September 03, 2010

名張市国津地区

名張市の住民自治について前の記事で紹介した。

今回は、最初に自発的に地域計画を策定した国津地域についてみてみる。

平成7年に策定されたくにつくり計画「アララギプラン」は、涙が出るくらい立派なものだ。

昭和29年の人口は420世帯、2200人であったが、平成7年当時は、320世帯、1100人と人口が半減している。少しでも流出を食い止めようと、ゴルフ場誘致を行ってきた。

しかし、平成9年には、小学校入学者がゼロになることが分かり、130年間、学校と地域は、さまざまな活動を共にし、共通の思い出と愛着を育む基盤であるのに、このままでは、廃校となり、この基盤が消滅してしまうという危機感から、若い人たちの強い要望で地域を挙げて「活性化委員会」が設立された。

先進地域である奈良県東吉野村に住民の3分の1が視察をし(東吉野村も過疎の町で、熱心に取り組んでいたらしいがネットではその内容を見つけられなかった)、アンケートには90%の回答があった。

議論を重ねるなかで、国津地区は、過疎だけれども、人口増加を続けている(大阪などのベッドタウンとして)名張市にあるということに気が付く。

そこで、トナリのトトロの役割を国津地区が担うことで意義ある町になれるのではないか。名張のなかで国津はなくてはならない地域となり、国津の人たちも地域の価値を認識できるようになる。そうなれば、ゆっくりとであろうが、過疎やいびつな年齢構成は解消されていくのではないか。・・と考えた。

そして、7つの計画と活動の目標を策定し、それぞれに、(1)自発的な活動と(2)具体的な施策を整理した。7つの計画とは;

①名張のふる郷づくり(やすらぎのある風景と魅力のある施設づくり、イベントと文化の情報発信)

②自然にふれあう山、川、里山づくり(里山などの自然環境の保全、やすらぎのある自然の再生)

③明るく心休まるふる郷づくり(住居・道路近辺の樹種の転換、森の資源の活用と雇用の場の確保)

④便利で安全な道づくり(街道づくりと道路整備促進委員会、郷のみちづくり・バス路線と駐車場の確保、散策道の整備)

⑤さわやかだ心温まる地域社会づくり(国津の日、コミュニティセンター、情報通信、くらしと生活)

⑥郷の良さを生かした教育環境づくり(なばり・自然の楽校、就学指定制の弾力的運用、保育の充実、国津地域教育連絡協議会)

⑦農を活かしたふれあいづくり(名張の菜園、農産物の情報提供と生産流通の組織づくり、くにつ「源流米」、薬草園)

それぞれの項目について、たとえば、①のやすらぎのある風景の魅力ある施設づくりでは、(1)自発的な活動としては、国津を訪れる人を温かい心で迎えます、無人販売所の設置や素朴な案内板などなつかしさを感じられる風景づくりをするとしている。

一方、(2)具体的な施策としては、子供たちや家族づれが自然と触れ合い、学び、体験できる自然観察公園を整備し、そこに自然の楽校(自然観察館)を整備するとか、薬草やハーブを栽培し、心にやさしいヘルスケアパークを作る、北畠具親城館跡地を城郭公園として整備し、国津に点在する中世城館跡をめぐるコースの拠点にする、水辺レクリエーション区行くを整備する、ハイキングコースを整備し源流域としてPRするなどが記されている。

この計画に書かれたことがどこまで実行できたか、詳しくは分からないが、その後、平成15年からできた「ゆめづくり地域予算」を使って国津が実施したことを挙げると、地区運動会、ホタル狩り(国津地区だけでなく、松坂の子供たちも一緒に)、花いっぱい、公園の整備や河川周辺の景観や案内板の点検補修、コミュニティバス運行、フェスティバルやフォトコンテスト、夏祭りなどが挙げられている。

なかでも、そもそもこの計画策定のきっかけであった国津小学校については、特認校としての指定を受けている(小学生で、少人数や空気の良いところで勉強したい子供が学区を超えて受け入れる)。

しかしながら、平成20年度に、人口は849人、高齢化比率が44.9%となり、さらに、過疎化と高齢化が進んでしまっているようだ。

ちなみに、平成7年の計画段階で、住民に実施したアンケートでは、何故過疎化が進んでいるかの大きな要因が地域に働く場所がないということであった。名張のトトロとしての整備は進んだように思われるのだが、それが住民増加には結びついてはいないようだ。

計画では、インターネットでの国津の情報発信とあるが、HPも見当たらないし、ブランド米づくりや有機農産物、薬草園などは、どうなっているのだろうか。実際、人口減少と高齢化が進むと、現在の公園やハイキングコースなどの整備でもおそらく手一杯であろうし、新しい販路開拓やブランド化などに取り組むには、人手が不足しているかもしれない。

自分たちで地域ビジョンを作り、自分たちも知恵や労力を出しながら、市や県などにも働きかけて地域づくりをしていく、というのは素晴らしい先進性だし、隣のトトロというコンセプトを打ち出したのも凄いと思う。

名張のトトロとしての評価が高まり、住民は、顔が明るくなっているのだろうか、それとも、人口減少を前に疲れてきているのだろうか。これだけ素晴らしい住民力がある地域を活性化するには、次に何をしたらよいのだろうか。日本中が人口減少なのだから、人口が増えることが活性化ではないだろうが、やはり、若者や壮年者が戻って・増えて、バランスが取れるということが一番なのだろうか。

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August 29, 2010

地域イノベーションを考えるにあたって

地域イノベーションについて考えるにあたって、

1.最初は、まちおこしや地域再生事業などの具体的事業を検討した。

しかし、多くが、数年経つと立ち消えてしまっていたり、事業に携わっている人以外には影響を及ぼしていないように見受けられた(きちんと事例をすべて追いかけて分析してはいない)。

この理由を探るなかで、

(1)資金の問題

①事業の資金が国の補助金であり、補助事業が終わるとともに終了してしまい、お金を別途調達して続けることがないらしい、②何かやりたくて補助事業を活用した場合は事業の成果が残るが、お金が欲しくて補助事業のスキームに合わせて計画を策定しても、急ごしらえであって、地域の本当の課題解決につながらず、補助事業が終了すると消えるだけでなく、トラウマなど地域に傷を残すこともある。

(2)社会変革への意欲

また、一生懸命やっている事業でも、たとえばアメリカの社会起業家の評価基準でチェックしてみると、

①カリスマリーダーがやっているが、組織化などがなされていないので、持続性に欠ける(田舎では、組織化するにあたっても人材がいないということもある)

②首長が中心になって取り組んだものの、少ない予算規模のなかで、右に傾きすぎると、首長の任期終了後、反対勢力が出てきて事業が途絶えてしまう(道半ばで終わってしまうこともあるし、そもそも計画がその地域にとって無謀であることもある)

③その地域限定でものを考え実行するので他地域展開しにくい(地方自治体の第三セクターや農協など)、当事者にも地域発のイノベーションで社会全体を変えるという思いがない

④既得権益を守っているなかでの小手先の改善であり、地域の課題を本格的に変えていこうというスタンスではない(商店街の活性化で、イベントや歩道の修復など、地域の中でその商店街に求められているものが何か、もしかすると自己否定につながるかもしれないことまで踏み込んでいない)。

2.社会起業家が輩出されればよいのか。

では、アメリカの社会起業家のように、ある課題を解決する社会起業家(社会を変える意思を持ち、持続可能なビジネスモデルを構築)が次々と誕生したら、地域は良くなるのだろうかと考えた場合、それはそれで良いが、地域の活性化にはつながらないような気がしてきた。

アメリカの社会起業家も、最初はある特定の地域で、貧困やそれによっておこる教育格差、健康格差などに取り組む。そのモデルが良いと、寄付などが得られ、全国展開、世界展開となる。そういう意味では、日本のある地域の課題を解決する社会起業家が出てくることは望ましいし、それがなんらかの方法で全国展開すれば、社会変革は加速されるだろう。

