)、それを具体的に落とし込み、何をしたらそれが解消するか、誰が何をやるかを議論しながら明確化する。

4.3をやるのは、大変な作業で、これをやる過程で、行政マンも住民も勉強せざるをえないし、情報公開・提供もされることになるし、住民が集まる場所づくりも必要になるし、住民の要望を具体的な計画とし、それがどこまで出来たかなどのPDCAもなされることになる(住民意識が高まれば、当然結果を報告し、その評価もせざるをえない)。

前記事に市民参加型街づくりの促進策としてあげられていることは、3をやるにあたっては、自ずとこれらをやらなければならなくなる。つまり、促進策なのではなく、住民自治をやろうとすれば、自ずとこうなる事柄ではないか。

やはり、一番の問題は、漠然と感じている不安や不満の解消が地域の問題として取り組むべき問題であることを分からせることなのではないか

もう一つは、藤沢町の場合、皆で議論して、課題解決方法を探り、住民がやれることをやった結果、地域がよくなったとの実感があれば、自分たちでやれるという達成感や自負が生まれ、これが郷土愛につながることだ。ただし、地区の皆で何かをやることに喜びや連帯感や達成感を感じるようになるには、やったことが成果となるという一巡が必要であるし、田舎ではない都会の場合、他に楽しいことが沢山あるなかで、地区の皆で自治をやることが楽しいと思えるようになるのかどうかが難しいかもしれない。

藤沢町のような田舎で農業の町であっても、このまち自体も昭和の合併で出来た町であるし、昔の村落共同体ではなく、新に、藤沢で暮らすという選択をしたということである。村落共同体の頃は、村の名主などが中心になってまとめあげていたり、大家族であったり、おそらく農協などもなかったはず。新に、農業で暮らしていくための新しい仕組みづくりを模索し(大規模化など)、医療・介護・健康を一体化させた仕組みをつくって、地域で元気に老いて死んでいける安心感を生み出している。この新に地域を選び直すというスタンスが重要である

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市民参加の現状

前の前の記事紹介の続き。まちづくり新聞社元編集長村上一成氏の記事より。

1.(財)地域活性化センター2003による全国自治体への調査結果では、人口3万人以上規模の自治体のそのほとんどで、住民参加を施策けっげいに導入していることが報告されている。

この調査の前提は広義な概念であり、「住民参加」の定義は、行政が住民の意向を把握することを目的としてアンケート調査や地域懇談会、WSなどを活用して住民に直接意見を聞く仕組みとされている。

2.NTTデータシステム科学研究所2003の調査結果では、各種基本計画の策定に住民が参加して白紙の段階から計画の素案づくりを行うなど、行政運営のさまざまなプロセスに住民が参加する行政と住民の「協働事例」の有無について調査をしている。

この調査結果では、人口1万人以上規模の自治体では50%が協働活動の事例有りと回答、人口10万人以上の規模に限れば80%以上が有りと回答している。

その具体的な内容としては、①課題の発見、②政策の立案、③政策・事業の実行、④政策・事業の評価など、各段階での参加が含まれていることが報告されている。

協働の具体的な情報や全国商工会議所がまとめている調査結果を俯瞰してみても、さまざまな領域に活動が広がってきており、特に、都市計画や環境に関連した領域での活動が活発になっていることがわかる。最近では、地域の総合計画の策定に市民の参画も進んできている。

レポートでは、さまざまな事例が紹介されている。

3.市民参加による街づくりの課題

全国的な調査により共通的な課題を明確化したものとして、野澤千恵2007『参加型街づくりの現状と課題に関する調査報告』東大先端科学技術研究センターによると、以下が指摘されている。

(1)自治体側の課題:①時間がかかる、②庁内連携の困難性(縦割り行政)、③行政の学習(力量)不足、意識の低さ、④行政の情報公開・提供・普及形も言う活動の不足、⑤市民参加や市民活動を支援する制度の不足など

(2)市民側の課題:①市民の街づくり参加意識の低さ、街づくりの基礎知識の不足、②市民組織間の連携・ネットワーク不足、③コーディネーターとなる人材、基盤の脆弱性、④年齢層やまちづくり関連団体への参加の偏り

4.市民参加モデル(進化の段階)からの考察

(1)社会学者のアーンスタインによる8段梯子モデル

非参加の段階:①操作、②治療

形式的参画の段階:③情報提供、④相談、⑤宥和

市民権力の段階:⑥パートナーシップ、⑦権限移譲、⑧市民による管理

(2)原科の5段階モデル

①情報提供→②意見聴取→③形だけの応答→④意味ある応答→⑤パートナーシップ

日本は、アーンスタインモデルでいえば、形式的参画の段階であり、先進的事例においては、市民権力の段階の⑥にも進みつつある状況であろう。住民も、原科の④や⑤を求め始めている。

○住民側も、参加とは、単に個別要求を出すことではなく、出した要求が自治体の政策となり、実現されるためには、財政や法律上のどのような制約があるのかを知り、個別要求を取捨選択し、全体を見渡しながら政策としてまとめるという政策的ノウハウを学習しなければならない。(筆者は、ここで個人では限界があるので、NPOの活動に期待している)

○印で書かれたところは、まさに藤沢町で、要望に順位をつけ、さらに住民が汗をかくことと、行政が汗やお金を出すことを決めていったところにあたる。藤沢町の場合、これをやるコーディネーター的役割は、各地区に振り分けられた役場職員であり、彼らも猛勉強を迫られた

5.市民参加街づくりの促進策

PDCAを導入するなどして、継続可能な仕組みにすることが必要。ヒヤリング調査報告を整理すると、次のような促進策があげられる。

①市民参加の場・仕組みの選択システムの安定化・明確化

②早期の段階からの市民関与の場づくり

③参加の場における透明で公正な協議・調整・意思決定プロセスの構築・明確化

④市民の提案権を受け止める制度の整備等、市民への権限委譲の促進

⑤市民が必要な情報公開と市民に必要な情報提供の促進

⑥多様な実践の場をより多く創出

⑦まちづくり・市民活動の総合相談・支援窓口の一元化と支援制度の充実

⑧市民のためのまちづくり活動拠点づくり

⑨行政と市民組織、市民組織同士のネットワークの強化

⑩行政職員のまちづくり意識・知識向上のための研修機会・プログラムの充実

⑪市民のまちづくり意識・知識向上のための研修機会・プログラムの充実

⑫参加の場における十分な学びの場の創出 など

○日野市が住民参加の自治を実施しようとした折、「住民のニーズを的確に取入れ反映するというシステムの構築がなされていなかった」ことが問題点であった。「市民が求めていることを言う場」「行政が市民の求めていることを知る場」をどのように見出すか。「市民が求めていることを施策として打ち出すシステム」「行政側が市民参加の扉を開くこと」。

その他として、アメリカでよく行われている市民とのやりとりを通じて都市や景観をプランニングしていく方法である「コミュニティデザイン」は、市民参加を促す有用なツールである。

これは、例のセオリー・オブ・チェンジのMAPづくりをすれば、景観的なことだけでなく、目的的なことで市民参加を促すツールとなる。発想は同じだろう

村上氏は、それにあたっても重要なのが、市民と行政あるいは企業との協働を進めることができる人材・リーダーの育成であるとしている。このほか、市民との協働を行うためのルールづくり(条例)の充実も重要。各地での貴重なノウハウの共有化も必要。

6.まとめ

自治体を対象としたアンケート調査の結果からは、地域自治体担当者は、地域に「産業」と「人材」がないことを痛感している。

五年間まちづくり新聞の編集者として全国を回ったが、インパクトのある地域特有のビジネスモデルがあまりなかった。個人的には、北海道から始まった市民出資の風力発電と、神奈川県の地域主導型PPPくらいであった。両者に共通するのは、ファイナンス技術をうまく駆使していること。

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地域イノベーションと地域づくり(藤沢町の事例を参考に)

前の記事で、「地域づくり」についての整理を紹介した。

私は、「地域イノベーション」という言葉を使っており、気持ちとしてはこれまでの延長線上の「地域づくり」ではなく、システム変化を伴う「イノベーション」を扱いたいと思っている。

