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2011年10月

2011年10月23日 (日)

地球は未来の子どもたちからの贈り物-今、私たちにできること

NPO法人エコメッセの西東京市のお店水緑木地が主催した、タイトルのシンポジウムに行ってきました。

第一部が震災後に進められている活動等の紹介で、第二部がワールドカフェ方式の意見交換会でした。

第一部のパネラーは、以下の4人の方たちでした。

1.赤石千衣子(ちえこ)さん NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ理事

2.田中のり子さん 西東京子育てコム代表

3.斉藤三枝子さん NPO法人生活企画ジェフリー理事

4.重田益美さん NPO法人エコメッセ副理事長

私は、震災後の復興に時間はあるのに、寄付をするだけで、ボランティアに行くこともできず、地域の研究家として忸怩たるところがあり、実際に活動されておられる方々がどのようなことをなさっておられるのか、興味があって出席しました。

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まず、1の赤石さんたちは、被災地に訪問し、女性や子育てなどの観点から必要な措置を講じるよう訴えたり、実力行使してきたとのこと。

これは、国際NGOオックスファムからの呼びかけで始まったとのこと。

(注)HPによると、オックスファムは、世界98ヶ国で貧困を克服しようとしている人々を支援し、貧困を生み出す状況を変えるために活動しており、東日本大震災では、女性や子ども、海外から移住している人々の支援が必要と考え、日本ですでに活動しているNPOたちと組んで支援活動を行っている。

具体的には、緊急避難とはいえ、長期にわたる避難生活において、プライバシーが守られていないため、女性や子育て中のお母さんが肩身の狭い思いをしたり、気持ちの悪い体験を迫られているのを見て、衝立をつくるように行政に訴えたり、女性だけの部屋(着替えをしたり、授乳できる)をつくったり、部屋が出来る前には、机を並べて女性の相談を受け付けたりなど具体的な活動をされているとのことでした。

被災地も刻々と状況が変わっており、義捐金が出たものの、働く当てもなく、そうかといって家を再建するほどの金額でもないため、男たちは、パチンコ、飲み屋に通いつめ、それが女性への暴力になっているという現実もあるとのこと。

仮設住宅に入って、却ってそうした弱いものたちのことが見えなくなっている面もあるとのこと。そこで、女性が集まれるサロンなどを作り、全国から送られてきた古着で布草鞋をつくったり、古い着物をリメークして、マフラーやベストなどに加工してもらったりしており、そのサロンで悩みを聞いたり、マッサージしたりしている。

被災された女性やシングルマザー向けのホットラインも設けている。県外避難者のほっとサロンも設けている(?)

赤石さんのお話は、駆け足だったのでもったいなかったのだが、現地では、いろいろなNPO(全国的もあれば、ご当地のもある)が協力しあってやっているようだ。ハーティ仙台さんさんの会など。東日本大震災女性支援ナットワークはオックスファムが、ここに活動団体のリンク集がある。

4.エコメッセは、もともと環境に負荷をかけない「循環型社会」を作り出す環境まちづくりを目指しており、震災に関して、どんなことができるかを考え、いくつか運営している店の11日の売上を寄付することにした。

寄付先は、飯田哲さんがやっている被災地に自然エネルギーを供給する「つながりぬくもりプロジェクト」にした。

また、赤石さんらが作っている布草履や古着・古着物のリメーク品をお店で取り扱っている。

店をやっていると、「デイサービス」に行くとこちらが「ありがとう」と言わなければならないが、ここに来るとこちらが「ありがとうございます」と言われるのでと、特に買い物がある訳でもないがやってくるお年寄りがいる。まちの温かい場所になれたらよいと思っている。

2の田中さんは、子育てしながら、子育て環境を良くしようと取り組んでおられます。「かわら版」を作成していて、たとえば、10月のカレンダーに○○公民館でお話の会があるなどが書かれています。0~1歳児を持つママのサロンなども開催しているようです。

子育てしながら被災地に行っても何もできないだろうと思い、被災地には行っていない。しかし、実際に、私たちが被災した時、どうしたらよいのだろうと考えた。夫が都心に仕事に行っている家庭も多い。

3月の地震の折には、計画停電もあり、いろいろなデマも飛んだ。そこで、ともかく、お母さんたちに落ち着いてもらおうと考え、計画停電の情報や交通情報、店の開店時間などの正確な情報を出来るだけ提供しようと考えた。

