熟議

2013年5月15日 (水)

『熟議民主主義』第14章「学習サークル」

この本は、5部に分かれていて、4部が地域社会と熟議の文化なので、その最初にあたる第14章「学習サークル」を読んでみた。

1.ポーツマス市(人口約2万人)にとって熟議が文化になっている

ニューハンプシャー州ポーツマス市は、熟議による対話を当地の市民文化の不可欠な一部とする道をたどってきた。過去数年間にわたって、多様な地域社会のグループが数百人の住民を巻き込む学習サークルを何度も運営してきた。学習サークルが一つ成功するたびに、新しいグループのリーダーたちが刺激を受け、また、新たな問題について熟議を運営してきた。

①対話の日:尊敬できる学校(いじめと安全対策)

1999年、「対話の日:尊敬できる学校」というイベントで、ポーツマス市の住民は、初めて学習サークルを体験した。ポーツマス中学校から200人の6年生と、75人の大人が数回集まり、いじめなど、学校の安全に関する問題について議論した。

学習サークルが終わった後、生徒たちは、教育委員会と市議会に提案書を提出した。→その結果、学校の運営方針が変わり、いじめが減った。さらに学習サークルは、地域の異なる集団をつなげる役割も果たした。今では、学校と地域のリーダーは、より頻繁に交流するようになり、市民による熟議を前向きな変化へと向かうための道筋であるとみなしている。

②学区変更問題

その一年後、この学習サークルに参加したことのある一人の教育委員が同じプロセスを学区の変更問題についても行うことを提案した。→各校からの代表が同数になるようにして100人以上の人々が学習サークルに参加した。別々の小学校で各回の会合を開催したことによって、参加者は、それぞれの学校を尊重するようになり、過剰な児童数がもたらす結果を理解するようになった。

この学習サークルが作成した最終報告書『学区を変えず、考えを変える』は、学区変更計画に対して、10点からなる提案を盛り込み、転校する生徒を65人に絞り込んだ。以前の学区変更の試みと比べると、地域社会による受容の度合いは目覚ましいものだった。

③「ポーツマツは聴く!」(市の長期計画)

2002年の後半、市の計画委員会(市長、行政のトップ、計画部、市議会議員の後押しを受けて)は、市の基本計画に市民の意見を盛り込むため、学習サークルを支援した。市のリーダーたちは、学習サークルを先導するために、非公式組織である「ポーツマスは聴く!」を立ち上げた。

運営側は、地域社会を構成するあらゆる部分の住民がプログラムを計画し、熟議に参加できるようにした。プログラムは、3つの段階からなっていた。

2003年1月に実施された第一段階では、300人の人が参加して、ポーツマス市の住民にとって「生活の質」とは何を意味するのかを定義し、それを持続させる方法を提案し、それを例外的に建設的で出席率の高かった住民参加の会議の場で、市の計画委員会に報告した。

2003年4月には、基本計画について熟議の第二段階を開始した。今度は、学習サークルは、行動を強調した。7つのグループがそれぞれ、生活の質に影響を与える課題を明らかにし、実行できることを議論し、計画委員会に対して提案した。→改定された基本計画が公表されると、市が学習サークルからの助言を採用したことは明らかだった。

2004年の夏の間には、第三段階の参加者が大小のグループで集まり、気づいたことについて話し合い、優先順位を設定し、市への最終的な意見書について議論し、影響をもたらし変化を可能とするために、市と協働する方法を模索した。

学習サークルを使うことで、住民は、自分たちの間の違いを建設的に公表し、生産的に協働できる公共空間を創り出しつつある。

2013年5月14日 (火)

『熟議民主主義』第三章

第三章以降は、さまざまな取り組みや方法についての記述となる。

三章以降については、気になったところを拾い読みしようと思っているが、最初の第三章は、「ナショナル・イシューズ・フォーラム(以下、NIF)」で、これは、スマ大にとっては、もっとも近似性が高いやり方だ。第二章の分類によれば、主催が市民団体やNPO、集まる人は、自薦か利害関係者。

アメリカでは、この方法は、ずいぶんいろいろな地域や目的で実施されている。

前の2章は、大学の教授等が書いている。なるほど、だからかと思ったのだが、「熟議民主主義」を支援しながらも、その効果が本物かどうかを評価することをすごく意識していて、効果がないという人への反論を数値で示せないことに自ら苛立っている。

一方、第三章は、フォーラムの実践をしている人が書いているので、フォーラム(熟議)をすると、参加者が変わっていくのが分かるということで興奮して書いている。私には、こちらの方が分かりやすい

1.NIFの始まり

1970年代の終わりに、元保険教育福祉長官でアラバマ大学学長のデイヴィッド・マシューズは、市民の政治離れを克服する方法を模索するために、学者、コミュニティの活動家、公職者、財団のリーダーらを招集→1981年にマシューズがチャールズ・F・ケタリング財団の理事長に就任、この財団の理事たちは、民主的な生活における一般市民の役割をこの財団の使命の中心をなすテーマとした。(マシューズは、世論分析のベテランであり、パブリック・アジェンダ財団の初代代表であるダニエル・ヤンケロヴィッチと連携)

1981年、NIFは立ち上げられた。この会議で、17の団体の代表者たちが国内政策協会を創設するために力を合わせることに合意した。この協会は、非党派的な全国ネットワークで、毎年、3つの喫緊の課題に焦点を当てることになった。

2.NIFとは

NIFは、市民的熟議のための市民フォーラムや研修機関を後援する諸々の組織や個人からなる特定の党派に属さない全国ネットワークで、他にもこうした組織はあるが、その中で最大のもの。

NIFのネットワークは、たとえば、2003年には、社会奉仕クラブ、大学、図書館、会員制の団体等によって、数千のフォーラムが開かれた。

現在、32の組織が30の州で「市民による熟議のための問題の枠組みを設定する仕方やフォーラムの運営や主催の仕方を学ぶことができる勉強会を行っている。

このネットワークで使用される教材の一部は、NIFI(ナショナル・イシューズ・フォーラム研究所)が開発したものである。NIFIは、①ある問題の背景をなしている情報を提供し、②熟議のための3つの一般的アプローチを説明する政策課題冊子(イシュー・ブック)、③司会進行役と主催者のための用例集、④学校における市民による熟議のためのカリキュラムである『教室のNIF』など、市民による熟議をサポートするための資料を開発し、普及に努めている。NIFIは、NIFネットワークのメンバーと共同して、問題の枠組みを設定することや議論のためのガイドブック作成なども行っている