以前書いたように「地域イノベーション」の根本は、「真の住民自治」(自律)であるとしたい。

前の紹介記事で述べられているように、現状、「住民自治」という言葉だけが先行していて、住民自治をするだけの「キャパシティビルディング」(能力開発)が行われていないのに、急にやれと言われても、それは無理というものだ。

前の紹介記事の次の次の節(「まちづくり」市民組織の活動と人材の育成の課題)では、市民参加による活動を恒常的に政策形成プロセスに組み込むことによって活動の活性化を図る必要があるものの、実態は、行政と市民の間では期待することに微妙な違いがあるとしている。すなわち、

(1)市民側は、参加を行政評価する機会と捉え、行政に要求する機会と捉える傾向がある。

(2)行政側は、ボランティアや協業という名を借りて市民に行政行動を押し付ける傾向がみられる。

「真の住民自治」を実現するための必要十分条件については、岩手県藤沢町の事例を丹念に分析すると見えてくるのではないかと思われる。この事例については、東京経済大学の大本圭野教授の力作があるので、まずは、これを分析しようと思う。

「真の住民自治」にとって、田中氏のマトリックスはどのように適用されるのだろうか。

藤沢町では、過疎化・高齢化など地域の危機に直面し、ここに住むしかないなら、自分たちでこの町を良くしていくしかないと行政(助役→町長)が働きかけ、地区ごとに要望を書き出させ、無い袖は振れないからと、要望の優先順位を付けさせ、道路が欲しいなら、住民が地権者と話し合い、土地の手当てをしたなら行政が工事をする(お金を負担する)など、住民がやることと行政がやることの分担をしてまちづくりをして行った。

まず、自分たちがやるしかないという意識改革をし、地域のビジョンを描かせ、それを実現するための自助と行政の仕事とを明確にし、自助があるところには、結果を出して、自分たちがやれば町をよくすることができるという実感・達成感を与えていった。

その過程でやられたことは、道路づくりであったり、外灯の設置であったり、花を植える景観づくりであったり、公民館づくりであったり、工場誘致のための土地提供であったりしており、田中氏のマトリックスで言うところの、目標(環境づくりやしごとづくり)であり、地区ごとのビジョンづくりによって(手段)、結果としてコミュニティが作られた。→私の分類というか、藤沢町の事例でみる限りは、コミュニティづくりは、目標ではなく、最終目的(地域イノベーション)であり、その手段としてまずはビジョンづくりが行われた。

ビジョンで示されたのはいわゆる「地域づくり」=住みやすく・活気ある地域づくりであり、それが具体的には、環境づくり、しごとづくり、あるいは祭りや体育祭など一緒にやると楽しい行事づくりであった。田中氏は、祭りなどのイベントは、手段であって目標ではないとしているが、共同幻想づくりには必要なこと(田中氏の整理では目標)なのではないだろうか。

田中氏が手段としている項目は、藤沢町の事例では、ビジョンで示されたことを実現するにあたって、テーマの必要に応じて、この項目(手段)が採られた。

①行政サービスの見直しは、最終目的である「真の住民自治」を実現するためには、全てを成し遂げるにあたって不可欠であった。当初、行政マンが各地区の担当になったが、自分の得意分野以外のことにも答えなければならなくなり、行政マンが全ての行政について勉強しなければならなかった。財政が逼迫していることを示すためにも、情報公開も不可欠であった。

②市民力活用は、これが最終目的であり、最初からこれが意識された。

③民間活力活用については、若い人が流出せずに止まってもらうために、工場誘致を行った。しごとづくりという面では、もう一つ、農業で生きていくために、町主導で(国の予算を得るなどして)大規模な灌漑工事を行ったほか、有機農業に取り組み、ブランド化などを行っている(この分野でどの程度民間を活用しているか不明)。

④産官学連携については、たとえば、病院を建設するにあたっては、自治医大などと連携するとか、農業振興のために主体的にダム建設をするにあたっては、国、県などと連携し、おそらく学とも連携したと思われる。

人材については、地区との懇談のなかで、行政マンは勉強せざるをえなくなり、バスを購入して、住民も含め、先進的な取り組みをしている地域を訪問して学んだ、中途採用を行い、企業誘致などに適した人材を配置した。→ただし、残念ながら、強力なリーダーである元町長以降に優れた人材が役場、あるいは地域の民間などに現れたという話は聞こえてこない(起業人材は不足か?)。

藤沢町の事例では、実質的に補完性の原理が取られている。地区住民で出来ることは住民で、町がやらなければならないことは町で。町でも出来ないことは、県や国に働きかけて実現してきた。また、何か施策を実施する場合には、アンケート調査を実施したり、地区懇談会などで意見聴取を行ってきた。婦人議会などもある?

人口1万人弱の藤沢町なのでしかたがないのかもしれないが、基本は、全て強力な元町長と行政主導により「真の住民自治」が形成されている。できることならば、こうしたなかから、住民が主体となった社会的企業などが生まれてくれると嬉しいのだけれど。たとえば、有機農産物を販売する企業とか、高齢者を送迎するバス・タクシー会社など。

町営の第三セクターで運営いた直売所や宿泊施設などは、現在持ち上がっている一関市との合併にあたって、これらを整理する必要が生まれ、民営化されている。

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May 20, 2010

地域づくり活動総合マトリックス

法政大学地域研究センターの雑誌『地域イノベーション』vol1(2008)に、まちづくり新聞のアンケート調査(全国の自治体へのアンケート)を分析した研究ノートが掲載されている。良い指摘を抜書き紹介しておく。

1.地域活性化の概念とは何か(佐藤充)

Q1-1で(a)活気がある、(b)少し活気があると回答した自治体は、Q1-2で活性化の具体的事例を示している。これを整理すると、次のようになる。

(1)定住人口の増加:社会人口増と自然人口増、生産年齢人口比率の上昇

(2)交流人口の増加:観光資源や地域資源による観光客数の増加

(3)民間による大規模(再)開発:宅地開発、マンション建設、商業施設建設

(4)行政主導の再開発事業:駅前再開発、区画整理事業、公共施設建設

(5)各産業の成長:農産物の地域ブランド化、製造品出荷額や小売販売額の増加、企業立地件数の増加、観光事業の成功

(6)活発なコミュニティ:まちづくり団体やボランティア団体の活動、地域イベントの開催、住民自治の推進

これをさらに整理すると次の2つになり、回答をクロスしてみると、(ア)と(イ)が両方上手くいっていると地域活性化しているところが多い((ア)が(イ)を(イ)が(ア)を)。

(ア)地域外からヒトとカネを呼び込むことができている(交通条件の改善、産業の好況、豊富な観光資源など)

(イ)地域内でのヒトのつながりが強くなっている(これまで蓄積されてきた社会関係性)

2.地域づくり活動総合マトリックス(田中延弘)

〔1〕地域づくりの目標と手段との混同

○自治体には、地域づくりの目標と手段を混同しているところがみられる。

・たとえば、新潟県は、地域づくりを4類型し、①地域産業振興型、②社会生活環境整備型、③イベント型、④地域間交流型としている。しかし、①と②は、目標であるが、③や④は、それらを通じて何か(イベントによる観光客誘致、地域商店街活性化など)を達成するための手段であるはず。

・高崎市のHPでは、地域づくり推進課の補助事業として、6つが挙げられている。①地域の伝統文化、自然環境、歴史等地域の特色を生かした事業、②地域の課題に地域全体で取り組む事業、③地域における人的交流の促進等地域の一体感の醸成に資する事業、④コミュニティの形成等地域の連帯感に基づく自治意識の高揚を図る事業、⑤地域に関する学習、研究等の事業、⑥安心して活き活きと暮らせる住環境の創出、地場産業の振興、地域のPR事業等の地域密着型の事業。

このうち、①②⑤および⑥のPR事業は、地域づくりのさまざまな目標を達成するためにどのような方法をとるかを述べたものであって、目標ではない。(もっとも、これは、助成するための分類なので手段も入っているのだろうが)

このように、目標と手段が混同されているため、総花的で忙しく、一時の高揚感だけ得られるが、成果がもたらされない。目標を明確にし、手段と混同しない、そのうえで、目標の達成度を把握し、改善方法を策定する必要がある。

