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2013年5月 7日 (火)

『熟議民主主義ハンドブック』第一章

ジョン・ギャスティル、ピーター・レヴィーン編、津富 宏、井上弘貴、木村正人監訳『熟議民主主義ハンドブック』を読み始めた。日本語訳は2013年に出版されたが、原著は2005年である。

まず、第一章「(時々)話したがる国民」

〇なお、「熟議」という言葉は、陪審や議会、立法機関など、理性的な議論を行った後に決定を下す機関が用いるプロセスを表すためにしばしば用いられる、ありふれた用語とのこと。ただ、この本で熟議という場合「市民の熟議」を指している。

この章は、「市民による熟議」が昨今注目を浴びているが、実はそれは20世紀を通じて流行り廃りを繰り返してきたこと、20世紀初頭に登場した時の様子とそれが何故消滅したのか、1990年代になって再興してきたが、その理由は何で、また消滅してしまう危険もはらんでいることを分析している。

前に読んだ篠原先生の本が、市民による熟議が歴史の必然のように書かれていたのに対し、この本では、いろいろな要件によって、盛り上がる時と消滅してしまうことがあると書かれている。

1.制度的にみたアメリカの民主的政体は、200年に渡って進んできた

憲法の制定→権利章典の規定→上院議員の普通選挙化(1913年)、(このころ、いろいろな州で住民発議や罷免要求制度など直接民主主義的な仕掛けが実施される)→女性の選挙権獲得(1919年)→(南北戦争後)アフリカ系アメリカ人への市民権の付与→マイノリティーへの選挙権付与→投票年齢の引き下げ(18歳、1972年)→有権者登録の簡便化、不在者投票、事前投票、郵送投票制度の拡大、障害者の参加を容易に。このほか、FBI等によるスパイ防止活動。有権者が利用できる情報の量と多様性、報道の自由。

2.一方で、民主的な制度を弱体化させる動きも

メディア所有の寡占化(第四階級)、2001年の愛国者法(戦争をするたびに市民的自由に対する制約が突如姿を現した例)、パットナムが指摘した社会関係資本(民主的な諸制度を支える社会的ネットワークと相互信頼)の衰退。

アメリカにおける民主主義の歴史は、一直線の物語としてみるよりも、ポピュリズム的民主主義、穏当な共和主義、エリート主義的な共和主義にわたる連続体上の異なる位置における一連の実験として捉えた方が有用。

アメリカは、フェデラリスト(代表制民主主義)と民主制論者(直接民主主義)の間のバランスを定期的に再交渉しつつこの間で揺れ動いてきた。

3.20世紀初頭のアメリカにおける市民の熟議

・人々の想像力のなかで、民主主義のモデルとして感傷的に好まれていたニュー・イングランドのタウンミーティングは、1920年代から30年代には、もはや活気を失っていた。←都市化の進展(共同体の崩壊)、都市住民の多様化、マスコミの進展(小規模性と同質性の喪失)により失われた。

・19世紀から20世紀にかけて革新主義の改革者たちは、直接民主制のための手法をいくつか増やした(上院議員の直接選挙と住民投票)。一方で官僚機構の規模が大きく複雑になり、行政から市民を遠ざけた。しかし、都市の行政は、行政を市民参加へと開放するための手法を発達させていた。

・加えて、革新主義的な性格の市民団体や非政府機関の多くが熟議の実践を後援していた。(セツルメントハウスやコミュニティセンターは、ディベートクラブや連続フォーラムを後援し、農民救済組合は、農民が時事問題について議論できる場所を提供していた。

・当時の市移民参加の新たな方法の一つが「オープン・フォーラム」(フォーラム運動)であった。これは1900年頃から急速にはじまり、とりわけ都市部で定着した。目下の問題について講演者が話して、聴衆からの質疑を受け、引き続いて議論を行う(ショトーカ地域ではじめられた文化講演会も由来する社会人教育の推進運動)。多くの人々にとって、この種の議論は、タウンミーティングの持つ、民主的な精神を具現化したもののように思われた。そうした議論は、直接に法律や政策に結実する訳ではなかったが、公共の場における熟議の精神を体現していた。

・これら熟議制度のうち、代表的なものが地元の慈善家フォードが寄付した遺産に基づいてコールマンが実施した「フォード・ホール・フォーラム」で、最初ボストンで実施された。コールマンは、さまざまな人々、とりわけ労働者階級の人々が講演者の話を聞いて質問や意見ができる場所を提供した。→これは、「教育機関としてのフォーラム」と評価され、全国に広がっていった。

