『熟議民主主義のハンドブック』第二章
第二章「私たちは、実際に行われている熟議民主主義から何を学ぶことができるか?」
1.熟議の仕方をめぐる選択が熟議の構想に及ぼす影響
・熟議の構想は、①誰が熟議を開催するのかと②誰がその熟議に参加するのかという2つの問いによって異なってくる。熟議の活動は、さまざまな形態をとり、さまざまな目的へと向かいうるし、さまざまな結果をもたらしうる。→みせかけの熟議もある。
・熟議の現場を調査した結果、次の表のようになった。スマ大のFSは、今の段階では、①市民団体により、②自薦(友人から友人へ、隣人から隣人へなど、より個人的な招待となる。これには、2つの特徴があって、一つは、自分自身を代表していること、もう一つは、参加を取りやめることが容易なこと)で行われているといえるだろう。
・自薦の場合、参加者が継続して係るようにするには、「自分たちの意見が意思決定のプロセスに実際に反映されるのを約束する」のが一案である。しかしながら、自発的グループの場合、政府機関と違って、参加者の議論が具体的な成果につながるという保証はほとんどない。
・実際にそのような会合の司会進行役は、しばしば、今日の集まりの目的は、「教育的」なものであって、決定に関わる政治的なものではないと明言する。→そのため、グループは、礼儀正しさや親しみ、親密さを強調するようになる。参加者は、お互い、一緒にいるのが楽しいから集会に参加しているという考え方をはぐくんでいる。→自薦の人びとによるグループのなかで参加者が入れ替わっていくにつれて、だんだんとそのグループは、排他的で同質的になるというリスクにさらされる。参加者の間で生まれる結束は、熟議の参加者による認識の多様性を犠牲にして得られる。→集団のある一極への偏りは一層進んでしまう。パットナムのいう、「架橋型」ではなく、「結束型」になる。
・このことは、非常に気になる注意すべきことかもしれない。今、スマ大は、民主主義の学習、教育的なものとしてFSをやっているのだが、集まる人が入れ替わりつつ進むと、本来は、多様な考え方を熟議で理解し合うはずが、似たもの同士の仲良しクラブになってしまう可能性を孕んでいる。
・熟議の価値と目的に対する根強い懐疑に直面している。①熟議のモデルは、意思決定を行う形式として、伝統的な投票という手続きよりも優れているということが明らかにされていない。②熟議を実際に行ってみても、それが投票よりも優れているということを経験的に確証することは、しばしばきわめて難しい。
・熟議は、これまでの民主主義の制度面への代替案の模索だけでなく、民主主義の政治文化を強固なものにし、支えるのに必要な条件を再度イメージし、創り出そうとしているのである。
2.熟議の構想における選択が実際に行われる熟議に及ぼす影響
・熟議による集会をデザインするにあたって、次のようなことが意識されている。
①正統性(万人に開かれていて、市民が論理的に考えるための公正な手続きを規定している)→(市民を包摂し、自発性を有し、理性に基づき、平等と特徴とするプロセスから生まれた成果である)。
②よりよい成果(正義に適い合理的な決定を生みだすことも望んでいる)→(相互性:市民の多様な声は、市民の間での、どんな論争においても聞き入れられるということを保証)→(たとえ市民の間でコンセンサスが得られなくとも、正義にかなっている。なぜなら、それらの決定は、市民が自分たちのためにともに行動し、その利益が正しいことをお互いに示すための公平な条件を求めてきたプロセスから生まれたものだから)
③選好の形成と変容(熟議型民主主義は、投票や伝統的な世論調査のような社会の選好を集計するためのメカニズムとは異なる。→熟議は、市民の間に共有された利害や共通の善についてのコンセンサスに基づく考えを形成しようとする。個々の市民は、偏狭な自己利害を進んで脇に置かなければならないし、あるいは、そうできるよう、必要な制度を設けたり、動機づけを実際に政治がおこなわなければならない)
3.市民の間での熟議と市民文化
・熟議民主主義の価値は、個々の市民に民主主義の本質的な意味(自由で平等な市民が政治という営みを共有することに参加する平等な機会を持ち、自分たちの生活に影響を及ぼす決定をすることができる)を自分の生活のなかで実行し、経験する機会を与える。
・相互に依存関係にある、平等で、主権を持った一員として自分は政治のつながりを構成しているのだと個人が考えるには、スキルと徳が必要であり、この熟議の政治は、そうしたスキルと徳を身につけさせる。→これは今日起きている二重の力に対して戦うための強力な政治と文化の資源である。
・二重の力とは、①私生活中心主義と市民を関わらせないようにする動き、②個人に引きこもりを促す動きと人々を周縁に追いやったり排除したりする制度のことである。→熟議が相対的に成功した目安として:個人的かつ政治的な有力感、社会あるいは政治に対する責任に関わる態度の変化、社会的信用や共感の程度の変化、社会や政治への長期にわたる参画の率が含まれるだろう。=熟議によって自分たちを民主的な市民とみなす人々がどれほど形成されるのかを判断できるように評価の仕方を定める必要がある。民主的市民とは、シティズンシップに伴う権利と義務をしっかりと果たすのに必要なスキル、資質、気質、徳を持った人間のことである。
・アメリカでは「ステルス民主主義」(政治プロセスが可視化されたり、説明責任が果たされることを積極的には要求しないような民主主義)がはびこり始めているという危機感がある。→活動的で民主的なシティズンシップを鼓舞し、そのようなシティズンシップを支える民主的な文化を強固なものにする広汎で長期にわたる努力の一部が熟議型民主主義である。→価値が多様化しした社会で、主権を持ち、自治を行う構成員を養成するのに不可欠な場やスキル、徳を再生産しようという取り組みの一部。
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