たとえば、地域の資源を活用した地域産品のブランド化、マーケティングの手伝い、販路開拓をする社会起業家が生まれるなどだ。こうした動きがないわけではない。あるいは、ある地域で開発された病児保育の手法が全国の自治体に受け入れられ、支援を受けて全国展開するなどだ。

これはこれで素晴らしいことだが、なんだか、地域の活性化とは違うような気がする。地域の住民が主役で、この人たちが皆イキイキとすることがなければ、社会起業家がある課題を解決しても意味がないのではないか。確かに、たとえば、病児保育が普及し、お母さんがイキイキと仕事と家事を両立させられれば、地域の所得も増えるし、お母さんもイキイキするので良い。しかし、病児保育は、あくまでも地域の人たちの生活を支えるサービスの一つに過ぎないのではないか。

3.地域住民が自分たちの暮らしを良くしたいと立ち上がる。

つまり、主客転倒のような気がするのだ。確かに行政サービスが行き届かないところを、社会起業家が行政よりも安く良いサービスを提供するのは良いことだ。しかし、行政や社会起業家がサービスを提供する前に、主役である地域住民が自分たちが主役であり、こういう暮らしをしたいのだという明確な思いがあるべきなのではないか。

そんなことを考えているうちに、日本では、主役である住民が受け身で出来合のサービスを受けているだけなのではないかと思えてきた。民主主義が根付いていないのが問題なのではないか。

そこで、まず、自治について考え、そうなると、多様な生活スタイルや考えの人が暮らす地域で、合意を得るとか、どのようにガバナンスしていくのかということが気になってきた。

そこで、少し調べてみると、宮本常一が西日本では、かつて寄合というのがあって、合意ができるまで延々と話し合うというのを見つけたり、町内会の位置づけなどの研究や、討議する民主主義の研究などがあることを知り、紹介してきた。

前の記事で紹介した山浦晴男『住民・行政・NPO協働で進める最新地域再生マニュアル』では、宮城県田代島での寄合ワークショップの経緯が書かれていて、当初は、諦め感と行政への文句(陳情)だけであった住民たちが次第に本当は諦めていない自分に気づき、こうなってくれたらという思いを話だし、その後自分たちで何かしようと内発的に動き出す(お金を出す、汗をかく)経緯が紹介されている。

この田代島で起きたことこそが、地域活性化なのではないかと思えてきた。

田代島では、過疎が進み、皆諦めきっており、島民もバラバラになっていたのが、島をなんとかしたいというようになり、皆でやれることをやってみようと動き始めた。これには、著者らファシリテーターの役割が大きい。

日本中の地域で、住民たちが自分たちの地域に愛着を持ち、こうありたいと夢を描き、その実現のために、自分たちの力でなんとかしようと知恵を働かせ、汗をかく。その結果、皆イキイキとしはじめる。自分たちでどうしても不足するところは、行政に働きかける。これが自治であり、民主主義だと思う。

山浦さんの本には、小さなエリアにおけるさまざまな取り組みが紹介されており、こういうことができているなら、大丈夫なんじゃないかと思えてくる。もちろん、これらは大海の一滴なのだろうが、日本のあらゆるエリアでこうしたことが行われれば、皆顔が明るくなるに違いない。

日本津々浦々に、こうした自治の取り組み(受動から能動へというシステム変化)が伝播すれば、これは、地域イノベーションといえるだろう。その意味では、山浦さんの地域再生マニュアルは、いろいろな地域に応用可能であり、ある種の発明かもしれない。たとえば、蒸気機関を誰かが発明し、それが船や列車に応用されてイノベーションが広がっていったのと同じことだ。

同じ生産要素(住民)でも、気づき、やればやれるなどの刺激を与えることで(生産関数、エネルギー源の変化)、受動から能動に変わり、明るくなったり、一体感が生まれたり、愛着が増したり、楽しくなり、生産性(地域が活性化される)があがる。

同じ綿糸をつかっても、人力ではなく「動力機械」を使うことで生産性が上がるのと同じ。同じ従業員でも、QCサークルなどで動機づけをすると工程がカイゼンされて、不良品が出ないのと同じ。あるいは、もっと創造的で、研究開発部門でいろいろな人材がフリートーキングすると新しい発想が生まれるのと同じかもしれない。

○受動から能動を経験した地域は、これがDNAとなって、最初の事業だけでなく、次々と新しい発想で事業展開する。

○受動から能動を経験した地域は、当初コアメンバーだったが、遠巻きに見ていた人にも影響を与えて、周辺部分から新しい取り組みが生まれる。

○受動から能動を経験した地域が話題となり、I・Uターンなど外部から人がやってきて、新しい改革が始まる

・・・なんか、こんなことがあってくれると、綿糸の革新が進み生産性があがると、綿織物の革新が促され、あるいは、蒸気機関が電力になるなどのような玉突き現象が起きるようで面白いのだが。

こうした地域の受動→能動の動きが周辺などを巻き込んでイノベーションを加速させていくことと、町おこしや社会起業家との関係はどう考えたらよいのだろうか。地域の受動→能動の動きに刺激されるなかで社会起業家が生まれやすいとか、逆に社会起業家が動くことがきっかけで地域の能動化への動きが起こるということはあるのだろうか。今までの事例の経緯では、社会起業家だけが動くと、地域との間には溝があったりしそうだ。一方、これを上手く外部の目などとして活用しようということが地域内部から芽生えればよいのかもしれない、あるいは、一緒に考える場を設定するなどの仕掛けが必要なのかもしれない(山浦さん、木原さんがやっているように)。

4.気になっていること、そのほか

○山浦さんの事例は、課題に当面している地域の事例だ。確かに、日本中本当はどの地域も課題を抱えているのだが、合併に当面している、人口流出が凄い、高齢化が凄いなどの逼迫した問題に当面している地域が事例となっている。これは一周遅れのトップランナーなのかもしれない(受動から能動へと変わるという意味で)。しかし、こうした真面目な取り組みだけでなく(取り組みは楽しくないと続かないのだから、楽しいのだろうが)、課題解決ではなく、楽しくってしょうがなかったらこうなったというような事例と対応を考えてみたい。

たとえば、実際には一体感がない地域は課題ではあるのだが、その課題に気づかなかったのだが、アルビレックスを応援するなかで結果として一体感が生まれたとか、そこから新しいビジネスが生まれたなどのイメージだ(新潟がそうかどうかは分からない、たとえばである)。

○もう一つは、子供たちが素直に楽しい思い出を持ち、それが記憶に残って、その地域を愛するという視点である。昔の地域のお祭り・盆踊りはそうだったはずだ。これを新しい時代にどう作り出すか。これには、遊んで楽しかった(消費者)というだけでなく、自分たちがやり遂げた(達成感、一体感)というような体験と記憶(文化)をどうつくりあげるかだ。これは、スリルや悪事も含む。

○地域(東京以外)の当面の切実な問題は、若い人が働ける場所がないということで、これが高齢者や人口減少を生んでいる。日本中人口減少のなかで、どのような暮らしをイメージするのか、グローバル化のなかで、人々がどうやって食べていけるのかこの具体的イメージを描かないことには、ビジョンやイノベーションの姿を描くことはできない。

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August 25, 2010

基礎的自治体の問い直し

竹井隆人『集合住宅デモクラシー』は、藤沢町、サンシティ管理組合と事例を知るなかで、面白そうだと図書館から借りてみた。

これを読み始めて、「基礎自治体」という言葉が出てきたので、ネットで調べ始めたら、表題のようなコラムを見つけた。今村都南雄という2003年2月当時中央大学、現在山梨学院大学の行政学の先生が書かれている。

このコラムは、第27次地方制度調査会で「基礎自治体のあり方」が審議され、「西尾私案」が提出されたのをうけて、基礎自治体とは何かが改めて問われるようになったことについての感想を書いたもの。