地域づくりの本来的目標とは「地域のコミュニティ、基盤施設・環境、しごとを創出ないし強化することによって、地域を住みやすく活気あるものとすること」と規定する。

〔2〕地域づくりの手段

○地域づくりの手段として、次の4つに分類している。

①行政サービスの強化・見直し

②市民力の活用

③民間の経営力や企画力の活用(集客事業、農林水産品事業等)

④産官学連携

○筆者は、以上の地域づくりの目標と地域づくりの手段でマトリックスを作成している。

〔3〕目標の達成度:なんらかの指数化が必要

○達成度指数開発の試みとして、次の3構造を考えた。計測方法や指数化の方法は今後の課題である。

(1)地域づくりが目標別にどの程度の達成状況にあるかを示す3つの目標別指数(①コミュニティ指数、②基盤指数、③しごと指数)

(2)それら目標別指数の総合として、当該地域の地域づくり達成度を総合的に表す1つの総合指数

(3)(1)の目標別指数のより詳細な構成要素となる個別指数

①コミュニティづくり:グランドデザイン指数、行政横割り指数、政策策定・協働指数、事業推進・協働指数、地域活動団体指数、ネットワーク形成指数、コミュニティビジネス指数

②基盤施設・環境づくり:自然環境指数、災害対策指数、公共交通指数、バリアフリー指数、医療・教育・福祉指数、街並み・景観指数

③しごとづくり:地域資源活用指数、産品開発指数、地域ブランド指数、6次産業化指数、観光・イベント・交流指数

〔3〕人材づくり

多くの自治体では、地域づくり活動は、地域住民が自主的に行うことが原点だとし、住民組織等による主体的な取り組みを強く期待しており、これについては、「地域の実情を無視した’地域信仰’’地域への負担のおしつけ’と呼びたいほどに過熱している」との批判があるほどだ(加藤哲夫2007「民間の支援システム構築に向けて」、山田晴義編著『地域コミュニティの支援戦略』ぎょうせい)。

これまでの行政依存体質、過疎化による担い手の減少、地域帰属意識の希薄化を抱えたまま、自立のための準備なく地域づくりの行動主体となることは、住民にとって困難であり、主体にふさわしい意識、知恵、力を涵養する施策、すなわち地域づくりを担う人材づくりが必要であろう。

地域づくりの人材は、どのような手段を用いるかによって必要な人材は異なる。手段ごとに必要な人材を整理すると、次のようになる。

①行政サービスの見直し:行政人材、コミュニティ支援人材

②市民力活用:地域リーダー人材、中間支援(インターミディアリー)人材

③民間の経営・企画力活用:起業人材、経営人材

④産学官連携:コーディネーター人材

これにも、人材づくり達成度指数を開発することが考えられる。

〔4〕まとめ

上記から作成したマトリックスに、先進事例を整理してみると、「コミュニティづくり」と「基盤施設・環境づくり」では市民力活用が中心になっている一方、「しごとづくり」では、全ての事例が民間活力による取り組みであることが分かる。

先進事例は、目標と手段の組み合わせが網羅されていないで、偏っている。この空白部分を埋める取り組みによって、地域づくり活動のエネルギーが強化されるのではないか。

たとえば、しごとづくりにもっと市民力をつかえないか、コミュニティづくりに民間を活用できないか、産官学連携をいかにコミュニティ育成の手段とするかなどをチェックできる。

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私は、地域イノベーションの事例を評価する必要があると思い、アメリカの社会イノベーションを評価する方法を転用していたのだが、やはり、社会イノベーションとは軸が異なるはずで、この田中氏のマトリックスはとても良いと思う。また、社会イノベーションを評価するにあたっては、成果の達成度を示す指標を持っていることが重視されるのに、地域イノベーションでは、そうしたことがなされていないことも指摘していたが、田中氏はそれの案を提示しているのでこれも良い。

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May 07, 2010

小企業の地域貢献活動

日本政策金融公庫「調査月報」09年6月は、小企業の地域貢献活動が特集されている。

実際私も、地域のことを考え始めてみると、その主要な担い手は、地元の小企業であることに気付き、それらが衰退していく現状に愕然としたことがある。大企業の支店も、祭りなどに協賛金を出したり、参加しているが、主役足り得ない。地元に愛着を持つ地元企業が核に居てこその協賛であろう。

そう思っていたところに、こうした調査が実施されたので紹介しておく。

この調査をした問題意識として次の2点があったという。

(1)小企業の地域貢献活動の実態を明らかにし、小企業を経済外的役割という面から存在意義を再評価できるのではないか。

(2)活動が地域社会のニーズを満たすものであるなら、地域社会と密着した小企業の経営にも好影響を及ぼすのではないか。

1.地域貢献活動の定義

まず、何を地域貢献活動と呼ぶのかとして、次のような定義を行っている。

1.経済の振興に関する活動(地場産業の活性化、商店街の活性化、特産品や農水産物など地域資源の活用、創業支援や他企業の経営支援、その他)

2.文化・環境に関する活動(祭りや伝統行事の開催や維持、地域における文化やスポーツの振興、地域の美化や緑化、地域の環境保全、その他)

3.教育に関する活動(経済・金融・消費者教育、起業家教育、職場体験・インターンシップの受け入れ、その他)

4.雇用に関する活動(高齢者の雇用・就業支援、障害者の雇用・就業支援、ニーと・フリーターの雇用・就業支援、ホームレスの雇用・就業支援、元受刑者の雇用・就業支援、外国人労働者の雇用・就業支援、その他)

5.治安・安全・防災に関する活動(防犯活動、交通安全活動、消防・防災活動、その他)

6.保健・医療・福祉に関する活動(高齢者の生活支援、障害者の生活支援、生活困窮者やホームレスの支援、食の安全確保、育児支援、その他)

この定義を定めたこと自体、ひとつの理解の前進といえる。つまり、当人は、何気なくやっている活動も多いが、それを第三者的にみれば、地域社会を維持していくうえで、大変貴重な活動であり、仮にその担い手が居なくなった場合、地域社会にとって痛手であるに違いない。私は現在、定義せずに地域イノベーションと言っているが、上記の活動分野が形骸化していたり、空白であったり、廃れてしまっているのを住民自らが再生・再システム化する試みと考えることもできる

2.アンケート結果→経済外的役割を果たしている

同公庫の取引先にアンケートした結果(3000ほど)によれば、地域貢献活動に取り組んでいるのは45%、うち、3つ以上取り組んでいる企業が約半数を占める。

傾向としては、規模の大きい(といっても20人以上)ほど取り組んでいる企業の比率が高い。相対的には、人口が少ない地域ほど取り組んでいる比率が高い。業暦が長い企業ほど取り組んでいる。経営者の年齢では、54歳までは年齢層が高いほど取り組んでいるがそれ以降は減少する。

加入団体でみると、NPO法人に加入している企業に貢献活動をしている企業が多く、そのほか、商店街振興組合や中小企業家同友会が続く。

活動分野では(複数回答)、上記分類の2の文化・環境が8割近く最も多い(祭りや伝統行事が最も多く、次いで文化・スポーツ)。次いで、5の治安・安全・防災、1の経済振興に続く。これら上位の活動分野は、比較的ノウハウが蓄積されているが、そのほかの活動分野では、最近になってニーズが高まっているものの、ノウハウが確立していないとみられる。

取り組む理由では、「地域の企業として当然のことだから」という回答が最も多く、「企業の業績向上に直結する」といった回答は少ない。しかし、長い目でみれば企業の利益になる、従業員確保につながる、企業の評判が高まるなど、何らかのかたちで企業の利益になることを期待しているのも確かである。

小企業は、必ずしも収益が良いから地域貢献活動をしているわけではなく、収益が悪化している折にも活動を続けている。そして、必ずしも直接利益にならなくても、活動に取り組んでいる。このレポートでは、小企業は、経済的な役割に加えて、地域貢献活動を通じて、地域社会を多面的に支えるという経済外的な役割を果たしていることを示している。近年、社会企業やコミュニティビジネスが注目されるが、そうした新勢力だけでなく、既存の小企業の役割にも着目し、政策的サポートの必要性を訴えている。

