篠原 一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か』岩波新書872
この本は、学者さんが一般人向けに「近代の変容」について講義したものを元に書かれたもの。
私は学者ではないので、いざ、ブログを書き始めて、はて、「近代」ってなんだ?とか、「デモクラシー」を民主主義と書いてよいのか?とちょっと気になって、ネット検索したら、「主義」ではなく、「民主政治制度」と訳すのが正しいらしい。・・・言葉の使い方は、専門家には、いろいろ言い分があるのだろうが、ここは、気楽に、私の備忘録と思ってもらいたい。
著者は、「近代の変容」について語る前に、では、「近代」とはなんだったかなどについても触れている。この辺りは、簡単にフォローするだけに留める。
1.近代社会の変容
1.1.「第一の近代」
・近代は中世の胎内から生まれた。後期中世である10世紀から15世紀のなかで、近代は準備された。16世紀ごろから、ルネッサンスの発展、近代的市場の拡大、宗教改革などに象徴される初代近代(近世)が始まり、科学革命、近代国家の発展、近代産業の成立、市民革命を経て、18世紀中葉から本格的な近代が始動する。これが「第一の近代」のはじまりであり、近代社会の構造的特質は、この段階で確立する。
・近代に向けて、伝統社会の基本的世界観や生活慣習が根本から変革された。著者は、時間革命、空間革命、交換革命の3つを挙げている。
・そして、近代の構造として、複数の要素の結合体と捉えると分かりやすいとして、資本主義-産業主義という経済軸と、近代国家-個人主義という社会軸を組み合わせ、その各要素に共通するものとして科学主義を設定(ギデンス)。
1.2.変容する近代
・そして、第二次大戦後、先進資本主義社会は、「黄金時代」を迎えるが、その成功の結果として、種々の矛盾とリスクが発生し、「第一の近代」は、大きく揺らいでいく。そして、このような矛盾やリスクに対する警告として各種の「新しい社会運動」が発生し、「第二の近代」への転換の徴候が現れるようになる。
・たとえば、産業主義(公害)、資本主義(貧富の格差)、近代国家(監視する権力とともに生かす権力:福祉などを持つようになり、国民は国家に依存する羊に→第三の道、分権化)(グローバリゼーション)、個人主義(少数民族、女性、差別撤廃)、科学主義(原水爆、遺伝子組み換え)
・著者は、現在近代が揺らいでおり、第二の近代に向かいつつあり、さまざまな徴候が見られるが、まだ明確な形にはなっていない。しかし、現在進行形であるが、そうした動向を「第二の近代」として捉えていきたいとしている。この本は、2004年1月に出版されており、著者が示したいろいろな徴候は、現在、もう少し形を見せてきているのではないかと思われる。
2.第二の近代とその争点
・第二章では、近代の自己内省化によって社会に新しい現象が生みだされ、それが旧来のもののうえに重畳して新しい構造を作り上げているとし、政治、経済、国際関係、社会について、現在みられる現象を取り上げ、論じている。
・ここは、取り上げている項目だけあげておく。
・政治変容の諸相(サブ政治の発展:市民団体、自治と分権)(結社革命:NPO・NGO)(現代社会の遊牧民ノマド:社会運動を構成するのは、自分自身の生きがいと自分自身を取り戻す、自己実現的な人々、可視化と潜在など)
・経済変容の諸相(完全雇用の破たん)(市民労働:賃金労働と感謝労働)(基礎所得、市民所得)
・地球化のインパクト(グローバリゼーション)(グローバリズム:世界市場支配のイデオロギー)(多文化主義)
3.新しい市民社会論
・日本では、「市民社会」という言葉が定着していないが、ここでは、第一と第二の近代における市民社会が整理してある。
・18世紀前後、市場経済が発達し、国家から社会が分離する状況が訪れた時に、国家から自律した市民社会という発想が生まれた。国や置かれた状況によって少し概念が違うものの、二領域論的にとらえられていた。しかし、両者は、完全に対立分離してはいなくて、二つの円は、部分的に交錯していた。
・著者によると、これに対し、新しい市民社会論の多くは、三領域論をとっており、国家(政治システム)、経済社会(経済システム)、市民社会の三つの領域が相互に接合しながら、むしろ市民社会が優位に立つべきと考えられている。