西尾私案については、ここここを参照。

今村先生が取り上げているのは、この議論にあたって、いわば「自生的自治」とでもいうべきものへの人々の熱い思いが根強く残っていることに驚いたという話である。

以下引用  

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ここで「自生的自治」とは、自分たちの生活現場で、おのずと形成されるべき一定範囲の生活コミュニティにおける自治のことを指している。それはお仕着せの与えられる自治ではなく、上から、外からの干渉や関与を無用視する自己完結型の自治観である。

都市化と消費社会化の進展によるとめどもない個人主義の浸透のなかで、このような自治の形成がどこまで可能なのか、また現実的裏付けがあるのか、考えをめぐらせても、確たる回答は出てこない。

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どうして驚くのだろう。これが本来の自治のはずなのに。

先生は、明治の大合併の前の自然村や郷村・・の自治観は、「自ずから治まる」自治であっても、「自ら治める」自治モデルではなかったはずである。

と書いている。宮本常一によれば、西日本では、全員の合意ができるまで、(ダラダラと)話し合いを続けるという寄合の状況が書かれており、そこで取り決めたことは、箱に入れておくのだという。これを「自ずから治まる」自治といって片づけてよいのだろうか。これも「自ら治める」自治の形なのではないか。

以下引用

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戦後再出発した地方自治において私たちが求めたのは、明らかに「自ら治める」自治の実現であった。・・・単一国家制のもとでの政治・行政単位として、都道府県と並んで市町村を位置づけたのではなかったか。したがって、基礎的自治体の単位を設定する場合も、実は、国はもとより都道府県の存在を暗黙裏に前提にしていたのであり、決して「自生的自治」観におけるような自己完結型の地方自治を想定したものではなかったのである。

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上記で「私たち」というのは誰なんだろう。地方自治法を決めた学者や行政のことなのだろうか。要は「自治」という本来下からの「自生的」なものにも関わらず、上から国の行政の下請け的なイメージで市町村などの基礎自治体を決めたということなのだろう。

民主主義を考え、真の自治とは何かと考えた場合、この上から決められ、上位下達のための機関としての行政区は、「自治体」ではないはずだ。

先生は、「私たちの身近にいくつもの「自生的自治」の単位が生まれることは望ましい。しかし、それをもってストレートに基礎的単位とする地方自治制度の設計は、すこぶる困難な課題」としている。

おそらく、行政学者として、この「自生的自治」を制度にどう組み込むかを考えての発言なのだろう。自生的自治が本当に住民の代表かとか、財政をどうするとか、制度設計が難しいということなのだろう。あるいは、自生的自治が「完結型」であるというイメージにこだわっているのかもしれない。

現在の基礎自治体では、団体自治を実現し、それを住民がコントロールする(住民自治)となっている。それにあたって、選挙や罷免、情報公開などがその手段として認められているが、自生的自治(下からの自治、自分たちのこととして政治を考える)がなければ、形骸化したままとなる。

多くの人たちがそれに気づいているので、西尾私案を契機に、まてよ、本来自治って自分たちで考えて決めることなのではないかと考え始めたということなのだろう。

このコラムは2003年なので、その後、制度的に自治体内に地域自治組織を組み込む話が進んだが、制度を活かすも殺すも、問題は実態がそうなっているかだ。

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August 16, 2010

川崎フロンターレと盆踊り

NHKのテレビで、川崎フロンターレのマーケティング活動が報道されていた。

川崎のクラブであることを市民に意識しないで思ってもらえるように、いろいろな企画をしていた。

1.球場で家族が楽しめるいろいろなイベントをやる(選手が女装なども、秀樹のコンサートなど)

2.地元を選手が回って、挨拶をしたり、小言を言われたりする。

3.子供たちに、フロンターレの試合結果等を活用した学習ドリル(数学)を学校の先生と一緒に改良を加えて作成、配布している。  などなど(うろ覚え)

アメリカでスポーツ経営を学んだ人がマーケティング部を担当している。

実際、試合の入場者数は、絶対数ではまだそれほど多くない(平均並)が、伸びでみると、大きく増えていることが分かる。Skawasaki

算数のドリルを通して、子供は、川崎フロンターレを自然に身近に感じるだろうし、夏休みイベントなどで家族と出かけた思い出ができ、かつ一緒に過ごした選手が日本代表になったりしたら、応援する気持ちになるだろう。

このように人々の思い出に記憶されたものは、その子が大人になった時に、自然に好きになっていたりするに違いない。

川崎市にサッカークラブがあっても、人々の思い出とつなげたりしなければ、ただあるというだけで、市民のものとは感じられないに違いない。

一方テレビでは、盆踊りの維持が難しく、主催者は高齢化が進んでいるし、地元民の参加も減っていて、外部の盆踊り好きの人たちが来てくれることが救いになっているというニュースも流していた。

昔は、盆が大っぴらに休める時期であり、そこで恰好よく踊ることや恰好よく太鼓をたたくことなどが男女の出会いになっていた。村落のなかだけでの婚姻ではダメなので、祭りの日には、隣村まで出かけていって出会いをするというようなことが共同体のなかでのハレの日となっていた。かつては、若者衆が祭りをしきったり(それが一人前になるうえで必要)、出会いという楽しみがあったり、かつそれが思い出にもつながっているので、祭りや盆踊りに意味があった。

同じ行事をやっていたとしても、それが若者が主体的に運営する大人になるための通り道であったり、楽しい思い出につなげるなどのソフトの面が失せてしまえば、意味がなくなり、形骸化してしまう。

サッカーも、盆踊りも、地域に支えられ、地域のアイデンティティの素になるものだが、「今日の環境に合わせて」地域の人々にとって意味のあるものにするための知恵を働かせないと、地域に支えられないし、地域の人たちがそれで燃えることも起こらない。

新参者のサッカーが地域一体化(市民が認識する)のきっかけになるのか、盆踊りが再生するのか、いずれにしても、知恵が必要であろう。

川崎フロンターレや新潟アルビレックスの事例(市民に支えられる、市民にサッカーを通して一体感が生まれる)は、市民づくり(市民であると自覚する)のヒントを与えてくれる。

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August 13, 2010

地域活性化に必要なこと(2)住民自治-我孫子市

1.地域が活性化するには、住民が自分たちの地域をどうしたいのか考え、自ら決定し、自ら実行し、それに責任を取るようにならないとダメなのではないかと思う。

2.その場合、住民が責任を持てる地域というのは、合併が進み、道州制が議論されているが、そんな大きなものではないのではないか。

3.しかし、現状、地域のことなど面倒くさいなど、自分のこととして考えたがらない住民を意欲的な住民にするには、どうしたらよいのか。

4.地方分権の方向にあるが、お上の都合で分権されても、住民が地域のことに主体的に取り組む基盤が出来ていなかったら意味がないのではないか。自治体にただ分権しても、本当の自治にはならないのではないか。

というようなことをあれこれ考えている。いくつかの文献を読むと、いろいろなヒントがあったので、ランダムに記載しておく。

1.大本先生が我孫子の元市長の福嶋さんにインタビューしている記事があり、これによると、福島さんの考え方は、私の疑問に答えている。

ヨーロッパなどで言われている補完性の原理は、市民の活動がまずあって、それを補完するのが自治体とされ、出発点が市民であるのに対し、日本では、市町村を都道府県が補完し、それを国が補完するというように、出発点が基礎自治体になっている。

何を分権するかを中央が考えるのではなく、市民がやりたいこと・やれることをやって・・・の順番。地方自治体が民間に委託するにしても、こちらが考えて任すのではなく、自分たちにやらせてくれたら、もっとよくできるものを提案してもらう。