発足間もない頃、課題を議論するための枠組みを設定するにあたって、パブリック・アジェンダ財団の力に頼っていた。→最近では、さまざまな団体と個人が、自分たち自身の課題を論じるための枠組みを設定する能力を身に付けるようになった。

この政策課題冊子は、公共の議論を行うための枠組みを与える媒体であり、人々が表面的で情報の裏付けのない意見を超えて、「公共的な判断」へと導かれるような会話のための触媒である。「公共的な判断」とは、「人々がある問題に参画し、それらをあらゆる側面から考察し、それがもたらす選択を理解し、自分たちが行う選択のすべての帰結を受け入れた場合に現れるところの高度に発達した市民の意見」(ヤンケロヴィッチ)

3.課題(イシュー)の選定と議論の枠組み

フォーラムの企画を始めるとき、主催者は、教育、違法薬物、リスクを抱える若者、移民、人種等々の論点について、既刊の政策課題冊子の一冊をしばしば用いる。過去22年にわたって70以上の論点に関する政策課題冊子がある。最近の課題としては、若者の暴力、政治とカネ、アメリカの統治、ギャンブル、アルコール濫用、人種・民族的緊張、テロリズムへの対応などがある。

これらは、大部分のアメリカ人の生活と直接関係があるものばかりで、これらの課題の大半は、今でも依然としてタイムリーなものである。(2004年にフォーラムが多く取り上げた問題は、移民、世界におけるアメリカの役割、健康の維持、ニュース報道と市民の信頼であった)

フォーラムの規模は、10数人から数百人まで、いろいろ。

司会進行役は、当該の課題についての専門家であることを期待されていない。むしろそうでない方が自由な意見交換を委縮させない。司会進行役は、政策課題冊子について、またあ、熟議をするグループが問題をただ話し合うよりもうまく目的を達成するのに役立つさまざまなガイドラインや実践について熟知しておくべきである。進行役は中立であり続けることを守るべき。

4.司会進行役は、5つのことを行う

①彼らは、基本的なルールを定め、敬意をもって聞くこと、自分自身のものとは異なる考え方を含むすべての考え方を考慮すること。そして、共通の土台を探究することを参加者に約束させる。聞くことが話すことと同じくらい重要であるという事実を強調しつつ全員に参加を促す。参加者が同意しない可能性がある考え方については、特にそうするよう心掛ける。参加者たちは互いに意見を表明し、そして理解するために人の話を聞くよう促す。

②進行役は、課題及びその課題に対する多様なアプローチを紹介する。進行役は、当該の課題の要約を含む短いビデオを流すこともある。大切なのは、参加者たちが関係する事実を調べることに時間の大部分を費やすことのないように、十分な情報を提供すること→参加者たちの教育水準や専門知識に関係なく、参加者を対等にする。

③進行役は、その課題に関する個人的な経験や関心について尋ねることで、人々を議論に引き入れる。特に課題が抽象的で馴染みのないものである場合、課題に関する個人的な経験を語ることは、議論に参加しているという感覚を作り出す助けとなる。

④進行役は、複数のアプローチについて熟議するよう仕向ける。進行役は、参加者がそれぞれのアプローチを十分にかつ公平に考慮し、それそれのアプローチを個人的な語りや経験を添えて説明し、それぞれのアプローチに関連するコストと結果を考慮するよう促す。進行役は、グループのメンバーが十分に言い表せていないさまざまな立場を考慮するように促す目的で、参加者たちにしばしば問いかける。たとえば、「仮にこのアプローチに同意しないとしても、このアプローチに賛同している議論のうちで、あなたが好意的に感じるもっとも説得力のある議論はどれでしょうか」と尋ねる。

⑤議論を1時間から数時間かけたあとで、進行役は振り返りと呼ばれる、議論の最期の部分をリードする。この段階では、進行役は、グループに対して、共通の主題と共通の土台を確認することを求める。進行役は、参加者に対して、本当に課題となっているのは何か、どの帰結が受け入れられないのか、どの点が未解決なのかを尋ねる。当該の課題についての共通理解をあえて口に出して表現することで、参加者は、それぞれが持ち寄った論点ではなく、グループとして言えることは何かという観点から話をする。そうすることで、参加者は、自分たちがどうしたら、一緒に前に進めるのかを理解しはじめる。多くの場合には、グループは、具体的な行動に移すための共通の土台を見出す。共通の土台がほとんど明らかにならない場合でも、参加者たちは、少なくとも、さらなる熟議を必要とする未解決の課題を言い表すことはでくる。

進行役に加えて、記録係りがつくこともある。記録係りは、議論を聞きながら、あるアプローチを支持するコメントとそれへの反対を表明するコメントをそれぞれ箇条書きすることで、話に出たことをまとめる。このようにして、参加者は、熟議の間に起きたことを比較考量することができる。

○この進行役と記録係りは、たとえば40人集まるフォーラムとして、それに1人ずつなのだろうか。あるいは、たとえば10人ずつグループ化し、それに1人ずつつくのだろうか。40人が一斉に議論するのではないだろう、たぶんグループ化するのだろうが、その流れが良くわからない。

5.概要報告書

ケタリング財団は、NIFと協働して、概要報告書の作成をサポートしてきた。報告書は、進行役の口頭での報告やまとめに基づいて作成される。これにより、地域のフォーラム・グループは、その声を全国的な話し合いの場に届けることができる。報告書は、全米規模のイベントで報告される。大統領図書館での会合や、連邦議会に対する説明会のかたちをとって行われる。

最近は、公共テレビ局で全米に放送される「ア・パブリック・ボイス」という1時間番組が特定の論点をめぐるフォーラムの結果を報告する。

連邦議会議員、全米ニュースのコメンテーター、当該の主題の専門家たちがワシントン特別区の全米記者クラブに集まり、全米各地でNIFのネットワークが実施したフォーラムの様子を録画したビデオを視聴する。

○論点を決め、その論点についての情報といくつかの異なるアプローチについて政策課題冊子をまとめるというのは、すごい。

○また、マスコミが取り上げ、連邦議会議員や発言力のある人たちがそのフォーラムの様子を参考にするまでになっているところはすごい。

 熟議の過程で、多くの参加者たちは、自己利益という狭量な感覚から、ある特定の行動方針が自分の地域社会において異なる状況にある他の人々に、さらには異なる世代に属する人々にどのような影響を与えるかを意識した、より懐の深い理解へと至る。参加者は、良識(コモンセンス)を共有するようになる。

 熟議は、コンセンサスや個人の見方における重要な変化を導くということを意味しない。実際に変化するのは、自分たちが合意しない相手に対する認識である。他の誰かの立場に同意しないとしても、しばしばその立場を認めてよりよく理解するようになる。

