« 2011年3月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月30日 (月)

トラットリア・エンさんのバスーラ・クッキー

田無ソメ研のお仲間でもある、イタリア料理店のオーナー涌井さんが、バスーラの子供たちを支援したいと、クッキー(200円)を購入すると、その一部をバスーラに寄付する取り組みを始めました。

その後、東日本大震災もあり、大々的な宣伝はしていませんが、昨日の「アースディ」の田無ソメ研のブースで展示もしたので、宣伝しても良いのだろうと思います。

トラットリア・エンさんは、「食べろぐ」でも評判良いです。

バスーラの子供たちというのは、四ノ宮浩監督の映画で有名になりましたが、フィリピンのマニラ郊外のゴミの山で住み、そこから少しでもお金になりそうなものを見つけて暮らしている子供たちのことです。日本人のボランティアがそこにを建て、教育や予防接種をするなど、さまざまな活動をしています。

田無ソメ研の戸田さんが作成したチラシ(涌井さんの思いも書かれています)「BASURA.pdf」をダウンロード




仙人の家オープン前日お披露目会

このところ、ブログ更新をさぼっていたので、だいぶ前の話になります。

http://regional-innovation.cocolog-nifty.com/tanashi/2011/02/post-31b0.html

http://regional-innovation.cocolog-nifty.com/tanashi/2011/05/516-389f.html

でお知らせした仙人の家が5月16日からオープンになります。

5月15日(日)に東伏見の仙人の家で、オープン前日のお披露目会が開催されました。

インスタントカメラを久しぶりに使い、フラッシュをたき忘れたので、部屋の中の写真は、今いちでした。外の写真は、まぁまぁだったので、アップしておきます。

Fl000010

全体の外観

Fl000017

二階に通じる階段にもお花が。

Fl000018

仙人と、仙人の家の看板(東伏見コミセンの嶋田さんが作ったとのこと)

「むすんでつないで」のしゃぼんさんのブログには、室内の良い写真がありますので、ご参考まで。

http://blog.livedoor.jp/ricorico_5139/archives/51617745.html

仙人の家のHPもできるとのことですが、まだのようなので、電話番号を記しておきます。

042-461-2365(竹中) 

◆営業時間:月・火・木・金(水曜日定休) 午前10時から午後4時まで

誰でも、自由に使えます。トイレはバリアフリー、奥座敷で授乳やおむつ交換ができます。

お湯がポットに用意されており、有料のお茶(50円)・コーヒー・紅茶(150円)が用意されています(これが運営費に使われます)。

◆このほか、スペースを時間貸しします。

定休日(水曜日)を除く、ウイークデイの夜間と土・日・祝日の午前・午後・夜間を時間貸しします。グループの活動の場として、会議・研修・交流に使って欲しいとのことです。

持ち込み自由ですが、事前登録が必要。利用規約を守ること。

このほか、壁面を貸しギャラリー(1週間単位)としています。

@@@

まだまだ、始まったばかりで、これからどんどん進化していくそうです。皆で知恵を出し合って、地域のたまり場として、良くしていきたいものです。

仙人の家のFACEBOOK

2011年5月 4日 (水)

㈱エクラアニマルの豊永ひとみ社長も凄いらしい

西東京市にも、凄い人がいろいろ居るようだ。

前記事でぞうさんペーパーの㈱ミチ・コーポレーション(植田紘栄志社長)も凄いが、㈱エクラアニマルの豊永ひとみ社長も凄いらしい。http://www.anime.or.jp/link/company.html

この会社は、西東京市の北原町にあって、シンエイ動画で怪物くんを制作していたスタッフが独立。その後、TVや映画のアニメの仕事をしながら、一方で、手作りの自主アニメを作って子供たちに見せたり、エコ活動などの市民活動を積極的にやっているらしい。

キャンドルナイトを武蔵野大学の学生とやったり、

ポケットにある1円玉をためて植林活動をしている。http://www.wonderful-world-syokurin.org/wecan/

5月29日にいこいの森公園で開催される「2011西東京アースディフェア」も実行委員長らしい。

私が、今になって、西東京市にも凄い人や会社がいるとこのブログで書いても、知っている人は知っていることなのかもしれないが、長い間、ここで暮らしているようで暮らしていなかった私にとっては、新鮮なのと、そういう凄い人がやっているいろいろなことも、私だけでなく、たとえば、ご近所の人も知らなそうである。

いろいろな人の知恵をいろいろに活かして、住みよい町を作るのは、これからなのだろう。

ところで、豊永さんは、「キラキラ西東京」という名前を前回のキャンドルナイトの折に使ったらしいのだけれど、西東京市をキラキラしたまちにしたいという思いは、とっても良いと思う。

Searthday

2011年5月 3日 (火)

象さんのウンチで出来た紙

象さんのウンチで出来たぞうさんペーパーって知っていますか?