・1932年にカーネギー財団が継続的な成人市民教育の2年間の実験として、アイオワ州デモイン市の教育長であったステュードベイカーに資金を交付した。ステュードベイカーは、夜間は使っていない公立学校の校舎を利用したこと、(すぐ近所の人々が顔を合わせることができる)近所の小学校で毎週フォーラムを開催したこと、複数の小学校グループを集めて月に一回高校でフォーラムを行ったこと、全市規模のフォーラムを年に2回開催した。

・この講演者たちの水準は高く、フォーラムは大きな成功を収めた。1934年、ローズベルトは、彼をアメリカの教育長官に指名し、彼は、この成功を全米規模で実施した。恐慌時代にも拘わらず、1938年までに、完全に入場無料で、学期中に週に最低一回開催され、これらのフォーラムに毎年100万人を超える人々が参加した。

・彼は、当面の諸課題について市民を教育するということではなく、民主的に話し合う文化的な習慣を育んでいくということを意図していた(成人市民教育)。彼の1935年の著書『アメリカン・ウェイ』で熟議は、議員がおこなう場合にのみ重要なのではない。あらゆる市民が他の市民と一緒になってやりとりを行うなかで、自分たちの意見を形成し、検証しなければならない。「そのように訓練された市民的知性、すなわち民主主義を実際に運営していくための基礎となる批判的で開かれた精神を私たちが持つべきであるのなら、全米において・・・市民ファーラムの仕組みを創設するための措置をすぐに講じなければならない・・・子供たちに対する読み書きそろばんの教育計画を徹底するとともに、成人の市民的知性をはぐくむための教育の仕組みの提供も徹底する必要があるとしている。

・1932年には、フォーラムの支持者でもあるオーヴァーストリートがパネル・ディスカッションを考案した。彼は、民主的なコミュニケーションの適切な形を誰でもが自然に理解し、実践できるわけではないことに気づき、教育者たちが最良の実践をお手本として示せるような形式を作ろうとした。

・全米フォーラム・プロジェクトは、政府予算が第二次世界大戦のための軍備を優先するようになった結果、消滅した。フォーラムを支持する者たちの熱い信念にも拘わらず、全米規模の取り組みはなくなった。

4.20世紀中期のアメリカにおける市民の熟議の衰退

・1940年代から1960年代初頭にかけてのさまざまな勢力が熟議の規範と諸制度を突き崩していった。①反共思想が強まり、開かれた議論のための豊かな土壌は提供されなくなった。②マスコミの登場により、対面的な文脈に対する関心が失われた。③インフラ整備による都市化と国土の連結により、地域主義も消えつつあった。④科学者が合理的な指導者像の見本となった→専門家信仰(シンクタンク)→市民は、自分たちが果たすべき根本的な役割がありうるなどとは、思い至る余裕がなかった。(市民よりも専門家を、活動的な市民よりも政策エリートを必要とするようになっていった)⑤第二次大戦で、ファシズムに身を任せうるということを明らかにしてしまい、市民自らが理性の力を疑うようになった

・こうして、政治の舞台は、新たな役者で埋め尽くされてしまった。①共通の主張を持つ人々の連帯を代表する利益団体がより一層、専門職ロビイストの活躍を通じて影響力を行使するようになった。人々は、民主主義とは、専門職のプランナーと政治家が、競合しあう私的な欲求やニーズについて決着する多元主義的なシステムであるとみなすようになった。

5.「市民の熟議」のルネッサンスを説明する

・熟議民主主義の再興を導いたのは、その衰退を招いたと同じ要因、技術と文化と政治である。①コンピュータ・ネットワークにより、熟議を行うコストが下がった。②多文化主義の流れ。グローバル化の急速な進行とアメリカの政治的境界内における民族的多様性の増加が企業、政府機関、地域社会、その他のさまざまな社会システムに対して、文化的差異についての理解を改めるよう迫っている。③パットナムのいう社会関係資本には、右翼も左翼も賛同を得た。パットナムが対象とした伝統的な市民活動だけでなく、慈善としての寄付、ボランティア精神、より拡散した市民ネットワークなど。9.11以降、市民生活の公共的な情熱に再び火をつけた可能性がある。

・ケタリング財団、ピュー慈善信託財団のように、市民の熟議と対話の推進を課題として取り組む新たな民間の担い手が存在している。→これらは、シンクタンクのように特定の政治課題を推進し続けているのとは異なり、「活力ある市民社会と熟議型の政治を促進している」