以下、本には、NIFの経験がもたらすインパクト(個人に、地域社会に)と3つの課題が書かれており、いずれも重要だが、ここでは、省略する。

2013年5月 8日 (水)

『熟議民主主義のハンドブック』第二章

第二章「私たちは、実際に行われている熟議民主主義から何を学ぶことができるか?」

1.熟議の仕方をめぐる選択が熟議の構想に及ぼす影響

・熟議の構想は、①誰が熟議を開催するのかと②誰がその熟議に参加するのかという2つの問いによって異なってくる。熟議の活動は、さまざまな形態をとり、さまざまな目的へと向かいうるし、さまざまな結果をもたらしうる。→みせかけの熟議もある。

・熟議の現場を調査した結果、次の表のようになった。スマ大のFSは、今の段階では、①市民団体により、②自薦(友人から友人へ、隣人から隣人へなど、より個人的な招待となる。これには、2つの特徴があって、一つは、自分自身を代表していること、もう一つは、参加を取りやめることが容易なこと)で行われているといえるだろう。Jukugikubun

自薦の場合、参加者が継続して係るようにするには、「自分たちの意見が意思決定のプロセスに実際に反映されるのを約束する」のが一案である。しかしながら、自発的グループの場合、政府機関と違って、参加者の議論が具体的な成果につながるという保証はほとんどない。

実際にそのような会合の司会進行役は、しばしば、今日の集まりの目的は、「教育的」なものであって、決定に関わる政治的なものではないと明言する。→そのため、グループは、礼儀正しさや親しみ、親密さを強調するようになる。参加者は、お互い、一緒にいるのが楽しいから集会に参加しているという考え方をはぐくんでいる。→自薦の人びとによるグループのなかで参加者が入れ替わっていくにつれて、だんだんとそのグループは、排他的で同質的になるというリスクにさらされる。参加者の間で生まれる結束は、熟議の参加者による認識の多様性を犠牲にして得られる。→集団のある一極への偏りは一層進んでしまう。パットナムのいう、「架橋型」ではなく、「結束型」になる。

・このことは、非常に気になる注意すべきことかもしれない。今、スマ大は、民主主義の学習、教育的なものとしてFSをやっているのだが、集まる人が入れ替わりつつ進むと、本来は、多様な考え方を熟議で理解し合うはずが、似たもの同士の仲良しクラブになってしまう可能性を孕んでいる。

・熟議の価値と目的に対する根強い懐疑に直面している。①熟議のモデルは、意思決定を行う形式として、伝統的な投票という手続きよりも優れているということが明らかにされていない。②熟議を実際に行ってみても、それが投票よりも優れているということを経験的に確証することは、しばしばきわめて難しい。

・熟議は、これまでの民主主義の制度面への代替案の模索だけでなく、民主主義の政治文化を強固なものにし、支えるのに必要な条件を再度イメージし、創り出そうとしているのである。

2.熟議の構想における選択が実際に行われる熟議に及ぼす影響

・熟議による集会をデザインするにあたって、次のようなことが意識されている。

正統性(万人に開かれていて、市民が論理的に考えるための公正な手続きを規定している)→(市民を包摂し、自発性を有し、理性に基づき、平等と特徴とするプロセスから生まれた成果である)。

よりよい成果(正義に適い合理的な決定を生みだすことも望んでいる)→(相互性:市民の多様な声は、市民の間での、どんな論争においても聞き入れられるということを保証)→(たとえ市民の間でコンセンサスが得られなくとも、正義にかなっている。なぜなら、それらの決定は、市民が自分たちのためにともに行動し、その利益が正しいことをお互いに示すための公平な条件を求めてきたプロセスから生まれたものだから)

選好の形成と変容(熟議型民主主義は、投票や伝統的な世論調査のような社会の選好を集計するためのメカニズムとは異なる。→熟議は、市民の間に共有された利害や共通の善についてのコンセンサスに基づく考えを形成しようとする。個々の市民は、偏狭な自己利害を進んで脇に置かなければならないし、あるいは、そうできるよう、必要な制度を設けたり、動機づけを実際に政治がおこなわなければならない)

3.市民の間での熟議と市民文化

・熟議民主主義の価値は、個々の市民に民主主義の本質的な意味(自由で平等な市民が政治という営みを共有することに参加する平等な機会を持ち、自分たちの生活に影響を及ぼす決定をすることができる)を自分の生活のなかで実行し、経験する機会を与える。

・相互に依存関係にある、平等で、主権を持った一員として自分は政治のつながりを構成しているのだと個人が考えるには、スキルと徳が必要であり、この熟議の政治は、そうしたスキルと徳を身につけさせる。→これは今日起きている二重の力に対して戦うための強力な政治と文化の資源である。

・二重の力とは、①私生活中心主義と市民を関わらせないようにする動き、②個人に引きこもりを促す動きと人々を周縁に追いやったり排除したりする制度のことである。→熟議が相対的に成功した目安として:個人的かつ政治的な有力感、社会あるいは政治に対する責任に関わる態度の変化、社会的信用や共感の程度の変化、社会や政治への長期にわたる参画の率が含まれるだろう。=熟議によって自分たちを民主的な市民とみなす人々がどれほど形成されるのかを判断できるように評価の仕方を定める必要がある。民主的市民とは、シティズンシップに伴う権利と義務をしっかりと果たすのに必要なスキル、資質、気質、徳を持った人間のことである。

・アメリカでは「ステルス民主主義」(政治プロセスが可視化されたり、説明責任が果たされることを積極的には要求しないような民主主義)がはびこり始めているという危機感がある。→活動的で民主的なシティズンシップを鼓舞し、そのようなシティズンシップを支える民主的な文化を強固なものにする広汎で長期にわたる努力の一部が熟議型民主主義である。→価値が多様化しした社会で、主権を持ち、自治を行う構成員を養成するのに不可欠な場やスキル、徳を再生産しようという取り組みの一部。

2013年5月 7日 (火)

『熟議民主主義ハンドブック』第一章

ジョン・ギャスティル、ピーター・レヴィーン編、津富 宏、井上弘貴、木村正人監訳『熟議民主主義ハンドブック』を読み始めた。日本語訳は2013年に出版されたが、原著は2005年である。

まず、第一章「(時々)話したがる国民」

〇なお、「熟議」という言葉は、陪審や議会、立法機関など、理性的な議論を行った後に決定を下す機関が用いるプロセスを表すためにしばしば用いられる、ありふれた用語とのこと。ただ、この本で熟議という場合「市民の熟議」を指している。