いわゆる「新たな公共」は、「市民との協働」と「市民への分権」によって実現する。

・市民とは「他者を配慮でき、自己決定ができ、決定に対する責任のとれる自立した人格の個人」を指す。

市民は、ボランタリー・アソシエイション(NPOなど)の活動を通して自治能力を高め、成長していく。

・自治能力とは、「異なる立場、異なる利害関係を持つ市民同士がきちんと対話して、議論のなかでお互いに納得できる合意を自らつくりだしていく力」である。

これを実現するために、福嶋さんは、次のようなことをやってきた。

(1)市民の育成と市民への分権:市民のボランタリー・アソシエーション活動(NPOなど)への支援

・市民活動、NPO、市民事業(コミュニティ・ビジネス:CB)への支援は市民活動支援課(小さな政府で豊かな公共)が担当(専任5名・嘱託2名)

・市民活動レベルアップセミナー、シニア世代歓迎の集い、地域活動インターンシップ・プログラム、小中学生へのボランティア体験情報提供、市民活動フェア、空き家・空き店舗情報提供、公募補助金制度、市民事業・CB支援事業(CB推進協議会運営、CBフォーラム、CB起業講座、CBサロン、起業のための研修等受講料助成)、市民活動公益保険、NPO活動に対する支援(収益事業をやった場合、法人市民性均等割5万円を免除)

・市川市の税金の1%を自分が指定するNPOなどに市が補助する仕組み。寄付に対する税控除ができないのでやったのだろう。ただ。税金とは、所得に応じて支払い、その使い道においては主権者全員が同じ権利を持つという大前提からすると原理を崩している。たくさん納めた人は税金の使い方により発言力を持つことになるから。1%だから許されているが。

(2)市民参加・参画の徹底と行政と市民の協働

・計画案づくりからの市民参画、計画の実行段階での参加、行政職員への民間経験者の採用。総合基本計画だけでなく、各部署の審査委員会等へも市民公募。

・情報公開(議員からの議会外での要望もすべて開示する)

市民投票制度(選挙で市長や議員を選んでも、1票入れるときに候補者の政策の全部に賛成したとは限らない。選挙の折に浮上していなかった重要なテーマが出てくる場合もある。主権者である市民と市長や議会の意思がずれていると市民が感じた時に、投票して判断を仰ぐ仕組みを用意することは大切。条例で制定

・まちづくり協議会(11エリア、地域のコミセンを自主運営したり)。地域のコミュニティとテーマ別コミュニティ(福祉とか、環境とか・・)。藤沢町のように、自分たちの要求に優先順位をつけるまでには至っていない。

(3)「新しい公共」として提案型公共サービス民営化制度

・行政の役割は、最小限とし(①許認可など公権力を伴う仕事、②あらゆる市民や企業の活動をコーディネートし下支えしていく仕事)、それ以外のすべての事業を対象に、企業、NPO、CB、市民活動団体などから、委託・民営化の提案を募集。

(4)職員の行政能力の向上

・施策の立案にあたり、シンクタンクに委託することなく、当該部署の職員による実態調査、アンケート調査などによって問題やニーズを調べたうえで、施策の計画を立案。

(5)ノーマライゼーションの福祉(子供と障害者に重点)

(6)持続可能なまちづくり(特に手賀沼の浄化と周辺環境整備:周辺の農業促進)

○議会(首長となれ合いにならない:チェック機能)→市民に責任を持つというスタンスはまだ。議会は、もともと、執行部に要求する、批判することでやってきて、問題提起とその解決策(議員立法)はやれていない。議員は公の場で批判されることに慣れていない。旧来は根回し方式(議会はシャンシャン)。議会として市民に説明する、市民の意見を聞くはなかなかやられていない(栗山町)。

○福嶋「議会と市民の自治が別々にあるのではなく、議会は市民の自治の一番基本的な制度。ただ、議会の議員や市長を選挙で選ぶだけでなく、日常的に直接行政のいろいろな分野に参加することが大切だ。そっちも選挙と同じくらい重要だと言っているわけで、直接参加だけが市民の自治だと言っているわけではない

○市長が出した議案一つにしても、それを審議するときに議会は公聴会を開けるはずだし、タウンミーティングをやってもよい。これがやられていない。大本「イギリスでは、タウンミーティングは夜開かれて、傍聴し、意見をいう、それをもとに議会で決めていく」

○議員は、知り合いに頼まれると例外的にでも特例で配慮して欲しいと動きがち。請願(紹介議員がいる場合)、いない場合は陳情(一定のマスがないと効果ない)。我孫子では、請願も陳情も同じ扱いにしているが、ふつうは陳情は聞いておくだけになりがち。

代議制はしょうがないので直接参加だという市民自治は、逆に限られた市民自治になりかねない

○福嶋氏が提案した住民基本条例は、何回もパブコメをやったが、議会で否決された。

●オンブズマン制度(行政活動監視:中野区、川崎市が導入)

●国会では法制局が法案を瑕疵がないかチェック。地方自治体では、議会事務局が担うが不十分。我孫子では、市の政策法務室が条例案づくりをサポートする制度を作った。市民が作れるようになる。傍聴者も発言できる制度。

○2004年に環境保全の一環として、古利根沼を乱開発から守るための用地取得費の一部に充てる「住民参加型ミニ市場公募債(オオバン我孫子市民債)」は、国債0.8%金利のところ0.58%なのに、発行総額2億円の予定が10億円以上集まった。

○住民の関心が高まり、児童虐待件数が増えたのは、隠れていたものが見えてきた。

●J.S.ミル『代議制統治論』「統治の卓越の最も重要な点は、国民の徳と知性を向上させること」。大本「市民自治を実現するため、行政依存的でない、自立した、他者を配慮できる市民が多く育つための条件づくり、基盤づくりに我孫子市長はじめ行政が努力」

●国立市、狛江市、尼崎市でも市長が同様のことをやったり、やろうとしている。大本「問題は、市民および行政職員の両者をどのように自律的・自立的市民に育て・高めるかにある。その方法が具体的でないと対等の参加と協働が実現しにくい

●宮崎県綾町(有機農業の町:照葉樹林文化)郷田實町長(脳溢血で突然死)→その後九州電力が鉄塔を立てるために原生林を伐採

●長井市のレインボープラン(生ごみのたい肥化)に刺激を受けて、市民の人は強化しろというが、熟度の高い堆肥になるのかが問題(有機農家が求める良質な肥料でないと)。

●スウェーデン:子供のノーマライゼーション:人工的な公園などを取り壊して自然に戻し、子供を遊ばせるが、危険もある。危険を体験させることが生きる権利。

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「住民が自分たちの地域をどうしたいのか考え、自ら決定し、自ら実行し、それに責任を取る」

これを本当の住民自治というのだと思うのだが、人口が増えれば、直接民主主義は難しくなり、代議制にならざるをえない。しかし、住民の意向を反映させるためにいろいろな仕組みが考えだされており、それが選挙やリコールなどだ。

地方自治は、団体自治と住民自治とからなるとされ、前者は、自治体が国とは別の自治権を持つということ、後者は、地方自治体は、住民の意志を受けて自治を行うこととされている。したがって、「住民自治」と言った場合、あくまで主体は、地方自治体で、その団体の活動を住民がきちんとガバナンスすることが住民自治の意味になっている。

住民が自治体をガバナンスするための手段としては、選挙、条例の制定・改廃の請求、事務の監査、議会の解散を請求、議員等の解職の請求などの権利が挙げられている。言ってしまえば、選挙の時しか意志を表明できないような感じだ。

しかし、制度は、その背景や環境が整っていなければ形骸化してしまう。

住民が政治(自分たちの地域をどうしたいか)に関心を持たなければ、選挙もいいかげんなものになってしまう。選ばれた首長や議員も、ただ選ばれたので偉いと思って特権意識のみあったのでは、地域が良くはならない。

このため、代議制はやむを得ないとしても、それを十分に活かすためには、住民が福嶋氏いうところの「市民」となり、「自治能力」を持つようにならなければならない。

しかしながら、住民は、自分たちの地域を自分たちで考えるものだとの認識を持つに至っていない。このために、覚醒させることと、ハウツウの訓練が必要であり、その一例が我孫子市がやっているさまざまな仕掛けであろう。