3.地域貢献活動は企業経営に好影響を与える

1.地域貢献活動の成果に対する評価で、①「予想以上」、②「予想通り」、③「成果あるも予想を下回る」、④「成果は上がっていない」の4段階を聞き、それと売上高の傾向を見ると、売上高が増加傾向にあると答えた企業では成果評価に差が見られないが、売上高が減少傾向にある企業では、①②では相対的に減少と答えた企業の割合が低いのに、③④と答えた企業では、売上が減少傾向にある企業の割合が高い。

事例(1)㈱美交工業(大阪市、ビルメン、公園管理)

03年から知的障害者の雇用、06年からホームレスの雇用に取り組んできた。大阪府が府の清掃業務の一般競争入札にあたって、総合評価制度を導入し、障害者雇用に貢献している企業や母子家庭の母親を雇用している企業に加点するようになったことが幸いし、落札できるようになって業績が伸びた。

事例(2)大里綜合管理㈱(千葉県大網白里町、不動産・建設業)

育児支援、清掃活動、コミュニティ・レストランなど90種類もの地域貢献活動を実施している。不動産・建設市況が厳しい折、売上を伸ばしている。同社では、地域貢献活動は、毎年の経営計画に組み込まれている。企業は地域の役に立たなければならないという経営理念があること、地域貢献活動は住民に喜ばれて知名度や信頼度が上がる広報活動であると位置づけている。知名度が上がり、営業面でプラスに働いている。

同社が地域貢献活動を始めたきっかけは、1994年に社員の福利厚生として始めた育児支援を地域の人たちに開放したこと。当時学童保育で世話をしていた子供が大人になって2人同社で働いている、地域貢献活動に参加したくて同社に就職した人が多いなど人材確保にも役立っている。

同社の地域貢献活動のアイデアは社員からも出される。その場合の判断基準は、①地域に役に立つこと、②会社の利益になること、③従業員が喜ぶことの3つで、このうちどれか一つ欠けてもやらない(やっても長続きしない)。

事例(3)マツザワ瓦店(名古屋市、瓦工事)

瓦工事は現場で瓦を切るため、大量の廃棄物が出るし、粉塵が出るので近隣に迷惑がかかる。このため、同社は、瓦を工場で前もってカットするプレカット方式を導入した。プレカットは、当初職人からは、技能を発揮する機会が失われると反対されたが、現場の廃棄物が減りハウスメーカーに歓迎され、一日に仕上げられる施工面積が増えて職人の賃金も上がった。ごみを出さない瓦工事業者と評判になり、受注が5倍に増えた。

プレカットで出た切りくずは、培養土などにリサイクルし、これを使って(従業員の発案)小学校や幼稚園で環境教育を行っている。プレカット方式が賃金の上昇や会社の成長に貢献しているということから従業員にもやりがいをもたらし、環境意識を高めた。

2.以上の事例のように、地域貢献活動をすることで、業績にもプラスの成果を上げることができる可能性がある。

予想以上、予想通りの効果を挙げているのは、その活動の状況が上手くいっている場合である。「活動の目的が企業(団体)内に浸透している」「活動の手法が確立されている」「適格なリーダーがいる」「適格なマネージャーがいる」「人手は足りている」「資金は足りている」活動は、いずれも成果を上げる確率が高い。

では、どうしたらこの6項目を充足させることができるか。

1.本業と関連した活動

大里綜合管理に見られるように、地域に良し・会社に良し・従業員に良しでないと長続きしない。従業員が意義を実感できるようになるには時間がかかるので、経営者が折に触れて必要性を説明することや、最初は成果の出やすい簡単なことから始めるのも手である。

2.ノウハウ不足は他機関との連携でカバー

美交工業では知的障害者を雇用するにあたって、エル・チャレンジ(知的障害者の就労を支援するために結成された事業協同組合)の協力を得ている。ホームレスの雇用では、株式会社ナイス(ホームレスの社会復帰を支援する)と連携している。大里綜合管理では、コミュニティ・レストラン開設にあたって、コラボ屋で学んだ。

3.マネジメント人材育成

地域貢献活動が活発になると、経営者一人では手が足りなくなる。経営者を補佐し、活動をマネジメントしてくれる人材を育てる必要がある。

美交では、知的障害者を受け入れる中で、健常者の社員から障害者職業生活相談員8人を育成した。大里では、発案した従業員が自分で責任を持って実行する。社員は負担が増えるがやりがいを感じるようになる。地域貢献活動をやっていると、良い人材が集まってくることもある。

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イギリスの社会企業家

日本政策金融公庫「調査月報」09年3月号は、イギリスの社会企業家を特集している。

これを読む限りでは、イギリスの場合、活動費用を行政からの委託に依存している度合いが多い。アメリカの社会企業家では、それ自体でビジネスになる事業を目指していたり、寄付や補助金から投資へという流れが話題となっているなかで、社会企業の先進地域であると言われているイギリスがある意味事業が「自立」していないのに、ちょっと驚く。日本の社会企業が介護保険など制度に依存したり、低コスト化を目指す行政の委託(安い下請け)に依存しているのでなぁんだと思っていたので。

でも、逆に、日本の現状への参考にしやすいとも言える。そこで、要点を紹介しておく。

1.従業員規模9人以下が約半数を占めるなど比較的小規模。

2.活動内容は、人の支援が77%、自然環境保全が5%、両方が18%と、人の支援が中心。その内容では、地域コミュニティ一般24%、障害者19%、子供・若者17%、高齢者15%、低所得者12%、その他社会的弱者9%、失業者9%、特定民族7%、女性6%、ホームレス4%などとなっている。

3.衰退地域(社会保障給付者の割合が高いなど)が増加しており、ここでの問題解決に社会企業の役割が期待されている。こうした地域の状況は「社会的排除」と表現される。「人々または地域が失業、差別、低スキル、劣悪な住居、犯罪の多さ、家族の崩壊といった相互に関連する問題の結合に直面したときに起こりうる状況」のこと。

4.英国政府は、社会企業に支援策を講じてきた。2002年には、その後の3年間に実施する支援策を体系的に取りまとめた「ソーシャルエンタープライズ:成功のための戦略」、2006年にはその内容を継承、発展させた「ソーシャルエンタープライズ:アクションプラン」が公表された。2006年には、非営利セクターに関する政策立案をとりまとめる部署「サードセクター室」を内閣府に設立、各省庁の施策の調整を図るための制度的枠組みを整備した。

5.事例

(1)FRCグループ

ここは、従業者数71人、年間収入4億円以上と規模が大きい。ここは、家具のリサイクル事業を手がける。リバプールや近郊の自治体から受託している廃品回収を通じてリサイクル家具を調達し、約7割をリサイクルに回す。販売先は低所得者向けの住宅を供給する住宅公社や自治体など公的部門で、これが売上の8割。このほか、直営店で販売(低所得者向け)。仕入れ値がゼロなので安く販売可能。

これとあわせて12ヶ月の職業訓練を実施している。訓練生は、スタッフとして働きつつ、技能習得を目指すと共に、毎朝定時に出社するとか、欠勤するときは連絡するなどの基本的な勤労倫理を身に付ける。

収入のうち約9割が家具の販売で、補助金は4%。職業訓練のための費用は、自社の利益、行政からの補助金、委託事業費で賄っている。・・ここは、廃品回収を自治体から請け負い、販路も公共部門であるし、訓練に補助金や委託事業が入っているものの、相対的には、ビジネス化しており、自立している。

(2)エレファントジョブス

ロンドンの低所得地域で地元企業に対する経営支援を行っている。従業者数は21人。たとえば、政府調達に関して、入札の仕組みの説明、提案書の書き方の指導、個別のカウンセリングなどのセミナーを行っている。

このほか、地域住民に対し、失業者に職業訓練(ITスキル、裁縫技術などの座学講座)。

同社の収入のうち補助金は6%だが、残りの事業収入の大半は、行政からの受託である。

(3)HCTグループ

これは、従業者数440人、年間収入22億円と大規模である。ロンドンのハックニー特別区で交通サービスを提供している。4つの路線バスの運行、特別支援学校向けスクールバス運行、障害者や高齢者など交通弱者に「コミュニティ・トランスポート」提供(病院やスーパーなどを巡回する乗り降り自由のバス、障害者等向け低価格のタクシー)。

