May 02, 2010

江別ブランド事典

地域イノベーションの事例を探すので、少し古い雑誌も含めて読んでいる。北海道開発局の雑誌『マルシェノルド』2004年3月号には、江別ブランド事典のことが書かれていた。

江別が札幌学院大学の電子ビジネス研究センターの渡辺先生と、江別IT技術者協会が出会い(個人参加の江別経済ネットワークが両者を結びつけた)、江別ブランド事典の事業が始まったとある。

公平さをきすために、市内5万世帯のなかから7500世帯を抽出して江別の素敵なものや事柄を教えて下さいというアンケートを実施、90%もの回収率で市民の声が集まった。その声を忠実に発信しようと、回答のあった1000件以上のものや事柄を事典に掲載したとある。

まず上位120件を最初の年度の江別ブランドとして認定し、取材を進めて詳細情報を掲載していくとかかれている。

学や市民が主導し、市はこれをサポートする役に徹したと書かれている。

しかし、現在、この事業は終了してしまったようでウェブをクリックしても開かない。開発報告書はここ

なお今でも、江別では、小麦の生産が盛んで、なかでも「ハルユタカ」という品種は、ほとんど江別産ということで、小麦そのものやそれを使った商品などをブランド化している。小麦ブランド化についてはここ

役所の補助金を使うと、だいたいこんな感じで、一時期は話題となるが、その後調べると立ち消えてしまっていることが多い。

しかし、「地域のブランド事典」という手法は、他の地域でもやりようはあるように思う。前述の報告書では、他地域と連携するといった方向性も書かれているが、これも可能性はあるのではないか。

地元の人が進める名物や事柄の紹介とそのポータルサイトが連携することは、外部の人がその地域を訪ねるときに参考にすることができて、楽しいのではないか。

日テレで、「都バスで飛ばすぜい」のコーナーで名物認定などをしているが、こういうものも隠れ名物として人気になっている。

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March 21, 2008

赤岡青果市場

来年度の授業のためもあり、地域活性化の事例を探している。

燃える人のMLに載っていた高知の株式会社赤岡青果市場の水田社長は、面白い事例のようだ。

中国四国農政局の事例集に掲載されている。

また、NHK「ビジネス未来人」でも昨年取り上げられたとのこと。

これらの情報によると、教師志望であったが、父の死を受けてこの市場を引き継ぐことになり、さらに兄が戦病で亡くなったこともあり、昭和53年から社長となる。

その後、いち早く倉庫や与冷庫などの設備投資をし、株式会社化し、規模を拡大してきた。平成3年には、目標としてきた売上高100億円を達成する。平成4年には加工場を設け、平成11年には、パーシャル方式(冷凍状態で食品を保存)を取り入れた。

この市場が注目されるのは、会社をあげて、営農支援をしていることである。産地の高齢化、女性化が進むなかで、

  1.  男性社員30余名が、早朝出勤し30余台の集荷車で周辺産地へ集荷に当たる。
  2.  入荷品の一次加工は、できるだけ有利販売になるようバラ荷や規格外品を加工することにより、付加価値を向上させ生産者へ還元している。
  3.  生産者に好評を得ている「出前研修」は、消費者ニーズも大きく変わり、量よりも質、値段よりも安全・安心・新鮮さが求められ、安全・安心対策のために、地区ごとの小グループの出荷者を対象に実施している。年間数十回も集落に出向き、消費者の声、色々な情報を提供するとともに、技術指導、営農相談を行っている。
  4.  「伝統的食生活を守る」「地域の特産物を守る」というスローフード運動として、地元小・中学校の学校給食の食材に、地元産野菜の提供、伝統食の給食と食文化の課外授業等に協力している。

この箇所は、中国四国農政局のHPから写しました。

この会社は、字面だけみれば単なる株式会社だけれど、地域活性化を担っており、社会起業家とも言えるのではないか。補助金などに依存するのでもなく、第三セクターでもなく、自立した事業であるのも好ましい。

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May 22, 2007

立花隆の21世紀社会デザイン研究

パラダイムのことを考えていたら、文春6月号に、立花隆が立教大学大学院で「21世紀社会デザイン研究科」の特任教授になったことが書かれていた。

「21世紀に入っているが、これからの21世紀社会がどのような社会として展開していくか、誰も明確なイメージを持っていない。・・20世紀社会と21世紀社会のつなぎ目部分には、大きな近く変動が存在している。だがそれがどのような地殻変動なのか、まだその全体像はつかめていない。しかし、すでにボンヤリとではあるが、その輪郭というか、方向性のようなものが見えてきている。その方向性を見定め、新しい社会の理念を構築し、そのモデルをデザインしていこうというのが、この研究科の基本コンセプトなのである。」とある。