ところが、市のHPの情報では遅く、東電に聞いたりした。結果、FM西東京の情報が一番役に立ち、かつ正確であった。「かわら版」は、いろいろなところに置いてもらっているが、この震災情報をきかっけにユーザが200人に増えた。

また、日頃から何かあった時、どこが避難場所なのかを知っておく必要があると思った。避難場所によって、タイプもいろいろあるので、前もっての心構えや地図などを用意しておくと良いと思った。

このほか、東京都が集めていた寄付の品を集め、最初はゆめこらぼさんに品物を置かせてもらい、呼びかけた皆で仕訳したりした。後で聞いたら、社会福祉協議会がまとめているというので、そこに持って行った。

田中さんは、子育てしながらも、震災について真面目に取り組み、自分たちのこととしての取り組みをするとともに、被災地への支援も出来る範囲で実施したところが凄いと思った。

3.斉藤さんの所属するNPOは、男女平等社会の実現を目指しているのだが、震災に関しては、まずは、福島からともかく車で避難してきたご家族(子供同士の伝手で西東京に来た)の支援から始まった。斉藤さんの自治会(芝久保)は、付き合いがよく、募金に応じてくれた。

続いて、その家族の父親が大工さんで、現地に仕事に戻るというので、物資を集め、持って行ってもらった。

6月には、「災害と女性・災害時女性に何が起きたか」(ウイメンズネット・こうべ代表正井礼子さん)という講演を開催した。(これは、男女平等推進センターパリ手企画運営委員会)

7月には、西東京市から、西東京市への避難者支援事業を受託し、西東京市と協働で、避難者の把握につとめ、60世帯、140人を把握した。住民登録をした人は市役所でわかるが、単に知人の家に伝手を求めて避難している方などはなかなかみつからない。

8月には、この方々を対象に「西東京市へようこそ!東北のみんなで話そうかい」を開催したが、当初はなかなか参加してくれなかった。ようやく、民生委員さんらに声かけしてもらい、26名が参加し、歌ったりした。久し振りに声を出したり笑ったりしたと喜んでくれていた。

このほか、「放射能と原発」(長沢元さん)の講演会を企画したり、地元民の足になっていて愛されていた三陸鉄道が企画した「被災地フロントライン研修」に参加、12月11日には、「私たちが見てきた三陸の上映&トーク」の会を開催する予定とのこと。

どの方たちの活動も、真摯で、非常に感銘を受けた。

2011年10月20日 (木)

コミュニティデザイン 家島、マルヤガーデンズ

1.家島

家島のプロジェクト(西上さんが主に手掛けた)は、凄い。数年もの時間をかけて、他大学の学生などとも一緒に、よそ者の眼で、家島の人たちが島への誇りを取り戻し、NPO法人まで作って、福祉タクシーを走らせたり、水産加工品を作り始めるまでを仕掛けた。空き家のゲストハウス化もはじまったとのことだ。

地域の現地調査は、こうでなくてはならないというお手本のような取り組みだ。私はしがらみがあってこういう現地に入る調査はできない・・と思っていたが、しがらみがなくなっても、なかなか、こうまで現地に入り込む(家を空ける)ことができない。

だったら、住んでいる町に入り込めば良いわけなのだけど・・・。この「けど・・・」がついてしまうところがいまいちだ。

2.マルヤガーデンズ

三越が撤退した後、建物をそのままに、売り買いだけでなく、市民がいろいろな活動を出来る場所にした。さらに団体に所属していないがここに関心を持つ個人にも参加してもらおうと「カルティベーター」という仕組みを作った。

カルティベーターは、マルヤガーデンズで行われていることを発信するレポーター(カメラマンから美しい写真の撮り方を学んだり、ライターから読ませる文章の書き方を学んだり、取材方法やブログ、ツイッターの使い方を学んだ)。彼らが新しいコミュニティを作って、ウエブマガジンでレポーターとして活躍している。

これも、ソメ研で出来そうだ。小平の神山さんのジャーナリスト学校に入ればよいし、独自にやっても良い。FM西東京とのこらぼだけでなく、ブログでもよいし、仙人の家レポートでも良いかもしれない。アスタの2階のホールも、もっと活用できると良いかもしれない。

3.益子でのイベント

イベントの最初から、事後はどうするかをしつこく訪ね、事後のフレームをある程度描いておく(同時期に行われた大阪でのイベントでは、これができず、イベント準備・実行のためにせっかくできた市民のコミュニティが雲散霧消してしまった)。