ここは、地域の長期失業者を対象にしたバスドライバー育成を実施、これまでの受講者は300人。

収入は、路線バス、スクールバスは行政の受託が8割、コミュニティ・トランスポートによる収入は1割。後者は赤字事業で、前者で得た利益で補填している。

6.補助金から委託事業へ(補助金から契約へ)

事例で分かるように、英国の社会企業は委託事業が主な収入源。この背景には、英国政府が公共サービスの提供者に対して、それまでの補助金から委託事業を発注する方針に転換してきたことがある。もともとはボランティア団体で補助金を得ていたが、政府の転換で委託事業を受ける社会企業に転換したところが多い。

補助金だと、厳格な達成目標が示されず、サービスの質を高めることができない。委託事業の場合には、達成目標が契約の中で明示される。「職業訓練プログラム受講者の○%以上が就労すること」など。

7.透明性と差別的取り扱い禁止(EU競争法)のなかで委託事業を獲得

委託事業を入札で獲得するために、社会企業は、経営努力をし、従業員のモチベーションを高める(表彰制度、休憩室づくりなど)工夫をしている。このほか、地域密着性(地域の情報に詳しく、ニーズをきちんと把握している、地元他組織と連携し失業者を見つけやすいなど)、オーナーへの配当がないなどがコスト競争力となっている。

8.社会的価値を評価

このほか、社会的価値をどれだけ生み出しているかが評価される傾向にある。英国政府は、「特定の社会的目的の実現を通じて、社会的価値を高めることを可能にする、契約または調達プロセスにおける要件」(ソーシャル・クローズ)を導入することを検討している。

このため、社会企業は、自らの社会的成果を評価することに力を入れている。訓練生のうち就職できる人が○%とか、マイノリティを○%といった具合。これは、地域住民や支援者などのステークホルダーへの説明責任を果たすためもある。

中間支援団体がさまざまな活動評価ツールを開発している。FRCグループが導入している社会的投資収益率SROIは、中間支援団体ニュー・エコノミック・ファウンデーションが開発したもの。職業訓練を例にとると、就職した元失業者の収入やそれに伴う税収の増加、かつて支給されていた失業手当などを金銭的価値に置き換え、事業によってどれだけ金銭的価値が生み出されたかを示す。

9.資金調達問題

①英国政府:フューチャービルダーズと呼ばれる基金の設立(2004年)。受託事業を受注するために必要な資金を社会企業を含む非営利組織に提供することを目的として設立された総額1億2500万ポンドの投資ファンド。ここからは、基本的には融資がなされる。しかし、その効果は限定的であると評価されている(4年間の融資実績は184団体、7800ポンドにすぎない)。

今後、銀行の休眠口座にある資金の活用、社会的投資のための証券取引所の設立、社会企業に融資をする銀行に対し、原資を供給することを目的とした「社会投資銀行」の設立などが検討されている。

②非営利向け銀行:英国には、チャリティ・バンクや協同組合銀行など非営利組織向けの銀行が複数存在する。

CAFバンクは、非営利組織に寄付を行う民間団体によって設立された銀行。同行は、2002年にファンドを設立、社会企業に対する融資を開始した。6年間の融資実績は250件、1200万ポンド(15億円くらい)、すべて無担保。ファンドの原資は、CAFバンクのほか、8つの企業や財団、個人などから提供されており、現在のファンド規模は800万ポンド。回収不能となった融資は10%未満。同行の融資が呼び水になり、他の民間金融機関も融資を始めた(しかし、不動産担保融資やつなぎ資金の融資が中心)。

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May 06, 2010

青森県の地域ブランドづくり

青森県では、04年に農林水産部に総合販売戦略課が設置され、県産品の販路拡大に向けて積極的な取り組みを始めたという。

現在の三村知事が就任後、知事の公約である「攻めの農林水産業」が展開されている。質の良いものを作るだけでなく、消費者が求めているものをしっかり捉えて、売れるものづくりをするために販売分野を強化していこうというもの。

これを推進するため、「消費者ニーズの多様化に対応した販売・生産体制づくり」「山・川・海をつなぐ水循環システムの再生・保全」「有機の郷づくり」「米づくり改革の推進」という5つの柱を立て、生産者の収益力アップにつながるよう、機動的に関係団体との連携を図り、販売促進や消費宣伝など、さまざまな取り組みが進められているという。

これを推進するために、作られたのが総合販売戦略課。これまで、お酒や工芸品は、商工、一次産品は農林水産、物産関係は観光と、庁内で3つのセクションに分かれていたのを販売を所管する部門を一つに統合し、農林水産部の中に置いた。

スタッフは、庁内公募制で決められ、課長職は知事を含めた3役の面接、他の職員も書類選考され、3倍の競争を勝ち抜いて36名の職員がハイチされた。「笑顔は商いの基本なら」「農産、海幸、景勝地 売れる商品見つけます」「一日、二物、三顧の礼でお買い上げ、県民の利益が我らの願い」という社是があるとのこと。

同課が設立されてから、生産関係、流通・販売関係、消費関係の各団体、学識者、県など24名からなる「青森県総合販売戦略会議」が組織され、04年9月に総合販売戦略の基本理念や基本戦略の骨子がとりまとめられた。「美味しさ」「安心」「安全」「誇りある仕事」を約束することを基本理念のキーワードに、「安全安心信頼確保システムの構築」「県産品総合イメージの構築」が基本戦略として打ち出された。

現在の仕事内容は、HPに書かれている。

戦略推進グループ(イメージアップ、マーケティング支援など)、ブランド推進グループ、宣伝・販売グループ、地産地消グループ、海外販路開拓グループ。

現在までのところ、活動により、成果があがってきているようだ。

HPでは、特産品のほか、復活した青森ならではの産品が紹介されており、産地レポートも掲載されている。マーケティングでは、食に関する旬の人たちの連続講演会や青森産品のマーケットリサーチ結果なども掲載されている。

アンテナショップは、東京、大阪、福岡に開設、輸出は、台湾を中心にリンゴの販売も進んでいるようだ。

なお、他地域でも、こうした取り組みはなされているようだ。

富士通総研の調査レポート

食と農林水産業の地域ブランド協議会HP

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小布施ブランド

地域ブランドの続き。成功事例として小布施が紹介されている。

小布施は人口1万1500人、観光客が年間100万人訪れる。小布施のことはなんとなく知っていて、伊勢と同じように、地元の有力菓子やが北斎をテーマによくある景観統一をしているのだろう程度に思っていた。しかし、今日までの経緯が書かれており、地権者5人がとことん話し合って修景事業を進めたり、そのほかの取り組みも面白い。

1.小布施は室町時代から栗栽培が行われていた。江戸初期から市が立っていた。谷街道(現在の国道403)と谷脇街道(現:県道村山小布施停車場線)の合流地点。江戸後期になると千曲川の舟運が発達、街路と水路のターミナル機能を持ち、農業のまちでありながら、商業も発展し、この時代に豪農や豪商が生まれた。

その一つの高井家の高井鴻山が15歳の時から京都と江戸に遊学に出され、書・絵・和歌・漢詩など幅広い教養を身に付けて小布施に戻る。遊学中に出会った多くの歌人や書家が小布施を訪れる。北斎もその一人。鴻山は、物心両面で北斎を援助、北斎は、祭り屋台や岩松院の天井画などを手がける。

2.その後100年間は、物流の中心が鉄道に変り、街路や水路のターミナル機能が衰え、豪農・豪商も勢いを失う冬眠期。

3.小布施堂の市村郁夫氏が1969年に町長に就任。過疎対策として、土地開発公社を設立し、宅地分譲に取り組む。長野市のベッドタウンとして1万人を切っていた人口が1万2000人に増加(現在は当時より5000人程度減少)。

祭り屋台の保存、北斎をシンボルにした意識高揚・散逸するのを避けるため北斎館建設・新旧住民の融和、北斎研究(研究者や芸術家がやってくる→観光客)