家に帰ってURLを探すと、立教のこの研究科のホームページがあった。「非営利組織」「危機管理」「ネットワーク」の3つをキーワードとしており、興味深い。これから、私なりに考えていくにあたって、ここの先生名を検索すると、有益な考え方を得ることができそうだ。

立花氏自体は、「そもそも社会デザインとは何なのか」という原理論を教えるとのことで、「ことばの力」(構想力なのか、夢想ないし幻想の喚起力なのか)・・歴史から何を学ぶことができるのか、「社会革命の夢」と「破綻と再生」について考え直そうと思っているとのことで、なかでも、20世紀は「戦争と革命の世紀」だったが、21世紀はどうなのだろうかとある。

こちらも、興味深い。私なりにも考えてみようとおもう。

ゼミのホームページは、こちら

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January 23, 2006

プラウシップ

荒磯先生が北海道中小企業家同友会と連携して北海道産学官連携連携研究会(HoPE)を立ち上げている。

HoPEは、1対1の産学連携では領域が限られ、イノベーションが発生する確率が低いために考え出された仕組みで、ある企業について大学側から「ホームドクター」を1人選び、事業化ニーズに応じて専門のアドバイザーとなる教官を紹介するというシステム。1年前の記事に「アドバイザーには各大学・研究機関から100人以上の研究者」が協力していると書かれている。現在複数の多様な研究会が組織化されている。

そうした流れの中で、2年ほど前に、北のブランドものづくり工房(株)プラウシップが生まれた。地元のゴムメーカー、自動車メーカーのエンジン開発をやっていたCAD会社、それとソフトウェア開発を手がける会社の3社が設立した。共同受注・生産のシステムで、道内の機械メーカーや商社と連携し、大学や道工試などの研究機関のシーズと組み合わせて注文に応じた機械を生産することを目指している。

私が係っているITカロッツェリアは、ものづくりIT工房を作ることを目指しているので、ここと連携したらよいのではないかと、CAD会社社長のNさんに相談しにいった。

Nさんは、自動車メーカーを脱サラして北海道に戻り、経験を活かしつつ北海道でものづくりをしたいと考えて、プラウシップにも参加しているが、北海道には、ものづくりで最も重要な機能が欠けているので苦労しているという。

ものづくりは、①市場調査、②企画・構想、③概念設計、④基本設計、⑤詳細設計、⑥試作、⑦評価1、⑧改良試作、⑨評価2・・を繰り返して商品が出来上がる。①市場調査をすれば、お客さんは、格好よくて、速く走って、しかし安い車が欲しいという。しかし、それを全て叶えるわけにはいかないので、妥協しなければならない。Nさんは、先輩に、ものづくりは究極の妥協だと言われたという。

つまり、②企画・構想で、えいやっと妥協点を見つけ、③概念設計、④基本設計を行う。たとえば、格好よいというので、スポーツカータイプにするが、エンジンは1500CCのなかでもっとも馬力が出せるものにし、鉄のボディにして、価格は150万円くらいにしよう(この事例は私のいい加減なものです)などと決める。そうやってはじめて詳細設計が出来る。

ところが、北海道の製造メーカーに「こんな風なものをつくりたいので知恵を出してよ」といっても、そんなことを言われてもわからない、「こういう形のものを作れ」とか、「ここをこう削れ」と言ってくれといわれるというのだ。

つまり、自分で開発をしたことが少ないので、詳細設計を見せられてその通りに加工することはできるが、ああでもない、こうでもないと妥協しながら商品企画をしたり、およその絵を書くという経験が少ないというのである。

Nさんは、ここが出来る企業が少ないので、プラウシップを設立したゴムメーカーやNさんがエイやっと決めているのだという。だから、「ものづくりIT工房」を私がつくるというのだが、ITをやってきた人で、ものづくりの経験を持たない人がこのエイやっと決めるところを出来るのだろうかと心配してくれた。