この章は、「市民による熟議」が昨今注目を浴びているが、実はそれは20世紀を通じて流行り廃りを繰り返してきたこと、20世紀初頭に登場した時の様子とそれが何故消滅したのか、1990年代になって再興してきたが、その理由は何で、また消滅してしまう危険もはらんでいることを分析している。

前に読んだ篠原先生の本が、市民による熟議が歴史の必然のように書かれていたのに対し、この本では、いろいろな要件によって、盛り上がる時と消滅してしまうことがあると書かれている。

1.制度的にみたアメリカの民主的政体は、200年に渡って進んできた

憲法の制定→権利章典の規定→上院議員の普通選挙化(1913年)、(このころ、いろいろな州で住民発議や罷免要求制度など直接民主主義的な仕掛けが実施される)→女性の選挙権獲得(1919年)→(南北戦争後)アフリカ系アメリカ人への市民権の付与→マイノリティーへの選挙権付与→投票年齢の引き下げ(18歳、1972年)→有権者登録の簡便化、不在者投票、事前投票、郵送投票制度の拡大、障害者の参加を容易に。このほか、FBI等によるスパイ防止活動。有権者が利用できる情報の量と多様性、報道の自由。

2.一方で、民主的な制度を弱体化させる動きも

メディア所有の寡占化(第四階級)、2001年の愛国者法(戦争をするたびに市民的自由に対する制約が突如姿を現した例)、パットナムが指摘した社会関係資本(民主的な諸制度を支える社会的ネットワークと相互信頼)の衰退。

アメリカにおける民主主義の歴史は、一直線の物語としてみるよりも、ポピュリズム的民主主義、穏当な共和主義、エリート主義的な共和主義にわたる連続体上の異なる位置における一連の実験として捉えた方が有用。

アメリカは、フェデラリスト(代表制民主主義)と民主制論者(直接民主主義)の間のバランスを定期的に再交渉しつつこの間で揺れ動いてきた。

3.20世紀初頭のアメリカにおける市民の熟議

・人々の想像力のなかで、民主主義のモデルとして感傷的に好まれていたニュー・イングランドのタウンミーティングは、1920年代から30年代には、もはや活気を失っていた。←都市化の進展(共同体の崩壊)、都市住民の多様化、マスコミの進展(小規模性と同質性の喪失)により失われた。

・19世紀から20世紀にかけて革新主義の改革者たちは、直接民主制のための手法をいくつか増やした(上院議員の直接選挙と住民投票)。一方で官僚機構の規模が大きく複雑になり、行政から市民を遠ざけた。しかし、都市の行政は、行政を市民参加へと開放するための手法を発達させていた。

・加えて、革新主義的な性格の市民団体や非政府機関の多くが熟議の実践を後援していた。(セツルメントハウスやコミュニティセンターは、ディベートクラブや連続フォーラムを後援し、農民救済組合は、農民が時事問題について議論できる場所を提供していた。

・当時の市移民参加の新たな方法の一つが「オープン・フォーラム」(フォーラム運動)であった。これは1900年頃から急速にはじまり、とりわけ都市部で定着した。目下の問題について講演者が話して、聴衆からの質疑を受け、引き続いて議論を行う(ショトーカ地域ではじめられた文化講演会も由来する社会人教育の推進運動)。多くの人々にとって、この種の議論は、タウンミーティングの持つ、民主的な精神を具現化したもののように思われた。そうした議論は、直接に法律や政策に結実する訳ではなかったが、公共の場における熟議の精神を体現していた。

・これら熟議制度のうち、代表的なものが地元の慈善家フォードが寄付した遺産に基づいてコールマンが実施した「フォード・ホール・フォーラム」で、最初ボストンで実施された。コールマンは、さまざまな人々、とりわけ労働者階級の人々が講演者の話を聞いて質問や意見ができる場所を提供した。→これは、「教育機関としてのフォーラム」と評価され、全国に広がっていった。

・1932年にカーネギー財団が継続的な成人市民教育の2年間の実験として、アイオワ州デモイン市の教育長であったステュードベイカーに資金を交付した。ステュードベイカーは、夜間は使っていない公立学校の校舎を利用したこと、(すぐ近所の人々が顔を合わせることができる)近所の小学校で毎週フォーラムを開催したこと、複数の小学校グループを集めて月に一回高校でフォーラムを行ったこと、全市規模のフォーラムを年に2回開催した。

・この講演者たちの水準は高く、フォーラムは大きな成功を収めた。1934年、ローズベルトは、彼をアメリカの教育長官に指名し、彼は、この成功を全米規模で実施した。恐慌時代にも拘わらず、1938年までに、完全に入場無料で、学期中に週に最低一回開催され、これらのフォーラムに毎年100万人を超える人々が参加した。

・彼は、当面の諸課題について市民を教育するということではなく、民主的に話し合う文化的な習慣を育んでいくということを意図していた(成人市民教育)。彼の1935年の著書『アメリカン・ウェイ』で熟議は、議員がおこなう場合にのみ重要なのではない。あらゆる市民が他の市民と一緒になってやりとりを行うなかで、自分たちの意見を形成し、検証しなければならない。「そのように訓練された市民的知性、すなわち民主主義を実際に運営していくための基礎となる批判的で開かれた精神を私たちが持つべきであるのなら、全米において・・・市民ファーラムの仕組みを創設するための措置をすぐに講じなければならない・・・子供たちに対する読み書きそろばんの教育計画を徹底するとともに、成人の市民的知性をはぐくむための教育の仕組みの提供も徹底する必要があるとしている。

・1932年には、フォーラムの支持者でもあるオーヴァーストリートがパネル・ディスカッションを考案した。彼は、民主的なコミュニケーションの適切な形を誰でもが自然に理解し、実践できるわけではないことに気づき、教育者たちが最良の実践をお手本として示せるような形式を作ろうとした。

・全米フォーラム・プロジェクトは、政府予算が第二次世界大戦のための軍備を優先するようになった結果、消滅した。フォーラムを支持する者たちの熱い信念にも拘わらず、全米規模の取り組みはなくなった。

4.20世紀中期のアメリカにおける市民の熟議の衰退

・1940年代から1960年代初頭にかけてのさまざまな勢力が熟議の規範と諸制度を突き崩していった。①反共思想が強まり、開かれた議論のための豊かな土壌は提供されなくなった。②マスコミの登場により、対面的な文脈に対する関心が失われた。③インフラ整備による都市化と国土の連結により、地域主義も消えつつあった。④科学者が合理的な指導者像の見本となった→専門家信仰(シンクタンク)→市民は、自分たちが果たすべき根本的な役割がありうるなどとは、思い至る余裕がなかった。(市民よりも専門家を、活動的な市民よりも政策エリートを必要とするようになっていった)⑤第二次大戦で、ファシズムに身を任せうるということを明らかにしてしまい、市民自らが理性の力を疑うようになった

