田無にあった原子力研究の礎
現在、田無(西東京市)に住まわれている方の何人が知っているでしょうか。
田無の現在「いこいの森公園」になっているところは、もともとは、東京大学原子核研究所(通称“核研”)があったところです。
東大だけでなく、いろいろな大学の研究者が原子核について研究することができた全国共同利用研究所だったとのことです。
http://www.kek.jp/newskek/2005/mayjun/INSmemorial.html
上記のHPには次のように書かれています。
「世界最先端の性能をもつ加速器であるサイクロトロンと電子シンクロトロンが研究者の手によりこの研究所に建設されたことにより、全国から若い研究者が田無の研究所に寄り集い、原子核・素粒子・宇宙線物理学、物質構造科学の優れた研究成果が生まれました。その中には、サイクロトロンからのビームと数々のスペクトロメータを用いた原子核の構造とメカニズムの研究、電子シンクロトロンからの光子ビームによる核子共鳴の研究、わが国で初めて人工的につくられたパイ中間子の観測、空気シャワー装置やスパークチェンバーなどによる宇宙線の測定、ベータ線分析器によるニュートリノ質量の直接測定の実験、世界で最初の放射光専用リングによる物性実験、加速器開発研究、外国の研究機関との国際共同実験、そして理論物理研究部の原子核・素粒子研究などがあります。核研の名は INS(= Institute for Nuclear Study)として世界に通用し、そして核研で育った研究者は現在、我が国のみならず世界各地で活躍しています。」
子供の頃に「少年ジェット」というテレビ番組があり、田無の原子力研究所が悪い人に襲われるというので、バイクにのって白いマフラーを巻いた少年ジェットが悪者を助けに行くというのがありました。
凄いものが田無にあるらしいというので、ちょっと自慢ぽかったのと、その前を通るときは息を詰めてそそくさに通るというような気分もありました。
当時、田無は、田舎だったのでしょうね。
だから、東大農場や、現在は特別支援学校になっているところも農場の演習所でしたし、おまけに原子力研究所までおいていたんですね。
せいぜ狸やキツネくらいしかいない場所という認識だったのでしょう。
原子力って、たぶん凄いものなんだろうけど、人間の制御能力を超えているものって、やっぱやっちゃいけないのじゃないかなぁ。
優れた医者って、人の身体を切り刻みたがるけれど、同じように、優れた学者って、新しいことに興味深々で、子供のように追いかけてしまうのだろうけど、なんだかなぁ。
100年かけて、知恵の追及で地球を壊しまくって、我々は文明だ!進歩だ!って喜んで便利さを享受してきたけど、これらって、本当に智慧だったのかなぁと思うこのごろです。
ちなみに、ヤフー知恵袋によれば、「慧」とは、次のようにアンサーされてましたけど。
出典:仏語の三学「戒・定・慧」の一つで,妄惑を破り真證を得る事。
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