観光客増加に伴い、栗菓子メーカー(それまでは卸売)が店舗販売・飲食サービスに乗り出す。

社長でもあり町長でもあった市村郁夫氏急逝、跡を継いだ息子2人は、民間企業であっても地域と一蓮托生であるべきという考えを持ち、地域が発展することで小布施堂も生き残れると判断、支点展開せずに、小布施町にこだわることに。工場増設も郊外移転せずにこれまでの敷地に北斎館との連携を意識して景観に配慮した概観に。

工場近くの高井鴻山の隠宅「悠然楼」を町が取得し、記念館として一般公開。市村両氏は、北斎館との有機的な結びつきや景観に配慮した空間づくりが必要と考え、隣接する長野信用金庫小布施支店に相談、ちょうど店舗の狭さや駐車場の確保に悩んでいた。さらに隣接する民家2軒に相談すると、日照や騒音問題に悩み。そこで、行政、信金、小布施堂、個人2者で5者協定を結び、町並み修景事業を推進。5者が納得するまで、何度も話し合いを重ね、2年を経て、ようやく5者の合意がなされ、その後3年かけて移転や新築工事が行われた。「小布施方式」と呼ばれる町並み修景事業。

修景事業により、1万6000㎡の敷地は、栗の木の角材を埋め込んだ遊歩道のあるくつろぎと回遊性のある空間となった。

小布施堂では、この界隈のさらなる整備を進め、現在、この一帯には、小布施堂本店、枡一市村酒造場本店、洋食レストラン傘風楼、バー碧い軒、寄り付き料理を提供する蔵部など同社が係わる飲食店が立ち並ぶ小布施の顔となっている。小布施堂では、「産地から王国へ」(大消費地に産品を送り、肝心の地元には行き渡らないのではなく、産品が地元で深く愛され、広く流通して生活文化の象徴となることで、地方の時代を真に豊かにするとの思い)というテーマを提唱、その思いが込められたのがこの味わい空間だという。

・・・・観光客向けだけでなく、地元の人たちがこの空間を愛し、利用しているということなのだろうか(要チェック)。

小布施町「栗と北斎と花のまち」というキャッチフレーズ。花のまちづくりは、行政が主導し、80年代に始まる。町内の全28自治会に花づくり委員会が組織され、まちづくりの柱の一つとして花による美しいまちづくりを行われる。小布施花の会が設立され、家庭や企業・商店を対象にしたフラワーコンテストが実施される。89年からは、ふるさと創生1億円事業を活用し、花のまちづくり町民海外研修旅行として、町民がヨーロッパ諸国を視察する機会も設けられた(92年まで)。延べ120余りの町民が視察。小布施オープンガーデン(個人の庭園を住民や来訪者に公開)も、2000年からスタートし、現在108の庭園が名を連ねる。

これにあたっては、花づくりに必要な技術、デザイン、モデルなどの情報を発信してほしいとの要望が持ち上がり、調査のすえ、楽しみながら花について勉強できる施設「フローラルガーデンおぶせ」を平成4年に開園した。一方、花を産業として育成するため、農林水産省の許可を得て花苗生産施設「おぶせフラワーセンター」を建設。この施設は、農家が花苗として市場に流通させる事を目的に、種からプラグ苗までを育成し生産農家に渡すことにより、町内における花苗需要に対し、良質な生産をもって即時対応が可能となり、併せて花苗生産農家の育成につながり、果樹に加えた新たな産業としての確立を図っている。

まちづくり会社㈱ア・ラ小布施が93年に設立された。官民がコラボする小布施方式をさらに展開。小布施町商工会が観光部会の設立を検討、市村氏の提案で、観光だけでなく広い意味の地域振興を担っていこうと、商工会に地域振興部が立ち上がる。しかし、次第に組織の形骸化、財源問題など商工会内での活動に限界。→そこで、まちづくり会社を設立。ちょうど町では、町営の公式ガイドセンターの発足準備をはじめていたこともあり、地域振興部と町とによる第三セクター設立へ。地域振興部員全員が50万円、町が100万円出して㈱ア・ラ小布施が設立された。一人でも多くの住民が小布施に住んでよかったという幸福感を持つまちになるために設立されたので、出資者には配当しないNPO的な組織。

ガイドセンターを兼ねた喫茶店ア・ラ・小布施、喫茶店機能もある小布施駅横にあるコミュニティスペース六斎舎、宿泊施設であるゲストハウス小布施の管理運営、ニュースレター発行やイベント企画など。小布施国際音楽祭、北信濃小布施映画祭など。常勤4名、非常勤8名、イベントなどでは町内外のボランティアが協力。

今後は、農業に力を入れる。有用微生物を使ったEM農法の推進や消えていった特産品小布施丸なすの栽培など。これらは、どこまで産業化されつつあるのだろう。

市村氏は観光カリスマにも選ばれているが、観光を意識するというよりも、まちづくりの結果としての観光であって、目指すべきものは交流だという。小布施ファンが増えて、このまちを愛してくれて交流が深まり、そこに信頼が生まれる、そこからビジネスに結びついていくような息の長い視点が必要(市村氏)。

++++

市村町長へのインタビューなどにみる、この「まちづくりの結果としての観光」という視点は、とても大事だと思うのだけど、小布施でこれが出来ているとしたら、素晴らしい。それが、さらに産業振興(観光だけでなく、種苗産業、EM農法から派生した商品開発?)につながっているとしたらさらに凄い。

全町内会で花づくりをし、オープンガーデンをしている家が増えているのも凄い。ネットで見る限りは、総合計画にあたって、町民よりなる(町民会議)まちづくり委員会が作られているようだ。これが実質的な意味を持っているとしたら素晴らしい。要チェック!

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十勝ブランド

ブランド特集の続き。

十勝では、とかち財団が1999年から「十勝ブランド」の確立を目指してきた。

十勝の名前を使っていても、十勝産原料を使っていないものもあるということから、生産者や加工業者が自信を持って作り、地元の人からも支持される本物の十勝産商品を作ろうということで始めた。

ナチュラルチーズから始めた。現在は、チーズ64品(11工房)、パン161品(16工房)となっている。今後品数も増やしていく予定。

主原料十勝産100%をはじめとする原材料規定(安心)のほか、衛生・品質管理の徹底(安全)、官能検査(美味しい)等をチェックしている。認証機関は3年で、1年ごとに中間検査が行われている。認証されるとマークを付けられる。

ナチュラルチーズは、十勝ナチュラルチーズ振興会(技術甲州、サミット、本州視察など技術向上を図ってきた)の活動が基礎になっている。衛生面の徹底(品質管理)をするために、とかち財団が運営している北海道立十勝圏地域食品加工技術センターに相談、そこで、品質管理研究会が立ち上げられ「チーズ工房のための衛生管理マニュアル」が策定された。これをきっかけに、いちはやく、チーズから十勝ブランド認証化が進んだ。

この時点では、観光との連携はこれからの課題とされている。

現地で出来立てのものを食べてもらったり、酪農家を見学した後にチーズ工房に来てもらい、地元のホテルや飲食店で料理が食べられるような連携ができると良い。地域、行政、旅行代理店などとタイアップして、アイデアを出し合い、地域性を生かしたアピールができればと思うと食品加工技術センターの人が言っている。

地元でも、小中学生を対象にしたチーズの料理教室や研究会などを立ち上げ、チーズを作りたいと思う人を育てていければもっと厚みがでると思う(工房の人)。空港も近いのでレンタカーを借りて少し時間が余った人なども良く立ち寄ってくれるとのこと(別の工房の人、彼は住民組織グリーンツーリズム推進会議にも参加している)。

しかし、残念なことに、北海道経済産業局が実施したアンケートでは、地元消費者は、十勝産ナチュラルチーズを年に数回程度した食べていない。工房によって生産量の違いがあり、地元百貨店では品切れになってしまうものもある。

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観光との連携や、地元での消費などは、その後、どうなったのだろうか。

平成20年11月に県の主導で、「十勝食のブランド発見交流会」が開催されている。これは、一次産品やワイン、ソーセージなどの生産者が参加し、百貨店バイヤー、ワイン専門家、シェフなど食分野で活躍している「北海道食のサポーター」と意見交換し、商品の磨き上げや販路拡大を図ることを狙ったものだ。