・こうして、政治の舞台は、新たな役者で埋め尽くされてしまった。①共通の主張を持つ人々の連帯を代表する利益団体がより一層、専門職ロビイストの活躍を通じて影響力を行使するようになった。人々は、民主主義とは、専門職のプランナーと政治家が、競合しあう私的な欲求やニーズについて決着する多元主義的なシステムであるとみなすようになった。

5.「市民の熟議」のルネッサンスを説明する

・熟議民主主義の再興を導いたのは、その衰退を招いたと同じ要因、技術と文化と政治である。①コンピュータ・ネットワークにより、熟議を行うコストが下がった。②多文化主義の流れ。グローバル化の急速な進行とアメリカの政治的境界内における民族的多様性の増加が企業、政府機関、地域社会、その他のさまざまな社会システムに対して、文化的差異についての理解を改めるよう迫っている。③パットナムのいう社会関係資本には、右翼も左翼も賛同を得た。パットナムが対象とした伝統的な市民活動だけでなく、慈善としての寄付、ボランティア精神、より拡散した市民ネットワークなど。9.11以降、市民生活の公共的な情熱に再び火をつけた可能性がある。

・ケタリング財団、ピュー慈善信託財団のように、市民の熟議と対話の推進を課題として取り組む新たな民間の担い手が存在している。→これらは、シンクタンクのように特定の政治課題を推進し続けているのとは異なり、「活力ある市民社会と熟議型の政治を促進している」

6.20世紀後半のアメリカにおける熟議

・1983年頃から、学者のなかで、市民の熟議を評価する論文が出始める。その中で、注目を浴びたのは、1988年に発表された「熟議型世論調査」(フィシュキン)で、これをナショナル・イシューズ会議(NIC)と名付けた(第5章)。NICは、メディアから脚光を浴び、公共放送サービスの各局がそのセッションの多くを中継した。

・クリントン大統領が「人種についての国民的対話」を呼びかけた(1997年)。

・ケタリング財団が運営し、コミュニティ・オーガナイザー、地域リーダー、公職者、教員や公共精神を持った市民たちによる分散型ネットワークが全国各地で主催してきたプログラム、「ナショナル・イシューズ・フォーラム」がある(第3章)。ここでは、目下の問題について争点を3つないし4つの選択肢に整理し、それをれのアプローチがもつ得失に注目するという特別の進め方で話し合いを進める。

・学習サークル資料センターが支援しているさまざまな形態の学習サークルと住民対話集会がある(第14章)。学習サークルのアプローチは、議論の焦点を絞った熟議と公開の対話集会とを組み合わせ、コミュニティ・オーガナイジングの手法を用いて、多人数の多様な参加者たちをひきつけることで公共の場で話し合いの質を向上させようというもの。→地域のオーガナイザーは、学習サークルのプロセスを活用して人々の個人的な態度や振る舞いを変えることから、制度や公共政策の変革を実現するための集団行動を引き起こすことまで、さまざまな成果を得ている。

・インターネットの登場により、meetup.org、MoveOn.org、e-thePeople.orgなどが主催する新たな世代の熟議型討論が生みだされた(第15章)。

・アメリカ政府は、ルール決定プロセスに市民による熟議を取り入れることで得られる潜在的利益を認め、そのためのインフラを創り上げた。意見聴取会が行われるようになってすでに数10年が経つが、それをネットで行い、より広範な市民の参加が可能になった。→ネット上の聴取会で修正された政策文書に対して、ネット上で加えられた意見に具体的に言及するなど政府機関が参加者に直接フィードバックすることも容易になった。

・アメリカ環境保護庁、公共インフラ産業、州の運輸局、学区など多様な組織が市民から得られる意見の質を向上させるために、対面型熟議の方法を実験的に用いている。ミネソタ州オロノ市の教育委員会は、1998年に市民陪審を開催した(第7・8章)。

7.今後の展望

・このように、現在、市民の熟議は、再認識されはじめているが、いつなんどき、また消滅するとも限らない。

・グローバリズムは無視することができない。これも、WTOのようにエリートの手に集中している一方、非営利組織のグローバルな運動も生まれている。

・インターネットは地球村に参入するコストを下げ、プラスに働いている。共同作業をする機会も広がっている。一方でメディアの寡占化や、孤立した個人がメディアから流されるコンテンツを受動的に消費するバラバラの視聴者に分断する危険性も残る。イデオロギー的なラジオは、自分に心地よいものだけ聞く傾向を促進する可能性もある。

・原理主義と文化的相対主義との間の争い、公共生活からの離脱とコミュニティへの熱い加入意欲との間の争い。宗教的過激派は、公共生活につきものの多様性に不寛容。ゲイテッド・コミュニティも共有財の価値について不寛容(公共の安全よりも個人の安全)。

・一方で、市民による熟議を推進する個人や組織、団体が増え続けている。熟議民主主義コンソーシアム、対話と熟議のための全国連合という二大市民ネットワークも創設された。

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市民による熟議が環境の変化によって盛り上がったり、消えてしまうというのは、面白い視点である。現在の再興も、もろいものかもしれないと環境をウォッチしていく必要があるのだろう。

日本は、財政破たん等による地方分権の流れや3.11により、専門家依存の不確かさの認識等々により、市民の熟議が求められる時代になっている一方で、中央政治は混迷し、第二次安部内閣が憲法改正を打ち出すなど、右傾化の方向も見えてきている。今、市民による熟議は、重要性を増しているように思う。

アメリカのように、民主主義のお手本と思われていた国でも、市民による熟議がまだまだ実験段階である(あるいは、中断されていた)というのは、そんなもんなのかという気持ちだが、まして、戦後与えられた民主主義で、表面や形だけは整っているが、市民のなかに十分根付いていない日本では、アメリカの20世紀前半に行われた成人市民教育のようなものが必要なのではないだろうか。ステュードベイカーの上記赤字にしたところは、私の気持ちと合っている。

2013年5月 6日 (月)

『市民の政治学』を読んで

前ブログでは、当初予想以上に、まじめに読みながら気になったところを書き留めてしまい長くなってしまった。

私は、地域で活動しはじめてから2年くらいが経ったところだ。

〇普通の人が集まって対話すると、智恵が生まれ、何かが始まる

当初、地域イノベーター養成講座を実施したおり、先生(私)が何かを教えるよりも、普通の人(受講生)が皆、漠然と何かしら問題意識を持っており、それを話し合える場があると、互い刺激し合うことにより、当人の考え方も整理され、素晴らしい知恵やアイデアが生まれたり、何かを始めたいという意識が生まれたりすることに驚き、感動した。