スリランカで都市化につれて住みにくくなった象の孤児院があり、そこのウンチをつかって、良く洗って、繊維を取り出して作られたものだそうです。

これを手掛けて、日本などで販売しているのが㈱ミチ・コーポレーションという会社で、なんと、西東京市(東伏見)にあるなんて、知りませんでした。http://www.michi-corp.com/

ぞうさんペーパーだけでなく、現地の支援と日本でのビジネスを両立されている会社で、なんと植田紘栄志社長は40歳くらいの若い方と知って、また驚きです。

以下に、インタビューが載っています。http://www.sailing-master.com/?p=736

私は、ウンチに惹かれて、現在、名刺を作成しようと思っていますが、数人で意思決定するため、なかなか進まずにいます。

そこで、早く手に入れたくって、オンラインショッピングで、正方形と長方形のグリーティングカードを購入、今日手元に届きました。とても味があります。

5月の最初に、社長さんに会えることになっていますので、楽しみです。

Zomeishi

象さん名刺ができました!名刺の右下にある緑が象のリサイクルマークです。

田無ソメ研のメンバーであるデザイナーの戸田さんが、田無ソメ研のマーク、ニシッターのマークほか、名刺全体のレイアウトを考え、データ作成してくれました。

義捐金コンサートの結果報告

http://regional-innovation.cocolog-nifty.com/tanashi/2011/03/post-cb6b.html

でお知らせしました、宮崎県川南町と東北大震災のための義捐金コンサートは無事終了しました。Korutanashi

友達が、ケータイでしょうか、撮った写真を送ってくれました。これは、最後に皆で「千の風になって」を歌っているところだと思います。良い思い出になりました!

コンサートを主宰された黒田さん主宰のオペレッタ座のHPに結果報告されていますが、義捐金は、全部で、28万8438円集まり、半分ずつにして、川南町町長さんにお渡しするのと、日本赤十字社に寄付したとのことです。

http://liebeoperetta.seesaa.net/

ご協力して下さった方々、有難うございました。

それにしても、プロの歌唱力等々は、凄いですね。圧倒されました。

地域研究者のプロの端くれとして、自分も頑張らなければと思いました!

(ひと眠りすると忘れがちですが!!)

仙人の家5月16日オープン

http://regional-innovation.cocolog-nifty.com/tanashi/2011/02/post-31b0.html

でお知らせした東伏見の仙人の家がいよいよ5月16日オープンとのこと。

前日15日に関係者が集まって、お披露目会があるそうです。

このような、町家をオープンにするスタイルは、いろいろ広がっているようです。

世田谷トラストが運営している「岡さんの家」
http://www.okasannoie.com

大阪では、2009年から「住み開き」という活動が注目されるようになったとのこと。

自宅や個人事務所のようなプライベートな空間を文化教室やアトリエなどさまざまな人が集まれるパブリックな空間へと変えていく活動。
http://sumibiraki.blogspot.com/

先日訪問した、三重県四日市のこらぼ屋も、コミュニティレストラン(ワンデイシェフ・システム)から始めたが、最近では、もっと小さなサロンづくりを始めている。http://blog.goo.ne.jp/yuenyatai

田無ソメ研で知り合った板垣さんも、月一回、ご自宅でご近所の方々に食事を提供されてるとか。

西東京市の社会福祉協議会で「ふれあいのまちづくり」事業をやっていて、http://www.furemachi.jp/css.html

その中でスタートした「いきいきミニデイ事業」(日頃外に出ない、人と合う機会のないお年よりに活動をうながす)があって、それをご自宅で実践されているらしい。

ともかく、何でも、実践する方は、凄いと思う。

++++++++++

私の自宅は、母が元気でいた頃には、夫は居ない、娘は朝でかけるといつ帰るか分からない空間だったため、次から次へとご近所の方々(老若男女)が来られ、一緒になるのは嫌なようで、次の人が現れると前の人が帰るといった具合で、チェーンメールのように、途切れなく人が集まっていた。

母の足が不自由だったので、皆さん、勝手に台所を使い、食器を自分のは、これなどと決めて、たむろっていた。皆、ここが亡くなったらどうするんだろうね、などと言いながら。

私が帰ってくると、母はくたくたになっているので、私のことをしてくれないので、当時は、ご近所の方々を呪っていたのだが。

でも、母が亡くなれば、自然と誰も来なくなった。まぁ、何人かは、母より先に亡くなり、ある人は、弱ってここまでも来れなくなったということもあるのだが。でも、母の葬式には、自宅でやったこともあり、これらの老若男女が皆焼香に来てくれた。

空間は空いているのだが、そうかといって、ダラダラと居られるのは嫌だし、話の合わない人と一緒に居るのは耐えられない。妙なところ神経質なので、他人が椅子やトイレなど使うのも嫌だし。

まぁ、そのうち、もう少し私が練れたら(64歳で大人になったらとは言えないので)、何か考えようとは思っているけれど。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年6月 »

最近のトラックバック

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