住民に身近なこと、切羽詰まったことでワークショップを開くなどのことから自分たちが主人公であり、自分たちが動けば、地域が変わることを実感し、議論や運動の方法などを体験して学んでいくことが必要だろう。そして、そうした人を増やしていく。

本当は、子供のころから、そういう体験を通して、自分たちの地域のことを考えさせ、それは自分たちで解決していくべきものである(そのために、首長や議会や行政を使うも含め)と覚えていくことが必要なのだろうと思う。これが民主主義の教育だと思うが、現状、どこまでやれているのだろうか。ただ、選挙に行けというのではダメだろう。

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August 08, 2010

地域の活性化に必要なこと(1)一人ひとりに居場所がある

地域(日本)に元気を取り戻す重要なキーワードは、横石さんが自らの体験から言われているように、一人ひとりに役割があり、朝起きたらやることがあることなのではないか。

これは、非常にプライベートなことと、社会的なこととがあると思う。

プライベートなことは、お母さんだったら、子供のためにお弁当を作るとか、成長を見守ることなどで、お父さんだったら、家族のために稼いでいるという誇りだろう。家族(恋人など拡大してもよい)に役に立っていると思われることだろう。

これが現在は、壊れている。

私も昔は、コンビニさえあれば良いのにと思っていたこともあるし、コンビニが家族の機能を肩代わりしてくれることに喝采していたのだが、結果としてこれが家族を壊している(壊すのを加速している)。

一人暮らしの若者や高齢者がなんとか生きていくために、今では、コンビニが大きな役割を果たしており、今仮にこれを廃止にしたら、死んでしまう人もいるだろう。しかし、家庭の機能を代替してくれるサービスが家族を壊している。

女性を家庭に縛り付けるのかといわれるかもしれない。もちろん女性だけでなく、家事を夫が肩代わりしたり、子供が手伝うことも含め、家族が互いに互いのために何かをしてあげる(逆に、やっている人にとって生きがいになる)という関係性をもう一度再構築する必要がある。

しかし、すでに、単身世帯などが増えている現状で、当人が面倒なしがらみを嫌っている現状で、こうした「家族」の関係性を再構築するというだけでは不十分だ。

地域のなかの人間の関係性を再構築することで「家族」の拡大版にすることは無理なのだろうか。

その場合、「家族ごっこ」を考えると無理がある。単身高齢者を見守るとか弁当を届けるというのは、される方にしてみれば余計なお世話となる。無理な家族ごっこではなく、いろどりが実現したように、社会的な役割を得るというのも一つの方法なのではないか。

社会のなかでお金を儲ける、誰か(横石さん、お客)に頼りにされる、褒められる・・・といったことだ。社会の中で人間としての関係性を構築することが張り合いとなり、生きがいとなる。その過程のなかで、見守りなどがなされるのが一番良い。

いろどりの仕掛けは、一つのケースである。高齢者を例にとれば、個々の個性を活かしながら活躍の場を与える必要があるのではないか。活躍というのは、凄い活躍をする場合もあるが、その人なりの活躍の場で良い。

農家の主婦・高齢者がやる直販所や産品生産などもその一つのケースである。そういうワイワイやるなかでのおしゃべりでも良くて、Aさんは、これが得意、Bさんは、面白い人など、そんな程度のことで良い。

こうした社会的関係性を専業主婦、子育てしている主婦、何をやってよいかわからない若者、あるいは、子供などにも持たせられるかどうかが総人口のエネルギーを活かせる道なのではないか。

静岡の小出さんが、何をやりたいかわからないが何かやりたいという人のつぶやきに付き合い、何かを見つけてあげるのを使命としているが(この場合ビジネス)、声を発していない人たちのこのエネルギーを活用してあげられる仕組みを作ることがキーではないかと思う。

前にも書いたかもしれないが、女性の埋もれているエネルギーを上手に活用しているのが創価学会だ。女性が役職を得ることで、イキイキと活躍している。

シルバー人材センターだけでない、上手な仕組みをどうつくるか。

兼業農家の勧めを書いていた人がいたが、無職で田舎に戻ったら、いろいろなことを頼まれて、結構やっていけるという。本来の人間社会とはこういうものなのではないか。

子供も、昔は、年下の子供の面倒をみたり、家の手伝いをしたりして、一人前になったような気がしたはずだ。また、昔は若者衆のようなものがあり、大人は、祭りとかある部分については、若者の自主性、自治を認めていた。

失敗もしながら、何かを自分たちでやることでやったと思い、成長していくはずだ。こうした、大人の知恵やルールが失われている。若者が何をやったらよいかわからずにエネルギーを持て余しているのは、「就職」しか選択肢がないからだ。

若者は、国を守ったり、人を助けたり、何かしたいと思っている。チャンスがあれば、海外のNGOなどで働くが、そうしたことを知らない、出会わない子も多い。

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June 01, 2010

地域イノベーションの類型

前記事を事例を入れながら整理する。

○地域イノベーションの定義:

地域住民が自分たちの望む暮らしを実現するために、自ら考え、解決策を生み出し、実行し、その結果に責任を持つこと、これを「自律」と呼んでおく。

○地域とは:

行政区の場合もあれば、より狭い生活圏を指す場合もある。

○住民自治と「自律」:

「住民自治」と「自律」は、内容的には同じだが、「自律」は、必ずしも行政の管轄下にあるとは限らない。

住民自治には、参加(自治体の意思決定に参加する権利)と協働(行政と連携して住民自信も自治体の公共サービスを担うべき責務ないし義務)が車の両輪としてある。そして、参加にあたっては、法律上、地区レベルに自治協議会を設けるなどの措置がとられる。その場合、協議会に出る人を公選制にするかどうかといった議論が絡んでくる。

ここでは、商店街組合が活性化のために自律的に行うことや、団地自治会が緑の保全のために自律的に行うことも含めて考えている。このそれぞれは、ある団体や集まりにおいて参加者が意思決定し、実行し、その責任を負うが、それが必ずしも、行政全体の施策につながるとは限らない。

○自律の2つの形態:

自律には、行政(町長)主導で、進める場合(行政主導型)と、民間の動きがデファクトになっていく場合(デファクト型)とがある。なお、行政が方向性を打ち出し、民間がその風を感じてさまざまな動きを開始する場合もある。これは、デファクト型とする。

行政主導型の場合は、生活全般にわたることが多いが、デファクト型の場合には、あるテーマ・分野から始まることが多い。

○地域イノベーションの伝播:

イノベーションは、伝播することで社会全体を変革することになる。地域イノベーションの伝播には、次の3つがある。

(1)ある地域のあるテーマ・分野で自律的に起きたイノベーションが他地域に伝播する。

香川の子育てタクシー、滋賀の菜の花プロジェクト、四日市のワンディ・シェフ・システムなど。これは、ある地域が抱えているある課題に対する解決方法が、同じような課題を抱える他地域に伝播していくもので、社会イノベーションと同じである。

(2)ある地域で、「地域を活性化」しようと、強力なリーダーや仲間が自律的にイノベーションを企て、その成功体験をベースに他分野にも自律的なイノベーションを展開する。

これには、ほぼ同時期の横展開(横展開型)と、時系列的な展開(時系列型)とがある。

横展開型の事例としては、新潟のアルビレックスのように、サッカーでスタートするも、バスケや野球にまで広がる。これは、アルビレックス社長の池田さんという強力なリーダーに負うところが大きい。彼の学校法人をコアとしたグループは、多様な専門学校、介護福祉事業、起業家を育成する大学院、起業家支援など地域産業起しや地域人材育成を展開している。一人の起業家の事業が展開していると見れないこともないが、ベースには新潟の活性化があり、彼の動きが空気をかき混ぜ、志のある人材が何か始めるうえでの追い風を作っている(野球チームを始めた人、健康産業を始めた人・・・もっと事例。住民の一体感や住民の自律的動きがないか要チェック)。これはデファクト型である。