・19世紀が進むにつれ、貨幣を中心とした経済社会(企業)の勢力が強くなり、国家と経済は次第に癒着し、人々の生活世界を圧倒するようになる。こうした状態に対して、生活世界からの逆襲が行われる。参加と自治、さまざまな自発的結社や社会運動によって、生活世界が権力を中止にした国家の領域に浸透し、NPOが企業の機能の一部を代行するなど、非営利活動が経済社会の領域に切り込むという事態が発生しつつある。
・ハーバマス:政治システム(権力という媒体によってコントロールされる)、経済システム(貨幣という媒体によってコントロールされる)、これに対し、生活世界の媒体は、「コミュニケーション」である。前2つのシステムが生活世界に強い影響力を持つ場合、が生活世界の「植民地化」と言われる現象。生活世界は、「発言し、行動する主体たちが社会化されている世界」。生活世界の中で培われた自律的な公共性が強くなければ、生活世界と二つのシステムの間で発生した紛争を生活世界の手でコントロールすることができない。
・当初、ハーバマスは、生活世界の自律性については必ずしも自信がないようであったが、東欧革命と「市民社会」の再発見によって、ラディカル・デモクラシーとして、将来への楽観主義を述べたという。(1994年)彼のいうラディカル・デモクラシーを支えるものとして、協議・討議政治(Deliberation Politik)を挙げている。(※津富先生らが訳した『熟議』というのがこのdeliberationらしい)
・ハーバマスは、法が妥当するためには討議が必要であり、政治システム内の討議・決定と、生活世界に根差した市民社会における討議という二回路システムの存在を強調。
4.揺れる市民社会
・ここでは、原子化・断片化されている個人を自らに有利に運ぼうという政治勢力として、ポピュリズムについて触れられているが、ここは飛ばす。
5.討議デモクラシー
5.1.行動的市民とデモクラシー
・行動的市民:個人化の進展は、個人の原子化・断片化を進めるという負の側面を持つと同時に、多くの自己実現派市民の創出というプラスの側面を持つ。これが新しい市民社会の中の市民である。同じ市民とはいっても、かつての財産と教養のあるブルジョア市民ではなく、教育と知識と一定の富と、そして認識力と判断力を持つ広汎な自律的市民層である。
・第一の近代に典型的であった持てる者と持たざる者との社会配分軸の他に、もう一つ、リバータリアン軸(自由意志を尊重するか、権威主義かの軸)を考え、自律した市民とその横の連携を重視する左派リバータリアンと縦の権威関係を尊重する右派権威主義者との対抗を考え合わせなければならない状況になってきている(キッチェルト)。→「第三の道」の政党がいわゆる勤労者層だけでなく、この左派リバータリアン(自己実現派市民)の支持を得ようと努力している。
・これらの自律的市民は孤立をさけ、その意図を実現するために、自ら他者との関係をもとうとするが、常に行動する市民という訳ではない。ふつうの市民は、他者との間にゆるやかな関係を持つが、一定の社会行動をするには、「行動する市民(アクティブ・シティズン)」がその媒体となることが多い。そして、普通の市民があるときは、「行動する市民」となり、また「行動する市民」があるときは普通の市民に戻るという循環を繰り返している。
・著者は、行動する市民を直接政治に参加する人だけに限定しなくても良いのではないか、市民社会の形成に必要なのは、社会参加でも良い(NPO/NGO,その他まちづくり、相互扶助等々)のではないかといっている。そして、こうした社会層を増やし、その間の「討議」を活発にしていくことがこれからのデモクラシーの課題になるとしている。
・デモクラシーの複線化:これまでのデモクラシーの原型は、代議制デモクラシーである(選挙を通して政治に参加)。市民が政治過程に過度に参加することは、過参加といってマイナスに評価された。しかし、1970年前後になって、近代社会に変容がみられるようになると、学会でも参加デモクラシーの論議が活発になった。
・さらに、1990年前後から、参加だけでなく、「討議」の重要性が再認識され、市民社会の討議に裏付けられない限り、デモクラシーの安定と発展はないと考えられるようになった。こうして、代議制デモクラシーに加えて、参加と討議を重要視するもう一つのデモクラシーの回路が現れ、二回路制のデモクラシー論の時代となりつつある。