今、考えると、おそらくそういう問題意識を持っている人たちだからこそ、日曜日の朝から8週間も続けて参加したのだろうと思うので、優れた人たちが集まっていたのかもしれない。しかし、すくなくとも、普通の人が一人ひとりバラバラではまとまらないアイデアも、多様なバックグラウンドの人たちと話し合うことで、次第に形がつくられていくことに驚き、対話や討議に力があることを知った。

〇行政とは別に、市民が町のことを知り、考え、議論することが必要なのでは

その頃、西東京市の総合計画が策定されており、市民を集めてWSが行われていたこともあり、総合計画等が、行政主導で行政のスケジュールと都合で策定されるのはしかたないとしても、その町にすむ当事者である市民が、自分たちの生活に直接かかわることについて、もっと話し合い、行政の提案を受け入れるにしても、よく理解して受け入れるとか、行政の気づかない解決方法を提案するなどがあっても良いのではないかと思った。

ちょうどFS(フューチャー・セッション)が日本では企業から導入され、それを地域にも応用しようという動きが流行になっていたこともあり、市民に集まってもらって、いろいろな地域の課題を話し合ってみようではないかと思い立った。

同じ思いの仲間と、これまで3回FSを実施してきた。毎回老若男女40人ほどが集まり、第一回は未来を担う子ども、第二回は防災、第三回は地域に眠る人財の活用について話し合ってきた。

そんななか、「熟議」という言葉に反応した訳だ。

〇欧米では、討議デモクラシーの流れは必然とされており、すでに試みが始まっている

この本を読むと、欧米では、ずい分前から、近代の変容に対する議論が進んでいたことが分かり、1990年頃から、討議デモクラシーの実験があちこちで行われているというのに愕然とした。私は学問的背景がないなかで、なんとなく、ニオイとして感じてやってきたことが、欧米では、まともに取り上げて研究・実験されているというのだ。

この本によれば、討議デモクラシーは、歴史の流れから当然に読み取れると書かれており、ハーバマスによれば、政治システムや経済システムは、自動制御的コントロールの体系で、行為者の意識を超えた形で個人の意思決定が規制されるが、生活世界の媒体は、コミュニケーションであるという。

討議には、討議倫理が必要で、簡単に言えば、誰でもが自由に発言でき、誰でも情報を自由に手に入れることができ、そのうえで討議し、相手の意見を入れて自分の意見を変えること・・によって合意が成立する。

代議制によるデモクラシーと討議デモクラシーの2回路システムが望ましいとされている。

〇欧米の試みは、制度化を狙っており、サンプルの取り方も公平性を求めている

討議デモクラシーが歴史の流れというので、我が意を得たりと思ったが、欧米でやっている試みは、①制度化を狙っていること、そのため②サンプルの取り方も公平性を保つために大がかりであり、③3日とか半年とか、長期間討議をすることになっている。④また、研究も兼ねているので、その討議がどんな効果をもたらしたかをチェックしている。

(日本で裁判に陪審制が導入されたが、討議デモクラシーの試みの場合のサンプルの取り方は、陪審員の選び方のような感じだ。裁判に陪審制が取り入れられたことを考えると、政治に2回路制を導入しようという動きがあっても良いと思うが、日本では、これまで余り議論されていない。)

これは、我々数人がリードしてやれるようなことではない。

私は、西東京市でのFSを「耕し」の段階と位置付けており、まずは、話し合える場をつくること、参加した人が自分たちの生活を良くするには、まちを良くしなければならない、だったら、行政がやることに対しても、もっとよく考えて判断しなければと思ってくれること、行政に頼らずともできることは、自分たちでもやろうと行動すること、そういう社会になるための「耕し」の時期だと思っている。

ここは、まだ不勉強だが、対話ラボがやっているワールドカフェ等々の対話の方法も、欧米での、こうした流れから生まれてきた方法論なのだろう。

〇さて、どうしたものか

私は3回のFSを終えて、実は、次をどうしようか悩んでいる。託児も考えると、長時間拘束するのは難しい。せいぜい3時間のFSだと、その時は、話合えて皆さん気持ちが明るく前向きになってくれるが、数日経てば忘れてしまう程度のことしかできない。

欧米での試みは、数日から半年かけて行うなど本格的だし、大學やテレビなどが協力し、その時代の最大の社会問題、政治問題を取り上げている。

今回、この本を読んで、時代の流れにあっているというので、嬉しい反面、どのように進めたらよいのか当惑している。

もう少し、本を読むなりして充電することにしよう。

2013年5月 5日 (日)

篠原 一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か』

篠原 一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か』岩波新書872

この本は、学者さんが一般人向けに「近代の変容」について講義したものを元に書かれたもの。

私は学者ではないので、いざ、ブログを書き始めて、はて、「近代」ってなんだ?とか、「デモクラシー」を民主主義と書いてよいのか?とちょっと気になって、ネット検索したら、「主義」ではなく、「民主政治制度」と訳すのが正しいらしい。・・・言葉の使い方は、専門家には、いろいろ言い分があるのだろうが、ここは、気楽に、私の備忘録と思ってもらいたい。

著者は、「近代の変容」について語る前に、では、「近代」とはなんだったかなどについても触れている。この辺りは、簡単にフォローするだけに留める。

1.近代社会の変容

1.1.「第一の近代」

・近代は中世の胎内から生まれた。後期中世である10世紀から15世紀のなかで、近代は準備された。16世紀ごろから、ルネッサンスの発展、近代的市場の拡大、宗教改革などに象徴される初代近代(近世)が始まり、科学革命、近代国家の発展、近代産業の成立、市民革命を経て、18世紀中葉から本格的な近代が始動する。これが「第一の近代」のはじまりであり、近代社会の構造的特質は、この段階で確立する。

・近代に向けて、伝統社会の基本的世界観や生活慣習が根本から変革された。著者は、時間革命、空間革命、交換革命の3つを挙げている。

・そして、近代の構造として、複数の要素の結合体と捉えると分かりやすいとして、資本主義-産業主義という経済軸と、近代国家-個人主義という社会軸を組み合わせ、その各要素に共通するものとして科学主義を設定(ギデンス)。S1