6.20世紀後半のアメリカにおける熟議

・1983年頃から、学者のなかで、市民の熟議を評価する論文が出始める。その中で、注目を浴びたのは、1988年に発表された「熟議型世論調査」(フィシュキン)で、これをナショナル・イシューズ会議(NIC)と名付けた(第5章)。NICは、メディアから脚光を浴び、公共放送サービスの各局がそのセッションの多くを中継した。

・クリントン大統領が「人種についての国民的対話」を呼びかけた(1997年)。

・ケタリング財団が運営し、コミュニティ・オーガナイザー、地域リーダー、公職者、教員や公共精神を持った市民たちによる分散型ネットワークが全国各地で主催してきたプログラム、「ナショナル・イシューズ・フォーラム」がある(第3章)。ここでは、目下の問題について争点を3つないし4つの選択肢に整理し、それをれのアプローチがもつ得失に注目するという特別の進め方で話し合いを進める。

・学習サークル資料センターが支援しているさまざまな形態の学習サークルと住民対話集会がある(第14章)。学習サークルのアプローチは、議論の焦点を絞った熟議と公開の対話集会とを組み合わせ、コミュニティ・オーガナイジングの手法を用いて、多人数の多様な参加者たちをひきつけることで公共の場で話し合いの質を向上させようというもの。→地域のオーガナイザーは、学習サークルのプロセスを活用して人々の個人的な態度や振る舞いを変えることから、制度や公共政策の変革を実現するための集団行動を引き起こすことまで、さまざまな成果を得ている。

・インターネットの登場により、meetup.org、MoveOn.org、e-thePeople.orgなどが主催する新たな世代の熟議型討論が生みだされた(第15章)。

・アメリカ政府は、ルール決定プロセスに市民による熟議を取り入れることで得られる潜在的利益を認め、そのためのインフラを創り上げた。意見聴取会が行われるようになってすでに数10年が経つが、それをネットで行い、より広範な市民の参加が可能になった。→ネット上の聴取会で修正された政策文書に対して、ネット上で加えられた意見に具体的に言及するなど政府機関が参加者に直接フィードバックすることも容易になった。

・アメリカ環境保護庁、公共インフラ産業、州の運輸局、学区など多様な組織が市民から得られる意見の質を向上させるために、対面型熟議の方法を実験的に用いている。ミネソタ州オロノ市の教育委員会は、1998年に市民陪審を開催した(第7・8章)。

7.今後の展望

・このように、現在、市民の熟議は、再認識されはじめているが、いつなんどき、また消滅するとも限らない。

・グローバリズムは無視することができない。これも、WTOのようにエリートの手に集中している一方、非営利組織のグローバルな運動も生まれている。

・インターネットは地球村に参入するコストを下げ、プラスに働いている。共同作業をする機会も広がっている。一方でメディアの寡占化や、孤立した個人がメディアから流されるコンテンツを受動的に消費するバラバラの視聴者に分断する危険性も残る。イデオロギー的なラジオは、自分に心地よいものだけ聞く傾向を促進する可能性もある。

・原理主義と文化的相対主義との間の争い、公共生活からの離脱とコミュニティへの熱い加入意欲との間の争い。宗教的過激派は、公共生活につきものの多様性に不寛容。ゲイテッド・コミュニティも共有財の価値について不寛容(公共の安全よりも個人の安全)。

・一方で、市民による熟議を推進する個人や組織、団体が増え続けている。熟議民主主義コンソーシアム、対話と熟議のための全国連合という二大市民ネットワークも創設された。

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市民による熟議が環境の変化によって盛り上がったり、消えてしまうというのは、面白い視点である。現在の再興も、もろいものかもしれないと環境をウォッチしていく必要があるのだろう。

日本は、財政破たん等による地方分権の流れや3.11により、専門家依存の不確かさの認識等々により、市民の熟議が求められる時代になっている一方で、中央政治は混迷し、第二次安部内閣が憲法改正を打ち出すなど、右傾化の方向も見えてきている。今、市民による熟議は、重要性を増しているように思う。

アメリカのように、民主主義のお手本と思われていた国でも、市民による熟議がまだまだ実験段階である(あるいは、中断されていた)というのは、そんなもんなのかという気持ちだが、まして、戦後与えられた民主主義で、表面や形だけは整っているが、市民のなかに十分根付いていない日本では、アメリカの20世紀前半に行われた成人市民教育のようなものが必要なのではないだろうか。ステュードベイカーの上記赤字にしたところは、私の気持ちと合っている。

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