まだこんな段階らしい。

イタリアのスローフード協会がやっているようなことを十勝でもやれば良いのに。

商工会議所が十勝のナチュラルチーズのHPを作成している。地図もあるので、これを見て訪問するなどは可能だ。

安全、安心のために認証制度を設けることは最低限良いことだが、認証制度だけでは、ブランドを知ってもらったり、愛着を持ってもらうのは難しいだろう。これをもっと生かすための仕掛けが必要。一方、大量には作れないので、単に量販ということではない。

同じ雑誌に、日高の秋鮭「銀聖」ブランドの取り組みが掲載されているが、こちらも大変そうだ。名前とロゴは決定し、銀毛サケのみ、1尾3.5キロ以上と定め、業者名が分かる記号と通し番号入りラベルを添付することを決めた。

しかし、地元の観光施設で使ってもらいたくても、値段が高くて、使ってもらえない。地元では、顔見知りなどから安いものを譲ってもらうことだってできるからだ。また、日高管内でも漁業組合が10もあり、規格や選別の種類、入札方法が違うため、漁業者が選別することができず、加工業者が選定しているとのこと。

次の小布施ブランドでは、地元で愛されることを第一義とし、その結果、観光客がついてくるといったスタンス(本当かどうかは要チェック)なのとは大きく違っている。

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地域ブランド:福田先生

『マルシェノルド』05年3月号は、地域ブランド特集

福田先生が地域ブランドについて語っている。要点を記しておく。

1.マネジメントは組織の中の問題、マーケティングは組織と外部(市場)との関係を扱ってきた。しかし、最近では、マーケティング組織という発想がないと、紙上への対応や戦略策定が難しくなり、一体化してきている。

2.一昔前のマーケティングは、いかに売るかという売り手の発想。その後、市場とのかかわり、市場との対話、市場へのアプローチへとマーケティングの概念が変ってきた。

3.誰を標的とするのか、道内か、全国か、世界かでマーケティング戦略は変ってくる。

4.ブランドだけを突出させるのではなく、「地域全体のマネジメント戦略の中に地域ブランドを位置づけること」が大切。

5.理念、マネジメント、システム・・がないと、表面的なものになってしまう。

6.ブランドの構成要素:①存在感(独自の世界を持っていて、他と差別化できる)、②理念、③作り手と買い手との間の一体感、④物語性(苦労話など)、⑤信頼感。

7.風土:風は外からの人、土は地元の人。地域ブランドの第三者評価が必要、そうすれば、ブランドを立て直す、大失敗する前に補強していくことができる。

8.何故、その地域に行ってみたくなるのか、その土地に行かなければ手に入らない商品、製品に込められた思い、心の琴線に響く何かが欲しい。品質は重要だが、途上でも良くなると思わせるものでも良い。

9.消費者は、サイレントマジョリティー、嫌だと思っても意見を言わずに、消えていく。消費者に声を出してもらう仕掛けをどう作るかが重要。

10.ブランドは、長い歴史のなかで一貫性がなければいけない。しかし、その一方で革新性がないと消えていく。

11.地域ブランドは誰が責任を取るのかというシステム構築が重要。個別ブランドがそれぞれの責任において作っているとしても、関係者の間で情報を共有することが重要。地域ブランドの意味を首長自身が理解し、それを情報共有し、信頼性を勝ち取ることを認識しなければならない。地元では、絶対に譲れない部分は守ることの一体的な覚悟が必要。首長と市民の考え方がバラバラではダメで、一貫性が必要。

12.地域ブランドにも、ローカルブランド(オホーツクビール)とするのか、ナショナルブランド(十勝ワイン)にするのかを考えるべき。

13.経済性を持たせることが重要。

14.自分たちの価値で売り出すのではなく、人からみた価値を売り出すことが大切。

15.アンケート(作り手の意向で作る)でリサーチするよりも、接客している人が客の声をきちんと聞いていればずいぶんいろいろなことが分かるはず。売り手は、作り手の価値や思いを買い手に伝えることも大切。売り手と作り手には、観察力と好奇心が必要。

16.便益の束:問題解決の束:要は、何故買いに来たのか。口紅を買いたいのではなく、きれいになりたい・・その結果として口紅が売れる。

17.ブランドの資産価値(エクイティ):ブランド・ロイヤリティ(消費者が特定の銘柄をあたかも忠誠を誓ったように反復的に購買)、ブランドの認知のほか、品質イメージを指す知覚品質、ブランド連想などがあり、その総合力でブランド・エクイティができあがる。想像力や信頼性などが総合されて構築される。

18.自我関与(特定の対象物に対する個人のかかわり:自分の好きなブランドをけなされると自分がけなされたように思うなど):コンビビアルな関係(コンとは共に、ビビアルは生き生きした)=響きあう関係。作り手と使い手がコンビビアルな関係になれば、非常に強いブランドになる。作り手と使い手、売り手と使い手、作り手と売り手のそうした関係が重要。

19.北海道ブランドは現在強いが、企業の製品開発は5年前からスタートする、現状に漫然とせず、先を見越した取り組みが必要。

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May 03, 2010

岩手県二戸市門崎地区浄法寺町

前のブログで熊本大学の徳野先生の縮小論的地域社会の構築をという論文を紹介した。今日、それにぴったりの岩手県二戸市の事例をテレビで紹介していた。

浄法寺町では、過疎化が進み、村を出た子供たちが盆や正月にも帰ってこなくなった。過疎化への危機感もあり、どうして帰ってきてくれないのだろうと皆で集まって相談しはじめた。その結果、まず、トイレが汲み取りなのがいけないのではないかということに思い至った。

孫は怖がる、嫁は便秘になる、遠くの水洗トイレまで行って用を足す、そのうち、来なくなったことが分かった。トイレが理由であるということが分かるまでに1年かかったという。

そこで役所に下水道の整備を依頼するが、限られた予算のなかで、直ぐに応じてはくれない。そこで、19戸全部が加盟している浄門の里づくり協議会で相談し、自分たちで下水道工事をすることにした。最初から10年かけて、2007年6月に全戸の水洗が完了した。

重機のレンタルや水道管の購入などに2000万円かかった。月5000円を各戸で積み立て、半分は市の補助金で賄った。兼業農家なので、土木工事などをやることができた。居ないのは、屋根やと左官屋とのこと。

もともと、用水路が雪に埋もれ、春になって水田に水を流すために、泥や葉っぱを掃除するのも皆で行う。

10年間の間に、水洗トイレだけでなく、水車小屋、バス待合所、温泉、炭焼き小屋、児童公園なども作った。子供たちが帰ってきてくれても、盆は農繁期で遊んでやれない、冬は雪で遊べない、これを解消するために作った。

こうした努力が実を結んで、子供たちが帰省するようになり、Uターンする家族も増えた。今では、近隣の子供たちなども田植え体験や炭焼き体験など交流するようになった。

各世代(ゼロ歳から子供、若者、高齢者)が揃い、子供も生まれている。

年間では、夏は、蛍狩り(蛍が生息するように側溝のコンクリートを壊してつくった)、あじさい、満天星、夏祭り、秋は収穫祭、冬は、炭焼き、お蕎麦、正月、春は田植え、釣、これに通年で温泉とバーベキューなどのイベントが行われている。

一緒に話し合いを繰り返し、具体的なものを実現し、それが若者が戻ってくれるという成果につながったので、町の人たちは達成感溢れている。楽しそうなので、若い人も楽しくなる。協議会の人たちは、反省会(飲んで食べて)が楽しくてしょうがない。そういうなかでまた次のアイデアも出てくる。

これは、徳野先生が言うところの、20戸くらい、兼業農家が残っている、関係ない人と交流するのではなく、まずは、自分たちの身内を呼び戻す工夫というのにぴったりだ。まだ、元気な人が残っているうちに、こうした取り組みをすることが必要なのだろう。

岩手県による紹介は、ここ

岩手県では元気なコミュニティ100を紹介している。他は、どんな感じなのだろう。

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May 02, 2010

大学コンソーシアム

『マルシェノルド』2004年3月号に「財団法人大学コンソーシアム京都」の取り組みが紹介されている。こちらは、現在もちゃんと続いているようだ、これがURL

1.京都は大学の町。01年度の学校基本調査によれば、京都市の人口100人当たりの短大生0.65人、大学生8.72人、院生0.9人、教員数0.5人と全国13大都市のなかでトップ。しかし、京都から大学が市外に流出するという事態が進んでいた。