・日本では、参加デモクラシーについてはいろいろな形で具体化され、実験されている(直接民主制)が、討議デモクラシーの制度化(これからの政治にとって欠かすことができない)については、紹介されていないので、以下紹介する。
・討議デモクラシーの原則:運営は、討議倫理に基づくものでなければならない。①正確な情報が得られるだけでなく、異なる立場に立つ人の意見と情報も公平に提供されるよう配慮されなければならない。②討議を効果的に行うようにするためには、小規模なグループでなければならず、できればグループの構成も固定せず、流動的であることが望ましい、③討議をすることによって、自分の意見を「変えること」は、望ましいことであり、頭数を数えるだけの議論になってはならない。
・このような大原則を実現するため、制度化にあたって、種々工夫されているが、その前に、集められたグループが社会全体の縮図を示すものでないならば、討議自体の意味が半減してしまう。政府の審議会(恣意的グループ)になりがち、討議デモクラシーの制度化にあたっては、ランダム・サンプリングの方法が採られ、その代表制、包含性、透明性を確保することにしている。
・討議制デモクラシーの制度化は、1990年代半ばから、目立つようになってきた。以下では、主に欧米で実施されたいろいろな制度が紹介されている。「討議制意見調査(deliberative poll以下DP)」、「コンセンサス会議(CC):これについては、日本でも、遺伝子組み換え農産物を考えるCCなどがなされている」、「計画細胞((Plannungszelle)」、「市民陪審制(citizens'jury)」。
・これらの制度化の場合は、選ばれたパネラーが決められた時期に3日間とか4日間とか続けさまに議論を続ける方法であり、その結果が代議士たちにも影響を与えるとか、テレビでも放映されるなどして、社会にも影響を与えている。
・多段式対話手続き:市民フォーラム(前の記述のもの:討議)、市民立法(イニシアティブ)、市移民投票(レフェレンダム):直接民主制、調定・仲裁(紛争解決モデル)
・「未来工房」(ここでの例では、ICTが社会に及ぼす影響というテーマで行われたとあるが、これは、FSのことだろうか)
・いくつかの問題:(ハーバマス)2回路制:1つの回路は、法治国家によって制定された制度的プロセスであり、第二の回路は、市民社会の中での非制度的、非形式的な意見形成のプロセスであり、両者は、相互に依存し、また規制しあう。そして、第二の回路にとって重要なことは「発見」であり、第一の回路が「議決」であるのと決定的に異なる。市民社会の討議は、鋭い感受性で問題を発見することに意義がある。第二の回路の討議によって、第一の決定に正統性が与えられる。
・DPの主唱者(フィシュキン)は、討議の日構想を示している。・・第一の回路と第二の回路をいかに結びつけるかが解決されざる問題として残っている。
・直接民主制:ポピュリズムに陥らないよう、十分な討議が必要、それを保障するルールと制度。
・討議デモクラシー:政治システムの決定にどのように影響力を与えられるか。政治システムが討議によって得られた問題解決の方向性に敏感に反応することが望ましい。
・国境を超える統治:EUの委員会は各国の「取引(バーゲン)」ではなく、「議論」に重点が置かれている。討議によって正統性を与えられている。しかし、民衆がこれをコントロールできない(「民主主義の赤字」)。
6.市民の条件
・それなりの市民(アデクウェイト・シティズン):公共善を認識して行動するような古代のよき市民でもなく、近代的個人主義の上にたって、それぞれの利益を追求し、その利益追求の予定調和によって公共善が成り立つと考える近代のよき市民でもない。現代においては、社会の規模の大きさ、問題の複雑さ、マスコミの操作性などを考えると、完全な判断のできる市民を期待することは困難であるが、そういう点については、専門家も同様である。そこで、あまり完全性を求めないで「それなりの市民」という基準をたてるべき(ダール)。パートタイム的でもよい。
・ダールは、軍隊に居る時に、「ふつうの人々」の能力に対する尊敬が日増しに高まった。「ふつうの人々が極めて大きな資質をもちながら、しかし、それがあまりにもしばしば十分に開発されていないのではないかという認識に達した」と書いている。
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