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May 21, 2010

住民自治が当たり前になるためには-達成感、自負-選び直す

法政大学『地域イノベーション』vol1に所収されている論文を紹介してきた。藤沢町の歴史も踏まえ、少し考えてみよう。

1.危機感を強く感じる

藤沢町で住民自治が行われるようになった背景には、大いなる「危機感」があった。地元では食べて生けないので、働き手が都会に出てしまう、結果高齢化が進み、未来に希望が持てない、国がわるい町が悪いという不満ばかり。これは、上勝町も一緒だ。

そういうなかで、でも、「ここで暮らさなければならない」のなら、他人(国など)に頼っていても始まらない、「自分たちでやれることからやっていかなければ誰も助けてはくれない」。

藤沢町という田舎の小さな町で1970年代に感じられた将来に希望が持てない、なんとなく不満、国が悪い・・という状況は、2010年現在の日本全体の空気である。つまり、日本全体が本来大いなる危機感を感じなければならない。

感じていないのは、鈍感としか言いようがない。戦後驚異的な復興を成し遂げた日本のおごりというか、ゆで蛙状態である。驚異的な復興と経済発展をしたのは、置かれた環境の御蔭であり(東西冷戦や軍備を逃れた:これは政治的判断)、環境が激変するなかで、日本のおかれた状況を認識すれば、大変な危機であろう。

まずは、危機であることを深く認識させる必要がある。

2.地域を良くする意味を自分のこととして理解する

その上で、しかし、日本から逃げないのなら、日本を自分たちで良くしていくしかない。そして、個々人の生活にとって「地域」が逃げ場のない終の棲家であることを再認識する必要がある。ここでは、日本から逃げられないことは、ちょっと置いておいて、なぜ、地域から逃げられないかを考えなければならない。

藤沢町の場合、主要産業が農業であるということもあり、地域から離れなれない(先がないので離れようかと考えている人も少なくなかったが)。

今日における私たち、特に都市部に住んでいる人たちにとって、地域は、選択し、移り住むことが可能である。しかし、現実には、会社の転勤族を除けば、そう簡単には移り住まない。そして、移り住んだとしても、それはどこかの「地域」なのである。そういう意味で、私たちは、どこかしらの「地域」に属している。

生活するにあたって必要なことの多くは、その地域の自治体を通してサービスが提供されている。教育、医療、福祉、ゴミ・環境、防犯・防災などなど。結果、地域をよくすることは、暮らしやすくなり、住みやすくなる。どうせ住んでいるなら、住みやすいほうが良いに決まっている。

3.自分が感じている不満は何で、それは誰が何をすれば解決可能なのかを認識する

多くの人はなんとなく不安で不満である。それは、夫の給料が低いからなのか、自分が自己実現できないからなのか、親を介護しなければならないからなのか、道路が狭いからなのか、子供がうるさいからなのか・・・。

こうしたことは、全て個人的なことなので、夫が悪い、姑が悪い、子供が悪いで終わることが多い。しかし、それを良く考えると、たとえば、自分が自己実現できないのは、保育園が不足していて子供を預けらず、働きに出られないからかもしれない。あるいは、親の介護で自由時間が取れないからなのかもしれない。

こうしたことは、保育園の充実や預かり時間の延長や介護サービスの充実などで解決できることかもしれない。そうした問題を国が解決するのか、町が解決するのか、そうではなく、住民自らが解決するのか、それとも、新にそうしたサービスを提供する企業が誕生することで可能になるのか。一つ一つを落とし込んで考え、誰がどう解決したら皆に笑顔が戻るのかを考えていく必要がある。

藤沢町では、道路を整備して欲しいというニーズがあった(何のために必要だったのか要チェック)。それにあたって、町が道路をつくるが、土地の提供を地権者と折衝するのは地域住民の役割となった。

若い人の職場を確保するために、工場誘致をしようということになり、土地は住民が提供し、町は、誘致に奔走した。

農業でやっていけるようにするために、大規模化が求められ、それを実現するために、国有林などの開拓やそこに水を引くためのダム建設を行った。これらは、町がやったが、大規模化のための仕組みづくりについては住民が協力した(正確には要チェック)。

住民の不安や不満を聞き出し(アンケート、地区ビジョンづくり)、それを具体的に落とし込み、何をしたらそれが解消するか、誰が何をやるかを議論しながら明確化する。

4.3をやるのは、大変な作業で、これをやる過程で、行政マンも住民も勉強せざるをえないし、情報公開・提供もされることになるし、住民が集まる場所づくりも必要になるし、住民の要望を具体的な計画とし、それがどこまで出来たかなどのPDCAもなされることになる(住民意識が高まれば、当然結果を報告し、その評価もせざるをえない)。

前記事に市民参加型街づくりの促進策としてあげられていることは、3をやるにあたっては、自ずとこれらをやらなければならなくなる。つまり、促進策なのではなく、住民自治をやろうとすれば、自ずとこうなる事柄ではないか。

やはり、一番の問題は、漠然と感じている不安や不満の解消が地域の問題として取り組むべき問題であることを分からせることなのではないか

もう一つは、藤沢町の場合、皆で議論して、課題解決方法を探り、住民がやれることをやった結果、地域がよくなったとの実感があれば、自分たちでやれるという達成感や自負が生まれ、これが郷土愛につながることだ。ただし、地区の皆で何かをやることに喜びや連帯感や達成感を感じるようになるには、やったことが成果となるという一巡が必要であるし、田舎ではない都会の場合、他に楽しいことが沢山あるなかで、地区の皆で自治をやることが楽しいと思えるようになるのかどうかが難しいかもしれない。

藤沢町のような田舎で農業の町であっても、このまち自体も昭和の合併で出来た町であるし、昔の村落共同体ではなく、新に、藤沢で暮らすという選択をしたということである。村落共同体の頃は、村の名主などが中心になってまとめあげていたり、大家族であったり、おそらく農協などもなかったはず。新に、農業で暮らしていくための新しい仕組みづくりを模索し(大規模化など)、医療・介護・健康を一体化させた仕組みをつくって、地域で元気に老いて死んでいける安心感を生み出している。この新に地域を選び直すというスタンスが重要である

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