同じ横展開型でも、藤沢町は、町長が主導し、住民が自らの地域を良くしていくためのビジョンを作らせ、行政と分担してそれを実現(道路整備、花壇、工場誘致)、町としてやるべきこととして健康・医療・介護一体型サービスの実現を行ったり、農業の大規模化・有機農業への進出などを行った。これらは、基本的には、町営で行い、一関市との合併問題の過程で、一部民営化された(要チェック)。これは行政主導型である。

上記の横展開型もある時期に一斉に実施されたわけではなく、結構時間をかけて進められてきたのだが、一人の強力なリーダーの傘下というか風のなかで実施されたという意味で横展開としている。

これに対し、時系列型というのは、ある時期強力なリーダーの下に自律的な動きがあり、一定の成果を収めるものの、時代や環境が変化するなかで、新しい対応に迫られた地域が、次世代の動きとして新しく自律的な展開をしている例である。これは、リーダーとなる担い手は、世代(分野)が以前とは異なるものの、自律の風土で育ったことが次の自律へとつながっていきやすかったのではないかと考えられる。時系列的な動きが自律の「風土」とか地域のDNAになっていることが抽出できれば面白いのだが。

詳しく調べるのは、これからだが、たとえば、湯布院がそうなのではないかと考える。映画祭などから始まり行ってみたい観光地として名前を上げた湯布院だが、その後、旅館の料理長らがゆふいん料理研究会設立し、競争のなかにも、共に学んで湯布院全体を良くしていこうという会が発足、スローフード的発想を打ち出すなど、新しい動きがある。これを言い出した料理長(新江憲一氏)は、映画祭などを主催したのとは別の旅館(草庵秋桜)だが(亀の井別荘の中谷健太郎氏も係わっているようだが)、この土地の人ではないかもしれない(20年前に来たらしい)。彼は今、九州全体の農業も含めたツーリズムなどにも係わっているようだ。

(3)ある地域でのある分野の「自律」が他分野の「自律」を促す。この場合、第二のように、一人の強力なリーダーの下に多様な展開が行われるのではなく、A分野はAさんが主導しているが、B分野はBさんが主導するというように広がる。行政型で始まって、民間のデファクトが起こる場合もあるし、強力なリーダーが「自律」は良いことだと風をそちらに向かせることによって、さまざまな人たちがそれぞれの得意分野で「自律」を始めるデファクト型もあるだろう。

アルビレックスで、池田さんが動くことによって風が起こり、多面的な人たちが自律的に動き始めているとしたら、第二の例に加えて第三の例になっているのかもしれない。

時系列の事例であげた由布院は、もしかすると、第三なのかもしれない。

このほか、たとえば、栗山町で、クリンの動きをAさんたちが行い、その玉突きのような形で議会報告会のようなものを議員ら(Bさんら)が始めたのも、時系列なのか、第三の例なのか、もう少し調べたり、考える必要がある。

板橋区のサンシティ志村では、住民が森の管理をしている(有賀一郎、堀大才両氏の指導)。この運営にあたっては、上層階と下層階とでは意見が異なるなど、意見調整しなければならず、下枝管理や草取りなど、汗をかかなければならない。森の管理を通して、住民の間に話し合うことや、自分たちが汗をかくことが当たり前となり、次に別の問題が生じた時に、自律の動きが出やすいということがあると面白いのだが。

HPによると、駐車場建設や福祉クラブなどの自律的な動きが次々に生まれているようだ。ここは、住民自治の非常に良い例のように思える。

一方、藤沢町はあれだけのことをしてきたにも係わらず、人口減少は続いており、ついに1万人を切って、一関市との合併に向って動き出している。住民への説明会でも、合併しなくてもやっていけるのではないかなどの意見は出ているものの、人口減少(が問題であるなら)という現実に対する新しい動きなどが住民や若い行政マンから出てきてはいないようだ。

健康・医療・福祉の総合的包括的サービスが実施されている非常に先進的な地域であるなら、こうした分野の専門学校をつくるとか、あるいはせめて分室を作るとか、それこそ、田舎でも可能なIT企業を改めて誘致するとか、何か新たな手立てをしているようには見えない。また、デファクト的な民の動きも出てはいないようだ。この辺りは要チェック。イノベーションのジレンマの事例なのだろうか。

これも、「自律」の風土が醸成されたとか読み込めると面白い。

○「自律」の風土・DNA

残念ながら、「自律」が一度起きても、これがその地域のDNAのようにはならないようだ。藤沢町でも、病院支払いの未納者がいると聞いて驚いた。最初の危機感→自治をやるしかない→住民も汗をかき、行政も汗をかいて実現→これが当たり前となった頃に生まれた人も増える、あるいは惰性になる→自治という本質を忘れてしまい、恵まれた現状を維持発展させるために汗をかきつづけなければならないことを忘れてしまう。強力なリーダーの下で、自治とは言いながらリーダー任せになってしまったきらいもあるだろう(依存体質の再来)。

自治を思い起こさせる、自治は、日々のことであることを理解させる「教育」が必要である。

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May 28, 2010

中国人企業が2割を超えるイタリア繊維産地

法政大『地域イノベーション』vol1には、松本敦則「イタリアの産地における中国系企業の台頭-プラートの繊維産地を事例として」が掲載されている。

1.中国人と中国系企業の増大

これによると、イタリアの毛織物産地として有名なプラート(県)では、イタリア人企業が減少する一方、中国人企業が増えているという。

プラートの繊維関連企業8000社のうち2000社を超える企業が中国系のものと言われている。

プラートの人口は24.5万人のうち、約10%を外国人が占め、その4割ほどが中国人とのこと。

ちなみに、私の住む西東京市の人口19万人、外国人は3300人で1.7%、毛織物産地の一宮市の人口39万人、外国人は一番多かった時が5500人で1.5%である。工場などが少ないのに、予想外に西東京市の比率が高いのに驚いた。

中国人は、戦後から60年代にかけてイタリアの流入してきた。最初はローマやミラノなどの大都市で中国料理・食材店や雑貨屋をはじめ、そこから広まっていった。プラートへは、1990年前後から少しづつ流入してきた。1990年には38人だったのだが、なかでも、2000年代に入ってから急増し、不法滞在も含めると3万人くらい居るのではないかという。

急増の要因は、2002年の中国のWTO加盟、2005年に中国がEUと結んでいた繊維協定の撤廃があげられる。その結果、これまである程度規制されていた中国からの繊維商品が大量にイタリアに流入し、また生産委託や業務提携なども始まり、それにあわせて貿易商や労働者も流入してきた。もともと、プラートには、繊維工場の安い労働力や下請けとして働く多くの中国人居住していたが、これらを契機に、商売拡大の機会を求めて流入してきた。

プラート進出は、中国人にとって、最先端の流行情報を得られる。中国本土を生産拠点としている企業にとってプラートを経由させることはある種のお墨付きを与えられる。

2.中国系企業の特徴

プラートにおける中国系企業の経営者や従業員には、浙江省温州市出身者が多い。経営者のパターンには、次のようなものがある。

(1)繊維産業の労働者としてプラートに入り、その後資金を貯めてイタリア系企業の労働者から独立する。

(2)イタリア系企業を買収して合法的に経営者となる。

(3)中国本土から直接投資を行い、そして貿易商として入り、その後経営者となっていく。

プラートは、これまで生地産地であったが、中国系企業は主に衣服の分野を中心にしている。プラート全体に占める衣服の比率は1995年には12%だったが、07年には40%となっている。

製造形態としては、リードタイムを短くして製品をつくるという生産手法を採用している(イタリア系企業が3から6ヶ月かかるところ、その時々の流行にあわせてすばやくつくる。