イベント終了後には、空き店舗に作ったカフェとギャラリーが恒常化した。

4.穂積製材所の公園化

ゆっくりすすむ

5.社会の問題に取り組む

デザインとはデコレーションではない。課題の本質を掴み、それを美しく解決することがデザイン。

高齢化・・・などの社会的課題を美と共感の力で解決する。そのために重要なのは、課題に直面している本人たちが力を合わせること。そのきっかけを作り出すのがコミュニティデザインの仕事。

デザインの可能性(1.継続を促すデザイン、2.決断を支えるデザイン、3.道を標すデザイン、4.溝を埋めるデザイン、5.関係を紡ぐデザイン)。

①震災+design:デザイン系とその他の専門の2人で1組。

・避難所で貴重な水を何度も使いまわすために水質が一目でわかるタグ

・住民同士の協力を促進するために感謝の気持ちを言語化するシール

・避難した人たち自身が避難所を運営するために各自ができることを明示したカード」→できますゼッケン

②放課後;design:

・母子手帳の20年化(成人になるまでの医療歴、薬歴)、育児の喜びを増して不安を減らすコラム、父親の育児を支えるページ、子供が成人するとき手帳をプレゼント

③ツイッターによる課題のワークショップ

以上の試みについては、このHP参照

④世界には、ソーシャルデザインをやっているところが多数あるという(山崎さんは、ある建築系の雑誌に紹介しているらしい→本にする予定)。ちなみに、ソーシャルデザインで検索すると、結構出てくる。

キャメロン・シンクレアさんについては、「OSOTO」WEBでのインタビューがある。彼のやっているArchitecture for Humanityは、こちら

コミュニティデザイン : 遊び場 OSOTO 園芸療法

本を読んで参考になりそうなことをメモ書きしておきます。

1.子供の遊び場

これを設計するにあたっては、子供たちの遊ぶ様子を調査し、プレイリーダーを育てた。子供の遊ぶ様子を撮影し、遊び方を調べ、それに対応できる遊び場を設計した。さらに、プレイリーダーを研修するなどで増やし、ハードだけでなく、ソフトも同時に計画した。

私の学生で、早稲田の戸山公園でプレイリーダーをしている人がいた。彼は、正直、自分が年をとってくると、しんどい、これからどういう方向にしていこうか考えていると言っていた。本では、プレイリーダーに遊んでもらった子供が高校生とかになって、今度は自分がプレイリーダーになっているというようなことが書かれていた。持続性(世代交代:できれば、地域の子供たちの中で世代交代・・継続できる)を計画に入れておくことも大切なのだと思った。

2.遊び場づくりを遊びにしてしまう

子供の遊び場を大人がデザインするのではなく、子供たちが遊びながら相互に理解したり、楽しんだりする仕組みをどうデザインするのかが大事で、そのためには、子供の遊びを促進したり、見守るファシリテーターの役割が重要。

ファシリテーターは、時には、世界の子供たちの状況を自分たちのこととして考えられる仕掛けをつくったり、そのための材料を里山づくりに絡めて調達するなど。

思い立ったら企画書を作成し、いくども書き換える。

3.まちに楽しむコミュニティをつくりだす

まちを少しでも楽しくするために活動するコミュニティを現地に生み出すことができれば、その人たちは自ら楽しみながらそして信頼できる仲間をつくりながら、まちをすこしづつ変えていってくれる。

「まちのために活動してあげている」ではなく、「まちを使ってたのしませてもらっている」と思えるようなもの。自分たちで少しづつでもお金を出し合ってでも楽しみたいと思えるような活動。結果的にまちの人から感謝されてさらに楽しくなるような活動。そんな活動を展開するコミュニティをどうすれば生み出すことができるのか。・・まちの担い手となるコミュニティをデザインする仕事をすると決めた。

上記は、山崎さんの現在の仕事につながった時の思いである。これって、田無ソメ研に非常に似ている。

4.屋外空間を使いこなす人を探す

銀行が店を閉めた後、ヤクルトのおばさんが店を出す。すると中高年のおじさんたちが寄ってきて話を始め、楽しそうだ。ヤクルトは売れていないようだが、商行為を超えた福祉的な役割を演じている。おばさんは、店前を掃除して帰るので、銀行の前はいつもきれいだ。

『OSOTO』(雑誌)屋外空間を使いこなす人たち。屋外で食事する、演奏する・・集まった人たちが共有できる気持ちを生み出す。あるテーマに特化したコミュニティが生まれる。

