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May 06, 2010

小布施ブランド

地域ブランドの続き。成功事例として小布施が紹介されている。

小布施は人口1万1500人、観光客が年間100万人訪れる。小布施のことはなんとなく知っていて、伊勢と同じように、地元の有力菓子やが北斎をテーマによくある景観統一をしているのだろう程度に思っていた。しかし、今日までの経緯が書かれており、地権者5人がとことん話し合って修景事業を進めたり、そのほかの取り組みも面白い。

1.小布施は室町時代から栗栽培が行われていた。江戸初期から市が立っていた。谷街道(現在の国道403)と谷脇街道(現:県道村山小布施停車場線)の合流地点。江戸後期になると千曲川の舟運が発達、街路と水路のターミナル機能を持ち、農業のまちでありながら、商業も発展し、この時代に豪農や豪商が生まれた。

その一つの高井家の高井鴻山が15歳の時から京都と江戸に遊学に出され、書・絵・和歌・漢詩など幅広い教養を身に付けて小布施に戻る。遊学中に出会った多くの歌人や書家が小布施を訪れる。北斎もその一人。鴻山は、物心両面で北斎を援助、北斎は、祭り屋台や岩松院の天井画などを手がける。

2.その後100年間は、物流の中心が鉄道に変り、街路や水路のターミナル機能が衰え、豪農・豪商も勢いを失う冬眠期。

3.小布施堂の市村郁夫氏が1969年に町長に就任。過疎対策として、土地開発公社を設立し、宅地分譲に取り組む。長野市のベッドタウンとして1万人を切っていた人口が1万2000人に増加(現在は当時より5000人程度減少)。

祭り屋台の保存、北斎をシンボルにした意識高揚・散逸するのを避けるため北斎館建設・新旧住民の融和、北斎研究(研究者や芸術家がやってくる→観光客)

観光客増加に伴い、栗菓子メーカー(それまでは卸売)が店舗販売・飲食サービスに乗り出す。

社長でもあり町長でもあった市村郁夫氏急逝、跡を継いだ息子2人は、民間企業であっても地域と一蓮托生であるべきという考えを持ち、地域が発展することで小布施堂も生き残れると判断、支点展開せずに、小布施町にこだわることに。工場増設も郊外移転せずにこれまでの敷地に北斎館との連携を意識して景観に配慮した概観に。

工場近くの高井鴻山の隠宅「悠然楼」を町が取得し、記念館として一般公開。市村両氏は、北斎館との有機的な結びつきや景観に配慮した空間づくりが必要と考え、隣接する長野信用金庫小布施支店に相談、ちょうど店舗の狭さや駐車場の確保に悩んでいた。さらに隣接する民家2軒に相談すると、日照や騒音問題に悩み。そこで、行政、信金、小布施堂、個人2者で5者協定を結び、町並み修景事業を推進。5者が納得するまで、何度も話し合いを重ね、2年を経て、ようやく5者の合意がなされ、その後3年かけて移転や新築工事が行われた。「小布施方式」と呼ばれる町並み修景事業。

修景事業により、1万6000㎡の敷地は、栗の木の角材を埋め込んだ遊歩道のあるくつろぎと回遊性のある空間となった。

小布施堂では、この界隈のさらなる整備を進め、現在、この一帯には、小布施堂本店、枡一市村酒造場本店、洋食レストラン傘風楼、バー碧い軒、寄り付き料理を提供する蔵部など同社が係わる飲食店が立ち並ぶ小布施の顔となっている。小布施堂では、「産地から王国へ」(大消費地に産品を送り、肝心の地元には行き渡らないのではなく、産品が地元で深く愛され、広く流通して生活文化の象徴となることで、地方の時代を真に豊かにするとの思い)というテーマを提唱、その思いが込められたのがこの味わい空間だという。

・・・・観光客向けだけでなく、地元の人たちがこの空間を愛し、利用しているということなのだろうか(要チェック)。

小布施町「栗と北斎と花のまち」というキャッチフレーズ。花のまちづくりは、行政が主導し、80年代に始まる。町内の全28自治会に花づくり委員会が組織され、まちづくりの柱の一つとして花による美しいまちづくりを行われる。小布施花の会が設立され、家庭や企業・商店を対象にしたフラワーコンテストが実施される。89年からは、ふるさと創生1億円事業を活用し、花のまちづくり町民海外研修旅行として、町民がヨーロッパ諸国を視察する機会も設けられた(92年まで)。延べ120余りの町民が視察。小布施オープンガーデン(個人の庭園を住民や来訪者に公開)も、2000年からスタートし、現在108の庭園が名を連ねる。

これにあたっては、花づくりに必要な技術、デザイン、モデルなどの情報を発信してほしいとの要望が持ち上がり、調査のすえ、楽しみながら花について勉強できる施設「フローラルガーデンおぶせ」を平成4年に開園した。一方、花を産業として育成するため、農林水産省の許可を得て花苗生産施設「おぶせフラワーセンター」を建設。この施設は、農家が花苗として市場に流通させる事を目的に、種からプラグ苗までを育成し生産農家に渡すことにより、町内における花苗需要に対し、良質な生産をもって即時対応が可能となり、併せて花苗生産農家の育成につながり、果樹に加えた新たな産業としての確立を図っている。

まちづくり会社㈱ア・ラ小布施が93年に設立された。官民がコラボする小布施方式をさらに展開。小布施町商工会が観光部会の設立を検討、市村氏の提案で、観光だけでなく広い意味の地域振興を担っていこうと、商工会に地域振興部が立ち上がる。しかし、次第に組織の形骸化、財源問題など商工会内での活動に限界。→そこで、まちづくり会社を設立。ちょうど町では、町営の公式ガイドセンターの発足準備をはじめていたこともあり、地域振興部と町とによる第三セクター設立へ。地域振興部員全員が50万円、町が100万円出して㈱ア・ラ小布施が設立された。一人でも多くの住民が小布施に住んでよかったという幸福感を持つまちになるために設立されたので、出資者には配当しないNPO的な組織。

ガイドセンターを兼ねた喫茶店ア・ラ・小布施、喫茶店機能もある小布施駅横にあるコミュニティスペース六斎舎、宿泊施設であるゲストハウス小布施の管理運営、ニュースレター発行やイベント企画など。小布施国際音楽祭、北信濃小布施映画祭など。常勤4名、非常勤8名、イベントなどでは町内外のボランティアが協力。

今後は、農業に力を入れる。有用微生物を使ったEM農法の推進や消えていった特産品小布施丸なすの栽培など。これらは、どこまで産業化されつつあるのだろう。

市村氏は観光カリスマにも選ばれているが、観光を意識するというよりも、まちづくりの結果としての観光であって、目指すべきものは交流だという。小布施ファンが増えて、このまちを愛してくれて交流が深まり、そこに信頼が生まれる、そこからビジネスに結びついていくような息の長い視点が必要(市村氏)。

++++

市村町長へのインタビューなどにみる、この「まちづくりの結果としての観光」という視点は、とても大事だと思うのだけど、小布施でこれが出来ているとしたら、素晴らしい。それが、さらに産業振興(観光だけでなく、種苗産業、EM農法から派生した商品開発?)につながっているとしたらさらに凄い。

全町内会で花づくりをし、オープンガーデンをしている家が増えているのも凄い。ネットで見る限りは、総合計画にあたって、町民よりなる(町民会議)まちづくり委員会が作られているようだ。これが実質的な意味を持っているとしたら素晴らしい。要チェック!

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