1.2.変容する近代

・そして、第二次大戦後、先進資本主義社会は、「黄金時代」を迎えるが、その成功の結果として、種々の矛盾とリスクが発生し、「第一の近代」は、大きく揺らいでいく。そして、このような矛盾やリスクに対する警告として各種の「新しい社会運動」が発生し、「第二の近代」への転換の徴候が現れるようになる。

・たとえば、産業主義(公害)、資本主義(貧富の格差)、近代国家(監視する権力とともに生かす権力:福祉などを持つようになり、国民は国家に依存する羊に→第三の道、分権化)(グローバリゼーション)、個人主義(少数民族、女性、差別撤廃)、科学主義(原水爆、遺伝子組み換え)S2

・著者は、現在近代が揺らいでおり、第二の近代に向かいつつあり、さまざまな徴候が見られるが、まだ明確な形にはなっていない。しかし、現在進行形であるが、そうした動向を「第二の近代」として捉えていきたいとしている。この本は、2004年1月に出版されており、著者が示したいろいろな徴候は、現在、もう少し形を見せてきているのではないかと思われる。

2.第二の近代とその争点

・第二章では、近代の自己内省化によって社会に新しい現象が生みだされ、それが旧来のもののうえに重畳して新しい構造を作り上げているとし、政治、経済、国際関係、社会について、現在みられる現象を取り上げ、論じている。

・ここは、取り上げている項目だけあげておく。

・政治変容の諸相(サブ政治の発展:市民団体、自治と分権)(結社革命:NPO・NGO)(現代社会の遊牧民ノマド:社会運動を構成するのは、自分自身の生きがいと自分自身を取り戻す、自己実現的な人々、可視化と潜在など)

・経済変容の諸相(完全雇用の破たん)(市民労働:賃金労働と感謝労働)(基礎所得、市民所得)

・地球化のインパクト(グローバリゼーション)(グローバリズム:世界市場支配のイデオロギー)(多文化主義)

3.新しい市民社会論

・日本では、「市民社会」という言葉が定着していないが、ここでは、第一と第二の近代における市民社会が整理してある。

・18世紀前後、市場経済が発達し、国家から社会が分離する状況が訪れた時に、国家から自律した市民社会という発想が生まれた。国や置かれた状況によって少し概念が違うものの、二領域論的にとらえられていた。しかし、両者は、完全に対立分離してはいなくて、二つの円は、部分的に交錯していた。S3

・著者によると、これに対し、新しい市民社会論の多くは、三領域論をとっており、国家(政治システム)、経済社会(経済システム)、市民社会の三つの領域が相互に接合しながら、むしろ市民社会が優位に立つべきと考えられている。

・19世紀が進むにつれ、貨幣を中心とした経済社会(企業)の勢力が強くなり、国家と経済は次第に癒着し、人々の生活世界を圧倒するようになる。こうした状態に対して、生活世界からの逆襲が行われる。参加と自治、さまざまな自発的結社や社会運動によって、生活世界が権力を中止にした国家の領域に浸透し、NPOが企業の機能の一部を代行するなど、非営利活動が経済社会の領域に切り込むという事態が発生しつつある。

・ハーバマス:政治システム(権力という媒体によってコントロールされる)、経済システム(貨幣という媒体によってコントロールされる)、これに対し、生活世界の媒体は、「コミュニケーション」である。前2つのシステムが生活世界に強い影響力を持つ場合、が生活世界の「植民地化」と言われる現象。生活世界は、「発言し、行動する主体たちが社会化されている世界」。生活世界の中で培われた自律的な公共性が強くなければ、生活世界と二つのシステムの間で発生した紛争を生活世界の手でコントロールすることができない。

・当初、ハーバマスは、生活世界の自律性については必ずしも自信がないようであったが、東欧革命と「市民社会」の再発見によって、ラディカル・デモクラシーとして、将来への楽観主義を述べたという。(1994年)彼のいうラディカル・デモクラシーを支えるものとして、協議・討議政治(Deliberation Politik)を挙げている。(※津富先生らが訳した『熟議』というのがこのdeliberationらしい)

・ハーバマスは、法が妥当するためには討議が必要であり、政治システム内の討議・決定と、生活世界に根差した市民社会における討議という二回路システムの存在を強調。

4.揺れる市民社会

・ここでは、原子化・断片化されている個人を自らに有利に運ぼうという政治勢力として、ポピュリズムについて触れられているが、ここは飛ばす。

5.討議デモクラシー

5.1.行動的市民とデモクラシー

行動的市民:個人化の進展は、個人の原子化・断片化を進めるという負の側面を持つと同時に、多くの自己実現派市民の創出というプラスの側面を持つ。これが新しい市民社会の中の市民である。同じ市民とはいっても、かつての財産と教養のあるブルジョア市民ではなく、教育と知識と一定の富と、そして認識力と判断力を持つ広汎な自律的市民層である。

・第一の近代に典型的であった持てる者と持たざる者との社会配分軸の他に、もう一つ、リバータリアン軸(自由意志を尊重するか、権威主義かの軸)を考え、自律した市民とその横の連携を重視する左派リバータリアンと縦の権威関係を尊重する右派権威主義者との対抗を考え合わせなければならない状況になってきている(キッチェルト)。→「第三の道」の政党がいわゆる勤労者層だけでなく、この左派リバータリアン(自己実現派市民)の支持を得ようと努力している。S4

・これらの自律的市民は孤立をさけ、その意図を実現するために、自ら他者との関係をもとうとするが、常に行動する市民という訳ではない。ふつうの市民は、他者との間にゆるやかな関係を持つが、一定の社会行動をするには、「行動する市民(アクティブ・シティズン)」がその媒体となることが多い。そして、普通の市民があるときは、「行動する市民」となり、また「行動する市民」があるときは普通の市民に戻るという循環を繰り返している。

・著者は、行動する市民を直接政治に参加する人だけに限定しなくても良いのではないか、市民社会の形成に必要なのは、社会参加でも良い(NPO/NGO,その他まちづくり、相互扶助等々)のではないかといっている。そして、こうした社会層を増やし、その間の「討議」を活発にしていくことがこれからのデモクラシーの課題になるとしている。

・デモクラシーの複線化:これまでのデモクラシーの原型は、代議制デモクラシーである(選挙を通して政治に参加)。市民が政治過程に過度に参加することは、過参加といってマイナスに評価された。しかし、1970年前後になって、近代社会に変容がみられるようになると、学会でも参加デモクラシーの論議が活発になった。

・さらに、1990年前後から、参加だけでなく、「討議」の重要性が再認識され、市民社会の討議に裏付けられない限り、デモクラシーの安定と発展はないと考えられるようになった。こうして、代議制デモクラシーに加えて、参加と討議を重要視するもう一つのデモクラシーの回路が現れ、二回路制のデモクラシー論の時代となりつつある。