これって、西東京で観察して、ツイッターすると面白いかも。

5.リハビリテーション病院

リハビリに園芸治療を取り入れ、リハビリを楽しくするとともに、市民に園芸療法を学んでもらう場に、結果として綺麗な空間が出来上がる。

これは、東郷先生らが進めている終末医療等の研究にも役立つのではないか。

6.大人にしがらみがあるなら、子供たちに10年後の計画をつくらせ、大人に実行させる

笠岡諸島の例は、面白い。

10年後にも、魚はたくさんやってきますか・・・10年後、私たちはどうしたら笠岡諸島が楽しく、素敵な島になるか考えました。・・・10年後、私たちが笠岡諸島に変えることができますように。(大人たちへの良質な脅し)

コミュニティデザイン  デザイナーは黒子 公園の例

遅ればせながら山崎亮さんの『コミュニティデザイン-人がつながるしくみをつくる』学芸出版社2011年を読んでいる。

ちょうど、昨日は、NHKのクローズアップ現代でも取り上げていた。

この本では、空間デザインを主にしていた山崎さんがこれでは何か不足していると感じ、建物の設計だけではなく、人と人がつながるしくみをデザインすることに向かっていった経緯がよく分かって面白い。

でも、こうして本になったり、NHKで取り上げられ、「山崎さんがやった○○」となってしまうことを危惧する。これは山崎さんのせいではなく、取り上げられ方のせいなのだが。

山崎さんがその地域に係る人と人がつながる仕組み(ソフト)をデザインし、そのために、調査やワークショップなどを重ねて、その仕組みが上手く動くようにしているのは確かなのだけれど、山崎さんがやった「成功事例」として情報が伝播してしまうことは、間違って伝わりそうで困惑する。

山崎さんは、あくまで部外者(よそ者)であり、仕掛け人ではあるが、それに上手く乗り、日々を積み重ねているのは、地元の人たちである。

海士町も、「山崎さんがやった成功事例でしょ」と知人数人から軽く言われ、行政の若手やU/Iターン者のこれまでの努力がすっかり抜け落ちて伝わってしまっていることに、ちょっと残念というか、怖さを感じた。

海士町は、確かに、これまで行政主導でU/Iターン者を上手に使って産業振興策をしてきたのだが、そこから、Iターン者を中心にはじめられた人づくりや住民を巻き込んだ長期計画づくりへと階段を上がってきた。

住民を巻き込んだビジョンづくりは、確かに、山崎さんや山崎さんのオフィスのスタッフで現在も海士町で集落支援員として活動している西上ありささんの功績といえる。長期ビジョンづくりに、ようやく住民を巻き込むことができたが、これが本物になるかどうかは、これからの課題だ。

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ところで、この本に書かれている「仕掛け」は、すぐにでも、地元で活用できそうだ。

たとえば、NHKでも事例として取り上げられていた三田市の有馬富士公園。

他の公園では、お客だけが遊んで帰り、管理会社の人と出会うことは稀だが、ディズニーランドでは、「キャスト」がお客を楽しませてくれる。しかし、予算のない公営の公園で「キャスト」を雇うことはできない。

そこで、市民の団体に公園を来園者とともに楽しく使ってもらうことにした。これまで、予算がなくて広報が十分できない・・、発表の場がなくて・・といっていた市民団体の人たちに、園内でさまざまなプログラムを実施してもらうことにした。

竹ひごと和紙で和凧をつくり凧揚げをする、園内のため池で水辺の生き物を観察する、園内の里山で遊んだり自然観察をする・・など。屋内では、パソコン教室や演奏会など。

どのコミュニティでも楽しそうに活動するので、市民団体も来園者も一緒に楽しむ。いわゆるボランティア活動とは全く違う。この活動がどんどん広がり、来園者も増えているという。

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先日、府中の森公園の売店前と小金井公園の江戸東京たてもの館の子宝湯で合唱のミニ・コンサートをする機会に恵まれた。どちらも、肩ひじ張らないまちなかコンサートだ。どうやら、東京都では、公園の使い方を模索しているようだ。

西東京市でも、市民まつりとか、アースディの時だけでなく、いこいの森公園を有馬富士公園のように、市民団体が日常的にさまざまなプログラムを実施し、やる人も来る人も楽しい公園管理にしたら、もっと活性化するのではないのだろうか。

いこいの森公園は、私の家から遠いので、実際には、そうなっているのかもしれないが、以前、散歩した折には、老夫婦がちらほらと散歩している程度だった。

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