中国系企業の取扱品目は、以前は男性服がメインであったが、最近では女性服も同じような比率でつくっている。

流通ルートは、これまでのイタリア系のものを利用せず、中国系企業独自のルートを持っている。イタリア系企業との交流がほとんどない。

半製品等も中国本土からダイレクトに輸入するなど独自のネットワークのみで活動している。

品質では、イタリア系企業は、中から高級品で専門化されているが、中国系企業は、低から中級品である。

繊維産業のみならず、それを支える会計事務所や貿易商、コンサルタント業、不動産業、食料品店、インターネットカフェなど、仕事や生活に係わる産業も増えており、欧州最大の中国人街を形成している。

3.プラス面

(1)地域経済の活性化:中国系企業が居なければ、プラートの企業数減少が続いただろう。イタリア系企業の経営者が年金生活者になる年齢、後継者が居ない。

(2)中国系企業の商品が中国や欧州などに輸出され、貿易収支に貢献する。

(3)中国系企業によるプラートへの直接投資やプラートから中国本土への直接投資が行われている。

(4)労働コストを下げるため、他産地では東欧諸国やアジアに移転せざるをえないが、プラートは安価な労働力を確保できる。

(5)プラートのイタリア系経営者が引退した繊維工場を中国人企業に賃貸し、収入を得ている(これは工場だけでなくアパートなども)。イタリア人の貴重な収入源となっている。

(6)中国系企業が若いイタリア人デザイナーを雇用している。イタリアのデザイナーの競争は激しく、イタリア系企業で成功するのは難しい。そこで中国系企業に雇われてデザインを発表する機会を得られるのは若手にとってありがたい、中国系企業にとっても安くデザイナーを採用できる。

4.マイナス面

(1)不法滞在

(2)脱税

(3)労働法を守っていない

(4)模造品問題

(5)タグの張替え:中国産の生地を輸入してプラートで加工縫製してメイド・イン・イタリーで販売する、中国本土で作った服をプラートでタグを張り替える。

(6)人民元価値の不公平

(7)環境問題(排水処理をしない)

5.イタリアの産地の定義のゆくえ

イタリア産地の定義としてジャコモ・ベカッティーニは「地理的、歴史的な境界において、そこに属する企業や住民間におけるある種の文化的、宗教的、社会的価値の共有の中で成り立つ地域」としている。

しかし、現在、中国人や中国系企業とイタリア人やイタリア系企業との間に文化的、宗教的、社会的価値の共有がなされていない。筆者は、これでは「産地」といえないのではないかと疑問を投げかける。

筆者の疑問に対し、ガービ・デイ・オッターティは、前向きに捉えている。プラートの行政が適切な政策を実行することにより、中国系企業は、プラートの更なる発展に貢献できるとしている。その条件として、

(1)中国系企業はより高級な市場に絞った製品を生産し、プラートの繊維産業と結合しながら、プラートのイメージを国際的により高級はファッションの発信地へともって行こうとすること。

(2)中国人経営者は、地元のみならず、中国本土にも社会的、経済的なつながりを持っているため、プラートが今後アジア新興国と通称関係や清算の部分的分業システムを構築していくうえで重要な役割を果たす可能性がある。

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この報告は実に面白い。

日本の産地にも、労働者として外国人が沢山働いているけれども、資本蓄積して、経営者になっている例は極めて稀なのではないか。せいぜい、中国人向けとかブラジル人向け飲食店・食材店をやっているくらいだろう。その産地の本業に近いところで、これほど創業が行われているとは。

日本でも、レナウンが中国資本の買収されるなど話題になっているが、地域活性化を考えるなら、中国企業など外国企業の進出歓迎もありだ。

もちろん、イタリアのように、結局は、中国本土で織物や衣服の加工が行われ、生産基地としての役割のかなりの部分は失われるかもしれないが、グローバルな人脈や展開が得意な中国企業やインド企業と組む事により、特色ある織物やデザイナーがグローバル展開できる可能性もある。

日本の場合、こうした外国企業も東京など大都市に進出するのがこれまでだが、桐生や一宮に、うじゃうじゃと外国企業で林立したら面白い。これらの産地経営者が明治維新以降、輸出を伸ばすのだと新しい機械や染料を導入したり、あいつがやるなら俺もなどと盛り上がった時代が再現するのではないか。

日本の産地には、どうしてこういう意欲のある外国系企業が進出したり、生まれないのだろうか。

中国人やインド人の行動力と抜け目の無さで、日本の産地を見れば、面白い展開をいろいろと考えだせそうなのに。日本は規制が厳しいからなのだろうか、人々が閉鎖的だからなのだろうか。

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May 24, 2010

住民自治の最初の一歩

住民自治の最初の一歩は、漠然と感じている不安や不満の解消が地域の問題として取り組むべき問題であることを分からせることなのではないか

具体的に何か問題を抱えていて、それを地域の問題として解決しようと思っていることがあれば分かりやすい。

藤沢町の例で言えば、(安全のため、利便性のため)道路を整備して欲しい、防犯のため防犯灯を付けて欲しい。

このように具体的な問題が明確な場合は簡単だが、そうではない場合、地域の課題であると落とし込むのは実は難しい。

藤沢町の例で言えば、「働き手が町から離れて高齢化が進み、不安である」という漠然とした不安から、高齢になっても住み慣れた地域で笑顔で暮らすにはどうしたら良いか、それには、まず第一に健康であること、それには、予防が大切であること、いざという時に直ぐにかかれる病院があること、しかし普段は介護や支援を得ながら元気に自宅で暮らすこと、それでも暮らせなくなったら、安心して入居できる老人ホームがあること、高齢者や高齢者単独世帯が増えて、家族だけでは見きれないので、その分を地域で支えることができる仕組みをつくろうというビジョンを描く。

そのビジョンを描くために、町の中心に病院を建設する、予防医療や在宅介護を含めた地域医療を実現してくれる医者を探してつれてくること、その近くにリハビリや老人ホームを併設して建設すること・・・それには、税金を投入するが、住民の側も、予防や健康維持に努めるのを義務であると認識する、医者と保健婦や介護サービスが連携するといった具体的な実施計画を作り、実行する。結果、医療費は低く抑えられ、病院は黒字で、高齢者は安心して地域で暮らせる、ここに投入された税金については町民の理解を得られる。

+++++

今日も中学時代の先生にお目にかかると、少し離れた地域にいる一人暮らしの義姉の介護をしており、やっとケアハウスに入れたが、病気になったので居られなくなり、その後は介護をしていて、大変だったが昨日亡くなられたとのこと。先生も70代後半で老々介護、一人暮らしの義姉が他にも2人居るとのこと、ご主人も高齢だし、男性はなかなか役に立たない。

母の知人も一人暮らしの姉が隣の市に居るのを面倒みている。私も仕事を辞めたし、友人は、仕事をしながら長野まで介護に通っていた。別の友人は、東京の仕事を辞めて、四国の実家の方で仕事を得て、親の介護をしている。

つまり、介護保険はあるし、ある程度の支援は得られるものの、結局は、家族、といっても距離的に、あるいは血縁的に「遠い親戚など」が自分の暮らしを犠牲にして面倒を見なければならない。そして、おそらく、中学の先生も、母の知人も、私も、まもなく誰かに迷惑をかけることになるのだろう。

うんと金持ちなら、フルで介護するサービスを購入することはできるだろうが、一般の人の場合は、家族といっても遠い家族が介護に振り回されることになる。介護する方にとっては、「予想」していなかった事態が降りかかってくるわけだし、介護される方も、まさか、こんな人にまで迷惑をかけるとはおそらく思っていなかったに違いない。そんなことを思えば、安心して生きていられない。「人生をどう全うするか」という大切なことが介護するほうもされる方も振りまわされて落ち着かない。

若いうちは、コンビニさえあれば、親も要らないと思っている。元気なうちは、わずらわしい親戚関係や親子関係や近所づきあいはしたくないと思っている。それならそれで、人生の最後も、猫や象みたいに、そっと森に入ってこっそり死ねればよいのだが。