また、お客からみた場合、「ものづくりIT工房」が頼んた商品の責任を取ってくれるのかどうか、信頼が置けるのかどうかが心配である。この「工房」が責任を取れるのか、お客からみて、信頼を得られるのかというアドバイスも頂戴した。

プラウシップは、強力なリーダーが居るのではなく、共同受注方式なので、お客からみて安心してもらえるように、荒磯先生などの有識者も入れた評議会のようなものを作っており、そこで、お墨付きをもらうやり方を取ることで、安心感を得ようとしている。また、リスクなどの取り方も、そこで決めているらしい(このあたりはちょっとあいまいです)。

「ものづくりIT工房」は、プロデューサー機能を果たすP社が、農業とか観光とかのニーズを見つけてきて、地元のIT企業などに仕事を依頼し、「工房」の機能を活用して、ものづくりをして提供するという絵を描いている。では、P社は、ニーズを実現するために、エイやっと商品企画が出来るのだろうか、お客への品質保証をやりきれるのだろうか、リスクはどのように分担しあうのだろうか、運転資金はどうするのだろうか。

・・・・ものづくりIT工房の担い手が見えてきたので、少し安心していたのだが、Nさんの話を聞いて、実際に動くものだろうかと心配になってしまった。

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May 07, 2005

市役所での活用

札幌エリアの情報化の歴史について、情報産業政策と市民生活へのIT活用について述べてきました。これに加えて、札幌市におけるIT活用について紹介しておきたいと思います。

札幌市では、1997年に「札幌市情報化構想」を定めました。その基本コンセプトは、「情報という縁で結ばれた街をつくる」で、双方向コミュニケーションの構築と新たなコミュニティの創出を目指していました。町村合併と都市化で巨大化してきた札幌市にとって、地域コミュニティをどのようにつくるかということが大きな課題として意識されていたようです。

当時、藤沢市がすでに市民電子会議室による市民間、市民と市役所間のコミュニケーションに取り組んでおり、そのノウハウを入れ込んだ電子会議ツールが開発されていました。そこで、札幌市でも、このツールを活用し、1998年から開設に向けての実験(子育てのML)、1999年「政策研究電子会議(社会実験)」を開始し、2000年に札幌市電子会議室「eトークさっぽろ」を本稼動させました。

実験を通して、市民同士、市民と職員のコミュニケーションスキルが高まるとともに、たとえば、子育ての話から税制の問題や産業振興策にも触れなければならなくなるため、縦割りでは対応しきれなくなり、自発的に市役所内の情報交換の場である「@る~む」という会議室も生まれました。

また、「発想庵」という電子コミュニティも生まれました。これは非公開で、職員が問題意識を持った場合に自由につくれるもので、そのテーマに関心のある市民やその道のプロなどを交えてあるテーマについて研究するというものです。たとえば、「さっぽろライフ」という研究会では、本州の幸せと北海道の幸せは違うだろうということで議論し、ライフスタイルブックを編集することに結びついたそうです。

こうして始まった「eトークさっぽろ」では、毎年いくつかのテーマごとに会議室が設けられました。その一つ「札幌市HP編集会議」を例にとると、市民から「使いにくい」、「こういう情報も欲しい」などの苦情や要望が寄せられます。

単に知りたいなら情報を提供すれば終わりですが、「こういうサービスが欲しい」という要望に対し、「サービスを開発して提供する」、「それが具体的に成果として現れる(この場合、HPが変わる)」、「広報からリリースされる」ことを通して、意見を言った人は、満足感や役割感、行政に対する信頼感を感じるようになります。こうした感覚が、新しい改革への期待感、政策への参加意識、新たな課題の発掘につながっていくと思われます。(市役所HPにある5つのインデックスは、この会議室から生まれました。)

電子会議室を通して、職員も市民から生の意見を接することでやる気が出たり、市民の方も、職員が一生懸命なのをみて、単なる苦情を言うスタンスから励ましあう、あるいは前向きの提案をするように変わっていくなどの変化がみられたとのことです。

「eトークさっぽろ」は、2001年度までの事業として一旦終了しています。私自身は、この経緯を体験していないのですが、小さなことでも、自分の意見が政策に反映され、自分たちのまちが暮らしやすくなる体験は、自発的な市民を生み出すうえで(ソーシャル・キャピタルの増加)非常に重要なことと思われます。

