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August 31, 2010

地方分権化と地域コミュニティ(小原隆治さん)

いくつか前の記事で『ヘスティアとクリオ』のHPを紹介した。そこの2006年3月号に載っている記事から、ポイントだけ紹介する。

1.市町村合併

○明治の大合併:近代国民国家の土台づくり

300から500戸を基準にして一つの町村をつくる(内務大臣訓令)。戸籍の編製をし、それを基に、徴税、徴兵、義務教育を行う。明治19年に地方官官制(勅令で中央が地方をコントロールする体制の背骨ができる)で地方長官である府県知事が地方をコントロールする。明治21年に市制町村制、23年に府県制で合併が実施される。7万2000弱の自治体が1万5000に。

○昭和の大合併:戦後体制の土台づくり

新制中学を担うにはどの程度のサイズの市町村が適当か、人口8000人を基準に合併を進める。町村合併促進法。1万5000が当時1万くらいになっていて、それが3000くらいになった。

○平成の大合併:理念なき合併

市町村を1000にするというのも根拠なし、人口1万人以上に(2005年5月に明示化されたものの、五目基準といわれるほど、理念がなく後知恵)。合併の理念や数値の根拠が不明確。

理由としては、①自治体を強く

1999年に地方分権一括法の改正、機関委任事務が自治事務へ(これは主に府県、政令指定都市、中核都市、特例市で、市町村は蚊帳の外)、だから自治体を強化する必要があるというが、市町村にはただちに及ばない。

②広域行政の必要性

広域行政の必要性(介護保険、語も処理、広域消防)がうたわれ、そのサイズとしては10万人をイメージしている。

③財政再建。(疑問)

平成の合併で約3000の自治体が1800程度に(平成22年3月末では1727)。

・まだらな合併の進捗状況

合併が大いに進んで、市町村が10台になってしまった、香川県、富山県など。東京都(減少率2.5%)、大阪府(2.3%)や北海道(15.6%)などは進んでいない。減少率が最も高いのは、広島県(73%)、愛媛県(71%)。

・小規模自治体が残り、広域行政の必要性を実現したとはいえない

まだ1万人以下の自治体が26%くらいある(457/1727)。1万人以下の自治体が残っている比率が高いのは、北海道、長野、高知、沖縄。

また、合併したものの、10万人未満の自治体が9割(数えてみると政令指定都市の区を除いて263が10万人以上なので15%)。

2.地域コミュニティの解消戦略(反対勢力を封じ込める工夫、旧自治体の安楽死させる方法)

①財産区(明治の大合併で大きな抵抗にあったのが部落有林野の統一→これを残すために財産区を設けた:要チェック

②選挙区(自治体議会の選挙は基本的に大選挙区制度だが、条例に基づいて選挙区をつくることができる。そこで、昭和の大合併の場合は、旧行政村単位に選挙区をつくって、旧行政村単位で新行政村の議員を選出するというやり方をした。

③地域自治組織(平成の大合併。合併特例区:法人格あり、機関限定と地域自治区:法人格なし)。2007年10月のデータで、地域自治区(一般)17団体、地域自治区(特例)38団体、合併特例区6団体となっている(合計58、合併市町村件数564)。

これは、合併を進めるためのアメではあるが、「小さな自治」を育てる芽になるかもしれない。

3.自治基本条例

○何故条例をつくるのか

機関委任事務が自治事務となると、自治体は、お上に判断を仰ぐのではなく、自ら判断しなければならない。そこで、理念、手続きなどのガイドラインをつくろうとなった。

参加と協働ということが言われはじめ、これを合わせた理念、参加手続き、協働手続きを定めるという要請もあった。

○基本条例≒自治体の「憲法」

憲法は、人権論と統治機構論からなる。人権論が大切で、それを守るためにどのような統治機構をつくるか。政府に人権をどう守らせるか、守らない政府であれば、その政府は取り替えてしまう。その約束事を決めたのが憲法。

◆松下圭一の二重信託論

①従来の行政法学:国民が政府に信託をする。政府が憲法に基づき、政府の産物として作ったのが地方自治体である。

②二重信託論:国も自治体もそれぞれの政府としては独自の地位を持っているのであって、国民が政府としての国に信託をするように、自治体住民は政府としての自治体に信託を行う。信託の約束事を定めたものが憲法であるとすると、国の憲法と同様、自治体の憲法として自治基本条例をつくろう。

◆協働(権利と義務)を前提にした憲法とは

市民が政府に信託し、働くのは政府である。政府が我々の人権を守らない場合は、その政府はかえてしまう。→ところが「協働」ということになると、市民が政府に信託するのだけれど、その信託した政府と一緒に市民も働くとなると、市民には、権利だけではなくて権利と義務が発生することになる(ロックではなくルソー型)。

立憲主義:権利中心にして憲法を構成し、それを守るのは(市民ではなく)政府である。

ところが、憲法を守るのは、政府としての自治体だけではなく、私たち市民も守らなくてはならないということになる。→これが際どい(この意味が私には良くわからない)。防災とか子育て、介護、環境、まちづくり、これを地域住民、地域コミュニティが行わなければならない、責務として構成していくとなると、非常に息苦しい体制づくりになってしまう

現実の問題として地域コミュニティをどのように編成していくか、町内会・自治会を使うのか、現在持っている体質(行政の下請け、首長や議員の集票マシン)をどうするのか。

自治基本条例ではなく、自治「会」基本条例になりかねない、という危険性がある。条例づくりに参加してくるコアメンバーが自治会・町会関係者、行政や議会からの働きかけなどにより、ボスが入ってくる。→草の根保守主義を強化することにならないか。

憲法改正論→権利の体系(立憲主義)ではなく、義務の体系として再構成しようという動きにつながりかねない。

ここが良くわからなかったのだが、ここの記事(2006年9月)で良くわかった。専門家というかそれぞれの分野の知識を持たないと見逃すところだ.

あるテレビ番組で宮台さんが説明した「憲法とは本来、権力者が国民に命令を与えて国民を束縛するためにあるものではなく、国民の側から権力者に命令を与えて、権力者を縛るためにある」ということが立憲主義といわれる考え方のようだ。ここにも説明がある。

では、住民基本条例は、「憲法」なのだろうか。

住民の側から権力者に命令を与えて縛るためにあるというよりも、市民が主体となって地域を運営するにあたって、市民と議会、行政がどのように協働するか、お互いの権利と義務を確認しあうものであって、憲法(市民が国や自治体を縛る)ものとも、法律(国が市民をしばる)ものとも、性格が異なるのではないのか。共同宣言のようなもの?

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