どういう風に生きて、どういう風に死んでいくのだろう。

藤沢町では、地域で心を開きあい、そこで家族や地域が提供する必要なサービスを得つつ、死んでいくのだろうか。にっちもさっちも行かなくなったら、死ぬまでは、町の中心にある老人ホームに入ると皆思っているので、安心なのだろうか。・・・ここは、これから資料を読むのだが。

西東京市は、確か人口20万人くらいだ。藤沢町を例にするなら、1万人規模の20のエリアに分けて、そこに一つずつ老人ホームがあり、町を行き交う人が顔見知りで、挨拶しあい、何かあったら、助け合ってくれ、一人で暮らせなくなったら、老人ホームに必ず入れるという感じだろうか。子供が生まれて育てるのに、近所の子育ての先輩が病気になったら面倒みてくれたり、預かってくれたりするのだろうか。

私が住んでいた地域は、長屋で、元々は中島飛行機の社宅だったから、生活水準も同じぐらいで、全部あけっぴろげだった。お風呂も借り合っていたし、子供をお姉さん達が面倒みたし、夫婦喧嘩も皆が知っていた。建替えて、塀ができて、縁側がなくなり、入り口にピンポンがついてから、生活を見せないようになった。

現在は、6ヶ所くらいの包括支援センターで介護サービスを提供するようになっているが、ここに勤務している人は、勤め人であり、地域の人の顔などを知っているわけではない。現在の介護保険制度は、ある限られたサービスしか提供していない。それも、制度によるサービスなので、公平や公正をきす必要があるため、ある意味、ソソとした付き合いだ。

う~ん、地域で安心して暮らし、死んでいけるためには、どういうビジョンを描けば良いのだろうか。

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May 21, 2010

住民自治が当たり前になるためには-達成感、自負-選び直す

法政大学『地域イノベーション』vol1に所収されている論文を紹介してきた。藤沢町の歴史も踏まえ、少し考えてみよう。

1.危機感を強く感じる

藤沢町で住民自治が行われるようになった背景には、大いなる「危機感」があった。地元では食べて生けないので、働き手が都会に出てしまう、結果高齢化が進み、未来に希望が持てない、国がわるい町が悪いという不満ばかり。これは、上勝町も一緒だ。

そういうなかで、でも、「ここで暮らさなければならない」のなら、他人(国など)に頼っていても始まらない、「自分たちでやれることからやっていかなければ誰も助けてはくれない」。

藤沢町という田舎の小さな町で1970年代に感じられた将来に希望が持てない、なんとなく不満、国が悪い・・という状況は、2010年現在の日本全体の空気である。つまり、日本全体が本来大いなる危機感を感じなければならない。

感じていないのは、鈍感としか言いようがない。戦後驚異的な復興を成し遂げた日本のおごりというか、ゆで蛙状態である。驚異的な復興と経済発展をしたのは、置かれた環境の御蔭であり(東西冷戦や軍備を逃れた:これは政治的判断)、環境が激変するなかで、日本のおかれた状況を認識すれば、大変な危機であろう。

まずは、危機であることを深く認識させる必要がある。

2.地域を良くする意味を自分のこととして理解する

その上で、しかし、日本から逃げないのなら、日本を自分たちで良くしていくしかない。そして、個々人の生活にとって「地域」が逃げ場のない終の棲家であることを再認識する必要がある。ここでは、日本から逃げられないことは、ちょっと置いておいて、なぜ、地域から逃げられないかを考えなければならない。

藤沢町の場合、主要産業が農業であるということもあり、地域から離れなれない(先がないので離れようかと考えている人も少なくなかったが)。

今日における私たち、特に都市部に住んでいる人たちにとって、地域は、選択し、移り住むことが可能である。しかし、現実には、会社の転勤族を除けば、そう簡単には移り住まない。そして、移り住んだとしても、それはどこかの「地域」なのである。そういう意味で、私たちは、どこかしらの「地域」に属している。

生活するにあたって必要なことの多くは、その地域の自治体を通してサービスが提供されている。教育、医療、福祉、ゴミ・環境、防犯・防災などなど。結果、地域をよくすることは、暮らしやすくなり、住みやすくなる。どうせ住んでいるなら、住みやすいほうが良いに決まっている。

3.自分が感じている不満は何で、それは誰が何をすれば解決可能なのかを認識する

多くの人はなんとなく不安で不満である。それは、夫の給料が低いからなのか、自分が自己実現できないからなのか、親を介護しなければならないからなのか、道路が狭いからなのか、子供がうるさいからなのか・・・。

こうしたことは、全て個人的なことなので、夫が悪い、姑が悪い、子供が悪いで終わることが多い。しかし、それを良く考えると、たとえば、自分が自己実現できないのは、保育園が不足していて子供を預けらず、働きに出られないからかもしれない。あるいは、親の介護で自由時間が取れないからなのかもしれない。

こうしたことは、保育園の充実や預かり時間の延長や介護サービスの充実などで解決できることかもしれない。そうした問題を国が解決するのか、町が解決するのか、そうではなく、住民自らが解決するのか、それとも、新にそうしたサービスを提供する企業が誕生することで可能になるのか。一つ一つを落とし込んで考え、誰がどう解決したら皆に笑顔が戻るのかを考えていく必要がある。

藤沢町では、道路を整備して欲しいというニーズがあった(何のために必要だったのか要チェック)。それにあたって、町が道路をつくるが、土地の提供を地権者と折衝するのは地域住民の役割となった。

若い人の職場を確保するために、工場誘致をしようということになり、土地は住民が提供し、町は、誘致に奔走した。

農業でやっていけるようにするために、大規模化が求められ、それを実現するために、国有林などの開拓やそこに水を引くためのダム建設を行った。これらは、町がやったが、大規模化のための仕組みづくりについては住民が協力した(正確には要チェック)。

住民の不安や不満を聞き出し(アンケート、地区ビジョンづくり)、それを具体的に落とし込み、何をしたらそれが解消するか、誰が何をやるかを議論しながら明確化する。

4.3をやるのは、大変な作業で、これをやる過程で、行政マンも住民も勉強せざるをえないし、情報公開・提供もされることになるし、住民が集まる場所づくりも必要になるし、住民の要望を具体的な計画とし、それがどこまで出来たかなどのPDCAもなされることになる(住民意識が高まれば、当然結果を報告し、その評価もせざるをえない)。

前記事に市民参加型街づくりの促進策としてあげられていることは、3をやるにあたっては、自ずとこれらをやらなければならなくなる。つまり、促進策なのではなく、住民自治をやろうとすれば、自ずとこうなる事柄ではないか。

やはり、一番の問題は、漠然と感じている不安や不満の解消が地域の問題として取り組むべき問題であることを分からせることなのではないか

もう一つは、藤沢町の場合、皆で議論して、課題解決方法を探り、住民がやれることをやった結果、地域がよくなったとの実感があれば、自分たちでやれるという達成感や自負が生まれ、これが郷土愛につながることだ。ただし、地区の皆で何かをやることに喜びや連帯感や達成感を感じるようになるには、やったことが成果となるという一巡が必要であるし、田舎ではない都会の場合、他に楽しいことが沢山あるなかで、地区の皆で自治をやることが楽しいと思えるようになるのかどうかが難しいかもしれない。

藤沢町のような田舎で農業の町であっても、このまち自体も昭和の合併で出来た町であるし、昔の村落共同体ではなく、新に、藤沢で暮らすという選択をしたということである。村落共同体の頃は、村の名主などが中心になってまとめあげていたり、大家族であったり、おそらく農協などもなかったはず。新に、農業で暮らしていくための新しい仕組みづくりを模索し(大規模化など)、医療・介護・健康を一体化させた仕組みをつくって、地域で元気に老いて死んでいける安心感を生み出している。この新に地域を選び直すというスタンスが重要である

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