・日本では、参加デモクラシーについてはいろいろな形で具体化され、実験されている(直接民主制)が、討議デモクラシーの制度化(これからの政治にとって欠かすことができない)については、紹介されていないので、以下紹介する。

・討議デモクラシーの原則:運営は、討議倫理に基づくものでなければならない。①正確な情報が得られるだけでなく、異なる立場に立つ人の意見と情報も公平に提供されるよう配慮されなければならない。②討議を効果的に行うようにするためには、小規模なグループでなければならず、できればグループの構成も固定せず、流動的であることが望ましい、③討議をすることによって、自分の意見を「変えること」は、望ましいことであり、頭数を数えるだけの議論になってはならない。

・このような大原則を実現するため、制度化にあたって、種々工夫されているが、その前に、集められたグループが社会全体の縮図を示すものでないならば、討議自体の意味が半減してしまう。政府の審議会(恣意的グループ)になりがち、討議デモクラシーの制度化にあたっては、ランダム・サンプリングの方法が採られ、その代表制、包含性、透明性を確保することにしている。

・討議制デモクラシーの制度化は、1990年代半ばから、目立つようになってきた。以下では、主に欧米で実施されたいろいろな制度が紹介されている。「討議制意見調査(deliberative poll以下DP)」、「コンセンサス会議(CC):これについては、日本でも、遺伝子組み換え農産物を考えるCCなどがなされている」、「計画細胞((Plannungszelle)」、「市民陪審制(citizens'jury)」。

・これらの制度化の場合は、選ばれたパネラーが決められた時期に3日間とか4日間とか続けさまに議論を続ける方法であり、その結果が代議士たちにも影響を与えるとか、テレビでも放映されるなどして、社会にも影響を与えている。

・多段式対話手続き:市民フォーラム(前の記述のもの:討議)、市民立法(イニシアティブ)、市移民投票(レフェレンダム):直接民主制、調定・仲裁(紛争解決モデル)

・「未来工房」(ここでの例では、ICTが社会に及ぼす影響というテーマで行われたとあるが、これは、FSのことだろうか)

いくつかの問題:(ハーバマス)2回路制:1つの回路は、法治国家によって制定された制度的プロセスであり、第二の回路は、市民社会の中での非制度的、非形式的な意見形成のプロセスであり、両者は、相互に依存し、また規制しあう。そして、第二の回路にとって重要なことは「発見」であり、第一の回路が「議決」であるのと決定的に異なる。市民社会の討議は、鋭い感受性で問題を発見することに意義がある。第二の回路の討議によって、第一の決定に正統性が与えられる。

・DPの主唱者(フィシュキン)は、討議の日構想を示している。・・第一の回路と第二の回路をいかに結びつけるかが解決されざる問題として残っている。

・直接民主制:ポピュリズムに陥らないよう、十分な討議が必要、それを保障するルールと制度。

・討議デモクラシー:政治システムの決定にどのように影響力を与えられるか。政治システムが討議によって得られた問題解決の方向性に敏感に反応することが望ましい。

・国境を超える統治:EUの委員会は各国の「取引(バーゲン)」ではなく、「議論」に重点が置かれている。討議によって正統性を与えられている。しかし、民衆がこれをコントロールできない(「民主主義の赤字」)。

6.市民の条件

・それなりの市民(アデクウェイト・シティズン):公共善を認識して行動するような古代のよき市民でもなく、近代的個人主義の上にたって、それぞれの利益を追求し、その利益追求の予定調和によって公共善が成り立つと考える近代のよき市民でもない。現代においては、社会の規模の大きさ、問題の複雑さ、マスコミの操作性などを考えると、完全な判断のできる市民を期待することは困難であるが、そういう点については、専門家も同様である。そこで、あまり完全性を求めないで「それなりの市民」という基準をたてるべき(ダール)。パートタイム的でもよい。

・ダールは、軍隊に居る時に、「ふつうの人々」の能力に対する尊敬が日増しに高まった。「ふつうの人々が極めて大きな資質をもちながら、しかし、それがあまりにもしばしば十分に開発されていないのではないかという認識に達した」と書いている。

2013年5月 4日 (土)

熟議と住民投票

西東京市の総合計画策定にあたってのワークショップ(WS)に参加し、そこでの議論を吟味しようとブログで書き始めたのですが、途中から、自らフューチャー・セッション(未来のまちについて、市民自らが考え、行動する:以下FS)を始めてしまい、それに追われて、ブログ更新がすっかり滞ってしまいました。

WSの吟味も途中ですが、今、気になっていることを先にやっつけておこうと思います。

「熟議」という言葉を始めて聞いたのは、確か、小平市の住民投票についてのパネルディスカッション「どんぐりと民主主義」(武蔵野の林を伐採する道路建設反対)の折だったと思う。これについても、ブログに書こうと思っていて、すっかり時間が経ってしまった。

ただ、その時、「熟議」という言葉がまさに、私が今始めたフューチャー・セッションではないかと思い、頭のどこかにひっかかっていた。

そして、その頃、西東京市長選があり、「住民投票」を訴えていた対立候補が落選したのだが、小金井市でも、小平市でも「住民投票」を実現しつつあるのに、西東京市では、これについて私も含め、ほとんど議論していなかったことに忸怩たる思いがあった。

また、小平市では、道路建設について、こんなに皆で議論しているのに、西東京市では、東大農場を分断する道路に反対している団体について、「あぁ、またあの物わかりの悪い人たちが反対している」と片づけてしまい、一般の人たちが耳を貸さず、議論しない状況になっていたことにも忸怩たる思いがあった。

私が議論していなかっただけであり、他の方たちは議論していたのかもしれない(私の不勉強かもしれない)。また、議論しても結論は同じかもしれない。でも、もっと広くいろいろな人がこれら問題について話し合う必要があったのではないか。そういう場をつくろうとFSを始めたはずなのに・・・と思ったのだ。

一緒にFSを実行しているスタッフ仲間に、テーマとして、住民投票や道路を掲げてみたが、多くの仲間も、腑に落ちない(テーマとして納得してくれていない)という状況だ。

そんな折、FSに参加してくれた静岡県立大の先生が『熟議民主主義ハンドブック』を翻訳したという知らせが入った。そこで、アマゾンを検索したところ、どうやら「熟議」という言葉は、その道の専門家にとっては、普通の言葉らしく、たくさんの本が出されていた。そのうちの一つが、篠原 一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か』岩波新書872。

まずは、この本について、気になったところを記しておきたい(次のブログ)。

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