ただ、実際には、190万人もの市民に網をかけるのは、難しいかもしれません。前に書いたネットワークの階層性のように、コミュニケーションのための社会的ネットワークは、最大150人までなのではないでしょうか。経験した方の感想でも、やはり、実験段階のコミュニケーションが一番実りある会議であったようです。ここでの興奮を体験した人々は、その後もNPO活動などを積極的になさっているらしいです。

ちなみに、前の記事のNCFとの関係では、NCFのメンバーは、この会議室でもずい分活躍したり、支援したようです。

札幌市では、その後、コールセンター「ちょっとおしえてコール」(民間委託が話題となっています)をCRMの一貫として開設しました。ここでは、単に問い合わせに答えるだけでなく、市民からたくさんの問い合わせがあった内容については、サービスを開発、提供するなど政策に反映する姿勢となっています。

(資料)淺野隆夫「IT活用による地域メディアづくり-自治体がメディアになるということ」『IT社会とこれからのまちづくり』(平成13年度地域活性化フォ-ラム講演録)(財)地域活性化センター、淺野隆夫「電子会議室とWebが作り出す新たな市民メディアの考え方」『都市問題研究』平成14年10月号

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May 06, 2005

渦のようなネットワーク形成

今回は、市民によるIT技術活用の動きについて紹介しましょう。

札幌エリアでは、1984年からパソコン通信が行われていたようです。通信自由化が1985年ですから、かなり早いといえます。1990年には、北海道新聞社が子会社を設立してインターネットの商用サービスを始めました。93年には、札幌医大の先生を中心に、WIDEプロジェクトと共同でインターネットの普及促進が図られました(NORTH)。

当時のNORTHがどちらかというと、線を引くことに重点が置かれていたのに対し、インターネットを活用するという動きも出てきました(最近では、NORTHはシニアのITリテラシー向上を支援しています)。

94~95年に、札幌市の外郭団体である札幌エレクトロニクスセンターが「ハイパー風土記札幌」というプロジェクトを実施したのがそのきっかけです。このプロジェクトは、当時の通産省の補助事業によるもので、郷土の情報をデジタルで保存するとともに、その作成を通じて地域におけるコミュニケーションの促進やIT技術の普及促進を図ることを目的にしていました。

これを制作するにあたって、広く市民に呼びかけ、産官学民から多様な人々が集まりました。制作に携わった約400名の人々は、インターネットを使った共同作業に大変興味を覚え、新しい時代の予感を感じ、事業を超えて人的ネットワークをつくることになりました。これが、ネットワーク・コミュニティ・フォーラム(NCF)'96です。

NCF'96 は、電子メールでの情報交換とオフラインのでのミーティングを中心とし、必要があればテーマごとに店を開く方式で進められたようです。

その結果、誰かが思いついた企画を横のつながりで成し遂げられる面白さ、意思決定から実行までのスピードの速さ、何かやるたびに集まった人々のいろいろな能力が引き出される発見の楽しさなどがメンバーを興奮させました。

官庁や企業などの組織ではなく、さまざまな能力を持つ個人が知り合い、連携すればかなりのことが出来ること、インターネットは、こうしたことがやりやすいことを身体で理解したのです。

NCFでの興奮を体験した人々は、その後、さまざまな活動に散っていきました。たとえば、小中学校にボランティアでインターネット環境を整える身体障害者の人たちのITリテラシーを高めて自立を支援するNPO法人の人たちにIT活用方法を指導する、IT活用を通して付加価値農業に取り組む、市民のためのメディアづくりに取り組む(など)、自然エネルギーを普及するなどなど。

NCF-NPO これらには、NCFメンバーが自ら立ち上げたNPOもあれば、志を同じくするNPOに積極的に参加しているケースも含まれます(図をクリックすると拡大されます)。

また、NCFの有志が「シリコンバレーでは、カフェで起業家とエンジェルがビジネスプランについて話をし、そこで支援が決まる」という話に憧れて、札幌にもこうしたビジネスカフェを作ろうではないかと動き、実際にカフェを作ってしまいました。

ここでは、もちろんカフェとして使えますが、そのほかに、セミナーや講習会、起業家がビジネスプランを発表する会などを開催し、ビジネスマン同士の交流や学生が産業人と交流する場づくりをしています。こうした中から、アジアのIT集積地との交流事業なども生まれました。