大学にとって少子化への危機感があり、魅力あるキャンパスづくりのために市外に出た。

こうしたなか、京都市では、大学の振興と大学と地域との連携強化を目的に、92年10月に、「京都市大学21プラン策定委員会」を発足させる。21世紀に向けて、大学の集積した都市とし、知的文化資源を活性化させるために、大学の相互協力と行政の有機的な結びつけを想定して「大学のまち京都・21プラン」を策定。このなかで、大学コンソーシアムの実現が明記される。

京都にある40の大学と短期大学によって「大学センター設立推進会議」が諸多くし、94年3月に45大学・短大と京都市・京都府の2つの自治体が参加して、財団の前身である「京都・大学センター」が設立される。

2.同センターは、単位互換などの大学間の教育交流やリカレント教育、大学研究者のデータベース構築などを事業の柱とし、特に単位互換は大きな事業であった。しかし、この段階では任意団体であり、組織的にも財政的にも不安定であったため、98年3月に財団法人として設立が認可された。

基本財産は、京都市が5000万円を負担、残りの5000万円を大学側が負担し、1億円とした。財団化と同時に、京都府は構成員から抜けたが、それに替わって、経済同友会、商工会議所、経営者協会、工業会と京都の経済4団体が加わり、行政だけでなく、産業界との連携も実現した。

また、センター時代には参加していたなかった国立大学も加盟し、現在は、50のすべての大学・短大が加盟する連携組織となっている(他に特別会員として大阪医科大学が加盟)。

3.活動拠点は、センター時代には、同志社大学の一角を間借りしていたが、2000年9月にJR京都駅そばに6階建ての「キャンパスプラザ京都」がオープンした。学生や市民が活用できる情報交流プラザやホール、講義室、会議室などがある京都市が整備した施設。現在は、市の委託を受けて財団が管理運営を行い、大学間の単位互換授業(単位互換授業400のうち3分の1がこの施設で行われている)や公開講座の実施のほか、大学に関する情報収集ができる場となっている。

4.大学コンソーシアム京都の5つの事業

(1)大学間の交流事業

大学間の単位互換。45大学が参加し、400科目が対象。

研修交流として、大学教員や教授の能力向上を目指すふぁカルティ・ディベロプメント・フォーラムの開催。全国に呼びかけている(市外からの参加者が上回る)。

00年からは、学園祭の共同版ともいえる京都大学フェスティバル。

(2)生涯学習

学生を対象とした単位互換科目のうち約7割を一般市民に開放するシティカレッジと、公開講座のプラザカレッジが主な事業。後者では、京都学をテーマにした講座を展開している。

(3)産学官連携(*印は、行政の委託事業)

学生のインターンシップ

ベンチャー支援を狙った京都起業家学校の開設*

離職者訓練講座*

技術者を対象に経営感覚を学んでもらおうという技術者経営講座(MOT)*

(4)研究交流

行政の委託に基づいて、京都地域の調査・研究を行う。財団側がコーディネート約となって、研究者の自薦を得て研究を進めてもらう。

大学の枠にとらわれず、研究者、文化人、経済人、職人、行政関係者などをネットワーク化し、さまざまな京都ブランドの創造を担う活動を行うための学術コンソーシアム事業

(5)情報交流と発信

京都地域研究者のデータベース管理と運用

高校との連携を進める高大連携推進事業。各大学が行う入試広報とは別に、全大学が集まって京都で学ぶ楽しさや意義を伝えようと、02年から東京と大阪で「京都の大学”学び”ゴーラム」を開催。島津製作所の社長や加盟大学総長らによるフォーラムのほか、特色のある授業の模擬授業を行う。

大学コンソーシアムの財源は、学部学生一人当たり1000円の会費を各大学から徴収するほか、行政の委託授業などを含めて4.4億円ほどの予算で運営されている。施設の維持管理費を除いた2.9億円が事業費。うち半分ほどが行政から委託事業。事務局員は、嘱託8名の財団職員のほかは、大学と京都市の出向者で、出向元が人件費を負担。

以上は、雑誌記事からの抜書きなので、現在は、違うところもあるかもしれない。ネットで検索すると、全国に同様な動きが広がっており、また文科省もこうした動きを支援しはじめているようだ。

京都のコンソーシアムでは、「京都高等教育研究センター」を設けているようだ。目的としては、全入時代ともいわれる厳しい高等教育情勢の中で、加盟大学・短期大学(以下、「大学」という。)が特色を活かした改革を推進することの支援、大学マネジメントを支える人材育成に関する研究の推進、大学連携および産官学地域連携を基礎とした連携型高等教育に関する研究を行うこととのこと。

このほか、学生が地域で産学連携するプロジェクトなどがなされているようだ。

高等教育研究センターのように、大学のレベルアップを図ることに力が入れられているようだが、産学連携で商品開発がなされたり、起業が盛んになるといったところまではここを見る限りは見えない。

しかし、協力の基盤が出来ているというのは羨ましい。

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江別ブランド事典

地域イノベーションの事例を探すので、少し古い雑誌も含めて読んでいる。北海道開発局の雑誌『マルシェノルド』2004年3月号には、江別ブランド事典のことが書かれていた。

江別が札幌学院大学の電子ビジネス研究センターの渡辺先生と、江別IT技術者協会が出会い(個人参加の江別経済ネットワークが両者を結びつけた)、江別ブランド事典の事業が始まったとある。

公平さをきすために、市内5万世帯のなかから7500世帯を抽出して江別の素敵なものや事柄を教えて下さいというアンケートを実施、90%もの回収率で市民の声が集まった。その声を忠実に発信しようと、回答のあった1000件以上のものや事柄を事典に掲載したとある。

まず上位120件を最初の年度の江別ブランドとして認定し、取材を進めて詳細情報を掲載していくとかかれている。

学や市民が主導し、市はこれをサポートする役に徹したと書かれている。

しかし、現在、この事業は終了してしまったようでウェブをクリックしても開かない。開発報告書はここ

なお今でも、江別では、小麦の生産が盛んで、なかでも「ハルユタカ」という品種は、ほとんど江別産ということで、小麦そのものやそれを使った商品などをブランド化している。小麦ブランド化についてはここ

役所の補助金を使うと、だいたいこんな感じで、一時期は話題となるが、その後調べると立ち消えてしまっていることが多い。

しかし、「地域のブランド事典」という手法は、他の地域でもやりようはあるように思う。前述の報告書では、他地域と連携するといった方向性も書かれているが、これも可能性はあるのではないか。

地元の人が進める名物や事柄の紹介とそのポータルサイトが連携することは、外部の人がその地域を訪ねるときに参考にすることができて、楽しいのではないか。

日テレで、「都バスで飛ばすぜい」のコーナーで名物認定などをしているが、こういうものも隠れ名物として人気になっている。

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May 01, 2010

子育て支援にみる地域イノベーション(仮説)

子育て支援は、結構自治体によって多様なようだ。

そこで、子育て支援策でユニークな制度を導入している地域について、地域イノベーションの連鎖が起きているのではないかと調べてみようと思いついた。

つまり、最初は、行政による制度が導入されるが、その制度自体が地域を巻き込むものであり、それをきっかけに、地域の「自律」度が高まるとか、逆に、地域の「自律」度が高いので、地域を巻き込んだ子育て支援策を導入できたといったようなイメージだ。

子育て支援にみられる「自律」が、それ以外の分野でも起きているなどが見つかればもっと面白い。

たとえば、杉並区や三鷹市は、子育て支援でもユニークらしい。これが住民の民度(自律度)と関係があるというようなことが見つかると面白い。一方、西東京市は、これが全くなくて、東京都の政策をなぞっているだけであるなどが見つかると面白いと思うのだが。

そう思って、ネット検索してみると、どの分野でもそうだが、情報が広く深く、またそれを既に一生懸命やっている人がいるのに圧倒される。子育て支援のプロになろうというのではなく、これを材料に仮説を検証したいだけなので、私にとっては、こうした既にやっている人たちの情報は助かるのだけれど。コンテンツがある人は羨ましいし、偉いし、自分の浅薄さを思い知ることになる。

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