NCFの'97年のフォーラムで「渦のような運動を目指す!」とありますが、まさに渦から飛び散った水滴が多様な活動に降り注いでいった感があります。

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札幌エリアに集積する情報産業

前回の記事で地域情報化とは、ソーシャル・キャピタルを増加させるための仕掛けとの理解が進みました。

そこで、札幌エリアの情報化について調べてみました。札幌エリアでは、「情報産業政策」と「市民生活へのIT利用」とが相乗効果を発揮し、かなり成果があがっていることが分かりました。

まず、産業政策からお話しましょう。

北海道は一次産業が主要産業で、公共投資依存の建設業はありますが、製造業の比率が少ないため、新しい産業として情報産業に力を入れてきました。情報産業なら東京などから遠いというハンデを克服できるのではないか(半分正解)という期待もありました。

情報産業に力を入れるようになった背景には、北大工学部の学生たちがマイコンが生まれた70年代後半に、面白がってつくった製品が大手企業に売れ、それをきっかけに起業したという歴史も影響しています。

札幌市では、80年代後半にテクノパークを造成し、当初は、地元の情報産業の企業の集積を図り、ついで、本州の大手企業を誘致しました。それまで、北大を出ても地元に就職先がないため、東京で働いていた人たちが、札幌に仕事先ができるなら戻りたいとUターンしてきました。なかには、北海道に憧れてIターンしてきた人もいました。

北海道の人たちは、できることならゴミゴミした東京などではなく、空気のきれいな北海道で暮らしたいと思っている人が多いのです。このため、大手N社がテクノパークに開発センターを置くと、大手F社の社員も辞めてこちらに転勤してしまうというようなことが起きたそうです。そこで、これでは困ると、F社も開発センターを建てるというように、多くの企業の開発センターが立地することになりました。

ITcluster 札幌エリアには、もともと官公庁の受託などをしてきた汎用系の情報処理企業、北大マイコン研究会から誕生し、そこから派生した企業群、本州企業の開発センター、ゲームソフトなどコンテンツ制作企業、ウェブ制作などインターネット関連企業などが集積しています。これらをシリコンバレーになぞらえて、「サッポロバレー」と呼んでいます(もっと狭い定義にする場合もあり)。(図をクリックすると拡大します)

北海道全体では、情報関連産業の売上高は、3000億円、働く人が1万7000人、うちそれぞれ約8割が札幌市となっています。ともかく、情報産業に従事する人がかなり札幌エリアにはいるということになります。

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April 16, 2005

サッポロバレー

2001年4月に札幌に来た頃には、「サッポロバレー」が華々しく雑誌などに取り上げられていました。

日本では、1996年に、ヤフーやインフォシークなどアメリカのネットベンチャーが日本法人を設立し、ネットビジネスが始まりました。外資だけでなく、ホリエモンのオン・ザ・エッヂ(ライブドアの前身)が96年、楽天が97年に設立されるなど、日本でも次々とベンチャーが誕生しました。そして、アメリカの「シリコンバレー」や「シリコンアレー」などネットベンチャー集積地になぞらえて、東京渋谷に「ビットバレー」という名前が付けられ、さらに各地に「○○バレー」が誕生しました。

そのなかでも、札幌のIT企業の集積は、歴史があること、技術力が高いこと、企業間連携が進んでいることなどから、もっとも成功しそうと期待され、注目度が高かったのです。

北海道は、製造業の比率が低いため、特に札幌エリアでは、従来から新しい産業として情報産業の育成に力を入れてきました。そこにインターネットという新しい波が来て勢いづいていました。札幌なら都市機能を享受しながら大自然で遊ぶこともできる・・と、若くて優秀な技術者も流入してきました。そして数社が株式公開するなど、札幌が新しい次元にステップアップするかに見えました。

しかし残念ながら、この勢いは尻すぼみになってしまいました。株式公開した企業も、大手の傘下に下ったり、規模を縮小してリストラをするに至っています。本州から来た優秀な技術者は、戻ってしまいました。

ビットバレーでは、株式公開して得た利益をもとに、単にサッカークラブや野球チームを購入しているだけでなく、まだ株式公開していない企業を買収して業容の拡大を図ったり、次世代ベンチャーのエンジェルになるなど、産業基盤の厚みが増す結果となっています。

サッポロバレーがせっかくの好機を地域経済発展に結び付けられなかったのは、経営者の問題なのでしょうか。そうではなくて、札幌、あるいは北海道という地域の問題なのではないでしょうか。

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